なんてこと!
さて、わが校は貴族の子女が集う学園とはいえ、その寮はさほど豪華なものではありません。
男子寮、女子寮は隣り合った敷地に建ち、ともに3階建てで個室、機能的で快適な住み心地なれど、すべての部屋が同じ造りとなっております。それでも、巫女様が従者との2人部屋を希望されたため、一番日当たりのいい3階中央の2部屋を改装し繋げたそうなのですが。
「突然、ドロレス様に部屋を明け渡せと言われたのです」
「部屋を?」
「たしか、ケイトリン様のお部屋は……」
「はい、3階の一番東の端でございます」
同じ寮生のマリナ様が目を丸くするのに、ケイトリン様は暗い顔で頷きました。
なんでもケイトリン様のお部屋の窓には、男子寮との境にある大木の枝が張り出していて、日当たりがあまりよくないのだとか。
「絵の具には日光を嫌うものもありますので、わたくしにはかえって都合がいいのですが……そういった理由もないのにどうしてそんなことをおっしゃるのかわからなくて」
そういえば、ケイトリン様は絵を描かれるのでした。いろいろと画材も取りそろえ、学生にしてはかなりの腕前でいらっしゃいます。
「だが、巫女様は従者殿との同室を希望なのだろう?まさか、ケイトリン嬢の部屋とその隣をぶち抜けと言っているのか?隣だって空き部屋ではないだろうに」
「はい、お隣には3年のアナスタシア・ミルズ様が。ですが、ドロレス様は……」
「あのかたは、ケイティにだけ出て行けと言ったんです!」
リディア様への返答に詰まるケイトリン様に代わって、アンナ様がたまりかねたように口を挟みました。
「部屋を替わるんじゃなくて、ケイティがあの部屋にいると邪魔だから出て行けって!!」
「はあっ!?」
「なんだって!?」
あまりの横暴に、リディア様とお兄様が驚きの声を上げます。わたくしも殿下も危うく声を上げるところでした。
「そ……それでは、巫女殿は今の部屋に不満があるわけではなく、ただケイトリン嬢の部屋を寄越せと!?」
「そうです!さすがにケイティも怒ったんです!いくら巫女様だからって、理不尽だって!ただでさえドロレス様はケイティを罵ったり悪口を言ったり…それにあの絵だって!ドロレス様が持って行ったに違いないわ!」
「アンナ!」
「絵?なんのことだ?」
「あ、それは私が」
興奮するアンナ様と、宥めようとするケイトリン様。なにやらきな臭い雰囲気になりかけたところでマリナ様が片手を上げました。
「先日お話しした、女子寮での諍いです。ケイトリン様が談話室に置き忘れた画帳の中から、絵が何点か抜き取られたそうなんです。そうでなくとも、最近ちょくちょく小物の紛失が起こっていて……それもあって、ちょっとした騒ぎになって」
「確かに、証拠はありませんけど!でも、めったに談話室によりつかないドロレス様が、そそくさと談話室から出ていくのを見た人はいるんです!その前に教室で画帳を見せてもらっていた時にも、あのかたはケイティの絵に言いがかりをつけて……絶対ドロレス様がやったに違いないわ!」
「まあ、少し落ち着きたまえ」
憤りのあまり、ケイトリン様のベッドをばしばし叩いて訴えるアンナ様に、お兄様は苦笑して侍女にお茶を出すよう目で指示を送ります。
「つまり……ケイトリン嬢の絵が盗まれて、証拠はないものの、前後の状況からアンナ嬢は従者殿の仕業ではないかと疑っているということだね?」
「ええ!だって、寮生ならみなさま、ケイティに頼めば絵を譲ってくれるか、新しく描いてくれるって知ってるはずですもの!黙って持って行ったりなんてしませんわ!ぜったい!」
アンナ様の言う通り、ケイトリン様は頼めば快く画帳を見せてくださいますし、絵を譲ってもくださいます。かくいうわたくしも、お兄様のスケッチを譲っていただいたことが。
「その前の、教室での言いがかりというのは?」
「はい……その、なくなった絵というのが先日兄に頼んで馬術部の見学に行ったときのスケッチだったのですが……それを見て、ドロレス様がいかがわしいと……」
「いかがわしい?だって馬だろ?馬の絵がいかがわしい?」
「は、はい。馬と…それから、馬に乗る兄やランスロット様や……それから、リディア様の絵も数枚……」
素っ頓狂な声を上げるリディア様に、ちょっと恥ずかしそうに頬を染めてケイトリン様は答えました。
「ますます訳が判らない。ランデール先輩やランス先輩の絵がいかがわしいのか?それとも、私か?」
「まあまあ。リディア嬢も落ち着きなさい。ともかく、諍いの内容は判った。それで、きみたちはどうしたのかな?彼女を直接問い質したりしたのかな」
「それは……」
お兄様の問いに、ケイトリン様とアンナ様は顔を見合わせます。
「問い質したというか……質問はしました。遠回しにですけど……」
「遅くまで談話室にいらっしゃったようですが、何か見てはいらっしゃいませんか、とお尋ねしたんです。そうしたら……」
『わたしが盗んだとでも言いたいの!?』
ドロレスは、真っ赤になって怒ったという。
『酷いわ!私は星詠みの巫女姫様の従者なのよ!?その私を泥棒扱いするなんて!巫女様を泥棒扱いするのと同じことよ!!なんて侮辱なの!』
『ド……ドロレス様!わたくしたちは決してそのような……』
『いいえ!判っているわ!あなたの魂胆は!!いつもわたしたちを見下して、あれこれ文句を言うだけじゃ足りなくて、今度は泥棒の濡れ衣を着せるつもりなのね!これも全部、あの蛇姫の差し金なんでしょう!!』
「え?わたくし?」
はっ!なんてことでしょう!
突然出てきた自分の呼称に驚くあまり、うっかり声を出してしまいました!当然のことながら、ケイトリン様たちの視線がさっとこちらに集まります。
「………アリア嬢~~」
殿下に特大のため息をつかれながら、わたくしはしかたなく衝立から顔を覗かせました。
「アリアドネ様!?」
ああ、ケイトリン様ごめんなさい!そんなに怯えた顔をなさらないで!わたくし、あなたを怖がらせたくなくて、こっそり隠れていましたのに。
「申し訳ありません。蛇に襲われたと聞いたものですから……どうぞ、お気になさらないで。もし、わたくしがいては話しにくいようならすぐに退出を……」
「ち……違います!違うんです!アリアドネ様!」
言いながらそっと扉へ向かおうとするわたくしを、半泣きでケイトリン様が押し留めました。
「アリアドネ様は悪くないんです!ただ、わたくし……わたくしが…」
「ケイティ!?」
そこで激しく咳き込んだケイトリン様に、慌ててアンナ様が縋ります。すぐさま侍女がお水をお持ちし、室内はちょっと騒然としました。もちろん、わたくしもベッドへ近寄ったものの……これって、わたくし、お傍に行っていいのかしら?
「……すみません。どうぞ、お座りください。アリアドネ様」
ややあって、咳の治まったケイトリン様に座を進められ、わたくしはおとなしくお兄様の隣の椅子に座りました。
「……元はと言えば、わたくしが巫女様やドロレス様のなさることにいちいち注意していたのが原因なのです」
もう一口水を飲んで、ケイトリン様は話し始めました。
「最初は、お二人ともまだ学園に不慣れだから、ということで見守っていたのです。でも……巫女様はまだしも、ドロレス様の振る舞いがあまりに目に余るもので……」
例えば、巫女様の従者という立場を笠に着て、同じ平民である特待生や下級貴族の令嬢を見下したり。
例えば、マナーを破り、自分勝手に振る舞ったり。
「できるだけ、やんわり注意したつもりなのです。でも、巫女様はすぐに改善してくださるのに……ドロレス様は何度言っても直らないことが多くて……」
「学食でも断りもなく3年生のテーブルに座ったり、あまつさえ、生徒会の皆様のお席にまで……」
「ああ……確かに昼食の時、やたら近くに座っていた時があったな。あんまり気にしてはいなかったが」
アンナ様の補足に、ランデール先輩も眉を顰めます。
暗黙の了解として、学食はそれぞれ学年ごとに使用するテーブルが分かれています。
基本的に、自分より上の学年のテーブルには招かれない限りつかないというのがマナーですし、奥の一角は昼食をとりながら会議を行うことがある、生徒会専用となっているのですが……。
「それで……何度も注意しているうちに、ドロレス様を怒らせてしまって……ちょっと口論っぽくなって、つい言ってしまったのです。わたくしはアリアドネ様からあなた方の手助けをするよう頼まれているのです、って」
「まあ!」
「すみません!!!」
僅かに瞠目したわたくしに、ケイトリン様は小さくなって平謝りなさいます。
「そうしたら、ドロレス様がものすごく激昂なさって……あの蛇姫に加担するなんて!とか、裏切り者!とか……すみません、わたくしが不用意に口を滑らせたばっかりに……」
「いいえ、そんな!わたくしがケイトリン様にそうお願いしたのは事実ですし」
どうも、巫女様はかなりおとなしくて素直な方であるのに反して、ドロレス様というのは相当に強情で我の強い方のようですわね。
「その時は、巫女様が珍しくドロレス様を引っ張っていかれて収まったのですが……」
「それ以来、あのかたはケイティを目の敵にするようになったんです!そして、それがもとでアリアドネ様が巫女様に嫌がらせをしているなんて噂が……」
「噂…」
思わずお兄様とわたくしは顔を見合わせました。では、オレイアス殿下が危惧していらっしゃったのはそのことなのでしょうか。
「もちろん、そんなもの真に受けるひとはいません!でも………」
「噂をする奴はいる、というわけだな」
リディア様が難しい顔で腕組みをなさいました。
「実際のアリアドネ様を知っていればそんな面倒くさいことなさる方ではないのは判るだろうに……よく知らない1年生では同じ1年の巫女様に同情票が集まるのもしかたない、か……」
……あら?なんでしょう、今、そこはかとなく不本意な言われ方をしたような………?
「では……その流れで死の警告を?」
「いえ……それはドロレス様を怒らせてしまってから2日ほど後のことでした。夕食のあと、ドロレス様が話があると部屋を訪ねていらっしゃったのです。お部屋に通すと、あのかたは窓の傍に行って外の様子を確かめていらっしゃるようでした。それから、この部屋に居られると邪魔だから、明け渡せと。さすがに横暴が過ぎるとお断りしたところ……あの警告を……」
『あら、そんなことを言っていいの?』
ドロレスは、そう言ってケイトリンを嘲笑った。
『せっかく、警告に来てあげたのに』
『この部屋に居続けたら危険だって。命が危ういって』
『なにを……』
反論しかけるケイトリンを、指を突き付けて黙らせて。
『……シャルに……巫女姫に、神託が下りたの』
そう言って、彼女はにやりと嗤った。
「ドロレス様によると……巫女様が、このままでは近いうち、わたくしが命を落すことになるという神託を受けたそうなのです。巫女様はわたくしに告げることを躊躇っていたそうなのですが……ドロレス様は、それではあんまりだから告げにきてやったのだと……」
『蛇姫に加担するような不届き者はどうなってもいいのだけれど……さすがに命を落すのは可哀想だものね。判ったら、さっさとこの部屋を出ていくことね!』
『なんてことをおっしゃるの!わたくしは誰にも加担なんてしていないし、この部屋を出る気もありません!さっさとお帰りになって!!』
「あんまりなおっしゃりように、わたくしも我慢ならなくてそのままあの方を追い帰したのです。……そうしたら……」
ごくり、と唾を飲み、ケイトリン様は震える手で首元に―――最初にお姿を拝見した時から気にはなっていた、休むには不釣り合いな、首元をきっちりと覆うスカーフに触れました。
「……どうぞ、ご覧になって」
「っ!!!」
蚊の鳴くような声でそう言って、ケイトリン様が解いたスカーフの下から現れたものに、わたくしたちは息を飲みました。
ほっそりした、少女らしいケイトリン様の首筋。
その白い肌には、幅5、6センチほどの赤黒い跡がくっきりと残されていたのです!
「ケイト!!」
ご兄妹とはいえ、目の当たりにするの初めてだったのでしょう、真っ青になったランデール先輩が立ち上がります。
わたくしは声を出すこともできず、ケイトリン様の無残な痣を見つめました。
よほどきつく締められたものか、痣のところどころには菱形の、筋のようなものが刻まれています。まさかあれは、蛇の鱗のあとでしょうか……?
「……最初に蛇に襲われたのは、その夜のことでした。蛇に追われる夢を見て、夜中に目を覚ましたのです。それなのに息苦しさが消えなくて……首元に手をやったら……蛇が……」
真っ青な顔で、ケイトリン様はベッドの掛布を握り締めます。
「へ……蛇が……ずるりと……わたくしの首から…離れて……わたくしは悲鳴を上げて……すぐに灯りをつけました。でも、そのときにはベッドにはなにもいなくて……だから、夢だと思ったのです!酷い夢を見たのだと!……でも……でも……それから毎晩………蛇の夢と……蛇の感触が………」
「ケイティ!!」
がたがた震えながら必死で言い募るケイトリン様に、べそをかいてアンナ様が取り縋ります。
「わたくしは……眠るのが怖くなりました……だって、眠ったらまた蛇が……でも、部屋を出るのも嫌でした。そんなの、まるでドロレス様に負けたみたいで……お兄様や、寮長に相談することも考えました。でも、でもそれはそれで……告げ口、するみたいで……アリア…ドネさま、に……ご迷惑……かかっ……たら……って……」
「ケイトリン様!」
堪らず、わたくしは席を立ち、泣き出してしまったケイトリン様の手を取りました。
「……ありがとう。あなたは、そんなにつらい時にわたくしのことを案じてくださったのね」
「アリアドネさまぁっ!」
わっと泣き伏すケイトリン様の肩を撫でながら、わたくしは巫女様とドロレス様への怒りが湧いてくるのを押さえられませんでした。誰かの命にかかわるような予言を受けたのなら、なぜその時点で殿下なり、生徒会なりに通告いただけなかったのでしょう!?そうすれば、何かしらの対策を設けてケイトリン様をこんなにも追い詰めることもなかったでしょうに!!
お兄様も、座り直したランデール先輩も深刻な顔で唇を噛んでいらっしゃいます。
静まり返った部屋の中に、ケイトリン様とアンナ様の小さなすすり泣きだけが響いていました。
「………すみません……わたくしったら……」
やがて、くすん、と鼻を鳴らしつつ、ケイトリン様がまだ涙の残る顔を上げられました。
「……大丈夫か?」
気づかわし気なランデール先輩からハンカチを受け取り、気丈にも彼女は頷いて見せます。一つ大きく息をつき、彼女はか細い声で話し始めました。
「……ともかく、わたくしは半ば意地になっていたのだと思います。ドロレス様に『まだ降参しないのか』と言われて、それが余計腹立たしくて。それに、それまでは体の上を這われることはあっても、それ以上のことをされたことがなかったので、油断していたのかもしれません。蛇が嫌がるという鉢植えを窓辺や枕元に置いたりして対策はしているつもりだったし。それが………3日前……」
ぎゅ、とケイトリン様の体が強張ったのが手の下でわかりました。
「はじめて……夢の中の恐怖ではなく、実際の苦しさで目を覚ましました。あの蛇が、ぐいぐいわたくしの首を絞めていたのです。咄嗟に両手で掴んでも、蛇は離れてくれませんでした。息ができず、……わたくしは死ぬのだと……蛇に絞め殺されるのだと、気が遠くなって……気づいたら、朝になっていました。そして、わたくしの首にはくっきりとこの痣が……わたくしは、半狂乱で部屋を飛び出し、アンナの部屋に逃げ込みました。そして倒れて……あとのことは、兄が話した通りです」
再び、重い沈黙が部屋を満たしました。
ケイトリン様の味わった恐怖に、みなさま言葉を失っていたのだと思います。
「……ありがとう、ケイトリン嬢。よく話してくれた。………辛い思いをしたね……」
ややあって、涙を拭くケイトリン様を優しく労り、お兄様は居住まいを正しました。
「そんなきみにこれ以上を問うのは酷だが……その蛇とは、すべて同じ蛇だったのかな?明るいところでその蛇を見たことはあるかい?例えば夜ではなく……昼間に?」
「……いいえ。灯りのあるところで見たことは一度もありません。すべて、闇の中で……灯りを付けて寝ても、何故か目覚めると灯りが消えているのです。そして……おそらくは、同じ蛇だと思います。太さはいつも……手で握り込めないくらいで……鱗が……固くて……チクチクして……」
思い出して身震いするケイトリン様の肩を撫で、わたくしはそっと彼女から離れました。
お可哀想に。
蛇好きでもない限り、女性が好き好んで蛇を掴みたいなどとは思わないでしょうに。
お兄様と目を見交わし、わたくしは大きく息をついたのです。
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