ちょっと、想像つきません
「まずは……お座りください。アリアドネ様」
深刻な顔でそう言って、ケイトリン様はわたくしに椅子を勧めました。
三方を植え込みで囲まれたこじんまりした四阿の中には、白いガーデンチェアのセットがあり、わたくしたちはそれぞれテーブルを囲むようにその椅子に腰を下ろします。
「……それで……その、噂とおっしゃるのは?」
話し出そうとしては言い淀むお二人を見兼ねて、わたくしは自分から水を向けました。
お二人からは以前、わたくしが巫女様に嫌がらせをしているという根も葉もない噂があると教えていただいたことがあります。もしやその噂に尾ひれがついたとか……?
「その前に……アリアドネ様は、謹慎が明けてからのドロレス様にはもうお会いになりましたか?」
「ドロレス様に?」
アンナ様の問いに、わたくしはびっくりして聞き返しました。
ドロレス様とは学年も違いますし、接点もありません。
彼女が謹慎中には我が家に来てくださったり、生徒会室に顔を出してくださった巫女様も、ドロレス様に気兼ねしてか、あのかたの謹慎が明けて以来一度もお会いしていませんし……第一、ドロレス様はわたくしを悪役令嬢として警戒しているはず。まずめったにお目にかかることはありませんわね。
「いえ、お会いしていませんが……ドロレス様がどうかなさいましたの?」
「それが、気持ち悪いんです!!」
「すっかり大人しくなっちゃって!」
「「もう、不気味としか言いようが!!」」
「………はい?」
泣きそうな顔で、お二人は声を揃えます。あまりに予想外なお答えに、わたくしはぽかんとするしかありませんでした。
べそをかくお二人を宥めて聞き出したところによると、謹慎が明けたドロレス様は、人が変わったようにしおらしくなったそうです。尊大な態度は鳴りを潜め、作法の追加授業もきちんと受けて、そのうえ。
「わたくしに、『嫌な態度をとってごめんなさい』って!!」
「『部屋を寄越せなんて無茶を言って申し訳ありません』なんて!!謝ったんですよ!?あのドロレス様が!!!」
「そりゃ、マナーを身に付けてくださる気になったのはいいのかもしれませんけど!」
「今までが今までですもの、突然そんなことを言われても!」
「「わたくしたち、もう、怖くて怖くて!!」」
うわーん、とお二人は泣き声までシンクロなさいます。
「え……えっと……それは確かに…びっくりいたしますわね…」
呆気にとられ、わたくしもそうとしか言いようがありませんでした。
謝った?あのドロレス様が?
本当に泣いてしまいそうなお二人を宥めながらも、今までのドロレス様の所業が脳裏をよぎります。
図書室で、射殺しそうな目でわたくしを睨んでいたドロレス様。
ケイトリン様のお部屋でわたくしを突き飛ばしたドロレス様。
多目的ホールで、わたくしを鼻で笑ったドロレス様。
殿下の腕に抱きつき、『アリアドネ様こわぁい』と勝ち誇ったように殿下の肩に顔を埋めたドロレス様………。
アレが改心した……ちょっと、想像つきませんわね!!
「で…でも、きちんとしたマナーを身に付けてくださるのなら、それは喜ばしいことではありません?あまりに急なことで戸惑う気持ちも判りますけれど……」
「それだけなら……確かに、いいことなんでしょうけど……」
何とか気を引き立てようとするわたくしに、ケイトリン様はくすん、と啜り上げました。
「なんだか……変なんです。みんなが……今までドロレス様に対して腹を立ててた人たちが……いやに好意的になって……」
「彼女も一生懸命なんだから、もっと暖かく見守ってあげなきゃ……って。今まで注意していたたわたくしたちの方が意地悪をしていたみたいに言われてしまったんです」
「ええっ?そんな……だって、目に余るほどのマナー違反があったから、注意なさったんでしょう?」
「はい……」
驚いて問い返せば、お二人はしょんぼりと俯いてしまいました。
「日直を人に押し付けたのも、横入りをしたのも、公務で忙しかったのだから仕方ない、ブルーノ先輩に気安く触れたのも、気の置けない特待生同士のことだから、目くじらを立てる必要はなかった、って……」
「まあ……」
あんまりなことに、わたくしは言葉を失いました。
アンナ様が注意したという振る舞いは、明らかなマナー違反です。社交的が過ぎて女たらしと言われるジュリアン様ならまだしも、真面目なブルーノ様がドロレス様に気安く触れられて平気だったとも思えませんし、第一公務なんて何もなかったではありませんの!
「それはおかしいですわ!アンナ様もケイトリン様も、なにも間違ったことはなさっていませんもの!それを意地悪だなんて……」
「それだけじゃないんです。わたくしたちのことだけならまだしも……ドロレス様が殿下に馴れ馴れしく触れたことについても、殿下に巫女様の後ろ盾になっていただきたかったからで、特に他意はなかったのに、それをアリアドネ様が衆人環視の中で糾弾したのは嫉妬からだ、って……殿下は、そんな健気なドロレス様に心打たれて……それで、アリアドネ様を成敗なさったんだ……っていう噂が……」
「!!!」
思わずわたくし、固まってしまいました。
嫉妬?わたくしが!?誰に?殿下に!?あり得ませんわ!だってわたくし、あの時はただお兄様が心配であそこへ行ったんですもの!それに……成敗!?
「ア……アリアドネ様!どうか、お気を確かに!」
「大丈夫ですわ!こんなの、根も葉もない噂ですもの!!」
あまりに素っ頓狂な話で、呆れを通り越して笑いそうになるのを堪えるわたくしを、ショックを受けているとでも思ったのでしょう、アンナ様もケイトリン様も縋りつくようにして慰めてくださいます。
「……ええ、判っていますわ。ありがとうございます。お二人とも、わたくしが何処かで聞く前に耳に入れておこうとご配慮くださったのね」
なんとか笑いの衝動を抑え込み、わたくしはお二人にお礼を言いました。
「アリアドネ様……」
「でも……」
心配そうなお二人に、そっと首を振ります。
「でも、心配には及びませんわ。殿下とわたくし、とても円満ですもの」
その言葉と同時に、鳴る予鈴。
「さ、もう教室に戻らなくては。午後の授業に遅れてしまいますわ」
そう言って、わたくしたちは四阿を後にしたのでございます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「………ということがございましたのよ?」
そして、放課後。
わたくしの書斎で、わたくしはさらりとケイトリン様たちに教えていただいた『噂』を暴露しました。
「「……………」」
本を借りに来ていたリディア様とマリナ様は、目を見開いて硬直して。
「……っなんだ!それは!!!」
ばしっ!と音を立てて、持っていた推理小説をソファの背に叩きつけたリディア様は、はっと我に返って本を労わるように撫でながら叫びました。
「成敗!?成敗だと!?何の咎もない女性を殴っておいて、それが成敗!?いったいどこのどいつだ!そんな戯言を抜かすのは!!」
「そうですよ!!第一、殿下はあのとき悍ましいものに纏いつかれたような気がしたって言ってたじゃないですか!それってドロレス様のことだったんじゃないですか!?それが……どこをどう曲解したら健気だの、心打たれただのって話になるんですか!!」
マリナ様も持っていたペンをへし折りそうな勢いで叫びます。
「確かに、謹慎室を出て以来妙におとなしくなって、不気味だとは思ってましたけど!!」
「お……落ち着いてくださいな!お二人とも!」
その怒りっぷりにこそ驚いて、わたくしは慌ててお二人を宥めました。
「肝心なのはそこではなくてですね?第一、ドロレス様が噂に関係しているかどうかも判りませんし」
「いーや!関係してるに違いない!!ヒューにまでアリア嬢の悪口吹き込んだような女だぞ!?しおらしいふりをして裏で何を言っているかわかったもんじゃない!」
「リディア様の言うとおりです!あーゆうのが一番腹黒いんですよ!だいたい、あれだけえらそうだった人が、たかが数日謹慎室に入れられたくらいで改心なんかするもんですか!謹慎室だって、別に拷問部屋ってわけじゃないんだから!!」
ですが、お二人はなおも激昂なさいます。
「絶対、何か企んでいやがりますよ!マジで!!」
マリナ様に至っては、言葉遣いが崩壊してしまうほど。ああ……困りましたわ……本題はわたくしのことではなかったのに。
「お嬢様」
わたくしそっちのけで怒り狂うお二人に、途方に暮れかけた頃。
軽いノックの音がして、ルビーが顔を出しました。
「何かございましたでしょうか。お廊下まで声が響いていらっしゃいますが」
「「あ……」」
静かなルビーの眼差しに、それまで口々にドロレス様への怒りを表明していたお二人がぴたりと黙ります。
さすがですわ、ルビー!いまのは、『お伺い』の形をとった、実質『黙れ』ですものね。
「………それで、いかがなさいました?」
「………じつは………」
丁寧な物腰にもかかわらず、盤石にも等しいルビーの圧に負けてお二人が懺悔するのに時間はかかりませんでした。
「……なるほど、そんな噂が……」
一部始終を聞き出し、ルビーはソファに座ったお二人の前に新しいお茶を置きました。
「それで……お嬢様はどうなさりたいのでしょうか」
「あら……怒らないのね、ルビー?」
「思うところは……あります。でも、その娘が関係したという証拠はありませんから」
ちょっと意外に思って訊ねれば、ルビーはわたくしの前にお茶を置きながら答えます。
「それに、お嬢様がお二人にわざわざこんな話をしたということは、何か別のお願いがあったからではありませんか?ご自分のことではなく」
「ええ、そうなの」
ルビーの慧眼にほっとしつつ、わたくしは神妙な顔でお茶を飲むお二人を見ました。
「わたくしの噂はどうでもいいんですの。問題は、ケイトリン様とアンナ様の方ですわ。お二人がおっしゃるように、何かが変です。いくら態度を改めたドロレス様がまわりに見直されたからと言って、過去の礼儀知らずな振る舞いを咎めたことまで悪しざまに言われるなんて。普通なら考えられませんわ」
「確かに……変ですね……」
マリナ様もカップを持ったまま考え込むように眉間にしわを寄せました。
「反省してからの、これからの落ち度を論ったなら言われても仕方ないかもしれませんけど……いくら取り繕っても過去の所業は消せませんし、そのときの行動が確かにマナー違反だったんだから、注意されて当然なのに……」
「確かに、謹慎前のあの子は周りに相当敬遠されていた……。それが、謹慎が明けてたった数日だぞ?その短さでそれほどの賛同者を得るなんて……」
「ですから、お二人には噂の収集をお願いしたいのです。わたくしのことだけでなく、ケイトリン様たちに対してどんな噂があるのか……誰がその首謀者なのか。もちろん、わざわざ聞いて回る必要はありませんが……お顔の広いリディア様やマリナ様の方が、わたくしよりお耳に入る噂の量も多いでしょう?特にマリナ様は寮生でいらっしゃるから、ケイトリン様たちの動向もおわかりでしょうし……」
「……なるほど。よし、判った!」
わたくしのお願いをじっくり吟味して、リディア様はお茶を一息に飲むと立ち上がりました。
「確かに、アリア嬢の噂は本人の耳には入りにくいだろう。うまくいくと約束はできないが、それとなく聞き出してみるよ。騎士候補生には1年生もいることだしな!」
「わたしも!寮内でお二人が肩身の狭い思いをしていないか、気を付けてみておきますね!」
慌てたように残りのお茶を飲み干し、マリナ様も立ち上がります。
「ええ、お手数ですが、お願いいたしますわ」
ホッとして、わたくしも立ち上がりました。お二人は口も堅く、なによりわたくしなんかよりよっぽど人望がおありですもの。きっと、ケイトリン様たちが置かれている状況を調べ上げてくださることでしょう。
すっかりやる気になったらしいお二人は、それぞれ借りる本を所定のノートに記すと帰って行かれました。
「まるで図書館のようですね」
「ええ、そうね」
ため息をつくルビーに笑って、わたくしは新しい本に桜の紋章の蔵書印を押します。
わたくしの本は、推理小説や冒険小説はリディア様、ロマンス小説はマリナ様に貸し出され、読み終えた後はリディア様からマリナ様、そしてマリナ様の手で巫女様に渡され、巫女様からまたマリナ様を経て帰ってくるのです。
「……愉しんでいただけるといいのだけれど……」
誰にともなく呟いて、わたくしは蔵書印を押した本を本棚に戻したのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「父上に進言したぞ」
その日、久しぶりにお兄様のところへ遊びにきていたデミトリオ殿下は、珍しく我が家での晩餐に参加なさいました。そして、お兄様の居間に移動し、一息ついて寛いだ途端の一言が、これでございます。
「……進言……とは?」
しばらく待ってもドヤ顔でふんぞり返ったままの殿下にそうお伺いをたてると、殿下はつまらなさそうに唇を尖らせました。
「なんだ、忘れてしまったのか?当事者のくせに」
「当事者……?」
いったい何のことをおっしゃっているのでしょう??
「婚約のことだよ、アリア。殿下はお前との婚約を解消したいと陛下に進言したらしい」
「まあ!!」
首を傾げるわたくしに、苦笑しながらお兄様が助け舟を出し、ようやく話が見えたわたくしは、思わず立ち上がってしまいました。
「凄いですわ、殿下!覚えていらっしゃったのね!」
「おいおい、どういう意味だそれは!忘れるわけないだろう?私にとっても大事なことなんだぞ!?」
「それは申し訳ありません。でも、あれから何の音沙汰もないんですもの。てっきりお兄様とのことが公認になったから現状維持のおつもりなのかと」
「ジーク!!」
むくれる殿下に遠慮なく申し上げると、殿下は憤慨したようにお兄様の名を呼びます。
でも、言いつけても無駄ですわよ。わたくしだって、なんの進展もない以上、名目上の王妃として内密に白い婚姻を結ぶ覚悟をしていたんですもの。これくらい申し上げても罰は当たらないはずです。
「まあまあ。なんの進捗も言わなかったんだ。デミも悪いよ」
ほら御覧なさい、お兄様は殿下の味方になることはなく、くすくす笑いながら不貞腐れる殿下を宥めます。
「お兄様はご存知でしたの?」
「いや、私もつい先ほど進言したと聞いただけだよ。詳しいことはお前と一緒に、って殿下は何も教えてくれなかったからね」
わたくしにも優しい笑みを向け、お兄様は改めて殿下に向き直りました。
「で……殿下。陛下はなんと?」
「ああ」
そんなお兄様に対し、殿下も甘えモードを引っ込めるとソファに座り直されたのです。
殿下によると、殿下が陛下に婚約破棄の意向を伝えたのは、謹慎中の殿下が陛下の下で執務を手伝っているさなかだったとか。
わたくしに手を上げた―――しかも、お兄様の目の前で―――こと、その前後の記憶がないことで相当に悩んでいた殿下は、陛下に気遣われ思い切ってそれを口にしたそうです。
「あの一件を利用するようで少々狡い気もしたが、ね。アリア嬢のことは妹のように……肉親のようにしか思えない、それなのに、そのきみとこのまま婚姻を結んでいいものか、ずっと以前から悩んでいたと。そのうえ、あんな仕打ちをして……私は彼女に相応しくないのではないか。一度この婚約を白紙に戻したい、そう進言した」
「それで、陛下は?お兄様のことはおっしゃらなかったのですか?」
「さすがにそこまでは」
つい身を乗り出したわたくしに、殿下は少し苦笑して。
「父上は、さすがに驚いたような顔をなさっていたよ。だが……どこか、うっすらと感付いておられたような素振りもあった。これは私の一存で決められる問題ではない、アリア嬢の気持ちも、侯爵家との兼ね合いもある、どうしても婚約解消を望むなら、一度会合の席を設けるべきだと」
そう言って、殿下はお茶を一口飲みました。
「頭ごなしに、馬鹿なことを言うなとは言われなかったよ。ただ……」
「ただ?」
小さく息をついたお兄様が殿下の言葉じりを捉えて首を傾げます。
「いや、進言のあと、執務室を出ようとした時に父上の独り言が聞こえたんだ。……イアソンとフレデリクか、って」
「イアソンと……」
「フレデリク……?」
わたくしとお兄様は顔を見合わせてしまいました。
イアソンとフレデリク……人の名前なのは間違いないでしょうが……そんな方がいらしたかしら?
「フレデリク……と言えば、最初に思い出すのはフレデリク大叔父様だが……もう、とうに亡くなった方だし……学園に今フレデリクとかイアソンという名の生徒がいたかな?アリア?」
「ええ……今考えているのですが……ベルジール伯のご子息が……いえ、あのかたはフレッドでしたわね……それ以外ですと1年にフレデリカ・オーキス様がいらっしゃいますが、あのかたは女性ですし……」
「ふぅん……」
考え込むわたくしを見て、殿下も眉を顰めたようでした。
「私も考えてみたんだが、とんと心当たりがない。イアソンという名の王族はいたが、100年近く昔の話だしな。それより、近いうち、父上から婚約解消の件で話があるかもしれない。心しておいてくれ」
「ええ、判りました」
「承知しましたわ」
念を押す殿下に頷いて、わたくしたちは婚約解消の話が出た場合についての打ち合わせに入り、それきり、陛下の独り言のことも、噂のことも棚上げになってしまったのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからの数日は何事もなく平和に過ぎていきました。
婚約解消についても特に打診はなく、殿下の進言はちゃんと取り上げられているのかしらと疑問に思い始めた頃。
不意に目の前に立ち塞がった人物によって、平穏な日常は終わりを告げました。
「アリアドネ様、ちょっとよろしいでしょうか!」
「あら……」
緊張気味に両手を握り締め。
ドロレス様がそこに立っていたのです。
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