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ペット&ライフ  作者: 仮ノ一樹
エピソード1 日常
8/18

第8話 合縁奇縁 ―後編―

5月11日 火曜日

――A.M.9:56――


 ―――翌日。球技大会は当日を迎えた。プログラムは午前が男子の部、午後に女子の部と別れており、更にクラスや学年毎の組み合わせで、屋外、屋内の種目に分かれている。今回、私とご主人様の所属する1-A組は、男子が屋外種目のサッカー、女子屋内種目のバレーボールに割り振られた。因みに、形式はトーナメントで行われ、試合は三回戦まである。


「ハルキくーん! がんばってー!」

「ふぁいとー!」


 風と他の生徒が撒き散らす砂埃が舞うグランドの上を、体操服の上に十番のゼッケンを着たご主人様が必至で走っていた。そう、ただ走っているだけである。

 超が付くほど運動オンチなあの人は、ボールを追いかけるだけで精一杯で、もう既に息を切らしていた。

 そんな彼を応援する生徒は何処にも見当たらない。黄色い声援が送られるのは、一部の運動能力が高く、かつ顔の良い男子だけ。その中には、耶真人も含まれていたりする。

 だからその分、私と三尾が全力であの人を応援してやるのだ。


 息を切らして走る姿が情けない? ―――頑張ってる証拠でしょ。

 転んで倒れるのがみっともない? ―――それよりも怪我の心配をしろ。

 偶々飛んできたボールを蹴ろうとして、空振りするのがそんなに可笑しいの? 私には、少しでもクラスの力になろうとしてる姿が美しく映るけどね。

 何より。私は――もちろん三尾も――ご主人様が大好きだ。応援する理由なんて、それだけで十分だろう。どんなにカッコいいファインプレーをしても、どんなに恥ずかしい失敗をしても、好きだという気持ちがあれば、その全てが美化される。


 なお、試合は終盤に差し掛かかっている。途中途中で面子の入れ替えがあり、生徒全員が参加できるようになってるため、スポーツに消極的だったご主人様の参戦がこのタイミングになってしまったのだ。

 まあ、運動オンチと分かっているなら、むしろ序盤の内に出ておくべきではあった。差し詰め、男子達の中では自分達もそれなりに点数が取れると想定でもあったのだろう。多少なり、サッカーの経験者とかがいたのかもしれない。


 しかし現実は厳しく、うちのクラスの戦況ははっきり言って芳しくない。

 相手クラスと大きく点差が開いており、ここから盛り返すのは至難の業だ。まあ、私なら三尾とのコンビネーションとご主人様からの応援があれば、余裕で巻き返せる自信がある。そもそもこの二つの条件が揃っている状況で苦戦している構図が思い浮かばないけど。

 ただ、それは飽くまで私の話。今プレイをしているのは、サッカー経験があるかないかもわからない男子達だ。


 このまま点差が広がった状態で試合が進めば、うちのクラスは間違いなく負ける。しかも、これはまだ一回戦目の試合。つまりは初戦敗退だ。

 折角の球技大会だ。それだけは避けたい。なんとか勝ちたい。そんな気持ちが伝わってくるように、ご主人様を含めた男子達はどんどん攻めの姿勢を強くする。こうなってくると、相手側もこっち側も関係なしに応援の声にも熱が入ってくる。それには当然、私と三尾も例外は無いわけで。

 

「「フレフレ! ハールキくん! 頑張れ頑張れ! ハールキくーん!」」


 折角なら、黄色いポンポンとひらひらのスカートを履いても良かったのだが、体育祭じゃないからそんな応援団は存在しないし、そもそもこの学校にはチア部のような部活もない。それに、あったとしてもご主人様意外を応援したくは無いから絶対に入らない。

 だからせめて、声だけでも届けられるように、私達は全身全霊を込めた声援をあの人に贈った。すると、ご主人様は。


「応援するのは良いけど、そういうのは恥ずかしいからやめてくれなあい!?」


 と、顔を真っ赤にして叫んでいるのであった。

 それから間もなくして一回戦試合終了のブザーが鳴り、結局、今年度の1-A組男子の球技大会は、初戦敗退という形で幕を閉じた。楽しかったと割り切っている奴もいれば、本気で悔しがっているやつもいた。


「はあ……はあ……はあ~……。つ、疲れた~」

「ほらよ、お疲れさん」

「うわっと!?」


 疲れ果てて砂の上に座り込むご主人様に向かって、ぽーんとペットボトルが投げられる。しかし、上手く取れずに地面に落としてしまった所を、私と三尾は少し離れた場所で目撃していた。

 外側についた冷えた水滴の所為で張り付いた砂を払いながら、ご主人様がペットボトルを拾う。


「お前って、本当に運動神経ねえのな」

「あはは……よく言われるよ。耶真人こそが羨ましいなあ」

「学者にだって、フットワークは大切だろ? 実際に現地行って生き物を観察したりすんだからよ。今の内に体力つけとかないとだぜ」


 ペットボトルを投げてきたのは、どうやら耶真人だったらしい。あいつ、私よりも先にご主人様に飲み物を渡すなんて。生意気なことしてくれるじゃないの。


「なあ、耶真人」

「うん? なんだよ」


 試合が終わった後のコートの真ん中で耶真人がボールを転がしていると、ご主人様が何やら改まった様子で話しかけていた。


「いや、その。昨日はごめん」

「……は? なんだよ急に。俺、お前に謝られるようなことしたか?」

「ああ、いや、そのさ。昨日、晶がお前に脅すような真似してたろ? そのことでちょっと謝りたくて。あいつ、昔から()のことになると見境ないからさ」


 ……どうにも、真面目な話らしい。

 あの人は普段、自分のことを「僕」というけれど、時々、一人称が「俺」になる癖がある。

 本人はあまり意識していないけれど、もしかしたら内心ひ弱な所のあるご主人様が、ちょっぴり見栄を張るために自分のことを「俺」というのかもしれない。

 仕方ない。ここは、しばらく様子を伺うしかなさそうだ。


「おまけに、危うく身内で喧嘩し出す始末だし、ほんと手に負えないよ」

「……それは、本を正せば俺がからかったのが原因だろ? なんでお前が謝る必要あるんだよ」


 耶真人の問いに、ご主人様は一つ間を置いてから話を再開する。


「俺、実はお前みたいな友達が出来たの、初めてなんだわ」

「え、マジで? 多くは無いだろうとは思ってたけどよ。何、ずっとぼっちだったわけ?」

「ひっどいな! そこまでじゃないよ! いつも晶と三尾が居てくれたし、寂しいってことはなかったさ。……ただ、ほら。あいつらって、ああいう性格だろ? 他の人間に興味無いっていうか、俺にしか興味ないっていうか」

「まあ、そうだな」

「昔から言ってるんだ。俺の事を守りたいって。その所為か、いつの間にか俺のボディガードの真似事みたいなことをするようになってさ。まあ、実際何度か助けられてるんだけど。俺と違う部活に通ってるのも、それに関係してるんだって」

「マジかよ。……今度から怒らせないようにしよ」


 オイコラ。こっちには全部聞こえるわよ? まあ、心配しなくても、悪口だろうが陰口だろうが、言えば気持ちよくぶっ飛ばしてあげるから。


「うん、その方が良いよ。さもないと、晶からは蹴りが、三尾からは拳が飛んでくるだろうから。あれ、食らったら割と洒落にならないぞ~」

「うわ……こっわ」

「だからさ、どうにも他の人からすると、俺には近づき難い雰囲気があるみたいで」

「なるほどな。それでぼっちだったわけだ」

「だからぼっちじゃねえって。って、いやそうじゃなくて―――」

「なんだよ、何が言いたいんだよ?」


 一々茶化してくる耶真人に対して、ご主人様は溜息を吐きながら、また一拍置いて。


「……そんなあいつらも含めて、こ、これからも友達として宜しくってことだよ! あと生研に入れても良かったと思ってる!」


 ―――しん。と、ほんの数瞬の静寂。

 急な方向に言葉の舵を切った所為か、少し恥ずかしくなったらしく頬が赤くなった。

 もっと言いたいことがあっただろうに、自分でも失敗を感じてるらしい。可愛い。


「―――ぷっ。おいおい、なんだよそれ。大体、俺達まだ合って一ヶ月しか経ってないだろ?」

「う、うるさいな。誰かが一々茶化すからだろ!? 何言うつもりかわかなんなくなったじゃないか」

「ははっ、マジ笑えるわ。ま、正直に言いや、お前の言う通り、確かに近づき難い雰囲気はあったな。お前の彼女二人の威圧もそうだけどよ。俺にとっては、お前が若葉教授の息子だっていうのが、何となくハードル上げてた気がする」

「そっか。そういう見方もできるんだ」

「そうだよ。お前が思う以上に、有名人の息子ってだけで、違う世界の人間に見えたりするんだからな?」

「覚えとくよ。今後の人間関係の参考になりそうだ。あと、二人は彼女じゃないから」

「はいはい、お熱いこって。それで、最初はどんな良いトコのボンボンだろと思ってたけど。意外と苦労してたんだな」

「まあ、ね。あ、でも。ボンボンっていうか、親の七光り的なとこあるのは、あんま否定できないかも。うちの両親、結構親バカだから」

「そこは認めんのかよ」


 二人とも、楽しそうに笑いながら、楽しそうに会話をしていた。それがなんだが、眩しくて、なんだかとっても、申し訳なく思えた。


 確かに、今までご主人様が私達以外と親密になっていた人物というのも心当たりがない。男子であれば虐めの対象にしない為、女子であれば鬱陶しい虫にならない為にと思っていたのだが、それが反ってあの人を孤立させていたのかと思うと、少し心が痛い。あの人の為と言えば聞こえは良いが、それが束縛になってしまっていたようだ。

 だけど、だからといって、今更変えられる性分でもない。ご主人様を守る。この誓いは、何が合っても絶対に曲げちゃいけないものだから。

 でもまあ、今はこうして良い友人に巡り合えているのだから、結果オーライと考えよう。


 それはそれとして。このまま笑っているご主人様をずっと見ていたいところだけど、いい加減アイツばっかり隣にいる状況は捨て置けない。こうなれば、雰囲気なんてものはなかったことにして突撃することにしよう。


「にしても、球技大会、負けちゃったな」

「相手はバリバリの運動部揃いだったしな。おまけに三年だ。しかたねえよ。それに、何だかんだ俺も力不足で―――ぐおっ!?」

「ハルキく~ん! お疲れ様~!」


 ぎゅっ、と私は大胆不敵にもご主人様の背中に抱きついて突っ伏した。ついでに隣にいた邪魔者を突き飛ばす。背後で三尾が唇を噛んでいるが、絶対に気にしない。


「耶真人ーーー!? こら晶! だから、人前でそういうのは止めろって昨日も―――」


 ―――すーはー。すーはー。すーはー。すーはー。


「耶真人~~~!」

「お前、ほんっと苦労してんだな」


 その後間もなくして休憩時間が終わるのだが、それまでの間、耶真人は涙目になるご主人様に合掌した。



 ――P.M.13:19――


「そっち、パス回して!」


 相手コートから曲線を描いたボールがこちら側のコート目掛けて飛んでくる。私の指示で味方の一人がアンダーハンドパスでボールを弾き、もう一人の味方がトスで思いっきり上に飛ばしたので、私がスパイクを決めるべく脚のバネを頼りにジャンプする。当然、相手側もブロックしようと飛び上がるが、こっちの方が遥かにタイミングが速く、伸ばす手も虚しくボールが体育館の床に叩きつけられた。


 点を獲得したことで、得点係が管理するスポーツカウンターのブザー音が屋内に響き渡った。体育館は反響しやすいから、鼓膜に余計な刺激が加わる。

 次のブザーで試合が再開し、味方がサーブを飛ばした。それから何度かボールを打ち返しあうものの、最終的にはこちらがもう一点獲得した。


「凄いですね~、晶さん。どんどん点数を取ってますよ~」

「ほんと、味方で良かったわよね。お陰でこっちは楽できてるし」

「も~。ダメですよ未來さん。そんな他人行儀なことを言ったら。私達は、同じクラスメイト、チームメイトなんですからね?」

「はーいはい。分かってるわよ。ね、沙耶」

「そこだー! いけー! 頑張れー!」

「いや聞けよ」

「え、何?」

「……なんでもない」


 コートの外、競技の邪魔にならない端っこスペースで、他の生徒が自分のクラスや憧れの先輩なんかを応援している中、私から見て背後に位置する所で、いつもの三人がこっちを眺めながらお喋りをしていた。

 その頭上。キャットウォーク、或いはギャラリーと呼ばれる体育館の二階部分では、私のことを応援に来てくれたご主人様と付き添いに耶真人、そして自分が競技に出ていないことを良いことにしれっと三尾が横に居座っていた。


「なんか、意外だよな」

「え、何が?」

「いや、犬飼ってあんなにリーダーシップが高いんだなって」


 耶真人の言葉を聞いたご主人様と三尾は、なるほどなと納得して頷いた。


「確かに。晶は普段、僕の言うことに従うことのほうが多いからね」

「だよな。なんつーか、命令するよりも、される方ってイメージあったわ」

「ん。それ自体は間違ってない。合ってる。けど、逆に言えば晶はハルキくん以外の指図は絶対に受けない。私もだけど」

「例外はうちの家族ぐらいだな。あいつは他人に指図されるくらいなら、自分が指揮を執ってやるって考えてる。それに、あいつはああ見えて、実は周りをよく見てるんだ。チームメイトの運動能力や癖なんかもちゃんと把握した上で、作戦を立てることもあるし。サッカーもそうだけど、バレーにしろバスケにしろ、チーム戦主体の種目は、あいつの得意分野だったりするんだぜ」


 ―――え? 私、今褒められてた? 褒められたよね!? やったー!


 私はレシーブを打つ構えをそのままに、目をキラキラと輝かせてご主人様の方に振り向いた。すると、それに気づいたご主人様が手を振ってくれる。横で三尾が「む。私だってスポーツは得意」といつもの事ながら不貞腐れていたが、そんなのはどうでもいい。

 よーし、やる気出てきた。このままドンドン活躍してもっとご主人様にもっと褒めてもらお―――あ。


「「「あ……」」」


 ギャラリーに居た三人と、私の心の声が重なった。同時に、バウンドするボールとブザーの音が虚しく木霊する。

 はい。完全に油断してました。ご主人様に褒められたことがあまりにも嬉しくなって、相手のアタックを見逃してしまいました。やっぱり試合中に余所見をするのはよくないよね。


 私はネット越しに相手クラスの生徒を目を細めて睨みつけた。特に、緑髪のアイツ―――黒海直実を。

 直実は私と視線が重なる――あんまり目を合わせたくなかったけど――と何が面白いのか眼鏡を押し上げてほくそ笑んできた。

 いつもことながら妙に腹の立つヤツだ。けど、ここで冷静さを失うほど私も辛抱がないわけじゃない。指揮役が事を急いては戦線が崩壊するのは自明の理だ。あの人にカッコいいとこ見せて三尾にマウントを取る為にも、自分を抑えるぐらいはできる。失態の一つや二つ、いくらでも取り戻して見せる。


「晶ー! ドンマイドンマイ! 点差は開いてるんだから、落ち着いていけー!」


 何より、上からご主人様が私のことを応援してくれているのだから、これで負ける道理が何処にあるというのか。


「ふぅ―――」


 私は一度息を吐き出して呼吸を整え、キッと前を睨むと相手のコートから飛んで来るサーブを見据えた。サーバーは直美だった。

 そして落下地点までダッシュしてレシーブ。味方のセッター役にトスをするよう促すと、ファーストテンポで渾身のスパイクをぶち込んだ。

 だけど、その後ろであの人が何故か苦笑する声が聞こえた気がした。


「……優秀なのは分ったけど、お前が絡むと途端にポンコツになるよな」

「あっははは……。でも、僕が絡むとやる気になるのも事実なんだよねぇ……」



 ――P.M.13:30――


「そこまで!」


 スポーツタイマーのセグメントディスプレイにゼロが並んで表示され、一際長いブザー音が屋内に響き渡る。試合終了の合図だ。

 試合時間は約三十分。二十四対五で私達のクラスの圧勝。思ったより点を取られたが、まあ勝ったのだから問題は無い。それだけ、向こうのチームワークも良かったというだけのことなのだろう。


「お見事でしたよ、晶。私達の完敗ですね。クラスメイトとのチームワークも文句無しですし、指示も完璧でした! サッカーだけでなくバレーもできるなんて、さすが晶ですね」


 休憩時間に入ると、それとほぼ同時に直実が私に話しかけてきた。

 一見、気さくに話しかけているように見えるけど、言葉の合間に目を合わせようとしてくるし、物腰の柔らかさを装いながら私の反応を一々確かめてくるような言い回しはやっぱりウザい。


 つくづく関わりたくないヤツだが、一応は同じ部活仲間だし、返事ぐらいはしてやることにしよう。シカトばかりして後々の問題にしたくないし。


「そ。まあ、そっちも頑張ってたんじゃない?」

「そうですか! 貴女にそう言われると、ちょっと照れますね」


 私としては素っ気ない態度で適当にあしらったつもりなのだが、やっぱりというか、予想通りというか、直実は私の態度なんて全く気にも留めていなかった。というか、むしろ本気で照れているように見える。自慢げに眼鏡押し上げてんじゃないわよ。

 なんでかなー。こっちは散々ぞんざいに扱ってるのに、なんでコイツこんなに絡んでくるんだろーなー。


 なんて呆れてたら、直美は急に真顔になって。


「しかし、流石に試合中に余所見をするのは如何なものかと思いますよ?」

「……ぐっ」


 だってしょうがないじゃん。すぐそこでご主人様が見てるんだもん。ちょっとぐらい顔を拝んだっても良いじゃない!

 けど、それを言うと色々面倒くさそーだから、ここは素直に謝っておくことにしよう。


「……悪かったわね。そんなの、アンタに言われるまでもないっての」


 悪びれる様子は一切見せなかったが、それで納得したのか、直実はニコリと頬を上げた。

 

「そうですか。まあ、試合に負けた以上、私もあまり多くは言いません。次の試合も、私達の分まで頑張ってくださいね。応援していますから!」

「え、あ、うん。あ、そう」


 それでは、と言い残して直実はその場を去っていった。ホント何なのよ、あいつ……。


 ま、いいや。忘れよ。

 さて、本当ならギャラリーまで上がってご主人様に頭なでなでしてもらいたいところだが、まだ次の試合にも出ないければならないので、そこは我慢する。代わりに、少しでも近づけるようにギャラリーの下へ―――いや、それだと私もご主人様もお互いが見辛くなるから、もうちょっといい感じの位置に移動した。


「ハールキくーん!」


 ご主人様の顔が見えると、私は思わずぴょんぴょんと跳ねながらギャラリー向かって大きく手を振った。すると、ご主人様は何故か苦笑いをしながらもこっちに手を振り返してくれる。


「はい、晶。水筒」

「あんがと。三尾」

「……ん」


 いつの間にか、ご主人様の側を離れてこっちに降りきていた三尾に預けていた水筒を差し出しされる。

 私はそれをぶんどるように受け取ると、蓋を開けて中のお茶をごくごくと飲んだ。流石に一試合終えた後だと喉が渇く。飲み干すまでのことはしなかったが、多分中身の半分くらいは飲んだはずだ。


「次で決勝だっけ?」

「ん。そう」

「そ。まあ、この分なら楽勝でしょ。三尾が出るまでもなさそうじゃない?」


 そうだ。今の試合は、実は二回戦目に当たる。一回戦目には三尾が出ていて、あいつがギャラリーで私の活躍を見ていたのは、休憩も兼ねたものだ。

 うちのクラスの女子でスポーツが得意だと名乗り出たやつは何人かいたけど、結局その中で特に運動神経に恵まれていたのが私と三尾だけで、クラスの中では自然に私達が試合の要ということになっていた。ちなみに、男子で一番運動神経が良いのは揶真人だった。

 それで、男子は兎も角、女子は二人もいるのだから、一回戦で一人、二回戦で一人、三回戦は最後ってことでまとめて二人で出ることになったわけだ。

 そうなると私だけ二連戦になっちゃうけど、こう見えても体力と持久力には自信がある。実際、今の試合でもそこまで疲れているわけじゃないし、まあ次もなんとかなるでしょ。

 ―――と、そう思っていたのだが。三尾が妙に難しい顔をしていたことに気付く。


「どうしたのよ、いつもより愛想の無い顔しちゃって」

「それは余計なお世話。それよりも、次の試合。そう簡単に勝てるとは思えない」

「は? それってどういう―――」


 三尾がそんなことを言うなんて珍しい。そう思ったところに、またもう一人、やーなヤツと出くわしてしまった。


「あーら、随分と余裕ですわね」


 称賛とも嘲笑とも取れる憎たらしい声を聞いたその瞬間、抱いた疑問が即座に解消された。気分はサイアクだったが。


「うへぇ。あんた居たの?」

「………!」


 私と三尾は、わざとらしくうんざりとした表情でヤツを迎えると、即座に身構える。

 言わずと知れたこの学校の有名人。おフランス帰りの帰国子女な上に金持ちのご令嬢サマでさぞ良い暮らしをしてきたのであろう、我らが生徒会長―――八城メリッサのクソお嬢サマである。傍らには、黒髪と赤髪の取り巻きを引き連れての堂々のご登場だ。


ご機嫌よう(サヴァ)。犬飼さん。猫宮さん」


 ヤツは私達の顔を見るなり、相変わらず社交界のような礼儀正しいお辞儀をする。とはいえ、幾らあのクソお嬢様とはいえ、球技大会でドレスを着て来るはずもなく、きっちりと体操服を着用しているため摘まめるスカートは無い。しかし、片手を外へ広げ、胸に当ててお辞儀をするまでの一連の動作には、どうしようもないぐらいの気品の良さが表れていた。まあ、だから何だという話だが。


 コイツとは、あれから何度か遭遇したことがあったが、その度にご主人様に唾をつけるような真似ばかりしてくるから、私も三尾もヤツに好印象を持ったことは一度もない。むしろ、こっちを挑発している節がある。だから、三尾は何をするでもなくあっちを睨みつけているし、私も自然と言葉に棘が生えてくる。


「へえ、そう。最後の相手はあんたなわけね?」

ええ(ウィ)。その通りですわ。……うふふ。そういえば、犬飼さんと直接対決するのは、これが初めてでしたわね。ええ、楽しみですわ」

「あっそう。良いじゃない。今まで溜まった鬱憤をここで晴らす絶好のチャンスだわ」

「オーホッホッホ! まるでイヌのようによく吠えますこと。ええ、存分に楽しませてくださいまし」


 そういうと、クソお嬢サマは目障りな長い金髪をふぁさりと手で払いながら、踵を返して自分のクラスメイトの元へ戻っていった―――と思いきや、私達の頭上にいるご主人様に気付いてさり気なくウィンクしていきやがった。


「アイツ。何回あの人にちょっかい掛けたら気が済むのよ」

「むぅ。油断できない相手。試合でも、日常生活でも」


 そんなの、言われなくてもわかってるわよ。と、私は心の中で三尾に言葉を返す。

 ……ん? そういえばあのクソお嬢サマ、今私だけに「直接対決するのは初めて」とか言ってなかった?


「三尾。あんた、あのクソお嬢サマとやり合ったことあるの?」

「ん。会長はキックボクシング部に所属しているから、その時に」

「キックボクシングって。どんだけアグレッシブなのよ、あのクソお嬢サマは……」


 呆れて額に手を当てる私だった。まったく、次から次に嫌な対戦相手ばかり当たってしまうな。

 と、そろそろ休憩時間も終わりだ。気持ちを切り替えていこう。


「―――では、これより。球技大会、女子の部。屋内競技部門の決勝戦を開始する! 各自、礼!」

『宜しくお願いします!』


 教師の号令の元、コート上の私や三尾を含めた女子生徒達が一斉に礼をする。

 ご主人様以外の相手に頭を下げるというのは、正直私のプライドに関わることなのだが、これをしないと割と気持ちよく試合が行えない。スポーツマンシップに則って、というやつだ。


 相手側のチームにはあのクソお嬢サマと、さっきの取り巻きの二人、他は顔も見たこともない三年生ばかりだ。対して、こっちには私と三尾、残りのクラスメイトの中に、あの三人の中から未來を選抜しておいた。


 未來は身体を動かすのは得意な方らしく、実際あの三人の中では一番身体能力が高いと言って良い。

 沙耶は反応速度こそ良いものの、ドジしやすいタイプなのがネック。舞桜の場合は前が重すぎるのか動きが凄く鈍くて話にならない。おまけに馬鹿みたいな力でボールを変な方向へ飛ばしてしまうので、戦力外通告もやむ無しだ。

 それに対して未來は、筋力も十分あって、あれで中々機敏に動いてくれるし対応力も高い。クラス全体から見ても、そこそこ活躍できると私と三尾も見込んでいる。


 そこで、未來をレシーバーにして三尾をセッターに。そして、私がアタッカーになって点を稼ぐ。他のメンバーには随時サポートに回ってもらう、という分かりやすくポジを設定しておいた。よっぽどのことが無ければ、これで負けることはありないと思う。そう、よっぽどの事がなければ。


 礼をした後、どちらからサーブを始めるかを決めたのだが、先攻は向こうのクラスからになった。というのも、三尾がじゃんけん――というか運試し全般――が苦手なくせにそれに挑んだ結果だった。

 試合開始のブザーが鳴り、あの会長サマ――もう面倒くさいから、そう呼ぶことにした――の手にボールが行き渡ると、ポーンと真上に高く放り投げた。

 高く高く。ボールは半回転しながらネットより高く上がり、落ちてくるタイミングで会長サマは助走をつけて跳び上がった。空中で身体を反った完璧なフォームの後、ボールに思いっきり掌を打ち付けると、物凄いスピードで一直線にぶっ飛んできた。


「―――! 三尾‼」

「……ッ!」


 私が言うよりも先に、三尾はもう動いていた。流石の瞬発力でレセプションに向かうものの、腰を低くした姿勢で滑り込んで弾いて飛ばす。ギリギリどうにか拾えたと言えるレベルでレシーブが間に合った。

 床に落ちるスレスレだったボールは高く打ち上がり、未來の方に飛んで行く。


「未來! こっちパス回して」

「―――はっ!? ま、任せた。それっ」


 あの豪速球に呆気に取られていたのだろう。一瞬だけ未來の反応が遅れていたみたいだが、あいつの上手いトスでボールが私の頭を超えてネットの前まで来た。こうなれば、後は私が相手コートに返すだけ、のはずだったのだが。


「そんな!?」


 止められた。私の渾身のスパイクを、あの黒髪の方の取り巻きにブロックされてしまった。

 確か、有愛ありあと言っただろうか。忌々しくもご主人様や三尾のような黒い髪色をしているが、他の女子と比べて比較的高い身長を活かして、ものの見事にボールを叩き落とされてしまった。

 結果、ボールは床に落ち、無慈悲なブザー音が鼓膜を震わせて得点は向こう側へ。同時に、周囲から一斉に男女問わずわっと歓声が上がった。


「―――チッ」


 私は思わず舌打ちした。

 速かった。球が明らかに速すぎる。というか、あれはもう球ではなくて弾だ。弾丸がこちらのフォーメーションの穴目掛けて撃ち抜かんと迫って来ていた。何よ、まさかキックボクシング部だからって、ボールを殴る力まで強いって言うの!? 冗談じゃないわよ。

 でも実際、三尾の反応速度を持ってしても、ギリギリで拾うのがやっとだった。そこから上手いことやってスパイクに繋げても、あの取り巻きにブロックされる。

 三尾のレシーブが間に合わない可能性だってあるし、クラスメイトが付いて来れずにアタックに繋がらないってことも有り得るだろう。


 そう考えるとどうにも戦力に差がある。侮ってないって言うと嘘のつもりだったけど、やっぱ侮ってたかも。兎に角、流れを止めなきゃ。

 そう思ってあれから奮闘したけれど、押され押し返されで、結局こっちが得点できない状態が続いた。

 もう、直線もカーブもなんでもあり。野球でもないのに飛んで来る魔球のオンパレードに、失点に継ぐ失点で、気付くと五点も取られていた。


「凄いな、会長。まさか、晶と三尾のコンビをあそこまで追い込むなんて」

「さっきまでの試合はちらっと見てたけどよ、会長あんなだったけか?」

「いや、これと比べると、まだ普通に試合してたよ。それでも十分強かったんだろうけど」


 まあ、そこはご主人様の言う通りなんだろう。熟練・素人を問わない球技大会とはいえ、ここまで勝ち上がってきたからには相応の実力があって然りだ。

 だけど、ご主人様と耶真人の反応から、会長サマはここまで本気は出さず、その実力を隠していたというところか。


 それは単に体力温存の意味もあったのかもしれないが、あのクソお嬢サマの性格を考えると、飽くまで私達との実力の差を見せつけたいだけのだろう。何処までも嫌らしい女だ。

 などと余計なことを考えていたら、また得点のブザーが鳴っていた。六点目を入れられてしまったようだ。


あらあらあら(オーララ)。如何なさいましたか? まさか、この程度でお疲れではありませんわよね?」

「とーぜんでしょ。やられっぱなしでいられるかっての」

「ん。まだ時間はあるし、点差はそこまで大きく開いてはいない。逆転のチャンスは有る」


 強がってみるが、実を言うと私達だけ少し息が上がってきている。というのも、あの弾速に追いつけるのが三尾だけであり、それを踏まえた上で随時指示を出し、かつアタッカーとしても動いているのが私だ。だから未來を含めた他のクラスメイトに比べて、圧倒的に負担が多い。とはいえ、これ以上の試合が出来ないというわけでもなし。他のクラスメイトの体力も殆ど残っている。勝機はまだ十二分にあるはずだ。


「オーホッホッホ! 吠えますわねぇ。ですが、防戦一方もままならなくては、話になりませんわよ?」


 なんて高笑いをする隅で、会長サマはしれっとあの人に向かってまたウィンクをしていた。ヤツの言動と視線の上げ方を見て間違いないはずだが、それを自分にしたものと勘違いした二階に居た他の生徒達から歓喜の声が上がった。

 真実に気付いているのは、私と三尾、視線を向けた本人と向けられた本人、そしてその反応を最も近い位置で見ていた人物だけだろう。


「……なあ、晴樹。お前、会長とどういう関係?」

「なんでそういうことになるんだよ……」

「いやだって、犬飼と会長、めっちゃ仲悪そうじゃん」

「そうだね」

「あれ絶対恋敵って奴だろ? もしかしてお前、会長のことまでたぶらかしたのかよ!? おいおい、前々から思ってたけどよ、お前ってほんと隅に置けねえなあ。今度紹介してくれよ!」

「してねえ。やってねえ。人をナンパ師みたいに言うな」

「ナンパ師っつうか、女誑おんなたらしだろ?」

「やかましいわ」


 なんか、上の方ですっっっごく不毛な会話が行われてるんですけど。ご主人様が女誑しなわけないでしょうが。純粋な心の持ち主なんだから、そんなことしねっつーの。それに、ご主人様の相手は、後にも先にも私だけですぅー!


「……で、実際どうなわけ?」

「まあ、お前になら言ってもいいか。黙っといてわだかまりとか作りたくないし」


 溜め息混じりにやるせなさを表に出したご主人様は、周囲を少し見渡してから耶真人に耳打ちした。

 流石にあの会話がここまで声が届いて来ることはなかったが、まあ中身を大体予想することは出来る。


(……実は、父さんと会長の親さんが知り合いらしんだよ)

(はあ!? なんだよそれ!?)

(ばっ、でかい声出すな!)

(わ、悪い。でも、若葉教授の息子な上に、会長と親同士に関係あり。子供も同じと来た。……間違いなく学校中の噂になるな)

(まさかとは思って父さんに訊いてみたけど、事実だったからもうびっくり。既にレッテルが張られてる手前、あんまり目立ちたくないんだけどなぁ)


 ご主人様はまた溜め息を吐いて、手すりにもたれ掛かる。どうやら、ご主人様は勝負の勝ち負けには興味がないらしい。まあ、あの人はそういう人だ。きっと、勝っても負けても私たちの事を褒めてくれるだろう。少なくとも、あのクソお嬢サマが勝った所で、なびくとは無いと断言できる。

 だけど、このまま負けっぱなしというのも尺だ。それに、やっぱりご主人様にいいとこを見せたいという気持ちに変わりはない。

 私は三尾を背中で見つつ、小声で言葉を投げ掛けた。


「ねえ、三尾。バレーって、脚使ってもよかったっけ?」

「ん。ルール上は問題ない」

「そ。じゃあ、ちょっと()()出すから。フォローよろしく」

「了解した。まかせとけ」


 三尾がぐっと親指を立てて、頼もしくも私に了解の意を示した。

 そして息を大きく吐き出して、私も少しあの高飛車を真似して言葉を突き返してやった。


「いいじゃない。その挑発、真っ正面から受けて立ってやるわ! 私たちに喧嘩売って、ただで済むとはおもわないことね!」

「……そう。では見せてご覧なさいな。貴女のその本気とやらを!」


 そう言うと、会長サマはさっきまでと変わらず、例の弾丸のようなスパイクサーブを打ってきた。

 そして、これまた変わらぬ形で三尾が受け止め、他のクラスメイトによるトスでボールが宙を舞う。


 ―――さあ、始めるわよ!


「……ふふふ。幾ら吠えた所で、結局これまでと変わらな―――え、ちょっ、嘘でしょ!?」


 ボールは高く飛び上がり、ネットの高さを超えるあたりで私も高く跳び上がった。

 当然、黒髪が邪魔をしてくるが、今の私には逆にこれを押し切ってやれる自信があった。

 確かに、このままスパイクを打つだけではさっきと同じだ。力も技術もアイツらは私質より勝っている。でも、それは私が()()使()()()()()()()()()()()()()()


 私は空中で身を翻し、ネット越しで目を丸くする会長サマを逆さまに見据えた。そして、渾身の力を込めたオーバーヘッドで、相手コートへボールをシュート! そして、あの人に少しでも気に入って貰えるように、そしてあのクソお嬢サマに見せつける為に、あえて床に膝を付け、カッコつけた着地をする。

 得点した証拠にブザーが鳴り、更に一拍置いて、歓声が上がった。尤も、あまりの展開に得点係も唖然としていたため、音が鳴るまで数瞬の時間を要したが。


「あ、アリア。あれはアリなんですの? バレーボールは手を使う競技ではなくて!?」

「え、えーっと……」

「別に反則じゃないっすよー。バレーボールは、サーブの時以外なら身体の何処に当たっても良いってルールなんで」


 私のシュートがよっぽど想定外だったのか、声が震える会長サマに、赤髪とキレ目が特徴的な取り巻きが気だるげに言った。


「まあ、だからといって、本当に脚でスパイクするなんて話聞かないですけど。流石サッカー部のエースは伊達じゃないっすね~」

「なんですのそれ!? ずるいですわ! せこいですわ! 容赦ねえですわーーー‼」

「お嬢様ー。キャラ崩れてますよー。はいボール」

「―――はっ!? ん、ん……。お見苦しいところをお見せしましたわ」

「アンタ、散々こっちのこと小馬鹿にしといて、よくそんなこと言えるわね」


 会長サマは赤髪からボールを渡されると、咳払いらしき仕草をしていつもの高慢ちきな調子を取り戻す。すると、こっち向き直ってボールをネットの下に転がした。


「中々やりますわね。ですが、一点入れた程度ではまだまだわたくしたちには及びませんことよ? ここから更に点差を増やして差し上げますわ」

「望むところよ。そっちこそ、点差頼りで勝てるとは思わないことね」

「私も忘れられちゃ困る」


 私と会長サマでバチバチと視線を交わす影から、三尾が割り込んできた。


「頼んだからね。あんたの反射神経スピードが無いと、こっちまで繋がんないんだから」

「無論。言われるまでもない。晶こそ、空振りしたらハルキくんとわらってやる」

「言うじゃない。皆も頼んだわよ。ボールは三尾がなんとかボール拾ってくれるから、アンタ達はそれを私に渡してくれればいいわ。一緒に勝ちましょう!」


 おおー! と1−A女子が拳を突き上げ、男勝りな鬨の声を上げた。


わたくし達も負けていられませんわ! さあ、皆様方も気合をいれてくださいまし。彼女らの先輩である三年生として、そして生徒の模範たる生徒会長のこのわたくしの所属するクラスとして。最後まで盛り上げて行きますわよー!」


 それから、私のクラスと会長サマのクラスとの一進一退の攻防が始まった。

 初めの内は私のキックスパイクについてこれず、さっきまでの失点を取り戻すことができた。だが、七点目を取った辺りで向こうもこちらの動きに慣れてきたみたいで、そこからは取って取られ、打って防がれ打たれ防ぎと、かなり試合が拮抗していく。

 そして、同点のまま試合時間が超過し、次に得点したチームが勝つ延長戦に持ち込まれ、体育館は熱狂の嵐に包まれていた。話を聞きつけた屋外組も集まってきて、いつの間にか観客の数もかなり増えていた始末だ。


「三尾! 次で決めるわよ!」

「……!」


 たらりと垂れる汗を拭って三尾が無言で頷く。いつでも来い、という無口なあいつらしい合図だ。


「それは、こちらの、台詞ですわッ‼」


 ―――来る、クソお嬢サマの弾丸スパイク!

 だけど、動きに慣れてきたのは何も向こうだけじゃない。何処を狙うか、何処に落ちてくるか、散々やられれば誰でも見当が付く。ここで三尾が打ち返せば、後は今まで通り―――


「……あっ」


 びったーん! という音に何事かと振り返ると、そこには顔面から床にダイブするという醜態を晒した三尾の姿があった。


「ちょっ!? あんた何やってんのよこんな時に!?」

「……むぅ。脚が剥がれかけたテープに引っ掛かった。不覚」

「嘘でしょ。どんだけ運が悪いのアンタはッ!」


 バスケ用に引かれたものだろうか。確かに足の裏に白いテープがくっついていた。ってしまった!? もうスパイク打たれてる!?

 ―――まずい。まずいまずいまずい! これは、間に合わない!

 私は慌ててレセプションに向かったが、悔しいことに直感がこれは駄目だと告げている。怒鳴る暇があるなら、あれに対応しておけばよかった。三尾も急いで立ち上がるが、どうあっても間に合わないだろう。それだけ、あのクソお嬢サマのスパイクは凶悪だ。


 あー、もう!一瞬でも対応が遅れた時点で、私たちの負け確定じゃない!

 くそぉ……ここまでなの……? ご主人様、ごめんなさい―――


 その時、気合の籠った叫びと共にボールと床の間に右腕が差し込まれ、力強く弾かれたボールがコートの後方まで飛んで行った。


「未來!?」


 驚いたことに、私の前に居たのは未來だった。未來がボールが落ちるギリギリのところに飛び込んで、出鱈目なレシーブで打ち上げてくれたのだ。


 ちょっと予想外かも。確かに未來には最初、レシーバーを頼んではいたけれど、いつの間にか三尾と役割がが逆転してたし。まさかこんな形で当初の役目をこなすなんてね。やるじゃない。

 未來は「後は任せた!」と言わんばかりに、にへっと笑った。


 ボールはまだ生きている。弧を描いて、ゆっくりとコート外に向かって降下中だ。

 三尾は未來がボールを蹴飛ばした瞬間に走りだし、既に着地点で腕を構えていた。折角繋いでくれた一球、無駄にはしないわよ!


 三尾が腕を振り上げて、こっちに向けて大きくパスを飛ばすのを確認すると、私はボールが飛んだ方向と反対に三尾に向かって走りだした。

 三尾もまた、こっち向かって全速で走ってくる。

 お互いがぶつかりそうな距離まで到達すると、片足を三尾の両手に乗せ、踏み台にして跳び上がった。

 私と三尾の息ぴったりなアクションに、体育館中の生徒達から一斉にどよめきが上がる。私は更に、見せつけるように空中で身を捻って錐揉み回転した。これが私の全身全霊だ。回転を利用し、右足に集中させた遠心力で勢いのままにボールを蹴り飛ばす。

 弾丸のようなスピードで空気を貫くボールは誰にも止められることなく、クソお嬢サマの頬を掠め取って床に着弾した。強く叩きつけられた反動でボールが大きく跳ね上がると、やがて試合終了のブザーが体育館中に響き渡った。


「……ふぅ。つっかれたー」


 ―――勝った。

 勝利の余韻を噛み締めるように息を吐き、身体を大きく後ろに反った。そこに、息を切らしながらも、少し頬を上げた三尾が歩いて近づいてきた


「お疲れ。ナイスフォローよ、三尾」

「ん。晶もお疲れ。ナイスシュート」

「ふふ。サッカーじゃないっつの」

「けど、その言葉は私より未來に言って欲しい」

「あんた、盛大にコケてたもんね」


 と、ちょっとだけ苦笑を交えた会話のあとに、勝利を祝うハイタッチの音が反響しやすい体育館に木霊した。

 すると、わっとさっきのブザーの音よりも騒がしい歓声で屋内が満たされていった。


「うっそー……」

「姫、お気を確かに」

「あっちゃー。負けちゃったっすね~。途中までは良かったんだけどなー」


 会長サマは負けたことのショックか、それとも殺人級の豪速球が顔の真横を貫いたことへの恐怖なのか、へなっと太腿を床にひっつけて崩れ落ちた。


「な、なんなんですのあれー……。身体能力が良いとか、そういう次元を超えているのではなくて!?」

「え、ええ。聞いていた以上のスペックでしたね……」

「ははは。あれはちょっと()()()()()()かもなー」

「ええ、あの身体能力があれば、とても優秀な個体が……いえ、これ以上はやめておきましょう」


 わーわーと煩い歓声の中で、会長サマ達が何か喋っている様だが、周囲の騒音と意図的に小さく喋っていることが相俟って、よく聞こえなかった。


「な、なんて超次元な……。これってバレーボールなんだよね? サッカーとかじゃないよね?」

「頭おかしい連中の、頭おかしい試合だったな。まるで現実味がねえ」


 一方で、ご主人様と耶真人は開いた口が塞がっていなかった。呆気に取られるついでに、ぷるぷると小刻みに身体を震わせている。


「ごしゅ―――ハールキくーん! やった! やりました! 私、あのクソお嬢サマに勝っちゃいましたよー!」

「ぶい!」


 私は試合前の様に、あの人に向かって手を振った。横では三尾が指でV字サインを作ってチョキチョキさせている。

 嬉しかった。何が嬉しいって、球技大会に優勝したことなんかよりも、あのクソお嬢サマから勝ち星をぶんどって、ご主人様にも良いトコが見せられた事だ。これは絶対褒められる! 頭なでなでとかしてくれるかも! というこれ以上ない満足感が、私の顔をだらしなくさせていた。


「おい、呼んでるぞ」

「行きたくない。目立ちたくない」

「お前、今度占いにでも行って来たら? 確実に女難の相とか出てくるぞ?」

「占わなくても実感してるよ!」


 あれー? どうして手すりに顔を突っ伏してこっち見てくれないんですかー?

 彼がこっちを向いてくれない事に疑問を感じつつも、私は少しでもこっちを向いてくれることを祈って仰ぐように手を振る。


「……はあ。ちょっと行ってくる」

「おう。頑張って来いよ」


 どうしてかテンションの低いご主人様は、とぼとぼとギャラリーを降りてくると、その間に会長サマ一行が近づいてきた。

 少し視線を移動させると、疲れた~と舞桜にもたれ掛かる未來の姿があった。言葉までは聞こえなかったが、舞桜も沙耶もあいつを賞賛していることだけはわかった。

 後で私からも礼を言っておこう。正直、あいつが居なかったら今の試合、勝てなかったかもしれないし。


素晴らしい(トレビアーン)! お二人供、これを機に、今後は貴女方への評価を改めなければなりませんわね。これからは対等に、『アキラ』と『ミオ』。そう呼ばせて頂いてもよろしくて?」

「あっそ。別に、あんたからの評価なんてどうでも良いから、好きにしたら? その代わり、私達もあんたのことは『メリッサ』って呼ばせてもらうから。対等っていうなら、そのくらいは良いんでしょう?」

「ええ、もちろんですわ。あの方とは、今後も仲良くさせて頂きたいですから。あ、もちろん、お二人供ともですわ」

「げっ、あんたまだあの人に付き纏うつもりなわけ?」

「ええ、ふふ。何せ、一目惚れでしたから」

「オイコラ。調子乗んな」


 くっ、コイツ、何処までも食えない女ね。いっそ本当に直接殴り合って決着をつけるのもアリかしら。まあ、私が出すのは拳じゃなくて脚なんだけど―――うん?

 視線を感じ、私は会長サマが背にする体育館の入り口に目を向けた。

 そこには、こちらをじっと見つめる直実の姿があった。歯を食いしばっており、私と目を合わせるや否や、すぐにその場から立ち去ってしまう。何処かで揉め事でもあったのかしら? 何かすっごく機嫌が悪そうだったけど……。

 まあ、部活に支障がなければ、気にする必要は無いだろう。それより今は、このクソお嬢サマをどう相手にするかが問題だ。


「あら、若葉様!」

「ああ、どうも。メリッサ会長。試合、残念でしたね」

「ええ、あと一歩というところでしたのに。見事に出し抜かれましたわ。サッカー部だからと、まさかあんな大胆な戦法に切って出るなんて」

「いやぁ。あれは僕もびっくりしましたよ、ほんと。キックでスパイクとか、常識じゃ考えられないですって」


 うふふ、と上品に笑うクソお嬢サマ。あはは、と頭を搔きながら対応するご主人様。

 あれ、なんでこの二人がなんかちょっといい雰囲気になってるの!?


「あの、ちょっとごしゅ―――ハルキくん!」

「………」

「うん? どうした晶、三尾」


 私は構って欲しいとばかりにご主人様の名前を呼び、三尾はだんまりかと思いきや、ちょいちょいとあの人の服を引っ張っていた。

 

「あのぉ……そのぅ……」

「……ん」


 私と三尾は、眼をぱちくりしながら上目遣いであの人を見つめた。

 褒めて欲しい。と言うのは簡単だったのだが、それではなんというか芸が無い。別に大勢の人の前ではっきり言ってしまうことに抵抗があるわけじゃないし、なんだったらここで思いっ切り抱き着いてしまうのもやぶさかではない。

 だけど、ここは察して欲しかった。もちろん、気付かないのであれば直接言うまでだが、流石に疲れたというのもあるし、偶にはご主人様の方から施しを受けたかったのが本音だ。三尾も大体そんなところだろう。

 すると、ご主人様は少しの間私達二人を見つめていた。いやん、そんな風に見られるとときめいちゃう!


「……しょうがないなぁ。はい、よしよし。二人供、今日はよく頑張ったね」

「えへへ……」

「ん、んぅ……」


 そう言って、ご主人様は私と三尾の頭に手を伸ばした。暖かい温もりが、私たちの頭に円を描くように往復する。

 ―――やった! やったやったやった! 褒めた! 褒められた! なでなでしてくれたぁーーー! よっしゃあああああああああっ‼

 私の精神こころは今にもはち切れそうなくらい興奮していた。頑張った甲斐があったというものだ。


「さ、表彰式始まるから、そろそろ行こうぜ。優勝祝いはその後で考えような」

「はーい!」

「ん。わかった」


 優勝祝いなんて、たった今貰ったようなものだが、折角だ。思った以上に苦労した試合だったし、後日にご主人様とデートする約束でも取り付けることにしよう。


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