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言葉狩り警察の君とノリで喋る俺

作者: さかいかさ
掲載日:2026/04/08


「やば、死んだ」


 一限。数学のテストが返ってきた瞬間、俺が机に突っ伏すと、右隣からすぐさま冷たい声が飛んできた。


「死んでない。生きてる」

「比喩だって。この儚さがわからんのかね」


 俺は机に額をつけたまま返す。


「雑な比喩は誤解のもと」

「7点をどう誤解すんだよ。正確に絶望だろ。むしろ誤解で1000万点くらいくれよ」

「絶望は主観。七点は客観。分けて話すべき」


 俺は顔だけ上げて隣のを見ると、黒髪ロングの女子生徒が背筋を伸ばして座っていた。答案用紙の文字も見本みたいに整っていて、右上には100と書かれていた。

 相沢ことは——通称言葉狩り警察の相沢。俺が勝手にそう呼んでいる。


「なんだよ抜刀斎。また言葉狩りか?」

「狩ってない。指摘してるだけ。言葉狩りとは差別的、あるいは不適切な——」

「相沢巡査。ご高説またの機会に」

「警察でもない」

「じゃあ何よ」

「あなたの被害者?」


 そう言って、相沢は俺の答案を一瞥した。


「あと、その点数で『やばい』は曖昧。危機的、深刻、壊滅的、好き言葉を選んでね」

「壊滅的」

「よろしい」


 わざとらしく微笑み、満足そうにうなずく。


 クラスの他のやつが「それエグい」とか「ワンチャン」とか「秒で」とか言っても、軽く眉をひそめるだけで流す。なのに俺が「まあ、そんな感じ」と口にした途端、すぐ飛んでくる。 

 ほらな、やっぱり警察だ。しかもこいつ、なぜか俺にだけ異様に当たりが強い。


「『そんな感じ』では伝わらない」

「文脈で分かるだろ」

「それは甘え」

「行間を読むって言葉知らんのか?」

「あなたが緩すぎるのよ」


 そのくせ、話しかけるとちゃんと返す。無視はしないし、目も合わせる。訂正の回数だけなら教師より多いくせに、俺が風邪で休んだ翌日にはプリントを机に入れておいてくれたりする。


 よく分からない。


 昼休み、購買で最後の焼きそばパンを勝ち取って教室に戻ると、相沢が俺の席の前に立っていた。


「田辺」

「お、どうした。俺の日本語が恋しくなったか?」

「確認」

「はいどうぞ」

「さっき日直の仕事、『あとで適当にやっとく』って言ったけど、適当ってどっち」

「え」

「いい加減にやる、の意味か。状況に合うように処理する、の意味か」

「後者に決まってんだろ」

「なら最初からそう言って」


 真顔で言われて、俺は焼きそばパンを持ったまま笑った。


「お前、ほんと俺にだけ厳しいよな」

「あなたが一番、危なっかしいから」

「日本語が?」

「主に口が」


 言い方。とは思うが、なぜか悪い気はしない。


 その日の放課後、日直の黒板消しを終えてから、俺は相沢と一緒に廊下を歩いていた。たまたま帰る方向が同じで、たまたま話しているだけだ。別に待っていたわけではない。たぶん。いや、たぶんは駄目だな。半分くらいは待っていた。


「今日さ、駅前のクレープ屋、新作出たらしい」

「らしい、じゃなくて?」

「ポスター見た」

「なら『出てた』でいい」

「うるせえな」

「訂正」

「でもまあ、お前甘いの嫌いじゃないだろ」

 

 ぴたり、と相沢の足が止まった。


 さっきまで一定だった歩幅が、そこで綺麗に切れた。


「……その言い方、やめて」

「え?」


 俺も止まる。相沢はいつもの無表情に見えたけど、目だけが少し硬かった。


「何が」

「『嫌いじゃない』」

「いや、別に深い意味じゃ――」

「そういうの。今のも」


 言葉を切る。飲み込むみたいに。


 いつもなら即座に訂正が飛んでくるのに、そのときは妙に間があいた。


「……とにかく、そういう曖昧な言い方、私は好きじゃない」

「好きじゃない、はいいのかよ」

「今のは嫌悪の程度を正確に下げてるだけ。好意の話じゃない」


 また歩き出す。けど、明らかに機嫌が悪い。


 地雷を踏んだのは分かった。何が地雷か分からないのが問題だった。


 その答えは、二日後に分かった。


 雨だった。


 部活のない放課後、俺は昇降口で折り畳み傘を忘れたことに気づき、教室に戻った。すると、窓際で相沢が一人、外を見ていた。雨脚は強くて、運動場の白線がにじんでいる。


「相沢、帰んねえの」

「雨、弱くなるの待ってる」

「傘ないの?」

「ある。でも今出ると靴下まで濡れる」


 らしい。いや、らしいじゃない。相沢ならそう言う。


「相合い傘するか」

「その提案、軽い」

「冗談だって」


 言ってから、まずかったと思った。冗談で済ませるには、こいつは妙に真に受けるところがある。


 相沢は窓の外を見たまま言った。


「田辺」

「ん」

「この前の『嫌いじゃない』、どうして私が嫌がったか、考えた?」

「少しは」

「少しじゃ足りない」


 きつい言い方のわりに、声は細かった。


「中学のとき、先輩のことを聞かれたの。好きなのかって」

「……うん」

「私は、別に嫌いじゃない、って答えた」


 そこで一度、彼女は唇を結んだ。


「その日のうちに、私が先輩のことを好きだって話になってた」

「……ああ」

「しかも、その先輩のこと、クラスの中心にいる女子が好きだった。いわゆるボスみたいな人」

 

 雨の音が大きくなる。


「先輩は、噂を聞いて、私に優しくした。私はそれが余計に嫌だった。向こうはたぶん、悪気なんてなかった。でも、周りは勝手に意味をつける」

 

 相沢は自分の指先を見ていた。爪が白くなるくらい、スカートの端をつまんでいる。


「その女子は、私のことを目の敵にした。ノートを隠されたり、机に落書きされたり、聞こえるように言われたり。卒業までずっと」

 

 淡々と話す。淡々としているのに、聞いているこっちの喉が詰まる。


「たった一言だったの。『別に嫌いじゃない』。でも、曖昧だったから、勝手に引っ張られて、丸められて、都合のいい意味にされた」


 ようやく彼女は俺を見た。


「だから私は、言葉を曖昧にしたくない。曖昧な言葉が嫌いなんじゃない。勝手に書き換えられるのが怖いの」

 

 俺はすぐに返事ができなかった。


 普段の俺なら「うわ、それ最悪」とか「大変だったな」とか、そういう手近な言葉を出していたと思う。でも今、それは違う気がした。雑にまとめたら、たぶんこいつはもっと傷つく。


「……教えてくれて、ありがとう」

 

 やっと出たのが、それだった。


 相沢は少しだけ目を伏せた。


「あなた、今のは合格」

「採点きびし」

「甘くしたつもり」


 それから少し沈黙があって、俺は自分の折り畳み傘を開いた。


「駅まで送る」

「一つしかない」

「分かってる。だから、冗談じゃなくて、本気で言ってる」

「……そういうのは正確」

「だろ」


 相沢は迷ってから、傘の中に入ってきた。


 近い。雨の匂いより先に、シャンプーの匂いがした。俺は急に黙り込み、相沢は「無言は楽でいい」と言った。たぶん照れていた。いや、たぶんじゃない。少なくとも俺は照れていた。


 そこから、俺は少しだけ気をつけるようになった。


「まあまあ」じゃなく、「今日は五分遅れそう」。

「ワンチャン」じゃなく、「可能性は三割くらい」。

「そのうち」じゃなく、「来週の金曜」。


 相沢は最初こそ訝しそうにしていたが、だんだんと露骨に機嫌がよくなった。


「田辺、今日の発言、前より通じる」

「褒め方が作文の先生なんだよ」

「事実を述べただけ」

「じゃあ、俺も事実。お前と話すの、前より楽しい」

「……前より?」

「前から、も入る」

「最初からそう言って」

「面倒くせえ」

「正確に」

「はいはい」


 そんなやり取りが増えるにつれて、クラスでも俺たちはセット扱いされ始めた。


「田辺、相沢にまた日本語直されてんの?」

「もう半分は調教されてる」

「その語彙は最低」

「ほら来た」

 

 みたいな。


 でも、からかわれるたびに相沢は少しだけ眉を寄せた。昔のことを思い出しているのかもしれない、と気づいてから、俺はそういう場面で冗談を足さなくなった。


「相沢は相沢だよ」

 

 笑いながらでも、そこだけは曖昧にしないようにした。


 夏休み前、文化祭の準備で遅くなった日だった。


 教室には夕日が差していて、段ボールと絵の具の匂いが混ざっていた。みんな先に帰って、最後に残ったのが俺と相沢だけだった。


「ポスター、ここ貼ればいい?」

「そこだと少し曲がる。三センチ右」

「細か」

「必要な精度」

「了解」


 言われた通りに貼る。相沢がうなずく。満足そうだ。


 それを見たら、急に思った。


 今なら、ちゃんと言えるかもしれない。


「相沢」

「何」

「話がある」

「曖昧。何の話」

「俺の気持ちの話」

 

 相沢が固まった。手にしていたガムテープが、ぴたりと止まる。


「……それ、雑に始めないで」

「雑じゃない。だから今から、正確に言う」


 俺は一回深呼吸した。こういうときにノリで行くと、たぶん一生後悔する。


「俺はお前と話すのが楽しい。訂正されるのも、正直最初はうざかったけど、今は嫌じゃない。むしろ、俺の言葉をちゃんと聞いてくれてるのがお前だって思う」

 

 相沢は黙っている。逃げない。目もそらさない。


「俺は、お前のそういうところが好きだ。頭ごなしじゃなくて、ちゃんと意味を大事にするところも、怖かったことを怖いって認めるところも、でもそのせいで人の言葉まで全部切り捨てないところも」

 

 喉が乾く。けど、止めない。


「これは冗談じゃない。ノリでもない。『嫌いじゃない』とか『そういうんじゃないけど』とか、逃げる言い方もしない」

 

 一歩だけ近づく。


「相沢澄。俺はお前が好きだ。彼氏になりたい。付き合ってほしい」


 言い切ると、教室がやけに静かだった。廊下の向こうで誰かの笑い声がして、遠くで吹奏楽部が音を外した。そんなのまで聞こえるくらい、静かだった。


 相沢はしばらく何も言わなかった。


 やばい。いや違う。今のは正しくやばい。


 数秒後、相沢が顔を上げた。耳まで赤い。


「……確認していい?」

「どうぞ」

「『好き』は、友達として好ましい、ではなく、恋愛感情として?」

「後者」

「『付き合ってほしい』は、放課後に一緒に帰る頻度を増やしたい、ではなく、交際を前提とした告白?」

「そう」

「期限は?」

「できれば今日から。少なくとも、お前が嫌じゃなければ」

「嫌じゃない、は曖昧」

「じゃあ訂正して」

 

 相沢は口を開いて、閉じた。珍しく言葉に詰まっている。


 それから、観念したみたいに小さく息を吐いた。


「……私も、田辺が好き」

 

 一瞬、意味を取り損ねる。


「え」

「だから、好き。恋愛感情として」

「まじで」

「『まじ』は程度副詞としては便利だけど」

「今それやる?」

「……うれしい、の意味なら、まあ、許す」


 言いながら、相沢は目をそらした。頬が赤いままだ。


「あと」

「まだあるのか」

「私は、あなたにだけ突っかかってたわけじゃない」

「いや、だいぶ俺だけだったぞ」

「あなたにだけ、直しても平気だったの」

「……あー」

「怒っても、引かないし。面倒くさがっても、次の日には普通に話すし」

「それ褒めてる?」

「かなり」

「そりゃどうも」

 

 俺が笑うと、相沢も少しだけ笑った。


 その顔を見た瞬間、ああ、終わったなと思った。


 何がって、もう俺はこいつに勝てない。口でも、理屈でも、たぶん一生。


 でもまあ、悪くない。


「じゃ、彼氏ってことでいい?」

「いい」

「今の、記録しとく?」

「必要ない。私が覚えてる」

「そっか」

「ただし」

「はい」

「今後、『なんか』『まあ』『別に』の乱用は減らして」

「彼氏への要求が厳しい」

「正確に言うと、改善提案」

「はいはい、善処します」

「善処は曖昧」

「……努力します、相沢さん」

「……ことは」

「うん。ことは」


 夕日で赤くなった教室の中、ことははいつもの調子でうなずいた。


 そのくせ、机の下で伸びてきた指先が、ほんの少しだけ俺の袖をつまんでいた。


 だから俺は、その意味を勝手に広げたりはしない。


 でも、これは言い切っていい。


 たぶんじゃない。勘違いでもない。ノリでもない。


 俺の彼女は、言葉にうるさくて、面倒で、誰より誠実で、ものすごく可愛い。


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