聞きしに勝る
「それで……どこまで覚えているんだい?」
一口お茶を飲んで気を落ち着かせ、オレイアス殿下はじっとヒューバート様を見つめました。
「そうですね……あの時は確か、遠乗りから帰った後で、一緒にお茶を飲んでいたのです」
お茶を飲み干し、記憶を辿るかのようにヒューバート様はじっと膝の上で組んだ指を見下ろします。
「デミトリオ殿下の……その、騒動の件は、ルシエンにいても聞き及んでいました。それで、リディから殿下やランス殿……それに従者殿が謹慎処分になったことを聞いて……ふと、思い出したのです。あの従者殿が、ランバウム嬢とリディのことでいろいろと訴えていたな、と」
それから今気づいたというふうに顔を上げ、訝し気にランスロット様を眺めます。
「そういえば……卿は何故ここに?謹慎中のはずではないのか?」
「そーですよ!それなのに、職務は別だって呼び出されたんスよ!そこののほほん王子様に!!」
「あはははは」
腕組みをして、むすっとオレイアス殿下を顎で示すランスロット様に、オレイアス殿下は楽しそうに笑っていらっしゃいますが。
不敬と紙一重の言動に、こっちがはらはらしてしまいます。でも……言われてみれば、たしかに謹慎組でしたわね、このかた。それなのに引っ張り出されるなんて、それだけオレイアス殿下の信頼が篤いのでしょうか。
「それで……従者殿はなんと?」
脇道に逸れそうな会話を、お兄様が引き戻しました。
「はい。なんでも、ランバウム嬢が……その……巫女様と彼女に人を使って嫌がらせをしている、と言うのです。辺境の出身であることや平民であることを理由にマナーや常識がなっていないと難癖をつけ、それに迎合する同じクラスの生徒たちのせいで毎日が針の筵だと。そして……本来なら彼女の味方であるはずのリディまでがランバウム嬢に阿るように彼女につらく当たるのだと……」
「まあ!」
「なんですか!それ!!」
ある程度予想はしていたとはいえ、あまりにも曲解した内容に、わたくしは目を瞠りました。マリナ様は声を荒げ、巫女様も顔色を変えて息を飲みます。
「そんな!そんなの、大嘘です!アリアドネ様はむしろ親身になってくださいますし、ケイトリン様だって!!わたしの至らないところを教えてくださるだけで、困ったときは手を差し伸べてくださるのに!!」
「み…巫女様」
そのマリナ様が文句を言うより早く、身を乗り出すようにして訴える巫女様に、ヒューバート様も驚いたように目を丸くしました。
「そうですよ!!アリアドネ様がつらく当たるなんてとんでもない!ドロレス様の方がありえないんですよ!!いろいろと!!」
「そうだぞ!ヒュー、まさかあの女の言い分を鵜呑みにしたんじゃないだろうな!」
先程までのしおらしさもどこへやら、リディア様も掴みかからんばかりの勢いでヒューバート様に食ってかかります。
「お…落ち着いて!リディ!鵜呑みになんかするものか。彼女の言い分は、どうにも筋が通らない。だから、それを聞こうとしたんじゃないか」
どうどう、とリディア様を宥め、ヒューバート様はルビーが淹れ直したお茶を飲んで息をつきました。
「あの子の言うには、きみは巫女様とドロレス嬢の騎士となって、彼女たちを護り、妹のように慈しんでくれるはずだった、らしいんだが」
「「はあ!?」」
そうヒューバート様に言われ、マリナ様とリディア様がものすごく心外そうに声を揃えました。
「なにそれ!考えられない!あんなのを護る!?慈しむ?絶対無理!」
心底嫌そうにマリナ様が身震いすれば、
「まったくだ!巫女様ならまだしも、あんな礼儀知らずを可愛がるなんて、御免こうむる!騎士にだって、仕事を選ぶ権利はあるんだ!」
リディア様も忌々しそうに吐き捨てます。……相変わらず、ことあのかたに関することになると、いつもにもまして息ぴったりですわね、お二人とも……。
「……申し訳ありません……ドリーがとんでもないご迷惑を……」
「そんな!巫女様が気にすることじゃありませんわ!ねえ?リディア様?」
「そうだとも、巫女様には何の責任もない!私がムカつくのはあの従者だけだからな!だいたい、私があの子の騎士になるなんて、どっから出てきたんだ、そんな発想。確かに転入当初、あの娘には妙に馴れ馴れしくされたが……一度きっぱり突っぱねたら、それ以降はおとなしくなったのに!」
まあ!いったいいつ、そんなことが!?
「えっ!?そんなことされてたんですか?」
わたくしも驚きましたが、マリナ様も初耳だったらしく、目を丸くして驚いておいでです。
「巫女様たちが転入して……1週間くらい経った頃……だったか?迷子になったドロレス嬢を案内してあげたことがあったんだ。そうしたら、妙に甘えた声で『リディア様ぁ』って纏わりつかれるようになって……。時々あるんだ……その、王子様認定というのかなんと言うのか……」
そう言って、遠い目をするリディア様。
その隣でヒューバート様もなんとも複雑な顔をなさいます。大丈夫!リディア様の王子様はあなたですわよ!!
「まあ、大概の子は、しばらくつれない態度をとっていればそのうち弁えてくれるものなんだが……あの子の場合は……」
はぁぁ、とリディア様はため息をつきました。
『酷いわ!リディア様!どうして来てくれなかったんですか?』
『は?』
馴れ馴れしいドロレスに閉口しながらも、どうにかいなしていた、ある日。
出会い頭にいきなり縋りつかれて、リディアは面食らった。
『クラスの女子が、リディア様に迷惑かけるなって言うんです!それでわたし、言ってやったの!リディア様はわたしのお姉様のようなものだから、迷惑なんかじゃないし、その証拠に自主練習も見学させてくれるって!だから、それを証明しようとその子たちも連れて修練場へ行ったのに!昨日に限って来てくれないなんて!!』
『おかげで、嘘つきって言われちゃったんです。……ね、お願い!リディア様!一緒に来て、あの子たちに言ってくれませんか、わたしを虐めるなって!』
なんだそれは。
酷いも何も、昨日は施設の点検で、修練場は使用不可だった。第一、いつどこで練習をしようと私の自由だし、見に来ていいなんて言った覚えもない。そもそも、なんだそのお姉様ってのは!?
「その言い草にさすがに腹が立ったんで、言ってやったんだ。なにがお姉様だ、きみを妹分にした覚えはない、自惚れるのもいい加減にしろ、と。さすがに堪えたのか、黙り込んでそのまま駆け去ったから弁えてくれたと思ってたんだが……」
「うわぁ……」
「そ……それは……」
「す……凄いですわね……」
聞きしに勝るとはこのことですわ。
たった一度親切にしていただいただけで、お姉様と思い込むなんて……おまけに、それだけ言われてもなお、リディア様を自分の騎士になるはずだった、とか……ドロレス様、思い込みが激しいにもほどがありますわ。
「……わたしのせいだわ……」
膝の上で手を握り締め、巫女様がぽつりと呟きました。
「……巫女様?」
「わたしの星詠みは……とくに、わたし自身が覚えていないような個人的なものは、すべて当たるとは限らないんです。このあいだの、ケイトリン様のこととか……図書館のこととか。それで、ドリーはそんなはずはない、って躍起になってしまって……。ちょっとこじつけに近いような思い込みをすることがあって……」
「では、リディア嬢がきみたちの騎士になるというのも……?」
お兄様の問いに、巫女様は暗い顔で頷きます。
「寮に入った夜……近いうち、頼もしい上級生が力になってくれる、そのかたは姉のようにわたしたちを慈しみ、わたしたちの騎士となってくれるというお告げがあったそうなんです。ドリーはすごく喜んで……たぶん、リディア様がお優しくしてくださったことで、あの子、それがリディア様のことだって思い込んでしまったんだわ」
「その、図書館のことというのは?」
「それも、お告げがあったそうなんです。図書館で、とても重要な遭遇があるって……なんでも、一生に関わるような、そんな相手との出会いだって。それでドリーに引っ張って行かれたんですけど、わたし、あまりにたくさんの本に囲まれてぼうっとしてしまって……」
「それはもしや、きみたちが入学して2週間くらい経った頃のことかな?」
それまで黙って話を聞いていたオレイアス殿下が口を挟むのに、巫女様はぱっと顔を上げました。
「そ、そうです!わたしがドリーと図書館の奥に行ったら、ちょうどオレイアス殿下とアリアドネ様と、それからラ…ランスロット様が何か話していらっしゃるところで……そうしたら、何故かドリーがものすごく怒って……わたし、びっくりしてしまって、つい逃げ出してしまったんです」
「まあ!」
その時のことなら、わたくしも覚えがあります。
わたくしが老朽化した梯子を踏み折って(決してわたくしが重量級なせいではありませんわよ!?)、オレイアス殿下に助けていただいた時。
確かにあの時、ドロレス様は非常に怒っておいででした。
「では、そのお告げを確認するためにあそこへ?」
「はい。でも正直、わたしもなんであんなにドリーが怒ったのかよくわからないんです。特に何かドリーが怒るようなことがあったわけじゃないし」
「それで……その、運命的な出会いのようなものはありましたの?」
「いいえ、それも……日を改めるとかして出直した方がいいのではないかとも言ったんですが、もう無理だって……横取りされたとか、なんであいつが、とか……そんなことを言って、ものに当たり散らしてましたけど……それきり、図書館へ行こうとは言いださなくなってしまったんです」
「ふぅん………」
巫女様の答えを聞いて、オレイアス殿下は顎に指先を当てて何事か考え込んでいるようでした。そのまま考え事を続ける殿下を見て、お兄様が一口お茶を飲み、ヒューバート様に向き直ります。
「……話を戻しましょうか、ヒューバート殿。リディア嬢から謹慎の話を聞いて、従者殿の告げ口を思い出したとおっしゃいましたね。それからどうなさったのです?事の真偽をリディア嬢に訊ねたのですか?」
「いえ、それが……」
お兄様の質問に、慌てたようにヒューバート様は居住まいを正しました。それから先ほどのように歯切れよくお話になるかと思いきや、ヒューバート様は顔を曇らせ、口ごもってしまったのです。
「それからのことが……よく思い出せないのです。リディとお茶を飲んだ、彼女の話を聞いて従者殿の愚痴を思い出した……そこまでははっきり覚えているのに、そこから先がまったく……。まるで黒い靄に包まれたかのように、何度思い出そうとしても思い出せないのです」
「ええっ!?」
「なんだって!?」
思わず、わたくしたちは息を飲み、顔を見合わせました。
それって……まるで、先日のデミトリオ殿下のようではありませんの!!
「次に覚えているのは、リディがべそをかいて部屋を飛び出していくところです。何が起こったのか判らなくて、私は……私は、すぐに彼女を追いかけることすらできなかった。自分が何をしでかしたのか、一晩考えても全く判らなくて……ただ、リディを泣かせたことだけは間違いようのない事実です。だから私は、無理にでも休暇をもぎ取って、ここへ……」
苦悶の表情でそう言い、ヒューバート様は改めてリディア様に頭を下げます。
「本当に、すまない。リディ。あの時の私はどうかしていた。まさか、そんな気色の悪い物言いをしていたとは……」
「もう、いいんだ。ヒュー、あなたはわざわざ謝りに来てくれたんだから」
照れ臭そうに笑って、リディア様はヒューバート様の手を軽く叩きました。
その顔はいつもの凛としたリディア様に戻ったようで、わたくしはほっといたしました。一時はどうなるかと思いましたが、お二人はきっと大丈夫でしょう。
それから、もうしばらく歓談して。
今夜中にルシエンに帰らねばならないというヒューバート様が暇乞いをなさるのに合わせて、皆様は立ち上がりました。せめて晩餐をご一緒に、と言いたいところですがルシエンまでは馬を飛ばしても4時間ほどかかります。諦めて、次の機会を待つしかございませんわね。
学園に馬を置いてきてしまったというヒューバート様と巫女様、マリナ様を学園までお送りするよう手配をしてサロンに戻ると、ちょうどランスロット様が帰り支度をなさっていた巫女様に声をかけるところでした。
お二人は他の皆様から少し離れたところで、なにやら小声で話し合っておられます。
「………気になるかい?」
見るともなしにそれを眺めていたところ、不意に背後から囁かれて、わたくしは飛び上がりそうになりました。
慌てて振り向くと、オレイアス殿下がにっこりと微笑んでおられます。
「……なにがですの?」
驚きが顔に出ないのを感謝しつつそう伺うと、殿下は真意の見えない笑顔のまま、そっとわたくしのほうへ身を屈めました。
「あの二人。ランスと巫女殿は、幼馴染だそうだよ?ラファティ領は、ヒューレイ辺境伯領の一部と隣り合っているからね。ご令嬢の教育に金をかける余裕のないラファティ男爵を見兼ねて、辺境伯夫人が少しの間彼女を行儀見習いという形で預かっていたそうだ。……ほんの小さな頃らしいけど」
「まあ!そうですの?」
巫女様がランスロット様を兄様と呼ぶのは、そのせいでしたのね!そうですか……辺境伯夫人……ランスロット様のお母様が……
「ッ!?」
そう思った瞬間、ズキン、と激しい痛みが頭を刺し貫きました。一瞬視界が真っ暗になって目が回ります。
「アリア嬢!?」
「あ……」
ですが、それも一瞬、よろめいた肩を支えてくださったオレイアス殿下の手の感触を感じたとたん、耐え難いほどの痛みはかき消すように消え失せました。まるで、そんな痛みを感じたことすら夢だったかのように。
「そうか……やはり……」
「殿下?」
なにかを言いかけたオレイアス殿下は、ランスロット様の―――どこか咎めるような声に、小さく肩を竦めました。
「なんでもないよ。ただちょっと、きみたちが幼馴染だという話をしていただけさ」
「まあ!」
その言葉に、巫女様は目を瞠り、困ったような顔をなさいます。そして、ランスロット様は。
「……くだらない。もう、昔の話だ。……ずっと昔の」
吐き捨てるようにそう言って、くるりと背を向けてしまわれました。
でもその瞬間、巫女様が辛そうに目を伏せたのは―――ランスロット様の背中が淋しそうに見えたのは……わたくしの気のせいなのでしょうか……。
「リディア!お前もこっち乗って行け!ついでだから送ってやる!」
「そんな!ランス先輩、殿下の馬車でしょう!?乗れませんよ!畏れ多い!!」
「私は構わないよ?」
そんなふうに、わいわいと話し始めてしまったランスロット様たちにこれ以上声をかけることもできず。
わたくしはただ、皆様を見送ることしかできなかったのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから数日後。
ようやく謹慎が明け、デミトリオ殿下は学園に復帰なさいました。
「心配と迷惑をかけてすまなかった」
迎えた生徒会の面々にそう謝罪した殿下は、学園長先生と教授陣にも頭を下げ。これで無事に穏やかな日常が戻ってきた―――わたくしは、そう信じて疑わなかったのですが。
「アリアドネ様!」
お昼休みのことです。
不意に固い声で呼び止められ、学食から教室へ戻ろうとしていたわたくしは、驚いて振り返りました。
「あら、ごきげんよう、ケイトリン様、アンナ様。……どうか、なさいまして?」
廊下の片隅に佇むお二人に挨拶を返そうとして……つい声を潜めてしまったのは、お二人がひどく思い詰めたような顔をなさっていたからでした。
「……あの………アリアドネ様……」
「ちょっとお時間、よろしいでしょうか?」
言い淀むケイトリン様とは裏腹に、どこか覚悟を決めたような表情のアンナ様はそう言って、わたくしを人目につかない四阿の方へ引っ張って行こうとなさいます。首を傾げながらも、わたくしはお二人について中庭の外れにある、植え込みに囲まれた四阿へと足を向けるしかありませんでした。
「それで……どうなさいましたの?」
四阿に入ったものの、ケイトリン様もアンナ様も一向に口を開こうとなさいません。
わたくしはこみ上げる不安を抑えることができませんでした。お二人の表情からも、何か心配事があるのは明らかです。蛇騒動のあと、ケイトリン様は念のためアンナ様の傍の部屋へと移られたはず。もしかして……。
「まさか、新しいお部屋にも蛇が!?」
「えっ?あっ、いえっ!そうではないのです!」
「皆様のおかげで、わたくしはもう!無事に新しい部屋で過ごしています!」
小声でそう訊くと、お二人は驚いたように目を丸くして、慌てて手を振ります。わたくしの杞憂だったのですね、よかった!
「……あの……アリアドネ様……」
では一体何が……と、考えていたわたくしに、意を決したようにケイトリン様が顔を上げました。
「アリアドネ様は……今、1年生の間で流れている噂をご存知でしょうか」
「……うわさ?」
聞き返すわたくしに、ケイトリン様とアンナ様は酷く真剣な顔で頷いたのです。
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