既読
『馬鹿』
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「なんでこんな日に限って残業なんだよ!」
会社を出てすぐに走り出した。 彼女から届いた『馬鹿』の一言。怒っているのは一目で分かる。
仕事が長引いたんだって!
忘れてないから!
急いで帰るから!
アパートへと急ぎながら必死に謝る。 しかし、返事はなく既読の文字が付くだけだ。 これはまずい、そうとう怒っている。
去年の誕生日も、結局仕事の都合で二人で祝えなかった。 来年は二人で祝えるように、そう言ったのを僕が忘れてないんだ、彼女も忘れるわけがないだろう。
ケーキも注文してるんだ!
プレゼントだって用意してるから!
話さなきゃいけないこともあるんだ!
サプライズも全て台無しだ。
彼女の好きなチーズケーキ、それと…… 結婚指輪。 受け取ってもらえるか仕事中から緊張していた。こんな状況では、渡すことすら出来ないかもしれない。
スマホの画面を見る。 返事はなく、ただ既読が付くだけだった。
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アパートへ着くと、休むことなく部屋へと向かう。 息も上がって、髪もボサボサ。 額の汗をスーツの袖で拭い取る。
ごめん! と頭を下げよう。 許してはくれないだろうけど、謝らなければ。 それから、ケーキで機嫌を直してもらって…… それから指輪を…… 頭で流れを考えながら、ようやく着いた部屋の扉を開けた。
テレビが映しているのは、彼女が好きなバラエティ番組。 いつもなら、テレビと彼女の笑う声が重なるのに。 今は重ならない。
……いつからだ。 分からない、彼女の言葉は『馬鹿』と言う一言だけだから。
スマホの通知音に身体がビクリと反応する。ゆっくりと取り出して画面を見て…… 僕は背筋が凍った。 ありえない… だって、彼女は………
目の前に血塗れで倒れる彼女を確認して。僕は、届いた『彼女』からの言葉を既読した。
『もう、着いた?』