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ペット&ライフ  作者: 仮ノ一樹
エピソード0 プロローグ
3/18

第3話 彼の温もり

1月31日 月曜日

――7:52――


 ―――暖かい。人の温もりを感じる。お父さんとお母さんが居なくなってから、この温もりを感じるのはいつぶりだっただろう。


「……ん、んん」

「……ふぁあ」


 朝の光を感じて、私達は目を覚ました。どうやらあれから眠ってしまっていたらしい。

 目を開けると、そこにはあどけない寝顔の男の子の姿があった。

 私はすぐ、眠っている間に全身を使って彼の温もりを感じていた事に気付く。


 ―――ああ、道理で暖かいわけだ。

 

 朝の陽射しやエアコンの温風だけではない。人肌特有の温かみを確かに感じている。

 私は寝転がったまま、彼の寝顔を越えた先に視線を向けた。そこには、私と同じような体制で同じように彼の寝顔を覗く三尾の姿が。


「ねえ、みお。私達、生きてるよね?」

「ん。生きてる」

「助けてもらったんだよね?」

「ん。そう……」

「何だか……何か、あったかいね」

「ん……あったかい」


 私達はもっとその温もりを感じようと、彼の身体に顔をうずめた。

 未だかつて、私達が男の子にここまで密着した経験は無い。元々気の強い性格のつもりでいたから、こんな風に同い年の子と触れあうなんて初めてだ。


 ―――良い匂いがする。男の子の匂いって、こんなに安心するものなのかな?


 それにしても、なんてあどけない顔なんだろう。

 三尾のみたいに黒い髪は私のみたいにボサボサで、幼い故の愛らしい寝顔がゆっくりと息を吸ったり吐いたりしている。

 その呼吸に合わせて私も息をしてみた。人に合わせて呼吸するのは思ったよりも大変で、少しでもずれると相手か自分の息が顔にかかって落ち着かない。逆にちゃんと呼吸を合わせると息がかかるのは同じなのに、お互いが一つの存在になったかのような錯覚に囚われる。その瞬間が何となく快感で、何となく幸せな気分になった。


 このままもう一度眠って、夢の中でこの温もりを堪能しようかな。

 そう思った矢先、眠りの王子さまにも目覚めの時が来てしまったようだ。


「う――ううん……?」


 彼が起き上がることで、温もりが私の身体から離れていく。その行為自体は何らおかしくない普通の行いのはずなのに、何故か私の心に一抹の寂しさを感じさせた。


「ふあ……。おはよう、二人とも……」

「お、おはようざいます……!」

「ん。おはよう、ござい、ます」


 私達は大きなあくびをしながら目を擦る彼に自然と応えていた。それもかなり謙った姿勢で、だ。相手が命の恩人だからというのもあるが、私達の場合は両親が政治家だった事と()()()()のお陰か他人に対してこういう態度を取る癖が自然と身についていたようだ。


「―――えっと、二人とも何してるの?」


 何を、と問われても。こうするとあったかいから、と私達は顔をうずめながら答えた。すると、彼は苦笑いして。


「そ、そうなんだ……。でも、そろそろ離れてもらっていい? 恥ずかしいから父さんに見られたくないんだけど―――」

「おっと、それじゃあここにいるのはマズかったかな?」


 声のする方に顔を上げると、そこには昨夜私達を運んでくれた彼の父親―――晴幸さんの姿が。

 顔やボサボサな髪形、特に目付きは彼とよく似ていて、面影がある。そんな人が、いつの間にかソファの上から私達を覗き込んでいた。


「え……と、父さん!?」

「おはよう。晴樹、晶ちゃん、三尾ちゃん。昨夜はよく眠れたかい?」

「はい……おはようございます。晴幸さん」

「……ます」


 流石に寝たままはまずいと思って、私達も起き上がって挨拶を返した。

 その横では今の惨状を見られていた彼がソファから飛び上がって慌てふためいていた。 


「いいいいつからそこに居たの!?」

「ん? 今起きたばっかりだが?」


 絶対嘘だ、と私達はニヤつく晴幸さんを見て思う。


「さあ、ご飯にしよう。といっても、昨日の内にお米は炊けなかったから、今朝はパンしかないけどね。君達、他に何か食べたいものはあるかい?」

「お、お任せします」

「……ます」

「晴樹は?」

「じゃあ、ソーセージと目玉焼き」

「ソーセージは煮る? 焼く?」

「焼く!」

「よーし、じゃあ目玉焼きと一緒に焼いてやろう。君達もそれで良いかい?」


 私達がコクりと頷くと晴幸さんはキッチンに向かった。冷蔵庫から注文の品を取り出し、棚からフライパンや食器類を出してコンロに火をつける。いや、電気コンロだから火を扱う事は無いらしい。そして焼き加減を見つつ、パンをオーブンで二つずつ焼いていく。見た目の割に結構器用な人だな。もしかして料理できる系?


 しばらくして、キッチンからお肉と卵とパンの焼ける良い匂いが漂ってきた。その匂いに食欲がそそられて、恥ずかしい事に彼の目の前でお腹がぐぅ~という音を鳴らす。


「えへへ。お腹鳴っちゃいました」

「……フフ」


 横で笑う三尾にムッとする私だったが、直後にあいつのお腹からもまるで獣がいるかのような大きな音がした。


「なーんだ。みおの方が大きい音だしてるじゃん」

「……べつに」

「あはははっ!もうちょっとで出来る思うから、まだ待ってようよ」


 頬を赤らめてそっぽを向く三尾を見て、彼が無邪気に笑って見せる。その笑顔に釣られて、私も三尾も気づけば自然と笑っていた。

 その笑い声を聞きつけたのか、上からドタドタと階段を下りる音が聞こえた。次第に音は大きくなり、廊下側からドアを勢いよく開けて、元気な声が彼に向かって放たれた。


「にーちゃん、おっはよーっ!」


 やってきたのは長髪の女の子だった。どう見ても私達より年下で背も小さい。女の子だけど目元や真っ黒な髪は何処と無く彼や晴幸さんに似ている気がする。という事は―――


「ええと、もしかして妹さんですか?」

「ああ、うん。そうだよ。紹介するね。妹の(りょう)だよ」


 彼は妹さんが私達にあいさつするよう促すと、素直にペコリと頭を下げて「初めまして」と言ってくれた。中々のおりこうさんだ。


「で、誰だお前ら!」


 ……前言撤回。初対面の人をいきなりお前と呼ぶ悪い子でした。


「あっ、こら竜! いきなりお前呼ばわりしちゃだめだろ!」


 彼が妹さん――竜さんを叱るが、当の本人は全く反省していないみたいだった。むしろ堂々と胸を張って威張り、上から目線の態度で私達を威圧している。


「あきら、みお、ごめんね。りょうが……」

「い、いえ! 大丈夫ですよ。それよりも元気な妹さんなんですね」

「まあね。実はもう一人いるんだけど……」

「―――ん? 何か聞こえる」


 彼の言葉を遮って、三尾が口を挟んだ。何事かと思って少し耳を澄ませると、確かに何か聞こえてきた。

 ―――これは、子供の泣き声?

 ニ階からだろうか。誰かが大声で泣き喚いている声がここまで届いていていきている。遠音でよく聴こえないが、誰か呼んでいるような気がする。


「うわああ! しまったあっ!」


 その声を聞いた途端、彼は血相を変えて飛び出すと、全速力で二階へ駆け上がった。さっき竜さんが下りてきた時よりもよっぽど大きな音を立てて。


 しばらくすると、今度は打って変わって静かな足取りで階段を下りてきた。しかも足音は二人分で、ゆっくりゆっくり、一段一段を丁寧に降りて来ている。

 そうして廊下から顔を出した彼の足元には、二歳ぐらいでボブヘアの小さな女の子を連れていた。

 部屋に入って来た時、女の子はその小さな手を彼と繋いでいたが、私達を見た瞬間に手を放してあっという間に彼の膝の後ろに隠れてしまった。

 竜さんと比べると顔はあんまり彼と似ていなかったけれど、状況を見れば誰でもわかる。


「その子も妹……?」

「うん、そうだよ、みお。琴音ことねって言うんだ。こいつ甘えん坊でさ、起きた時に僕が居ないと泣き出しちゃう事があって」


 女の子――琴音さんは彼の膝の間からひょっこりと顔を出してこちらをじっと見つめ、急に前に出て私達を指さした。


「ねー、にーた!あっちのねーたとこっちのねーた、だーれー?」

「えーと……まずは、あっちの赤い髪のお姉ちゃんがあきらで、こっちの黒い髪のお姉ちゃんがみおって言うんだ」

「おとーだち?」

「うーん……友達っていうか、新しい家族……かな」


 家族―――家族かぁ!

 その一語に、私は胸を弾ませた。

 そっか、ここで住まわせてもらえるんだもんね。家族って言えなくもないかも。

 もう私の家族は()()()()()()()()と思っていたけど……。そっか、そうなんだ! この人が新しい家族なんだ!

 見れば三尾も同じ気持ちのようだ。ずっと寡黙になっていたあいつもなんだか嬉しそうに微笑んでいる。


「はあー!? おい、にーちゃん! どういうことだよ、それ!?」

「コトもコトも!」


 竜さんが奇声を上げて彼に飛びついた。それを真似して琴音さんも飛びついて二人で彼をもみくちゃにする。


「うわっ! ちょっ、こら! やめなさい! やめて~」


 そんな賑やかな光景を見て、私達は笑いを堪え切れなくなった。ちょっと前まで()()()()()()()()()()()()()()()()()()のが噓みたいだった。

 これからの生活にワクワクしている私達の前に、竜さんが近づいてきて、ビシィッ! と私達に指を突き付けた。


「いいか、あきらとみおってやつら! にーちゃんはアタシのにーちゃんなんだからな!」

「ああっ、こら。初めてなのに呼び捨てしちゃダメでしょ! あと指差さない」

「いーじゃん! にーちゃんも呼び捨てしてるし!」

「そ、そうだけど……」


 言うまでもないが、どうやら妹さん達は彼の事が大好きのようだ。それはそうだろう。なんせお兄ちゃんだもんね。家族なんだもん。大好きになるのが、普通なんだよね……。


 ―――私にもそういう素敵な人がいたらなあ。


「おーい、ご飯できたぞー」

「「「はーい!」」」


 キッチンから放たれる晴幸さんの声に兄妹三人は言葉を返した。

 テーブルには既に皿が並べられ、その上のこんがりと焼かれたパンと卵とソーセージから香ばしい匂いが漂ってくる。

 私達はそれぞれ空いている席に着くと、「いただきます」の掛け声と共に箸を手に持ち、朝食を口に運んだ。


 ―――あ、おいしい。


 っていっても、普通のパンと卵とソーセージを普通に焼いたものを普通に食べているだけだ。だけど、こういう普通の食事が私にはすごく懐かしく感じられた。


 ソーセージはかじるとパリッという音の後に肉汁が溢れ、燻製の風味が口いっぱいに広がる。市販品の味だということはすぐに分かった。

 卵も普通に美味しい。形が少し崩れてるあたり、あまり料理慣れしないらしい。あんなにも手際が良かったのに。ついでに言うと、食卓にはいくつか調味料が置かれているのだが、皆それぞれで違うものをとるあたり、一家の好みは各個人で違うようだ。


 例えば卵で言うと、晴幸さんは醤油、竜さんはソースをかけて、琴音さんはケチャップ派のようだ。ただ、琴音さんに関しては食べ方が汚く、まるで吸血鬼みたいに口の周りに赤いのがべっとり付いている。後処理が大変そうだ。

 そして彼はシンプルに塩コショウ派のようだ。ちょっとかけすぎるぐらいが好みらしい。覚えておこう。


 因みに私と三尾も好みは分かれている。好きに選んでも良いと言われたので、私はケチャップ、三尾はマヨネーズを手に取った。

 パンも同様にイチゴジャム派とバター派、ソーセージにもケチャップ派とマスタード派と別れていた。といっても、パンにバター、ソーセージにマスタードを選んでいたのは、晴幸さんだけだったが。

 

「どう? 美味しいかい?」

「普通ですね」

「ん……普通」

「ありゃりゃ、これは手厳しいな。頑張って作ったんだけどなあ」


 そう言いつつも、黙々と料理を食べる私達を見て、晴幸さんは僅かに頬笑んだ。


「ああ、そうだ晴樹。一つ忘れていたが、本当にこの子達を(うち)で預かるかどうかは、母さんにも話してからな」

「わかってるよ。でも、母さんもきっとわかってくれると思う」


 ―――母さん。そういえば、彼の母親の姿を見かけていない。まだベッドで就寝しているのか、それともここには居ないのだろうか。まさか亡くなっているとか……!? いや、今の会話内容を聞けば、それは無いはずだ。


「あの、お母さんって……」

「まだ会えていない」


 私と三尾は彼に直接訊いたつもりだったのだが、最初に答えてくれたのは晴幸さんだった。


「ああ、そういえば言ってなかったね」

「実は昨日ね、お母さん、赤ちゃん産んだんだ。だから、今は病院にいるんだよ」

「「え……!?」」


 二人は昨晩私達と出会う直前の事を詳細に語った。それによれば、産まれた赤ん坊は“ありさ”というらしく、昨日は半日ほど出産を控える母親に付き合っていたのだとか。

 ということは彼も会わせてこの家には既に四人も子供がいる事になる。私達のような余所者が突然居候だなんて、本当に良いのだろうか。

 そんな思いから急に申し訳なくなって、私も三尾も彼と晴幸さんに顔向けができなくなってしまった。


「どうしたの、二人とも?」


 彼に不意に声を掛けられ、私と三尾の体がびくりと震える。


「あ……その、本当に私達がいて、いいのかなって」

「……不安……」

「大丈夫だよ。父さんは良いって言ってくれたし、母さんもきっと許してくれるよ」


 彼は無邪気に笑い、私達を励ましてくれた。

 ―――ああ、彼のこの人懐っこい笑顔を見ていると、どういうわけか、心の中の傷が癒えていくのがわかる。こんなに心地いいのは産まれて初めての気分だ。一体この気持ちは何なのだろう。


「はい……!」

「……ん!」


 私達は力強く彼に応えた。


「さ、そろそろ皆食べ終わりなさい。朝一番に母さんと新しい妹に逢いに行くぞ」

「「「はーい!」」」



――8:59――


 食事を終えると、私と三尾は率先して皿洗いを受け持った。前の家ではこういう家事をよくやらされていたから、返礼も込めてこれからこの家の家事は私達がやることにしたい。掃除、炊事、洗濯……なんでもござれ、どんとこい、だ。

 流し台まで手が届かなかったので、晴幸さんに台を用意してもらい、その上に立って二人で手分けして作業をしていた。


 ダイニング・キッチンだから、ここからだとリビングの様子がよく見える。お陰で、洗い物をしながらでも、妹の相手をする彼の姿を見ることができた。

 彼らが子供らしく無邪気に遊んでいる姿を見ながら作業に没頭していると、洗い物もいつの間にか終わっていた。まあ、洗うものが少なかった、というのもあるのだが。

 

「晴幸さん、洗い物終わりました」

「……した」

「ありがとう、助かったよ。それじゃあ出かける準備をするから、二人はそこで休んでいなさい」

「はい」

「わかった」


 私達はソファでテレビを見ていた晴幸さんに作業が終わった事を伝えると、身支度の為立ち上がった晴幸さんの席に座った。

 彼や妹さん達も晴幸さんに言われて着替える為に部屋を後にして、しばらく二人だけになった。


「お兄ちゃん……か」


 突然三尾が小さく呟いた。

 兄。それは、三尾にとってかけがえのない存在だったらしい。まあ、私としてはあまり良い印象の無い人だけど、お世話になった人なのも間違いない。とはいえ、家を追い出されてしてしまった今となっては、もう関わる事は無いと思うと、あいつも寂しいのだろう。

 何せ、唯一()()()()()()()なのだから。


 数分後、全員の身支度が整い、私達は六人で外に出る。何も知らない近所の人から見れば、父親が息子一人と娘四人を連れて出かける光景に見える事だろう。

 外に出て初めて認識したが、今朝は昨晩の豪雨が嘘の晴天で今の私の心のように晴れやかだ。

 運ばれたときは気を失っていたから気付けなかったが、家の外観は派手ということも地味という事もない、二階建ての私好みの普通の家だった。近所の家があまり見られず、広々とした敷地がひっそりと街の中に佇んでいるのはちょっと不気味だったけれど。

 車庫には昨日私達を乗せてくれたというバイクの他に、大型の真っ黒なワゴン車がでんと構えていた。人数の関係上、今回はこれに乗るようだ。


 それにしても車も服も髪もついでに三尾も、この家には黒いものが多いなあ。


 ドアを開けると早速私と三尾は後ろの席に座り、その隣に竜さんと琴音さん、運転席には晴幸さんという順番で最後に彼は助手席に座ってしまった。


 全員がシートベルトを締めたのを確認すると、晴幸さんはアクセルを踏んで車を発進。静かなエンジン音と共に若葉家宅を後にした。

 車は窓の外の景色を次々と流しながら道なりに進んで行く。運が良かったのか赤信号に止まる事のないスムーズなドライブだ。

 あんまり気分が良いから、窓から顔を出して直接景色を眺めたくなっちゃうけど、そんな事やったら、危ない! って怒られちゃうかな。


 やがて幾つか角を曲がった先、広い敷地に大きな建物が幾つか立ち並んだ場所が見えてきた。大人達もたくさんいる。その中で晴幸さんが向かう建物の一番上には『聡命大学附属病院』と書かれていた。字が難しくて私には全く読めなかったが、直感的に病院であることは分かった。


「ここ、どこですか?」

「ここはね、大学だよ」

「「だいがく……?」」


 私と三尾はお互い顔を合わせる。

 お父さんや三尾の両親(おじさんとおばさん)から聞いたことはある。大人が通う学校だと。でも、どんな所なのかは知らないし、そもそも学校に通った事がない。だってまだ六歳だし。これから小学生になろうという歳だ。まあ、今までそれすら怪しかった生活を強いられていたわけだが。

 でも、学校なのに病院があるとは驚きだった。やっぱりここに彼の母親と産まれたばかりの赤ちゃんがいるという事なのだろう。


「実は僕と日和―――晴樹のお母さんはこの大学でお仕事をしているんだ。だから、ここの附属病院で入院したほうが、何かと都合が良くてね」


 お仕事……? ってどんな?

 私が興味本位で訊いてみると、彼が助手席から身を乗り出して答えてくれた


「父さんと母さんはね、ここで“きょうじゅ”をやってるんだ。すごいでしょ!」

「……? “きょうじゅ”って、何ですか?」

「え、えーと……」


 ふふん! と鼻を高く上げる彼だったが、晴幸さんの職業についてどう説明していいかわからず、ちらりと本人に眼を向けた。

 すると晴幸さんは、しょうがないなあ、という顔をして私達に“きょうじゅ”について教えてくれた。


 それによれば、“きょうじゅ”もとい教授は大学の先生の事らしい。なんでも、ここで先生をしながらいろんな生物(いきもの)の研究をしているとか。詳しい事は今の私にはよくわからなかったけど、とりあえずそこだけは理解できた。

 運転しながらの説明だったのだけれど、それがいつの間にか晴幸さんの自分語りに発展して。


「僕はここの卒業生でね。学生時代は、そりゃあ色んな生物の事を調べたさ。哺乳類、鳥類、魚類、爬虫類、両生類、昆虫や甲殻類に植物とか、その生態や能力、骨格、食性、適応環境その他。あっ、そうそう。化石や地層の年代を調査したりして、古生物学の論文を出したっけ、懐かしいなあ。それから―――」


 な、長い……。いや、実際は病院の駐車場に着くまでのほんの数分程度の長話だったのだが、ものすごいスピードでとんでもない情報量をあまりにもペラペラと喋り続けるため、三十分は話を聞いているような気分だった。


「さあ、着いたよ」


 建物をぐるりと一周し、病院の裏側にあった駐車場で車が駐まる。レバーを引いてドアを開け、他の車に注意しつつ外に出るとその足で病院の中に向かった。

 ガラス張りの自動ドアの先、最初に目についたのは広いエントランスだ。反射する照明の光が眩しいくらいに真っ白な壁と天井は綺麗に整備されて清潔感がある。入ってすぐ正面には受付のカウンターと幾つも並んだ椅子があって、若い人からお年寄りの人まで、色んな人たちが立ったり座ったり。当然看護師さんも何人か見かけたけど、学生っぽい人も見かけて、病院といってもここが学校である事を認識させられた。


 晴幸さんは真っ直ぐ歩いて受付へ向かうと、ものの数秒で済ませて私達を連れてエレベーターに乗り込み、「3」と書かれたボタンを押した。

 ぐおん、という鈍い音の後、これまた数秒で三階まで辿り着く。その時、エレベーターが止まった衝撃で足元がふらつき、彼とぶつかりそうになってしまった。


「きゃっ!」

「うわっ! ……と。大丈夫? あきら」


 だが彼は倒れこむ私を優しく受け止めてくれて、お陰でまたあの温もりに触れる事ができた。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる反面、心の隅では幸福感が私の中を満たしてくれていた。

 だけど隣では三尾が顔を膨らませていたのが見えたけど、何でだろう……? 後で聞いてみようかな。


「ふむ。特に問題は無さそうに見えたが、昨日の今日で病み上がりみたいなものだからな。まあ、ここは病院だ。後で僕の方から二人とも診て貰えるよう頼んでおくとしよう」


 晴幸さんは彼に倒れこむ私を見て、そう言ってくれた。心の底から、感謝の気持ちが沸き上がってきた。


 ―――本当に、良い人達だ……。


 ドアが開くと、直ぐに真っ白な廊下が顔を出す。看護師さんや他の患者さんを素通りする中、ようやく目的地にたどり着いたようだ。

 がらがらと音を立てて病室のドアを開けると、そこにはカーテンを開けて窓を見つめながら、赤子を包むように抱きあげる女の人がいた。長い髪を降ろした、とっても綺麗な顔の、とっても美人な人。

 窓から差し込む日の光に照らされて、美人の顔がさらに輝きを増す。今まで見てきた大人の中でこれほどまでに眩しい人は見たことがなかった。


「まあ、晴幸さん。晴樹と竜と琴音もいらっしゃい。……あら、貴女達は?」


 女の人――彼の母親は、若葉家と当然のように病室に入る私達に気付くと、晴幸さんに私達の存在について尋ねた。

 それはそうだろう。なんせ、見知っているはずの家族の中に、知らない子供が異物のように混じっていたら、誰でも違和感を抱くというものだ。


「は、はじめまして! 犬飼晶、ですっ」

「猫宮三尾、です……」


 とりあえず自己紹介をする私達だったが、彼の母親は以前首を傾げたままだった。


「実は、昨晩帰りにこんなことが―――」


 晴幸さんは昨晩私達を拾ってくれた経緯を懇切丁寧に説明してくれた。初めは笑顔で話しを聴いてくれていたのが、そのうちに次第にその表情を曇らせていった。


「そう。貴女達、お家を出てきたのね。大変だったでしょう?」


 コクりと私達は頷いた。すると彼の母親は眠っている赤ちゃんをベッドに戻し、身体を起こして大きく腕を広げた。


「私は若葉わかば日和ひよりって言います。よろしくね」


 彼の母親――日和さんは私と三尾を胸の中でぎゅっと抱きしめた。

 優しい。とても優しい。大好きなお母さんの抱擁。

 もう、こんな風に抱きしめてもらう事も無いと思っていたのに。こんなに暖かかったっけ。

 でも、不思議な事に彼の温もりの方がもっと暖かいような気がして、何となく物足りなかった。何でだろう、と疑問に思っていると。


「ねえ、晴幸さん。この子達、これからどうするの?」

「ああ、その事なんだけど、この子達は家で面倒を見ようと思うんだ」

「ええっ!? 事情を説明して、警察に引き取ってもらった方が良いんじゃ……」


 やっぱり、ダメなのだろうか……。幾らこの家族が優しい人達ばかりといっても、子供を六人も育てるのは相当の負担になる。余所者は余所者らしく、お礼は必ずしてから去るべきなのだろう。


「僕もそう思ったんだけど、実はね―――」


 晴幸さんが何やらヒソヒソと日和さんの耳元で話し出した。上手くは聞き取れなっかたが、こんな風に話していた。


(ミオちゃんの…………は間違いなく…………だ。しかも、…………………ている………がある)

(ええっ!? じゃあ、なおさら―――)

(相手は……………だぞ。増して…………てる以上………なんて……に…………せる。………ば逆に………だの………られて………るだろう。………は兎も角、………を………むような……けるべきだ)

(そう、なのね……)

(それに、理由はもう一つある)

(……?)

(どうやら……は……に………したみたいなんだ)

「まあまあまあっ!」


 突然日和さんが大声を出すので、私達五人はビクリと身体を震わせ、赤ちゃんも泣き出してしまった。


「あらら、ごめんね。急に大声出したらびっくりしちゃうわよね」


 日和さんは赤ちゃんを抱きあげると、よしよしとあやした。すると、途端に泣き止んでまた眠りにつく。


「貴方達もごめんね。びっくりさせちゃって」

「いえっそんな事は」

「……何話してた?」

「貴女達二人を私達の家族として迎えようかどうしようか。そういう話よ」


 眩しいくらいの笑顔が私達を照らす。名前の通り、太陽のような優しく温かい笑顔だ。

 だけど、それでもやはり不安はある。本当に行き場のない私達を受け入れてくれるのか? 本当に幸せになれるのか? 本当にもうあんな目に合わなくて済むのだろか?

 これまでの経験から、呼び起こされる不安と恐怖。しかしそれも直ぐにただの杞憂であったことが発覚する。

 

「「あの……私達―――」」

「もちろん、歓迎するわ」


 重なる私と三尾の声を遮って放たれたのはその一言だった。その一言で、それまでの不安が一気に解消された。


「―――よかったね。二人とも!」

「はい……!」

「ん……!」


 彼も私も三尾も、心から若葉家への加入を喜んだ。これで、あの生活から本当に開放された!もう、毎日を苦しむ必要はなくなったんだ。


 ―――この人と、一緒に居られるんだ!


「ただし、それには条件が一つあります」


 わーい、わーい、と彼と手を取り合って喜びあっていると、日和さんは右手の指を一本立てて言った。


「貴女達の過去を教えて。これでも私はお医者さんなのよ。何か力になれるかもしれない。だから、その傷を負った訳を話して下さい。それが条件です」


 私達の過去……。

 嫌で、辛くて、怖くて、寂しくて、苦しくて、悲しくて、痛くて、絶望しかなかった昨日までのあの日々。

 それを、語れと言うのか。思い出したくないのに。思い返したくないのに。考えたくもないのに。関わりたくもないのに。

 でも、きっとこれはいつかは知ってもらわなくちゃいけないんだろう。

 これから一緒に暮らす上で、いつかは語らなくてはならない。これを話さなかったら、きっと彼らは私達というものを理解してくれない。例え理解しようとしても、傷を拭おうとしても、原因がわからなかったら対処のしようがない。何も解ってもらえない。

 私はそう悟った。

 三尾がこちらを見る。どうするのか? と尋ねているようだった。

 迷う必要は無かった。隠す必要も無いと思った。ならば、選ぶ道は一つ―――


「わかりました。お話しします。昨日までの事、全部――――」

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