断罪イベント365 ― 第10回「しっとり逆転(涙)編」
断罪イベントで365編の短編が書けるか、実験中。
婚約破棄・ざまぁの王道テンプレから始まり、
断罪の先にどこまで広げられるか挑戦しています。
断罪の鐘が鳴り響いた。
王宮の大広間。
天蓋付きの玉座の前に設けられた特設壇上に、
ひとりの令嬢が立たされている。
名を、アリア・ローゼン。王子の婚約者であった女だ。
壇上の反対側には、裁きを下す側として王子。
そしてその隣には、彼に寄り添うように立つ別の令嬢
――カトリーナ・ヴァン=ベルグ。
鮮やかな赤いドレスに身を包み、
今にも勝利宣言を上げそうな表情で、口元に扇を当てている。
王子が一歩前へ出た。
「本日この場をもって、
我が婚約者アリア・ローゼンに、断罪を申し渡す」
ざわつく会場。
貴族、廷臣、民衆に至るまで、固唾を飲んで壇上を見守っている。
そんな中、アリアはただ静かに王子を見上げていた。
恐れも、怒りもない。
あるのは、静かな憂いと、決意の色だけだった。
王子が言う。
「アリア、お前は婚約期間中に複数の男性と私的に会っていた。
その行動は婚約者として不適切であり、
王族にふさわしくないと判断した」
カトリーナがすかさず前へ出る。
「証人もおりますのよ。
彼女が夜会で他の殿方と笑い合っていた様子は、
多くの貴族が目撃しておりますわ」
しかし、アリアは動じない。
ゆっくりと、王子に向かって一歩踏み出し、丁寧に礼をした。
「殿下」
その声は震えていたが、澄んでいた。
まるで水底から響いてくるような、やわらかな声。
「私は、殿下を疑ったことは、ただの一度もございません」
その言葉とともに、彼女の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
頬を伝ったその雫は、光を受けて、まるで真珠のように輝いた。
静寂が、会場を包んだ。
「あなたが、私のもとを去るとしても――
私が殿下をお慕いしたという事実だけは、私の中に残ります」
黒幕令嬢カトリーナが眉を吊り上げ、声を荒らげる。
「殿下! 涙に騙されてはなりませんわ!
これは演技です! 女の武器を使って逃れようと――」
だが、王子の様子が変わっていた。
先ほどまで毅然としていたその表情が、徐々に揺れていく。
何かを思い出しているかのように、
視線がアリアの涙の跡をたどっていた。
王子の中に、かつての記憶がよみがえる。
病に伏せっていたとき、
誰よりも傍にいてくれたのは彼女だった。
不安に押し潰されそうだったとき、
そっと差し出された手はあたたかくて、小さくて――
「……アリア」
その名を、思わず呼んでいた。
「私は……あなたが、他の誰かと笑っていたことに、嫉妬したのだ。
だが、信じることができなかったのは、私の弱さだ」
会場から、感嘆の声が漏れる。
「殿下、それでは断罪は……?」
廷臣の一人が恐る恐る尋ねた。
王子はゆっくりと首を振る。
「断罪は――とりやめとする」
「な、なにをおっしゃって……っ!」
カトリーナの声が、怒りに震える。
「殿下! お忘れですか!?
私はあなたを、ずっと支えてまいりましたのよ!?
それを今さら、こんな涙ひとつで……!」
王子は彼女に視線を向けた。
「その涙ひとつに、私は救われてきたのだ」
その言葉に、カトリーナは顔を引きつらせた。
「……っ、そんな……」
すでに観衆は、アリアの方に心を傾けていた。
誰も、責めようとはしなかった。
やがて、令嬢アリアが静かに深く頭を下げる。
「私は、もう十分です。
殿下がこの先どのような道を歩まれても、
私は――幸せを願っております」
その姿に、場内から静かな拍手が湧き上がった。
まるで真珠をそっと包み込むような、温かな音だった。
王子は立ち尽くし、ただ彼女の後ろ姿を見送るしかなかった。
彼女は断罪されなかった。
されるはずがなかった。
あの涙が、真実だったから。
涙ひと粒で逆転するのは、ヒロインの特権
涙一粒、真珠の価値。