いったい
―――今後国家を転覆させるような、そんなご予定があるのでしょうか?
そんなことをいきなり尋ねられて、平然とYES/NOで答えられる方がいらっしゃるでしょうか?
少なくともわたくしには無理ですわ。というよりも、ご質問の意味が解らなくて、わたくしは真剣に見つめてくる巫女様におそるおそる尋ねました。
「あの……国家って……いわゆる国家ですの?カリュートス王国とか、お隣のグラーツ王国とか?」
「はい。カリュートス王国のことです」
「国って小娘ひとりの力で転覆するものですの!?」
そんな不安定な国家、聞いたこともございません!!
「じゃあ……ないのですね!?」
「ありません!現在も未来も、そんな予定はさらさらございませんわ!」
呆れかえるわたくしに、巫女様は何故か心底安心したような顔をして。
「いったい、なんなのです?どうしてわたくしが国家転覆なんて……なにか根拠がおありなのですか?」
まさか、お父様に謀反の疑いが?それともお兄様と殿下の仲が!?
「そ……それは……」
思わず詰め寄る形になったわたくしに、巫女様はおろおろしながら救いを求めるように目を泳がせます。
「!!」
そして、ふとわたくしの肩の向こうを見た巫女様の視線が、ある一点で釘付けになりました。
ローズピンクの瞳が信じられないというように見開かれ、少し青ざめていた頬が薔薇色に染まります。息を飲み、まるで目の前のわたくしも目に入らないように、ただその一点を凝視されています。
「………巫女様?」
不審に思い、わたくしは巫女様の視線の先を辿りました。
「あ!!」
その先にあったのは、カウチの隣の小テーブル。
いえ、正しくは小テーブルの上の、薔薇が活けられた花瓶の横に置かれた一冊の古ぼけた本。わたくしがさっきまで読み返していた、一冊の童話だったのです。
その本はお母様が何度も何度も読み聞かせてくださった本で、わたくしも内容を暗記するくらい読み込んでいます。それでもやはり大好きで、折に触れて読み返しているのですが……さすがにわたくしたちくらいの年齢向けの本ではありません。子供っぽいと呆れられてしまったのでしょうか。
「そんな……まさか……下巻?」
ですが、そんなわたくしの心配とは裏腹に、巫女様は少し覚束ないながらも小走りで小テーブルに近寄りました。
「……やっぱり!」
至近距離で本の表紙を確かめた巫女様は、なおも頬を染めました。大きな目が歓喜に潤み、そっと本に手を伸ばそうとして……止めます。まるで、夢ではないかと疑うみたいに。
「……巫女様?」
わたくしはある確信をもって、そっと巫女様の背に声をかけました。
巫女様のこの反応、これは本好きが長年探し求めていた本に出会ったときの反応に違いありません。
「!!あっ……アリアドネ様!!」
わたくしの声に我に返ったのでしょう、巫女様は文字通り飛び上がって驚くと、真っ赤な顔でこちらに向き直りました。
「すっすみません!わたしったら……」
「いえ、構いませんわ」
わたくしは巫女様に近寄り、小テーブルから本を取り上げました。
「もしかして、この本をご存知ですの?」
「え……ええ。はい!昔、とある方に上巻を貸していただいて………わたし、この本で字を覚えたようなものなんです!」
うっとりと、巫女様は本を見つめます。
「何回も何回も……読み過ぎて本がばらばらになってしまうくらいに読み込んで……ずうっと続きが気になっていたんです。でも、どうしても下巻がみつけられなくて……我が家には本を買うような余裕もありませんでしたし、学園の図書館なら、って思ったんですけど……」
「学園の図書館には専門書と古典しかありませんものね」
つい、わたくしは思い出し笑いをしてしまいました。
マリナ様も、初めて図書館に行ったとき、愕然としていらっしゃいましたっけ。冒険小説やロマンス小説が一冊もない!!って。
「………アリアドネ様?」
わたくしはそっと本を巫女様に差し出しました。
「お貸ししますわ。まだ結末がどうなったか、ご存知ないのでしょう?」
「!!い……いいんですか!?」
「ええ。もちろん。ばらばらになるまで読み込まれては困りますけれど。じっくりご堪能いただいて、ご感想を聞かせていただけたら嬉しいわ」
「……わあ……」
巫女様は目を輝かせて本を受け取られ……それからはっと顔を強張らせました。
「……駄目です。お借りできません」
「まあ!どうして?」
あんなに読みたがっておられたのに?
「わたし……内緒でここへ来たから……それなのに、本を持って戻ったら、きっと勘繰られます。ドリーは、アリアドネ様に対してはとりわけ過敏なんです……アリアドネ様からお借りした本だなんて判ったら……最悪、本を破りかねない……」
「まあ……」
本を大事に胸に抱いたまま、しょんぼりと肩を落とす巫女様に、わたくしは言葉を失ってしまいました。
大袈裟、と思うかもしれませんが、価値観は人それぞれ。
本を破損するなんて、本好きからしたら悪魔の所業ですが、本を読まない方にはたいしたことないのかも。……でも、何故ドロレス様はそれほどわたくしを目の敵にするのでしょう?我が家が大貴族と称される立場だから?それとも……。
「あの、巫女様……」
それを聞こうと口を開いた、そのとき。
不意に階下から大きな音が響きました。まるで、玄関の扉を力任せに押し開いたかのような。そして響く複数の声。
「ロッティ!!」
ひときわ響くその声に、巫女様はさっと青褪めました。
「あの声は……」
「来たんだわ!わたしを連れ戻しに……でもなんでランス兄様が……」
最後にもう一度ぎゅっと本を抱き締めると、巫女様はその本を驚くわたくしに押し付けました。
「わたし、行きます。これ以上ご迷惑はかけられません。……貸してあげるって言ってくださって、ありがとうございました。そのお気持ちだけで、わたし、嬉しかった」
「そんな!巫女様!!」
慌てるわたくしを振り切って、巫女様はドアへと向かいます。
「巫女様!」
追いすがると、巫女様はドアの前でくるりと振り返りました。
「……最後に、ひとつだけ」
そして、巫女様はさっきよりも真剣な顔で囁きました。
「アリアドネ様は……冬薔薇宮という場所を知っていますか?」
「……ふゆ……そうび……?」
―――そうび……薔薇でしょうか?
そう思った瞬間、ずきんと鋭い痛みが頭を貫きました。
「アリアドネ様!!」
突然、真っ暗になる視界、巫女様の悲鳴。同時に、ノックもなしに開かれる扉の音、それから。
「アリア!!」
「……ラン…ス……?」
がっしりと強く肩を掴まれて、いきなり視界が戻りました。
目に入るのは、切羽詰まったような顔のランスロット様とべそをかいた巫女様……それに白い天井…………天井???なにゆえ天井が?
「お退きください」
埒もないことを考えているうちに、硬い表情のルビーが巫女様を押しのけるようにして視界に入りました。
「大丈夫ですか?お嬢様」
「え……ええ……ルビー……わたくし……」
ルビーとランスロット様に抱え起こされて、わたくしはやっと自分が倒れたのだと理解したのです。
「いったい何を考えているのですか!いきなり屋敷に押し入って、お嬢様の部屋にまで!!」
わたくしの無事を確認するなり、ルビーがそう叫び、ランスロット様を突き飛ばしました。
「ルビー!?」
もちろん、侍女に突かれたくらいでびくともするようなランスロット様ではありませんが、一介の侍女が貴族のご子息に対して許される所業ではありません。
「ヒューレイの人間が当家に足を踏み入れるなんて!!ただではすみませんわよ!!」
「………悪かった」
しかし、わたくしの制止を振り切って、なおもルビーはランスロット様に食ってかかります。そして、ランスロット様もそれを咎めるでもなく、丁寧に騎士の礼をされました。
「あ……あの……ランスロット先輩……」
「すまない。大丈夫か?」
ランスロット様はわたくしに手を貸してソファに座らせると、もう一度わたくしにも頭を下げます。
「俺はこいつを連れ戻しに来ただけだ。こちらに迷惑をおかけするつもりはなかったのに……すまなかった」
「……アリアドネ様……ごめんなさい」
そんなランスロット様の隣で、可哀想なくらいに泣きじゃくりながら巫女様も頭を下げました。
「どうか、今日のことは他言無用でお願いする。時間がないのでこれで失礼するが……謝罪はまた改めて」
わたくしが何も言えないでいるうちに、ランスロット様はそう言い置いくと、ただごめんなさいと何度も繰り返す巫女様を連れて帰って行かれました。
黙って見送る以外、わたくしになにができたでしょう……?
巫女様の来訪も、ランスロット様の乱入も、ルビーの激昂も。
すべてが驚くことだらけで………わたくしは、その晩も熱を出し、3日間も寝込む羽目になったのでございます。
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そんなこんなで結局4日間も寝込む羽目に陥ったわたくしは、大事をとって6日間も学園をお休みすることとなりました。
熱が下がった5日目以降にはマリナ様やリディア様、それに殿下やケイトリン様までがお見舞いに来てくださったのです。
わたくしは申し訳ないやらありがたいやらで身の縮む思いだったのですが―――。
「では、明日からは登校できそうなのだな?」
「はい。ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫ですわ」
久々のお兄様の居間で、わたくしは背筋を伸ばして殿下にそう答えました。
お兄様との仲が発覚してから……いえ、それ以前も、殿下が当家にいらっしゃる場合、わたくしたちが歓談する場所はもっぱら階下のサロンかここ、お兄様の居間になります。
婚約者とはいえ、淑女の居間にみだりに殿方を入れるわけにはまいりませんから。
わたくしに会いに来るという名目以外にもしょっちゅう出入りしているせいでしょうか。
部屋の主よりも寛いだ様子の殿下は、お行儀悪くわたくしの正面のソファに身を投げ出した状態のまま満足そうに頷きました。
「それは良かった。滅多に寝込むことのないきみが4日も寝込んでいるものだから、こいつときたら気もそぞろで、私など眼中にも入れでもらえなかったんだからな」
「そっ……それは殿下だって!毎日しつこいくらいにアリアの様子を聞いていたではないですか!」
ぱっと頬を染めて言い返すお兄様と、心底楽しそうに笑う殿下。
これは……あれですわね。「いちゃいちゃ」というやつですわね。
緑の乙女シリーズの最新作で、ダリルとアリエッタのいちゃつきを見せられた副船長マルロの気持ちがよくわかりましたわ……。
やたらと甘い雰囲気に、スイーツもいただいてないのに胸焼けしそうな気分になりつつ、わたくしはお茶でのどを潤しました。
―――……それにしても……。
気にかかるのは、巫女様と―――ランスロット様のこと。
あのあと、巫女様は無事に寮へ戻られたのでしょうか。お咎めは受けなかったでしょうか。
そしてなによりも……巫女様を「ロッティ」なんていう、誰も呼んだことのない愛称で呼んだランスロット様、ランスロット様を「ランス兄様」と呼んだ巫女様。
お二人は親しい間柄なのでしょうか?だとしたら、それはいつから?学園に入ってから……それとももっと以前から?
誰にも内緒でわが家にいらっしゃったはずの巫女様の居場所をすぐに突き止めたのも、ランスロット様にとって巫女様が特別な方だから?
もしそうだとしたら……ドロレス様がわたくしを敵視するのは、それが原因?だとしたら……わたくしは……
「アリア?」
不意に肩を叩かれ、わたくしははっと物思いから引き戻されました。
慌てて顔を上げると、心配そうに覗き込むお兄様と目が合います。
「大丈夫か?アリア嬢、もしやまだ体調が優れないのでは?」
「無理はしない方がいい。部屋へ帰って休むかい?」
「い…いえ、そういうわけではないのです!」
居住まいを正した殿下にも心配され、わたくしは慌ててしゃんと背筋を伸ばしました。
「ただちょっと……巫女様のことが気になって……」
少し躊躇って素直にそう申し上げると、殿下とお兄様は困ったように顔を見合わせました。
「マリナ様もリディア様も……みなさま、巫女様のこともドロレス様のこともおっしゃいませんし……それに……」
他言無用と言われましたが、あの日巫女様がいらっしゃったことはルビーの口からお兄様には伝わっているはずです。でもランスロット様の乱入は?そのこともお兄様はご存知なのでしょうか。そして殿下は?
「………表向きには、巫女殿は大聖堂の庭を散策しようとしてうっかり外へ出てしまい、迷子になった……ということになっている」
ややあって、ため息とともに殿下がそうおっしゃいました。
「大聖堂で巫女様を見失ったハワードとヒギンズから緊急連絡が入って、すぐにランスが場を取り纏めたのだ。奴は、巫女殿がアリア嬢に謝罪したがっているのを知っていたから、彼女の行先に見当がついたらしくてな。巫女殿を連れ戻し、迷子になっていたということにした。責任問題になるとハワードたちを脅し、従者殿には真相を伏せている。大丈夫、巫女殿は誰にも咎められていないよ」
「従者殿の過保護ぶりには護衛の騎士たちも辟易しているからね。従者殿に知られたら悪しざまに罵られるぞ、と言っただけでみんな口裏を合わせてくれたそうだよ。当の巫女殿が真摯に謝罪なさっていたそうだしね」
「そう……ですのね」
お二人の言葉に、わたくしはほっと胸を撫で下ろしました。よかった!では、巫女様はドロレス様に叱られなくてすんだのですね!
泣きじゃくりながらも謝罪を繰り返していた巫女様の顔を思い出すだけで胸が痛みます。あのかたがあれ以上傷つくことがなくて、本当に良かった。
でも……そう思うそばから、何やら胸の奥がもやもやします。
何故ランスロット様は巫女様の事情をご存知なのかしら……そして、すぐに居場所の見当がつくくらい巫女様のことをよくわかっていらっしゃるのなら、なぜドロレス様の過干渉を咎めないのかしら。
「……なぜ……ランスロット先輩は顔を出してくださらないのかしら……謝罪は後程とおっしゃったのに……」
「アリア!?」
ぽつりと漏れた言葉に、お兄様や殿下だけでなく、わたくしもびっくりしてしまいました!
なんなのでしょう!?これでは……これではまるで、わたくしがランスロット様のお見舞いを期待していたみたいじゃないですの!!!??
「……ランスからは、ヒューレイ辺境伯を通じて正式に父上に謝罪があったそうだよ」
「ヒューレイ辺境伯様から!?」
咄嗟に口許を押さえて焦るわたくしは、お兄様の言葉にまたまたびっくりいたしました。
家同士の正式な謝罪ともなれば、記録にも公文書にも残ります。
ただ家に押し掛けたくらいで何故そんな大事に!?平然と女子寮に窓から侵入するようなかたなのに!!
「……まあ、あの時は非常事態だったしな。学園の寮に忍び込むのと、侯爵家の屋敷に押し入り、令嬢の私室に踏み込むのとは訳が違うだろう」
謝罪といっても、そう大仰なものではないし。
「そう……なのですね……」
そういう殿下のお言葉とは裏腹に、わたくしの心は重くなりました。
咄嗟のこととはいえ、ルビーの無礼な振る舞いや、追い帰すようなあの対応。
もしかしたら……ランスロット様は、たとえ謝罪のためでも我が家を訪れるのに嫌気がさしたのかもしれません。わざわざ家を通すという形式ばったやり方を選んだのも、これ以上関わり合いになるのを避けたからなのでは……。
ランスロット様はそんな方ではない、と思いつつも、気持ちが沈んでいくのをどうすることもできないまま。
わたくしはただぼんやりとお兄様たちの話を聞いていたのです。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいのですが。
また、評価や感想などお聞かせいただけると励みになります!
この世界での本の価値について。
印刷技術が確立していないため、本はすごい貴重品です。
特に、娯楽本は発行部数も少ないため、かなり貴重。奪い合い。
コ〇ケの壁サークルの新刊くらい入手が困難。
当然、価格もそれなりに。
大貴族のアリア嬢だから簡単に入手できても、僻地の巫女様には夢のまた夢だと思ってください。
マリナ嬢やリディア嬢みたいに借りに来れればいいんだけどね。




