銀の降る校庭
私は今朝、普段通りの心もちで登校してまいりました。
いつも通りに鞄につけたペンギンのストラップを弾ませて、今日は数学の授業があるのでちょっと憂鬱気味に、それでも少しの微笑をたたえながら。穏やかに登校してまいりました。
進級してから早一週間。ようやくクラスにも馴染みはじめた私は、本日も元気なあいさつでみなさんと顔合わせをしようとしました。
そう、しようとしたのです。けれど私の計画は、学校の敷地内に足を踏み入れる前に、雑踏によってかき消されてしまったのです。
生徒たちの声が、騒がしく学校から聞こえてまいります。
私は足がすくみました。
いつもむくむく微笑んでいる私は、実は臆病者なのです。私はまだまだ十六歳のひよっこ少女。世の中の悪事やら政治やらにはとことん怖がっている子供なのでした。
いつもと違う雰囲気に、怖気づいてしまったのです。
けれど、この先進まなければ一生学校に入ることはできません。
私は、小心しきっている心を奮い立たせ、好奇心を前に押し出しました。
背後から襲ってくる恐怖心から逃げるように、声のする方へと駆け寄っていったのです。
人だかりが目に入ったとき、私は先ほどの恐怖心に追いつかれてしまいました。
なんて恐ろしいことでしょう!
この先で何が起こっているのかはわかりません。いいえ、知ることも恐ろしいです。それほどまでに、人だかりができているのです。生徒たち、学年問わずがやがやと、みな一様に校庭を覗きこんでいるのです。悪事を成敗し、日常を愛し、非日常を恐れるひよっこ十六歳は、そこで震えあがりました。
けれどここまで来たのなら、その先に一体何があるのか、知らなければなりません。
なにも見ずに教室に転がり込み、クラスメイトに笑われるのは耐えられません。
私にも乙女のプライドがあるのです。
私はさきほどよりも数十倍の勇気と愛をふりしぼり、人ごみの中をかき分けていきました。
そこで小耳にはさむのは、あれはなんだ、一体だれが、意味不明、などと不安を急き立てる言葉ばかり。ああ、私はどうしてこんなところに来てしまったの、引き返した方がよいのかしら、と考えているうちに、先方に光がさしました。
一歩踏み出し道がひらけると、そこにはきらめく校庭がありました。
きらめいているのです。玉虫がしきつめられ、蠢いているかのように、きらきらと。
よく目をこらせばそれは無数の、ペン。
ペンに埋め尽くされていたのです。
「……な、な」
震えて声も出ません。
なんて意味不明な!
人は正体不明の不確定要素を恐れます。これこそまさに不確定要素の極み!
人の恐怖心をかきたたせる所業です。
私は崩れ落ちてしまいそうなのを懸命にこらえました。
一体、いったい誰がこんなことをなさったのでしょう!
そろそろ彼女が登校してくる時刻だ。
俺は浮足立つ心を抑えてゆっくりと自分の席から立ちあがる。
さて、本日、ついに本番の時がきた。
俺はむくむくと湧き上がる喜びと、息をひそめている恐怖心との間に立っていた。
今日、俺は彼女の手をひくかもしれない。
それとも今日、俺は彼女にひかれるかもしれない。
この夢と絶望の光景が交互に俺を翻弄し、俺をぐらぐらと揺さぶる。
しかしここまで大がかりな事をしてしまったのだ。ここから逃げることなど許されない。
加えて、それでは俺の誇れない男魂がますます救いようがなくなってしまう。
1度大きく息を吐き出し、ずん、と床を踏みしめた。
ここからは俺の男の見せようだ。
校庭からは俺のまいた計画にざわめく民衆どもの声。
見ているがよい。今、俺とお前たちの格の違いが露見する時だ。
恐怖を目前にしながらも、彼女へと続く白い廊下を歩いてゆく。朝の神々しい日の光が、俺の道を照らしていた。こみ上げてくる笑みをたたえ、俺は歩く。
銀色のペンが降る、校庭へと。
校庭の前に作られている人だかりの中から彼女を見つけ出すのは一苦労である。
なにせ彼女は小柄なのだ。しかし、彼女の愛くるしさと柔らかな雰囲気の前ではその悪条件も敵ではない。俺はこの、推定五百人の人だかりから君を瞬時に見つけ出すことができる。
何故か。それは努力のたまもの、である!
彼女を新入生歓迎会で見たとき、雷が俺を貫き、彼女はふわふわと笑い、俺の夢への奔走が始まったのである。
彼女のために今の暗ぼったいだけの部活を勝手に抜け出し、彼女が入部したという訳の分からない運動部に入り、ひいひいと息を荒らげながらも彼女の姿だけを追いかけてきた。
彼女の走る姿は女神に至る。あんなに朗らかに笑う彼女も、合図があれば鷹のように豹のように速い。短い髪が弾んで戻って、小さなこぶしを振りふり、あの姿のなんと女神の如く。
突っ走る彼女をつかまえられず半年。なにも俺の足がおそいというわけではない。もちろん、俺は彼女のタイムに足元もおよばない。
先輩と後輩という関係である俺と彼女はなかなか会話することもできず、彼女の美貌に誘われた醜く阿呆な畜生どもが彼女に告白し続け玉砕していった。彼女は鉄壁を俺たちの前に設けていた。
それは、天然である。
彼女は至高の天然少女なのだ。
彼女の美貌にめろめろな阿呆どもは遠まわしな告白をし、彼女はその真意を斜め前やら後ろやらに捉え、あの超絶キュートな笑顔で粉砕していったのだ。
俺はそんなやつらの屍を見ていて学んだことがある。
彼女に告白するときは明瞭に!
それを学んだのが半年。
あとの半年はそのためのシュミレーションに費やした。
授業中、彼女のいるであろう教室を眺め、あげくの果てには透視までする勢いで眺め眺めつくした。廊下で彼女を見つければ話しかけ、微笑み返され全力で逃走する。
小心者ではない。いつもタイミングが悪いのだ。
完璧なプランを考えているうちに、窓から見える景色たちは暑苦しい日差しから寒空の曇天になり、そして彼女と出会ったあの季節にまで巡ってきてしまった。
やがて俺は、ついに完璧で、かつ明瞭でシンプルでオシャレな告白を構築したのである。
長い道のりであった。
さらには先生や生徒から冷たい目で見られる日々であった。
精神的にやられ、無気力な日々を送る時もあった。
けれど彼女の笑顔を思い出せばたちまち元気になれた。
全ては彼女のため。全ては彼女の笑顔のおかげ。
俺の中には彼女しかない。そして、それが俺の本望である。
俺は彼女にこの想いを告げるため、天然の壁をすり抜け、見事彼女の手をとろう。
彼女の天然電波を頼りに、剛腕な柔道部に押されながら、図体ばかりでかい野球部に睨まれながらも、もみくちゃにされる間に彼女の前に躍り出た。
いたずらに髪を春風にゆだね、それと同じリズムで小さく、鞄からのぞくペンギンのストラップが揺れていた。
そこで俺は、意外なものを見た。
なんと、彼女が白い顔をして両腕で自分を抱いているのである。
寒いのだろうか。
心配になった俺はすぐに彼女に声をかけた。
迷いもなく、反射的に。
「どうかなさいましたか」
紳士的な口調で、彼女に労いの言葉をかけた。
俺の声で我にかえったような彼女は、明るい声で応えた。
「先輩!」
けれども、まだ彼女の頬は白いまま。
「冷えましたか、大丈夫ですか」
と言えども防寒具など持っていない俺は何をすべきかおろおろするばかりであった。
「大丈夫です。ちょっと、怖くなってしまいまして。ですが、先輩が来て下さったおかげで、その恐怖もすっかり収まりました」
彼女は俺に花のような笑みをくれた。あの愛らしい桃色の頬も取り戻して。
な、なんたる可愛らしい微笑みか!これは天使の笑みである!
俺は滝のようにあふれ出る愛と鼓動に胸が痛くなり、ぐ、と自分の胸を鷲掴む。
ああ、彼女はどうしてこうも俺の恋心をくすぐるような笑をしてくれるのか。そしてあの男心を手玉にとったような言葉!謀ってのことではなく、本当に素直に出てきたのだから彼女は何よりも手強い。
素敵で無敵な彼女に悩殺されそうになるが、ここは足を踏ん張って、くるりと彼女の方を振り向く。
彼女はにっこり微笑んで俺の言葉を待っていた。
ああ、なんて慎ましい女性だろうか!これほどの女性が何故こんな辺境の地におわすのか。彼女の愛らしさで世界が救えそうな程だ。ここにいて下さることが奇跡であり、ありがたい運命の賜物である。
「しかし、どうして貴方はこの素敵な光景を怖いなどと思うのですか?」
予想外な彼女の状態に、思わず問いかけた。
それは、と彼女は目を丸くして言葉に詰まった。勢い余って、詰まらせたのだ。
「先輩はこんな意味不明な所業に恐怖心を抱かないのですか?恐ろしいではないですか、一体誰がやったのかも分からないこの意味不明な、神のいたずらとも言えよう所業は!」
意味不明という言葉がやけに胸に刺さり、心が折れそうになる。
しかし。俺が話を進めていけばきっと彼女のその恐怖心はなくなるだろう。それはおろか、きっと俺の計画通りに……
などと先を想像してにやける頬を手でおさえる。
今は我慢である。油断大敵。
こういう時に先を急ごうとするから俺は失敗するのだ。
今回は本当に1度きり。
今までの下準備に時間がかかった分、失敗は許されん!
「まあまあ、急いては事を仕損じる。ここはひとつ、ゆっくり謎を解き明かしていこうではありませんか」
まるでドラマでよくある、勿体ぶる主人公探偵のように、俺はさらさらと練習してきた台詞を口にする。
彼女は少し眉を下げ、まだ心の中では恐怖心と戦っているようだった、
いや大丈夫。今から、俺が彼女をその恐怖の中から、さながら騎士のように救いだしてあげるのだ。
見ていろ、神様。今まで堕落した人生しか送れなかった俺が、人生の勝者となる!
天に向かって宣誓し、彼女の傍らで校庭を眺める。
「さて、謎を解き明かしていくのにあたって一つずつ解説していくことにしましょう。まずはじめに、この無数のペン。既にお気づきかもしれませんが、全てのペンにおいて、共通であるもの、があります」
彼女は俺の言葉に首を傾げ、懸命に校庭にあるペンを注視した。
賢明な彼女はすぐに気付いたようで、あ、と声をあげた。
「先輩、このペン、全てが銀色のペンです!」
探偵の助手のような発見の台詞に、俺はふふふ、と微笑を浮かべた。
「そうです、その通り。この校庭に散らばるペンたちはすべて、銀色のペンなのです」
俺は今までの苦労を脳裏に浮かべながら満足げに頷いた。
ここは頷かないで何をする。いや、泣きたいくらいである。
半年もかけて集めたものなのだ。ペンなどどこの店にも売っているのだが、校庭を程よく埋め尽くすほどのペンなど一日で集められるものではない。そして、出費も馬鹿にならなかった。けれどこれもすべては彼女のため。俺はきつく結ばれた財布と格闘し、彼女の笑顔を思い浮かべながら毎日毎日各地の文房具店を巡った。そして銀色のペンを全部ください、などとふてぶてしいことはせず、俺と同様銀色のペンを探しに来た戦友のため、一つ下さいと言ってちまちまと集めていった。ようやく先週、計画に見合うだけの数量が集まったのである。なんとも男気溢れる野郎なのか。ここは学校全土で拍手喝采していただきたいものだ。
「分かりました、先輩」
突然、彼女は弾んだ声をあげた。
予想以上に早く彼女が気付いたので、俺はえ、と間の抜けた声を出してしまった。
まさかいつもは食べてしまいたいくらい天然な彼女が、まさかまさかあの全貌に気付いてしまったというのか。
冷汗が背中を伝った。
彼女はとびきりの笑顔でこう続けた。
「これは、神の悪戯ではなく、ただの愛くるしい銀色ペン愛好家がふりまいたプレゼントです! 学業に励む小さな学生たちに、エールとして送ってきたものなのです!」
「……」
な、なんて愛らしい!
ああ、彼女はこの世の汚いことなど知らない純粋潔白な乙女なのだ。どうして政治の荒れ狂う現代の高校生が、こんな発想ができるのだろう。いや、できない! 彼女は天使だからできるのだ。
天使も逃げ出す笑顔に、全てを話してしまいたくなる。が、彼女の俺だけに見せてくれる世界最高峰の笑顔にたどり着くにはまだ足りない。
まだ、まだひきのばすのだ。
「はは、貴女はやはり素敵な考えをなさいますね。けれど残念。はずれです」
決して責めているのでも馬鹿にしているのでもなく、爽やかに笑い、間違いを正す。
ただ黙って彼女の手をひく男は脳がないだけである。彼女の失敗を正しくしながら、彼女のちょっと手前を紳士的に歩くのが真の男というもの。
嫌われることをいとわず、彼女のためだけの説教ができる者こそ最強で最大にモテる男なのだ。
「はずれなのですか? 残念です」
「そうしょげることはありません。なかなか貴女らしい発想だったではありませんか。あんな愛らしい発想ができることは、誇りに思っていいですよ」
「ふふ、先輩ってばお上手です」
ふくふくと笑う彼女。
はからずも良い雰囲気になってきたので、俺の口も流暢に頭の中の台詞を読めるようになってくる。
「この銀色のペン、実はある形状を成しているのですよ」
口に人差し指を立てて、すこしおきゃんに、かつ格好よく決めてみせる。
「とある、形? それは一体なんでしょう?」
「それは」
と、会話の途中に。
キーンコーン、とお馴染みの予鈴が響き渡った。
「あ、もうこんな時間です」
彼女はその予鈴に、ひといきで現実に引き戻されたように、落ち着いた口調で言った。
まずい、彼女が我が手から離れていってしまう!
そう脳裏に浮かんだかと思うと、自分でも意識しないうちに、彼女の前に立ちはだかっていた。
「ま、待ってくれぇい!」
なんて情けない声だろうか。
いや、周りにいた生徒たちはもうほとんど教室に戻っているから、別段恥ずかしくもない。頬が熱いのは焦っているからだ。
俺は、思いがけない行動をとった。
ただ、薔薇色の人生への扉が目の前でしまっていくを、何もしないで見過ごすことはできなかったのだ。今まで、無理をしてまで何かなそうとは思わなかった。手の届かないものに不毛な時間を費やすことはしなかった。けれど、孤高絶壁最強の彼女に惚れこみ、四六時中彼女のことしか考えられなくなったとき、誓ったのだ。
俺は、彼女の隣に立てる男になろう、と。
俺は窓辺でにやにや笑いながら彼女との妄想に耽る自分に手を振る。
今このとき、俺は過去の阿呆な自分から手を離し、代わりに彼女の手を掴んだのだ。
先輩は突然私の手をひいて走り出しました。
先輩の手はひえびえとしていましたが、私はなんだかどきどきして、頬が熱くなったのを覚えています。
それがただぼんやりと伝わってきました。今はただ、先輩の手から離れてしまわないようについていくことだけを考えていました。
時刻は迫ってきているというのに、私は先輩の背中をただ追いかけました。
何故か、心がふわふわと弾んでいたからです。
それだけの、理由なのです。
「……ここは?」
立ち止まり、目の前に広がる青空に、疑問を口にしました。
開け放たれた空間。ここは屋上でした。
私は、何故屋上なのか、疑問だったのです。
先輩は膝に手をついて、肩で息をしながら、とても疲れた様子で、一生懸命息を吸ったり吐いたりしていました。
「だ、大丈夫ですか?」
陸上部ですから、体力には自信があるのです。先輩も同じはずですけれど、先輩はふらふらと手をあげ、大丈夫、のサインをしました。
「しかし先輩、屋上に一体なにがあるというのですか? 先ほどの謎が、ここで解けるのでしょうか?」
私は屋上の片隅に近寄ろうとしました。そこに行けば、あの銀色のペンが散らばる校庭が見渡せるからです。
そろそろと、四階という高さに不安を感じながら歩み寄っていくと、
「そう、ここなのです」
まだ疲れたような顔をした先輩が、後ろから声をかけてきました。
私は校庭をみおろす前に、振り返ります。
「ここに、一体なにがあるのですか……?」
先輩にはすべてが分かっているようです。けれど、まだまだこの私には見当つきません。
私が顔をしかめていると、先輩は英国紳士のごとく優しく心地よい微笑で、私の背中を押しました。
そうして、屋上の隅に優しくエスコートしてくださいました。
そこで、私が見たもの。
「こ、これは」
言葉にならない感動でした。
先輩が言っていた、事件ではなくプレゼント。
私は、今ここで、先輩の隣で、理解しました。
銀色のペンは散らばっているのではなく、屋上からみおろせば規則正しく並んでいることが分かりました。先輩が言っていたとある形と成っている。その言葉の意味を、真に理解しました。
きらめく、校庭。光を受けた無数の銀がきらきらと、海の潮のようにゆらぎ、はねています。大きく描かれたそれは、雲の具合で目を細めて笑い、風のいたずらにふくふくとお腹を波打たせます。
「これは、ペンギン……」
そう、校庭に形作られていたのは、私の大好きな、ペンギンの絵でした。銀色のペンギンが光をあびて私に手をふっています。
「……実は、これは貴女に贈ろうと思っていたのです」
ふいに先輩が、隣から少し小声で言いました。
けれど私にはしっかりと、耳に届いておりました。
「え?」
私は思わず先輩の方へ向き直りました。
すると先輩は、私に体を向けて、私を見ます。
先輩のその姿勢に、少し驚いて目を丸くしました。
「先輩……?」
鼓動が速くなっていくのを感じます。
校庭で光るペンたちが、落ち着きなく、空まで光を放っています。
よくわからない胸の弾みが、私を不安と幸福との間で揺さぶります。
先輩の後ろには青々ときらめく空が、ゆったりと広がっています。ちりばめられた雲は風に吹かれて、形を変えてゆきます。よく見れば、屋上にまで桜が舞い上がってきています。
先輩は、何か結審した様子で、私のことをすっと見つめました。
そうして、こう口にしたのです。
「俺は、貴女のことが、好きなのです」
私はこの胸の弾みが、ある一つの場所にすとんと落ちたことを感じました。
私と先輩の足元を、春の風が通り過ぎてゆきました。
中学生の時にかいたやつを高校生の自分が手直しし、高校の文芸コンクールに出させていただいたもの。
発掘したので供養。