そもそも
星の数ほど多々あれど、いっぺんやってみたかった、悪役令嬢もの。
ほんとにこの主人公が悪役になれるのか、だいぶ不安が残ります・・・
バサバサと音を立てて、摘んだ花が手から落ちる。
静まり返る部屋、立ち尽くすわたくし。
視線の先には、カウチに半ば乗り上げた体勢のまま、驚愕の表情を浮かべるデミトリオ・フェルゼン・カリュート王太子殿下と、可哀想なくらいに青褪めた―――わたくしと、同じ顔。わたくしの双子の兄、ジークハルト・レオン・ランバウム侯爵令息。
………ああ、みなさま。
無人だと思い込んで開けた扉の先で、婚約者と実の兄の逢引きに遭遇してしまった場合、侯爵令嬢としてどう反応するのが正しいのでしょうか。
①見なかったことにして、そっと扉を閉める。
②悲鳴を上げる。
③婚約者の不実を目の当たりにして怒り狂う。
ああ、とても選べませんわ。ということで、わたくし、4番目の選択肢を執ることにしましたの。
すなわち、淑女の必殺技―――気絶ですわね。
「アリア!?」
「アリア嬢!!」
慌てたようなお二人の声を最後に、わたくしは意識を手放しました。
ぱたり。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
では、みなさま、あらためまして。
ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくしの名は、アリアドネ・フィーネ・ランバウム。ここ、カリュートス王国でも3本の指に入る、名門ランバウム侯爵家の娘でございます。
カリュートス王国は大陸の西側に位置しまして、気候は温暖にして快適、山や海、美しい自然に囲まれた豊かな国で……って、今はそれどころではございませんわね。
ともかく、わたくしは王家に次ぐ血筋として、7歳の時にデミトリオ様の婚約者に決まりました。以来10年、兄ジークハルトとともに穏やかに、良い関係を築けていた……と思っていたのですが………。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ふっと意識が浮上して、わたくしはゆっくりと目を開けました。
瞬くと、見慣れた天蓋が目に入ります。ここはわたくしの寝室。気絶したわたくしはベッドへ運ばれたのでしょう。
「気がつかれましたか、お嬢様」
「ルビー……」
気配を察してか、侍女のルビーがわたくしを覗きこみました。
「ご気分はいかがでしょうか。お嬢様は若様の居間で気を失われたのですよ」
「ええ。大丈夫よ。……お兄様は?」
「隣の居間におられます。王太子殿下もご一緒に。お嬢様がお目覚めになったらすぐにお会いしたいとおっしゃって」
ルビーの手を借りて起き上がると、ルビーは言いながらもお茶を淹れてくれました。
「まだ顔色が悪うございます。もう少しお休みになりませんと。殿方など、待たせておけばいいのです」
「ルビーったら」
澄ましてそう言うルビーからは、わずかにお兄様たちへの苛立ちが感じられます。幼いころから仕えてくれ、わたくしの一番の味方である忠実なルビーはわたくしを気絶させたことでお二人に思うところがあるのでしょう。
わたくしはありがたくお茶をいただくことにしました。
ルビー特製ハーブティの暖かさと優しい蜂蜜の甘さが気分を和らげてくれます。そうして、わたくしはようやっと先ほどの光景を思い起こすことができました。
お兄様の居間で見た、衝撃の光景を。
わたくしの婚約者、デミトリオ王太子殿下はお優しくて人当たりも良く、少し思い込みの激しい面もありますが誠実で真面目なおかたです。兄君のオレイアス第一王子殿下ほどの剣の腕前はありませんが、それでも十分にお強く、政治にも長けていらっしゃいます。
そしてお兄様も、次期侯爵の地位に相応しく文武両道、誠実なお人柄は広く領民にも慕われております。
ただ、お兄様はほかの男女の双子がそうであるように、成長してもわたくしとの体格差が出ることがありませんでした。殿方としては小柄で華奢で……王立学園に入学したての頃は、ふざけてわたくしの制服を着ると、わたくしと見分けがつかなかったくらい。
そのせいでしょうか、お父様からは時折軟弱だと理不尽なお叱りを受けていらっしゃいます。
確かに剣技では周りに及ばずとも、お兄様には軍師としての才覚があり、魔獣討伐でもその采配で功績を上げられたのに……。それでもいつもお優しくて穏やかで、我慢強いお兄様をわたくしは尊敬しております。
その自慢のお兄様が―――。
ええ、あれは事故とか、はずみとか、そういうものではありませんでした。でも……どうして、あのお二人が?
……ああ、みなさま!わたくしはどうしたらいいのでしょう!?
気を落ち着けようとカップを口許に運び………わたくしは空振りしました。………あら?いつの間にかカップの中身を飲み干していたようです。
「お嬢様。もう一杯召し上がりますか?」
「……いえ、いいわ」
若干の気恥ずかしさとともに、ルビーの勧めを断ったわたくしは、ひとつ息をついて顔を上げました。
これからのことを考える前に、なによりも大事なことを確認しなければ。
そのためには、まずは身支度を整え、お二人に対面しなければなりません。
ああ、頑張って、わたくし!!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お待たせいたしました」
「アリア!!」
「アリア嬢!」
身支度を整え居間への扉を開けると、別々のソファに座っていたお二人が弾かれたように立ち上がりました。
殿下は顔をこわばらせ、いつも快活に輝いている瞳を曇らせています。心なしか、明るい色の金髪までくすんでいるよう。そして、お兄様は。
青褪めたお兄様の目許は真っ赤で、少し前まで泣いていたのが丸わかりでした。
ああ、お兄様。
お父様にどんなに心無い言葉をかけられても、涙ひとつ零したことのないおかたなのに。
動揺を押し隠し、わたくしはお二人の正面のソファへ腰を下ろしました。それに合わせて座り直したお二人とわたくしの前に、ルビーがお茶を給仕してくれます。
「アリア嬢……その……気分はどうだ?頭は痛くないか?吐き気は?」
「ええ。大事ありませんわ」
こほん、と咳払いをして切り出した殿下の問いかけに、ついそっけなく答えてしまいます。
冷たいとかおっしゃらないでくださいね?わたくしだって、どうしていいのか判らないのです!
「……っ……すまない!アリア!!私は……わたしは……」
なんだかお互いに出方を窺うような、そんな緊張感を破ったのは、お兄様でした。
悲痛な声で謝罪するお兄様は、テーブルに頭突きしそうな勢いで頭を下げます。
「いや、アリア嬢!ジークが悪いのではない!私が勝手に想いを寄せたのだ!悪いのは私だ!」
「ええ、それは判っております」
だって、お兄様がご自分から殿下を誘惑するはずがありませんもの。たとえ、どんなに殿下に恋い焦がれていたとしても、次期国王で、なにより妹のわたくしの婚約者である殿下に言い寄るようなおかたではないことくらい、わたくしが一番よく知っております。
「お兄様」
お兄様を庇おうとする殿下をあっさり遮って、わたくしは震えるお兄様の手を両手で包みました。
「お兄様は……お兄様も、殿下と同じお気持ちですの?」
そう、それが一番大事なこと。
お兄様も殿下を想っていらっしゃるならまだしも、万が一にも殿下の一方的な押し付けだったら。
もしそうならわたくしは………―――あら?今こそさきほどの③の使いどころではないかしら??
「アリア……」
お兄様は、ハッとしたように顔を上げました。
くしゃり、とその顔が泣きそうに歪んで。
「……ああ……アリア……ごめんよ……でも……でも僕は……僕も殿下が……」
フォレストグリーンの瞳が見る間に潤んで、清らかな涙が頬を伝い落ちます。
……ああ、お兄様!
同じ顔だというのに、氷だの鋼鉄だのと言われ、表情筋が死滅しているわたくしとはなんという違いでしょう!
「お兄様……」
「ジーク……」
お兄様の本音に、感極まったような顔をなさる殿下。ぱあっと頬を染めて、あんな殿下、わたくしは一度も拝見したことがありません。そして、その殿下に見つめられて少しはにかむお兄様も。
ああ、本当にお二人は想い合っていらっしゃるのですね。ならば、わたくしからは何も申し上げることはございません。
「……判りましたわ」
「アリア嬢!?」
ほっと息をついたわたくしに、殿下は何故かぎょっとしたような顔をなさいました。
「そ……れは……どういう……?まさか、これを公表すると言うのか?それとも私たちに別れろと……?」
「殿下?!」
まあ!ひどい!あんまりな物言いに、わたくしは思いきり殿下を睨みつけてしまいました。
「お嬢様、目つき」
「だって!ルビー!!」
こそっと忠告してくれるルビーにも反論してしまいます。だって、そうでしょう?殿下ったら、わたくしがお兄様を傷つけたりすると思っていらっしゃるのかしら!
「ルルルっ……ルビー!?」
「ご安心ください、若様。わたくしは何も見ていませんし、聞いてもおりませんから」
今さらながらにルビーの存在に気付いて慌てるお兄様に、ルビーは冷静に返します。
「それとも………お嬢様、お二人を社会的に抹殺なさるおつもりでしょうか?それでしたら、今すぐ使用人部屋でこのことを広めてまいりますが」
じろりと絶対零度の視線をお二人に投げかけて、ルビーは聞こえよがしにわたくしに尋ねました。長年の付き合いでルビーがわたくしに忠実なこと、徹底的に有言実行なことを知っている殿下もぎくりと身を強張らせます。
「いいわ、ルビー」
その顔にちょっと溜飲が下がって、わたくしはルビーを窘めました。
「このことは内密にね。けして誰にも悟られては駄目よ」
「かしこまりました。お嬢様」
「……いや、これは私が悪かった。すまない、アリア嬢」
深く一礼して引き下がるルビーに安堵したのか、殿下もそう謝罪してくださいました。
「では、きみはどうしたいのだろうか?ジークを愛したことを露ほども後悔していないが、私の行いは婚約者であるきみへの裏切り以外の何物でもない。きみには私を糾弾する権利があるのだが……」
「……どうしたいか……でございますか……」
真剣な殿下の問いかけに、わたくしは首を傾げてしまいました。
お恥ずかしながら、お兄様が無理を強いられてないかが心配で、それ以外のことは頭からすっぽぬけていたのです。
「私も同罪だ、アリア。大事な妹の婚約者を奪うなんて……最低なことをしたのは判っている。だからどうか、正直な気持ちを聞かせてくれ。どんな怒りも罵りも、すべて受け入れるつもりだ」
涙を拭ったお兄様も、わたくしの手を握り返しながら真摯にそうおっしゃいます。
「……怒り……」
お二人にじっと見つめられ、わたくしは途方に暮れてしまいました。
婚約者に裏切られたのですもの、侯爵令嬢として、なによりひとりの女性として怒り狂う権利があるのは判ります(先ほど行使しようと考えた、選択肢③ですわね)
でも、実際殿下の御心変わりに怒りを感じているかというと…………あら??あら?あらららら?
「………特に……ございませんわね……?」
「はあ!?」
困り果て、正直に申し上げたわたくしに、殿下は素っ頓狂な声を上げられました。
「特に、って……それはないだろう?アリア嬢!女性としての魅力を否定されたのも同然だぞ!?なにかこう……ムカつくとか、泣き喚きたいとか!」
「………今のおっしゃりように少しムカっとしましたわ」
「い、いや、決してアリアに魅力がないわけじゃなくてだね?」
目の座ったわたくしに慌てたように、お兄様が身を乗り出します。
「むしろ、お前は誰よりも魅力的だよ、アリア。いきなりのことで、気持ちがついて行かないのかもしれないね。落ち着いてよく考えてごらん」
優しく宥められ、わたくしはもう一度胸に手を当てて考えます。
殿下が心変わりなさったと言うことは、わたくしはもう殿下の婚約者でなくなるのですわね?
だとしたら。
・
・
(熟考)
・
・
「よく考えましたけれども……やはりそれほどの怒りは感じませんわ。だって、そもそも、わたくし、殿下を愛してはおりませんもの」
「なっ……」
なんだか面倒になってしまって、素直にそう申し上げると、今度こそ殿下は絶句なさいました。
「ア……アリア……?」
「もちろん、殿下のことは好きですわ。婚約が調って以来、お傍で親しくさせていただいて。御気性もお人柄もよく存じ上げておりますし、殿下もわたくしのことをよくご存知でしょう?でもそのせいか、あまりときめいたりとかいたしませんの。いずれ王妃としてお支えする方であるのは判っていますが……一人の殿方というより、もう一人のお兄様という感じで……」
「た……確かに。私にとっても感覚的にアリア嬢は愛する女性というよりも、妹に近い……」
言いながらも、何故か殿下はがっくりと肩を落としておられます。
お兄様を愛していると言いながら、わたくしに愛されていなかったくらいでなにを落ち込んでいらっしゃるのかしら。このひと。
「……で……では、本当にお前は傷ついていないのかい?こんなにひどい仕打ちを受けて、なお?」
「はい、お兄様」
「そう……か……」
素直に頷くと、お兄様は深い深い息をつきました。
「……よかった……僕はてっきり……お前をひどく傷つけてしまったと……」
「お兄様……」
小さく呟いて滲んだ涙を拭うお兄様を見て、わたくしは胸がいっぱいになりました。
5歳の時に母を亡くして以来、いつもお兄様はわたくしを一番に考えてくださいます。そのお兄様が、殿下と恋に落ちて苦しまなかったはずがありません。お二人の仲がいつからかは存じませんが、これまでずっとわたくしを裏切っていることに罪悪感を抱え続けていたのでしょう。
それなのに、わたくしときたら。
お二人が両想いだという確信を得て、一番先に思ったのが、
「来月の王妃様主催のお茶会は、栗尽くしのスイーツだったのに~」
……だなんて。
だってだって、本当に楽しみでしたのよ?厳しい王妃教育の息抜きのお茶会。
いえいえ、どうせならあとひと月後に発覚してほしかった、とか、そんなこと思ってませんわよ!?思っていませんとも!
「あ」
そこでわたくし、ようやく重要なことに気付きました。
「あの……この場合、婚約は破棄ですわよね?……そうしますと……次期王妃はどうなるのでしょうか」
そう、婚約破棄。
これがただの貴族同士の話なら―――数は少ないものの、同性婚の前例もあることですし、そうそう大問題にはならないでしょう。
でも、殿下は王太子。その婚約は多分に政治的な色を含みます。そして、殿下が即位なさった場合、その配偶者は必然的に王妃となるのです。
「お二人のご関係を知った以上、すぐにでも婚約を破棄してさしあげたいところですが……お兄様は王妃にはなれませんし……それとも、このまま婚約を継続し、わたくしに隠れ蓑になれと……?」
「それについては、二人で何度も話し合った」
真剣な面持ちで目を交わし合い、殿下はわたくしに向き直りました。
「確かに、対外的に考えればこのまま―――ジークとの仲を隠しつつ、きみを王妃に据えるのが一番簡単だろう。だが、愛するジークの妹であるきみに……私にとっても大事なきみにそんなことはさせられない。なんとかきみに事情を判ってもらい、父上と侯爵に婚約破棄を申し入れるつもりだった」
「こんなふうに知られることになるとは思っていなかったが、近いうちにお前には打ち明けるつもりだったんだよ。少なくとも、王立学園を卒業するまでには」
お兄様もそう言って、優しくわたくしの手を叩きます。
「たとえどれほど詰られようと憎まれようと、お前を騙し続けて犠牲にすることだけはしたくなかったから」
「私もだ。女性として愛することはできなかったが、きみが妹のように大切な存在であることに変わりはないからね」
「お兄様……殿下……」
ああ……わたくしは、幸せですわ。こんなに優しいお兄様と殿下にたいせつに思っていただけているのですから……。
「でも結局のところ、当面は現状のままわたくしは殿下の婚約者として王妃教育を続けますのね?」
「……アリア……」
「……アリア嬢~」
確認すると、お二人は何故かがっくりと肩を落とされました。なにゆえ???
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから小一時間ほど歓談され、殿下は王宮へとお帰りになりました。
いつもならもう少し長く……夕方のお茶の時間までいらっしゃるのですが、今は来週に迫った巫女様の転入の件でいろいろとご多忙のようです。本日の急な来訪も、その打ち合わせのためだったとか。
「正直、すっかり失念していましたわ。もう明後日だったのですね」
「まあ、巫女姫なんて本当に現れるとは思わなかったからね」
呟くわたくしの向かい側で、お兄様は苦笑しながらカップを傾けます。そのお顔は晴れやかで、心から寛いでいらっしゃるよう。きっと、抱えていた秘密がなくなってホッとなさっているのでしょう。そのお姿に満足しながら、わたくしもカップを取り上げました。
いま話に出た巫女様とは、正式には『星詠みの巫女姫』。
世が乱れる時に現れ、星と未来を詠み、不思議な力でこの世界を救うと言われています。また、その存在は生まれついてのものではなく、16歳から18歳までの純潔の乙女に不意に神託が降りるのだとも。ですから、この国では18歳……できれば成人となる20歳まで女性は純潔を保つのが習わしとされています……が。
「どうして今、なのでしょう。確かに北の国境の山に魔獣が棲みついたという噂はありますが、巫女様が現れるほどに世が乱れているとは思えませんわ」
「確かにね。……だが、北の隣国では魔獣の被害が著しいらしい。あまりの被害に、かの国では魔獣に花嫁を奉ったという話もあるくらいだ。もしその魔獣が国境を越え、我が国に攻め入ってくるとしたら……」
難しい顔でそう呟いて、お兄様は気を取り直したようにわたくしに微笑みかけました。
「そうなると決まったわけじゃない。万が一そうなったとしても、必ず殿下と私がお前とこの国を護ってみせるよ」
大丈夫、我が国の騎士団は最強なのだから。
誇り高くそう告げるお兄様に、わたくしもそっと微笑み返したのでございます。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいのですが。
また、評価や感想などお聞かせいただけると励みになります!
前作が鬼のように長かったので、今回はサクッと読めるよう、短くまとめる予定です。
どうか次回もお付き合いくださいませ!




