夢堕
「いってらっしゃい」
見送る妻と唇を重ねて。 その細い首を両手で締め付ける。 苦しみに歪む顔、私の両手を掴み、必死に抵抗する。
それもやがて、終わり。 私が首から手を離すと、力無く倒れ込む。
愛する妻を。この手で殺した。
そこで私は、目を覚ます。
♦︎
もう何度、同じ夢を見ているのだろう。 朝、目覚める前に見ている夢は。 必ず、愛する妻をこの手で殺害するというものだ。 疲れからくるものなのか分からない。 病院にも行ったが、医師に伝えたのは寝覚めが悪いと言うことだけだ。 とても、夢の内容までは伝えられはしない。
一応薬も貰った。 俗に言う、睡眠薬と言うものだ。しかし、効果は無かった。 当然だ、私は眠ることに悩んではいない。 夢の内容に悩んでいるのだから。
「おはようございます」
「……おはよう」
妻は変わらない。 私の抱く悩みに気づくことなく、こうして主婦として頑張っている。
大切なのだ。 妻がいるからこそ、私は仕事に専念出来る。 そんな人を殺すなど…… たとえ夢であってもあってはいけないのだ。
「…行ってくる」
「いってらっしゃい」
見送る妻と唇を重ねて。 ……私は妻の首筋に手を当ててーーー
そこで我に返る。 即座に妻の身体から離れた。
「……あなた?」
「…なんでもない」
妻に説明もせず、私は逃げるように玄関の扉を開けた。
何をしているんだ、私は。 殺そうとしていた、無意識のままに。 夢の内容をなぞるように、妻をこの手で……
気をしっかりもて。 夢と現実の区別がつかないようでは駄目だ。 愛する妻を殺すなんてどうかしている。
♦︎
目が覚める。 ……これはどちらだ。 何度も同じ夢、同じ朝を迎えるうちに。 もう、判断も出来なくなってきた。
「おはようございます」
「……おはよう」
変わらぬ妻。 まだ、どちらか分からない。 ……まぁ、いい。 もうすぐ分かる。
「…行ってきます」
「いってらっしゃい」
見送る妻と唇を重ねて。その首を… 両手で締め付ける。 苦しみに歪む顔、私の両手を掴み、必死に抵抗する。
まだ。 分からない。 感じる熱も、苦しむ声も。 全て現実味があるから判断できない。
……死んでくれ。 お前が死なないと、この悪夢は終わらないんだ。 私はずっと苦しいままなんだ。 お前が私を苦しめているんだ。お前を殺さないと…… 目覚められないんだ。
やがて。妻だった『それ』は力無く倒れ込む。 …死んだ、殺した。 これで………
終わらない。 いつもならここで、目が覚める。 ならばこれは… 現実なのか? 目の前に倒れた『それ』は、本当の、愛する妻だったと言うのか?
…覚めろ。 覚めろ、夢よ終われ。 終わらなければ、私は、本当に……… 妻をーーー
「うぁぁぁぁぁぁあああああぁぁ!!」
そこで私は目が覚めた。
♦︎
「おはようございます」
「…おはよう」
殺したはずの妻が、変わらずそこにいた。 先程のは夢だったのか。
あと、何度殺せば終わるんだ。 もう、夢と現実の区別が曖昧になっている。 先程のが夢ならば、これは現実なのか? 私は目覚めているのか? それともまだ夢なのか? また、殺さなければならないのか?
…一体どうすれば。 この悪夢は終わるんだ。
「…行ってきます」
「いってらっしゃい」
見送る妻と唇を重ねて。 ……殺せば、分かるのだろうか。 ゆっくりと、両手を妻の首に向ける。
ーーー腹部に鈍い痛みを感じた。 熱い、そう思うのと同じくらいに。 私はゆっくりと倒れた。
痛みのする部分に目を向けた。 刃物が刺さっている。 そこからゆっくりと、赤い液体が流れている。
妻は私の顔の近くにしゃがみ、優しい笑顔を見せる。 ああ…… そうか。 ありがとう、お前はやはり、私の最愛の妻だ。
これでようやく。ようやく、安心して眠ることが出来る。
おやすみなさい。
頬に触れる優しい温もり。 それを感じながら。
私は。ゆっくりと目を閉じた。