はわわわ
さて、翌日。
蛇さんが死んだことで、この騒動は一応の終息となりました。
例の部屋の窓まで伸びた枝はばっさりと伐られ、上から蛇が降ってきたことから、天井の羽目板がずれることのないよう補強もされました。念のためケイトリン様もお部屋を移ることになり、あの部屋自体も来期まで使われないことになったとか。
そうそう、それから、巫女様とドロレス様からも、丁寧な謝罪があったそうです。
『でもドロレス様が謝ったのって、殿下とランス先輩にだけなんですよ!』
守護精で事の次第を教えてくださったマリナ様は、ぷんぷん怒っていらっしゃいました。
『一番謝らなきゃいけないのって、ケイトリン様とアリアドネ様に、ですよね!?それなのになんで殿下とランス先輩?!!ランス先輩はまだしも、殿下なんてはっきり言って何の役にも立ってませんよね!?』
守護精の伝言は送った相手以外には聞こえないからいいようなものの、誰かに聞かれたら不敬罪に問われかねないようなマリナ様の暴言に、わたくしはつい笑ってしまいました。
詳しくはまた明日、とおっしゃっていたので、明日登校したらたっぷり聞かされることでしょう。
身振り手振りつきで憤るマリナ様の姿が想像できてしまって、わたくしは微笑ましい気持ちでいっぱいになりました。ケイトリン様もすっかり元気を取り戻したということですし、あの痛々しい痣も日を追うごとに良くなっていくことでしょう。
その場にいなかったことをちょっと残念に思いながら、わたくしは読みかけの本に手を伸ばしました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それは、今朝がたのこと。
普段通り登校するつもりのわたくしでしたが、ルビーから待ったがかかりました。自分ではわからなかったのですが、わたくし、発熱していたのです。
『昨夜、あんな無謀な真似をなさったのですから当然です』
いつも以上に無表情の(かーなーりー怒っている証拠です)ルビーと心配性のお兄様に詰め寄られ、わたくしは今日は学校をお休みすることになりました。仮にも昨日の騒ぎの当事者ですから、状況の説明をするべきでは、と思いはしたのですが、今朝のルビーには逆らえず……わたくしは、おとなしく一日お休みをいただくこととなったのです。
まあ、わたくしとしてもちょっと思うところはありましたし……。
ともあれ、そんなわけでわたくしは今、のんびりと至福の時を満喫しているのです。
「ああ……やっぱり素敵ですわ……ノーラ・ラクストン様の緑の乙女シリーズは……」
大好きな作家の最新刊を読み終えて、わたくしは満足のため息をつきました。
ラクストン様の作品はどれも面白いのですが、中でもこの『緑の乙女シリーズ』がわたくしの一番のお気に入り。どのお話も緑の瞳のヒロインたちが、ロマンス小説とは思えないほどの様々な冒険を繰り広げ、数多の困難を乗り越えて愛する方と結ばれるのです。
「前作の男勝りなビアンカの話も素敵でしたけど……今作の伯爵令嬢アリエッタもとても素敵でしたわ……。海賊に攫われるなんて……想像もつかない状況ですわね」
余韻を噛み締めるように、わたくしはページをめくりました。
若き海賊ダリルに連れ去られたヒロインのアリエッタは、やがて彼に惹かれていきます。それなのに、敵対する別の海賊に拉致されたり、浮気ばかりしていた婚約者の王子が体面のためだけに連れ戻しに来たり。それはもう、大冒険の大恋愛なのです。
それにしても……ああもう、こんな役立たずの顔だけ王子、わざわざ来なくてもよろしいのに。
でも、アリエッタを護るため、先の戦いでの怪我も癒えていないダリルが王子の前に立ち塞がるのですわ……!アリエッタの手を引いて後ろに引き入れ、『俺の傍を離れるな』って………
うっとりとその場面を想像しかけ―――わたくしは、心臓が爆発するかと思いました。
だってだって、この場面って、昨夜ランスロット様がわたくしを庇ってくださった場面と、まったく同じではありませんの!?
腕を掴まれて、大きな背中で庇われて……そりゃあ、『俺の傍を離れるな』なんて言われてませんけど……『動くな』って言われただけですけれども~~~~~!!!!?
か…顔が熱い!どうしましょう、すごく顔が熱いですわ!!
なんだか、とんでもなく自分が赤面している気がします!
はわわわ、と情けない声が漏れるのを隠すように、わたくしはクッションに顔を埋めました。
どうしよう……わたくし、今後どうやってランスロット様に対峙すればよろしいんでしょう?!
だってわたくし、あのかたにお礼ひとつ申し上げていないんですもの!!
わたくしがそのことに気付いたのは、家に帰ってお兄様にあの部屋での出来事を説明しているときでございました。
『そうか……リディア嬢だけで大丈夫かと不安だったのだが、ランスがお前を護ってくれたのだね。いきなりあの男が室内にいるのを見たときには、あの悲鳴はあいつのせいかと思ったが』
リディア様の悲鳴で駆け付けたらしいお兄様は、腑に落ちたというように笑って。
『女性の部屋に窓から忍び込むなんて、本来なら褒められた所業ではないんだろうが、今回ばかりはランスに感謝だな。私からも礼を言っておくよ』
『お礼……』
お兄様のその言葉で、わたくしはやっと自分の無礼に気付いたのです。
ああああ、もう、もう、何をしているのわたくし!!
蛇から護っていただき、突き飛ばされたところを受け止めていただき、そのうえ、ドロレス様からも庇っていただいたのに、『ありがとう』のひとことすら言えていないなんてええぇぇぇ……
ああもう、穴があったら入りたい。いえ、いっそ埋めていただきたい。
小さく唸りながら、わたくしはぎゅっとクッションを強く抱きしめて目を瞑ります。
でも、その瞼の裏に浮かぶのは、骨ばった大きな手。視界を埋めてしまうような、広い背中。一瞬頬を寄せた、逞しい胸板に、至近距離からわたくしを見つめていた、心配そうな緑の瞳―――。
「ああああああ!!」
「お嬢様!?」
恥ずかしさのあまり奇声を上げたせいでしょうか。ルビーが血相を変えて部屋へ飛び込んできてしまいました……。
「何事です、お嬢様!またお熱が!?」
「いっ……いえ、何でもないのよ、ルビー!そう、なんでもないの!ただちょっと胸がドキドキして顔が熱いだけ!!」
「お嬢様……」
無表情のまま、真っ赤な顔で慌てるわたくしは相当滑稽だったことでしょう。ルビーはそんなわたくしを見て、なんとも形容しがたい顔をしました。
「あんまり驚かせないでくださいませ。昨夜のことを思い出しておいでだったのですか?……動悸が激しくなるのも無理はありませんわ。あんな怖い思いをなさったんですもの」
「……怖い……?」
小さくため息をつき、ルビーはそっとわたくしの額に手を当てます。
「ええ、そうですとも。恐ろしい蛇退治を目の当たりになさるなんて。気の弱いご令嬢なら気絶していますわ」
「……そう?怖い……目にあったの……?わたくし……」
恐怖など、微塵も感じなかったような気がするのですけれども……。
むしろ、ランスロット様の背中は頼もしくて、安心できて……ああ、でも蛇がリディア様の方へ向かったときは生きた心地がしませんでしたわ!あら?そうするとやっぱり怖かったのかしら???
「……そうね。怖い思いをしたんですもの。ドキドキするのもそのせいね」
「そうですとも。でも、ご安心くださいませ。このルビーがお傍にいる限り、蛇だろうがなんだろうが、お嬢様には指一本触れさせませんから」
「まあ、ルビーったら」
真顔で胸を張るルビーに、わたくしは心がほぐれていくのを感じました。
そう、もう大丈夫。
胸がドキドキするのは怖かったから。ちょっと気まずくはありますが、ランスロット様にだってちゃんとお礼が言えるはずですわ!
すっかり気が楽になったわたくしは、軽い昼食をいただき、午後も読書を楽しみました。そして……午後も半ばを過ぎる頃でしょうか。不意に響いたノックの音に、わたくしは顔を上げたのです。
「お嬢様」
ドアが開くと、そこに立っていたのは固い表情のルビーでした。
「お嬢様にお会いしたいという方がいらっしゃっています。おひとりで」
「おひとり……?」
ルビーの言葉にわたくしは首を傾げてしまいました。
わたくしの場合、家まで訪ねてくるような友人は限られています。
足繁く通ってくださるのはリディア様とマリナ様ですが、このお二人はルビーとも顔なじみですし、お一人でいらっしゃったとしてもすぐに通されるはずです。他の友人というと……皆さま、侍従や護衛を連れていらっしゃいますわね。馬車でいらっしゃったなら、紋章でどなたか判るかしら。
「初めていらっしゃる方かしら。馬車の紋章は?」
「いいえ、徒歩でお越しのようです」
「徒歩で!?」
わたくしはぎょっとして腰を浮かせました。
我が家は王都の中心部に位置していますが、それでも学園からは結構離れています。もし学園から徒歩でいらしたのなら、小一時間はかかるでしょう。
「まあ、いったいどなたかしら。お名前は伺って?」
どなたにせよ、門前払いというわけにはまいりません。慌てて鏡で身嗜みをチェックしたわたくしはルビーの答えに思わずブラシを取り落としました。
「はい。お名前を伺ったところ、シャルロット・ラファティ男爵令嬢と名乗られております」
「……はい?」
シャルロット・ラファティ???
それって……それって………巫女様ではありませんの!!!!!
わたくしは大慌てで部屋を飛び出しました。はしたなく廊下を駆け抜け、ホールの吹き抜けから玄関ホールを見下ろします。
「巫女様!?」
玄関ホールの隅っこで所在なさげに立ち尽くしていた巫女様は、その声に弾かれたように顔を上げました。
「アリアドネ様……」
「今!今そちらへまいりますわ!どうか座ってお待ちになって!いえ、もっと火の傍に!!」
我が家の玄関ホールは広く、来客用のソファも暖炉もありますが、あんな隅っこではその温かさも届かないでしょうに!
青褪めたその顔に叫び返し、わたくしは階段を駆け下りました。
淑女らしくない振る舞いですが、今はそんなこと言っていられません。常に護衛が付き、護られているはずの巫女様が何故お一人で?しかも、徒歩?まさか、学園から歩いていらっしゃったのでしょうか。あのいつもベッタリの従者は何をしているの!?
「あ……あの……アリアドネ様…」
「巫女様!」
最速で玄関ホールにかけつけたわたくしは、困ったように玄関の扉とわたくしを見比べる巫女様の手を取り、またしてもぎょっとしました。
「まあ!こんなに冷えて!!しかも、こんな軽装で!外套はどうなさったの?まさか、学園から歩いていらっしゃったのではないでしょうね!」
巫女様の手は、氷のように冷え切っていました。しかも、巫女様は制服の上に軽いストールを羽織っただけ。とてもこの寒空の中、外を出歩いていい服装ではございません。
「あ……あの……あの……」
はっ!!しまった!!
驚きのあまり、つい強い口調になってしまったからでしょうか。はっと気付いた時には、巫女様はその大きな瞳に涙をいっぱいにためていらっしゃいました。
「あ、あの、巫女様?」
「ごっ……ごめんなさい!!」
慌てて謝罪しようとするより早く、巫女様はものすごい勢いで頭を下げました。ええ、それはもう。身を二つに折る勢いで。
「み……巫女様」
「わたし……わたし、どうしてもアリアドネ様に謝らなきゃって……それだけしか頭になくて……ごめんなさい、ご迷惑、でしたよね……ご病気の時に…」
ぽたり、と巫女様の涙が床に落ちます。
ああ……泣かせてしまいました……罪悪感が凄まじいですわ……。
ごめんなさいはわたくしの方ですのよ、巫女様。別に叱ってるわけではなかったんですの。病気なんてとんでもない、半分はズル休みでしたの。
「ごめんなさい、わたし、帰ります。いつか、改めてお詫びさせてください。どうか、私が来たこと、誰にもおっしゃらないで……」
「お待ちになって!!」
って、罪悪感に押し潰されている場合ではありません。
黙り込んだわたくしをどう思ったのか、涙を拭きながら早口で言うだけ言って玄関へ走ろうとする巫女様の腕を、わたくしは咄嗟に掴みました。
「謝罪にいらっしゃったのでしょう?このままお帰りいただくわけには参りませんわ。せめて、温まっていただいてからでないと」
「え?あ……あの」
本意ではないとはいえ、巫女様を泣かせてしまったのですもの、こうなったら多少強引な真似をしても同じです。わたくしは有無を言わせず巫女様をサロンへ引っ張って行こうとしました。
「あの!」
しかし、巫女様は必死の形相でわたくしの腕に縋りついてきたのです。
「あの、わたし、ドリーに……ドロレスに内緒で来たんです!どうか私がここにいること、誰にも知られないように!」
まるで追っ手がかかっているかのように、怯えた目で玄関を見やる巫女様。どうにもただ事とは思えません。一瞬考え、わたくしは巫女様を連れて階段へと足を向けたのです。
「どうぞ。わたくしの居間ですわ。ここなら、わたくしの許可がない限り、お兄様ですら入れません」
「は……はい……失礼……します……」
自室へご案内すると、おずおずと足を踏み入れた巫女様は、室内に入るなり小さく息を飲みました。
「まあ……」
べ、別に変なところはございませんわよね?
思わずわたくしはこっそりと部屋を見渡します。
白地に金の模様のあるダマスク織の壁、大きな窓、白い暖炉に白と緑の縞模様のソファセット、象嵌の施された猫足テーブル、揃いのキャビネット。さっきは慌てて飛び出しましたけど、ささっとルビーが片付けてくれたようです。
「まずはお座りくださいな。すぐにお茶を用意させますわ」
「い、いえ!わたし、すぐに帰らなきゃいけないんです!」
ソファを勧めると、呆然と室内を見回していた巫女様は、ハッとしたように言いました。
「あら、この後にご予定が?」
「予定というか……実はわたし、こっそり抜け出して来たんです。大聖堂から」
そう言って、巫女様は不安げに胸の前で手を握り締めます。
「ドリーが補習を受けなきゃいけなくて……わたし、その間に大聖堂に参拝するって言って出てきたんです。ランバウム候のお屋敷は大聖堂のすぐ傍だって聞いたことがあったから……そこからは護衛の目を盗んでどうにかここまで……」
「まあ……」
わたくしは咄嗟に時計に目をやりました。
補習というからには授業の後でしょうが、すでに1時間近くが経っています。もし、補習が1時間なら……そして、ドロレス様がすぐに大聖堂へ向かったら。
「きっと、護衛の騎士さんたちも私が抜け出したのに気づいて探してます。もしわたしがここに来たことがドリーに知られたら……騎士さんたちが叱られてしまうわ。だからわたし、すぐに帰らないと」
「そんな……ドロレス様は従者でしょう?どうしてそんなに巫女様が言いなりになる必要がありますの?」
「ドリーは………わたしが舐められないようにと一生懸命なのです」
わたくしの問いに、巫女様はそう言って目を伏せました。
「わたしに巫女姫の力があると判った時……まわりにさんざん言われました。こんな貧相な娘が巫女姫だなんて何かの間違いだ、貴族というのも烏滸がましいような、僻地の貧乏男爵の娘に神が下りるわけがない、神が下りる相手を間違えたのだと。判定にいらっしゃった司祭様や上級貴族のかたにも、なかなか信じてもらえませんでした。わたし……学がありませんし、作法もなってないから……学園に入る時にも、くれぐれも周りの方々にご迷惑をかけるなと……」
「そんな!」
巫女様に……いえ、たとえ巫女の力がなかったとしても、年端もいかない女の子になんてことをおっしゃるの!!たしか、巫女様の世話役となっているのはモンテナ伯爵家だったかしら!?
「まさか、学園内でもそのような扱いを!?」
「いえそんな!学園では皆さん優しくしてくださいます!ケイトリン様も……最初は恐縮しましたけど、馬鹿にするのではなくきちんとわたしの間違ったところを正してくださって……」
怒りを抑えるわたくしに気付いたのか、巫女様は慌てたようにそうおっしゃいます。
「ただ……最初にそんなことがあったせいか、ドリーはすごく周りを警戒しているのです。わたしが馬鹿にされないように、見下されないように、って……必要以上に高飛車に振舞ったりして……」
「そうだったのですね……」
巫女様の説明で、ドロレス様のあの敵視にもすこし納得がいった気がしました。
では、わたくしは巫女様を軽んじる貴族の代表格として扱われているのかしら……嫌だわ、そんなつもり、まったくありませんのに。
「……アリアドネ様……」
不意に手を覆った少し冷たい感触にはっとわたくしは物思いから引き戻されました。そんなわたくしの手を握り、巫女様はとでも真剣な面持ちでわたくしの目を覗きこみます。そう、『悲壮』という言葉がぴったりのような、そんな表情で。
「巫女……様?」
「……アリアドネ様」
少し言い淀んで、それから巫女様は意を決したように口を開きました。
「アリアドネ様は……アリアドネ様は、今後国家を転覆させるような、そんなご予定があるのでしょうか?」
「は?」
……コッカヲ……テンプク……?????
あまりにも突拍子もない巫女様のお言葉に、わたくしはぽかんと間抜けな顔を晒すしかなかったのでございます。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいのですが。
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アリア嬢、無表情でご乱心。
このままラブコメっぽくなるか!?…………なるかぁ?(懐疑的)




