謝罪?それとも……
それは放課後、生徒会室へ向かう渡り廊下。3段ほどの緩やかな段差の少し手前でのことでございます。
生徒たちが時折ちらちらとこちらを見ながら通り過ぎる中、わたくしは段差の下で待ち構えていたそのかたを、まじまじと見つめてしまいました。
身長は巫女様より少し高いくらいでしょうか。
ハーフアップに纏めた、くせのあるクルミ色の髪、勝気そうな明るい茶色の瞳にキュッと結んだ薄紅色の唇。
興奮のためか、ちょっぴりそばかすのある頬を薔薇色に染め、ドロレス様は足早に駆け上がってわたくしの前に立ちます。
……まあ、こんな顔立ちをなさっていたのね。
つい、そんな感想が胸を過ぎりました。
いえ、もちろんお名前は存じ上げておりますし、何度か顔を合わせたこともございます。でも、毎回ものすごく怒っておいでだったので、ちゃんとお顔を拝見したのは、これが初めてで……睨まれるやら突き飛ばされるやらで、もっと険のあるお顔立ちと思っていましたが……存外にお可愛らしいのですね。
「ドロレス……アルジャンテ様、ですわね?」
しばらく待っても動かないドロレス様に、わたくしは声を掛けました。
「はい。わたしが星詠みの巫女姫様の従者、ドロレス・アルジャンテです!」
「2年の、アリアドネ・フィーネ・ランバウムですわ。どうぞお見知りおきください」
胸を張るドロレス様に挨拶とともに淑女の礼をとると、ドロレス様は慌てたように淑女の礼を返されます。
う~ん、残念。作法的に言えば20点というところでしょうか。
身分が上の者に対し話しかけてはならないというのは学園内のことですから不問としても、前に立ち塞がったり、呼び止めておいて先に挨拶をしないというのは減点ですわ。淑女の礼をしなかったのも。
でも、返礼はきちんとできていましたし……これからに期待ですわね。わたくしが口を出すことではありませんけど。
「それで……本日はどのようなご用件でしょうか?」
「も……申し訳ありません!アリアドネ様!!」
挨拶の後、またしても黙り込むドロレス様に声をかけると、彼女はいきなりがばりと頭を下げたのです。
「ド……ドロレス様?」
「申し訳ありません!わたし……わたし、そんなつもりじゃなかったんです!アリアドネ様に逆らうような……そんなつもりは!!」
ぎょっとするわたくしに、ドロレス様はなおも言い募ります。
「殿下にいろいろお願いしたのだって、シャルの……巫女様の後ろ盾になってもらいたかっただけで……それが、あんな……わたしを庇ってアリアドネ様をぶつような……そんなことになるなんて思わなかったんです!」
「あ……あの……ドロレス様?」
「ごめんなさい!アリアドネ様の勢いにわたしが怯えたばっかりに……殿下がわたしを護ろうとして……でも、あのお優しい殿下があんなに怒るなんて!わたし、わたし、そんなの、夢にも思わなかったんです!」
「………」
「だけど、殿下だって、悪気があったわけじゃないと思うんです!ただ、公平な方だから弱い者いじめを見過ごせなかっただけで……そんな、アリアドネ様が邪推なさっているようなことは……ええ、決して!殿下がわたしを気にかけてくれるのは、ただ、お役目のことがあるからだけで……」
……ええっと………。
わたくし、今何を聞かされているのでしょう?謝罪?それとも挑発?
頭を下げたまま、ドロレス様はくどくどと謝罪(?)を繰り広げます。
でもその言葉の端々にはこちらを貶めるような、そんな毒があって。これがうわさに聞く、『ケンカを売られた』状態なのかしら。
「あの……ドロレス様?」
とにかく顔を上げていただこうと声をかけた、そのときです。
―――悪役令嬢のくせに……
ふいに、しわがれた低い声が耳を打ちました。
「!?」
驚いてあたりを見渡しても、声の主と思しき方は見当たりません。
いつもの、午後の陽射し、行きかう生徒たち。渡り廊下の真ん中で頭を下げ続けるドロレス様とわたくしを怪訝そうに見ていく方はいらっしゃいますが、足を止めた方はいらっしゃいません。
―――あれは全部 ドロレスのものだったのに……
―――図書館でオレイアスに助けられるのは 巫女姫のはずで
―――そこで出会うはずだった……そのはずだった!!
その間にも、しゅうしゅうというかすれたような音を立てながら、声はどこからともなく聞こえてきます。
―――あの子たちだって……ドロレスの味方のはずだった……物慣れない二人の友達になって……兄や…その友達に紹介して……
―――馬術部にだって……一緒に行くはずだった……誘われる はずだった……一緒の絵を……描いてくれるはずだった……
―――全部、全部ドロレスのためのものだったのに!
―――なのに、おまえが
―――お前が全部、台無しにした!横取りした!
―――あの夜も!
―――彼は、ドロレスのために忍んで来るはずだった!
―――邪悪な蛇に一人で立ち向かうドロレスを案じて……ドロレスを救うために!
―――それなのに、なんで!なんでおまえが!
―――この、呪われた悪役令嬢が!
「こ……これは……いったい……」
声はだんだん大きくなり、いっそうの憎悪を滲ませて怨嗟の言葉を吐き続けます。そう、もはや呪いと言ったほうがいいくらい。
わたくしは思わず一歩、二歩後ずさりました。ドロレス様がちょっと顔を上げて訝しそうな顔をなさいますが、構ってはいられません。
―――悪役令嬢のくせに!邪悪な悪役令嬢のくせに!
―――なんで邪魔をするの!なんで全部ぶち壊すの!
―――呪われた、悪役令嬢のくせに!!
今や、その声は耳を聾するほどになっていました。それなのに、目の前のドロレス様には、行きすぎる生徒にはその声が聞こえていないようなのです!ああ、この声はなに?!いったいどこから聞こえてくるの!?
「わたくし…が……あく……やく………?」
―――そうよ!おまえは悪役令嬢なの!
―――彼に愛されようだなんて、とんでもない!
―――母を殺して生き残ったような女は悪役令嬢がお似合いなのよ!
「お……かあ……さ……」
謎の声のそのひとことは、深々とわたくしの胸を抉りました。
お母様。わたくしを護って亡くなった、お母様。
あれは事故だったと、わたくしのせいではないとみなさまは言ってくださいます。
ああ……でも、わたくしさえいなかったら、お母様は助かったのではないかしら。やはりわたくしは……わたくし……は……
―――わかったでしょう?おまえは悪役令嬢なの
―――わかったのなら、悪役令嬢らしくなさい!
「……悪役……令嬢……らし……く………?」
―――そうよ!さあ!その手を伸ばして!!
わたくしは、自分の手がゆっくりと上がり、ドロレス様の肩へ伸ばされるのを、ぼんやりと見ていました。
頭の中では、謎の声ががんがんと渦巻いています。まるで、わたくしの中から聞こえてくるかのように。
………そう、罪深いわたくしは……お母様を死なせたわたくしは、悪役令嬢なのだもの。だったら……悪役令嬢なら、悪役らしく……
―――そうよ!それでいいわ!ドロレスを突き落としなさい!その段差から!今すぐ!!
伸ばした手が、ドロレス様の肩に触れ―――驚いたように目を見開いたドロレス様の口許に謎めいた笑みのようなものが浮かんだ……ように見えた、その瞬間。
「!!」
ずきりと鋭い痛みが手首に走り、同時にさっと視界が晴れました
レガリア!!
その痛みは、まさしくわたくしの守護精、レガリアが具現化してわたくしの手首を噛んだ痛みでした。
「ドロレス様!!」
咄嗟にわたくしはドロレス様の肩にかけた手で彼女の肩を掴み、思いきり引き寄せました。
押されるまでもなく上体を反らせかけていたドロレス様はバランスを崩し、そのままわたくしの方へ倒れ込んできます。それをなんとか抱き留めて、わたくしはほっと息をつきました。
良かった!!でも……今、わたくしは……何をしようとしていたのでしょう……?まさか……レガリアが噛んでくれなかったら、わたくし、この方を段差から突き落としていた………?
「急に引っ張ってごめんなさいね。お怪我はございません?」
「……っ……なに…を!」
ゾッとしつつも、呆然としたままのドロレス様を覗き込んでそう言うと、彼女はかっと頬に朱を上らせます。
「何言ってんのよ!いま、あたしを突き落とそうとしたくせに!!」
「ドロレス様!?」
「あたしの肩、押そうとしたじゃない!!ここから突き落とすつもりだったんでしょ!怪我させて、あわよくば学園から追い出そうとしたのね!酷いわ!いくらあたしが平民で、守護精の具現化もできなくて気に入らないからって!」
「そんな、ドロレス様!」
わたくしを押しのけ、ドロレス様は声を荒げます。
「あんまりだわ!酷い!アリアドネ様!わたしはただ、誠心誠意謝ろうと思っただけなのに!!」
そう叫び、ドロレス様は人目も憚らず泣き出してしまわれました。当然、下校中だった生徒たちが足を止め、こちらを遠巻きに眺めます。中には、わざわざ寄ってくる物見高い方々までも。
「ドロレス様!?」
「ドリー様!どうなさったの!?」
作法も何もすっ飛ばしたその振る舞いに、オロオロと手を拱いていたところに、野次馬の中から女生徒が2、3人飛び出していらっしゃいました。
「ジャンヌ様……エレナ様……パトリシア様ぁ……アリアドネ様、が……アリアドネ様が…………ううう~」
「まあ!」
「アリアドネ様が!?」
座り込んでしまっていたドロレス様は駆け寄ってきた方々にそう泣きつき、お三方はギッとわたくしを睨みます。
「アリアドネ様に何をされたんですの!?ドリー様!」
「わたし……ただ謝っただけなのに……なのに、ひっく、アリアドネ様、が……わたしを…階段から……突き落とそうと……」
「んまあ!!」
「だから、わたくしたちがご一緒するって申し上げましたのに!!」
「あんまりですわ!アリアドネ様!!」
目を怒らせ、パトリシア様……1年の、パトリシア・カイゼル伯爵令嬢がわたくしに食ってかかります。
「いくら殿下の御寵愛がドロレス様に移りそうだからって!!」
「ドリー様は、アリアドネ様に謝らなきゃって、ずっと心を痛めていたんですよ!?」
「ようやっと勇気を振り絞って、たった一人で謝りに来たのに!」
ドロレス様の背中をさすりながらジャンヌ・ベリエール子爵令嬢が、ハンカチを差し出すエレナ・ミンハム様がわたくしを責めます。
「あ……」
わたくしは困り果ててしまいました。
ドロレス様を害する気などありませんでしたし、謝罪……?もおとなしく伺っておりました。
でも、あの一瞬……何かに操られるようにドロレス様の肩に触れたのも事実ですし……ああ、なんと弁明したらよろしいのか……。
それでも何か申し上げなくては、と口を開きかけた、そのとき。
「……猿芝居はそこまでになさい」
救いの声は、わたくしの後ろからかけられました。
「……ハンナ様……」
振り向くと、そこに立っていたのは3年のハンナ・ビベカ伯爵令嬢。普段から物静かで口数の少ないその方が、厳しい表情で立っておられたのです。
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「な……なによ!あんた!」
突然の最上級生の出現に、さっきまで泣いていたはずのドロレス様が噛みつきます。
「すっこんでてよ!部外者のくせに!」
「まあ……なんて口の利き方……」
はあ、とため息をつき、ハンナ様は首を振り、眼鏡を押さえました。
「わたくし、3年ですのよ?目上に対しての礼儀がまるでなっていませんのね。作法の特別授業とはなんだったのかしら。さきほどのアリアドネ様に対しての謝罪とやらも、とても謝っているようには聞こえない代物でしたけど」
「なっ……」
歩み寄ってきたハンナ様はわたくしの隣で立ち止まると、絶句する1年生を見渡しました。
「3年、ハンナ・ビベカですわ。わたくし、アリアドネ様に御用があって話しかけようとしたところ、そこの従者殿とやらがアリアドネ様の前に立ち塞がったので、お話が済むのを待っていましたの」
「ハンナ様……では……」
「ええ。わたくし、全部見ていましたのよ?」
そう言って、ハンナ様は怯むドロレス様をじっと見据えました。
「アリアドネ様が突き落とそうとした?わたくしには、むしろ落ちそうになったあなたをアリアドネ様が引き戻してくださったように見えましたけど?その証拠に、お二人とも段差の上に立っているではありませんの」
「あ……」
「そ……そういえば……」
静かな、よく通る声での指摘に、エレナ様とジャンヌ様が初めて気が付いたかのように自分たちが立っている位置を確かめます。
「だいたい、良く御覧なさいな。どこに階段があって?それとも、あなたが階段とおっしゃるのは、そこの3段ぽっちの段差のことかしら?」
「う……うるさいわね!だって、実際アリアドネ様はあたしを押そうとしたのよ!?だからあたしはびっくりして…」
「押そうと?アリアドネ様が触れる前から落ちそうなくらい端に寄っていたでしょう?あなたの無礼な謝罪を聞いて、困り果てたアリアドネ様が後ろに下がったのも、わたくしは見ていましてよ?」
苦し紛れのように喚くドロレス様を、ハンナ様はびしりと撥ね退け、それからパトリシア様に向き直りました。
「それから、あなた。殿下の御寵愛が……なんですって?聞き違いでなければ、殿下のお心がそこの無作法な娘に移るとかおっしゃったようですけれど。……あなた、カイゼル伯爵家のご令嬢でしたわね。それが、殿下に対してもアリアドネ様……いいえ、ランバウム侯爵家に対しても侮辱になると理解しての発言かしら?」
「っ!!」
パトリシア様はみるみる真っ青になりました。
無理もありません。
わたくしたち貴族は、その発言ひとつひとつが重要視されます。軽はずみな発言をして、それが虚偽だった場合……あの家は虚言を広める―――もしくは、虚言に惑わされ他家を侮辱する浅薄な家であると判断されかねないのです。しかも、それが王家に関することであれば、なおのこと。………まあ、いちいち目くじら立てるつもりもございませんけど。
「も……申し訳ございません!!わ…わたくし……殿下を貶めるつもりは……っ」
がたがたと震え、パトリシア様は平伏しそうな勢いで頭を下げました。ジャンヌ様とエレナ様も気まずそうに頭を下げます。
そして、ドロレス様は。
「……っひどい!ひどいわ!!わたし、一生懸命謝ろうとしただけなのにッ!!」
「あっ!ドロレス様!!」
「お待ちになって!」
形勢不利と見たのでしょうか、一声そう叫ぶと脱兎のごとく駆け去ってしまいました。つい先ほどまでわたくしを糾弾していたお三方も、慌てたようにその後を追います。取り残されたわたくしは、深いため息をつくしかありませんでした。
「災難でしたわねえ」
「ハンナ様」
そんなわたくしの肩を、そっと労わるように撫でるハンナ様。
「おかげで助かりましたわ。本当にありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、差し出がましい真似をしてすみません。お節介かとも思いましたけれど、あのかたの謝罪とやらがあまりに酷すぎたので……」
彼女、本当にあれで謝っているつもりだったのでしょうか、とハンナ様もため息をつきます。
ハンナ様は普段いたって物静かなかたで、あんなふうに厳しい声を出すところなど見たことがありません。さらさらの薄茶の髪、白い肌。背が高く、すんなりとした嫋やかなかたで楽器の名手でもあります。読書もお好きらしくよく図書館で顔を合わせますが、口数が少ない分、あまりお話しする機会もありませんでした。ぱっと人目を引くような華やかさはなく、どちらかというと平凡なお顔立ちですが、眼鏡の奥の淡い藤色の瞳はいつも穏やかに澄んでいらっしゃいます。
「それで……ハンナ様、わたくしに御用とおっしゃるのは……?」
「ああ……じつは、これですの」
微笑んで、ハンナ様は鞄から1冊の本を取り出しました。
「一度読んでみたかった作者ですの。マリナ様が、アリアドネ様からお借りしたとおっしゃるので……皆さまが読み終わった後でいいので、わたくしにも貸していただけないかしら」
それは、わたくしがリディア様→マリナ様→巫女様へと貸し出し、マリナ様へと返却された本でした。
「まあ!もちろんですわ!どうぞ、お持ちになって!」
「ありがとうございます!ではお借りしますわね」
嬉しそうに微笑むハンナ様は、さっそく本を鞄にしまい込みます。
自分が好きな作家に興味を持っていただけたのが嬉しくて、わたくしたちは本の話をしながら生徒会室へ向かい、ハンナ様とはそこで別れました。
あの謎の声のことは―――その内容のことは、半分ほど記憶が飛んでいましたが―――気にかかりましたが、ハンナ様のおかげで事なきを得たと、わたくしは暢気にそう思っていたのです。
………後日、この日のことがとんでもない噂になっていると知るまでは。
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