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少年デュラハン  作者: 天月シンヤ
3/6

‐2‐

 夜が来た。二度目の夜が。

 院内の患者たちは誰も彼もが寝静まり、リノリウムの吸いつくような通路を行き来する職員の足音だけがときおり響いていた。

 明かりの灯った職員の詰め所を迂回して、昨晩と同じように病室のドアをすり抜ける。

 今夜は月も星も雲の向こうに隠れているから、電気が消された室内は真っ暗で、まだ暗闇に慣れていない目ではすぐに中の様子を把握できなかった。

 先に俺の姿をみとめて声を出したのは、はじめからこの暗闇のなかにいて目が慣れている男のほうだ。

「良かった、来てくれた」

 安心したような、穏やかな声。どんな顔をしているかは見えないのに、微笑んでいるんだろうなと思う。

「昨晩もだけどさぁ、何でこんな時間に起きてるんだよ。人間は夜に寝るもんだろ。しかもこんな真っ暗で、何も見えないんじゃねーの」

 声のした方向へ話しかける。空気の流れる音さえ聞こえてきそうな、会話のあわいにうまれる静寂が、昨晩よりも色濃く漂う。

「……見えないよ。だから、いいんだ」

「いいって……よくねーだろ」

「見えないほうが落ち着くんだ。夜は変に動悸がして上手く寝付けないんだけど、明るくしているとよけいにひどくなるから」

「それでこんな真っ暗闇のなか、ただぼーっと起きてるっていうのか……」

 おれは呆れた声を出した。眠れない夜は長すぎるとか言ってたけど、そりゃそうだろうなぁ。

「きみが来てくれて嬉しいよ。誰かと話していたほうが、気が紛れるからね」

「歓迎してんなら電灯くらい付けてくれ。おれは夜目が利かないから何も見えないのは疲れる」

 実のところ本気を出せば見えないこともないけど、こんなときにいちいち力を使うのも疲れる。それなら明かりをつけさせたほうが手っ取り早い。

「……困るの」

「おまえを殺せない」

「ああ……それはだめだね。気づけなくてごめん」

 暗闇のむこうで男が身じろぐ気配がした。

「やっぱおまえ、おかしいって」

 もはや、逆だろ、という突っ込みをする気にもなれない。

 すぐにスイッチの入る軽い音がして、サイドテーブルに置かれた小さなルームランプが灯る。橙のやわらかな光が放射状に広がって、線の細い体躯と火傷痕のある顔が照らし出された。

 想像していた通りにベッド上で上半身だけを起こしている男はルームランプのスイッチに手を置いたまま、困ったように乾いた笑いを漏らして、そうかな、と言う。

 昨晩は月明かりのなかでよく見えなかったけど、改めてよく見れば男はそれなりに整った顔をしている。もっとも、身体の細さと青白い顔色に火傷痕、それに伸びっぱなしの髪がいかにも病人って感じで、損してそうだなとなんとなく思った。

「それにしても、僕は勝手にきみのことを死神さんって呼んでいるけれど、本当は違うのかな」

「んなのどうだっていいだろ、やるこた一緒だって昨日言ったじゃねーか」

「知りたい。教えて」

 声は変わらず穏やかだが、毅然とした調子で言い切った。なんか違和感あるなと思ったら、こいつ、病弱そうな姿のわりに、目だけは凛として力強い。まっすぐ見られると、一瞬なぜか、ひるみそうになった。

「……あー、わかったよ。おれは死神なんかじゃなくて、妖精。聞いたことくらいあるだろ」

「妖精ってあの、物語とかに出てくる」

「この国に住む人間にとってはそういう認識なんだろうなぁ……」

 ため息をつきながら、おれは壁にもたれかかった。故郷と違って妖精が少ないこの国では、物語のキャラクター、あるいは伝説の生き物か架空の存在くらいにしか思われていないのはよく知っている。おかげで仕事がしやすいんだけど。

「へえ……妖精と話をするなんて、はじめてだ。僕は運がいいのかもしれないね」

「いや、だからさ、その妖精がおまえを殺そうとしてくる死神みたいな存在だってのに運がいいも何もあるかよ」

「実際にいま、楽しいって思ってるから、いいんだ。……ね」

 うすい唇の両端をゆるく上げたまま、目を細めて頷く。おれに同意を求めるみたいに。

 返答に困ったおれはいたたまれなくなって、適当に話題を変えることにした。

「おまえ、いくつなんだ?」

「いくつって……」

 思いがけずに話の方向を変えられて思考が追いつかなかったのか、ごく単純な言葉の意味を聞き返してくる。

「歳だよ。生まれてから何年経ってんだって訊いてんの」

「ああ、僕は二十三歳だけど……きみは? なんだか中学生くらいにみえるけれど」

「……そうみえるんならそれでいいんじゃねーの」

 自分の見た目がどんなものなのかくらいわかってるから別にどうでもいいけど、中学生とか、面と向かって言われるのはむずがゆい。

 それにしても二十三歳か、おれが言うのもおかしな話だが、命を落とすにはさすがにまだ若すぎる。そりゃ人間死ぬときはいつだって死ぬけど、豊かなこの国じゃ大多数は老いて天寿を全うするもんだ。

「なあ、おまえ、もし死なずに済んだなら、何がしたかった」

 この質問に、男は表情を崩さないまま、首を傾げた。黒い髪がはらりとゆれる。

「どうしてそんな事を訊くんだろうね、きみは」

「別に、ただの興味。ずいぶん達観しているから、未来なんてはじめから無いものだと思ってるんだろ」

「……そんなことはないよ。僕は生きていてはいけないとは思っているけれど、死にたいわけじゃない」

 さっきから張り付いたように浮かべていた微笑みが、消えた。急に真剣な表情をしたかと思うと、意志の強い瞳に光がゆれて、それを隠すかのように男は瞼を伏せた

「本当は……もし叶うなら健康になって、働いて、養父母に恩返しがしたかったし、普通の人生を歩いてみたかった。そんな考えは全部、現実には叶わない夢物語だって、思っているだけだよ」

 男の口から儚くこぼれる諦観の台詞。

「でも、最後にきみと話ができて、心のなかの整理がついた。こんなこと、養父母には話せなかったからね」

 言葉にするって大切なんだなぁ……と、小さく呟きながら、伏せていた瞼を開け、おれのほうを見てさっきまでと同じようにやわらかく微笑んだ。いや、笑みをつくった、のほうが正しい。心の底から笑ってなんかいない、こいつは……。

「勝手に完結して感傷に浸ってんじゃねーよ。おまえはそれでいいかもしれないけど、養父母とやらはおまえが死んでどう思うんだろうな」

「……悲しむだろうね。でも、悲しみはいつか癒えるよ。長い目で見れば、負担でしかない僕はいなくなったほうが……」

 ああ、だめだ、苛々する。液体窒素さながらに、極限まで冷えた血液がふつふつと沸くような憤怒が肌をざわつかせる。

「なあ、本心で言ってるのか? そんな簡単に忘れられると、本気で思っていやがるのか……?」

 低く、静かに告げる。過去の記憶がゆっくりと鎌首をもたげはじめる。いくら忘れようともがいても、残された者の絶望や深い悲しみだけは焦げ付いたまま、何年経ったって……。

 視界がぶれる。音が遠くなる。自分が一体どんな表情をしているのかわからず、まっすぐ見ていられなくなって、思わず顔をそらした。

「……なんできみが怒るの。きみは僕を殺さなきゃいけないのに」

 男の声がさっきよりも近くで聞こえて心臓が跳ねた。はっとしてベッドのほうを見れば、男は昨日の去り際と同じようにベッドから降り立ち、ときおりふらつきながらこちらへと歩いてくる。はだしの足がぺたり、ぺたりと緩慢に床を擦り、ついには手が届くくらいの距離で止まった。

 対峙すると、男は立っているのもやっとでいくぶんか背を丸めているにも関わらず、かなり背が高い。ランプの光を背負った男の影が、おれをすっぽりと覆い隠した。

「おま……こっち来る必要ねーだろ。戻れよ」

「うん、でもなんだか、ちゃんと近くで話をしたいなって思って。来てもらうより行ったほうが良さそうだったから……。あ、ちょっとごめん、しゃがんでいいかな」

 具合が悪そうに額を押さえて、ゆっくりと床に座り込む。なにしてんだこいつ。

「馬鹿なのかよ……」

「はは、格好悪いね」

 長い前髪を掻き上げ、申し訳なさそうに苦笑いをする。戻らせるのも面倒だし、仕方がないからおれもその場でしゃがみこんだ。すると男は意外そうに数回瞬きをして、嬉しそうに微笑んだ。

 あー、そうか。いま気づいたけど、こいつ、本心で笑ってるときとそうでないときがごちゃ混ぜになってる。しかも多分それを本人がわかっていない。というか、わからなくなっちまってるのかもしれない。

 さっきまでのざわついた気持ちはもう、どこかに消えていた。

 あまり血色がいいとは言えない口元を眺めていたら、唐突に目線が合ってどきりとした。間近で見ると目力の強さがはっきりと際立って、下手すると視線をそらせなくなりそうだ。動じたのを悟られないように平静を装いつつ、おれはあわてて適当な話を振った。

「……じゃまくせー前髪だな。切っちまえよ、わずらわしいんだろ」

 さっきから何度か掻き上げるような仕草をしていた伸びっぱなしの前髪は、はらりと垂れては視界を遮っていた。

「ううん……僕、不器用だから上手く切れるかな……」

 男は指摘された前髪を押さえて、困ったように眉を下げた。

「きみは、きれいな赤毛だね。この部屋の窓から見える夕焼けが、ときどき同じ色をしているよ」

 言いながら、ちらりとベッドのほうを見やる。カーテンが引かれてはいるが、開放感のある大きな窓。その見た目とは裏腹に、ごくわずかしか開かないようになっているはずだ。

「なんだよ窓からって。ずっとここにいるのか」

「小さい頃から入退院を繰り返してるから、病院が家みたいな感覚になっちゃってる。病室が、僕の部屋。個室なのは養父母がせめて部屋くらいはって、お金を払ってくれてるんだ。高いだろうにね……」

 男の表情が曇る。昨日もそんな感じのことを言っていたが、養父母とやらに負担をかけることをよほど負い目に感じているのか。

「んなもん、好きに払わしときゃいいだろ。身近なやつが苦しんでるときにそいつの為にできることがあるってのは、幸せなんじゃねーの」

 したくてもできないこともあるからな、と心のなかで付け加える。きっとこいつの養父母はこいつの治療や環境整備に金をかけることで、一種の安心を得ているんだろう。

「おまえを引き取ったのも金をかけてるのも養父母とやらの意思であって、負担かどうか決めるのはおまえじゃないだろ。大切なやつを大事に扱うのは、否定されるべきことなのか?」

 あれ、何言ってるんだ、おれは……。

 ちょっと待て、ストップ、これ以上喋るな。

 すっと血の気が引いていく。気づくのは一瞬だった。

 ……ああ、同じだ。あのときと同じことをしている。あれだけもう二度と繰り返さないと、心に誓っていたのに。

 目を丸くしながら言葉を失っていた男が、重苦しい空気を破り、ぽつりと口を開いた。

「……ごめん、きみの言う通りだ……。負担をかけたくないって自分の気持ちばかり考えてて、相手の気持ちまで考えられていなかったのかもしれない」

 とっくに笑みは消え、苦々しく紡がれる言葉の端々に後悔の色が滲む。そして、一度だけ深くゆっくり息を吐くと、男はまっすぐおれの顔を見据えて、言った。

「きみの名前、聞いていい? 僕はね……」

 ばくばくと心臓が早鐘を打つ。名前……名前だけは、聞いてはいけない。後戻りできなくなる。

「だめだ、やめろ、聞きたくない。言うな」

 咄嗟に耳をふさごうと振り上げた両手が途中で固まる。男に左右の手首をつかまれたのだと気付いたときには、遅かった。

「聞いて、僕の名前は奏。小桜奏っていうんだ。……きみは?」

 びくりと身体が震え、冷たい汗が全身に滲む。

 抵抗空しく、たった数文字の言葉の羅列が、記憶に刻まれる。

 コザクラカナデ。

 聞いてしまった。知ってしまった。あれほど気を付けていたはずなのに……。

 それでも虚勢を張って、何でもない風を装った。自分に暗示をかけるように。

「……名前なんて、あるわけない。デュラハンと呼ばれちゃいるけど、種族名でしかない」

「デュラハン……ああ、それで。伝承と違って、ちゃんと首がついているんだね、デュー」

「はぁ? なんだそれ……」

「デュラハンだと長いから、デューでいいかなって思って。きみの名前……」

 男はまっすぐにおれを見据えたまま、微笑んだ。

「やめろよ……ふざけんな」

「ふざけてなんかいないよ。ねえ、デュー。僕の名前、覚えていて。叶えられる望みがあるとするのなら、それが僕の望む未来。僕が生きていたってきみが覚えていてくれたら、それでいいよ」

 カナデと名乗った男の穏やかな声は、清流のせせらぎや森の葉擦れに似て心地よく、それでいて揺るぎない意志を含んでいた。とっくに手首をつかむ力は緩んでいるのに振りほどこうという思考にまで至れないのは、その声と硝子質の黒曜石を思わせるふたつの誠実な瞳が迷いなくこちらに向けられていたからだ。

「なんでおれが、ただの人間でしかないおまえなんかを覚えてなくちゃならないんだ」

「おまえじゃなくて、奏。きみは……デューは、きっと僕を忘れられないよ。きみは誰よりもずっと傷つきやすくて、優しいんだろうからね」

 もう、だめだ。黙らせないと。早く。

「やめろ……それ以上言ったら――」

 今度こそ両手を振りほどき、腰のホルダーへと手を伸ばす。しゃがんでいた姿勢から片手片膝をついて半身を前にスライドさせ、留め具を外すのと同時に抜き取ったハンティングナイフを男の喉元に突き付けた。

 だが、やはり、男は……カナデは、何も言わない。喉笛を切り裂かんとする凶悪な刃などには目もくれず、座り込んだまま静かに微笑んで、じっとおれの目を見ている。

「おれ……は……」

 ナイフの切っ先が細かく震える。

 ……動けない。なんでだ、どうして……。

 心臓の鼓動がうるさいほどに鳴り、腕の力が抜けていく。支えられなくなって、ついにゆるゆるとナイフを持つ手を下ろしてしまった。

「……ほら」

 カナデが囁く。こうなることがはじめからわかっていたみたいに。

 身を引きよろよろと床に座り込んで、頭を抱える。おれは馬鹿だ。どうしようもないほどに愚かで、学習能力に欠けた、大馬鹿だ。

 二度とターゲットに情をうつして苦しい思いをしないで済むように、仕事では常に冷徹でいるよう繕ってきただろ。殺す相手に同情するのは愚かだと、強く自分に言い聞かせながら。時を経て、ついには心を動かさない術を身につけられたと思っていたのに……。結局、昔のままだ。あの日からひとつも変われてなどいなかった。

 頭を押さえる手に力を込める。強く唇を噛んでも、呼吸するたびに揺れる肩は隠せない。

 もう、認めるしかなかった。

 おれはこいつを……殺せない。

「辛い役目を負っているんだね……デューは」

 火傷痕で覆われた細い手が伸びてきて、そっと肩に乗せられた。服越しでも手のひらからじんわりと体温が伝わってくる。生きている人間の温度。一週間後には冷たくなる温度。おれが奪わなくてはならない。なぜなら、それが使命だからだ。

 恐る恐る顔を上げると、カナデは微笑んで、小さく頷いた。きみに委ねるよ、と言われた気がした。

 ……カナデ……。

 どうすればいい。

 どうすれば……。

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