受付窓口26
国家規模の騒動。
試験会場での修羅場。
皇帝姫の爆弾発言。
……にもかかわらず。
「窓口混んでるので戻りますね」
この男の思考だけは、いつも通りだった。
戦闘中止命令
――そして誰も戦わなくなった日
「……え?」
最初に異変を察したのは、皇帝姫本人だった。
試験官エリゼと向き合い、
今まさに魔力が衝突しかけた、その瞬間。
「ちょっと待って」
攻撃が止まる。
観客がざわつく。
「どうしました?」
エリゼは即座に警戒態勢。
だが姫は戦闘どころではない顔をしていた。
「…………」
腹部に手を当てる。
沈黙。
そして。
「……嘘」
血の気が引く。
「おい」
俺は一瞬で理解した。
〈受付男子〉の加護ではない。
夫としての直感だった。
「まさか」
姫がこちらを見る。
信じられないという顔で。
「……できてる」
世界が止まった。
「は?」
エリゼが固まる。
「え?」
騎士団が凍る。
「えええええええええ!?」
なぜか受付職員が一番叫んだ。
「ちょっと待て」
「待ちなさい」
「待ってください」
全員の思考が完全停止。
「……妊娠?」
試験官が呟く。
「妊娠よ」
姫が真顔で返す。
「妊娠ですね」
なぜか俺が一番冷静だった。
――受付の修羅場で鍛えられすぎたせいだ。
「戦闘中止」
即断。
「異議なし」
エリゼ即答。
さっきまでの殺気はどこへ行った。
「医療班呼べ!」
「王宮へ連絡!」
「いや国家案件だぞこれ!」
「護衛増員しろ!」
場が完全に崩壊する。
だが。
真の地獄はここからだった。
鐘が鳴る。
窓口警報。
「なっ……」
職員が青ざめる。
「今このタイミングで!?」
試験は継続中。
つまり。
窓口業務も試験中。
「受付ぃぃぃぃ!!」
雪崩れ込む冒険者。
「死にかけた!」
「回復だ!」
「説明違うぞ!」
「許可証更新!」
「緊急転移申請!」
混沌。
阿鼻叫喚。
そして中央。
「……どうするの?」
妊娠発覚直後の姫。
「どうするも何も」
俺は即座に席へ戻る。
「窓口だ」
「え?」
「試験だろうが妊娠だろうが関係ない」
「受付は止まらない」
一瞬の静寂。
エリゼが、初めて柔らかく笑った。
「……本当に異常ね、あなた」
「今さらだろ」
「評価を修正します」
「勝手にしろ」
姫が呆れたように笑う。
「もう……」
「何だ」
「あなたと結婚して正解だったわ」
「そうか」
「普通の男なら慌てふためく場面よ?」
「受付だからな」
「意味が分からない理屈ね」
受付窓口26。
国家級事件。
皇族妊娠発覚。
試験進行中。
業務崩壊寸前。
それでも――
窓口は、回り続ける。
⸻
おまけ
「受付男子、父親になる実感がまだ無い」
「で?」
試験会場の隅。
完全に業務修羅場が一段落した後。
俺は呆然としていた。
「…………」
「何その顔」
試験官エリゼが腕を組む。
「いや」
「いや、じゃないでしょ」
「……父親?」
「そこ疑問形なの?」
自分でも実感が無い。
さっきまで苦情処理してたせいだ。
「実感が湧かない」
「受付脳ね」
「受付脳って何だ」
「人類として終わってる思考回路のことよ」
言い過ぎだろ。
その時。
「あなた」
皇帝姫が近寄ってくる。
なぜか少し不機嫌。
「どうした」
「どうした、じゃありません」
「?」
「もっとこう……あるでしょう?」
「何が」
「喜びとか! 動揺とか! 感極まるとか!」
「いやだって」
「だって、何よ!」
「窓口混んでたし」
「この男は本当に……!」
姫が頭を抱える。
エリゼが吹き出す。
「はは……予想以上ね」
「何がだ」
「皇族妊娠発覚より通常業務優先した男なんて前代未聞よ」
「受付だからな」
「万能言い訳にしないで」
姫が睨む。
「普通の夫なら駆け寄って抱きしめる場面よ?」
「そうなのか?」
「そうよ!!」
「そうね」
なぜか試験官まで同意。
「……マジか」
俺は少し考える。
そして。
「じゃあ今からやればいいのか?」
「遅いわよ!」
「段取りが違うのよ段取りが!」
「受付みたいに言うな」
「あなたが言わせてるのよ!」
完全に怒られた。
沈黙。
少し気まずい空気。
「……まあ」
俺は小さく息を吐く。
「無事ならそれでいい」
姫が黙る。
「それ以上の感情表現が思いつかない」
本音だった。
「俺、不器用だからな」
姫の顔が赤くなる。
「…………ずるい」
「何が」
「その言い方」
視線を逸らす。
「それを言われると怒れないじゃない」
「そうか?」
「そうよ」
エリゼが横で苦笑する。
「本当に天然でタチが悪いわね」
「心外だ」
「自覚ないのが一番悪質なのよ」
その時。
「おーい!」
遠くから受付職員の声。
「窓口再開だぞー!」
「もう!?」
「休ませなさいよ国家案件の当事者を!」
「無理だ!」
「人手が足りん!」
地獄継続。
俺は立ち上がる。
「行くか」
「行くの?」
「受付だからな」
「……この人、本当に変よ」
「今さらでしょ」
姫がため息をつく。
だが。
最後に小さく笑った。
「でも」
「何だ」
「嫌いじゃないわ、そういうところ」
「そうか」
「ええ」
「早く行きなさい、父親候補」
「候補って何だ」
「まだ実感ないんでしょ?」
「……否定できない」
三人で窓口へ戻る。
世界がどう変わろうと。
受付男子の日常だけは――
まったく変わらなかった。
世界が揺れても、
制度が変わっても、
運命が書き換わっても。
受付男子の優先順位は極めて単純である。
――目の前の業務。
それは美徳か、異常か。
少なくとも一つだけ確かなことがある。
こんな男だからこそ、
皇帝姫は笑い、
試験官は呆れ、
そして物語は続いていく。
ダンジョンよりも混沌とした窓口で。




