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ペット&ライフ  作者: 仮ノ一樹
エピソード0 プロローグ
5/18

第5話 恋と不運と誕生日

  ―――私は、とても、とても運の悪い人間だ。

 小石を投げれば必ず誰かに当たってしまうし、じゃんけんはいつも負け。貧乏くじばかり引くし、道を歩けば鳥の糞が落ちて来る。

 少し大袈裟かもしれない。世界中、同じ思いを抱く人間なんて、きっとごまんといるのだろう。

 ただ、そんな事なんて関係なく。私は、ただ自分が運の悪い人間だと卑下していた。いや、したかった。

 自分の利益の事しか考えない強欲な大人達。それもまた、この世の中ごまんといるのだろう。

 私はそんな欲深い親の下に産まれてしまった。産まれた瞬間から、最低な不運に見舞われたのである。


 物心つく前から、私は親に虐げられてきた。幼稚園には通わせてもらえたが、それ以外に外に出る許しはもらえなかった。

 だけど、政治家という仕事柄、両親の帰りは遅い。これ幸いにと、私は一人家を抜け出しては従姉妹である晶の家にこっそり遊びに行っていた。

 私の家が街から離れたところにある所為で、子供の足では数時間はかかる距離を往復する羽目になっていたが、それでも家に一人でいるよりは十分マシだった。

 しかし、やっぱり家から距離がある事が災いして両親に家を抜け出した事がばれると、その度に暴力を振るわれた。


 どうして言う事が聞けない? 何故あの男、あの女の家に行く? そんなにここに居るのが嫌か?


 その様子を兄さんはただ見ているだけだった。初めは何故、と泣いて訴えた事もあったが、毎日慰めてもらっている内に、兄さんにも立場がある事を悟った。だから、その内に兄さんには関わらないで欲しい、と私の方から頼む様になった。私を庇って兄さんまで傷ついて欲しくはない。今まで、じっくりと耐えて努力してきていた兄さんなのだから、私と同じ思いを味合わせたくはなかった。


 こんな生活は、私一人だけで良い―――と。


 だけど、そんなある日の事。

 晶の両親が他界したという知らせが入った。同時に晶をうちで引き取るという話も持ち上がった。

 素直に、それはそれで嬉しい思った。晶とはいつも遊んでいたからこそ、一緒に暮らせれば楽しい毎日になるかもしれない、と。

 同時に晶があの二人の餌食になるかもしれない、という考えも頭を過った。

 私は直ぐに両親に訴えた。そしていつものように殴られた。結局私は何も出来ず、その申し訳なさと後ろめたい気持ちで、いつの間にか素っ気ない態度を取るようになってしまった。

 退院の日。案の定、暴力の矛先は私より晶に向かうようになった。しかし、その頻度は私の非ではなく、雑用を全て押し付けて、その上で毎日のように虐待したのである。


 何故。どうして。こうなった。


 一体、晶が何をしたというのか。晶に何の恨みがあるのか。

 わけが分からなかった。

 居ても立ってもいられなくなった私は、晶の仕事を毎日手伝った。それの何が気に食わなかったかは知らないが、そうすることで結果的に拳をこちらに向ける事には成功した。それでも、晶に対する暴力が無くなったわけではなかったが、多少なりとも軽減させることはできたはずだ。

 それなのに、最後はあんな風に――要らなくなったおもちゃのように――捨てられるなんて。


 思えば、今までの私に幸福だと思える事は何一つとしてなかった。

 雨に濡れて衰弱した脳裏に走馬灯が過るが、どれだけ思い返しても思い浮かぶのは心と体の痛みだけ。

 欲望に忠実な毒親の下に産まれたこと。それさえ無ければ、私の人生はもっと変わったものになっていたのかもしれない。と思わなくもないが、今更神様に文句なんて言っても変えてくれるわけがないだろう。


 自分の不運を恨む事は無かった。恨んだところで意味はないから。恨んだところで、ぶつけるものも無かったから。

 でも悔しくはあった。無力な私には、立ち塞がる壁にいくら立ち向かっても、乗り越える事は出来なかったのだから。

 だけど、これできっと楽になれる。そう思ってあの時、私は静かに瞼を閉じた。

 ただ一つ、自分の不運に晶を巻き込んでしまったという、心残りを残して。


 ―――大丈夫!?


 死を悟り、薄れゆく意識の中で、声が聞こえた。

 視界が朦朧としたまま顔を上げると、そこには男の子の姿があった。

 あなたは誰? そんなことを聞く気力なんて無かった。無かったはずなのに。

 これから死ぬんだから放っておいて欲しい。そう思った。思ったはずなのに。

 気付くと私は、名も知らない誰かに手を伸ばしていた。


 ―――助けて――おね――が、い―――


 それは私が産まれて初めて感じた幸福。

 あの雨の日、あの時、あの場所で、ご主人様(かれ)と出会えた事。

 それが私の人生において最初の、最大の幸運だったと胸を張って言えるだろう。



2月9日火曜日

――7:07――


『いっただきまーす』


 晴幸さん、日和さん、竜さん、琴音さん、そしてご主人様が同時に手を合わせ、掛け声と共に朝食を口に運んだ。

 食卓に並んでいるのは、ご飯とみそ汁、そして今回頑張って作っただし巻き卵だ。


「……どうですか? 今日のもおいしいですか?」


 もぐもぐと静かに顎を上下させる一家に、晶が不安そうに訊き、私は黙ってそれ見つめる。すると、ごくん、という音と共にご主人様が笑顔になった。


「うん、おいしいよ! ね、みんな」

「うまー」

「あいちー」

「うん。いつ食っても上手いな。二人の料理は……もぐもぐ」

「はあ~、それそろ認めるべきね。完敗だわ。特にこの卵。出汁がよく利いた甘めの味付けとふわっとした食感が口の中を包み込んできて最高だわ。まさに家庭の味ね」


 料理には自信があったんだけどな~、と言いつつ、日和さんは私達の料理で事細かな食レポを披露してくれた。

 私と晶は、やったねという感じでハイタッチし、互いにこの喜びを分かち合う。

 あ、因みに私と晶の朝食は味見がてら先に済ませている。前の家では両親が朝起きる前に朝食を作って先に食べて置かないと、私達の分が無くなってしまうことが多かったからその名残だ。どちらにしろ、量が多くても少なくても、それだけで拳が飛ばしてくるわけから、本当にどうしようもない親だったが。


 この家に、あの人に拾われて気付けば一週間が経過していた。こんなに早い一週間は初めてだ。

 ここでの生活もすっかり慣れ、今や自分たちがこの家族の一員になってきたことをひしひしと感じつつある。

 日和さんも産後入院から退院し、今は新しい子育てに従事している。

 ここに住み着いてからというものの、家事のほとんどは私達の仕事だ。

 もちろん、無理強いなんてされていない。拾ってもらった恩を返すため、私達が自らの意思でやっている事だ。それに、晴幸さんはお仕事があるし、日和さんに至っては赤ちゃんの面倒を見るのに忙しくて家事なんてやっている暇がないだろう。そうなると、経験のある私達がやった方が良い。

 何より、ここで家事をするのはとても気分が良い。“あそこ”に居た時は何をしても言葉よりもまず手が出ていたけれど、ここではご主人様(あのひと)が褒めてくれる。

 というか、トラウマになってもおかしくない過去の経験が、こんな風に役立つことに私達の方が驚いたぐらいだ。

 誰かに褒められるのがこんなにも嬉しいなんて。ずっとあそこに閉じ込められていたら、絶対に味わう事のない感覚だっただろう。


「ごちそうさまでしたー!」

「ごちそうさまー」

「たー」


 おお、早い。まだ「いただきます」してまだ数分しか経ってないのに。すでに兄妹三人のお茶碗もお椀もお皿の上も綺麗さっぱり完食だ。

 うん。作った側としてはうれしい限りだ。


「あ、ご主人様。ほっぺたにご飯つぶが付いてますよ。取ってあげますね」


 いつの間にか隣からいなくなっていた晶がご主人様にグイっと迫り寄り、ほっぺたのご飯つぶを指で掬い取る。そしてパクり。

 しまった。完食してくれたことに感激するあまり、おいしいところを持ってかれてしまった。文字通り。


「あきら、ずるい。私もやりたかった」

「ふふーんだ。早い者勝ちだもんねー」

「むー。ご主人様。もう一回つけて」

「無茶言わないでよ。全部食べちゃったもん」


 えっへん、と胸を張る晶。悔しさに頬を膨らませる私。そして苦笑いを浮かべるご主人様。今日も今日とで平和な一日になりそうだ。


「さて、それじゃあ晴樹、竜、琴音、食器を片付けたら歯を磨いてきなさい」

「はーい」

「んー」

「あーい」

「私も一緒に行きます!」

「……私も」

「ああっ、君たちはもう少しここに居なさい。話したいことあるんだ」


 私と晶は頭上にハテナマークを浮かべ、ご主人様が先に行ってしまうことに寂しさを覚えながらも部屋に残った。


「なんですか、晴幸さん。私、もっとご主人様と一緒に居たいです!」

「……私も」

「まあまあ。ペットのイヌとネコじゃあるまいし、ここは大人しく聞いてくれたまえ。まあ、晴樹のことをそんなにも好いていてくれるなら、それならそれで。これは君達にも大切な話だからね」

「……大切なお話? なんのことですか?」

「実はね。今日は晴樹の誕生日なんだ」

「「……え!?」」


 これは。驚いた所の話ではない。

 誕生日? 今日が? ご主人様の!?

 なんてことだ。そんなに誕生日が近かったなんて。それならもっと早く教えて欲しかった。

 いや、それよりも。今日というと二月九日の火曜日。ということはつまり―――


「お、驚いてるね。ごめんね、本当はもうちょっと早く伝えたかったんだけど。ほら、ここ最近は色々とバタバタしていたからね。教えるのが当日になってしまった」

「本当にごめんなさい。私からも言おうと思ったのだけれど、あの子のお世話で手一杯で……今からじゃ、プレゼントを選ぶ時間も無いのにね」

「い、いえ。そんなことは……」


 必死に謝罪をする晴幸さんと日和さん。それに対して謙る晶。だが、私達が驚いている理由は――もちろん、ご主人様の誕生日についても驚いてはいるが――そこではない。

 その事実にまだ驚嘆を隠せないまま、晶は口を開いた。


「あの……じつは、その……」

「ん? なんだい?」

「えっと、私の誕生日も、今日なんです……」


 その瞬間、晴幸さんと日和さんが笑顔を固めたまま動かなくなった。


「ごめんなさい、晶ちゃん。聞き取れなかったから、もう一度言ってくれる?」


 日和さんは固めた笑顔のまま晶に言う。

 聞き取れなかったのなら仕方ない、と晶は恥ずかしがりながらももう一度同じことを言う。


「わ、わかりました。その……今日は、私の誕生日、なんです……」

「「な―――なんだってーーー!?」」


 心なしか、今の大声で洗面所でうがいをしていたご主人様が口に入れていた水を吐き出した気がした。


「い、いや……それは本当かい!? だとしたらそれは……」

「まあまあまあ! なんて事なのかしら! この子達、本当にあの子と相性良いんじゃない?」

「因みに、三尾ちゃんの誕生日はいつだい?」

「……八月十四日」

「あらら。三尾ちゃんはちょっと先なのね。残念。だけど、それなら今夜は盛大に盛り上げましょうよ!」

「そうだな。元々、今日は晴樹の誕生日だけでなく、二人の歓迎会のつもりもあったしな。よし、今日は奮発しよう! 二人共、何か食べたいものはないかい?」

「えっと、それじゃあ、何か暖かいものが良いです。今日も寒いので……」

「……ん。私も、それで良い」

「暖かいもの……それじゃあ、シチューにしましょうか!」


 私達二人はそれが良い、と言葉では示さなかったが、頷いて日和さんの提案を受け入れる。すると、そこに歯磨きを終えたご主人様が部屋に戻って来た。

 気付けばまた隣から晶が消えている。ご主人様の方を見れば、高揚した晶がぴょんぴょんと跳ねながら自分とご主人様の誕生日が同じである事を伝えていた。

 その事実にあの人が驚いている頃、慌てて私もご主人様の下へ駆け寄ってゆく。


「いやあ、二人の『ご主人様』もだいぶ板について来たなあ」


 晴幸さんは私達三人の会話を見ながら、ニヤニヤと怪しい笑顔を浮かべていた。


「全く今となっては微笑ましいけれど、貴方の所為なんですから、ね!」

「痛っ! 何で肘打ちした!?」

「いたいげな少女に変な言葉を覚えさせたこと、まだ許したわけではありませんからねっ」

「いや、あれは不可抗力で……」

「はあ~、私の旦那様にこーんな趣味があったなんて思わなかったわぁ」

「いや、せめて話は聞いてくれたまえ。僕も自分の妻が結構暴力的だった事実に驚いているよ」

「そりゃあ、医者ですから。暴れる患者さんを抑えるぐらいの筋力は必要なんです」

「僕は患者でも病人でもないよ?」

「因みに、最近は筋トレが趣味だったりするわ」

「嘘ぉ!? それは今初めて知ったよ!?」


 二人の言葉が激しくぶつかり合う最中、横のゆりかごから突然大きな泣き声が聞こえたので、全員が一斉にゆりかごに視線を向けた。


「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!」

「あらあらあら。この子もお腹が空いたのかしら」


 歴戦の母親としての経験からか日和さんは泣いている赤ちゃんの求めているものを察し、箸を置くと急いで駆け寄った。

 そしてゆりかごの中から生後一週間がたったばかりの女の子を抱き上げ、よしよし、と慣れた手付きであやし始める。


 女の子の名前は愛理沙(ありさ)。若葉愛理沙だ。

 これは後で聞いた話なのだが、“ありさ”という名前の名付け親はご主人様なのだそうだ。当て字についてはその後の晴幸さんがそれはそれは長い時間悩んだ末に思いついた奇跡の名前……らしい。

 人間の神髄である「愛」と「理」。それを砂粒のように生活にちりばめてくれれば、という意味なんだと。言っている事が難しくて、私には全く分からなかった。多分、ご主人様も晶もわかってない。まあ、ご主人様が名付けたのだから、とてもいい名前だと思う。

 それと、最初はびっくりしたが、私達がこの家に来たあの日に産まれた子らしい。いや、厳密に言えば違うのだけれど。どちらにせよ、私達にとっては何とも不思議な縁を感じてならない。


「ちょっとこの子におっぱいあげて来るわね」

「ああ、わかったよ。食器は僕が片付けるから、ゆっくりやってくると良い」

「ええ、ありがとう」

 

 そう言って、日和さんは授乳のためにリビングを後にした。すると―――


「おっはよーございまーーすっ!」


 まるで日和さんと入れ替わるようにして、玄関から聞き覚えの無い声が聞こえた。

 明るく活気に満ちた声色だ。

 声の主はダダダダダッ! とまるで列車の如く玄関で走る音を立てて、ガチャッ! とリビングのドアを乱暴に開けた。


「ハルく~ん! 元気してたかな~?」

「あ! アヤ姉さん!」


 それは、なんというか絵に描いたいような美人だった。容姿端麗、という言葉がふさわしいだろうか。

 整った顔立ちと、髪は短めに切りそろえられていて、前髪の赤い羽の形をした髪留めがなんともオシャレだ。服装にも歴とした大人らしさが漂っており、明らかに年上のお姉さんだ。


「おお! おはよう、彩羽あやねちゃん。久しぶりだね。どうしたんだい、こんな時間に。もうすぐ学校じゃないのかい?」

「ふっふっふー、実はね叔父さん。これ見てよ、ジャジャーン!」


 彩羽という女の人は自信満々に胸を張った後、鞄の中から一枚の紙を取り出した。内容は……漢字ばかり書いてあって、私にはよくわからなかった。


「合格通知じゃないか!? そっか、大学受験に受かったんだね! ……あ、そうか。それじゃあ、今君は春休みなのか」

「うん! 最近は期末とか受験とかで全然こっちこれなかったからねえ。今朝、これが届いたのを見たら、もう嬉しくなっちゃて! だからこうして久々にハル君に会いに来たんだよ~」

「うわわっ! やめてよ姉さん、苦しいよお」


 ご主人様があの彩羽という人にぎゅうぎゅうと抱きしめられている。本人が苦しそうにしているのを見て、晶がここぞとばかりに物申した。


「あのっ! やめてください! ご主人様が嫌がってるじゃないですかっ!」

「……ん? 誰? 誰、この子。てか今気づいた。後ろにももう一人いるし。というか、え? ご主人様……?」


 ご主人様を抱きしめたまま、彩羽という人は困惑する。

 ああ、そうか。この人は私達の事を知らないんだ。当然か。私達もこの人の事を知らないし。

 そのことを察してか、晴幸さんが横から割って入る。


「兄さんから聞いていないかい? ほらこの子達がこの前、うちに養子に迎えた女の子達だよ」


 すると、彩羽という人は少し考えたような顔をする。というかまずはご主人様を放して欲しいのだが。本当に苦しそうだ。


「あっ、思い出した。そういえば、そんな事をお父さん言ってたなあ」

「姉さん……もう放して……」

「あっ、ごめんごめん」


 ご主人様の泣きそうな声を聞き入れ、ようやく彼を解放すると、今度はこっちに近寄って来た。


「へえー。ふーん。ほーん」


 変な声を出し、彩羽という人はまじまじと私達の顔を見つめてくる。初めて見る人という事もあり、私達は少し警戒していたが、すぐにその必要は全くなかったと実感することになる。


「ねえねえ、二人とも、お名前はなんて言うのかな?」

「い、犬飼晶……です」

「……猫宮三尾」

「じゃあ、アーちゃんとミーちゃんだね!」


 え、今なんて……? アーちゃん? ミーちゃん? それって、私達のこと……?

 そんな風に呼ばれたのは産まれて初めてだったから、私も晶も抱いていた警戒心を忘れて戸惑いを隠せないでいた。


「んふふー、いいでしょ!可愛いでしょ!」


 いや、そんな自信満々に胸張って言われても。お互い初対面のはずなんですが。あとほっぺをぷにぷにしないでください。

 あまりに快活な彼女の性格に唖然としていると、彩音という人は急に改まって自己紹介を始めた。


「はじめまして、若葉彩羽と言います。歳は永遠の十八歳、モデルになるため日々奮闘、今年から晴れての大学生! ハルくんの従姉の美人のお姉さんだぞぅ」


 いとこ……? つまり、私と晶と同じ間柄ということになるのか。

 そっか。あの人にもそういう人が居たんだ。なんだか、無性に親近感を感じてきた。

 それならば、この人も家族の一人であるなら、失礼のないようにしないといけない。


「……はい。こちらこそ、よろしくおねがいします」


 私が深くお辞儀をすると、晶も無言で頭を下げた。


「お、おう。以外に礼儀正しいなぁ、この子達……」

「……あれ、そういえば姉さん、髪切っちゃったの?」

「うん、そうだよ。ちょっと事情があってね」

「ふーん」

「面接用にかい? 確かに随分ばっさりと切ったんだね」

「まあね。本当はここまで切りたくなかったんだけど、色々気を使ってたらこうなっちゃった。まあ、これはこれでアリだし、髪なんて一年も経たない内にまた伸びてくるしね。それまでの期間限定公開ということで!」


 ふーん。前は髪の毛長かったんだ。

 そこで私は、意外なことに、彩羽さんに興味を抱いていたことに気付く。

 隣の晶を見れば、視線は常にご主人様の方。全くもって彩羽さんの方を見向きもしなかった。


「んー? どうしたのかなー、ミーちゃん。私の顔に何かついてる?」

「い、いや……別に」


 彩羽さんはグイグイと私に迫りより、じーっと私の顔を、眼を見つめる。

 私は何だが恥ずかしくなって、ちょっとだけ視線を反らした。すると。


「何この子! 結構かわいいじゃーん! 怖い目付きかと思ったらネコみたいなあどけなさがあるっていうか。叔父さん、この子持って帰って良い?」

「「「いやいやいや」」」」


 丁重にお断りさせて頂きます。という感じで私含めたその場の全員がパタパタと手を左右に振った。

 えー、だめなのー、と彩羽さんがわざとらしくがっくりしていると、そこに歯磨きを終えた竜さんと琴音さん、遅れて日和さんとぐっすりと眠った愛理沙さんも部屋に戻って来た。


「ねーちゃん!」

「あーね!」

「おー! リョーちゃん、コッちゃん! ひっさしぶり~!」


 竜さんも琴音さんも、彩羽さんの顔を見た瞬間、彼女に飛びついて行った。


「あら、彩羽ちゃん。来てたのね」

「あっ、叔母さん。おはようございます。むむっ、その子はもしや……」

「ええ、この子が愛理沙よ」

「うわ~、可愛い~。抱っこしてもいいですか?」

「ええ、良いわよ。はい」


 日和さんはその温かな腕に抱いていた娘を、目の前の細い腕に静かに手渡した。

 彩羽さんは眠っている愛理沙さんをそっと抱きしめ、少しの間眺めてからゆっくりと微笑むのだが、何が悪かったのか、赤ちゃんは突然泣き出してしまった。

 慌てた彩羽さんはなんとか宥めようと努力するのだが、どうにもならないと判断して日和さんにゆっくりと返してあげた。


「はう……彩羽ちゃんショック」

「ふふっ、まだ産まれたばかりだもの。仕方ないわ。貴女も結婚して子供を産んだら、きっとこんな風に抱くのでしょうね」

「もうっ、叔母さん。その話はまだ早いよお」

「あら、モデルになろうっていう女が、大学生になっても男っ気が一つも無いのは少し考えものじゃないかしら?」

「ちょっと、叔母さん何が言いたいの!? っていうかさっきの話聞いてたの!?」


 ふふふふ、と笑う日和さん。なんか怖い。会話の内容はよくわからないけど、何かいけないことを企んでいるのはよくわかった。


「それで、何処の大学に行くの? やっぱり、モデルになれるところ?」

「ううん。至って普通の大学。けど偏差値は高い方かな。お父さんがうるさいんだよねえ。『進む道は自分で決めて良いが、大学はちゃんとしたとこ通いなさい』ってね」

「ははは、兄さんらしいね。まずは教養を積めってことだよ」

「わかってるけどさあ、そんなの高校生活までで十分だっての!」

「まあまあ、いいじゃないか。今時のモデルは芸能人に限られたものじゃないんだからさ」

「うん。だから、大学行きながらバイトで探すつもり」


 何だか、段々話が盛り上がってきた。これは長くなりそうだから、先に食器だけ片付けておこう。

 晶にも手伝ってもらおうかと思ったけど、ダメだ。ご主人様と話しているから、こっちの言葉が届きそうにない。


 ここに来てからというものの、晶はご主人様のことになると周りが見えなくなるようになっている。日を増すごとにエスカレートしているような気がするが、あれは大丈夫なんだろうか。


「ところで叔父さん。ご主人様って何?」

「ぶはあっ! なん、何のことだい!?」


 触れてほしくないところに触れられ、晴幸さんは今の今まで優雅に飲んでいたはずのコーヒーを勢いよく吐き出した。


「だってさっき、アーちゃんとミーちゃんがハル君のこと、『ご主人様』って呼んでたじゃん。あれ、叔父さんの趣味でしょ」

「だ、断じて違う!確かに、思いつきで口にしたことは否定しないが、それ以外は不可抗力のようなものだ。決して、決して僕の趣味じゃあない」

「あ、自分が言ったのは認めるんだ? 思いつきで言うあたりやっぱり趣味なんじゃないの?」

「違ーう! 断じて違ーう!」


 彩羽さんの問答に対して全力で否定する晴幸さんの肩を、横に居る日和さんがちょいちょいとつっつく。


「ちょっと、ちょっと貴方」

「……ん? 何だい。僕は今、自分に掛けられた冤罪を晴らそうと必死なんだが」

「それは冤罪ではなく真実よ。そんな事よりも、ほら、見てあげなさい」

「そんなことって、君最近僕にドライじゃないかい?で、一体何を見ろと―――あっ」


 晴幸さんが視線を変えた先。具体的には、さっき驚いてコーヒーを吐き出してしまった方向。そこには、顔面を濡らした私の姿があった。


「うわわわわーー!? ごごごごごめん三尾ちゃん!」

「……いえ、別に」

「怒ってる? 怒ってるよね? 本当にすまないっ。突然のことで気が動転していたけど、人がいない方へ出したつもりだったんだがっ」

「そもそも、口の中のものを吐き出さないでください!」

「至極当然ご最もな意見だ。我が妻よ。だけど君、さっきまでそこには居なかったよね? 僕の記憶が正しければ、晴樹の近くに居たと思っていたのだがっ」

「……いえ、その。話が長くなりそうだったので、先に食器だけでも片付けておこうかと……」


 晴幸さんの顔がどんどん青ざめ、周りからの視線が冷たくなる。ご主人様と晶も、何事かと気付けばこっちを振り向いていた。竜さんと琴音さんは、無邪気にも二人で遊んでいる。


「ほ、本当にすまない。ここに謝罪しよう。気を遣わせてしまった上に、こんな仕打ちを……」

「い、いえそんなっ。私の運が悪かっただけです。気にしないでください……」


 晴幸さんはその場で土下座し、誠心誠意を込めた謝罪をした。私自身は本当に気にしていなかったし、そもそも彼がそんなことをわざとするような人でもないと知っている。

 しかも、大人の人にこんな風に謝られること自体初めてだったから、私はどうすればいいかわからなかった。


「あ、ところで叔父さん」

「何だい?」

「土下座したまま答えないでよ。時間、大丈夫?もう八時過ぎてるけど」

「……へ?」


 時間を確認すると、確かに八時を過ぎていた。それも大幅に。

 現在時刻は八時ニ十分である。改めて言うが、今日は二月九日の火曜日。平日である。


 その後の晴幸さんの行動は想像に難くなかった。私の顔を綺麗に洗った後、自分やご主人様達を着替えさせて、大急ぎで外の車に飛び乗のる。なんだかんだで午前八時四十分ぐらいからの出発になったのである。


「ごめんね、彩羽ちゃん。朝から騒がしくて」

「いえいえ、このぐらいが良いんですよ。家のお父さんなんて、頭固いし、気難しいし、ユーモアの欠片なんてこれっぽちも無いんだよなぁ」

「うふふ。でも、それがお義兄さんの良い所なんでしょ?」

「うん、まあ、ただの心配性なんだろうな、あれ」


 私達が出掛けた後、リビングでは残った彩羽さんと日和さんが他愛もない会話で笑いあっていた。

 平々凡々とした会話内容であったが、それ故に今日も平和だと思う二人。その矢先の事―――


『速報です。先程七時五分頃、轢き逃げ事件が発生しました。犯人は現在未だ逃走中とのこと。警察が追跡を開始していますが、近隣住民の方は十分な警戒を行ってください。場所は―――』


 付けていたテレビにニュースキャスターの真面目な顔が映る。

 画面下端に表示されたテロップを見て、日和さんは不安げな心持ちで口を開いた。


「これ、結構近くじゃない? あの子達大丈夫かしら……」

「大丈夫じゃないですかね? 警察も動いてるみたいだし」

「そうよね……。あっ、そうそう。今日は晴樹の誕生日なのは知っているわよね?」

「もっちろん! 忘れるわけないじゃないですか」

「実はね。晶ちゃんも、今日が誕生日らしいのよ」

「ええっ、そうなの!?」


 彩羽さんが両手で口を塞ぐと、日和さんはわざとらしく顔をニヤつかせた。


「そうなのよ。だから、今日は晴樹と晶ちゃんのお誕生日と歓迎会……そうだわ! ついでに彩羽ちゃんの合格祝いも混ぜちゃいましょうか!」

「ええー、私はついでなんですかー」

「ふふ、冗談よ。お義兄さんも呼んで、今夜はぱーっと盛り上げましょう!」

「イエーイ! さんせーい!」


 こうして、日和さんと彩羽さんが喜々として今夜の計画を立てている一方、私達を幼稚園に送り届けた晴幸さんは、朝一の講義にギリギリ間に合わなかったそうな。



――15:12――


 時刻は過ぎて夕方頃。彩羽さんが部屋でのんびりしていると、不意に携帯が小刻みに振動を始めたていたのに気付いた。

 画面を確認すると、そこには『叔父さん』と表示されていた。


「もしもーし。彩羽でーす」

『ああ、よかった。彩羽ちゃん、今時間大丈夫かい?』

「全然いいよー。むしろ暇すぎて寝てた」

『それはよかった。すまないが、晴樹達を迎えに行ってあげられないかな? 昼から帰る予定だったんだが、予想以上に忙しくてね。買い物にも行かなきゃいけないから、遅くなりそうなんだ。頼めるかい?』

「ほいほーい。了解でーす」

『それと、ついでにケーキの受け取りもお願いできるかい? 良いのを予約しておいたから、お金は後で日和から貰ってくれ。こっちから連絡しておくから』

「らじゃー。まっかせといてー」


 寝起きでフニャフニャとした回答の後、彩羽さんは通話を切り、部屋着から外着に着替えを済ませる。財布とスマホを鞄に詰め込んだら、あとは家の鍵を閉めて幼稚園に向かった。

 彩羽さんの家はご主人様の家からそう遠くない場所にあり、幼稚園までの道も徒歩でものの三十分で到着出来る距離にある。

 口笛でも吹きながらマイペースに幼稚園まで辿り着くと、職員に事情を説明して私達を呼び出した。

 迎えが彩羽さんだと知った私とご主人様、竜さんや琴音さんは喜んでついて行った。晶は相変わらずご主人様の後ろを離れようとしなかったが。


「どうだった、ハルくん。幼稚園楽しかった?」


 帰り道。彩羽さんに連れられてケーキ屋さんに寄り、竜さんと琴音さんのだだを振り切り、今夜のパーティの為に注文したケーキを買った後のこと。

 ふと思いついたように、彩羽さんがご主人様に訊いた。


「うん! 楽しかったよ。今日はね、あきらとみおとね、本を読んでたんだ!」

「へえ~そうなんだ。どんな本読んだの?」

「動物図鑑」

「へ、へえ……そうなんだ。ハルくんもそういうの好きだねぇ……。アーちゃんとミーちゃんは、ハルくんと一緒に本を読めて楽しかった?」


 彩羽さんは苦い顔をしつつ、私と晶にそう聞くと、晶はうん! と笑顔を見せ、私は小さく顔を縦に降った。すると、彩羽さんは何故か更に苦い顔をする。


 晴幸さんが手続きをしてくれたことにより、少しの間ではあるものの、晴れて私達もご主人様と同じ幼稚園に通うことができるようになった。

 今ではこの幼稚園に通うのも慣れてきたが、一週間前―――初めてここに来たとき―――は、すっかり人間不信になっていたことと、三年ぶりの幼稚園ということでご主人様の後ろに隠れてばかりだった。

 だが、そのご主人様のお陰で私達はかつての活気を取り戻して行き、最終的には男子すら捻じ伏せる最強女子として園に君臨していた。まあ、それでもやっぱりご主人様の側を片時も離れることはなかったのだが。というか、ご主人様にケンカを吹っ掛けた奴を全員泣かしていたからそんなことになっていたのだが。

 因みに、外で「ご主人様」というのは絶対にダメ!とご主人様と晴幸さんに釘を刺されていたので、隠れて「ハルキくん……」と練習していたのはここだけの話である。


「あれ? リョーちゃんとコッちゃんは?」


 私達と話している間に、いつの間にか竜さんと琴音さんの姿が見当たらなくなっていた。

 彩羽さんは子ども達に何かあったら叔父叔母に申し訳が立たないと焦ったが、後ろを振り返った先に二人がいた。

 

「あー、よかった。すぐ近くに居てくれた……」


 彩羽さんは安堵に胸を撫で下ろす。何やら蹲って遊んでいる様だが、何をしているのかはここではよくわからなかった。

 そこで、彩羽さんを筆頭に皆で二人に近づいてみると、二人の眼の先には小さな黒い点があった。

 二人はそれを無邪気にもコロコロと転がしたり、上に持ち上げてわざと落としたりして遊んでいたのである。


「あーっ! それダンゴムシじゃん! ダメだぞ、そんなふうにあそんでたら」


 ご主人様がいきなり大きな声を上げるので、竜さんと琴音さんはびっくりして飛び上がり上がった。よっぽど夢中になって遊んでいたらしい。


「えー、いいじゃん! こいつ、面白いんだもん。ちょっとさわったら、ほら、こんなふうにまるくなるんだぜ! にーちゃんも一緒にやろーぜ」

「ころころ~」

「ダーメ。ダンゴムシがまるまるのは、コワイからまるくなるんだよ。それに、生き物をイジメたらダメだっていつも言ってるでしょ。だから、ちゃんとバイバイしなきゃダメ!」


 おお、なんかお兄ちゃんらしい。

 彩羽さんはは妹をちゃんと叱るご主人様を見て感心していた。

 もちろん私も、特に晶は人一倍眼を輝かせてご主人様を見つめていたのだが、実はこの一週間だけでも似たような光景を度々目撃していた。

 あの二人は聞き分けのないイタズラっ子として幼稚園の人を困らせていたのだが、何故かご主人様の言うことだけはよく聞くので、何かあるとご主人様が駆けつけて、こうしてお灸を据えることがままあったのだ。


 そういうわけで、ご主人様にこっぴどく叱られた竜さんと琴音さんは、ご主人様に言われるがまま、手のひらに乗せていたダンゴムシをそっと道端に戻し、ごめんなさいとバイバイを済ませて列に戻った。


「ハルくんって、結構面倒見いいんだね。お姉さんびっくりしちゃった」


 彩羽さんがそう呟くと、ご主人様はムッと表情を変えて言った。

 

「あのね、アヤ姉さん! 二人には本当に困ってるんだよ! りょうはイタズラばかりしてようちえんの先生に怒られるし、ことねは泣き虫だから、僕がいないときは先生を困らせてばかりなんだよ!」


 何かのスイッチが入った様に、ご主人様は妹に対するありとあらゆる不満をぶちまけた。それには流石の彩羽さんと唖然とし、最後に「ハルくん、その歳で大変なんだね……」と小さく呟くのであった。

 私としては、それだけ竜さんと琴音さんがご主人様のことが大好きのように思えるのだが、それは違うのだろうか?


「でもね」


 色々と吐き出した後、一旦落ち着いたご主人様は少し間を置くと、次にこう言ってくれた。


「今はね、あきらとみおが手伝ってくれるからね、すっごくたすかっているんだ」


 その一言に、私と晶の胸は撃ち抜かれた。その笑顔が、頭から離れようとしなかったのだ。


「お、おおお。ハルくん、それはアカンやつや。普通に殺し文句だよそれ」

「……?」


 彩羽さんの言葉にご主人様は首を傾げる。私達も言っている言葉はよくわからなかったが、意味はなんとなく伝わった。


「うーん。まあ、そりゃ伝わらないよねぇ」


 彩羽さんはあははー、と笑ってご主人様から少し離れると、律儀に後ろをついて行く私達に小さな声で耳打ちをして言った。


「ねえねえ、二人はさあ、ハルくんのこと、好きなの?」


 私と晶は迷うことなく首を縦に振った。あの人の肌に触れるととても落ち着くし、あの人の声を聴くと安心する。それは間違いない。

 私はそれを彩羽さんに伝えようとしたが、口が開かなかった。別に、この気持ちを言葉で表せられないわけじゃない。感じたことをありのまま伝えるくらい、六歳の少女でもできることだ。


 ―――ただ、あの人に対する感情を言葉にするまえに、一つだけ悩みがあった。この一週間、あの人と過ごす中で生まれた不安。どうしてもそれが脳裏を過り、口の中で言葉を転がすだけで終わってしまう。

 私は彩羽さんを見つめた。そんなとき、不意に兄さんの顔が思い浮かんだ。

 そういえば、以前兄さんがこんなことを言っていた気がする。


 悩みがあるときは迷わず俺に相談しろ。うちの両親は全く当てにならないからな。悩みは抱えるだけ無駄だ。吐き出すことで、気分もスッキリするし、直接解決はしなくとも、その糸口ぐらいは掴めるはずだ。お前は明るいくせして抱え込む所があるからな。俺にできることは少ないが、話を聞いてやることはできる。あ、でもな。もし俺以外に頼信頼できる人ができたなら、その人を頼りなさい。きっと、その人の方が力になってくれるだろうから。


 ああ、そうか。私が彩羽さんに興味を持っていた理由。きっとそれは、自分の兄と重ねていたからだ。

 もちろん、顔が似てるわけでも、性格が同じわけでもない。共通点らしい共通点といえば、歳が近いことくらいだろう。いや、多分同じくらいかな?

 もうこれから兄さんに逢えるかどうかもわからない。だからこそ、今目の前にいる彩羽さんに兄さんの像を重ねているのかもしれない。


「……ねえ、彩羽さん」

「アヤ姉でいいよ。どうしたの?ミーちゃん」


 私はようやく口を開いた。


「私、ご主人様のこと、好きだと思う。でも、あの人の隣にいると胸が熱くなる。私と晶の二人でいるときでも、あの人のことを考えると胸が苦しくなる」

「…………」

「ねえ、アヤ……姉。これって病気?だったら私、ご主人様にうつしたくない……」


 悩みがあるなら直ぐに相談しろ。と兄さんは言っていた。また、他に信頼できる人ができたなら、その人に頼れとも。


 彩羽さん―――いや、アヤ姉とは今日出会ったばかりだ。信頼に足る人物と判断するのは早いかもしれない。でも、このことをご主人様に話すのは違う気がした。もっと別の人に問うべきだと思った。

 それなら、帰ってから晴幸さんや日和さんに話しても良かったからもしれない。でも、今ここで聞くのが良いと思った。ここではっきりさせるべきだと判断した。


 あの人とこれからも一緒に居たい。その一心で、私はアヤ姉に今の自分の悩みを打ち明けた。

 すると、晶も同じことを言っていた。同じことを感じていると言った。本当に、私達はに気が合う。

 それを聞いたアヤ姉は、少しの間沈黙を守っていた。だが、次第に体がぷるぷると震え出し、最後にはニヤリと笑って私達を見た。


「はは~ん。なるほどねぇ。いやいや、ハルくんったら罪な男だねぇ。っていうか、この歳でモテモテとか、マジで羨ましいんですけど」

「あの、どうしたんですか、彩羽さん?」

「アヤ姉で良いってば、アーちゃん。何でもないよ。ちょっと独り言」


 アヤ姉はご主人様の方を見て少し遠い顔をすると、もう一度私達に向き直って続けた。


「そうだね。それは、確かに病気かもね」


 私と晶は衝撃を受けた。本当に病気だと言われば、当然の反応だ。たが、アヤ姉は焦る私達をすぐに落ち着かせ、そのまま話を続けた。


「違う違う!勘違いしないで。それはね、悪い病気じゃないの」

「悪い病気……」

「……じゃ、ない?」


 アヤ姉の言っている意味がよく解らず、私達は首を傾げる。


「うん。そう。悪い病気じゃない。恋だよ。恋の病ってやつ」

「コイ?」

「そう、恋」

「サカナの?」

「ちっがーう。ミーちゃんそれちがーう。天然か! もしかして天然なのか!?」 


 え、違うの?じゃあ、コイって何?

 私がそう聞くと、アヤ姉はまたニヤッと笑う。


「『恋』っていうのはね。誰かと一緒に居たい! ずっと側に居たい! 結婚したーい! っていう気持ちのこと。『好き』って言葉よりも、もーっと大好きって意味だよ」


 好きよりも……好き?

 それって、もっとご主人様と一緒に居ても良いってこと?

 アヤ姉はこくりと頷いた。

 喜びが込み上げる。そして、胸の内がすぅーっと晴れていくのがわかった。

 病気は病気でも、悪い病気ではない。まだ、コイがなんなのかはよく解っていないけれど、少なくとも、これがご主人様が好きだという気持ちなのはわかった。


「あっ!そうだ」


 不意に、ご主人様が声を上げ、こっちに駆け寄ってきた。後ろから、まってよー、というように妹さん達が付いてくる。


「はい!あきら、これあげる」


 ご主人様が荷物から取り出したのは、一枚のカードだった。


「なんですか?これ」

「読んでみて!」


 カードは二つに折られており、晶がそれを開くと、中には不器用な文字でこう書かれていた。


『うちへようこそ いぬかいあきらちゃん これからよろしくおねがいします おたんじょうび おめでとう』


 初めの文はカードいっぱいに大きく書かれていたが、下の方に小さく『おたんじょうび おめでとう』とある。


「あの、これって……」

「うん! おたんじょうびカードだよ! 先生から貰ったの!」


 ご主人様の見せるとびきりの笑顔。これに晶は唖然として立ちすくみ、もう一度カードを確認する。そして眼を大きく見開いてご主人様に飛びついた。


「ありがとうございます! ご主人様!」

「うわわっ! まって! あきら、ちょっとまってってば!」


 いつの間にこんなものを。常日頃二十四時間ずっと側にいたと思っていたのに。

 でも、やっぱり私は運が悪いなぁ。もし、私も今日が誕生日なら、同じものを貰えていただろうに。晶が羨ましい。

 後ろでは、アヤ姉が「ハルくん凄い! 超イケメン!」などと言って感動を隠しきれないできた。


「はいこれ。みおにもあげるよ」

「……え?」


 晶の前にいたはずのご主人様が、いつの間にか私の前にいた。そしてその手には、晶と同じカードが握られている。


「はい、どうぞ」

「……でも、私は、まだ誕生日じゃ……」


 私が受け取るのを戸惑っていると、ご主人様は私の手を握る。すると、ぽん、とカードを私の手の中に置いた。


「これね、今日のかんげいかいのために書いたものなんだ。びっくりさせようと思って、昨日まで隠れて書いてたんだけど、今日があきらのお誕生日だって聞いたから、ようちえんで慌ててここに書いたんだ。そしたら、帰ってから渡すのが我慢できなくなっちゃって……。だから、今あげるね!」


 私は嬉しさのあまり声がでず、ゆっくりと二つ折りのカードを開けた。


『うちへようこそ ねこみやみおちゃん これからよろしくおねがいします』


 凄く、気持ちの込もった文字だった。大好きな人からのプレゼントがこんなに嬉しいなんて。

 ああ、そうか。これが『恋』なんだ――――


 しかしそこで、なんと運の悪いことだろうか。冷たい風が吹き荒れ、私の手元からご主人様からもらったカードを攫って行ってしまった。


「あっ……」

「まってて、僕が取ってくるから」


 幸い、飛んでしまったカードはひらひらとアスファルトの上に落ちただけなので、ご主人様が取りに行ってくれた。手間を取らせて申し訳ないと思いつつ、心の中は幸せな気持ちでいっぱいだった。


 ―――そんな、私の人生で最大の幸福だと思えたその日が、まさか最大の不幸の日となるとこのときは考えもしなかったのだが。


「危ないっ! ハルくん!!」


 突然、アヤ姉が大声で叫んだ。


「―――え……?」


 声に反応して、カードを拾ってくれたご主人様が振り返る。こちらではなく、アスファルトの上を。

 私達もそこで初めて気づいた。あの人の目線の先。そこあったのは、猛スピードでタイヤを回す大きな鉄の塊だった。


 私は声が出なかった。何より、私は初めて自分の運の悪さを恨んでいた。

 何故、あの時風が吹いた?

 何故、ここで車が通るのか?

 何故、ここに信号が無かったのか?

 いや、そもそも―――

 何故、私が取りに行かなかったのか?


 これは後で聞いた話なのだが、今朝の段階で轢き逃げ事件があったらしい。犯人は警察に追われる内、次々と車を盗んで逃亡し、この時間まで逃げ延びていたそうだ。

 そして何の因果か、今この場で乗っていたのがトラックだったのである。

 きっと、晶はかつての光景を思い出しているだろう。私に語れることは何もないが、あいつの大きく開いた眼を、震える唇を見れば誰だって想像が付くはずだ。


 アヤ姉は咄嗟に手に持っていたケーキの箱を放り投げ、地面を蹴った。

 そしてご主人様を助けようと抱きかかえた、その瞬間――――


 ―――いやああああああああああああッ!!


 それは、忘れたい過去が重なる少女のものか、或いは思わず自分が発したものなのか。

 もしかしたら、どちらも同時に叫んでいたのかもしれない。

 不幸の連続から幸せの絶頂へ。そして希望の星が、再び絶望に堕ちるとき。

 悲痛なまでの少女の叫声が、私の耳に木霊した。



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