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少年デュラハン  作者: 天月シンヤ
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‐4‐

 瞼にあたる光が眩しくて、おれは眉間に皺を寄せ、ゆっくりと目を開けた。

 視線が異様に低い。硬い床に寝そべっているのだと気がついて、徐々に記憶が戻ってくる。

 そうだ、おれはメッセンジャーに薬かなにかを盛られて体が動かなくなって、気を失って……。

 カーテンのすき間から差し込む日光が店内をぼんやりと照らしている。あれから何時間経ったのか。

 手に力を込めると、指先が動いた。今度は全身に力を込める。まだ節々に多少の痺れが残っているものの、かろうじて体を起こすことができた。

 瞬間、店内中央に佇む黒いバーテンダー姿の男が視界にうつる。

「――っ、メッセンジャー!」

 飛びかかろうとしてがくんとつんのめり、床に手をついた。まだ走れるほど回復しきれていない。それでも今すぐ問い詰めたかった。

「おはようございます、よくお休みになられましたか」

 余裕の素振りでメッセンジャーは笑んだ。まるで何事もなかったかのように。

「てめえ……カナデを……どうしやがった」

「ええ、滞りなく。簡単な仕事でしたよ、ほら」

 そう言ってメッセンジャーは奥にあるボックス席を指差した。ゆったりとしたソファに、半袖の病衣を身にまとったひとりの人間が横たわっている。

 まさか。

 心臓がばくばくと激しく鼓動して、視野が急速に狭まっていく。

 よろよろとふらつきながらメッセンジャーの目の前を横切り、ソファへと近づく。嘘であるようにと願いながら。

「あぁ……あ……」

 黒い髪に、やせ細った火傷痕の目立つ腕、血の気のない顔は、紛れもなくカナデだった。

 なのに……。

 息をしていない。とうに温かさの失われた皮膚は青白く、心音も、聞こえない。

 ソファに横たわるカナデの傍に跪き、震える手で頬に触れるとぞっとした。生きている人間とは明らかに異なる感触が、残酷な現実を突きつける。

「う……あっ………。カナデ……っ」

 視界が歪んで、ぬるい雫が頬をつたって落ちていく。次から次へと溢れ、こらえきれずに額を押し付けたカナデの肩先を濡らしていった。

 背後からメッセンジャーの声がする。

「……我々の仕事は誇らしいものですよ。なにも死なずに済む者を殺すのではなく、死ぬ運命にある者をなるべく苦痛のないように黄泉へと送り出す職務ですから」

 振り返れば、メッセンジャーの手元にぼんやりとひかるものが浮かんでいる。

「見てください、美しい魂ですね」

 ひと目見てわかった。あれはカナデの魂だ。でも、肉体とは繋がっていない。それはもう、二度と生き返りはしないことを意味していた。魂が完全に体から離れてしまえばオベロン王はおろか、神でさえも蘇らせることはできない。

「これほどまでに綺麗なら、もしかしたら私たちの国で妖精として生まれ変わることもあるかもしれない。最も、記憶も外見もまっさらな、そこの彼とはまったく別の者になってしまいますけどね……。――以上で、報告は終了です」

 おれは流暢に語るメッセンジャーをきつく睨みつけた。憎しみが奔流となって渦を巻き、理性を押し流していく。震える手を腰のナイフに伸ばす。

「殺してやる……」

「怖い顔をしないでください。私は与えられた職務を全うしたにすぎません。あなたが一番わかっているでしょう」

 そうだ。わかってる。これまでの話を整合すれば、オベロン王はおれの動きなんて最初から何もかも把握していて、あらかじめメッセンジャーに話をつけていたんだろう。

「……だからってこんな騙し討ちみたいな真似しやがって、納得できるわけねーだろ! メッセンジャー!」

 腰のナイフを素早く抜き取り、一息にメッセンジャーの懐へ飛び込んだ。しかし体の痺れが瞬発力を奪い、動きを鈍らせる。メッセンジャーは軽々と身を翻してナイフを持つ利き腕を上から叩き、勢いづいた方向に薙ぎ払う。バランスを崩したおれはそのまま倒れ込み、腕と肩を上から押さえつけられ、床に這いつくばる格好で身動きが取れなくなった。

 利き腕をぐるりと後ろに捻りあげられ、肩が外れる直前で固定される。対バンシー戦の怪我が治りきらない箇所に鋭い痛みがはしって、おれは息を詰まらせた。

「ただの人間に肩入れして苦しんで、挙句の果てに逆上ですか。本当に愚かですね……」

「ぐ……っ、黙れ……黙れよ、てめぇ……!」

 抵抗するも、押さえつける力が強くてびくともしない。更にきつく腕を捻りあげられ、喉の奥から悲鳴に似た呻き声が漏れる。

 痺れが残っているせいもあるが、こいつ、強い……!

 そのとき。

 おれを押さえつけたまま、ふいにメッセンジャーが顔を寄せて、耳元で囁いた。

「――そんな馬鹿で愚かなあなたが、私は……嫌いじゃないですけどね」

 唐突に囁かれた言葉の意味が分からず、反応できなかった。押さえつける力をわずかに緩め、メッセンジャーは話を続ける。

「私は丁寧な仕事を心掛けていますから、ガサツなあなたと違ってこんな芸当もできるんですよ。ほら、よく見てください」

 指し示された方向に首を巡らせると、目の前にカナデの魂が浮遊している。一瞬、線のようなものがきらりとひかり、目を凝らしてよく見ると……。

 思わずおれは息を呑んだ。

 魂の先が絹糸一本分の細さで伸びて、奥のソファに横たわるカナデの肉体と繋がっている。

「……さあ、お戻りなさい。目覚めの時間ですよ、眠り姫」

 メッセンジャーがたおやかに告げると、魂はその声に従うようにふらふらと移動し、カナデの体内へと吸い込まれるように戻っていった。

 呆気にとられているおれを後目に、カナデの腕がぴくりと動いた。それから、急に咳き込んだかと思うと、深く呼吸をし始める。

 カナデが……。

「生き……返った……?」

 なぜだ、完全に死んでいたように見えたのに……。

 おれの心を見透かし答えるように、メッセンジャーが話し始める。

「仮死状態ですよ。先程までオベロン王に結果報告の通信をしていたので、その間だけ死んでもらっていました。上手いものでしょう」

 上からかけられていた拘束が解かれる。おれはすぐに起き上がり、カナデの傍に駆け寄った。

 呼吸をするたび、薄い胸が深く上下する。先程まで青白かった肌に赤みが差し、みるみるうちに生気が戻っていく。

「なあ、カナデ。聞こえるか、おれの声……」

 閉じられていた両の瞼がゆっくりと開いて、黒い瞳が覗く。はじめは焦点が合わずに彷徨っていた視線が、こちらへまっすぐに向けられた。

 目が合ったと思った、そのとき

「……デュー……」

 震える唇でカナデは言った。カナデがつけた、おれの名を。

「ああ、おれだよ、カナデ。……お帰り……」

 まだ冷たい手を握ると、返事をするように弱々しく握り返してきた。

 カナデは生きている。驚きと嬉しさが混ざり、また涙が溢れだしてしまいそうになるのをぐっとこらえた。

 それにしても……。おれはメッセンジャーのほうに振り返り、低い声で問いただす。

「……メッセンジャー、おれだけじゃなく……オベロン王までも騙したのか」

「人聞きの悪い。ちゃんと魂を刈り取ったつもりが、ちょっと失敗して生き返ってしまっただけですよ」

 メッセンジャーはわざとらしく肩をすくめる。ゆるんだ口元を隠しもせずに。

「なんでそんなこと……」

「言ったじゃないですか、あなたのことは嫌いじゃないと」

 嫌いじゃないからなんなんだよ狐野郎。おれは心の中で悪態をついた。まるで説明になってないし、曖昧な理由でこんなに手の込んだ真似をするようなやつには見えなかったからだ。

「意味わかんねーこと言ってないでちゃんと説明し――」

 詰め寄ろうとしたそのとき、ドアの開く音がした。誰かが店内に入ってきたのだと気づいて咄嗟に出入口のほうへ視線をうつす。カーテンが引かれ未だ薄明りの店内に、外からの光が差し込む。

 眩しい陽光を背負ってドアの向こうから現れたのは……。

「おっはよー。……あら、お客さんがいらっしゃったのね。まだ時間があるからどうぞゆっくりしていって頂戴ね」

 ライダースジャケットを羽織った男――女かもしれない――は、明るく言い放ち、にこりと笑う。ひと目で性別がわからないのは、後ろ髪を一つ縛りにまとめた凛々しく中性的な顔立ちと、穏やかそうな垂れ目、それに少年じみたハスキーボイスのせいだ。

「……誰だよ……」

 つい言葉に出てしまった。いや、本当に誰だよ。

 おれの声が聞こえたのか、そいつはバイクブーツの靴裏を軽快に鳴らして歩み寄ってくる。

「初めまして、香坂弥代生と申します。以後よろしくね、可愛らしい赤毛の妖精さん」

 フレーバーティーを思わせる芳香に紛れて、ごく僅か、妖精にしか嗅ぎ分けられない独特の匂いがする。カナデと同じ匂い。つまり……。

「待て、おい! こいつ人間じゃ……!」

 基本的に妖精しか入れない店だったはずだ。なんで人間が、さも当然のように自由に出入りしてるんだ。

 香坂と名乗った人間は首を傾げ、メッセンジャーと何やら目配せをして、納得したように頷いた。意味深な笑みを残してバーカウンターのほうに歩いていき、代わりにメッセンジャーが口を開く。

「そうですよ、透視能力を持つ人間です。ここ『メルクリウス』はちょっと特殊なバーでして、夕方から夜半まではこの香坂が人間を相手に、夜中から明け方までは私が妖精を相手に店を開いているんです」

「なかなか面白いでしょ」

 バーカウンターに置かれた消えかけのオイルランプに燃料を足しながら、香坂が合いの手を入れる。

「ご納得いただけましたか」

 いよいよわけがわからなくなってきた。不可解な行動を取るメッセンジャーについて何も明かされないまま、矢継ぎ早にあらわれる知らない人間と知らなかった事実。おれは頭痛がして額に手を当てる。

「……いや、ぜんぜんわかんねーよ……つーか、けっこう前から通ってたのに全然気づかなかった……」

「はは、仕方がないですよ、説明する機会もありませんでしたし。どうですか、軽い朝食などお出ししますからもう少し休んでいかれては。まだそちらの方もしばらくは立ち上がれないでしょうし」

 メッセンジャーはそう言って、カナデのほうに目線をうつす。カナデはソファで横になったまま僅かに体をこちら側に傾け、おれたちの話を聞いていた。目が合うと、こくりと頷く。

 まだ指先に残る痺れを確認し、おれはメッセンジャーを再度睨みつける。酒に一服盛ったやつの飯なんて食えるか、という意味を込めて。

 察したのか、メッセンジャーは外しておいてあったロングエプロンを腰に巻きながら、苦笑いを浮かべた。

「また怖い顔をする……。今度は何も変なものを混ぜたりはしませんよ」

「カルア、あんたまたなんかしたのー?」

「色々ありまして」

 いつの間にか奥の調理スペースに引っ込んでいた香坂から飛んでくる指摘に、困り顔で弁明するメッセンジャー。なぜかは知らないが、こいつはカルアと呼ばれているらしい。

「さ、朝食作るのはあたし。遠慮はいらないわよ」

 黒いエプロンをつけて奥から出てきた香坂が、はにかみながら片手をひらひらと振る。

 もう一度カナデのほうに視線を戻すと「なんだかよくわからないけれど、僕は大丈夫だから」とかすれ声で言い、いつものように微笑んだ。


 ***


 ボックス席のテーブルに、ほどよい焦げ目のついたフレンチトーストにサラダが添えられたプレート、淹れたてのコーヒー、グラスに注がれたフレッシュジュースなんかが次々と並べられていく。

 なんとか起き上がって座れるまでに回復したカナデは、出されたジュースを飲もうとして震える手を伸ばす。グラスを取りこぼしかけたところを、とっさに支えて介助した。どうもまだ挙動が危なっかしかったから、隣に座っておいて正解だった。

「……ありがとう、デュー」

「さっきまで心臓止まってたんだから、無理すんなよ」

 穏やかに笑んで頷くカナデ。ほんとうに、一時間ほど前まで物言わぬ姿に成り果てていたとは思えなかった。

「ふふ、デューと呼ばれているんですね」

 バーカウンターに戻っていつものようにグラスを磨いたりしていたメッセンジャーが、手を動かしたままちらりとこちらを垣間見る。

 名前を指摘されるのは想定外だった。カナデ以外のやつが口にするのは物凄く違和感があるというか、むず痒い。

「うるせーな、見てんじゃねえよ。第一おまえだってさっき……」

「ええ、そうですね。香坂にはカルアと呼ばれています」

「この子ったらバーテンダーのくせに強いお酒ダメで、カルアミルクばかり飲むんだもの。それに名前がないのも不便でしょ」

 すべての料理を出し終えたらしい香坂が奥の調理スペースから出てきて言う。そのまま真っ直ぐバーカウンターのほうへ歩いていき、メッセンジャーの目の前、真ん中あたりの一席に腰かけた。

「ほら、私に比べたら良い名前じゃないですか、デュー」

「おまえまでその名前で呼んでんじゃねえよ」

「いいじゃありませんか、私のこともどうぞカルアとお呼びください」

 言いながら、カナデが飲んでいるものと同じジュースを香坂に差し出した。それを香坂は、ありがと、とまるで日課のように軽く受け取って、口をつける。

「そっちの子はなんていうの、名前」

 香坂がグラスを片手にカナデのほうを見る。

「あ、はい……。僕は奏といいます」

「素敵な名前ね、よろしく」

 やさしく笑む香坂につられて、カナデもぎこちなく微笑み返した。さっき会ったばかりなんだから、当然の反応だ。

「それよりさぁ、結局なんだったんだよ、おまえ……カルアは、カナデを助けたのか」

 フレンチトーストを口に運びながら、カルアに話を振る。カルア自身は何も食べずに黙々と手仕事を続けていたが、やがて手を止め、ぽつりと話しだした。

「……説明をするまえに、少し私の昔話をしましょう。どうぞそのままでお聞きください」

 まるで朗読劇を演じるストーリーテラーのような口調で、カルアは記憶の本を開き、回想の物語をそらんじはじめる。

「この国に来る前、故郷で暮らしていた頃のことです。私にはひとり、人間の友人がいました。この友人はとても気さくでよく笑う人だったのですが、ある日、なんの前触れもなく残酷な死の運命が定められたのを知りました。私とは別のデュラハンがその役目を拝命したようで、友人に近づいていくのがみえたからです。担当に選ばれなかった私は部外者ですから、どうすることもできません。しかし……そのデュラハンは一向に、友人を手にかけようとはしなかったのです」

「なんだそいつ……。明らかに職務違反じゃねーか」

 思わずこぼしたおれの独り言に、カルアは頷く。

「そうですね。このままでは重大な罪と罰がそのデュラハンに課せられる。まもなく執行期限が過ぎようというときでした。友人は街で一番高い建物の階段を上へ上へと昇っていき、辿り着いた屋上から地面へ向かって真っ逆さまに――その身を投じました」

「……は?」

 おれは耳を疑った。

 カルアの過去。故郷での出来事。明朗快活な人間の友人。定められた死の運命。もうひとりのデュラハン。

 ……転落による、自死。

 ひとつひとつのキーワードが鍵となり、記憶の蓋を開けていく。

「いや……待て……、それって、もしかして……!」

 ぞわぞわと鳥肌が立ち、甦った過去の情景が次々と重なっていく。持っていたコーヒーカップを危うく落としかけ、震える手でソーサーに置いた。

 ――あの男はこの街で一番高い建物の階段をどこまでも昇っていって、ついに屋上へ辿り着いたと思ったら、硬い地面へ真っ逆さまに落ちていったのさ。まったく、重力とは残酷なものだね。蝶でも妖精でもない、ただの人間だもの。熟れたトマトよろしくひしゃげて死んでしまうのは当然なのに――

 なにもかもが一致する。カルアの言う「友人」っていうのは、つまり。

 真っ直ぐにおれのほうを見据えて、カルアはゆっくりと口を開く。

「……はい。友人の担当として指名されたデュラハンは、デュー、あなたでした」

 欠けていた破片がすべて集まり、ひとつの絵になっていく。現れたのは、あのとき見えなかった真実。

 過去におれが友人だと思っていたあいつは、カルアの友人でもあった……。

 ああ、そうか。そうだったのか。黙したまま死を選んだあいつは、裏切ったわけでも、おかしくなったわけでもなかった。

 おれと出会う前から既にカルアと友人関係にあったなら、デュラハンという妖精の仕事について詳細に、その執行期限や、期限を過ぎた際に受ける罰の内容さえも聞いていたに違いない。

 つまりあいつは、おれが職務放棄しようとしているのを察して、自ら運命どおりに死ぬ道を選んだんだとしたら……。

「おわかりになりましたか。友人は、友人の代わりに犠牲になろうとするあなたを止めるために、命を絶ったんです」

 室内がしんと静まり返る。

 しばらく言葉が出てこなかった。膝の上で爪が食い込むほど強く拳を握りしめていると、その上にそっと冷たい手が重ねられて、びくりと体が震えた。驚いて顔を向けると心配そうな表情を浮かべたカナデと目が合って、思わず視線をそらしてしまう。

 真実はわかった。けれども結局のところ、あいつを救えなかったどころか却って苦しい選択を強いてしまったのだと気付き、自分が酷く恥ずかしかった。

「……じゃあ、カルアは恨んでるんだろ、担当になりながらみすみすあいつを死なせちまったおれを……」

 カルアはふと口元をゆるめ、首を振る。仄かなランプの灯火を透かす金の髪が、絹糸のようにゆれた。

「逆ですよ。あなたは友人のために罰を覚悟しながら職務を投げうった。賢い選択だとはいいがたいですが、それでも友人は、最後に良い友人が新たにできたと……いつものように明るく笑っていました。友人を助けられなかったのは、私にもあなたにも運命を覆すほどの力がなかった、それだけのことです」

 細めた目をそっと閉じるカルア。わずか数秒のあわい。過去に思いをはせているのか、それは祈りにも似て、失われた友へ向けた鎮魂のひとときだったのかもしれない。やがておもむろに瞼を開け、話を続ける。

「……以来、私は技を磨き、魂を仮死状態のまま糸一本の細さで繋ぎ止める術を身につけました。二度とこんな悲劇を繰り返さないために」

「それでカナデを助けたっていうのか、おれが過去にあいつと繋がりがあったから」

「もちろんそれもありますが、なんと言ったらいいでしょうね……。どうしても人間に惹かれてしまう同族のよしみです。私とあなたは似ていると思いますよ、とてもね」

「やめろよ、気持ち悪い……」

 眉をしかめて悪態をつきながら、確かにこれは、同族嫌悪なのかもしれないと思い始めてはいた。そう思うと、以前戦ったあのバンシーだって……妙に苛々して仕方がなかったのは、過去の過ちを繰り返そうとするあいつに対する同族嫌悪だったのか。

 バーカウンターにグラスを置いた香坂が憂いを帯びた表情で、ふぅ、と溜息をもらす。

「なんかさ、ふたりとも、いまの仕事向いてないんじゃないの?」

「向いてないでしょうね。そもそも気に入った人間だけを助けるだなんて、命の選別に他なりませんから。正攻法でないことは自覚していますよ」

「まあ、人間だってそんなものかもねー。命の選別は案外誰でも無意識にやってるのよ。……世の中キレイごとばっかりじゃないわ」

 そう言って、カナデの半身に残る火傷痕へと悲しげな視線を向ける香坂。

 好きだから助ける。嫌いだから助けない。興味がないから見てみぬふりをする。届かないから助けられない。邪魔だから排除する。……誰もがどこかで曖昧な線引きをして、知らぬ間に関わるすべての命を天秤にかけている。

「なにもかもを助けられないならせめて、愛するものだけを助けたいって思うのは、エゴなのか……?」

 突然に、自分でもおかしなことを口走った自覚はあった。カルアは細い狐目をまん丸くして、香坂も長い睫毛を瞬かせ、じっとおれのほうを見ている。カナデにいたっては、なにか言いたげに唇を揺らし……。

「い、今のなし! 違っ……カルア、笑ってんじゃねーよ!」

 テーブルに手を付いて訂正するも、ついに吹き出してくつくつと肩を震わせるカルア。やがて香坂もくすくすと笑いだした。カナデは微笑んだ頬を染め、どうしていいかわからずに俯いている。

「ふふふ……いえ、わかりますよ。エゴですね。だからこそ我々は忠実に職務を全うしなければならない。……表向きは」

「表向きは、ってなんだよ。今回のことがいつか明るみになったら、王から罰を受けるのはカルア、おまえじゃねーのか」

「カルアさん……」

 隣で俯いていたカナデがはっとして顔を向け、不安げな声を上げる。カルアは長細い指を口元にあてて考えるそぶりをしていたが、やがて

「どうでしょうね、仮死とはいえ実際に一度は死んだのですから、与えられた命令は完遂したことになるんじゃないでしょうか」

 と、涼しい顔でしれっと言い放った。

 カルアのいかにも無理やりな詭弁が面白かったのか、香坂が「筋は通ってるわね、一応」なんて、皮肉交じりの肯定をする。

「適当なこと言ってはぐらかしてんじゃねーよ。これでも心配してやってんのにさあ」

「それが、あながち適当でもない。……恐らくなのですが、王がわざわざデューを担当から外して私を選んだのには、理由があると思っています」

 不敵な笑みを浮かべるカルア。

「理由……?」

「王はああ見えて非常に聡明なお方です。配下の妖精に出し抜かれるほど鈍くはありませんから、なにもかもはじめから計算尽くで私を差し向けたんじゃないでしょうか。貴方の過去も、私の過去も、たくらみも、この結末すらすべてお見通しだったというわけです」

 改めて考えてみれば、おれの代わりに上手く表面を取り繕った形だけの「任務遂行」ができるカルアに、白羽の矢が立った。これは、特定の人間だけを特別扱いできない立場である王の、最大限の譲歩だったっていうのか……?

「……だとしたら、カナデは……」

「お目こぼしを貰ったんだと思いますよ。王はもともといたずらと面白いことが大好きなお方なので、一部始終をどこかで見ていて、今ごろ満足げに笑っているのでしょう」

「マジかよ……めちゃくちゃ疲れたってのに……。結局、王の手の上で踊らされてたってことか」

「ふふ、そうですね。勝てるはずがないんですよ、我々の王なのですから」

 おれは大きく息を吐き、テーブルに突っ伏した。ものすごく振り回された気がする。カルアの推測がすべて当たっているのかはわからないが、腑に落ちる部分が多すぎる。きっと概ね言うとおりなんだろう。

「さあ、そろそろお開きの時間ですね。カナデさん、体調はいかがですか?」

 言いながらカルアはバーカウンターから出て、店で一番大きな窓のカーテンを開けた。外はすっかり日が昇り、店内を明るく照らし出す。香坂もおもむろに席から立ち、入り口付近に設置されたクロークへと歩いていく。

「そういえば、なんだかすごく楽に……なってます」

 カナデは不思議そうに自分の身体をあちこち見つめ、カルアが病院から持ち出してきたらしい自分の靴を履き、すっとソファから立ち上がった。病室では生まれたての小鹿よろしく息も切れ切れだったのに、却って体調が良くなっているとこちらからもわかるほどに、その動きは軽やかだった。

「先ほどカナデさんが飲まれていたジュースは僭越ながら私がお作りいたしました。ちょっとしたおまじないを込めてね」

「おまえ、やっぱ変なもん混ぜてんじゃねーか、この嘘つきカルア!」

「まあまあ、体に良いものですからお許しを」

 さらりとかわされてしまう。やっぱこいつ、どこか信用できない。……悪い奴ではないんだろうけど。

「ありがとうございます、カルアさん。なんだか色々と助けてもらったみたいで……。香坂さんも、ごちそうさまでした」

 クロークから何かを取り出し戻ってきた香坂が微笑み頷く。そして手にしているものを「奏ちゃん、これ貸したげる」と言って、カナデに手渡した。

「これって……カーディガン」

「あたしがお店でたまに着てるやつだけど、背も同じくらいだし着れるでしょ。そんな恰好で外歩いたら風邪ひいちゃうからね」

「いいんですか、お借りしてしまって」

「いいのいいの。またいらっしゃい、ふたりとも。今度はもっと美味しい料理をご馳走してあげるわ」

 そう言って、香坂はおどけたように大げさなウインクをしてみせた。

 カナデはおずおずと長袖のカーディガンに袖を通し、丁寧にお辞儀する。カルアと香坂のふたりに見送られ、おれたちはバー『メルクリウス』をあとにした。


 ***


 店を出ると、ものすごく久しぶりに外の空気を吸ったような気がした。ずっと薄暗い店内にいたせいで時間の経過が曖昧だったけど、街はすでに賑やかさを取り戻しているようで、人々が往来し、生活する音が裏通りのここまで聞こえてくる。

 夜半に降り続いた雨はすっかり上がって、あちこちに青空をうつす水溜りをつくっていた。

 カナデがひときわ大きな水溜りを避けようとして、横にふらつくのを、とっさに腕を引いて支える。

「まだ歩きづらいんだろ」

 掴んだ腕を離して、カナデの手をとる。背丈はカナデのほうが大きいけど、手を繋いでいれば多少は安定して歩けるんじゃないかと思って。ただ、なんだかよくわからないけど、これ、めちゃくちゃ落ち着かないというか……。

 カナデは手を繋ぐのを拒まなかったけど、そっぽを向いてしまった。やっぱ嫌なものなんだろうか。だからといって今さら手を振りほどくのは余計に気まずくなる気がするし、躓いて転ばれても困る。おれはいっそのことと、中途半端につかんでいた手を強く握った。

「デュー、痛いよ」

「じゃないと転ぶだろ、おまえ」

「……そうだね」

 ようやくこっちを見たカナデは、少しぎこちないけれどいつものような微笑みを見せた。繋ぐ手を握り返してきたのが手のひらから伝わってくる。ときどき小さな水溜りをはねながらふたりで裏通りを歩いていく。ゆっくり、一歩ずつ。

「なあ、カナデ」

「……なに?」

「助けに行けなくて、悪かったな。怖い思いさせちまった……」

 ずっと、悔やんではいた。もしあのときカルアに本当の殺意があったなら、今ごろカナデはここにはいなかった。

「ううん、僕はデューに十分に助けてもらったよ。病室にカルアさんが来て、なんて言ったと思う?」

「カルアが? なんか酷いことでも言ったのか、あいつ」

「すぐに王子のもとへ連れていきますから、少しのあいだ眠っていてくださいね、眠り姫……って言ったんだ」

「王子って……うわ、あいつ、マジか……」

 そういえばカナデの魂を戻すときもそんなこと言ってたな。あの狐目、たまにキザったらしい台詞を吐くきらいがあったけど、さすがにちょっと頭沸いてんじゃねーの、と思う。恐怖を和らげるためにおどけたんだとしても、もう少しマシな言い方なかったのかよ。

「すぐにきみのことを言っているんだってわかった。きみに会えるんだって思ったら、全然怖くなかったよ」

「う……」

 カナデも大概だ。こういうことをさらっと平気な顔で言う。なぜか顔が熱くて今度はおれの方がそっぽをむいた。

「思うんだけど、僕なんかよりずっと感情が豊かだよね、デューは」

「もういい、わかったから。それより、これからどこに行くんだ」

「……病院に戻るよ。患者が突然消えてしまったって、今ごろちょっとした騒ぎになっているかもしれない」

「あー……そうだな」

 たしかに、カルアはカナデを仮死状態にして勝手に病室から運び出したのだから、謎の失踪事件発生ってとこだろう。騒ぎも想像がつく。

 話しながら歩いていると、やがて裏通りと表通りの合流地点にさしかかった。人通りの多い通路の少し手前、開店準備中の店の軒下でカナデは立ち止まった。

「デューは……これからどうするの」

「とりあえずはカナデを病院まで送ってく。それからは……」

 訊いておいて、自分の答えを用意していないことに気付く。たった数日だったのに色んなことがありすぎて考えてもみなかった。

 カナデとは今日でお別れだということを。

 それもそうだ。仕事とはいえカナデの日常を荒らしたのはおれだし、その職務も終わってしまったんだから元の無関係に戻るのが当然じゃないか。

 ……カナデからしてみればおれは、死神だった。

 ふと力が抜け、握っていた手を離しかける。するりとこぼれ落ちる直前で拾い上げられ、細いけれど意外と大きな両手にそっと包まれた。

「また、病室に来てくれる? 僕はデューともっと話がしたい。……だめかな」

 黒曜石の瞳でまっすぐ見つめ、真剣な顔でカナデは言う。ばくばくと心臓がうるさい。

 表通りの雑踏は遠く、誰からも気づかれない路地裏で耳に届くのは、カナデの穏やかな声だけだった。

「……あー、ほんとおまえって、何でも言えるのな……」

 ああ、気づいてた。認めるのが怖かったけど、もういいよな。

「カナデが嫌だって言うまで、毎晩通ってやるよ。どーせ夜は暇なんだろ」

 うん、と幸せそうに、奏は頷いた。心からの微笑みだといまならわかる。

 そしてその笑顔が、ときどきは本心じゃないことも。

 カナデはさっきからずっと、嘘なんて微塵も言っていないようにみえる。

 ――でも、全然怖くなかったなんて、本当はそんなことないんだろう。喪服じみた格好の怪しい男が突然病室に現れて、おかしなことを言いながら切っ先鋭いナイフを突き付けてきたとき、まったく恐れを抱かなかったなんて。

 もっと言えば、おれが初めて病室に現れたときだって同じだ。あのときカナデは、内心で震えていたんじゃないか。

 なぜならカナデは過去に一番信頼できるはずの両親という存在から、惨い仕打ちを受けている。幼子だったカナデにとって想像もつかないほどに悲痛で大きな裏切りだったことを、大きく残った半身の火傷痕が物語っている。だからこそ人一倍、理不尽に向けられる暴力に敏感なはずで、おれたちのした行為はカナデのトラウマをえぐり出してしまった可能性だってある。

 しかもだ。それら心身の傷と引き換えにようやく被虐の日々から抜け出せたと思ったら、次に待っていたのは身体の弱さからくる病院通い、終いには死神の来訪ときた。

 次から次へと、止まない雨のように降りそそぐ不幸の連鎖。

 なのに……カナデはいつだって微笑んでいた。何もかもを受け入れるように。

「カナデは、強いよなあ」

 おれがぽつりと零した言葉を拾い、カナデはきょとんとして首を傾げる。そして、ああ、とひとり納得したように頷いた。

「そんなことないよ。僕はね……デューが来る前までは、同じ毎日を繰り返すだけの病室でひたすら本を読みながら、いろんな想像をしていて……」

 思い返せば奏の病室にはたくさんの本があった。読書くらいしかやることないんだなって思っただけで、特に気に留めたりはしなかったけど。

「いくつもの物語を読んでいくうちに、きっといつか誰かが僕を迎えに来てくれるんじゃないかって頭のどこかで思い込みはじめていたんだ。迎えに来るのは天使でも、死神でもよかった。笑顔でいれば、良い子にしていれば今度こそ……きっと今とは違う、自由な世界に僕を連れていってくれる、なんて。おかしいよね。いつのまにか僕は、疲れていたのかな。……ねえ、こんなのは、強さじゃないよ。上手くいかない現実から逃げるために……僕は……」

 はじめは微笑みながら、だんだんと今にも泣き出しそうに声を震わせ、苦しげに唇を引き結ぶ。これ以上はつらいと訴えるように。言えばいいのに、吐き出してしまえばいいのに、カナデはそれができない。相手を気遣ったり本心からの気持ちを話したりはできるのに、自分のことになると途端に負の感情や本音を笑顔でつくった殻に閉じ込めてしまう。その上、そんな自分を卑下してすらいる。

「……いいんじゃねーの、それで。そうやって逃げてでもギリギリ自分を保ってきたおかげでカナデは壊れず今日まで生きてこれた。んで、今もこうして生きてる。だろ?」

 卑下する必要なんてない。逆境のなか、自己を守るために必要だったのがあの笑顔なら、カナデはむしろそれを誇りに思ってもいいくらいなんだ。

「デュー……」

「それにだ、養父母とやらに恩返しするんだろ。頑張って退院して、叶えろよ。……今度はおれがついてるから、できるだろ」

 おれはカナデに包まれていた手をひるがえして仕返しのように包み返し、強く握った。

 すると、カナデは突然、

「……ねえ、デュー。ぎゅってしていい?」

 なんて、言いだした。

「はあ? いくらこんな見た目だからって子どもみてーな扱いは……」

「違うよ、子ども扱いじゃなくて……わかってよ」

 いつもとは違う、熱のこもった潤んだ瞳が見つめてくる。

 卑怯だ……断れるわけないだろ、こんなの……。

 無言を肯定ととらえたのか、カナデの細い両腕がそっとおれの背中に回される。

「う、……」

 びくりと肩がすくんだ。頭一つ背が高いカナデに体全体で包まれ、衣服を通して体温と心音が伝わってくる。今度はちゃんと温かいし、鼓動は一定のリズムを刻んでいてほっとする。でも、少しペースが早い。たぶん今のおれと同じくらいだ。こんなふうに誰かに抱きしめられるのは初めてだったし、それがカナデだったことが素直に幸せで……。

 ああ、嬉しいのか、おれは。……そうなのか。

「僕、頑張るよ」

 カナデの細腕に力が籠もる。密着すると意識が溶けてしまいそうだ。

「……デュー、大丈夫?」

「な、何が……」

「顔……真っ赤だけど」

「――っ! 離せ、もういいだろ、あああ……」

 急に恥ずかしさがこみ上げて、おれはカナデを押しのけた。顔が熱くて火が出そうだ。

「あはは、ごめん」

 ふと見上げたカナデの表情は雨上がりの空みたいに晴れやかで、逃避のためでも我慢のためでもなく、心の底から笑っているようだった。

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