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夜は

作者: 竹仲法順

     *

 銀座の街は夜になると活気付き始める。クラブのホステスのあたしは、午後六時頃に南青山の自宅マンションを出て、通りでタクシーを一台拾い、店まで出してもらう。タクシー代は優に二万円ぐらい掛かったのだが、これぐらいの金なら現役のホステスにとって安いものだ。店に行く途中は車内でずっと携帯電話を弄っている。あたし自身、携帯がないと生きていけない。依存症になってしまっている。情報源は自宅にあるノートパソコンか携帯のいずれか、だ。毎日ウエブを使い続けていた。それがパソコンであるか、携帯であるかの違いだけで。

 店があるビルの前に辿り着くと、タクシー代を支払い、領収書も受け取ってから車を降りる。領収書をもらわないと、交通費として店の経費で落ちない。一週間分ぐらいまとめて必ずママに渡していた。これはしないといけないことである。ホステスも取る給料こそ高いのだが、交通費や雑費は必ずレシートを発行してもらってママに渡し、店から支給してもらう。あたし自身、他のホステスたちに比べて、こういった金銭感覚は実にしっかりしているのだ。業務関係で掛かった費用は全部レシートを取っておき、店に出す。そして月一回の給料日に銀行の指定口座に振り込まれた分を通帳記帳して項目を確かめていた。ちゃんともらえているかどうか確認する。午後七時過ぎから日付が変わる前の午前零時までが店の営業時間だ。その間はしっかりと客の相手をする。もちろん完全指名制で客が指名してくれないと話にならないのだが……。

     *

紗耶(さや)ちゃん」

「はい」

「五番テーブルに回って差し上げて。大村様がお待ちだから」

「分かりました」

 ママから言われてすぐに五番テーブルへと回る。連日接客していて心身ともに疲労しているのだが、仕事をしながらもいろいろと思うことがあった。特に相手がかなりの金持ちだと、あたしもさすがに金を搾り取れると踏んでいたし、実際金を取ってしまえば、後は用済みだ。夜の世界は案外サバサバしている。夜という時間に客と差し向かいで酒を飲むだけで、後は別に何もないのだから……。同僚ホステスでも物凄く金に執着していて、品性が(いや)しく、汚らしい人間もいる。そういった人とは一切縁がないと思っていた。単に同じフロアにいるというだけで。

 大村の相手をしていると、やはり都内に本拠がある大会社の社長らしく、いろんな話が出る。大村は経済やマーケティングに関して詳しかった。あたしも接していて教えられることがある。特に普段からずっと社長室に詰め、書類や資料などを読み込んでいて、合間にパソコンで自分の方から作ることもあるようだった。確かに疲れるだろう。夜になると欠かさずこの店に来る。そして酒を飲む合間に様々な話をするのだ。まあ、主に経済関係の話が多かったのだが……。他社を吸収し、合併することなども視野に入れていて、敵対的買収――いわゆるM&Aなどを仕掛けることも念頭にあるようだった。こういったこぼれ話は酒席でよく出るのである。あたしもこの社長が次のターゲットに狙っているのはどこだろうと思いながら話を聞いていた。自分で言うのもなんだが、あたし自身、頭脳は明晰だったのだし……。他人の言葉の裏を見抜くのが得意だった。それだけ世間知(せけんち)というものを心得ているからだ。常に相手から話を聞き出す側に回る。そしてその中身を自分の中で考え抜くのだ。これが出来ないと、銀座でホステスはやれない。何でもそうだが、堅気の仕事もあたしのように夜の世界で浮名を流す仕事も、ビジネスの世界においては原理がまるで同じなのだった。単に正当な形でもらう報酬か、そうじゃないかだけで。

     *

 大村が他社に対し仕掛けるつもりであるM&Aの話をし終わると、急にアルコールで眠気が差し始めたらしく、

「帰りの車呼んでくれないか?」

 と言ってきた。同じテーブルにいたホステスが店の奥に入っていき、固定電話の受話器を手に取ってタクシー会社の番号を押す。そして店の前に一台停めてくれるよう頼み込んだ。ほんの数分後に店の前の路上にタクシーが停まる音が聞こえ、あたしが酔っ払っていた大村に肩を貸し、

「行きますよ。しっかりしてくださいね」

 と言って、支えながら歩いた。店は雑居ビルの三階にあり、店出入り口まで歩を進め、エレベーターで一階へと降りる。さすがに大の大人の体だから重たい。だけど客が困っていたら助けるのもあたしたちホステスの仕事だ。ここまでして始めて金をもらうことが出来るのだから……。大村が飲み残した水割りのグラスはまだテーブルに残っていた。おそらくボーイが片付けるだろうと思う。ホステスは接客が仕事で、単に酒を飲ませて話をするだけである。水割りの作り方ぐらいは入店時にママから教えてもらって知っていたのだし、接客には全てマニュアルがあった。そういったことを全て把握してしまってから、初めて夜の仕事が出来るようになる。これぐらいは当たり前のことだった。それに勤務時間はわずか五時間程度だったので……。気疲れをすることはあるが、それも自然と治まっていく。

     *

 客と一緒に酔ってしまった後、店内を片付けたり、軽く掃除したりして、女性従業員専用のロッカールームで着替えを済ませた後、皆で揃って店を出る。最後まで居残ったママが店出入り口を施錠し、店外へと出るのが通例だ。その夜も例外なしにそうだった。通りは車やオートバイなどが絶えず通っていて、ここが大都会銀座であることを感じさせる。夜のひと時に落ち着くのは帰宅してからだ。深呼吸し、温かいお風呂に入れる時間が何よりも大切だった。忘れ物などがないかどうか確認し、ママが店の扉の鍵を持っていたのであたしが、

「皆出ましたから、施錠お願いします」

 と言う。ママが、

「お疲れ様。先に帰りなさい。あたしも鍵掛けたら出るから」

 と返し、あたしたちホステスを先に帰宅させた。

「お先に失礼します」

 皆がそう言って歩き出す。確かに銀座の街は繁華街特有の賑やかさがある。普段いない人じゃ想像がつかないぐらい、辺りは煌々(こうこう)とネオンが灯っていた。帰宅すれば、すぐに入浴するつもりだ。こういった幾分冷え込む夜はゆっくりとお風呂に入り、体を温めてから眠るのが一番である。帰宅するのは午前一時近くになるのだし、帰ったら一応テレビを付けるのだが、オンエアーされている深夜番組などは単なるBGMなのだった。大概入浴して体が温まれば、テレビを切ってベッドに入り、すぐに休む。銀座のホステスは疲れるのだ。夜という時間を他人と共有すると……。南青山の自宅マンションからは夜景が見える。とても綺麗で思わずうっとりしてしまうような感じの。その夜もベッドルームから見える景色は宝石箱を引っくり返したように様々な色のネオンだった。一つ一つがとても美しく見える。そういった綺麗なものを目にすると、何も言えなくなるのが人間だ。元来持ち合わせている感性や感受性とはまた別の意味で。

                                 (了)


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