はしる、こと
時系列的に『こわれる』と『はなす』の間です
誰の言葉だったか忘れたけど、『人生誰もが主人公』なんて嘘よ。自分という脇役がいるだけ。だってそうでしょう? ワタシはお金持ちでも、誰もが羨む恋人も、他人を圧倒するような才能も無かったもの。
だからワタシはゲーム____特に乙女ゲーが好きだった。ちょっと優しく相手の望んだ態度や言葉を与えるだけで、ワタシは簡単にお姫様になれた。才能だってお手の物。あぁ、ワタシもゲームの中の主人公になりたい!
奇しくも、ワタシのそんな願いは叶ったのだ。
目が醒めたら、知らない女性と男性の顔。相当な美人にちょっとどぎまぎしちゃった。混乱でちょっとポカしちゃったけど、問題ないわ。だって、ワタシは《主人公》になったんだもの!!
ワタシは日本__正確に言うと前世かしら?__で一世風靡していた乙女ゲーム『女神の祝福〜貴女の虜〜』の主人公イズベルガ・ロッシュになったんだもの! この世界はワタシの為にあるのね!
『女神の祝福〜貴女の虜〜』は主人公ことワタシが十五の誕生日を迎えた頃、女神のお告げが来るの。『この世界は滅びへと進んでいます。傷つきし神々を癒せる《運命の乙女》を探しなさい。その者を大切にするのです』ってね。
この女神の《運命の乙女》こそ、このワタシってわけ。女神の祝福を受けることで、私の中の魔力が開放されるんだとかだったかな。ま、それはどうでもいい。来るべき日の為に、徹底的に自分磨きしなくっちゃ!
ワタシ結構可愛いから、将来有望間違いなし! でも本編始まるまでまだ先なのがなぁ……。イズベルガの家って、町の鍛冶屋なんだよね。来る客って、町のおばさんとかムッサイ男ばっかりで最悪ぅ。
子供は貴重な労働源派だから、家の手伝いとかしなくちゃいけないし、日本みたい綺麗じゃないから、本当にイヤ!! 汲取式って言うんだっけ? 日本の家の標準装備な水洗トイレがないんだから。おまけにお湯は貴重だから、川浴びか蒸し風呂なんだもん。
ご飯もまっずいのよね。ぐちゃぐちゃの野菜とかって、あり得ない! 塩も薄いし、胡椒とかの香辛料ないし。後、化粧水とか乳液が欲しいわー。今は若いからいいけど、こんな生活は主人公のワタシに相応しくないわ! 攻略キャラは金持ちがいいわね。色々好き勝手したいし。脱平民生活って奴ね!
そんな不満だらけの生活で、一つの転機が訪れた。攻略キャラクターの一人で、主人公の幼馴染ポジションのゲルトラウト・シェーンハイトとの出会いだ。攻略難易度が一番低いし、ワタシの野望には相応しくないけど、色々使えるキャラクターなのよね、コイツ。
ゲルトラウトはやや可愛い系の平凡で、クラスで三番目にカッコいい男の子って感じ。手が届き易くて、親しみ易いキャラクターって奴。乙女ゲームなんて、イケメン目当てなのに平凡キャラっていらなくない? あぁ、話が逸れたわ。
引っ込み思案で頼りない印象が強いキャラクターで、ワタシのタイプじゃないけど、ゲルトラウトには一つだけ良い所がある。魔具師として、すごい才能があるのよ。
ゲーム内だって色々とお助けグッズや便利グッズを作ってくれて、主人公にプレゼントしてくれたってわけ。本命キャラに出会うまでの繋ぎって考えれば、すっごくいいわよね。もしかしたら水洗トイレとか無いかもしれないじゃない。そういうのを作らせるにも、お金とか腕の良い魔具師がいたら便利だと思わない?
主人公補正って奴なのか、簡単にゲルトラウトはワタシを好きになったわ! ほーんと、楽々! 色々魔具作って私にプレゼントしてくれるの。ゲルトラウトはワタシに惚れているんだわ。うふふ♥ ワタシって罪な女。
瓢箪から駒だったのが、ゲルトラウトの物作りの才能ね。ワタシがお願いしたら、化粧水とか、乳液とか、ハンドクリームにリップクリーム! あぁ、日焼け止めも作って貰っちゃった♥ おかげでこんな垢抜けない町の小娘とは思えない肌よ!!
そんなこんなで十五歳になったワタシは学院へと入学した。学科は勿論、教養魔法科よ! 本命は第三王子のラインハルトだもの! ラインハルトって落とすの結構難易度高いのよねぇ。パラメーターとか選択肢とか見えればいいのに。
他のキャラクターも結構カッコいいのよねぇ。フランツペーターはクールでカッコいいし、アウグストは男前って感じ。ラインハルトは絵本とかに出て来そうな理想の王子様かな。ヴィートールトは人懐っこいイケメンで、バルトロメウスは猫目の美少年。隠しキャラのウレンツは大人の色っぽさが堪らない男ね!
………………今、気付いたんだけど、選択肢やルート固定ってないのよね? だったら、できるんじゃないかしら。____逆ハーレムルート。
ゲーム『女神の祝福〜貴女の虜〜』って結構いい声優やイラストレーターや脚本家使ってんだけど、唯一気に入らなかったのが、逆ハーレムルートが無かった事なのよね。侍らせてこそ、乙女ゲームでしょう? もう何でできないの〜〜!! ってクレームしちゃったわ。
でも、現実になった今なら可能よね? ね? よーし、本気出すわ!!
さっすが、主人公!! 逆ハーできたわ!! まー、約一名逃したけどね。解せぬわー。ヴィートールトって難易度って星二つだったわよね? なんでワタシに靡かないのかしら。頭おかしいんじゃないの?
イケメンを侍らせられて、満足! 満足!! 折角、可愛い主人公になったんだもの、イケメンにチヤホヤされたいわよね! カッコいい男の子に迫られるなんて、女冥利に尽きるわ。
ワタシは、そんな風に能天気に喜んでいた。
ねぇ、雪崩って知ってる? あれって最初はちょっとした揺れとか、降り積もった雪の重さとかに耐えられなくなって、始まるんだよ。ちょっとのズレがどんどん大きくなって、山肌を駆け下りて、地上を襲うの。
ワタシに襲いかかったのは、ワタシに愛を捧げてくれたアウグストだったけど。
ワタシは走る。今日は本当についていない。不審者に追いかけられているのだ! 少しでも早く早く重くなってゆく脚を動かした。誰か、誰か! 兎に角、人通りの多い方へ逃げなくちゃ。助けて。助けて、誰かッ!!
「もう、いいだろう?」
「ひッ……!!」
大通りまで、後一歩なのに! こうなれば、命乞いをして取り入るか、不審者に取り入らなくっちゃ。まだ、死にたくない。
「ここまで誘い込んだんだから」
「え?」
ワタシの前に現れたのは、アウグストだった。もう、驚かさないで欲しい。不審者だと思って本当に怖かったんだから! ワタシが詰め寄ろうとする前に、アウグストがそっと手を挙げた。彼の手の平には人の頭程の蛾が停まっていることに気付いた。気持ちわるっ! 思わず顔に出る。
ワタシが意識を捕られている中に、ワタシの周囲からどんどん人家の灯や人の話し声や影が遠ざかった。え? 何これ。何なの!?
困惑するワタシにアウグストは淡々と言葉を重ねた。
「コイツは俺の召喚獣の一つで、マヨイガという。名の通りコイツの鱗粉を吸った者は方向感覚を失い、本吸った者の行きたい方向とは逆の方へ行かせる」
「…………な、なんなよ!」
「……イズベルガは誰に御霊名を与えた?」
「みたまな?」
「王子か? 神官か? それともプラッテか? まさか、幼馴染の魔具師か?」
態々そんなことを聞く為だけに、用意周到に呼び出したってわけ!? もう、ワタシこんな怖い思いしなくて、済んだんじゃないの!!? ふーんだ。ムカついたから、正直に答えてあげない。
「誰だっていいでしょう? 貴方に関係ないわ」
「そう……か」
「そんなことより、その蛾、返還してくれない? ワタシ虫系苦手なんだよねー」
俯くアウグストにいつもの通り接しようと手を伸ばしかけた所で、ワタシの手は止まった。チリチリとワタシの中の何かが、ワタシを喚起させる。追って、重圧感と底知れぬ寒さの様なものがワタシの背筋を這った。
何か、そう、何か、見落としている。
アウグストと、目が合った。若葉色をしたその瞳が、酷く淀んでいるように見える。怖い、怖い、怖い!! 逃げなくちゃ。早く、逃げなくちゃ。
縺れながらも、後退する。誰か、誰か!
「たすけて! おねがい!! 殺さないで!!」
「……………………」
「やだ、やだ! 死にたくないっ! 死にたくない!!」
「……………………」
「こないで! こっちに、こないで!! 化け物!! 化け物ぉ!!」
一歩一歩距離を詰めて来る姿が恐ろしい。サク、サク、と木の葉が踏まれる音がやけに大きい。淀んだ緑がワタシを覗き込む。怖い。こわい。
「ハルピュイア」
いつの間にか半人半鳥の化け物がワタシの前に現れた。樹々の間から射し込む月光が化け物達を浮かび上がらせた。化け物の女の顔が嗤い、翼を強くはためかせた。
____そうしてワタシの意識は、途切れた。
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走る/奔る/趨る、こと