とはいえ
王立学園―――正式名称を、イグネシア王立貴族学園。
この学校は、文字通り我が国の王侯貴族の子女が通う学園でございます。
とはいえ、貴族であればどなたでも入学が許されるというものではございません。
明確な規定はありませんが、多くは子爵まで……準貴族や、一代限りの男爵家などは入学許可が下りない場合が多いそうです。
一方で、平民と言えどその資質が認められれば、特待生として迎え入れられる場合もあります。
「おはようございます、アリアドネ様」
ちょうど今、わたくしに挨拶してくださった、マリナ・サフォノワ様のように。
マリナ様は爵位のない平民ではありますが、その優秀な頭脳を見込まれてこの学園への入学を許された一人です。特に歴史への造詣の深さは、教授たちをも唸らせるほど。今回の巫女様歓迎式典についても、過去の事例などでお知恵を拝借しているのです。
「おはよう、二人とも。今から生徒会かい?」
マリナ様と挨拶を交わし合い、校舎に向かって歩き出したところで、今度は背後から声がかかりました。
「ええ、いよいよ巫女様のご入学ですもの。リディア様は今日も早朝訓練ですの?」
「ああ、まいったよ。天気がいいのはいいが、暑くて暑くて。もう秋だというのに」
そうぼやきながら顎のラインで整えた黒髪を掻き上げるのは、リディア・フェアリントン様。
「騎士様も大変なんですねえ」
「そうなんだよ。真冬になったらそれはそれで大変なんだが。汗は冷えて凍えるし、武具は凍るし!」
わざと大袈裟に言うリディア様に、マリナ様はくすくすと笑いました。
平民のマリナ様とは対照的に、フェアリントン辺境伯のご令嬢であるリディア様は騎士候補生であり、女性ながらも学園で5本の指に入る剣の使い手です。わたくしも女性にしては背の高い方ですが、それよりもなお頭半分ほど背の高い、すらりとしたお姿、快活でさっぱりした御気性、分け隔てない態度は他の生徒……特に女生徒に絶大な人気を誇ります。こうして3人で歩いているとひっきりなしに挨拶の声がかかるくらい。
「相変わらず、凄い人気ですわね、リディア様」
「ん?何を言っている。人気があるのはアリア嬢だろう?」
思わず呟いたわたくしに、リディア様はきょとん、と首を傾げます。
……騎士として非の打ち所のないリディア様ですが、状況把握能力はちょっとポンコツかもしれません。
なにしろ、わたくしときたら……『鋼鉄のアリアドネ』とか『氷の蛇姫』とか、恐ろし気な二つ名で呼ばれるくらい、皆様に怖がられているのですもの。人気なんて、あるはずがありません。
そのとき、ひらりと舞ってきた蝶がリディア様の肩にとまりました。
「トカフマン先輩からだ。巫女様の一行が城門を出たらしいぞ。もうすぐ到着するな」
蝶の伝言を受け取ったリディア様が労わるようにその羽に触れると、蝶は金と緑の羽を2回ほど震わせ、ふわりと宙に溶けます。
そう、これがこの学園に入学するための、もう一つの、そして必須の資質。守護精の具現化なのです。
みなさまもご存知の通り、人間は同じ命を生きる守護精と呼ばれる存在とともに生まれ落ちます。
ほとんどの人々は守護精の存在を意識することも、その姿を視認することもなく一生を終えますが、貴族や一握りの方々はその守護精を具現化し、時に使役することができるのです。今、リディア様に伝言を送った三年のハワード・トカフマン様のように。
「トカフマン先輩の守護精って、ちょうちょなんですね」
生徒会室へ続く階段を上がりながら、感心したようにマリナ様がおっしゃいます。
「先輩、熊さんみたいに大きいから守護精も大きいんだと思ってました」
「まあ、守護精と本人の見た目や性格はあんまり関係ないからな」
リディア様のおっしゃるとおり、守護精は魂の本質に根付くものであるとされています。……でも、そうすると……
「やあ、おはよう、三人とも。いよいよだね」
笑いながらリディア様が生徒会室の扉を開けると、先に来ていたお兄様が優しく声をかけてくださいます。
そうです。もうすぐ、星詠みの巫女様がいらっしゃるのです。生徒会として最高の歓迎をしなければ。
物思いを断ち切って、わたくしも気合を入れなおしたのです。
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「はじめまして。星詠みの巫女、シャルロットです」
およそ30分後、わたくしたちの前に現れた巫女様は、とても可愛らしい方でした。
長い睫毛に縁どられた、珍しいローズピンクの瞳、肩でカールしたふわふわのストロベリーブロンド。
小柄で華奢で、にっこり微笑むと薔薇色の頬に愛らしいえくぼが浮かびます。
「巫女殿はラファティ男爵のご息女で、神託を受けるまでほとんど領地を出たことがなかったそうだ」
「はい、田舎者ですが、どうぞよろしくお願いします」
殿下の紹介を受けてぎこちなくも淑女の礼を取る姿は初々しく、いかにも不慣れな様子がうかがえました。
「巫女殿とは学年が違うが、2年のランバウム侯爵令嬢は私の婚約者だ。何か困ったことがあったら相談するといい。頼めるかい?アリア嬢」
「ええ、もちろんですわ」
ラファティ男爵領と言えば、確か王都からは遠く離れた東の外れです。
慣れ親しんだ土地を離れ、さぞ心細いことでしょう。できる限りお力になって差し上げなれば!と、わたくしは精一杯の笑顔でお応えした……つもり、だったのですが。
「……っ」
巫女様は小さく息を飲んで、まるで縋るように隣にいた殿下の服の肘のあたりを掴みました。
「巫女殿?」
殿下は驚いて声を上げます。無理もありません。婚約者のいる男性に縋りつくなど、淑女のすることではありませんもの。
「あ……す、すみませんっ、わたしったら……」
とはいえ、無意識のことだったのでしょう。巫女様もはっとしたように手を放し、慌てて殿下に謝罪なさいました。
「巫女様、わたくしが何か……?」
「い、いえ!なんでもありません!!」
どうしましょう、わたくし、何か失礼をしでかしたでしょうか。それとも、怯えさせるほどにわたくしの笑顔が怖かったとか?
わたくしの問いかけにも、巫女様は俯いて首を振るばかり。
「さ、ではそろそろホールへ移動しよう。歓迎式典に主役が遅れるわけにはいかないからね」
場を取り持つようなお兄様の言葉に促され、釈然としない思いを抱えたまま、わたくしたちはその場を後にしたのでした。
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やがて、式典は滞りなく終了し、巫女様は皆に暖かく迎え入れられました。
これまでの経歴を鑑みて、ひとまず1年生に編入されることになった巫女様は、ケイトリン・ランデール様と同じクラスに入ることが決まりました。
ケイトリン様は生徒会運動部総長のランデール先輩の妹で、面倒見のいい、とても真面目な方です。
2、3年生から選出され、巫女様と同じ学年の者がいない生徒会としては、ケイトリン様のようなしっかりした方が同じクラスにいてくださることに、ほっと安堵したのです。
………ええ、このときは。
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それから2週間ほど経った頃でしょうか。
図書館で教授に頼まれた本を探していたわたくしは、ようやく目当ての本を見つけて備え付けの梯子を引き寄せました。普段なら梯子など使いませんが、その本はわたくしが目いっぱい手を伸ばしても届くか届かないかのところにあり、さすがに書架の前でつま先立ちになって奮闘するのは憚られたのですもの。
「……っ!?」
ですが、梯子に足をかけ、本に手が届いた、と思った瞬間。
いきなりばきっと音がして、わたくしが足をかけた2段目が折れたのです!!
いやだ、わたくし、そんなに重い!?
などとショックを受けたまま、来るだろう痛みに目を閉じたわたくしでしたが。
「……やれやれ、危ないところだったね、アリア嬢」
「オレイアス殿下!?」
予想した痛みはやって来ず、代わりに耳許でほっとしたような、笑いを含んだ声がしてわたくしは思わずひっくり返ったような声を上げました。
だって、わたくしを抱き留めてくださったのは、オレイアス・エラルド・カリュート殿下。ここにいるはずのない、デミトリオ殿下の兄君……第一王子殿下だったのですもの!
「…と、とんだご無礼を!申し訳ございません!オレイアス殿下!」
「いやいや、間に合って良かったよ。怪我はないかい?」
慌てて(気持ちだけは)飛び退ろうとしたわたくしに手を貸して立たせ、オレイアス殿下は落ちた本を拾ってくださいます。
「はい、ありがとうございます。オレイアス殿下こそ、お怪我なさいませんでした?」
「ええ?なんだい、それ」
なんとか淑女としての体裁を繕い、深く礼をしながら伺うと、オレイアス殿下は小さく噴き出しました。でもでも、梯子を踏み折るほどの重量級のわたくし(泣きたい)を受け止めてくださったのですもの、どこかお怪我をなさっていても不思議はありません。
「……たしかに、アリア嬢が乗った途端、不自然な折れ方をしたね」
素直に重量級疑惑を申し上げると、オレイアス殿下は屈みこんで折れた梯子を検分なさいました。
デミトリオ殿下より2つ年上のオレイアス殿下は、一昨年学園を卒業なさっています。
ですが、調べものがある時などは、やたら広大な王宮図書室よりも通いなれた学園の図書館を利用することが多いそう。今日もそうして図書館を訪れていて、わたくしが梯子に上るのをご覧になり、手を貸そうとお声をかけてくださるところだったそうです。
「……ちょっと老朽化していたようだね。大丈夫、きみが重いわけではないよ」
しばし梯子を調べたのち、オレイアス殿下は笑ってわたくしを慰め、それから人を呼びました。
「殿下、お呼びで?」
「ああ、ランス。この梯子を保全。それから、全部の梯子をチェックさせてくれ。他にも老朽化しているものがあるかもしれない」
駆け寄ってきた護衛に殿下はてきぱきと指示を出します。
「……老朽化……」
殿下の采配を聞いて、わたくしはちょっとほっとしました。ではわたくしの重さが壊滅的ではなかったのですわね!?良かった!!
「ぷ」
つい胸を撫で下ろしたわたくしの姿が面白かったのでしょうか。殿下の隣で梯子を受け取った騎士が不躾にも噴き出しました。
「………なにか?」
「い~や?べっつにィ?」
わたくしの氷の視線にも怯むことなく、その騎士―――3年のランスロット・ヒューレイ様は、にやにやと人の悪い笑みを浮かべます。
この先輩は、いつもこうなのです。
東の国境を護るヒューレイ辺境伯のご子息で、黒髪に緑の瞳、少し浅黒い肌と端正なお顔立ちはかなりの女生徒から高評価を得ておられます。常に飄々とした態度で、騎士として、また貴族としても完璧な作法を身に着けているにも関わらず、普段は恐ろしく口が悪く、マリナ様曰く「平民よりガラが悪い」物言いをなさいます。
それなのになぜかオレイアス殿下のみならずデミトリオ殿下とも親交が深く、お兄様までもが一目置いておられるのです!
だというのに、何故かわたくしに対してはいつも揶揄うような言動ばかり……もしかして、わたくし、馬鹿にされているのかしら!?
「ラ~ン~ス~?いいからお前は作業に戻りなさい」
わたくしが気分を害したのがお判りになったのでしょうか、オレイアス殿下はランスロット先輩を追い払い、わたくしに謝罪してくださいました。
「すまないね。奴は、きみが反応してくれるのが嬉しくてしょうがないんだよ。なにしろ、きみは……」
言いかけて、殿下はその秀麗な眉を顰めました。
「……殿下?」
途切れた言葉を追うように振り向いたわたくしは、思わず目を瞠りました。
何故なら殿下の視線の先、書架に隠れるようにして巫女様が佇んでおられたのですから!
しかも、巫女様はおひとりではありませんでした。
その後ろに仁王立ちになった、面識のない女生徒が物凄い目でわたくしを睨んでいます。
「……巫女様?」
明らかに敵意の籠った視線に躊躇いつつも声をかけると、泣きそうな顔をしていた巫女様は、はっと息を飲み、身を翻して駆け去りました。仁王立ちの女生徒も、憎しげな一瞥をくれた後すぐにその後を追います。
残されたわたくしは、途方に暮れるしかありませんでした。
「今のは……噂の巫女殿か?それに……」
「ええ、巫女姫様と……おそらく、巫女様の従者ということで入学された方だと思いますわ。お名前はたしか……ドロレス・アルジャンテ様」
こめかみに手を当て、わたくしは記憶を辿りました。
自慢ではありませんが、生徒会の端くれとして、わたくしは全校生徒の顔と名前、そして守護精を暗記しております。そのわたくしが面識のない生徒……それは、巫女様側のたっての希望で入学を許されたドロレス様に違いありません。
「アルジャンテ……聞かぬ名だな」
「ドロレス様は貴族ではありませんわ。巫女様を支えるお力があるとの神託が下ったとかで、特例措置が取られたそうですの」
「ふぅん……」
殿下は顎に手を当て、何事か考えるような表情を見せました。
そうしていらっしゃると、やはりご兄弟、オレイアス殿下とデミトリオ殿下は似たところがございます。同じ金色の髪、同じ青い目……いえ、オレイアス殿下の方が少し青が深いかしら?
「それはそうと……最近デミトリオの様子はどうだい?何かいいことがあったのかな?」
「いいこと……でございますか?」
ややあって、少し遠慮がちにかけられた問いに、わたくしは首を傾げました。殿下になにかあったのでしょうか?
「いや……ちょっと前までなにやら悩んでいる様子だったのに、一昨日見かけたときには随分機嫌がよさそうだったからね」
「一昨日……」
確か、その日は殿下が我が家にいらして、ずぅっと話し込んでおられましたわね……お兄様と二人っきりで。
「…………あのばかやろ様……」
「ん?なんだい?」
思わずぼそっと呟いてしまったわたくしは、悪くありませんわよね!!?
もう、もう、もう!デミトリオ殿下ったら!!冬祭りの企画会議とか言って、何をしていらっしゃったのかしら!
いくらわたくしにバレたからと言って、あまりにもあからさますぎません!?みなさま!!
わたくしが厳しい王妃教育に耐えているというのに、あの方ったら、お兄様とあまーいひとときを過ごしていやがりましたのよ!?
「そうですわね……巫女様の歓迎式典とか受け入れ態勢とか、いろいろ頭を悩ませていらっしゃったようですから、無事に済んでほっとなさったのではないでしょうか?」
ひとつ貸しですわよ!殿下!!と心で叫びながら、わたくしは当たり障りのない答えを返しました。
この貸しは……そうですわね、王宮のパティシエに、先日のお茶会で戴いた、栗のパイをホールでお願いしていただこうかしら。それと、かぼちゃタルトも!どちらも、それはもう、絶品でしたのよ!!……じゃなくて!!
「そうか、確かに巫女殿の受け入れは一大事だったからな」
思案気なふうを装って誤魔化すと、オレイアス殿下は納得したかのように頷きます。
この時ばかりは、わたくし、感情がいっさい顔に出なくて良かったと心から思いました。
でもごめんなさい、殿下。わたくし今、あなたが気にかけている異母弟を心の中で思いっきり罵倒していましたの。
「ところで、きみのほうも何か変わりはないかい?アリア嬢」
「わたくしですか?」
「ああ。何か……身の回りに変わったことがあったとか……妙な噂を聞いたとか……」
「噂……」
なにやら心配げな殿下に、わたくしも当惑してしまいました。
噂といっても、鋼鉄だの蛇姫だの言われるのは前からですし、それ以外に変ったことと言ったら……ついさっき、梯子を壊してしまったことと……あ。
「そういえば……マリナ様が気になることをおっしゃっていましたわ。女子寮でちょっとした諍いがあったとか……」
「諍い?」
「ええ……詳しいことはマリナ様にも判らないようでしたが……」
「そうか……いや、いきなりですまなかった。もし何かあったら、すぐにデミやジークに相談するんだよ。デミに言いにくいことなら、私に直接話してくれてもいい」
「はい、お気遣い痛み入ります。オレイアス殿下」
その後も少し言葉を交わし、優しい気遣いを見せて去っていく殿下の背中をわたくしは見送ったわけなのですが。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「………どうしてこちらの殿下はこんなにご機嫌が悪いのでしょうか?」
教授に本を届け、普段より少し遅い帰宅となったわたくしは、帰るなり待ち構えていたかのようなデミトリオ殿下にとっ捕まったのでございます。
さすがに着替えはさせていただけたものの、呼びつけられたお兄様の居間で、殿下はわたくしの正面のソファに座り、不機嫌を隠そうともなさいません。
「……まあまあ、デミ。いきなりその態度では、アリアも訳が判らないよ?」
「うるさいぞ、ジーク」
お兄様のとりなしにも、殿下は不貞腐れたような顔のまま、わたくしをじろりと睨みます。
「………今日、兄上と会ったそうだな」
しばし不機嫌を主張して満足したのでしょうか。ややあって、ぼそりと殿下が漏らしたのは、そんな言葉でございました。
「オレイアス殿下ですか?ええ、お会いしましたけれど?」
「何を話した!?」
素直に肯定したわたくしに、殿下はずずいと身を乗り出します。
「デ~ミ?」
「だって!ズルいではないか!アリア嬢ばかり!私はもう何週間も兄上に会えていないのに!」
ため息交じりのお兄様に、食ってかかる殿下。
………ああ。
思わず、わたくしは生暖かい目でこの手のかかるブラコン野郎様を見つめてしまいました。
要するに、殿下はわたくしが大好きなオレイアス殿下とお話ししたことにやきもちを妬いていらっしゃるのです。
ああ、本当に面倒くさい。
……とはいえ、殿下たちの事情を鑑みますと、それも無理からぬことかもしれません。
正妃を母に持つデミトリオ殿下と、側妃を母に持つオレイアス殿下は、もともとはとても仲の良いご兄弟でした。
お二人とも甲乙つけがたい才の持ち主だったため、順当に第一王子であるオレイアス殿下が立太子されるものと目されていたのですが、ある日突然オレイアス殿下が病気を理由にその座を辞退したのです。
その結果、デミトリオ殿下が王太子として立つことが決まりました。
とはいえ、オレイアス殿下はとてもご病気には見えず、ご本人もいたって飄々とデミトリオ殿下の支持を表明しておられます。
プライドの高い王妃様のご実家、ガレリア侯爵家からソフィア側妃様のご実家ブランデンブルグ子爵家へ相当な圧力があったとの噂もありました。
それだけに、デミトリオ殿下はオレイアス殿下への後ろめたさのようなものを抱え、昔のように屈託なく慕い寄ることができなくなってしまったようなのです。
必然的にお二人の間にはぎこちない溝のようなものが生まれ、同じ王宮内に住んでいながらろくに顔を合わせることもなくなってしまいました(王宮があまりに広いのも一因かもしれませんが)
……ああもう、しかたありませんわね。
ため息を噛み殺し、わたくしは今日のことを手短に殿下に説明しました。
……何週間も会えてないのではなくて、つい一昨日に会えていたはずですわよー、殿下がお兄様との逢引きに浮かれてさえいなければ―!……と言ってやりたいのは、心の中だけに押し留めて。
「そうか!兄上は、私のことを気にかけてくださったのだな!」
現金なもので、殿下はオレイアス殿下の話を聞いて、あっという間に復活しやが……復活なさいました。本当、なに目をキラキラさせていらっしゃるんでしょう。このかた。
「それはそうと、図書館の梯子が老朽化?怪我はなかったのだね?アリア」
「はい、お兄様。すべての梯子に関しましても、しっかり調査するようにとオレイアス殿下が」
「うん、それなら安心だ。本当に、お前に怪我がなくてよかった」
そこへいくと、お兄様はさすがです。わたくしの心配をしてくださるだけでなく、冷静に状況を見極めていらっしゃいます。
「しかし、その……アルジャンテ嬢か?その娘もずいぶんだな。巫女殿の従者とはいえ、侯爵令嬢であり、上級生でもあるアリア嬢を睨みつけるとは。兄上もきみの近況を気にかけていたというし、本当に何も変わりはないのか?」
「ええ、殿下。これっぽっちも。女子寮の諍いだって、寮生でもないわたくしに関係あるとは思えませんし」
やがて、オレイアス殿下に気にかけてもらった喜びを堪能し終わった殿下が、さも有能そうな顔をして会話に加わりました。
「それについては私の方でも調べてみよう。なにしろ、寮には今巫女殿がおられるのだ。何かあっては国の威信にかかわる」
言いながら、殿下はすっと右手を上げました。
と、どこからともなく現れた白く輝く鷹がその手に止まります。
白い鷹。それがデミトリオ殿下の守護精なのです。
殿下が何事か鷹に囁くと、鷹は小鳥くらいの大きさに姿を変え、宙に溶けるように消えました。おそらく、いずこかの部下に調査を命じたのでしょう。
「とにかく、兄上が気にかけたということは、何かしら根拠があるのかもしれん。私からも兄上に伺ってみるが……くれぐれも気を付けてくれよ、アリア嬢」
「何かあったら、すぐに言うんだよ?」
「はい、殿下、お兄様」
お二人に念を押され、わたくしは漠然とした不安のようなものを胸に抱えたまま頷くしかありませんでした。
とはいえ、わたくしはまだ、何かが起こるとは思っていなかったのです。
そう、このときは、まだ。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいのですが。
また、評価や感想などお聞かせいただけると励みになります!
1話の長さとしては、いかがでしょうか。
前作の1話あたりが少し短めだったので、ちょっと長くしてみたのですが、長すぎ!とか読みにくい!とかありますでしょうか。
そのへんのご感想もお聞かせいただけると嬉しいです!




