第10話 一夏の思い出 ―前編―
7月27日 月曜日
――A.M.10:37――
「青い空」
「……白い雲?」
「青い海辺に」
「……えっと、白い砂浜?」
「なびく潮風」
「さざめく波の音、かな?」
七月。梅雨が明け、季節は夏に移り代わった。
燦々と照りつける太陽が生物たちを活気づけ、蒸し暑い日々が続くと共に、エアコンの使用頻度も上がる季節だ。最早、六月のじめじめとした空気は見る影もない。
夏といえば、色々ある。
生物なら、カブトムシやノコギリクワガタ、シオカラトンボに、ミンミンゼミ、アブラセミとか虫の多いイメージがあるが、ヒマワリやスイカだって夏の名物の一つだ。
行事でも七月七日の七夕とか、八月のお盆とか、花火大会ありきの夏祭りとか。あと特撮の夏映画とか。
他には、虫取りや肝試し、山登りやキャンプなんかも捨てがたい。今年は例年よりも涼しい気がするし、なんていうか、そういったレジャーを楽しむには、今はもってこいの暑さなんだと思う。
そして、学生にとっての夏といえば、夏季休暇。つまり夏休みだ。
長く辛い学期末の戦を乗り越えて掴み取った、補修無し一ヶ月ちょいの大連休。休みの前にあれやこれやと計画を立てるも、明日があるから、暑いから、と結局だらだらしがちで何もせず、最終日までに宿題が終わらずに地獄を見るまでの流れは、ある意味でこれも夏の風物詩の一つと言えるだろう。
そんな未練たらたらな月末も含めて、夏は多くのイベントが発生するが、その中でも特に欠かせないものが一つある。
青い空に浮かぶ真っ白な雲。青い海辺と波打ち際の白い砂浜。靡く潮風に乗って聴こえるさざめく波の音。プールよりも広大で、川よりも多種多様な生物が住まう命の源。
――――そう、海だ。
海もまた、海というだけで色々ある。
スイカ割りやかき氷、釣りに潮干狩りに海の家。サーフィン、ダイビング、ビーチフラッグや砂遊び。そして――――
「そして何より、浜辺ではしゃぐ女の子達、と。いやぁ~、眼福眼福」
「眼福ですねぇ」
「眼福ですなぁ」
「眼福っすねぇ」
人が混み合う海水浴場。その一角にて、ギラギラと輝く真夏の太陽の下、この夏を満喫せんと佇む五人の漢たちの姿があった。
並ぶパラソル、逞しい海パン、そしてクールに目元を隠す黒いサングラス。
人目など気にせず、堂々とビーチチェアに座する彼らの視線の先にあるものは、砂を蹴り、水を掛け合い、ビーチボールで遊ぶ真夏の姿の異性達であった。
「―――ねえ、そろそろツッコんでもいい?」
「「ダメ」」
「えぇ……」
父さんと耶真人の即答に、僕は眉を顰めて困惑するしかなかった。
さて、前触れが少し長かったような気がするけれど、そろそろここまでの経緯をざっくり話すとしよう。
本日早朝八時頃。生研の文化祭用の資料集めを目的とした、現役大学教授による特別野外講義兼家族サービスのため、高校を集合地点にした僕ら若葉一家と生研の面々は、二台の車で約二時間掛けてこの海水浴場までやってきた。
真夏のビーチともなると流石に人も多くて、場所取りも苦労した。おまけに、なんでも今日はここのビーチの一部が貸し切りになってるらしく、その所為でこっち側に人が集まってきているとか。何処の誰かは知らないが、全く迷惑なことをしてくれる。
なんとか海岸の隅っこに場所を作れた僕達は、水着に着替えて荷物を広げ、僕を含めた男連中が荷物番としてここに残り、こうして今に至るわけである。
レディ・ファーストとか、見張りは漢の役目とかカッコつけて引き受けてたけど、その実態はコレ。皆さん、すっかり鼻の下が伸びっぱなしである。
曰く、ニンゲンも生物の一つなれば、その行動、身体の仕組み、形態の把握、習性を見抜き、観察をすることもまた、生物を学ぶ上で必要なことである。つまり、これは私の講義の一貫なのだ。
とても偉い学者さんがたった数分前に放った言葉である。うん、うちの父さんだね。残念なことに。
息子の前で友達と先輩に何やらせてんだろうねこの人……。まあ、その友達と先輩もノリノリでやっているところにも問題があるのだが。
真夏の浮かれモードってやつなんだろうか。今日は皆テンションがあまりにも高い。正直僕だけが置いてけぼりなまである。
ただし、飽くまで荷物番の為にここに残っているのだから、その任はしっかりと果たさなければならない。
振り返ると、後ろにはブルーシートに乗せた皆の荷物やら、生研の観察キットやら、バーベキューの機材やらなんやらが置いてある。他にも、食材や飲み物を入れたクーラーボックスが計四つ程並んでおり、これだけ全部運び込むのには苦労させられた。尤も、男性陣は体力のない人ばかりだったお陰で、女性陣に助けられっぱなしだったが。
それもあっての荷物番でもあるのだろう。せめて、このぐらいはやってみせないとね。
それと、荷物の中にはもちろん、皆の着替えや貴重品も含まれている。これだけの人込みだ。やっぱり盗まれることもあるかもしれないから、よく注意を払っておこう。
「にーに。のどかわいたー」
「はいはい。ちょっと待ってなさいよー」
おっと、僕の膝の上でいつものように本を読みふけっていた愛理沙が、ジュースをご所望だ。相変わらず難しい内容の分厚い本を読んでいるけど、こういうところは年相応なんだよな。
対して、横の友人はグラビア雑誌を読み漁り、その隣の先輩は何やらスケッチブックに鉛筆を滑らせていた。井根森先輩は兎も角として、耶真人は公共の場で何やってんだよ。
と、心の中で突っ込んでから、僕は手近に置いておいたクーラーボックスの中からリンゴジュースを取り出して、膝の上の妹に手渡した。果汁百パーセントのやつだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとー」
そこでふと、僕は男性組のメンバーが一人欠落していることに気づいた。辺りを見回してみるも、他の海水浴客ばかりでやはり姿は見えない。
「あれ、そういや先生居ないな。どこ行ったんだ?」
「さっき、おトイレに走っていったよ」
答えてくれたのは、愛理沙だった。さすが、子供は周りをよく見てくれている。
「そっか。ありがとな、愛理沙」
「えへへー」
ちゃんと褒めてやると、愛理沙は僕に屈託のない笑顔を見せた。
そういうことなら、多分直ぐに戻ってくるだろう。と、思った僕は景色を眺めるような素振りをしつつ、海辺ではしゃぐ彼女達を見据えた。
……やっぱり漢なんだな、僕も。いや、生物学上は確かに男性だし、精神性も至って普通の男子高校生のものだと自負できる。しかしだからこそ、この景色を決して悪いものとは思っていないのも事実なのだ。
なるほど、確かにこの光景を眺め続けていると、不思議と気分が高揚してくる。
思春期の男子高校生にとって、露出の高さというものはどうにも心躍るものがあるらしい。
その上、皆個性に溢れた水着を着用しているものだから、見ていて飽きないのも理由の一つだ。
晶は典型的なビキニスタイルで、普段スポーツで鍛えているのであろう健康的な肉体を惜しみなく披露しており、こう、見ているとなんかドキドキしてしまう。
三尾はトップス、へそ出し、ボトムスで三コンボを刻むセパレートタイプ。アキラとの被りを避けるためか、ウォーターシューズとグローブをつけてスポーティさで差をつけている。あの姿でウォータースポーツとかやってたらめっちゃカッコイイと思う。
牧野さんは……あえてはっきり言おう。むっちりしていると。いや、露出度で言わせれば、晶や三尾よりも少なく一見は清楚なワンピース型なのだが、はち切れんばかりの胸部が目立つあのフォルムは、どうしても目の遣りどころに困ってしまう。しかもウシ柄。好きなんだろうな、うん。
伊野井さんは、晶と同じくビキニタイプの水着だが、あいつと違うのはショーパンを重ねているところだ。中々大胆な出で立ちにも見えるが、そも水着とはそういうもの。むしろ、あのくらいが安心して見物していられるというものだ。
風羽さんは、まさかのスク水。曰く、テストで赤点を取らないよう必死で頑張った為に新しい水着を買いに行く暇がなかったとのこと。なお、水着は中学時代のものらしく、胸元には大きな文字で「さや」とある。着れたから着てきたらしいが、あれはあれで色々と問題がある気がするんだけど……ん?
「おーい! ハルキくーん! 一緒に泳ぎましょうよー!」
「んー!」
晶と三尾が呼んでいる。僕は自然とそっちに目を向けていた。
そこには、波打つ浜辺をバックにして、こちらに手を振る二人の姿があった。
泳ごう、って言われてもなぁ。僕、泳げないんだよなぁ。二人には悪いけど、先輩達もいる手前、あまりカッコ悪い姿は見せたくないし。ここは手を振り返すだけにしよう。
ごめんね、と僕は心の中で謝った。そのつもりだった。
だがしかし、どうしたことだ。手が上がらない。身体が動かない。代わりに、僕は晶と三尾から目が離せなくなっている。
不思議だ。浜辺の砂の一つ一つが太陽の光を反射しているんだろうか。なんだか二人が輝いて見える。とてもきらびやかで、眩しくて、なんて幻想的な風景なのだろう。
「―――いかねば……!」
その瞬間、強烈な使命感に駆られた俺は、気付くと膝の上の愛理沙をそっと降ろして、徐ろに立ち上がった。そして、太陽のように眩しい笑顔で手をこまねく二人に向かって前進する。
しかし、どうしたことか。下半身より下に重りでもひっついたか、俺の足は一向に前に進まない。
あまりの異常事態に危険を察知した俺は、恐る恐る視線を足元まで下ろした。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、皆して何してんすか、離して下さい、行かせて下さい!」
「ずるいぞ、若葉君! 君一人だけ抜け駆けする気かい!?」
「そうですぞ! 我々は荷物番。いかな理由があろうとも、片時もここを離れてはならんのですぞ!」
「別に抜け駆けじゃねえっすよ! 二人が誘ってくれてるから、少し泳ぎに行くだけなんで! 誘われたら乗るしかないでしょフツー!」
「なんでテメェだけ彼女連れなんだよ、しかもなんで二人なんだよ! ハーレム主人公でキャッキャウフフしてくるってのかこのクソッタレ!」
「だっ、だから彼女じゃねえって、言ってんでしょうがっ! ええい、離せーい!」
「大体、お前、どっちとくっつくか、そろそろ決めたらどうなんだ!? 父さん、今すっごくそこが気になってるぞ! いい加減、恋人以上夫婦未満の関係からは卒業しなさーい!」
「父さんも変なこと言うなあああああ‼」
それはまるで、地獄の亡者がクモの糸にしがみつく生者に群がっているような光景だった。これは酷い。
―――くっ、このままじゃ埒が明かない。非力で運動神経もダメダメな僕一人じゃ、この亡者達を振り切ることは不可能だろう。おのれ、非モテ共め。そこまでして邪魔をしたいか! こっちの苦労も知らないで! ……繰り返すが、二人は彼女じゃないぞ!
僕は持てる力の限りを振り絞って突破を試みるも、やはり大人一人、高校生三人による妨害からどうしても抜け出せない。っていうか、父さんは良い歳してほんと何してんのさ!?
こうなれば仕方ない、と思って手を伸ばすと、見兼ねた晶と三尾がこちらへ駆け寄り、漢四人、女子二人による僕引きが始まった。
「痛い痛い痛い!? う、うで、腕千切れるって!?」
うーん、どうしよう。むしろ状況が悪化した気がす―――ちょっ、待って、やばい。本気でヤバイ。晶さん、三尾さん、力強い! 本気になりすぎだっていでででででで!?
「ダメー!」
大分事態が混沌としてきた中、いたいけな少女の叫びが投じられ、一同はしんと静まり返る。
ビーチチェアから飛び降りた愛理沙は、たっ、たっ、たっ、と砂を蹴って来ると僕の腰元にしがみついた。
「にーにはいっちゃダメ!」
「あっ、ハイ」
思わず返事を返していた。
弱ったなぁ。兄貴として、可愛い妹にこうも懇願されては敵わない。しかも、今こうして危ないところを助けてもらったところだ。断れるはずもない。
それは他の皆も同じなのか、絡み合った糸が解けるように男連中は退散していき、身体も軽くなった。晶と三尾は手を握ったまま離さなかったが、空いていた片方の腕を愛理沙が掴んで引っ張るので、仕方なく離して占有権を彼女に譲る。
僕は妹に引っ張られるままに再びビーチチェアに腰掛けると、愛理沙は満足そうな笑みを浮かべて膝の上に座り、分厚い本のページをめくった。
「いやぁ、ああ言われちゃ敵わないね」
「愛されてますなぁ」
「なんか納得いかねー」
「ま、兄妹仲睦まじいのはいいことだよネ!」
微笑ましいと笑う魚見先輩、何故か別のスケッチブックを取り出していた井根森先輩、口を尖らせる耶真人、それと父さんはいい加減悪ノリが過ぎるので、後で母さんに報告しておこう。
一方、晶と三尾は少々、いや明らかに不貞腐れながらビーチに戻っていく。
……うーん、これは。後でちゃんと埋め合わせを考えておこう。せっかく海に来たんだ。僕だって、二人と泳ぎたいとも。
まあ、不完全燃焼を起こした二人が何を起こすかわからない、というのもあるのだが。具体的に何をやらかすかは、想像したくないからやめておこう。
そう考えると、夏の日差しを浴びながらも、背筋がぞっと震えた。
思考を切り替えるため、僕は浜辺で泳ぎ始めていた二人から視線を逸らして、あっちでビーチボールをしていた母さんと琴音に目を向けた。
「あれ、そういえば竜のやつどこいった?」
辺りを見回してみるも、我が家の次女の姿は何処にも無い。まあ、あいつの事だから、一人で泳ぎにでも行っているんだろう。お昼を食べる頃には戻ってくるかな?
まあ、いいや。あんまり心配するのもお互いに良くないって母さんも言ってたし。好きにさせておくのが一番だろう。
それはそれとして。さっきの父さんと同じことを言うようだが、ああして母娘仲良く浜辺で遊んでいる姿を見るのは実に和やかで良い。特に妹が笑っている姿は、兄として微笑ましい気持ちになれるのは確かだ。確かなのだが……横の会話が凄く気になる。
「あの、教授。一つ質問しても良いですか?」
「ほう、なんだい少年。いいぞ、一つと言わずになんでも好きに聞いてみなさい」
「教授の奥さんって、すっげぇ美人っすよね。とてもアラサーには見えないっす」
「お? 分かるかい少年。そうだろう、そうだろう。羨ましいだろぅ?」
「はいっ! 超羨ましいっす!どうやったらあんな美人堕とせるんすか?」
――――僕は思わず絶句した。
いやいや。いやいやいや。質問ってそれ? 大学でどんな講義をしているのかとか、今は何の研究しているのかとか、もっと他に訊くことあるでしょ。
っていうか、一応その人、クラスメイトの父親だよ? しかも息子本人が目の前に居るんだよ!? なんでそんな「先輩ってなんでモテるんですか?」みたいなノリなわけ!?
「ふっ。良い漢には、良い女がついて回るというものなのさ。君も早く一人前の大人になりたまえ」
父さんは不敵に笑うと、サングラスの縁をキラーンと輝せた。
僕は羞恥のあまり顔を手で覆う。これがもっと他所のダンディズム漂うおやっさんの一言とかだったら良かったけど、残念なことに自分の父親だ。
世間では名高い学者だと讃えられても、実態はこれ。煩悩丸出しにしたクソ親父なのだ。
そんな父親の側面を、白昼堂々と、しかも自分のクラスメイトと部活の先輩に赤裸々にお披露目だ。こんな公開処刑があってたまるか。
「教授の奥さんって、天才医師の方なんですよね? テレビで報道されているのをよく目にします。外科だけじゃなくて、内科、精神科、獣医学に心理学なんかも修められているとか。教授も生物学や生態学の他にも、解剖学や遺伝子工学なんかにも精通していますよね? どうしたらそれだけの分野で知識を学べるのでしょうか?」
ナイス! 魚見先輩! そうだよ、相手は大学の教授なんだから、そういう専門分野に関係した話を訊いて欲しいよね! いやまあ、彼女作りも大事だとは思うけど。
それに対して父さんは、また自慢話のように語って聞かせるのか、と思ったのだが。
「あんなのは、マスコミが大袈裟に言ってるだけだよ。彼女はただの努力家さ。医学を学ぶにあたって、興味のある分野に全部手を付けて、僕と付き合うようになったら、更にその幅が広がって。そうしているうちに、ただそれに見合った知識がついただけに過ぎないんだよ。僕だってその口だしね」
「いや、それ十分凄くないっすか?」
「まあ、並大抵の努力じゃないことは確かさ。でも、決して不可能なことでもない。好きなことに没頭する。誰にだってできることさ」
と、意外にも父さんは真面目に語ったのである。
水着姿でボールを弾く母さんの姿を見据えてはいるものの、それは何処か思い耽っているようであり、さっきまでふざけきっていたサングラスの下からも、何か真っ直ぐなものが伝わってくるようだった。
……なんだよ。さっきまで腹が立つぐらいに悪ふざけしてたくせに、なんでそんな、急に大真面目なことが言えるのさ。
「で、そこのキミはさっきから何を描いているのかな?」
「へ? じじじ自分ですかっ!?」
そう思ったのも束の間。父さんは急にさっきの調子を取り戻すや否や、一人平和に絵を描いていただけの井根森先輩を巻き込むように話を振った。
「いやっ、そんな大したものではありませんぞ……! 話を聞く傍ら、自分は少し絵を描いていただけで……」
「ほう。絵かい。そういえば、君は生研のスケッチ担当だったね。よかったら見せてもらえないかい?」
「えっ……そそそんな、恐縮です!? 本当に、ホンットーに今のはただの趣味なので! 見るのなら、せめてこちらでっ!」
先輩は今のスケッチブックを鞄に仕舞うと、もう一つ別のスケッチブックを取り出して差し出した。
父さんはそれを受け取ると、一枚一枚ページをゆっくりと捲る。
そのスケッチブックには、イヌやネコ、バッタやカマキリ、スズメやハトなんかも描かれていて、特に多く描かれたいたのはニホンヤモリとアカハライモリの絵だった。色付けされているものもあったが、殆どが鉛筆一つで動物の特徴や仕草が丁寧に描かれていて、躍動感がある。先輩の観察眼と絵の技術がずば抜けている証拠だった。
「ど、どうですかな、教授」
「うん、素晴らしいよ! 話に聞いていた以上だね。あ、単に絵が上手いからってわけじゃないよ。君にはモノを観察する才能がある」
「ほ、ホントですか!?」
「もちろん。お世辞も嘘も言ってないさ。特に、このニホンヤモリとアカハライモリはよく描けているね。もしかして、家で飼ってたりするのかい?」
「は、はいっ。イモリのイーコとヤモリのヤーコですっ。うちの自慢のペットですぞ!」
「ほほう。……うん、よっぽど飼育環境が良いんだね。絵からもそれが伝わってくるよ」
父さんの言葉に、井根森先輩の眼がキラキラと輝いているのがわかった。
ペット……ペットかぁ。そういえば、野生の動物を父さんの研究とか、夏休みの自由課題がてら捕まえたことはあったけど、ペットとして飼うことはなかったなぁ。
……まあ、うちにはイヌっぽいのとネコっぽいのがもういるようなもんだしね。
なんて思いに耽りながら、僕はあの二人を横目に見た。
「これなら、美術家としてもやっていけるんじゃないかい? まあ、僕は芸術とかはさっぱりなんだけどね」
「あ、それに関しては。自分、決めていることがありますので」
「ほうほう。良かったら、聞かせて貰えないかい?」
「その、将来は漫画家に、と。イーコとヤーコをモデルに、自分は漫画家になりたいのですぞ!」
先輩はスケッチブックのイーコちゃんとヤーコちゃんの絵を見せながら、堂々と宣言する。
その宣言は、僕を含めた生研の皆なら、一度は聞いたことのある台詞だった。
いつもならもっと自信満々に夢を語っているところなのだが、今回は相手が相手だからか、少しだけ恥ずかしがっているような気がする。それでも、自信と気迫に満ちた言葉だった。
「うん。良い夢だ。君ならきっと、その夢を叶えられるよ。まあ、僕が保証したところで足しにはならないだろうけれど。これからも、その技術を磨くと良い」
「……はい! ありがとうございます!」
感激のあまり、先輩は深く、深く頭を下げる。
確かに父さんは漫画家とは縁遠いヒトかもしれないけれど、それでも成功者であることには違いない。そんな人に「夢を叶えられる」なんて言われたら、嬉しくもなるだろう。きっと、先輩にも何か良いきっかけになったと思う。
ただ、それを言っているのが自分の父親だと思うと、それはそれで、なんだか胸がこそばゆく感じてしまうな。
「ところで、話を戻すんだが。折角だし、さっきの方も見せておくれよ。何か面白い生物でも見つけたのかな? それとも、その漫画に関わるものなのかな?」
「えーっと、それは……。うーむ。どちらも当たらずとも遠からずと言いますか……やはり、これを見せるのはちょっと、いやかなり忍びないと言いますか……」
「やめなって、父さん。先輩困ってるじゃん。無理強いするのは良くないって」
「いいや。ここまで来たら気になるぞ、父さんは。あれだけ派手に掲げてたんだ、余っ程の傑作が出来たに違いない。君達もそう思うだろ?」
父さんは魚見先輩と耶真人に賛同を仰ぐと、二人共すんなりと首を縦に振った。まあ、僕も気になると言えば気になるのだけど、やっぱりそこまでせがむ事じゃないと思うわけで。
「なーに、別に他人に言いふらすわけでもなし。ちょっと覗かせてくれればそれで良い。それに、仕事柄気になると夜も眠れない性分だからネ!」
また調子の良いこと言って、この親父は……。
僕は先輩に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「は、はあ。皆がそこまで言われるのでしたら、恐縮ながら……。あえて確認しておきますが、他言無用でお願いしますぞ? それと、決して自分を責めてくれませぬよう」
もちろんさ。そう言いつつも、父さんはワクテカしながらスケッチブックを受け取った。ちょっとどころか、ガッツリ見る気満々じゃねえか。
魚見先輩と耶真人――あと僕も――は、父さんの背中から、ひょっこりと顔を出してスケッチブックを拝見する。
「こ、これは―――!?」
「まさか……」
「すっげぇ……」
「おおぅ」
四人揃っての驚愕だった。そしてなるほど、これは確かに他人に見せられるものではないと納得する。
何故ならそこに描かれていたのは、女性の胸部、腹部、臀部、大腿部といった際どい部位を取り上げたデッサンと、目の前ではしゃいでいる各異性達の精巧な人体図だったからである。
そこには、晶や三尾、牧野さんたちだけじゃなくて、うちの妹や母さん絵まであった。
「……あの、先輩。これは……」
「いや、皆まで言わなくてよろしいですぞ、若葉氏。流石の自分も、こればかりは自責の念に駆られておりまする」
と、言われましても。こっちも反応に困るんですが。
ちなみに、書かれている絵はデッサンも含めてちゃんとそれぞれの水着が着用されている安心設計だったので、官能的なそういうのにはならないと思う。……いや、問題はそこなのだろうか。
「実は、その……これは、自分の漫画の参考にしようかと思いましてな」
「参考、ですか?」
「そう! 我が愛しのイーコとヤーコの物語を描くためにはどうすれば良いか。あれこれと試行錯誤を重ねた末、やはりヒトのカタチで描くべきだと、自分は結論付けたのですぞ!」
「ははーん。なるほどぉ……つまり、擬人化だね」
「そう、つまらないことを言いなさるな教授。何せ、自分が思うイーコとヤーコですからな!」
キリッと太陽に向かってスケッチブックを掲げる先輩。となんか面白そう、なんて思いながら話に食い入る僕たち。
「それで彼女たちを勝手にモデルにしていたのか」
「ええ、まあ、はい。そうなのですぞ、魚見先輩。元々は、画像や写真で済ませるつもりだったのが、若葉氏のお陰で、またとないチャンスを頂けましたからな。……とはいえ、やはりこれを知られれば、今後は後輩女子軍から白い目で見続けられるでしょうなぁ。と思いながらも、モデルがあまりにも逸材過ぎてて。資料として申し分なく、気付いたら熱中してしまいまして……いやはや……」
まあ、でしょうね。と、僕は心の中で呟く。同時に、先輩のこだわりの強さにも感服した。
思い返してみれば――多分ビーチに着いてからずっと描いていたんだろうけど――あれだけのスケッチをこの短時間で描いたと考えるとかなり凄いかもしれない。
……って、うわっ何これ。よく見たらスリーサイズまで細かく記録されてるし。流石に正確なものじゃないだろうけど、目視だけで測定したのこれ!?
あ、ちなみに僕は皆のスリーサイズとか、全く知らないのでそのつもりで。
「素晴らしいッ! 素晴らしいじゃないか井根森君! ふふふ、僕は君の才能を少々甘く見ていたようだ。何せ今の君は、ライオンの群れの中に潜み、子供の姿を激写しようとするカメラマンそのものだからね!」
「そ、そんなつもりは、なかったのですが……」
「いやいや。大いに誇っていいとも。あ、ちなみにね、日和のスリーサイズなんだけd―――」
「「「「………え?」」」」
―――それは、一瞬の出来事だった。父さんがまた碌でもないことを言おうとしたのは、口調でわかった。きっと、僕が止める間もなく、流れでとんでもない個人情報を暴露していたに違いない。
でも、気づいた時には遅かった。本当に、本当に一瞬の出来事だったんだ。
顔面に弾丸の様な何かが激突し、父さんの姿が砂埃と共に消滅した。
「父さーーーーん!?」
困惑した。それ以上に怖かった。だからだろうか、思わず声を上げてしまった。目の前から人が消えれば、そりゃ誰だってパニックにもなる。
それじゃあ、どうして父さんは消えてしまったんだろう。疑問は思考を加速させ、理性が心を繋ぎ止め、冷静に冷静に、原因を探っていく。
だけど、解答えはすぐそこにあったんだ。そう、父さんを消し飛ばした凶器が描いた軌跡の先に。
「ちょっと男子ぃ~? おしゃべりする余裕があるなら、ちゃあんと荷物番くらいしてもらわないと、困っちゃうなぁ~?」
その声に身体ビクリと飛び跳ねて、恐る恐る。僕たちはまるで絡繰人形のように、ゆっくり、ゆっくりと視線を浜辺へ移した。
そこには、大玉スイカ大のビーチボールを片手に微笑む母さんの姿があった。
おかしいな。どうしてこんなに身体が震えるんだろう。
からっとした夏の日差しはこんなにも僕たちを照らしてくれているというのに、何故だが背筋が凍ってしまう。
「あ、そうだ。そんなに暇なら、皆でビーチボールをしましょう! 男の子だもの、運動は得意でしょう? ―――参加、してくれるわよね?」
「「「「イエス! マム!」」」」
それはとても優しくて、朗らかで、暖かい。だけど、確かな危険を感じさせる笑みだった。
時に大地を照らし、時に命を育み、時に僕らに牙を剥く陽の光のように。うちの母さんは強くて優しくて逞しくて、そして畏怖の対象なのである。
そんな人に圧を掛けられたら、敬礼でもするしかない。僕たち生研部員の心は、今ここに一つとなった。足下で、哀れにもカニのように泡を吹く父さんを後目にみながら。
「いえす……まむ……ガクッ」
――A.M.11:08――
そうして、母さんの提案で始まったのが、夏の定番ことビーチボール大会……という名のお仕置きだった。
まず、女子対男子という対決がいけない。
女子組は数が多い分、ローテーションでの交代有りなのに対して、男子組はたったの四人しか居ない。しかも殆どがスポーツが不得手で、できるのは耶真人ぐらいだ。
さらに、戦力的に有利なのは数だけじゃない。母さんもスポーツは得意な方だけど、何よりアキラとミオの存在が大きい。二ヵ月前の球技大会。あれを忘れるはずもあるまい。
フェアもルールもへったくれもない状況で、数の戦力も、個々の戦力差も圧倒的に女子が上。
つまり、どうあがいても勝てない戦いなのである。こんなの出来レースも良いところだ。
それどころか、男組――特に父さん個人――にとって、それはもう、戦慄の一時と言っても過言ではない。ぶっちゃけ本当に生死が掛かってそう。
ほら、今だって晶が蹴ったボールが浜辺にめり込んでる。つーか、耐えてるボールも凄えよ。あれ本当にビニール製?
ちなみに、僕は愛理沙と琴音の面倒を見なきゃいけないということで許された。まあ、あんな戦場に妹たちを送り出すわけにもいかないからね。仕方ないね。後で二人にはかき氷でも奢ってあげることにしよう。
……ただし、僕にもペナルティが無いわけでもない。身の潔白を証明したいところだが、世の中には連帯責任という言葉もある。残念なことに。
そしてそのペナルティの内容なのだが、この試合に勝ったら、このあとからの夏休みの間、母親権限で僕の独占権が晶と三尾に授与されるらしい。そして、どちらが初日分を獲得するかは、母さんの独断でMVPを決めることになっている。
そう、だからあの二人は何時になく本気なのだ。巧みな連携プレーを見せる傍ら、お互いに睥睨し、バチバチに牽制しあってる。冗談抜きで怖い。
「おや? なんだ、結局荷物番は若葉一人でやってるのか?」
後ろから声が掛かり、僕は声の主を確かめようと振り返った。
そこにいたのは、海パンに加えて左腕に腕時計、アロハシャツを着た男性だった。四月からの三ヶ月が経ってすっかり見慣れたクラス担任の顔に、僕は安堵の声を上げる。
「小山先生! もう、やっと戻ってきた……」
「え、何。もしかして、俺がいない間に何かあった?」
「ええ、ありましたよ。色々と……」
僕がそうっと目を逸らすと、教師として生徒の事情には敏感なのか、先生はそれ以上のことを訊くことはなかった。
「あ、それと妹が居るので、別に一人じゃないですよ」
「いえーい」
「………」
「なるほど。違い無いな」
先生は妹たちを横目に、コクコクと頷いてブルーシートの上に座った。
「席空いてますよ?」
「いや、荷物番するなら、こっちに居た方がいいだろ普通」
「うーん、確かに」
思えば、なんで荷物を後ろに置いて荷物番してたんだろ僕ら。
良かったよ。ちゃんとした判断ができる大人が一人でも居てくれて。大体さ、皆夏に浮かれすぎなんだよ。まあ、僕もだけど。
「……ところで、あれ狙ってるよね?」
「狙ってますね。あ、また当たった」
ごく自然なように。なんだか当たり前のように。僕たちは母さんのボールが父さんの顔面に直撃する様を目の当たりにする。
その次も、そのまた次も。母さんのアタックやサーブが必ず父さんの顔面を強打している。いや、させている。
なんて精度だ。的確に顔を狙ってやがる。しかも一発も弾が外れてない。すっごく、いたそーだ。
うん、まあ。自業自得だね。調子に乗って母さんを怒らせるからいけないんだ。
「さて、もう十一時を回ってるが、どうする?」
「そうですねぇ、じゃあちょっと早いですけど、こっちでお昼の準備しちゃいましょうか」
「そうだな。教授ー! 奥さーん! そろそろお昼の時間なんで、こっちで先に準備始めてますねー!」
「はーい、よろしくお願いしまー、すっ‼」
「小山くーん! お昼食べてから活動始めるから、そのつもりで居ておいてぶふぉあッ!?」
「「「ぎゃーッ!?」」」
例え会話中でも、ビーチボールは容赦なく砂を巻き上げていた。
うん、いい加減父さんと先輩たちが可哀想に思えてきた頃合いかな。
「……サクッと準備終わらせて、皆を楽にさせてあげようか」
「すみません、うちの両親がすみません」
「いやぁ、面白い親御さんだと思うよ。……傍から見れば」
「デスヨネー。さ、琴音と愛理沙も手伝ってくれよ」
「はーい!」
「……うんっ」
二人のやる気に満ちた返事を受け取って、僕と先生でバーベキューの準備を始めた。
荷物から、コンロやトング、その他機材を取り出していき、僕と先生で組み立てて、中に炭と着火剤を入れてライターで火を点ける。
食材に関しては、今回こちらで持ってきたのは食材は野菜と魚介類と、後はお米とカレールーも持ってきた。肉類を用意しなかったのは牧野さんとこの牧場から産地直送で持ってきてもらえることになったからだ。
クーラーボックスの中を覗くと、そこにはビニール袋に包まれた食材がぎっしりと詰まっていた。野菜はニンジン、タマネギ、ピーマン、キャベツ、トウモロコシ。肉はリブロ―ス、牛タン、鶏もも、セセリ、ブタバラ、ホルモンに加えて、ねぎまや厚切りベーコン、フランクフルトと盛沢山だ。魚介の方も、肉代が浮いた分奮発してもらえて、スルメイカ、ホタテやサザエにクルマエビと、人数が多いのもあるだろうが、過去一番に豪勢な品揃えになった。
あとはゴミ袋を用意したり、折りたたみ式のテーブルを組み立てたり。琴音と愛里沙には、紙皿や紙コップをテーブルに並べてもらう手伝いをしてもらっている。なお、食材のカットは先に済ませてあるので、後は焼くだけの手筈だ。
午後は予定があるって言うのに、少し食材が多い気もするが、まあこの人数だし大丈夫だろう。もし余ったら、残りは皆で持ち帰ってしまえば良い。
途中、ビーチボールに参加していたはずの牧野さん、伊野井さん、風羽さんの三人も合流したので、思いの外早く支度を早く終えられそうだ。
ただ、途中で抜け出して良かったのかが気になって尋ねてみると。
「いや、あたしたちやる意味ある?」
「ムリムリ。ついていけない」
「そもそも、どうしてこんなことになってるんでしょう?」
とのことだ。納得である。
実際、サーブもレシーブもパスもアタックも、全部あの三人でやってるし、彼女たちが参加する意味は皆無と言って良いだろう。
……普段なら、「料理は任せてください!」とか言って晶と三尾が躍り出て来る所なのだが、今回はあの一方的な蹂躙に夢中なようで。余程、景品が欲しいと見える。自分で言ってて悲しくなるなこれ。
とはいえ、それはそれで、ちょっと寂しさを感じる僕なのであった。
それから少し経って、これから焼き始めようかと思っていた頃。
「アーニキ。ちょうど昼飯かい?」
「竜! お前、今まで何処に行ってたんだよ」
背後から聞き慣れた声がすると思って振り向いてみれば、そこには水着姿の竜がいた。水着は黒を基調とした生地にドラゴンの刺繍が施されており、どことなくパンクなデザインだ。ビキニ調であいつの引き締まった体が良く強調されている。
「ちょっと端まで泳ぎに行ってただけさね。別にそんなに心配することじゃないだろ?」
「端までって。相変わらず、体力オバケだな」
「えー、オバケはセンスないねぇ。折角海に来たんだ。せめてサメかシャチとかに例えなよ」
「いや、お前はどっちかって言うと恐竜だろ」
ふと、そんなことを口走る。
昔、竜がまだ小学生だった頃に、プロレスごっこ――のようなもの――をしたことがある。その時は、まあ子供の遊びだから、と軽い気持ちで挑戦を受けたのだが、あれは間違いだったと今でも思う。
普段から軽い運動もせず、日がな一日ゴロゴロしてるダメ兄貴と、母さんの真似をして毎日筋トレをしている妹とは、力の差が歴然だったのだ。その荒れようたるや、街を破壊する怪獣のよう。対する僕は、逃げ遅れた一般市民と言っていい。真面目な話、関節技で肩が外れると思った。
当の本人には、害意なんてこれっぽっちもなかったとは思う。だけど、子供は時に無邪気にアリを潰すこともあるのだから、実に恐ろしい。
だから、怪獣とまでは言わなくとも、あえて地球上の生物で例えるなら、やっぱり恐竜だろう。暴君トカゲ―――ティラノサウルス・レックスなら、イメージにぴったりだ。
……思えば、ごっこ遊びとはいえ、なんでプロレス勝負なんて受けたんだろうな、あの頃の僕。そもそも、あの頃から竜はもう僕の身長を越えようとしていたわけで。見ただけで叶わないって思わなかったのかなぁ。思わなかったんだろうなぁ。
以来、僕は二度と力比べも兄妹喧嘩はしないと決めたのである。もっとも、僕は常に穏健派のつもりだが。
「……へぇ。アニキ。それ、アタシが怪獣みたいな女だって言いたいのかい?」
「そうじゃないです。すんません調子に乗りましたどうかその拳をしまってください」
残念ながら、お気に召さなかったらしい。
あの時と同じ目には遭いたくない、という一心で、男らしさとか、兄のプライドとか、そんなものは海の底に放り投げて頭を下げた。
どうにも、うちの家系は女性陣が強い傾向があるらしい。いや、約二名血の繋がりだけとも限らない存在がいるが、それはそれだ。
どちらにせよ、僕も妹も、大概親の血を受け継いでいるのかもしれない。数分毎に上がる悲鳴を聞き流しながら、ひしひしとそんな気がしていた。
「で、なんだいあれ。なんかの罰ゲーム?」
「そうだね。罰ゲームだね、あれ」
「……はぁ。さてはオヤジのヤツ、まーた変なこと言ってオフクロのこと怒らせたな?」
へえ、姐さんのご明察通りでさぁ。
僕はこうなった経緯を軽く説明した。大体、七割は父さんの所為。残り二割が井根森先輩、一割は僕も含めた残りの面子というところか。まったく非がないとは思わないけれど、こちらはほぼとばっちりのようなものだと主張したい。
「お、そろそろか。具材焼き始めるから、竜も手伝えよ。そうだな、お米でも炊いておいてくれないか?」
「はいよ。任せときな」
そう言って竜は荷物からキャンプ用の飯盒とお米を取り出した。
……しっかし。竜もこうして水着姿になってみると女の子っぽく見えるんだよな。何せ、普段は筋トレばっかしてて女子らしさが皆無な上に、男勝りで荒い気性が相俟って腕っぷしも立つような妹だ。
まあ、男勝りで喧嘩に強いっていう意味だと、晶と三尾にも言えるとこなんだけど。なんというか、竜の場合はベクトルが違う気がする。
おまけにガタイ良すぎて俺より身長高いし。傍から見たら多分どっちが長子か分かんないだろうなぁ。
しかも母さんに似てか、同年代の女の子の中では美形な方だったりするらしく、引き締まった筋肉のお陰でスタイルも良いときた。琴音の話じゃ、中学では番長的な人気と憧れの先輩的な人気を両立し、男女問わず注目の的なのだとか。
それと、実は家事スキルも高い。少なくとも、偶に晶たちを手伝っていることもあるぐらいには。
「「「「ギャーーーッ!?」」」」
……そろそろ、誰かがあの地獄を止めなくてはならない。
「おーい! 母さーん! そろそろバーベキュー始めるから、もうそのくらいにしてあげてー!」
「はーい、わかったわー! 次のプレーで最後にするからー! じゃあ、晶ちゃん、三尾ちゃん。ラストスパート、いっくわよー!」
「「おー!」」
「「「「もうやめてぇーーー!!!!」」」」
―――程なくして。運動が良いストレスの発散になったのか、スッキリしたような顔をした母さんと晶と三尾が戻ってきた。
ちなみに、MVPがどっちになったかはお昼のあとのお楽しみということになり、僕の処遇は今のところ保留となった。
そして、二人共よっぽど自信があるのか、ぶつぶつと呪文を唱えるようにこのあとからの予定を既に組み始めていたのである。
果たして僕は、一体これからどうなってしまうのだろう……? まったく身の毛がよだつ思いだ。
一方、先輩二人と耶真人、そして諸悪の根源たる父さんはというと。
まるで危険な猛獣から命からがら逃げ延びてきたかのように、意気消沈した顔はすっかり砂にまみれていて、よろよろと歩いてようやくこっちまで辿り着いた四人は、白い砂の上にばったりと倒れ込んだ。
頭の中でちーん、という効果音が鳴る。それくらい悲惨な光景だった。
僕と先生は、紙コップに冷えた麦茶を注ぐ。お勤めご苦労様です、と心の中で合掌しながら。
しかし炭火の匂いがここまで漂ってくると、父さんと耶真人は途端に起き上がって、紙皿の上のこんがりと焼き上がった肉にがっつくのであった。
「……もうちょいブチのめしてもらってもよかったんじゃないかなあれ」
「ははは。なんだか教授と鷲津くんって、もしかしなくても似た者同士だよね。なんか、所々同調してるし」
「あんなのが二人もいたら困るの僕なんですけどね」
「と言いつつ、若葉氏も満更でもないのでは? なんだかんだ面倒見が良いですからな、君は」
「まあ、付き合いやすい相手なのは事実ですけども」
色々と先輩たちに言いたいことはあるけど、否定する要素がない。
耶真人とは、休み時間とか晶と三尾が居ない時とかに、生物やアニメなんかの話で盛り上がることも多い。
前にもあいつに話したけれど、晶と三尾、それと自分の家族以外に、ここまで気の置けない仲の相手ができるのは始めてだ。まあ、今まで碌に友達とか作ってこなかったのもあるんだけど。
ただ、僕と耶真人で決定的な違いがあるのも事実だ。
この前の期末テストなんて、五クラスある一年生の中で、僕が真ん中ぐらいの順位だったのに、耶真人は学年三位だったし。全く悔しい限りだが、この差を埋めるのは難しい。
ちなみに、学年最トップは晶と三尾が同立で獲得している。今後は、この三人のトップ争いが絶えないんだろう。もっとも、あの二人にはトップを取ろうという意識は全く無いのだけど。
「ハルキくん。カレー、食べる?」
「うん、お願いするよ。三尾のカレーは美味いからな」
「ふふ。了解した。待ってて、すぐ作るから」
「ごしゅ……ハルキくん、鶏ももは串焼きにしようと思うんですけど、タレが良いですか? 塩コショウが良いですか?」
「うーん、塩コショウで。あ、でもセセリにはタレ掛けてほしいな」
「はーい。わっかりましたー!」
「夏野菜とシーフード、どっちがいい?」
「夏野菜で。魚介の方は炭火で焼こうか」
「ん」
「じゃあ、さっそくこっちで焼いちゃいますね! あ、ソーセージ焼けましたよ~」
それまで調理組は牧野さん達がのんびり具材を焼いていたのだが、晶と三尾が加わった途端、急に忙しなくなって、どんどん肉や魚介が焼き上がっていく。
無論、コンロに炭を足して火力を上げたわけではなく、二人の手腕によるものだ。
誰がどのタイミングで一皿平らげても、その度にアツアツの焼き立てが食べられるよう調整しているのか、ここまで冷めた料理は全く口にしていない。それになにより、美味い。
肉は肉汁たっぷりでジューシーに。エビとイカはオイスターソースを掛けてじっくり焼いて、ホタテは殻ごと、サザエはつぼ焼きに。そこにさっと焼いた野菜を一緒に食べると、滲み出た甘味が更に舌を唸らせる。使った食材が良いのもあるのかもしれないが、やっぱり、二人の作る料理はいつ食べても美味いんだ。
「う~ん、美味しいです~! 晶さんと三尾さん、お料理上手なんですね~!」
「うっわ。なにこれ。お肉の焼き加減絶妙じゃない!」
「うう……うう……。こんなに美味しく料理してもらえて、私も嬉しいよぅ」
いつの間にか、牧野さん、伊野井さん、風羽さんの三人も食べる側に回っていて、母さんや琴音、竜も交えて女性陣はかなり盛り上がっているようだ。
結局、あれから姉妹間の関係はうやむやのままだが、今日ばかりは二人とも機嫌がいいみたいだ。喧嘩をしても食材やお菓子の取り合いぐらいだろう。なお、愛理沙は変わらず僕の膝の上である。
「感謝しなさいよね。ハルキくんたちに振る舞うついでなんだから」
「ん。特別待遇」
などと偉ぶっているが、あれは多分、照れ隠しの類いだ。確かに、晶と三尾が僕と家族以外に料理を作るのは珍しい。こんな機会でもなければ、まず無かったことだろう。慣れない称賛に、案外二人も戸惑っているのかもしれない。
「あら、晶ちゃんと三尾ちゃんが得意なのは、料理だけじゃないのよ? お掃除も洗濯も買い物も。家事なら何だってできるんだから」
「女子力高いもんね。晶と三尾って。私やお姉ちゃんも偶に料理作るけど、全然味違うよね」
「そりゃねぇ。年季が違うっていうか、隠し味の違いだろうさ。あれにはアタシも敵わないね」
「じゃあもしかして、毎日の家事はお二人で?」
「そうなのよねぇ。本当だったら、私がやらなきゃいけないんだけど、仕事で帰りが遅いことも多いから……。特に最近なんて、まともに寝てもいないし。だから、どうしても二人に頼り切りになっちゃうのよね。一主婦としてなさけないわ」
「もう、やめてくださいよ。日和さんもお二人も。私たちは好きでやってるだけなんですから」
「ん。毎日喜んでもらえて、こっちも嬉しい」
対して男性陣は、そんな彼女らに敢えて干渉せず、少し遠巻きに見守るようにして会話を弾ませていた。
「凄いね。至れり尽くせりだね」
「いやぁー、羨ましいですなー」
「お陰で楽してますよ。……その分、ちゃんと構ってあげないといけないのが玉に瑕なんですけど」
「まあ、そう言ってやるな。お前らの関係はもう学校中の噂になってるぐらいなんだぞ?」
「……はぁ!? なんですかそれ先生。僕初耳なんですけど!?」
「なんだ、知らなかったのか。ほら、確か球技大会だったか? 随分と派手な試合をしたらしいじゃないか。相手があの現生徒会長の八城なのもあったのかもしれないが、あれ以来あの二人に他の生徒たちからの注目が集まってな。次第に色々と情報も出回ったんだよ。今じゃ、二年や三年にさえ二人に憧れる男女もいるらしい。ほんとかどうかは知らんがな」
「で、その過程で当然のように僕との関係も一緒に流れたと」
「まあ、そうなるな」
僕が先輩たちに目を配ると二人とも深く頷き、顔が真っ青になった。
確かに、例の球技大会以来、晶と三尾の名前を学校でよく聞くようになった気はしてたけど。まさかそんなことになっていたとは知らなかった……。
晶と三尾は確かに頼りになる存在だけど、裏を返せば優秀過ぎるとも言える。その二人が慕ってる人物なら、超イケメンだとか、めっちゃ頭良いだとか、その辺は色々誇張されて流れていることぐらい想像に難くない。いや、言われて嬉しくないと言ったら嘘にはなるけど。
なんにしても迷惑な話だ。まったく、どうしてこんなことに……。
「まあ、今のところ学校じゃ恋愛禁止の校則とかないから。学業に支障がない限りは、ゆっくり青春しておきなさい」
「青春、ですか……ははは……」
果たして僕に真っ当な青春が送れるのかどうか。それすらも怪しいというものだ。もう苦笑いするしかないなこれ。
「モテるくせになんであんなかおするんすかね」
「モてるおとこっていうのも、それはそれでたいへんなんだよ、きっと」
「はいそこちゃんと飲み込んでから喋ってね?」
「「ごっくん」」
お行儀の悪い友人と父親はほっといて、気持ちを切り替えよう。うん、そうしよう。これ以上は考えても仕方のないことだ。
そんな、くだらないことで盛りあがっていたときである。
「あら? あらあらあら~?」
何かわざとらしくて、何故か絡みつくようで、何処か品のあるボイス。
そんな聞き覚えのある声が背後からするかと思って振り返ると、息がかかるぐらい目の前に、黒金ストライプのビキニ姿の彼女とその連れがそこに居た。
「ごきげんよう。ムッシュ・若葉」
「せ、せ、せ、生徒会長!? なんでここに!?」
『―――はい!?』
「「……誰?」」
「あら、その他の方々もごきげんよう。それと、私の事は是非メリッサと呼んで欲しいといつも言っているではありませんか、若葉様。いえ、ここではその呼び方は相応しくなかったかしら?」
とんでもない大物の乱入に、妹たちを抜く一同が騒然とする中、晶が肉を挟んでいた熱々のトングを彼女に突きつけた。
「あんた、何しに来たわけ?」
「お元気? アキラ。相変わらず暑苦しく吠えてらっしゃいますこと」
「茶化すな。吠えるついでに噛みついてやるわよ」
「まあ、怖い。躾のなってない猛犬ですか貴女は?」
あからさまに挑発する会長と、獣のように唸りを上げる晶、それを静観する三尾と修羅場の予感がする僕。
「と、ところで、なんで会長がここに?」
「それについては私がご説明致しましょう」
そう言って前に出たのは、会長のいつもの連れの人―――学園の女王的に言えば、取り巻きと言った方が良いだろうか――の一人、栄樹有愛先輩だった。黒髪で背が高く、女性なのは間違いないが、立ち振る舞いは執事かSPのそれだ。
その横には、赤毛でキレ目の、少し雰囲気の暗い感じがする女子が一人。確か名前は栄樹凜冴先輩、だっけか。名字が同じだが、有愛先輩との関係は不明だ。学年は同じのはずだが、双子というにはあまりにも顔が似ていない。偶々名字が同じだったのか、それとも親戚同士なのか、あるいは―――いや、仮にそうだとしても詮索はするべきではないだろう。
「実は、このビーチの一部区画を我が財閥が貸し切っておりまして。日頃忙しい身の姫ですが、本日は偶々スケジュールにお暇があり、こうして皆様と同じく海水浴に赴いた次第です。ですが、姫は例え休みでも業務には熱心な御方。日課のロードワークの傍ら、大衆受けの新しいファッションを探して周辺の視察に赴いていたのです。まさか、そこで貴方がたと出会えるとは」
「うふふ、光栄ですわ」
会長と取り巻きの二人は僕の後ろに居た父さんに御辞儀をした。
なるほど、ビーチが狭くなった犯人はこの人達だったか。こりゃ誰も文句は言えない。財力というのは恐ろしい。
あれ。そういえば、父さんは会長のお父さんと知り合いなんだっけ。……やばい、なんか失礼なことしてないか不安になってきた。
「へえ、じゃあ君達は偶然僕らとここで鉢合わせた、と言いたいわけだ」
「はい。その通りですが、何か問題がおありですか? 教授?」
「ふーん。いや別に」
気の所為かな。おふざけが多いくらいで、いつも温厚な父さんが、急に不機嫌なっているような。心なしか、母さんまで表情を張り詰めているように見える。
「あ、そうだ。晶ちゃん、三尾ちゃん。そろそろ、MVPは誰だったか、知りたくない?」
「―――はっ!? で、結局どっちがMVPだったんですか!?」
「ん。それは私も気になってた。教えて欲しい」
あー、そういえばそんな話ありましたね。現実逃避のあまり忘れてました。できればこのまま掘り返さないで欲しかったんだけど。
「ん~~~! どっちも活躍してたから、二人共賞品獲得! 今日のところは仲良く半分こして楽しんでいきなさいな」
「はあっ!? ちょっと母さん、そりゃないよ……」
「あら、女の子二人を相手にするくらい、貴方ならなんでもないでしょ? いつものことじゃない」
「「「な~~~に~~~!?」」」
「いやいやいや。僕の身体は一つなんだけど。どうしろと? あとそこの三人は黙ってて」
というか、二人はそれでいいんですか。もっと白黒はっきりしなくていいの? いやされても困るんだけどさ。
「さ。ごしゅ……ハ、ル、キくん。こーんな悪趣味極まりない金髪傲慢トラ柄クソお嬢サマは置いといて、私達とあっちで遊びましょ~」
「悪趣味とは人聞きの悪い! それに、この黒と金のデザインはトラ柄ではなく、我が社のイメージキャラクターであるミツバチをモチーフとしたものですわ! ミツバチは女王を中心とした社会性昆虫。そのため、古来より金運や繁栄などを象徴する存在であり、彼の皇帝ナポレオン・ボナパルト一世も王権の象徴として装飾にミツバチの意匠を――――」
「ん。私はハルキくんと一緒なら何でもいいや」
「え、あ、ちょっ、まっ、二人して引っ張らないでってば、ちょっとー!?」
「あ、こらっ! プレゼンは最後まで聴くものでしてよーーー!?」
僕は二人に両腕を肩のあたりからがっちりとホールドされて、波打ち際まで連行されていった。
「全く……人の話は最後まで、と教えてはいないのですか?」
「さて、彼女達は僕よりもよくできた娘だと思っているのでね。問題があるとすれば、君の方なんじゃないかな?」
「まあ、失礼しちゃいますわ。私とて財閥の次期当主。庶民の方々よりも教育は受けていましてよ」
「ははは。で、本当のところ、僕らの監視にでも来たんだろ? まったく、プライベートには干渉してほしくないと、再三言ったと思ったんだがね」
「あら、ここは人目もつくというのに、良いのですか? 奥様は兎も角、ご家族や関係の無い方々に聞こえてしまいますわよ?」
「だからこうして、顔も向けずに小声で言ってるんじゃないか。それに、あっちの方なら日和がなんとかしてくれてるよ。だからこそ、一番勘の良い二人を遠ざけてくれたのだしね。ほら、今だってバーベキューを指揮っているのは彼女だろう?」
「あらまあ。なんと手際の良い。ですが、それはお門違いですわよ? 先程ご説明した通り、今回はただの偶然ですわ。契約違反をしたつもりはありません」
「どうだか。あまり信用はできないね」
「ではこうしましょう。今回のことは、ご子息に免じて、報告はしないでおきます。お父様には、『後輩家族との思い出作り』とだけ言い訳しておきますわ。口約束ですが」
「なんだ、その割には気前が良さそうじゃないか。まさか、本当に君まで晴樹の事を好いているのかい? それともただの打算かな」
「そこは、ご想像におまかせしますわ。オーッホッホッホ!」
「……やれやれ。もしかして、ういの長男ってば魔性の男だったりする? いや流石にそれは無いか……な。っていうか、ホントにそんな笑い方する人いるんだね」
「それ今ツッコミます!?」
―――うーん。やっぱり、会長が来てからというものの、父さんの様子がなんかおかしいような。遠目で何をしているかはわからないけど、何やらこそこそと言葉を交わしているようにも見える。
……まさか。研究費の為にお金借り過ぎて、いつの間にか大量の借金を抱えているとか? いや、でも母さんの目もあるし、流石にそんなことには……でも、最近研究が忙しいって。もし本当に借金返済のために四苦八苦してるだとしたら、それはそれで辻褄が合うような、合わないような……。うーん……うーん……。
「ねえ、晶、三尾」
「はい、何ですか?」
「ん? どうかした?」
「バイト、した方が良いのかな……」
「「―――?????」」
その後、どうしても気になったので父さんに訊いてみると、どうやら会長に昔の話を聞かせていただけだったらしい。機嫌が悪いように見えたのも、どうやら気の所為だったようだ。




