第12話 好きと屋台と夏の花
8月14日 金曜日
――P.M.17:00――
八月。お盆を迎え、夏休みももうすぐ後半戦に差し掛かる。秋の訪れと後期の始業式が近づくことを惜しみつつ、やらずにいた宿題がほんの少しだけ気になってくる時期だ。
尤も、夏休みの宿題なんてものは早い内にさっさと終わらせてしまえば何を恐れることもない。
無論、私たちは既に終わらせている。あの海水浴の日の後、私と晶とご主人様は、一週間掛けて課題に取り組んだからだ。
私や晶は兎も角、ご主人様は中々に苦労していたが、それでもなんとか追いつこうと奮闘していた姿は記憶に新しい。何より、あの直向きさが私は好きだ。あの人も努力家なのだから、もう少し自分に自信を持って欲しいと思う反面、それきり私を頼ってくれなくなるのは困る自分もいる。そんなことを思う私は欲張りなのだろうか。
兎にも角にも、お陰でなんのしがらみもない夏休みを過ごし、八月に入った二週目を迎えた。ついに、この日がやってきたのだ。
―――カツ、カツ、カツ。
軽快な足取りで下駄を鳴らし、前を行くあの人の背中を眺めながら、私は日暮れの街を歩いていた。
見れば、周りには浴衣や甚平に見を包む大人や、元気にはしゃぐ子供たちばかりで、このまま真っ直ぐ前に進んだところには、沢山の屋台がずらりと並んでいた。
「それで、どこまで回りたい?」
「うーん……ハルキくんとなら、どこでも」
「ど、どこでもかぁ」
ご主人様は目を細めて、それが一番困るよなぁ、という顔をする。ふふ、少し意地悪だっただろうか。でも、事実その通りなのだから仕方ない。
晶に聞いても、帰ってくる答えは同じ。というか、あいつの場合本心の本心から言っているから私より性質が悪いかもしれない。
はあ、と溜め息をついたご主人様は、観念して前を向くと歩みを進めた。
「それじゃ、まずは一通り回ってみるか」
「はーい」
「ん」
夏祭り。海と水着と肝試しに並ぶ夏の行事の象徴。特に花火大会込みのものは、夏といえばの話題で五本の指に入るビッグイベントだ。
まあ、ぶっちゃけて言えば、私にはお祭りも花火もどうでも良いのだが。重要なのは、今日が八月十四日だということのみである。
八月十四日。思い出したくない記憶を辿れば、十六年前のこの日、私は生まれたのだという。そうだ、何を隠そう、今日は私の誕生日なのだ。
「ねえ、ハルキくん」
「うん? どうした三尾」
「まだ、何も言ってくれてない」
「……なんの話カナ?」
「浴衣」
特別な日だから、いつもは晶の手前、控えめにしていた気持ちを外に出して、私もちょっとだけ積極的になる。
「あ、ああ。えっと……かわいい、よ?」
「むっ。もっと具体的に」
「え、ええ……!?」
私はぷくりと頬を膨らまし、あざとい顔を見せつけながら彼に迫り寄った。
するとご主人様は、困ったような顔をして、いつになく積極的な私を前に、掌で顔面を覆った。よく見ると、指と指の間が赤くなっている。
折角の夏祭りなのだから、浴衣を着るのは当然だ。しかも、これは今日のために買った新品である。私のはネコの絵がいくつも描かれた紺色のもの。晶のはイヌが描かれた橙色のものだ。
ん。まあ今夜限りの勝負服という所だ。尤も、これを期に唾を付けようというつもりもない。
飽くまで、このデートは今年の私への誕生日プレゼントだ。さしずめ、お祭りの最後にある花火大会はケーキの上の蝋燭の代わりというところか。時間切れのその時まで、この一時を堪能したいと思う。
ちなみに、ご主人様は凛々しい甚平姿ではなくて、普段の外着を着用している。着付けができないからと言われて、じゃあ私達がやってあげようと提案したのだが、「変なことされそうだからやだ」と断られてしまった。残念。
普段だったらこうしてご主人様とイチャついていると晶が突っかかってくるのだが、今日ばかりはあいつも大人しくしてくれている。ただ、澄ました顔をしてはいるものの、あの様子では心の中ではハンカチを噛んでいるに違いない。ムッスリとした顔でずっと黙りこけているのがその証拠だ。
なお、晴幸さんと日和さんはお仕事に、琴音さんと姐さんは気が乗らないということで、家で留守番をしてもらっている。というよりも、何だか気を使ってくれた様だったので、後日の食事は二人の好きなものを作ってあげよう。
そして、愛理沙さんもまた留守番だ。実は彼女はあれで中々外に出ようとしない。先日の海水浴は「家族皆で」であったからであり、半ば強制的に外に出ざるを得ない状況でもあった。つまり、少し言い方は悪くなるが、あの歳で既に引きこもりの気質が現れ始めているのである。まだ外に慣れていない、とも言えるのだろうか。きっと、今も本を読み漁っていることだろう。無論、それはそれで今日の私にとっては好都合ではあるのだが。
ふとご主人様の方に視線を戻すと、顔を手で隠したまま必死で考えるあの人を見て私はふふ、と笑った。
その表情だけで、私は満足だ。まあ、欲を言えばもっと褒めて欲しい所だが、ここで勘弁してあげることにする。
その旨をご主人様に伝えると、ほっと安堵するのと共に、からかったことに怒ったのか、それとも褒め言葉が出てこなかったことを悔やんだのか、どちらとも取れる表情を浮かべてこっちを見た。うん、ちょっと意地悪だったかもしれない。
とはいえこのまま歩いているだけでは芸が無い。何処か良い屋台は無いだろうか。
リンゴ飴、綿飴、かき氷。クレープ、カステラ、チョコバナナ。からあげ、焼きそば、タイ焼き、イカ焼き、タコ焼き……と。食べ物の屋台は当たり前のように充実している。
夕食は食べてきたし、ご主人様も私も、特にお腹が空いている訳でもないから、食べたいものは思いつかない。
あとは……輪投げ、キンギョすくい、水風船、サメ釣りに―――射的、か。うん? あれは……。
射的の景品を見てみると、お菓子やぬいぐるみ、ゲームソフトといった品々が並ぶ赤い布で覆われたベニヤ板の三段目。そこには縦長で紫色の箱が置いてある。中にはキツネの仮面を被ったキャラクターフィギュアが入っていた。
「あ、あれは……」
―――ピキーン。と私と晶の脳裏に稲妻が走った。
あれはご主人様が毎週欠かさず見ている特撮作品『仮面の陰陽師 イナリ』の主人公を象ったフィギュアだ。
稼働あり、仮面は着脱可能、武器付属のアクションフィギュアだが、近年は造形力の上昇や作品の人気と売れ行きも相まってフィギュア自体の値段も高くなっており、ネット予約や受注販売が主流な上に即刻完売したというケースも多い。しかも、パッケージを見る限り、初回生産限定エフェクトパーツ付きのプレミア品だ。ファンなら是非押さえておきたい逸品だろう。
……ふむ。さて、それじゃあ、かっこよく状況開始と行く。
「おじさん、とりあえず一回良いかしら?」
「ん。まずはルールを聞きたい」
一回五百円。弾は三発。ルールを聞く限り、倒すだけではなく、下まで落とさなきゃいけないタイプだ。この手のものは、前ではなく後ろに落とさないと駄目らしい。
周り並んでいる安っぽいお菓子と違って、フィギュアの場合は重さがあるし、加えて店主が損をしないために、落ちにくいよう細工をしている可能性がある。まずは、そこを確かめてみる必要があるか。
私と晶は持っていた巾着から財布を取り出して、手始めに五百円玉を一枚、屋台のカウンターに差し出した。
中年の男性店主が小銭を受け取ると、玩具の銃とコルク弾三つに交換する。こういう射的屋の銃というとライフル型になってしまうが、個人的には回転式拳銃の方が好みだな。西部劇とかでよくあるが、シリンダーをずらして弾を込める仕草にはロマンがある。
こう見えて、私は射的が大の得意だ。兄さんがエアガンやモデルガンを持っていたから、小さい頃は親に隠れてよく触らせてもらって―――いや、そんな事実はもう忘れたことだった。
ともあれ、いつの間に身にかついた射的の技術だ。今だって、趣味でモデルガンを購入したり、高校のライフル部やアーチェリー部に参加したこともある。まあ、流石に銃と弓では感覚に大きな違いがあったが、それなりに技術は活かせた覚えがある。
その経験を活かして、今度はあのフィギュアを見事射ち落として見せよう。
「どっちから撃つ?」
「じゃ、まずは私から試してみよっか」
「ん。わかった」
晶がコルク弾を銃口に押し込む。中に空気が入らないよう、丁寧にかつ乱暴に。そして弾の威力をなるべく減衰させないように、できる限り身を乗り出す。
後はフィギュアの箱に狙いを定めて、トリガーを引くだけだ。
コルク弾が圧力によって押し出され、銃口から発射。箱の上部に命中した。
これで落ちるなり倒れるなりしてくれればよかったのだが、やはりそう簡単にはいかないか。
だが、今ので少しだけ後ろに傾くのを見逃す私達でもない。ふむ……。残りの五発だけでも十分そうだ。
さて。試し撃ちは終わった。欲を言えば、私もやっておきたかったが、晶であれなら、まあ私も上手くやれるだろう。残弾数は少ない。一つの撃ち漏らしも許されない。上等だ。
私達は互いに顔を見合わせて頷き合い、あいつが弾を装填している間に私は銃を構えた。
フィギュア本体の重さに対して、コルク弾の少ない力でもあれを落とせる可能性のある箇所。そこを正確に狙い撃つ。所謂、てこの原理というやつだ。
――――ポンポン。ポン、ポン。ポン。
正確な射撃。我ながら恐ろしく早い再装填。晶とのコンビネーション。それら全てが合わさり、見事フィギュアは討ち取られたり。
まず最初に打った一発。私のコルク弾が箱の右上の角に当たり、箱が少しだけ後方に退くと、間髪入れずに晶の弾がそれを後押しする。
フィギュアを入れた箱は更に後ろに傾くも、このまま倒れては店主に戻されてしまうのがオチだろう。
それを許すまいと追随する私の二発目、晶の三発目。そして私の三発目がトドメとなった。
私と晶は勝利を祝ってハイタッチをする。
店主も、周囲の客も、そしてご主人様も。何が起こったのか分からずに皆が唖然とし、やがてハッと正気に戻った店主が口を開いた。
「え、え~っと。ふ、二人で協力するのは、ルール違反なので……」
はあ。と私達は溜め息を吐く。やっぱりそう来たか、と。もちろん言い訳は用意してある。いや、謙遜はしなくていい。これは純然たる事実なのだから。
「はあ? 協力ぅ? なにそれ。私達、景品取り合ってただけなんだけど」
「へ?」
「だーかーら。私とこいつは、あのフィギュアを取り合ってただけだって言ってんの」
「そ。別に互いに協力しているつもりなんて全くなかった。同じ的を狙っていたら、偶々そういう風に見えただけ」
「え、ええ……」
敢えて目立つ声で発言し、堂々と主張することで人目を集める。これでは、店主も下手なことはできまい。というより、金を払っているのだから、こちらの正当性を主張するのは当然の権利だろう。
「で、景品くれるの? くれないの?」
大人げない店主はついに観念したのか、まるで玩具を取り上げられる子供の様な顔をして、しぶしぶ景品を手渡した。
そんなに獲られたくないなら、初めから景品にしなければよかったのに。これだから、金に目がない大人は嫌いだ。
「ん。はい、あげる」
「え? あ、えっと。ありがとう?」
「ん……? 違った? 他に欲しいのがあった?」
「い、いや。そんなことないよ。めっちゃ欲しかったよ? 予約間に合わなかったし、そもそもお小遣い足りなかったし……」
「そ。よかった」
人集りを潜り抜けて店から離れると、私は獲った景品を、渾身の上目遣いでご主人様に手渡した。ふふ、隣では晶がギリギリと歯ぎしりをしている。普段、この優越感は中々味わえないものだ。しっかりと噛み締めておこう。
「でもさ、普通逆じゃない? ここで、僕がぬいぐるみなりなんなりを撃ち落として、見事景品ゲット&プレゼントする流れじゃないかな。なんで、こっちが貰われる側になってるんだろう」
「むっ。細かいことは気にしなくて良い。もちろん、ハルキくんからプレゼントしてくれるのは嬉しいけど、私はあなたに喜んでもらえる方が嬉しい」
「そ、そうか? まあ、三尾がそれで良いなら良いけど……」
それに、プレゼントならもう貰っている様なものだ。こうして一緒にいるだけの方が、どんな品物よりも価値がある。無論、それは晶も同じだ。
今日は私の誕生日なのだ。普段はあいつがベタベタしている分だけ、今日の私は欲深い。さて、次はどこへ行こうか―――そう、胸を弾ませたその時である。
「お~い! わーかーばーさーん!」
すれ違う人混みの中から、彼を呼ぶ声が聞こえた。このほほんとして、気の抜ける声には聞き覚えがある。
「あれ、牧野さん?」
「わあ! やっぱり、若葉さんでした~。お久しぶりです~」
「う、うん。お久しぶりで」
むぅ。ここで思わぬ障害。憎きは巨大なる胸部装甲を備えた怪物の出没である。ところで、前より距離が近くなっているような気がするのだが?
「ちょ、ちょっと舞桜。こんなとこで走んないでよ。逸れたら面倒なんだから……!」
「ぜぇ……ぜぇ……。人混み……コワイ……」
後から、人混みの隙間を掻き分けて、未來と沙耶が追いかけてきた。よっぽど揉まれてきたのか、息が絶え絶えである。もうすっかり見慣れてしまった三人組だが、よりにもよってお前らか、と私は心の中で呟いた。
「伊野井さんに、風羽さんも? ばったり合うなんて、また奇遇だね?」
「奇遇っていうか、そりゃかあんだけ目立てばね」
「ねー」
むぅ。あの射的屋の人集りに紛れていたのか。少し目立ち過ぎただろうか。ああ、自ら厄介事を呼び込むなんて、今日どういう日になんて運の悪い。
「で、晶と三尾はいつも通り付き添い?」
「なんか妙に含みがある気がするけど……。まあ、いいや。今日は違うよ、伊野井さん。どっちかっていうと、実は僕の方が付き添いなんだ」
「マジ!? これまた意外―――あ、もしかしてそういう感じ?」
ほほう。未來はどうやら勘が良いらしい。私と晶にちらちらと視線を移したあと、ふーんと言葉を残し、その後は空気を読んでそれ以上の追求はしなかった。
それよりも、舞桜が妙に嬉しそうなのが気になる。まあ、普段から呑気な人物ではあるが。それにしてはテンションが上がっているようにも見える。
祭の屋台には舞桜の好きそうなスイーツの類も幾つかある。思うに、それらに舞い上がってるのだろう。
「あれ? 晶ちゃんと三尾ちゃん、それもしかして浴衣? かっわいい~」
「へえ、沙耶にしては、いいとこ気付くじゃん?」
「むむっ、私にしてはってなにさー!」
「こら晶。そうやってすぐ喧嘩吹っ掛けない」
「はぁーい」
そう言う沙耶たちの衣服は浴衣ではなくどうやら普段着のようだ。未來と沙耶は活動的で夏らしい薄着で、舞桜は清楚な長めのスカートスタイル。三人の個性が出ているが、一人だけ明らかに上半身の主張が激しい。非常に憎たらしい肉塊だ。
「ところで、若葉さんはお祭り楽しんでますか~?」
「そりゃ、もちろん。と言っても、まだ来たばかりだけど」
「でしたらでしたら! せっかくですし、このまま一緒にお屋台を回りませんか~?」
「うーん……それは、どうかなぁ」
「あれ……? 駄目なんですか~?」
「まあ、僕は全然構わないんだけども……」
腕を組んで考え込むご主人様が、ちらりとこっちに視線を寄越した。
もちろん、許可するわけがない。今日の私は欲深くと決めたのだ。元より二人っきりというわけでもなかったのだから、これ以上邪魔が増えては堪ったものではない。
なので、私はふるふると首を左右に振った。
「というわけなんだ、牧野さん。実は今日、三尾の誕生日でさ」
「え! 三尾ちゃん、今日が誕生日だったの!? おめでとう~!」
沙耶が無邪気に手を鳴らして祝ってくれる。ん、これは素直に祝われるとする。
「だから、今日は一日三尾には特別付き合うって約束なんだ。誘ってくれるのは嬉しいけど、それはまたの機会でも良いかな」
「ふ~ん、なるほどね、道理で。相変わらずお熱いのね」
「伊野井さん、そういう言い方はしなくていいからね?」
未來が呆れ気味に言うので、私はふふんと鼻を高くした。
「ほら、舞桜。邪魔しちゃ悪いから行くわよ」
「ええ~。でも、お誕生日ならみんなでお祝いしましょう? その方がきっと楽しいですよ~?」
「それはまあ、そうだけど。今日ばっかりはなあ……って近いよ牧野さん!?」
あろうことか、舞桜は懇願と同時にご主人様の手を握って、彼に急接近する。そして、無自覚にその胸の凶器を彼に押し付けていた。
「ちょっ……!?」
「「オイちょっと待てぇッ!!」」
これには私も晶も大憤激。異物を排除せんと、私たちは舞桜の脇を掴んで羽交い締めにし、全力でご主人様から引き剥がす。
「え? え? どうしても駄目なんですか~?!」
「あったり前でしょうが! あんたみたいなのが側にいたら、こっちが霞むわ!」
「なんの話ですか~!?」
敢えて口には出さないが、正直察してほしいものである。これが、持てる者と持たざるものの差なのだろうか。やはり神は不公平だと言わざるを得ない。ちらりと彼を見ると、狼狽えるその顔は赤面していた。
しかし、相変わらず馬鹿みたいに力が強い。油断すると、こっちが弾き飛ばされてしまいそうだ……!
「も~! お二人共、やめてください~!」
「嫌よ! これ以上あんたをごしゅ……ハルキくんに近づかせて堪るかっての!」
「ん。抵抗しても無駄。素直にお縄に頂戴するべし」
「ええっ!? 私、何も悪いことはしていませんよ~!」
くそっ。これだから、自覚が無いのは困る。無駄にボリューミーなその身体が悪いと何故解らないのか。私だって、せめてもう一回りくらいあっても……。
「はい、二人共そこまで」
「はうっ!?」
「あうっ!?」
ストンッ、と一発。ご主人様のチョップが私と晶の頭頂部に降った。
「む、むむぅ……」
「うえーん。なんでですか~。ハルキく~ん」
「こんな道のど真ん中で暴れるんじゃない。ほら、他の人の迷惑になるだろ。せめて場所変えるぞ」
うーん、正論。まったくもってご主人様が正しい。私も少し冷静さを欠いていたことを認める。頭を抱えて反省。ただ、どちらかというと、非は舞桜の方にあると主張したい。
「ごめんよ、牧野さん。ただ、二人も悪気があったわけじゃないからさ」
「大丈夫ですよ~。ちょっと、びっくりはしましたけど。でも、あんな事して良かったんですか~?」
「良いよ、いつもの事だから。二人はよく喧嘩するからね。度が過ぎそうな時は、こうしていつも諌めてるんだ」
ご主人様は、しゅっ、しゅっ、と手刀を上下に振る。
「あはっ、いいねぇ。うちも今度、下の姉弟が喧嘩してたらそうしようかな」
「ああ、そういえば、前言ってた弟くんよりも下の子がいるんだっけ? 良かったら聞かせてよ」
「いやぁ~、それがね、もうやんちゃなのなんのってさあ」
「なんで沙耶が自慢げに語ってんの」
あれ。あれれ。どうしてあっちだけで会話が盛り上がってしまうんだ。
私と晶は頭を抱えたまま、少しの間彼の後ろを歩くことしかできなかった。
――P.M.17:52――
―――で、結局そのまま、流れるままの成り行きで三人組が同行することになってしまった。どうしてこうなった。
とりあえず、花火大会が始まるまで、特に目的もなく放浪していたが、途中、舞桜がリンゴ飴やみたらし団子の屋台なんかにも寄っていった。そんなに食べると太るぞ。いや、だからそこ脂肪が胸に集中しているのだろうか。
むぅ。こいつらの所為で、折角のデートが台無しだ。ここの祭りは毎年開催祭されるが、今年は誕生日と祭りの日が重なって、特に楽しみにしていたのに。私だって、偶にはご主人様に目一杯甘えられる機会が欲しい。
とはいえ、私もご主人様がクラスメイトと仲良くして欲しくないわけじゃない。晶から聞いたが、ご主人様に友人が少ないのは、私たちにも原因があると知った。正直ショックだったが、言われてみれば思い当たる節はある。
人脈は大事だ。広ければ広いほど必要な時に便利だと、アヤ姉も言っていた。まあ、金持ちで高飛車なお嬢様は勘弁願いたいが。
しかし、それはそれ。これはこれだ。兎にも角にも、せめて今日だけは、私の事だけを見ていて欲しいものだ。
―――はあ。全く、私の運の悪さにはつくづくうんざりする。
「うん? 三尾、なんか言ったか?」
「いや、別に」
心の声が漏れていたのだろうか。私は照れ隠しも交えながら、ちょっと拗ねたように、ぷい、とご主人様から顔を背けた。とても、今は顔を見て話せそうにない。
「そういえば、晶さんと三尾さんって、どんな経緯で養子入りしたんですか~?」
「え、今それ聞くの?」
「はい~。お二人の昔の話も聞きたいな~って。ほら、前に聞いたときは、まだ初対面でしたから。お友達のことは、色々と知りたいですし~」
聞き返したのは晶だった。そういえば、確かに話したことはなかったか。屋台巡り道中の話題作りとはいえ、踏み込んでくるものだ。
「牧野さん、それは……」
「大丈夫ですよ、ハルキくん。別に隠してるつもりもないですから。三尾も良いわよね?」
「ん。問題無い」
私も、晶の考えに依存は無い。良いじゃないか。これは私達とご主人様の出会いの物語だ。精々、ロマンチックに語ってやるとしよう。
「ありがとうございます~! あ、その前にクレープ買ってきますね~」
「えっ。舞桜ちゃんまだ食べるの? ダイエットは? この前悲鳴上げてなかった?」
「し~! も~、沙耶さん! それはし~ですよっ!」
「……はあ。うちのマイペース共が迷惑かけてごめんね」
「その苦労、なんか俺も解る気がする」
なんて言って、ご主人様はまるで困った姉妹でも見るような未來に同調して、うんうんと首を振った。そして、クレープと綿飴を仕入れてきた舞桜と沙耶が戻ってくると、私と晶は悠々とあの頃の事を語ったのだ。
まず、晶の両親が突然亡くなり、私の家にやってきたことから話した。あの頃は、子供ながらにはしゃいだものだ。今にして思えば不謹慎な話だが、昔から仲の良かった晶と一緒に暮らせると思うと、素直に嬉しかったのを覚えている。……反面、よくない想像も脳裏を過っていたが。
私の両親はクズ中のクズだった。下衆よりも下衆で、愛情も人情もない。娘である私ですら、長い間虐げられていたのだ。それなのに、楽しみを求めたのが間違いだったのだろう。結局、晶も毒親たちに迫害されて、毎日の様に虐められたのだ。これが三年間も続いた。こうして振り返ると、存外短い間だったように思う。
ここまでは、聞いていてもきっとつまらないだろう。正直、話している私達ですら、うんざりするくらいどうでもいい話なのだし。
だが面白いのはここからだ。家を追い出されて、路頭に迷い、雨の中で死にかけた先で差し伸べられる手があった。
ご主人様だ。傷ついた私たちを彼が看病してくれた。このあとの事は幾つかうろ覚えなのだが、翌日起きると、その隣にはこれから大好きになる温もりがあって―――
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って。重い、重くない? 想像の十倍くらい重い内容だったんだけど!?」
「何よ未來。人が思い出に浸ってるときに邪魔して」
「いや、しんどいわ。え、それ本当に思い出話?! 闇深深くない? 実は作り話だったりしないのそれ?」
「……? 実話だけど?」
「ん。正に感動的ドキュメンタリー」
「ねーわ! マジねーわ! どう考えても人に話せる内容じゃないでしょ!? アンタ達、何でそんな壮絶な過去を淡々と笑顔で語れるわけ?! ちょっとほら、あの二人を見てみなさいよ」
未來が舞桜と沙耶を指差したので、視線を動かしてみると、ポカーンとした二人が食べる手も止めて、ただ歩いてる姿があった。
試しに歩みを止めてみると、そのまま二人だけでスタスタと歩いていった。視線も一切動かさず、まるで上半身の時だけが止まっているようだ。
「ちょっ、牧野さん? 風羽さん? しっかり! 気を確かに!」
「「―――ハッ!?」」
ご主人様の呼びかけによって二人は思考と意識を取り戻した。
「え、えーっとぉ~?」
「何か、すごい話を聞いた気がする……」
舞桜と沙耶は、まだ目の焦点が怪しいままに手元のスイーツを口にした。
そして、苦い顔のご主人様に、未來が問いを投げる。
「若葉は今の話、覚えてるの?」
「いや、実を言うと僕は小さい頃の記憶はとても曖昧でさ。二人の話を聞いて、確かにそんな事はあったなっていう感覚はあるんだけど、二人ほど鮮明には思い出せないんだよね。助けた側だっていうのに、ちょっと無責任だよね……」
「そんなことないですよ! ハルキくんが忘れていても、こうして私と三尾がはっきりくっきり覚えてるんですから」
「ん。私と晶は覚えていたいから覚えているだけ。別に、あなたが気負いする必要はない」
「そうは言ってもなぁ。流石に薄情だろ」
本当のことだとも。ご主人様の下に来て、私たちは幸せになれた。だからこそ、あの頃のことははっきりと覚えていられる。私たちにとっての宝物だと言っても良い。
初めて出会った時の感動も、初めて触れた時の温もりも、初めて産まれたこの恋心も。そして当然、あの後に起きた出来事も、全部。覚えている。それで良い。ご主人様が忘れていたとしても、それで、良い。良いんだ。
「あっ! ごしゅ……ハルキくん、ハルキくん、ちょっと見てくださいよ。ほら、これこれ!」
何か面白いものでも見つけたのか、晶がお面屋の方に走っていく。そして、一番隅にあったシンプルなイヌのお面を額に斜めに付けてこちらを振り向いた。
「どうです? これ、可愛くないですか?」
「おおっ! 良いじゃないか、うん。よく似合ってるよ」
「えへへ~。じゃあ、これ買いまーす」
ウッキウキな足取りで。語尾に音符でもつけるように。ご機嫌な晶は会計まで行ってしまった。むむむぅ。ならば、私も同じ手段で気を引くまで。どちらが似合うか、ご主人様に定めてもらおうじゃないか。
「は、ハルキくん。どうかな……?」
幸い、同じところに黒いネコのお面があったので、私はそれを被って、ご主人様に見てもらうことにする。
「ぷっ。あはははは。うん、良いんじゃないか?」
「むむむぅ……」
笑われてしまった。私より晶の方が可愛かったのだろうか。ショックだ。私は狭い視界の中で落胆する。
「でも……ほら、晶とおんなじように、こうした方が可愛いぞ。うん、やっぱり浴衣にはお面だな。後はうちわとか、キンギョの入った袋とか提げてたらそれっぽいかな?」
ご主人様は私のお面をずらして、晶と同じように頭に斜めに掛けた。狭かった視界が開放され、直ぐ目の前に彼の笑顔が現れると、思わず顔が火照ってしまった。うう、これは……。
「ちょっと、ずるい」
「え? 何が?」
「……いや、なんでもない」
照れ隠しで、折角ずらしてもらったお面を被り直しすと、私は会計に向かって晶の後ろに並ぶのであった。
「お、そろそろいい時間だな。そろそろ移動しようか」
ご主人様がスマホの時計を確認すると、時刻は七時を回っていた。花火大会が午後八時から始まり、そこからおよそ一時間程で終了する小さなイベントだ。綺麗な花火を見たいと思うなら、そろそろ動いても良い時間だろう。なんなら、通な人間はもっと早い段階で場所取りをしていてもおかしくはない。
「え~! まだ早いよ~!」
「今から神社行くの? そりゃ、これから混みはするだろうけど、すぐ近くだし、ちょっと早いんじゃない?」
「うーん。まあ確かに、あそこでも見れるからいいんだけど……」
この近くには『蛇ノ目神社』という神社があり、花火を見るのに人気のスポットがある。が、人気過ぎて人が多く、正直私は好まないところだ。折角ご主人様と見るのだから、どうせなら人の居ないところでロマンチックに鑑賞したい。
その意志を汲んでくれたのか、ご主人様は沙耶と未來の言葉に首を横に振った。
「何処か良い場所を知ってるんですか~?」
「うん。少し歩くけど、今からなら間に合うよ」
そう言うと、ご主人様は神社とは逆方向に向かって歩き出した。
ちなみにその神社、なんでも大昔に退治されたという大蛇の目玉を御神体にしているらしく、その伝承から、ヘビの眼によって悪いものを追い払うという意味で、厄除けや開運なんかのご利益があるらしい。他にも、ヘビの長い身体を糸や紐に例えて、縁結びの効果もあるとかないとか。
――P.M.19:47――
「お、ラッキー。誰も居ないじゃん」
ご主人様についていっておよそ半刻より少したった後。階段を登った先、着いたのは丘の上にある小さな公園だった。
小さいと言っても、子供が遊ぶための砂場やブランコ、滑り台が設置されいるぐらいには広く、街灯の横にはベンチが一つ置いてある。木々や緑もそれなりにあって、見下ろした先には用水路沿いの散歩コースがある。
戸鞠木公園。入口の石看板にはそう書かれている。いつ見ても変わらない、見慣れた光景である。小さい頃はよくここでご主人様と遊んだものだが、最近はめっきり来る機会が減ってしまった。懐かしいところだ。
「ほら、あそこに打上場の河川敷が見えるだろ? 神社もそうだけど、ここも高台で見晴らしが良い。お祭りの会場からは離れてるけど、その分人もあまり来ないから、結構穴場なんだ」
ん。その通りだ。流石ご主人様。お祭り会場で花火を鑑賞するのもそれはそれで雰囲気があるが、やはり私は騒がしい所よりも、誰も居ない夜の静かな所の方が趣きがあるとい思う。
それに、やはり打ち上げ花火は遠くから見るに限る。爆発の際に球状に広がる以上、キャラクターものでなければ、上から見ようが下から見ようが、横から見ようが斜めから見ようが、結局何処から見ても同じなのだから。
しかしこれ、本当にこの三人さえいなければ、私が独占できたのでは? 晶は唇を噛み締めながらも我慢してくれただろうし。
むぅ。そう思うと今の状況が余計に口惜しく感じる。やっぱり私は運が悪い、と。……やっぱり神社にお参りぐらいはしてくるべきだっただろうか。いや、今更神頼みしても手遅れなのか。しゅん。
「へ~、そうなんだったんですね~」
「そういや、このあたりまで来たことないものね、私たち」
「僕たちは、学校来る時にいつも通るんだけどね。あ、そっか。三人は街外れの牧場に住んでるんだっけ」
「そーだよー。学校や買い物もまでもバスとか車で来てるし、あんまりじっくり散策したことないんだよねー」
むぅ。また私も晶もそっちのけで会話が盛り上がってしまっている。これは流石に意義を申し立てたい所なのだが、瞬間、大きな音と共に空がふっと明るくなった。
それは、暗い空を塗りつぶす真夏の風物詩。星よりも月よりも輝く色鮮やかな大輪の炎。爆音で空気を震わせながら、雅な夏の花が開花した。花火大会の始まりである。
「あっ、ごしゅ……ハルキくん! 花火、始まりましたよ!」
「そんな大声出さなくてもわかってるってば」
晶ははしゃいで、未來はベンチに座ってスマホを構え、沙耶は高い所を目指してか滑り台の上に登って花火を見る。そして、揃って「た~まや~!」と叫んだ。
私はというと、ご主人様の腕に両手を絡ませて密着していた。当のご主人様は気が気でないようだったが、私は気にしない。何せ、もう祭りの最後だ。あれこれ何だかんだとあって、結局私も甘えきれていないのだから、不完全燃焼しないよう、ここでしっかりと温もりを回収しておかねばならない。花より団子ならず、花よりご主人様だ。
うむ。こうしてみると、花火の明かりに照らされてご主人様の顔がよく見えるのは、中々に映える一瞬だ。私も思わず写真を取りたくなるが、既に晶が横でスマホのカメラを構えているため、後で見させてもらうとしよう。超連射する音がやかましいが。
だがしかし、そんな彼を、私と晶意外にじーっと見つめる視線に気が付いた。
「……? 牧野さん、僕の顔、ムシかなんかでも付いてる?」
「い、いえっ。そうじゃないですっ」
「「「―――?????」」」
私と晶とご主人様は、そろって首を傾げた。
この女は何をもじもじしているのか。言いたいことがあるなら、言えばいいだろうに。何をそんな恥ずかしそうに―――いや、まさかそんな。
ふと、私と晶の脳裏に嫌な思考が過った。
―――こいつ、まさか。ご主人様に、恋を、しているのではなかろうか。
いや、敢えて考えないようにしていたが、思い当たる節はある。
以前のクッキー事件は不問としたが、ビーチでも、今度の活動の際にわざわざ手料理を振る舞うと約束していたことを忘れたわけではない。今日だって初めて合流したとき、こちらが無理だと言ったのにも関わらず、いやに積極的に同行をねだってきたあの姿勢は、今思えば怪しい気がしなくもない。
考え過ぎだろうか。そうかもしれない。そうであって欲しい。
確かに、ご主人様ほど魅力的な人間など他には居ない。強くて、優しくて、カッコいい。我欲に塗れた人間の中でも、彼のように他人に優しくできる人はそうはいない。私たちの彼に対する印象はそれだ。何でもできる完璧人間というわけではないが、その不完全さが愛おしくも感じる。
「……ああ、そうだ。危うく言い忘れるところだった」
「……?」
「えっと、その、なんだ。タイミングを見てたというか、本当はもっと早く言うべきだったんだろうけどさ」
「何? そんなに改まって」
「誕生日、おめでとう。三尾」
そんな彼に惚れるのも、まあ仕方のないことかもしれない。が、そうなってしまえば奴は私たちの敵だ。今はまだ友人だが、いずれ恋敵として立ちはだかるのであれば、排除せねばならなくなる。とはいえ、十年もの間積み重ねてきた地位が今更覆されるとも思えないが。
しかし、そう思いながらも私たちはそれを口にしなかった。なぜか。折角のこの雰囲気を壊したくなかったからだ。
まあ、今は良い。今日の所は疑うだけで済ませるとしよう。機会があれば確かめる必要があるが、それでもご主人様のクラスメイト。大切な友人だ。その関係を壊すことだけは、避けないといけない。
――P.M.20:30――
「……終わった、かな?」
「みたいですね。時間もぴったりですし」
「ん。名残惜しいけど、ここまで」
「だな」
つい先程まで、周囲が明るくなって眩しいと思えるくらいにはドンパチしていたというのに、今上がったあのド派手な大花火を最後に、しん、と静かな夜に戻ってしまった。
僅かに残るも、儚く散っては消えてゆく花火の跡。まだ余韻はあるものの、この静けさがイベントの終わりである事を粛々と告げていた。
やはり名残惜しくは感じるが、どんな時も終わりというのは寂しいものだ。でも、花火大会ならまだ来年もある。今が寂しいのなら、それを楽しみにすれば良いだろう。無論、私が名残惜しく感じているのは、花火そのものよりもご主人様とのロマンチックな時間のことなのだが、それを口に出しては野暮というものだ。
「それじゃあ、あたしらは帰るわね」
「若葉さん、今日はありがとうございました~」
「また学校でねー! ばいばーい!」
うん、またね。とご主人様は返して手を振った。階段を降りて行き、手を振り返す三人を私たちはフェンスの上から見送り、ようやくご主人様と私と晶の三人きりになった。
後は家に帰るまでの短い間しかないが、もう少し彼との時間とは堪能したい。その為に―――
「……!?」
その時、私は背後から視線を感じて振り返った。注意深く暗闇を見渡し、物陰を睨みつけるが、誰もいない。
気の所為―――だったのだろうか。幾ら探しても、私達以外に人の気配は感じられなかった。
居るとしても黄色と黒の縞模様のジョロウグモが網目状の蜘蛛の巣を張っているぐらいだ。
「どうしたんだ、三尾。ジョロウグモなんて、この時期別に珍しくも無いだろう?」
「……ん。そうだけど―――」
「そこ、誰か居るの?」
私と同じものを感じたのだろう。晶が一歩前に出て、その声が夜の闇に響いた。
確信がなくとも、臆面もなく直感に頼った行動をするのはとても晶らしい。が、やはり誰かが現れる様子はない。
「誰も、居ない、よな……? 一体どうしたんだ、二人供?」
「い、いえ。何処からか、視線を感じた気がして」
「ん。私も」
私と晶は困惑しながらも視線を交わす。お互い同じものを感じたということは、何かの偶然とも思えないのだが……。
「お、おいおい。今はお盆真っ最中なんだから、悪い冗談はやめてくれよ!? 俺、そういうの苦手だって知ってるだろ!」
「あっ、違うんですご主人様。そういうのじゃなくてっ!」
む、むぅ。却ってご主人様を不安にさせてしまったか。これは失態だ。まあ、これで夜のお風呂が怖くなってくれれば良い口実になってくれるのだが。もちろん、トイレでも良い。
「そういう意図は無かった。ただの気の所為だと思うから、もう気にしないで欲しい」
「そ、そうか。そうだな、うん」
まだ何か引っかかるものがあるが、これ以上疑った所で、悪戯にご主人様を不安にさせてしまうだけだ。それこそ、私たちの本意ではない。
「ごめん。取り乱した……」
「ご主人様が気負いすることじゃないですよ。こちらこそ、不安を煽るようなことを言ってすみません」
「ん。申し訳ない」
「ま、まあ。今はこの辺り人気も無いし、まだ夜中じゃないけど暗いしな。……早めに帰るとするか」
「そう、ですね……」
「ん」
それが良いだろう。しかし、さっき感じた視線はなんだったのだろうか。それが気になって仕方ないが……。
私は首をぶんぶんと振った。やはり駄目だ。これ以上は考えても意味がない。仮にご主人様に何か危険が迫っているといるのだとしても、結局今は側に居ることしか出来ないのだし。何かあったらその時に考えれば良い。
「……手でも、繋ぐか?」
「……!」
ご主人様が、思考を巡らせる私に手を差し出してくれた。月と星の光も相俟って、あの人の顔が輝いて見えてしまった。
―――駄目。直視できないかも。
「あ、いやっ、その。これは、別に夜道が怖くなったとかじゃなくてだなっ!?」
「……本当は?」
「はい、実を言うと、ちょっと怖くなりました」
私と晶は不覚にもクスりと笑ってしまった。いや、何もご主人様を馬鹿にしての事ではない。
その愛らしさ。幾つになっても変わらない愛おしさに気持ちが和んでしまっただけだ。
「な、なんだよぅ。悪かったな、情けない男で!」
「え? 私たち、そんなこと言ってないですよ?」
「ん。可愛い、とは思ったけど」
「か、可愛いってなんだよ! 高校生になってまでそんなこと言われるとか、そ、その方が恥ずかしいわっ!!」
そう言われても。思ってしまったのだから仕方がない。そこが好きなのだから仕方がない。
あなたはそれで良い。どうかそのままで居て欲しい。だけど悔しいかな。人は変わらずにはいられない生物だ。どうしても、人生において何かしらの変化を求めてしまう。
それが楽しみでもあり、悲しくもあるが、それでも私は側に居たいと思う。
……ん。少ししんみりしてしまった。いけないな。これは今考えることではなかった。
兎も角だ。今日は欲深くと決めているのだから、もちろん、その提案には食い付くとしよう。
「ん。ありがと」
私は赤面するご主人様の左腕に抱き着いてから、その手を握った。温かい。うん、やっぱり好きな温もりだ。
「んんんー! もうっ! もう、我慢できません!」
「あ、晶!? おわっ」
「もう、お祭りも終わったんですし、私も良いですよね! ね!」
「こ、声がでかいよぅ。誰かに聞かれたらどうするんだよぅ」
突然地団駄を踏んだ晶は、強く足踏みをすると共にご主人様の右腕に、かじりつくように抱き着いて、私と同じようにその手を握った。強く、絡めるように硬く手を握る。
「全く、しょうがないな。まあ、今日はよく我慢したよ。晶の番は明日だけど、少しぐらい前倒ししても良いことにしよう」
「本当ですか!? やったー! ご主人様大好き!」
「むぅ……」
全く、晶は堪え性というものが無さ過ぎる。普段は私のことなんて気にせずにイチャイチャしようとするくせに。
これには、流石に私も不貞腐れていた。人の誕生日の時ぐらい、もっと自制心を保ってもらいたいものだ。
「なあ、三尾。今日は楽しかったか?」
「……なんで?」
「いやぁ、さ。ほら、今日は三尾の誕生祝いだと思って、結構張り切ってたんだけど。俺ってば、結局何もしてあげられなかったっていうか、なんか、俺ばっか楽しんでたような気がして……」
ああ、なんだ。この人はそんなことを気にしていたのか。そんな必要は全く無かったのに。私は、ご主人様と一緒なら、何処でも、どんなことも楽しいと感じられると思う。
……まあ、絶対に離れようとしないであろう晶は兎も角として、途中であの三人が乱入してからは、色々と邪魔されたような気分になっていたが。
とはいえ、存外悪い気分というわけでもなし。そう、だから―――
「ん。何だかんだ楽しかった。ご主人様は?」
「俺も、かな。皆と花火が見れて良かったよ」
「そ。なら良かった」
私はもう一度、ふっと笑って見せた。多分、今日一番の笑顔だと思う。だって、ご主人様が無意識に視線をずらしているのだもの。やっぱり、そういう所が可愛いのだ、この人は。
街路灯と星明りに照らされて、私とご主人様、それと晶の三人は、仲良く手を繋いで帰路に就く。
私が左、晶が右、そしてご主人様が真ん中に。真夏の夜だというのに、こんなにも心が温まる。あの花火よりも強い熱量を感じられる。
いつもは運の悪い私だけれど、やっぱり、この人と一緒に居られる時は、何よりも幸福に感じるな。
「あ、そういえば。プレゼントは要らないって言ってたけど本当に良かったの?」
「ん。要らない。だって―――」
だってその笑顔こそ、最高の誕生日プレゼントなのだから。




