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よくばり

 結論からいうと、この名状しがたい泥人形のようなものは、翠子の生活を大いに潤した。


 アクガレが来てから数週間経ったある日のことである。

 翠子は上機嫌で鼻歌を歌いながら、部屋の掃除をしていた。もうすぐ訪ねてくる友達三人と、一緒にゲームをして遊ぶ約束なのだ。

「翠子、そろそろハタキ返してちょうだい。片づけ終わらないなら、手伝おうか」

 居間から母親が催促する声がした。

「はぁい、ママ。大丈夫。もうすぐ終わるよ」

 つい遊んでいた縫いぐるみから手を放し、翠子は早々にハタキかけを再開した。危ないところだった。こんな部屋に入られてはたまらない。プライバシーを侵害しないでと前々から言っている分、怪しまれることはないだろうけど。


 今や翠子の自室は、小物から壁紙に至るまで真っ黒だった。私物を提供する代わりに、全部アクガレが持ってきてくれたのである。欲しがっていた「ウェイステーション」よりずっと面白いゲームソフトも、熊ちゃんのぬいぐるみも(翠子は白熊がいいといったのに出てきたのは黒熊だった)。どれも友達が持っているものより素敵なものばかりだ。


『ミドリコチャン、きょうはなにがほしい?』

 最初は小さな文房具とか簡単に買えるものを要求するだけに留めておこうと思っていた。しかし、欲しいものが手に入れば入るほど、人の欲というものは強くなるものである。次はあれ、その次はこれをと言いつづけた結果がこれだ。


 呼び鈴が鳴る。友達の声がする。自慢の部屋を見たら、皆はどんな顔をするだろう。翠子は浮足立って玄関へ向かった。


 四人は携帯ゲームの貸し借りや、リリーちゃん人形で家族ごっこをして遊んだ。特にホスト役の翠子は面白いソフトや可愛い人形のドレスを持っていて、皆を驚かせた――何から何まで真っ黒い分注目の的になっただけかもしれないが。実際、皆の顔はまさに遊園地のミラーハウスかお化け屋敷を探検している時のそれだった。

「翠子ちゃん、そんなかわいいワンピース持ってたんだ。私のリリーちゃんのと交換しようよ」

 香奈ちゃんが人形用ドレスを見せてくれた。エメラルド色のドレスは確かに魅力的だし、友情の証に交換するのも良いだろう。そうだね、と翠子はリリーちゃんをうつ伏せにして、ワンピースを留める面ファスナーを外していった。

 それから携帯ゲームの通信対戦を三回程した頃だろうか。

「そういえば」友達の一人が口を開く。

「こないださぁ、翠子、下沢の家に行ったって言ってたよね。あれ、どうだったの」

「やっぱりあいつみたいに汚い部屋だった?」

 興味津々の友人達に、翠子は思い出したくないと首を振る。何から何まで黒い部屋だと、余計うんざりした顔に見える。



 その通り、翠子は先日風邪で休んだ下沢さんの所に宿題を届けに行ったのである。酷い経験だった。バカな男子共からは「シモサワ菌をうつすなよー!」とひやかされ、女子達からは憐みの視線を向けられ、まるで学校のトイレ掃除当番に当たったようであった。

 先生に地図をかいてもらって行った家は小さな肉屋で、下沢さんは二階の部屋で寝ていた。アクガレが来る前の自室より、ずっと物が無く、埃だらけだ。

「えーと、下沢さん。これ……先生に頼まれて」

 入口から、中に入らないように、細々と声をかけた。二度三度名前を呼んで、下沢さんは漸く起きた。目ヤニだらけの目をこすり、汚物に触れるかの如く差し出されたプリントを、有り難う、と受け取った。

 翠子は部屋の端に置かれていた段ボール箱に目を留めた。中には申し訳程度に入れられた、くたびれたおもちゃ。

「あ、それ、私のお人形。お母さんが作ってくれたの」

 下沢さんは照れくさそうに、ボロ布でできた人型の物体を見せた。赤と青のボタンでできた目や、今にも千切れそうな太い手足は、かわいいどころか気持ち悪いと思わせるに十分なものだった。

 


「……どうしたの、翠子ちゃん。元気ないよ」

 香奈ちゃんに肩を叩かれて、翠子は我に返った。 ほんの短い時間だったにも拘らず、あの日の訪問はやけにしぶとく心にこびりついていた。

 あの時下沢さんは他にも、積み木や絵本など、お気に入りの品々を段ボールから出してみせてくれたのだった。アクガレがくれたものに比べると遥かに見劣りしたが、あの子の得意気で、嬉しそうな顔は初めて見た。

 庭で吠える犬の声が、今日は鐘の音のようにやたらと頭に響く。


〈つづく〉

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