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おしまい

 ジョンの捜索は(途中から、仕事から帰ってきた父親も交えて)日が暮れるまでかかった。道路についた黒い染みは途中で途切れており、飼い犬を連れ去ったであろう犯人を捜す手がかりにはなりそうにもなかったのである。不思議な事に、酷く大きな音がしたにも拘らず、誰一人この犬の身に起きた惨劇或いは逃走劇を知らなかった。お隣の老夫婦でさえも。

「おじいちゃん、お隣のおじいちゃん。聞いたでしょう、うちの犬小屋が壊れる音を」

「んー? さぁ……わしは知らんなぁ。耳も遠くはなっていないし、聞き間違いじゃないかのう」

「そうですねぇ、おじいさん。私も外でお花に水をやっていたんですけど、怪しい人も、ジョンちゃんも見なかったんですよ」

 ……こんなわけで、聞き込みに頼らず家族だけで情報を集める必要があった。有力な情報も得られぬまま、時間ばかりが過ぎていったのである。

 河川敷で犬の名前を機械的に呼ぶだけの簡単なお仕事は、翠子にとって何の意味も為さなかった。あんな躾のなってない犬、アクガレが攫わなくても、どっか遠くに行っちゃったに決まってる。パパとママ、可愛い可愛いって甘やかしてたもんね。あたしのことなんかうっちゃらかしてさ。

 喉が枯れてきた。無駄に声を張り上げすぎたからだ。歩きすぎて脚も痛い。何もかもが嫌で河原にへたり込む。

 ぺろぺろ。生温かい何かが翠子の左手を舐めた。

「あんたに何がわかるのよ、馬鹿犬」

 舌打ちして横を見る。そこにいたのは馬鹿犬ではない、一匹の痩せた黒い仔犬だった。小さな耳はピンと立って、顔には白い麻呂眉がある。 中々戻って来ない翠子を心配して、両親が駆けつけてきた。

 そして、絶句した。


「ねぇママ。この仔、河原にいたんだ。可愛くない?」

 今までの不満も忘れ、仔犬を抱えて満面の笑顔を浮かべる娘。

 だが二人は気付いていた。

 仔犬の口に……「ジョン」と書かれた、タールが滴る首輪が咥えられていることに。


「翠子。あんたまさか、この仔を飼いたいだなんて言うんじゃないでしょうね」

「でも、毛もボサボサだし、可哀そうだよ。放っておいたら捨てられ――」

 再び、平手打ちが飛ぶ。翠子の左の頬が、痺れて熱くなった。


「どうしてあんたはその台詞を、ジョンに向けようとしなかったの!」

 ちがうもん。

「ジョンだって家族だったのよ! なのにあんたは、散歩に連れていくのも渋って、汚いだの馬鹿犬だの言って、ろくに可愛がろうとしなかった」

 パパが勝手にもらってきただけじゃん。あたし、知らないもん。

「あんたの真っ暗な部屋だってそうよ。ママが誕生日にあげた玩具も、パパのお土産も全部捨てたんでしょ。それで何から何まで、真っ黒なものばっかり置いて……」

 好きなタイプじゃなかったんだもん。

「なんでそんなに思いやりの無い子に育ったの! こんな馬鹿生むんじゃなかったわ」

 ちがうもんちがうもんちがうもんちがうもんちがうもんちがうもんちがうもん――



 ――気付いたら自分の部屋の中にいた。どこをどう戻ったかわからない。スニーカーを履いたまま上がったらしく、床に泥がついている。腕に抱かれた黒い仔犬は自分と同じ色の部屋に興味深々だ。

「……あたし、いらないんだってさ」

 仔犬の頭をよしよしと撫で、哀れな少女は呟く。

「ママがね、こんな子生まなきゃ良かったって言ったんだ。あたしは皆に認めてほしかっただけなんだよ。

 いじめられたくなかった。たくさん良いもの持ってるって証明して、下沢みたいのより格上って思ってほしかった。

 パパとママにわがまま聞いてもらえるのも、あたしを愛してくれてるからだって思ってたんだ。もっと愛してほしかった。

 ……でも、もう手遅れだよね。何を欲しがっても、ムダなんだ」

 仔犬が腕の中でもそもそと動いた。身をよじって翠子と向かい合う。丸い前脚は空を掻いていた。

 翠子は仔犬にそっと頬を寄せた。目から流れる塩水を、仔犬が温かな舌で舐めとっていく。

 そして、


『これからさ。そばにいてあげるよ』


 身の毛もよだつ声でささやいた。

 少女は驚いて仔犬を放り出した。が、時すでに遅し。あれよあれよという間に、仔犬はねばねばした黒い水で覆われていく。ぱっくり二つに割れた体から転がり出る白い石。

 アクガレだった。

「……どうして? あの犬を取り替えてくれるんじゃ……」

『やめた。ミドリコチャン、すぐあきちゃうんだもん』

 溶けた黒い肉に浮かび上がる笑みは、夜の三日月を思わせた。

『ミドリコチャンさぁ、このアクガレがあげたものにも、あきちゃってない? なにかあげてもすぐ、べつのものもかえてほしいっていったよね』

 アクガレは少女に望まれるがまま、彼女の私物をもっと良いものにしてやっていった。だが、貰っても貰っても少女の欲は満ち足りなかった。部屋いっぱいに溢れたアクガレからのプレゼントが、欲の深さを物語っている。

「……ごめんなさい。あたし、飽きたんじゃなくて」

『あきてなかったらさぁ、アクガレがあげたおにんぎょうのふく、おともだちにあげないよね』

 はっとした。友人達を部屋に招いた時、少女は親友と着せ替え人形のドレスを交換していたのだ。

 まさかあんな些細なことを、アクガレが気にしていたなんて。

 アクガレの「下あご」がまた、がくりと外れる。

『だからさ。これからはおとうさんやおかあさんとじゃなくて、ずっとアクガレとくらそうよ。

 もうあきないよ。なんでもだしてあげるからね。

 どこにもいかなくていいんだよ』

 少女の黒いスニーカーからもタールが滲みだしてくる。否、タールに変わっていく。

 そればかりではない。部屋にある黒いもの全てから、黒いねばねばと白い塊が溢れだす。黒くないものを覆いながら。

 少女はタールの海でもがく。泥に手をつっこむ感覚が残るばかりで、少しも身動きできない。手に硬い石のような何かが刺さる。

『だいじょうぶ』アクガレの臭い手が彼女の口元を包んだ。

『ジョンもよろこんでるからね』

 タールと腐肉で塗れた犬「だったもの」が、ワンと吠えた――。



 その日から、小さなお姫様のいる部屋は、開かない。たまにドアの隙間から黒いねばねばが滲みだすが、それでも開かない。

 中で彼女が何をしているのかは、誰も知らない。


〈おしまい〉

どうも、沙猫です。夏ホラー企画、楽しんでいただけましたでしょうか。

たらたら長い話になったことを申し訳なく思います。

結局一番怖いのは人の欲で、皆誰もが心の中に欲の怪物を飼っているのです。

それと、古語に「あくがる」と言う言葉がありまして。心が身体から離れてさまようとか、ぼーっとする、って意味があるそうで。

まさに手に入らないものを望む、欲ってもんではありませんかと、怪物の名前にさせていただきました。

それでは。読んでくれてありがとうございました。

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