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ペット&ライフ  作者: 仮ノ一樹
エピソード1 日常
11/18

第11話 一夏の思い出 ―後編―

 7月27日 月曜日

 ――P.M.13:18――


 何か。凄く。色々あったけれど。なんだかんだ楽しかったバーベキューはあっという間に終わってしまった。美味い料理に、食べ盛りの妹たち、途中で人数も増えたこともあって、食料が直ぐに底を尽きてしまったのだ。


 その後は小山先生の号令で、予定通り生研の野外活動がスタートした。

 そうだ。そういえば、今日の海水浴は部活動の一環だった。なんか色々あり過ぎてすっかり忘れていた。

 と言っても、やることはそう難しくはない。砂浜や海岸とかに潜んでいる生物いきものを探して写真に撮るか、捕まえて井根森先輩にスケッチしてもらうぐらいだ。

 集めた写真や絵などは後で整理して、文化祭に向けて説明文を付け加えたり、台本を作るっていう話だけど、それはまた別の日に作成するらしい。ぶっちゃけ、小学生の時にやった夏休みの自由研究とほとんど変わらないが、結局これが一番単純で、基本的な調査のやり方なんだろう。


 問題は何処を調査するかだが、もちろん目星はつけてある。それに合わせてチームを二分することも事前に決まっていた。

 ビーチ周辺の砂浜と海岸を調査するA班と、少し離れたところにあるが、人気ひとけの少ない岩場周りを調査するB班に分けて、A班には担当に小山先生が着いて、牧野さん、伊野井さん、風羽さんのあの三人が入ることになった。

 牧野さんたち三人は調査とか生物いきもの探しとか、そういうのに全く経験がないから、安全な浜辺での活動をすることになったわけだ。他の海水浴客の迷惑にならないよう、拠点の周囲だけで撮影をする手筈だから、多分、琴音や竜が面白がって参加することもあるだろう。そうなると、実質母さんも臨時顧問に加わるということなのかもしれない。


 一方、B班には僕を含めた残りのメンツが入ることになった。かなり数が多いけど、海水に濡れた岩場の上は足場も悪く滑りやすい。だから、何かあったときのために人が多い方が良いという結論で、こういう人数で編成されたわけだ。まあ、父さんが担当を請け負うことになっているから、希望者が多いっていうのも理由の一つなんだけど。もちろん、目当ての違う女子二人は置いておいて、だ。


 それと、魚見先輩が本当は水中の撮影もしたかったそうだけど、流石にそれは却下された。水中カメラ自体は持ってくることは出来たけど、ダイビングに来ているわけじゃないし、写真に夢中で溺れたり流されたりする危険もあるから、妥当な判断だと思う。

 その代わり、この辺り一帯は釣り場にもなっているから、釣り道具を一式持ってきくることで、釣った魚をその場で撮影することにすることで手を打つことになった。


 A班には母さん、B班には父さん。つまり、僕の場合はどちらに入ったとしても保護者同伴になるわけだから、さしたる違いはほとんど無い。ともあれ、それは良い。元々そういう話だったのでそれは別に良いのだが。


「―――で、なんでメリッサ会長までついてきてるんですか」

「あら、先生方からの許可は取りましてよ? ビーチに来ているうちの従業員スタッフにも連絡は通っているはずですわ」

「は、はあ。いや、そういう問題じゃなくて。これ、一応生研の活動ですよ? 会長は別に関係無いじゃないですか」

「まあ、連れない。成り行きもありますけれど、わたくしも前々からこういうイベントには興味がありましたの。何事も経験ですわ。折角の機会ですし、一緒に楽しませてくださいな」


 この通り、現地で鉢合わせたお嬢様がいつの間にか参加していたのである。

 まるで溶け込むように、底にいるのが差も当然のように馴染んでいった結果、こうして今に至る。

 会長の付き添いには有愛ありあ先輩がついてきたみたいで、凜冴りさ先輩は、そのスタッフさん? に報告も兼ねて貸し切り区画に戻っていった。

 基本的に会長が喋らない限り、特に何もしない人みたいだけど、その凛とした佇まいは本当に護衛のSPのようだ。普段は制服で、今は水着だけど、これがスーツとサングラスのセット衣装だったらもうそれにしか見えないな。

 お陰で、より一層賑やかにはなったのは良いものの、それが気に食わない奴も居るみたいで……。


「はっ、なーに言ってんだか。いい? 私の目が黒い内は、そうやってハルキくんに取り入ろうったって無駄なんだからね!」


 ご覧の通り、晶が喧しく煩い。三尾は一貫して干渉する気は無いみたいだけど、あれはあれで関わるのが面倒くさいだけなんだろうな。


「……貴女、ほんっとうによく吠えますわね。その台詞、今ので十回目でしてよ」

「何度でも言ってやるわよ。良い? もう一回言うけどね、私が居る限りは―――」

「晶」

「はい!」

「ちょっと黙ってて」

「はい……」


 晶は僕に名前を呼ばれると、ぱあっと明るい笑顔がを見せ、次いで放たれた言葉によって、しゅん……と声のトーンと共に一瞬で意気消沈した。

 そんなにしょんぼりしないでよ。こっちが悪いみたいになるじゃん。


「では教授。わたくし達は、何をすれば宜しいんですの?」

「そうだね。じゃ、まずは、適当にその辺の石を退かしてみたり、砂を掘ったりしてみようか」

「まあ、それだけでいいんですの? もっとこう、軍用アクティブソナーとか、探査用水中ドローンとか使いませんの?」

「姫。ここは戦場ではありませんし、彼は研究機関の職員でもありません」

「どこの世界にそんなもん使う一般の高校があるんすか」


 この人は何を捕まえる気なんだ。深海魚かな?

 え、何。金持ちってそういう思考をするのものなの? やたら大掛かりにしたりお金掛けたがったりするものなの?

 お嬢様のあまりにも突拍子の無い台詞に、我々庶民一同は困惑するばかりである。


「……皆様。今のは流石に冗談ですわよ」

「姫。貴方様が言いますと、あまり冗談には聞こえないので……。その、お戯れは程々に……」

「アリアもですの!?」

「あんた頭おかしいんじゃないの」

「余計なお世話ですわっ!」

「と、兎に角、良さげな場所を見つけましょう。この辺りはぬるぬるして、足を取られやすいので、誤って転んだりしないよう、気をつけてくださいね」

「そんなものは先刻承知ですわ。わたくしとて、伊達に鍛えているわけでは―――きゃっ!?」


 確かに、会長はスポーツ得意だし、キックボクシングをやっているなら、足腰にも自信があるのも当然だろう。

 だけど、心構えも大事だけど、経験とそれに基づく知識が一番物を言う。不慣れな状況だと、それは顕著に現れる。油断や慢心はやはり大敵だ。だからこそ、こういう事態も起こり得る。


「姫!?」

「―――会長!!」


 きっと、踏んだ所が悪かったんだろう。先が若干出っ張っていたのか、それとも坂状になっていたのか。何れにせよ、思いっきり踏み外してしまった会長は、このままでは後方へ倒れてしまう。

 単に尻もちを付くだけならそれでいいが、最悪の場合、上手く体制が整えられずに頭をぶつけてしまう可能性だってある。そんな事になったら一大事だ。


 だから僕は、咄嗟に手を伸ばして、今にも転んでしまいそうな会長の身体を支えようとした。

 果たして僕はその手を掴むことに成功して、なんとか会長は踏み止まることができた。

 でも代わりに、無茶して飛び出した所為で、今度は僕が岩場から足を滑らしてしまったのである。

 ―――あ、ちょっとヤバいかも。


「ハルキくん!」

「……!」


 だけど、こういう時にいつも助けてくれるのが、晶と三尾なんだ。

 晶は正面から僕の手を掴みに。三尾は背中に先回りして、後ろから支えに。あの二人が僕がやったようなヘマをするわけがなく、しっかりと踏み場を選んで足を固定していた。

 相変わらず息の合ったコンビネーションかつ迅速過ぎる対応は、流石の一言に尽きる。

 お陰で誰一人として怪我をすることなく、会長も僕も無事だった。


「―――つぅ、あっぶねぇ~」

「とまあ、こんな風にならないよう、君達も十分気をつけるように」

「「「はーい」」」

「……ねぇ、父さん。講義もいいけどさ、ちょっとは心配して。わりと危ない状況だったんだけど」


 全く気に留めてないですね、この人達。

 それにしても、今のは流石に肝が冷えた。

 やれやれ。他人を助けるために飛び出したのは良いものの、自分がその代わりになるんじゃ世話ないよね。


「ハルキくん、怪我はないですか?」

「足、痛めたりしてない?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう、二人共」


 そうは言うものの、どうしても心配なのか、晶と三尾はペタペタと僕の身体のあちこちを触った。少し、いやとても凄く恥ずかしい。

 本当に怪我が無いことが分かると、二人は腹の底から来るような安堵の息を吐いた。


「会長こそ、怪我とかしてないですか?」

「ええ。とんだ醜態でしたが、貴方様のお陰で助かりましたわ。改めて礼を(メルシー)、ムッシュ。そして貴方の言葉を軽んじたことに謝罪を。反省致しますわ」

「姫を助けて戴いたこと、私からも感謝する」

「そんな、大袈裟ですよ! 僕なんて、気をつけてても転んだりしますから、意外とそんなもんなんですよ」

 

 偶にやるんだよな。階段とか山道とかで足を踏み外すこと。運動神経の悪さって、そういうところで祟ってくる。

 まあ、その度に二人が助けてくれるんだけど。情けない話だ。


「しかし、これで貴方様には借りができてしまいましたわね」

「借りって。だから大袈裟なんですってば。その……偶々手が取れただけで、もしかしたらってこともあったと思いますし……」

「まあ。大袈裟に捉えていらっしゃるのはどちらなのでしょうね? ですが、例え小さな事でも、借りは借り。わたくし、いつまでも貸し借りを作ったままというのは、性に合いませんの」

「じゃあ、どうすると……?」

決まっていますわ(ビアンシュール)! もちろん、わたくしから心ばかりのお礼を差し上げましょう。ですので、ちよーっとだけ、眼を閉じてくださいまし」

「は、はあ……?」

「決して、動かないでくださいましね?」


 言われるがまま、僕はゆっくりと瞼を閉じた。

 お礼って、いったい何をくれるんだろう? いや、決して卑しい意味があるわけじゃないんだけど。

 なんだろ。財閥のお嬢様からの贈り物だし、何か高価なものだったりするのかな。……いけないな、くれるってなると、色々と期待しまいそうで―――むぎゅっ。


 ……むぎゅっ?


 なんでしょう。この左腕を包み込むようなとてもやわらかくて温かい感触は。

 クラゲのように絡みついてるけれど、痛くもないし痒くもならない。程よく柔らかだけど、ナマコのように硬い表皮に覆われてるわけではない何か。

 明らかに無機物ではない。意識を集中すると、その奥から鼓動を感じる。これは生き物であると断言できる。


「―――さあ、もう眼を開けて構いませんわよ」


 何故か耳元から会長の囁く声が聴こえ、周囲からは謎のどよめき声が聴こえる。

 なんだなんだ。何がどうなってるんだ。眼を瞑ってるから何が起こってるのかまるで解らな―――いや待てよ。この感触、どこかで覚えがある気がするぞ。

 駄目だ。瞼を開いてはならない。俺の中の理性がそう呟くも、時既に遅し。

 瞼の外の光景に対する好奇心と、会長に言われるがままになっていたことによって、僕はそれを目の当たりにした。


「どうぞ、ご堪能あれ(ボナペティ)。ムッシュ」

「――――!?!?!?!?」


 そして、疑問は確信へと変わり、同時に困惑と驚愕で気が動転し、一瞬だけ思考が止まる。

 声にならない悲鳴を上げ、結果的に最初に声を上げたのは、僕よりも有愛先輩の方が先だった。


「姫ーーーー!? な、何をしておられるのですかーーーー!?」

「あら、アリア。見てわからないかしら? 殿方への贈り物として、これ以上のものは無いでしょう?」

「そ、そのような、は、ハレンチな!! 姫っ! お戯れはも程々にと、たった今申したではありませんか!?」


 なるほど。有愛先輩、貴女も中々苦労しているようだ。なんだか、凄く共感できる気がします。

 さて、この状況。何が不味いって、そりゃ僕の思春期ハートもちょっと、いや、かなり大分不味いんだけど、この先にもっとヤバい修羅場が待っていることなんだよね。


「ちょっとあんた。そこ、離れなさいよ」

「あら、何か?」

「何か? じゃねーわよ! こんのクソお嬢サマがァッ!! なーんで、ハルキくんの身体にべったりくっつく必要があるわけ!? ちょっ、こら、胸押し付けんな!」

「だって、今のわたくしにはご覧の通り手持ちがありませんもの。有るものといえば身体コ・レ。さあ、ムッシュ。存分にご堪能してくださいましね?」

「ふーん、あっそう。いいわよ、あんたがその気なら、私も遠慮しなきゃいいだけだし、ねっ」


 ―――ほわあああああああっ!? 晶さーーーーん! 何をしてらっしゃるんですかーーーーーー!?


 意識してが半分、勢いだけが半分。晶は眉をひくつかせながら、華奢な両腕を僕の右腕に絡みつかせ、なんの躊躇いもなくその柔らかな双丘を僕に押し付けると、僕を挟んで尚も二人は火花を散らし続けた。


「ベー、だ」

「はあ、呆れましたわ。こちらはただの善意。ちょっとしたサービスでやっているだけだというのに」

「はっ、なーにが善意よ。なーにがサービスよ。あんたんところは風俗店でもやってるわけ?」

「なっ、失敬な! 我が財閥はそのような不埒な事業になど手を出しませんわ!」

「どーだか。言葉よりも行動が何よりの証拠って、よく言ったものよね。この痴女お嬢サマ」

「ちぃ!? 女性にとって、身体は最大の武器ですわ! それを活かして殿方を堕とすことの何が悪いんですの? ……大体、アキラ。貴女には女性としての魅力が足りていないのではなくて?」

「い、いきなり何よ……」

「スリーサイズは勿論ですが、殿方の中には自分よりも背の高い女性が好みな方も多いとか。さて、ムッシュ、貴方はどちらがお好みなのかしら?」

「とーぜん、私ぐらいのスタイルが好みに決まってるでしょう!? ちょっ、こら。顎に指かけんな!」 

「おーほっほっほっ! 負けイヌの遠吠えですわ~!」

 

 山が。谷が。宇宙が。両サイドから押し寄せる四つの凶器が僕の理性を奪っていく。だ、駄目だ。何も考えられない。頭がボーッとする。あ、なんかほんのりと花の蜜みたいな甘い匂いが……。


 ―――って、いやいや何やってんだ俺は。顔真っ赤にして突っ立ってる場合じゃないぞこれ。

 僕は頭を左右に振って正気を呼び戻すと、滾りそうな本能を理性で抑えつつ、啀み合う二人を全力で治めようとした。


「ちょっと、二人共!? こんなとこで喧嘩したら、さっきみたいにまたコケるよ? とりあえず、危ないから一旦離れて……」

「大丈夫ですよ、ハルキくん。私がしっかり支えてますから。そこの変態お嬢サマがヘマしなきゃ滑ったりしませんから」

失礼、()もう一()度おっ()しゃって()? 気の所為かしら、今貴女、わたくしのことをヘンタイと言いまして!?」


 そうして、またガミガミバチバチとした喧嘩が始まった。両耳が痛い。うーん、駄目だこの二人。全く聞く耳を持ってくれない。というか、喧嘩しながら身体寄せてくるのはほんと勘弁して下さい。


「ちょっ、誰か! 誰でも良いからこの状況なんとかして~!」


 有愛先輩は手で顔を覆い隠し、三尾は口を開けたまま完全に硬直。最早頼れるのは男組だけなのだが、あの碌でなしどもが素直に助けてくれるかというと。


「あ? テメ喧嘩売ってんのかコラ」

「同情の余地なしですぞ~」

「すごいねぇ~。こういうベタな展開ってあるもんだねぇ~」

「やだわうちの子ったら。女の子ばっかり誑かして。恐ろしい子!」


 この通り。すっかり外野と決め込んで傍観するばかりである。クッソ、あいつら後で覚えてろよ。


 結局、僕は二人を両脇に抱えたまま調査に臨むことになり、丸一時間くらいはその状態が続いたのであった。……むちゃくちゃ大変だった。



 ――P.M.15:43――


 数々のアクシデントを乗り越え、文化祭に使えそうな資料は無事十分な数が集まった。今はもう撤収して、母さん達が待っている場所まで戻っているところだ。


「はぁー。えらい目にあった……」


 歩きながら、僕は深い溜息を吐く。その横で、不満そうな友達が野次を飛ばしてきた。


「はいはい。モテる男は辛い辛い」

「なんだよ、耶真人。嫌味のつもりか?」

「そりゃ嫌味も言うぜ。両手に超綺麗な花持ってるくせに、不満そうな顔しやがって」

「不満というか、単に疲れただけなんだけど……。それに、綺麗な花には棘があるっていうぞ」

「ふっ。俺はその棘がどんなに鋭くても、掴み取れる自信があるんだがな」

「うわ、グッロ。手血だらけじゃん」

「漢には、例え身を削ってでも手に入れたいものがあるのさ」

「ええー……」


 いや、そんな良い声出してカッコつけられてもこっちが困るんだけど。自分の身は大切にしようよ。


「あーもう。じゃあいっそ掴んでみろよ、ほら。きっと俺の苦労が分かると思うぞ」

「えっ、いやっ、それは、ちょっと……ぶちのめされそうだし……」

「なんだって? 最後、聞こえなかったぞ」

「手ぇ出したら、俺殺されそうって言いました」

「身を削ってでも手に入れたいんじゃなかったのかよ……」

「馬鹿野郎! 命あっての物種だろうが! そもそもな、相手が俺に惚れてなきゃ意味ねーだろうが。それに、あの二人、特に犬飼だけど、俺の扱い妙に酷いんだよ」

「ちょっと耶真人。さっきからピーピー煩いわよ」

「ん。ちょっと黙ってて欲しい」

「……ほらね?」

「ソウデスネ」


 それはきっと、日頃の行いなんじゃないかな? などと思いはしても、僕は敢えて口にはしなかった。

 そんな不毛なやり取りが続く中、ビーチの向こうから、ご機嫌な琴音と変わらずに淑やかな愛理沙が駆け寄ってくるのが見えた。


「あ! お兄ちゃんたち、帰ってきたー!」

「……!」


 見てよ。あの無邪気な笑顔。あれだけで、疲弊した心が癒やされる。

 竜も昔はこのぐらい甘えてきてくれたものだが、今となってはそうも行かないか。少し寂しい気もするが、こればっかりは仕方がない。いつまでも子ども扱いしてると、怒られちゃうしね。


「おっかえりー!」

「おかえり。……にーに。抱っこして」

「全く、愛理沙はしょうがない甘えん坊さんだなぁ」


 妹のあどけない顔で両手を差し出して求めてくる姿に逆らえず、僕はそっと抱き上げてあげた。


「よしよし。ただいま。二人共、お兄ちゃんが居ない間は大人しくしてたかな? 他のお姉さんたちに迷惑かけたりしてないな?」

「もっちろん! あ、でもね、未來さんと沙耶さんと一緒に砂遊びしてたよ!」

「お、そうなのか? 悪いな、二人共」

「ううん。うちにも、このくらいの弟と妹がいるから、世話するのに慣れてただけ。むしろ、沙耶の方が遊びに真剣になってたぐらいだし」

「べっつに~。ちょっと昔の気持ちになってお城作ってただけだしー」

「昔に戻ってぇ? アンタの場合、昔も今もそんな変わんないでしょ」

「そんなことないもんっ」

「うふふ。でも、とっても楽しそうでしたよ~?」

「もうっ! 舞桜ちゃんまで!」


 ぷっくりとフグのように頬を膨らませる風羽さんを見て、なんとなく微笑ましく思って笑うと、彼女は更に頬を膨らませていた。


「おーい、そろそろ良い時間だから、片付け始めるぞー」


 聞こえたのは小山先生の声だった。おっと、もうそんな時間なのか。ビーチに設置されている時計を見てみると、時刻は午後四時を回っていた。なるほど、確かに頃合いらしい。


「あ、そうだ。琴音、愛理沙。良い子にしてたご褒美に、かき氷食べるか?」

「え、いいの!? ヤッター! 私イチゴ味が良い!」

「よし、琴音はイチゴな。愛理沙は?」

「……なんでもいい」

「えー! 何だよそれずるいじゃないか! アニキ、アタシにも買ってきてくれよー! あ、黒蜜きなこな!」

「ったく、しょうがないな竜は……」


 僕はしぶしぶと自分の荷物から財布を取り出して、中身を確認した。……うん、なんとか大丈夫そうだ。


「じゃあ、ちょっと行ってきまーす」

「あ、晴樹。ちょっと待った」

「……なんだよ、父さん」

「はい、これお小遣い」


 突然呼び止めたかと思うと、父さんはポンと僕の手の平に一万円札を手渡してきた。


「なにこれ」

「どうせ買うなら、全員分買っておいてくれ。店で待っててくれたら、片付けを終わらせた後で合流するから。お前の分も入ってるから、好きなの買って良いぞ」

「……えーっと、じゃあ、皆何食べたいの?」


 順番に好みの味を訊いていくと、オレンジ、ラムネ、ブルーハワイ等々……と僕一人では、メモなしじゃとても覚えられないくらいに各々好き勝手に注文してきた。


「晶は……そうか、お前は冷たいのは苦手だったな」

「あれ、晶ちゃんはかき氷食べないの?」

「ええ。そうよ、沙耶。私、寒いとこか冷たいものとか、昔から苦手なのよね。逆に三尾は猫舌だけど」

「んっ。一言余計」

「あら、意外ですわね。貴女にも苦手なものがありますのね?」

「まーね。なに、なんか文句でもある?」

「いいえ。ただ、敵を前にして弱点を晒すのはどうかと」

「……へー」

 

 まーたバチバチしてるよあの二人。止めようかと思ったけど、晶も会長も睨むだけ睨み合って直ぐにそっぽを向いた。ここで割り込んでも却って掘り返すことになりそうなので何もしないで放っておこう。


「うーん、でもちょっと、流石に覚えきれないぞこれ」

「大丈夫だよ、にーに。私、覚えたから」


 そう言い出してくれたのは愛理沙だった。そっか、愛理沙の記憶力なら、全部覚えるくらい朝飯……いや、三時のおやつ前か。もうすぐ四時だけど。


「お、さすが愛理沙。じゃあ、ちょっと頼らせてもらおうかな」

「むーっ。私だって覚えたもん!」

「お、じゃあ、琴音も頼りにしてるぞぅ」


 コクりと愛理沙は小さく、琴音はうんと元気に頷いた。頼られて嬉しいのだろう。二人は年相応可愛い笑顔を見せてくれた。


「じゃあ、私もお供しますね」

「ん。私もついてく」

「いや、三人で先に行ってるよ。晶と三尾は片付け手伝ってて」

「ええー」

「むぅ……」


 晶はだだを捏ねる子供のように、三尾はぷくりと顔を膨らませて、不満をアピールした。

 二人には悪いけど、さすがに僕も疲れてきた。ちょっとだけで良いから、今は勝手にさせてくれ。まあ、ほんとは一人で居たいんだけどね。


「それならば、わたくしが代わりに―――」

「いえ結構ですので」

「姫、いい加減にしてください。旦那様にいいつけますよ」


 会長はここぞとばかりに割り込もうとするが、もちろん却下である。有愛先輩もご立腹だ。

 あーだ、こーだと文句を言う大きな問題児たちを眼の前に、僕と先輩はお互い同じタイミングで口から大きな溜息を吐き出した。もしかすると、僕らは意外と似た者同士なのかもしれない。


「あの~、私も一緒について行ったら駄目ですか~?」

「えぇ!? なんで牧野さんまで?」


 驚いた。僕は心底驚いた。まさか、この流れで彼女が名乗り出てくるとは予想外だ。同時に、問題児たちの眼が険しくなるのを背中で感じた。


「えっと~。実は、ここの海の家のかき氷って、美味しいって評判で、ずっと気になってて……」

「つまり、早く食べたいから一緒に行きたいってこと?」

「は、はい! 駄目ですか~?」


 ―――うーむ。まあ、牧野さんなら、さっきみたいなトラブルにはならないだろう。その、母性の塊みたいな性格してるし、むしろ琴音と愛理沙が喧嘩したした時とかに上手く仲裁してくれそうだ。もちろん、僕もできることはやるが。

 ……ただ、その場合は問題が一つ。晶と三尾だ。あの二人が、彼女の同行を許すとは思えない。


「うーん。まあ、牧野さんがそこまで言うなら、考えなくもないけど……」


 僕はちらりと、二人の顔を後目に見る。すると、晶が思いの外冷静な溜息をついた。


「……はあ。分かりました。ごしゅ……ハルキくんがそう言うなら、私は従います」

「あれ……いいの?」


 意外だった。それは僕だけじゃなくて、三尾やメリッサ会長も同じだったと思う。


「もちろん、納得なんてしてませんよ。そこの駄肉女を同行させるぐらいなら、私も連れてって欲しいです」

「だ、駄肉……!?」

「こらこら。そんなこと言うんじゃありません」

「でも、今のハルキくんはそれを望んではいなそうなので。……せっかく、あなたのためにビーチバレー頑張ったのに」


 そう言えば、そんな話もありましたね……。

 などと思う目の前で、晶は分かりやすくしょぼくれていた。どうやら、また気を使わせてしまったらしい。しかも、とびきり譲歩してくれている。そんな晶を見て、三尾も静かに納得したようだった。


 まあ、本音を言えば。普段から二人には世話を焼いてもらっている手前、できるだけ我儘は叶えてあげたいという気持はある。とはいえ、それはそれで色んな苦労が想像できるのだけど、それまた別の話だ。


「ごめん、晶。気を使わせたな。……その、なんだ、俺は別にそんなつもりは無くてだな―――」

「今更そういうのはナシです。ほら、三人が待ってますよ?」


 晶は俺の言い分を、口元でバツの字を作って遮った。

 やれやれ。これは、悪者は俺だな。我ながら薄情にも程がある。本当は一人になりたかっただけだったんだけどなー。


「じゃあ、ちゃちゃっと終わらせて追いかけますから、先に行って待っててくださいね?」

「むう。しょうがないから、見逃してあげる。でも、約束は守ってほしい」

「ありがとう、二人とも。後でちゃんと埋め合わせするから」


 了承は得られたものの、やっぱり妙な罪悪感を感じてならない。しばらくは我慢させた後の反動もでかそうだ。


「そういうわけだから、牧野さん。一緒に行こうか。その代わり、琴音と愛理沙の面倒見るのも、手伝ってくれると嬉しいな」

「はい! それもちろん、任せてくださいね~」 

「あ、でも気をつけて下さいね。あの駄肉女が呼び水になって、変な輩に絡まれてもすぐに助けてあげられないんですからね?」

「ん。そこ不安」

「も~! 晶さん、さっきから駄肉駄肉って、私そんなに太ってませんよ~!」


 おや、牧野さんが怒るとは珍しい。いや、冷静に考えればそりゃ誰だってあんなこと言われたら怒るよな。特に女の子はそういうの気にするだろうし。

 ただそんな裏の事情は関係ないと言わんばかりに、晶は罵倒を繰り返し、その脇で三尾と僕の視線は密かに彼女の胸部に集約していた。


「うーん。でも確かに、舞桜ちゃんってほっとくとナンパとかされてそうだよね……」

「無い……とも言い切れないか。若葉くん、舞桜をよろしくね。人の誘いとかほいほい乗っかっちゃいそうだから、ちゃんと面倒見てあげて」

「も~! 未來さんと沙耶さんまで~!」



 ――P.M.13:38――


 そういうわけで。妹と牧野さんを連れてかき氷を買いに赴いた僕は、財布を海パンのポケットに入れて、浜辺を歩いていた。


「も~! 皆さんは私のことを何だと思ってるんですかね!」

「あはは。まあ、皆の言ってることも分からないこともないというか、なんというか……」

「むむむっ! 若葉さんまで!? 私、そんなに太ってますか!?」


 隣で歩く牧野さんは、どうやらさっきのことをよっぽど気にしていたらしい。僕が口が滑らせたのもいけなかった。彼女が僕の目の前に立ち塞がっては、ぐぐいと遠慮なく迫り寄って抗議してくるものだから、思わず目玉が上下に揺れてしまう。


「ちちち近い近い近いって! 太ってない、太ってないから!」

「……本当ですか~?」

「う、うん。本当本当。スタイル()抜群だと思うよ」


 口からでまかせ。というわけでもない。真か偽かで言えば、真である。

 どうやらそれで納得してくれたみたいで、彼女は素直に引き下がってくれた。発育も大分良いんですけどね。なんて口が裂けても言わない。


「と、ところでさ。牧野さんの家って、確か牧場やってるんだよね?」

「……? はい、そうですよ~? 毎日牛さん達のお世話で大変なんですよね~」


 とりあえず、話題を変えよう。実をいうと、牧野さん家の牧場については、前々から気になってはいたんだ。牧場を営んでる家の人の話なんて、そうそう聞けるものじゃない。だから一度、そのことについて話してみたかったんだ。今が丁度良い機会だろう。


 そしたら、思いの外話が弾んでいた。お互い生物いきもの好きなのが功を奏したのだろう。彼女の体験談と僕の知識。短いけれど、お互い有意義な時間を過ごしたと思う。

 

「もう、お兄ちゃん! 早く行こうよ!」

「分かってるって。急がなくても、頼まなきゃかき氷も溶けないよ」


 午後を過ぎてもまだまだ元気が有り余っている琴音を見て僕は呆れていると、隣の牧野さんはうふふと微笑ましそうに笑っていた。


「愛理沙はどうだ? 早く食べたいか?」

「ありさは、どっちでもいいよ。にーにと一緒ならそれで」


 こっちはこっちではまだまだ甘えん坊さんだ。繋いだ手を掴んで離そうとしてくれない。まあ、手を離して逸れでもしたら大変だから、その方が良いんだけども。


 評判のかき氷が売っているという海の家までは、そう遠くはない。こうして雑談をしていれば、いつの間にかもう目の前だ。

 木造りの屋根に、開放的な食事処。表には「氷」の文字が垂れ下がっており、夏の日差しに当てられたりや泳ぐのに疲れた時に休むには丁度良さそうだ。


「うーん……思ったより人が多いな……」


 店の中を覗いてみると、家族連れの客が数枠、席を取っている。まだ満席というほど多いわけでもないが、海の家自体もそう大きな建物じゃない。広い所が残っているうちに場所を取っておいた方が良さそうだな。


「牧野さん。僕らは先に注文してくるから、何処か広そうな席を確保しておいてくれないかな?」

「はい、分かりました~。任せてくださいね~」

 

 それじゃあ、後で。とお互い言葉を交わすと、僕は愛理沙と琴音を連れてカウンターへと向かった。


「さて。とはいっても、どこが空いてるんでしょうか~?」

「ヘーイ、かーのじょ」


 ―――彼女に近づく不穏な気配に気づかずに。


「すみません、かき氷をえーっと、十六人分お願いします」


 お店の店員さんは注文された数に驚きつつも、冷静に対応して何味のシロップが良いかを聞いてくれた。


「えっと、イチゴ味と黒蜜、オレンジ、ラムネ、ブルーハワイと……あとなんだっけ」

「イチゴ、黒蜜きなこ、オレンジ、練乳、キャラメル、ラムネ、コーラ、レモン、ブルーハワイ、抹茶がそれぞれ一つずつ。あと、みぞれとハチミツを二つずつ。……にーには?」

「あー、それじゃあ、俺はマンゴー味にしようかな」

「じゃあ、私もそれで」


 おお、流石の記憶力。皆バラバラの味を頼んでたのに、よくそんなスラスラ言えるな。僕なんて半分も覚えてなかったのに。 

 一方、出る幕のなかった琴音は、少々沈んでいた。

 店員さんが注文を確認して、お金を払って、レシートとお釣りと番号札を受け取ると、僕は店の中に居るだろう牧野さんを探した。


「あれ。牧野さん、何処にいるんだ?」


 店の中を見渡してみるが、彼女の姿が見当たらない。まだ表にいるとかと思って出てみると、岸の方で見知らぬ男連中に囲まれる彼女の姿があった。


「なぁ、ねーちゃん、良いだろう? ちょっとだけオレ達とお茶しようぜ、な?」

「君、高校生? 齢いくつ?」

「今一人? お友達もいるなら連れて来てくれると嬉しいなー」


 ―――よし。まずは落ち着こう。大きく深呼吸して、状況を受け入れるんだ。そうすれば、万事解決。何事も冷静な判断力がものを言うからネ!

 ……だけど、これだけは言わせて欲しい。


 ―――本当にナンパされてる~~~~!?


 ―――ふう。声には出してないけど、心の中で叫んで落ち着いた。さて、こっからどうしよう。

 喧嘩にはまるっきり自信がないから、助けに入っても逆にボコされるだけだろうし、かといって放っておくこともできない。

 そうだ、電話して助けを呼ぼう。男として非常に情けないのは承知の上だが、晶と三尾なら、この状況をなんとかしてくれるかもしれない。

 よし、それだ。さっそく、ポケットからスマホを取り出して―――


「あ、やっべ。携帯、置いてきてた……」


 何やってんだ俺ーーーー!? なんで、よりにもよってこんな時に……。


「大丈夫。奢ってやるからさ」

「怖がらなくて良いって。さ、こっちこっち」

「メアド交換しよーぜー」

「え、ええっとぉ~?」


 ナンパ男達は一人は金髪、それ以外は茶髪でチャラチャラとした印象を受ける三人組で、見た感じ大学生っぽい。如何にも、ナンパ目的でビーチに来ている雰囲気がある。

 さあ、どうする若葉晴樹。ここで隠れて見過ごすか、それとも拳を握って助けに入るか。


「琴音、愛理沙。二人供、ここを動かないで待っててくれ。お兄ちゃん、すぐ戻ってくるから」


 僕はこくりと首を傾げる妹二人にさっき貰った番号札を渡して、ふっと微笑む。賢い二人だ。きっとこの状況を理解してくれているんだろう。


「あ……あー! なんだ、こんなところに居たのか。まったく、見当たらないから心配してたよー」

「あ……若葉さん!」


 緊張で声が震える。お陰で台詞が棒読みになってしまったけれど、ほんの僅かに、牧野さんの頬が緩むのが見えた気がした。頼りないかもしれないけど、こんな僕なんかでも少しは安心してくれたようだ。


「あーん? なんだニーちゃん。あ、もしかしてこの子のツレ?」


 こ、怖い。この人達怖いよぉ。典型的なチンピラだよぉ。

 でも、ここで引き下がるわけにも行かない。いつも助けられてばかりの僕だけど、偶には男らしくかっこいいところを見せてやろうじゃないか。


「え、ええ。友達ですけど。それが何か?」

「へー、何。じゃあ、キミこの子のカレシなわけ?」

「か、彼氏とかじゃないですよっ! ただのクラスメイトです。も、もう良いですよね。注文してる間に待っててもらってただけなので、僕らはここで失礼しますっ」

「あっ……」


 僕は取り囲む三人の合間から手を伸ばして、牧野さんの腕を掴み取る。輪の中から彼女を引っ張り出して、そのまま連れて行こうと試みるが。


「ちょいちょいちょい。キミさぁ、それはないんじゃない?」


 そうは問屋が卸してくれなかった。はい、そんな気はしてました。


「今、俺達が話してたじゃん? 無理やり連れてくとかなくね?」

「そうそう。つーかさ、ぶっちゃけ、こんな男と一緒より、オレ達と一緒に遊んだほうが楽しいぜ?」

「いえ、あの、そんなことは……」

「やめてください。嫌がってるじゃないですか」


 不審に迫る三人組に、危機感を覚え、僕は咄嗟に彼女の前に出て身構えた。

 正直に言えば、怖い。けれど、僕しかいないなら、喧嘩でもなんでもやるしかない……!

 

「なんだよ。女子守ってカッコつけてんのか? はっ、大して鍛えてもなさそうなクセに。いいぜ、やろうってんからこっちも容赦しないぜ?」


 男がガンを飛ばすと、僕は情けなくも小さな悲鳴を上げてしまった。それでも、ここを退くわけにもいかない。僕は負けじと睨み返すと、それが気に食わないという様に、男は大きく拳を振りかぶった。次の瞬間―――


「この野郎、ナマイキしてんじゃね―――」


 ―――スパァンッ!!


「「「え」」」


 男の言葉が途中で止まり、代わりに痛快な平手打ちの音が鳴り響いた。


「―――は?」


 頬を真っ赤にして、男は何事かと思考を巡らせる。

 目の前にいたのは、弱っちそうな男子高校生ではなく、獲物に定めたはずの女子高校生だった。

 そして彼女は、前に突き出た男の腕を掴み、有無を言わせることなく、男を砂浜に叩きつけたのである。


「も~! 暴力はダメ! です!」


 牧野さんは、腰に手を置き、胸を張る。しかめっ面で吐いた言葉はお説教のそれである。

 ……開いた口が塞がらない。いや、その、なんというか。助けようとした手前、非常にリアクションに困るんですけど。


「若葉さん! お怪我はないですか?」

「え、あ、いやその。それはこっちの台詞というか、えっと……牧野さんって、力強いんだね……?」

「はい! こう見えても、力には自信があるんですよ。毎日のお仕事の賜物です」


 そういえば、球技大会の練習の時、晶が舞桜の馬鹿力がどうのこうのとぼやいていたような。なるほどこういうことか。


「いっつ……て、テメェ、このクソアマ! いきなり何しやがる!?」


 叩きつけられた男はゆっくりと立ち上がり、動揺と悶絶の入り混じった表情でこちらを睥睨する。

 依然として状況は変わりはない。結局、僕たちはチャラ男たちに囲まれたままだ。なんとか切り抜けて、助けを呼ばないと……。


「お前らさ、ナメてやがるといい加減酷い目にブギャッ!?」


 ―――瞬間。突如、眼前からの圧力が消え、男が海に向かってすっ飛んで行くのが見えた。うん。すっごく綺麗に吹っ飛んでいった。


「大丈夫ですか!? ごしゅ……ハルキくん!」

「あ、晶!?」

「晶さん!?」


 何事かと思って視線を動かすと、さっきまで金髪のチャラ男が立っていたところに、方膝から着地する晶の姿があった。

 晶はぐわっと棒立ちする僕に迫りより、またさっきみたいに僕の身体をペタペタと触って怪我がないか探っていた。


「もしかして、もう片付け終わらせたの?」

「当然ですよ。言ったでしょう? ちゃちゃっと終わらせて追いかけるって。あのくらいのお仕事、お茶の子さいさいですよ。そしたら、なんかチャラそうなチンピラに貴方が絡まれてたので、蹴っ飛ばしてやりました! 思いっきり!」


 何はともあれ、とりあえず助かったらしい。少し相手のチャラ男たちが気の毒にも思えるが、これも因果応報か。


「あ、そうそう。はいこれ、忘れ物ですよ」

「俺の携帯だ! ありがとう」

「えへへ。どういたしまして」


 晶が手渡してくれたのは、忘れたはずのスマホだった。ただ、こうなると、もうあってもなくても変わらないよなあ。


「クッソ、この野郎……ぐはっ!?」

「なんだおまぐおっ!?」


 他に残った男たちが突然悲鳴を上げたかと思うと、そこには大の大人相手に一歩も引かず、容赦なく土手っ腹に鋭い正拳突きを喰らわせる三尾の姿があった。


「ハルキくん、怪我、無い?」

「それはもう、私が聞いたわよ。安心なさい。ハルキくんには傷一つないわ」

「ん。間に合ってよかった」

「あ、ありがとう、三尾。晶も。助かったよ」

「はい!」

「ん」


 三尾はほっと胸をなでおろしてサムズアップし、晶は屈託のない笑顔を見せてくれた。

 それにしても、二人ともちょっと過保護過ぎやしないかな? まあ、いつものことか……。


「で、あんた達まだやる気?」

「人目、集めてる。これ以上は悪目立ちするだけ」


 ふらふらと海から上がるナンパ男と、腹部を抱えながら立ち上がる仲間の男達に対して、晶と三尾は冷ややかな声を掛ける。

 三尾の言う通り、周りを見ると他の海水浴客が何事かと物珍しそうな顔をして集まってきていた。このままだとこっちまで変に目立ちそうだ。


「ち、っくしょう……。おい、お前ら、行くぞ!」


 流石に分が悪いと思ったのだろう。三人のナンパ男は、殴られた箇所を抑えながらさっさと逃げていった。

 それと同時に、つまらなさそうな顔をして海水浴客達も散り散りになっていっていったので、僕と牧野さんもほっと息をついた。


 ―――やれやれ。結局、いいとこなしか。全く、自分が情けなくて仕方ないな。晶と三尾は兎も角、まさか牧野さんにまで助けられてしまうとは。これじゃあ、どっちが助けに入ったかわからないじゃないか。


「まったく、無粋な連中ですこと。まあ、出会いを求める心を侮辱致しませんが、あのような強引なやり方は、あまり褒められたものではありませんわね」


 遅れて、メリッサ会長と有愛先輩が駆けつけてきた。もう少し後ろには、耶真人や他の皆の姿もある。


「如何いたしますか、姫。あのような輩が出没するのであれば、すぐにでも警備をお呼び致しますが」

「やめなさい、アリア。この辺りは我々の所有地ではありませんし、そのようなことをしても、また下手に人目を集めてしまうだけ。それこそ無粋というものですわ。一部始終はあの監視カメラがばっちりと撮っていたようですし、通報はまた後日と致しましょう」

「はっ。承知致しました」


 なんだか、すごくお貴族様なやりとりだ。

 前々から思ってたけど、あの二人って、お城のお姫様とそれを護る騎士っていう表現が似合うよね。実際、会長は「姫」って言われてるし。まるで異世界から転生してきたみたいだ。


「あの、若葉さん。助けてくれて、ありがとうございます~」

「いやぁ、まあ、うん。それはむしろこっちの台詞というか。結局、僕が飛び出した意味がなかったというか。それより、牧野さんに怪我が及ばなかてよかったよ」

「うふふ。そんなことないですよ。助けに来てくれた若葉さんは、ちょっとだけ、かっこ良かったと思いますよ~」

「そ、そう?」


 気を遣ってくれたのだろうか。そう言われると、ちょっと照れくさい。それこそ、勇気を出した甲斐もあったというもので……おっと。後ろでギリギリと歯ぎしりしている音が。


「こっほん。あのさ、牧野さん。そういうお世辞とかは大丈夫から。ほんとに」

「……? なんのお話ですか~?」


 そうして、無事に皆合流できて、後は注文の品を待つだけ……のはずなのだけれど、いつの間にか、海の家には皆で並んで座れるだけのスペースはなくなってしまっていた。


「―――ん。一通り回った。でも、どこも埋まってた」

「なーんか、妙に混んでる感じですね、これ。他所の方が空いてそうなぐらいですよ」

「そうだよなぁ。ありがとう、二人とも」


 少し店の中を見て回ったが、どの客もかき氷を頼んでは、ほっぺたが落ちるともでも言いたげに、幸せそうな顔をしていた。

 普通、かき氷のシロップは色だけで、味はプラシーボ効果で補われているのが一般的だ。でも、ここのかき氷は違う。一つ一つが”本物“のシロップが使われているらしい。実際、お店の至る所から甘い匂いが漂ってくる。なるほど、広告に偽りなしというのはこういうことらしい。その分、お値段も中々だが。


 とはいえ、店の中に空きが無い以上、晶の言う通り何処か他所で食べるのが妥当な所だろう。だが、道中にかき氷が溶けてしまうと、琴音から苦情が来てしまった。


「でしたら、私どもが貸し切っている区画に来ませんこと? ここからなら、そっちの方が近いですわ」

「えっ、良いんですか!?」


 提案してくれたのは、メリッサ会長だった。そういえば、隣の区画を貸し切ってるって言ってたな。


「構いませんことよ。一々場所を探すのも手間ですし。折角ですから、皆様を私のお友達として、特別に招待して差し上げますわ。そろそろ、撮影も一段落している頃でしょう」

「撮影?」

「あら、そういえば言っていませんでしたわね。実は、借りたエリアと何人か雇ったモデルを使って、グラビアの撮影をしていましたの。別に、ただビーチを満喫する為に貸し切りをしたわけではなくてよ? 一人で独占しては退屈なだけですし」


 それを聞いて眼光を激しく光らせる若者が一人。最早、顔を見ずともそれが誰なのかははっきりわかる。


「はいはいはいっ!! 会長! 撮影は見学できるのでしょうか!?」

「さて、それは本人達に聞かないと判りませんわ。ファンやオーディエンスの有無が被写体のモチベーションに繋がることもありますから。ただし、許可が降りても邪魔をしない程度にお願いしますわよ?」

「もも、もちろんっす!」


 期待に胸を膨らませ、目をパァッの輝かせる耶真人。他の皆からも特に異論はなく、妹たちに至っては、食べれるなら何処でも良いというスタンスだった。


「では、決まりですわね。アリア。早速、話を通してくださいまし」

「はっ。畏まりました」

「少し歩きますが、まあ大した距離ではありませんわ」


 そう言うと、会長は普通に海沿いを歩いて僕らを案内してくれた。有愛先輩の方も向こうに連絡が付いたみたいで、撮影の見学にも許可が出たらしい。その所為か、道中で耶真人の笑いが止まらなくなっていた。はっきり言おう。キモい。


「むふふ~」

「ちょっと、気持ち悪い笑い方しないでよ」

「へへ、悪いな。我慢しようと思っても笑いが溢れちまうんだコレが」


 ニヤニヤと浮かれ顔の耶真人にドン引きした晶が、僕の肩に隠れるように引っ付く。


「けどお前、そんな顔してたらモデルの人たちにも引かれるぞ」

「げ、そう言われると確かにヤバいな、俺。けどよぉ、こんな機会なんて滅多にねえぜ? 少しぐらい調子にも乗らせてくれよ」

「……まあ、気持ちはわかるけどさ」


 それでも、礼儀は大切にね? 誤解を招くような素振りはほんと勘弁だから。


「そういえばさ、耶真人。お前、向こうにどんな人が来てるか訊かなくて良かったのか?」

「うん? なんでそんなこと訊くんだよ?」

「いや、誰かいるかぐらい、把握するものじゃないのかなって」

「そりゃあ、行ってからのお楽しみってヤツよ。先に答え訊いちまったら、面白くねーだろ?」

「ふーん。そういうことね」


 なるほど、理解は出来る。アニメや映画とかでネタバレは極力避けたいのと同じだな。僕もどっちかっていうと避けたい(こっち)派だ。まあ、グラビアにはあんまり興味ないけど。


「なんだよ。もしかして、お前も興味あるのか? グラビア」

「え? いや、別にそういうわけじゃないけど……」

「ちょっと、耶真人! ハルキくんを変な世界に引き込まないでよね」

「ん。勧誘お断り」


 僕と耶真人の会話に、晶と三尾が割って入る。二人で睨みを効かせ、絶対に近づけさせない、という固い意志が見える。


「んだよつれねぇな。これも立派な研究だぜ? グラビア眺めるのだって人体の観察の一環だ、ってな」

「なんじゃそりゃ。誰の受け売りだよそれ」

「え? 教授だけど」

「「「あの人クラスメイトに何吹き込んでるの!?」」」


 あまりの発言に、僕ら三人は頭を抱えそうになった。流石にこれは酷過ぎると思う。晶がツッコミに回るとか相当だぞ。後で母さんにこっそり伝えておこう。


「まあ、あの人がいたら良いなあってのはあるぜ。特に、俺のイチオシは、この人だ!」


 きっと何度も読み返していたのだろう。耶真人提げていた鞄から雑誌を取り出して、ペラりと目的のページを一発で引き当てると、そこに大々的に載せられた彼女の写真を指差して、僕に押し付けた。


「俺のイチオシは………この人!! その姿は天を舞う色彩やかなクジャクの如く! その輝きは燃え盛る炎の如く! そして君臨するは不死鳥の如く!」

「なっ!?」

「え゛っ」

「おぅ」


 その写真を見て、僕らは絶句した。

 グラビアだからと、攻めた衣装を纏っていたから? 違う。あ、でも水着姿ではある。

 あいつの言う通り、あまりにもスタイル抜群で綺麗な人だったから? それでもない。

 じゃあ、それとも、めちゃくちゃ有名人だったから? うーん、割とそれが一番近いかもしれない。


「デビュー当時から人気殺到、今も昔も不思議なくらい変わらぬ美しさの超人グラビアアイドル! 大鳳おおとり彩羽あやねだあッ!!」


 見た目は十代後半から二十代前半あたりの容姿。赤い水着に、整った顔立ちに長い髪を後ろで纏めて、トレードマークと言えるあの羽根の形の髪飾りには確かに見覚えがある。


「―――そ、そそ、その人って……」

「うん? どうしたお前。あ、もしかして、お前も大鳳さんのファン? まあ、偶にテレビにも出たりするし、知ってても不思議じゃねぇよな」


 そこ。うんうん、わかるぞ。みたいな顔しないでください。

 知ってるとか、知ってたとか、知らないとか、そういう問題じゃないのよこれ。むしろ、知らないはずがない。

 ―――大鳳彩羽。もとい、本名を()()彩羽。そう、つまりは僕らの身内だ。従姉の―――


「あ、アヤね……」


 ―――アヤ姉さん。僕はそれを言い切る前に口を噤んだ。流石に身内バレするのは不味いと思ったからだ。


(ご、主人様、あれって……)

(うん。間違いなくアヤ姉だ)

(むぅ。まさかの人選)

(まあ、確かに姉さんってば有名人だし、そりゃファンもつくだろうけどさぁ……)


 僕らはちょっと立ち止まって顔を寄せ合うと、ひそひそと話し合う。

 あー、頭痛くなってきた。夏の暑さにやられたかな。早くかき氷食べたいなぁ……。


「なんだ? どうかしたのか?」

「いや? なんでもないさ」

「そうそう、その人有名よねっていう話だけ~」

「ん。テレビでも、よく見る」


 僕らはアイコンタクトだけで合図をすると、適当に誤魔化してその場をなんとかやり過ごした。


「すげえよなぁ。もう、何年も活躍してるのに、デビュー当時からほとんど変わらねえ美貌。本人も永遠の十八歳を謳ってるくらいだし。いいよなぁ。こんな素敵な女性に、お近づきできたりしねーかなぁ」


 やろうと思えばできなくもないよ。なんて、間違っても言えない僕なのであった。ってか、姉さんってばしれっとイタイことを……。


 ―――っていうかこれ、なんの拷問だよ! いやさ、さすがに知ってるよ。姉さんがモデルやってるってことも。それなりに有名人だってこともさ。

 そりゃ、ファンだってつくだろうさ。別にそれが悪いとも言うつもりもない。でもさ、よりによって一番近くにいる人間に、ガチガチなファンがいるとか。縁があるにも程があるでしょ!?


「……ーん」


 ちなみに、実を言うとうちにはこの手のグラビア雑誌が大量にある。というのも、雑誌が刊行された側から姉さんが送ってくるからだ。

 僕的には処分しても構わないと思わなくもないのだが、折角姉さんが載ってる本なのだから、と両親の方が捨てようとしないので、結果家の物置にはビニールテープで纏められた雑誌の山が築かれていたりする。


「……ーくーん」


 ん? 今なんか聞こえた? 浜辺の向こうからすっごく聞き覚えのある声な気がするけど、気の所為かな。

 まさか本当に本人が来ているとか? いやいやいや、そんな偶然はありえないでしょ。


「……ーるーくーん」


 ああ、今日は暑いなぁ。まあ、夏だしなぁ。参ったなぁ。折角かき氷食ってるのに、熱中症でも起こしておかしくなったかな。幻聴がどんどん大きくなって……


「ハールーくーん!」

「……へ?」


 あれ、もしかしてこれ幻聴ではない? そう気づいて振り向いた時には遅かった。

 背中に手を回され、脚は絡め取られ、顔面は柔らかい某に埋め込まれて、僕は背面から波打ち際に飛び込んでいた。


「―――ばあっ! 久しぶりハルくん!」

「……ぷはっ、ねねね、姉さん!?」


 頭から砂と潮水を被り、目を開けた先に居たのは、噂の美人グラビアアイドルの姿があった。


「えへへ~、驚いた? 驚いたよね? 実は私の方がびっくりしてたりして!」


 うーん、この妙に騒がしい感じ。どうやら夏の暑さにやられて見てる幻なんかじゃないぞ。


「ななな、なんで姉さんがここにいるのさ?!」

「いや~、実はね、今日はこの近くでお仕事があってさ~。休憩がてらこっちまで遊びき来てみたんだけど、まさかハルくん達とバッタリなんて超ラッキー! 最近は忙しくって全然会えてなかったもんね!」

「あがががががッ!? ギブッ、ギブッ、姉さんギブだってばっ!」


 こ、このまるで関節技を決められるような抱きしめられ具合。間違いなくご本人だ。

 っていうか、ここで仕事!? それってやっぱり……というか、誰か助けて!


「あ、彩羽さん、その、ごしゅ…ハルキくんが、あの、もうその辺に……」

「んぅ。ちょっと苦しそう……」

「お? アーちゃん、ミーちゃんも久しぶり~! 元気してたー?」


 晶と三尾の姿を見るや否や、姉さんは標的を二人に変更して、僕と同じように飛び掛かかると、同じようにぎゅう~っと抱きしめて、間に顔を突っ込んでは頬をすりすりと擦りつけていた。


「ああっ、ちょっ、やめてくださいよっ!?」

「う、おお……」


 あの二人がああして一方的に弄られてるのは、中々に珍しい光景だ。普段は気の強い二人だけど、相手がアヤ姉となると、手も足も出ない。ついでに頭も上がらない。


「あれっ!? そういえば、僕のかき氷は?」


 手元を見ると、さっきまで持っていたはずのかき氷が何処にも見当たらなかった。もしかして、姉さんに突進された時に落とした!? そんなぁ~。


「は、ハルキくん……ここ、ここにありますよ……」


 思いっきり抱きしめられて苦しそうにしているが、晶の手元には僕のかき氷が握られていた。多分、落としたのは間違いなかったとしても、それを砂の上に落ちる前に晶がキャッチしてくれたのだろう。

 あの状況でもしっかり持っててくれてるあたり、なんとしても死守しようという気概が見える。


「わーい! アヤ姉だー!」

「おーい、アーネキー!」


 今度は琴音と竜が姉さんに気付いて駆け寄ってきた。更に、有名人を目の当たりにした先輩達と先生、父さんと母さんがその後に続く。


「おい。おいおいおいおい。晴樹! 一体何がどーなってるんだよ!? お前、あの人と……大鳳彩羽とどういう関係なんだよ!!」

「いや、どういう関係って、姉のような存在というか、どっちかっていうと姉を名乗る不審者というかなんというか……」


 そして、一番問題視すべきであろう耶真人は、僕の胸元を掴む勢いで迫り、予想通りの疑問をぶつけてきた。僕だってこんな偶然を信じたくはないけどなぁ。


「ヘラヘラ笑ってんじゃねえよぅ!」

「えっと……ほ、ほら。よく似た別人かもしれないじゃん? 考え過ぎだよ、きっと」

「いいや、人違いでも見間違えでもねえ。あれは百パーセント大鳳彩羽だ。髪の毛の先からつま先まで。細胞とDNAの形まで同じだと言い切ってやる!」

「必死だなオイ!? そこまで言うかよ」


 けどまあ、こうなってしまっては隠すのは無理か。はぐらかした所で、事態を悪化させるだけだろう。


「……従姉」

「へ?」

「従姉だよ。大鳳彩羽……アヤ姉は、俺より十二上の従姉なんだ。昔からよく遊んでもらっててな。直接の姉弟姉妹じゃないとはいえ、俺たちにとっては姉として慕っている人なのさ」

「そうそう。ハルくんは、私にとっても弟のような存在……ううん。もう完全に弟だね。うんうん」

「ほわああああっ!?」


 相も変わらず自然に会話に割り込んでくる姉さんに驚いてか、耶真人は公衆の面前であるのにも関わらず、耳をつんざくような奇声を上げた。というか、姉さんの水着姿が普通に際どい。


「ごめんね、いきなりお邪魔しちゃって。びっくりさせちゃったかな?」

「あ、いえ。そんな滅相もない!」

「……はぁ。こいつ、姉さんのファンなんだって」

「そうなの?」

「はいっ! そうですっ! ぼ、僕、鷲津耶真人って言いますっ」

「耶真人くんっていうんだ。カッコいい名前だね!」

「かかかかカッコ……!」


 おうおう。挙動がバグってらっしゃる。そういえば、集合地点で父さんと対面した時もこんなテンションだった気がする。


「ってか。会長、雇ったモデルって、姉さんのことだったんですね……」

はい(ウィ)。その通りですわ。正確には、彼女その内の一人ですが。しかし、まさか貴方様のご親族だったとは思いも寄りませんでしたわ」

「その話、本当だろうね?」

「今の話は本当ですわ、教授。実のところ、わたくしも大変驚いています……」


 ふーん、と父さんは細目になって、何故かメリッサ会長を疑ってやまない様子でいた。


「あ……あの、その……よかったら、サインと、あとあ、握手と、えっと、それからポーズとか、あの、その、えっと……」

「そんなに緊張しないで。リラックスリラックス。君、ハルくんのお友達なんだよね?」

「は、はいっ! そうですっ! 晴樹くん……いえ、弟クンとは、仲良くさせてもらってますっ!」

「いや落ち着けって。あと、飽くまで従姉だからね僕たち」

「うふふ。ハルくんってばかーわいー。えっと、ポーズは、ちょっと遠慮させてもらうけど、サインと握手ぐらいなら、全然オーケーだよ」

「ほ、ほほほホントっすか!? じ、じゃあ、こここ、ココにサインお願いしますっ」


 興奮のあまり声を震わせる耶真人が姉さんに渡したのは、さっきも僕に見せてきた、姉さんの写真が乗ったグラビア雑誌のページだった。なんでかは知らないが、ご丁寧にサインペンまで用意していたらしい。準備のいいこって。


「オッケー。ここだね。あ、これ先々月に撮ったやつか」


 言いながら、ペンと本を受け取った姉さんはスラスラと「大鳳彩羽」と自身の写真の上にサインを刻む。


「あとは、握手だったよね?」


 姉さんが「はい」と手を差し出すと、耶真人は恐る恐る両手でがっしりと掴んで、さっきの姉さんの抱き締めに負けないぐらいにぎゅっと握った。

 数秒後。満足したのかゆっくり手を離すと、少しの間フリーズした耶真人はぷるぷると体を震わせて。


「………う、うおっしゃああああああッッッ!!」


 溜まったものを吐き出すかのように絶叫した。貸し切りエリアが近いお陰で人が少ないのが幸いして、人目を集めることこそないものの、近くにいた僕たちはあまりの大声に鼓膜が震えるので耳を塞いだ。


「はっ、ごめんなさい! 俺、俺、嬉しくてつい……これ、家宝にします! 大切にします!」

「泣くほどかよ……」

「あはは。君面白いね~。これで、満足してくれたかな?」

「え、えっと……実はまだ、もう一個だけ、我儘いっても、良いっすか?」

「ほうほう。言ってごらんよ」


 耶真人はすうっと息を吸って深呼吸して一拍置き、次に口を開くとまたとんでもない事を口走るのであった。


「結婚を前提に、僕とお付き合いしてください!」

「は―――?」

『はあああああああああああ!?』


 冗談にしても質の悪い、超特大の爆弾が投下され、その場にいた全員が揃って声を上げた。始めに声を上げた僕は顔を真っ赤にして耶真人に詰め寄り、肩を鷲掴みする。


「おまっ、ちょっ、自分が何言ってるのかわかってんのか!?」

「あったりまえだろうが。だって、彼女がお前の従姉だってことは、お前と友達でいれば、いつでも会えるってことだよな? ってことは、これからお付き合いするきっかけも十分つくれる。そうは思わないだろうか?!」

「わーい。すっごい打算的な友人関係で僕びっくり。大体、姉さんは今二十八だぞ!? 歳の差考えぎゅむむむむ」

「ハールーくーん? 私は永遠の十八歳だよぉー?」

「しゅびばしぇんでひだ」


 姉さんは僕の頬を下顎からカニの鋏のように挟んだ。笑顔だけど、明らかに目が笑ってない。声色も変わっている。

 その光景に、晶と三尾は「はわわわわわ……」と戦慄していた。


 そうだよネ! ニンゲン二十八歳もまだまだ現役ですよネ! 三十路だってまだ若イ!

 僕は頬を挟まれて碌に舌を動かせないまま、誠心誠意を込めた謝罪をすると「よろしい」と言って開放してくれた。


「許してくれ、我が友よ。いや、お義兄さんと呼ばせてください!」

「誰がお義兄さんだッ! 大体、今ここで初めましての相手からOK貰えるわけねーだろが」

「うるせえ! そんなの当たって砕けろだー!」


 うーん、それにしてもこの男、一行にブレない。一途というべきか、盲目というべきか。今の姉さん、超人気グラドルにはあるまじき気迫で、めっちゃ怖かったはずなんだけど。


 ―――もし、仮に。自分の従姉と、まだ出会って三ヶ月とちょっとしか経っていない友人が恋仲になったらと思うと……なんとも複雑な気分だ。こんなことってありますかね普通?

 まあ、姉さんがそれで良いなら応援はするが、どちらにしても急展開が過ぎる。

 あー……なんかもう、今日はこんなことに巻き込まれてばっかりだな……。


 とはいえ、重要なのは姉さんの返事だ。まあ、結果は眼に見えているけど。ああ見えて、姉さんも根は強かだ。最近はスキャンダル騒動で炎上する有名人とか多いし、そう簡単に首を縦に振るとも思えない。

 さあ、アヤ姉さん! はっきりきっぱりと断ってくれ!


「ごめん。私ショタコンだから無理」


 返ってきたのは、これまた残酷ショッキングな内容だった。


「――――!?」

「………なんて? え、今姉さんなんていった?」


 僕の思考が一瞬停止し、耶真人の中でピキンと何かが割れてフリーズする。そんな気がした。


「あ、勘違いしないで。ハルくんは私にとっての弟だから。永遠のショタなんだから!」


 衝撃のカミングアウト。アヤ姉と十六年付き合ってきた僕でさえ初めて知った、彼女の性癖だった。


「何それ!? 僕もう高校生だよ!?あと四年で成人するんだよ!? 二十歳だよ!?」

「えー? 関係ないよー。だって、今だってこんなにカワイイんだもんねー」


 待って、姉さん待って。それ以上近づかないで。 じりじりとにじり寄って来ないでぇ!


「ははは……。フラれたぜ。しかも、まさかの理由で。大鳳彩羽が……ショタコン……だと……。畜生! どうやっても叶わない条件だったああああああ」


 耶真人は耶真人で見事に砕け散って、手と膝を砂につけては漢泣きするのであった。


「……なんですの、これ」



 ――P.M.20:09――


「―――ご主人様。起きてください、ご主人様。お家、着きましたよー」

「ん……んん? あき、ら……?」


 暗い。目が覚めたのは、真っ暗な夜の闇に呑まれた車の中だった。まだ少し意識がぼうっとするが、どうやら、いつの間にか寝ていたらしい。


「はい。あなたの晶ですよー」

「いや、そういうのいいから」

「あれー?」


 うん。今のツッコミで意識がはっきりした。同時に、寝てしまう前のことも思い出した。


 ―――四時間ほど前。

 あの後、各々でかき氷を食べながら、アヤ姉さんや、他のモデルの人たちの撮影風景を見学していた。ふわふわの氷に甘いシロップのかき氷は絶品の一言に尽きる。人気の理由も納得の味わいだった。

 意外にも早々に立ち直った耶真人を始め、生研男性陣は撮影の方に釘付けになっていて、お仕事の邪魔にならないよう、静かに興奮していたのを覚えている。間違っても馬鹿をしないよう、母さんと先生という監視役を添えて。


 僕はまあ、そういうのにはあまり興味がなかったから、みんなと離れて落ちていく日差しを見ながら、なんとなく黄昏れていた。

 ―――今日は色々あった……いや、ありすぎたな、と。

 もちろん、隣には晶と三尾に愛理沙、そして何故か牧野さんとメリッサ会長も一緒になって、赤くなっていく波打際を見つめていた。

 特に会話が無かったわけじゃないけど、昼間があれだけぎゃあぎゃあ騒がしかった分、最後の一時はとても穏やかだった気がする。

 時間にして、ニ時間ほどだっただろうか。時刻はもう六時を回り、そろそろ帰らないと、遅くなってしまう頃合いだった。


「―――しっかし。俺の尊敬する人二人が、まさか全部お前の身内だとはなー」

「あはは。そうだね。世も末だね」


 まだ仕事が残っていた姉さんとメリッサ会長たちに挨拶を済ませた僕たちは、水着を着替えてすっかりいつもの服に戻り、帰りの車を目指す道中、耶真人がそんなことを言ってきた。まあ、僕には苦笑いしか出来なかったけれど。

 

「とはいえ、若葉くんのお陰で、今日は色々と貴重な体験ができたのは、事実だよね」

「そうですぞ。いやぁ、若葉氏の人脈には恐れ入りましたなぁ」


 魚見先輩と井根守先輩からも、そんなことを言われた。

 大袈裟ですよ。ただの偶然です。そう返事をすると、その偶然があったからじゃないか、と返されてしまった。

 確かにその通りかもしれない。偶々父親が生物学者で。偶々この生研に入って。偶々家族で海に行く予定があって。偶々会長と居合わせて。偶々姉さんが仕事に来てて。

 そうした、色んな『偶々』が重なった結果なのは、間違い無いのだろう。


「さて、今から帰ると向こうに着くのは八時くらいになるか」

「やっぱり、どうしても遅くなっちゃいますね。じゃあ、自分は生徒を自宅まで送らないと」

「おや、律儀だな。高校生だろ? 学校までで良いんじゃないか?」

「って言っても未成年ですからね。これでも顧問なんで。ちゃんとやることやっておかないと、監督不行き届きだって言われることもありますから。ああ、もちろん、親御さんに連絡はするよう言ってありますけど、それでも云う人は云うんで」

「大変だねえ」

「全くですよ。大学生は良いですね、終わったら後は自己責任で済みますから」

「パパー。そろそろ帰ろー。私疲れちゃったー」


 父さんと小山先生の会話を遮って、琴音が車の横で呼んでいる。


「おっ。そうかそうか。流石にもう遊び疲れたのかな。それじゃあ、僕はこれで」

「はい。お疲れさまでした」


 父さんは琴音を抱き上げて車に乗せ、息子の担任にも別れを済ませると、自分は運転席に乗ってキーを回した。


「さて、と。本日の活動は、これにて終了だ。皆、良い思い出づくりになっただろう。最後になったが、帰ったら直ぐに風呂入って、体についた潮を落としておくように。それと、夏休みの課題もきっちりおわらせておけよ」


 なんて、担任の先生らしく釘を打った後で「というわけで、解散!」と号令した。まあ、この場で解散するのは、僕と晶と三尾だけなんだけど、それはそれだ。


「若葉さん。今日は、海に誘ってくれたことと、助けてくれたことも含めて、ありがとうございました~」

「その話は良いって、さっきのも言ったじゃないか、牧野さん。友達なんだ、困った時はお互い様だよ」

「ま、そうは言っても、こっちもお礼しないと気がすまないってやつよ。ね、沙耶」

「そうそう。未來ちゃんの言う通り! でも、お礼って何するの?」

「そうですね~。……あっ、そうだ。今度、生研の活動でうちの牧場に来ますよね? その時に、美味しいお料理とお菓子をご馳走しましょう!」

「お、良いじゃん」

「さんせーい!」


 え、いや、流石にそれは……。と言いかけたが、もう皆が乗り気になっていた。まあ、それで困ることがあるわけでもないし、ここはお言葉に甘えるのも良いかもしれないか。


「晶と三尾はどう思う?」

「ん。好きにさせれば良いと思う」

「そうですね。ま、礼がしたいっていうなら、目を瞑らないでもありません。その代わり、しっかりとジャッジはします」

「……何を?」

「もちろん、味、質、そして品性です。ハルキくんに手料理を食べさせたいって言うなら、それ相応じゃないといけませんからね!」

「うちはそんなお偉い家系じゃねえだろ。そんなこと言わないで、普通にご馳走になろうよ。こっちはわざわざお邪魔させてもらうんだぞ?」

「うーん。まあ、ハルキくんが、そういうなら、我慢します。ある程度は」

「ん。異論なし」


 やれやれ。この二人は素直なんだかそうじゃないんだか。


「あっ、そうだ。若葉氏若葉氏。帰る前にこれを受け取ってくだされ」


 僕が車に乗ろうとすると、井根守先輩が一枚の画用紙を手渡してきた。触って質感を確かめるに、あのスケッチブックと同じ紙のように感じた。


「あの、先輩、これは……?」

「いやぁ。若葉氏は家族思いですなぁ。あまりにも仲が良さげだったので、記念に描かせて貰ったのですぞ。これは、生研からの礼の品として、どうか。それとも、勝手に描いて迷惑でしたかな?」

「……いいえ。大切にします。今日は、お疲れ様でした」


 ―――と、言うのがつい二時間ぐらい前の話。それから僕は、車の中でうとうとして眠ってしまったのだろう。


「ふわぁ~あ。なーんか、思いっきり寝ちゃってたな……」

「ん。仕方ない。今日は色々あり過ぎた。疲れるのも無理もない」

「直ぐにお風呂沸かして、夕飯作っちゃいますからね。それまで、もう一眠りしてますか?」

「さーて。どうするかなぁ」


 欠伸して、身体を伸ばしながら立ち上がると、膝の上辺りから、ポロッと何が落ちる。拾い上げると、それは鉛筆で書かれた一枚の絵だった。

 その絵には、ビーチェアに座る僕とその膝の上にいる愛理沙がでかでかと描写され、奥の背景には、ビーチではしゃぐ皆の姿が描かれていた。

 晶や三尾、生研の皆や妹達に父さん、母さんだけじゃなくて、メリッサ会長達やアヤ姉までもが、丁寧に丁寧に描写されている。


 ああ、そうか。これが青春ってやつなのか。確かに何かと事件に巻き込まれる一日だったけど、それでも、楽しかったことには変わりない。

 家族と過ごすだけじゃない。友達や、先生や、皆と大はしゃぎした今日の海水浴は、忘れられないこの一夏だけの思い出だったんだ。

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