【第3話】テンアゲ精霊ふたたび
朝。
私は、空気に“異変”を感じた。
いや、気温でも風でもない。
数字で言えば“定常値+8%程度”の──妙に浮ついたテンションの気配。
窓を開けると、整った町並みのはずの広場に、
なぜかラメの風船と即席の屋台と**「陽キャ寄進箱」**なる木箱が設置されていた。
「……また、何か始まってる……?」
私は顔をしかめながら、帳簿を片手に現場へ向かった。
***
「──帳簿巫女様!」「今日も整ってます!」
私が現れると、町民たちが次々と道を開け、花びら(どこから持ってきた)を撒き、拍手を送ってきた。
いや、そこまでしなくていい。
「ええと、これは……何のイベントですか?」
「“神格整備完了”のお祝いです!」
「なにそれ初耳!」
ざっと広場を見回すと、特設ステージ・自作ポスター・整え模擬体験コーナーまである。
中には“帳簿マルチ整え対戦ゲーム”なるボードゲームまで展開されていた。
どこからそんな企画が?
──私は思い出した。昨日、町民向けに“整え体験帳簿”を配布していたのだ。
整った数字を視覚化できる簡易ツールを、“透明化教育”として提供していた。
それを勝手に祭りにしたらしい。
【副効果:整いスキルの伝播→整った者同士の“バイブス共鳴”発生中】
「……これは……流れが来ている……」
いやいやいやいや。落ち着け自分。
整ってるのは帳簿であって、バイブスではない。祭りではない。これは仕事だ。
──だが、そのとき。
「うぃ~~っす☆ 久々に空気、ブチ上がってんねぇ~~!」
聞き覚えのある、パリピな声が空から響いた。
見上げると、光の粒が舞い、旋回する虹色のマラカス。
そこにいたのは──
【スキル召喚:テンアゲ精霊“ミカン・ザ・テンアゲ”】
【状態:完全顕現モード】
【属性:陽/バイブス/現場主義】
【スキル:士気上昇+状態異常回復+テンション同期】
【副効果:整った空間に“多幸感”を付与】
──出た。祭りが起きると出てくる精霊だ。
「どもどもーッ! きょうは“整えの帳簿祭”ってことで!
あたいも整いまくるぜッ☆」
その一言で、広場の空気が決定的に変わった。
人々の頬が紅潮し、足取りが軽くなり、会話量が2.4倍に増加。
音楽隊がどこからともなく出現し、ラメの太鼓を叩き始めた。
「白河様! 踊ってください!」
「整った動き……ぜひご降臨を!」
「帳簿ステップの神事を……!」
「いや、わたし経理なんで……」
【スキル:《否定は逆バフ》発動】
【周囲の“謙虚認知”が増幅され、さらに神格化が加速します】
──やめて。
私はただ整えてるだけなのに。
空気とバイブスとスキルが、“勝手に祭りを始める”。
この町はもう、整ってしまった。
そしてその整いは、“祝祭”という名のバグに変わっていた。
***
整いすぎた町が、勝手に祭りを始めた。
テンアゲ精霊“ミカン・ザ・テンアゲ”は、噴水の上にふわりと浮かび、ラメのマラカスをシャカシャカ振っている。
「物流整ってるー? 供給追いついてるー? バイブス配ってるー?」
その問いかけに、誰もが笑顔でうなずく。
広場はすでに“帳簿由来の整い”を中心に、物流と人の流れが完全に最適化されていた。
なぜかというと──昨日、私は物流再整備案を通していたのだ。
市場の搬入時間を2時間ずらし、商人同士の交差ルートを分割、倉庫内の動線を最適化。
そしてテンアゲ精霊によって“作業中のテンション”そのものが可視化された。
【スキル:テンション物流システム(T.D.S.)起動】
【運搬員の気分が良ければ、補給速度+15%】
【マラカスの振動数により、倉庫棚が“自動で盛れる”】
「うぃーッス☆ おっちゃんその荷物、こっちのフロートバイブ台車使って!」
「ありがてぇ……なぜか腰の痛みも引いてきたぞ……」
「テンションが整えば、世界も整うって話な!」
──物流が、テンションで回っていた。
理不尽? いいえ、整っているのです。
***
一方、議会庁舎の上階では──
「……これは、“神託”では?」
とある高位神官が、額に汗を浮かべていた。
今朝方から“神域に近いテンション波”が観測され、急遽アルメスへ派遣されたのだ。
そこで見たのは、バイブスで躍動する帳簿精霊と、
広場の中心に立つ“沈黙する神官のような経理女”。
「彼女、名をなんと?」
「白河静。前王都経理参与。ギャル系経理スキルの保持者です」
「ギャ……ル……?」
神官の口から崩れ落ちた音節に、何人かが眉をひそめた。
「しかしこの整い方……あまりにも美しい。
物流も、人の流れも、祈りさえも、帳簿のように整列している……」
「我ら神殿では“整いは光”と呼びます。
ならば、彼女の“沈黙”もまた──祈りに等しいのでは?」
誤解が、ひとつの“神学”になりつつあった。
***
私はというと、広場の仮設テーブルで、ただ帳簿を書いていた。
それだけなのに──テンションが町の外まで漏れ出していた。
スキルの影響範囲が、町の境界線を越えて拡大している。
隣村の商人が“流通整備の相談に来た”と思えば、
東の農村が“帳簿巫女に穀物分配の祝詞を”と便箋を送ってきた。
「……わたし、ただ帳簿を書いてるだけなんだけどな」
私はため息を吐いた。
でも、止まらない。
整った空間は、整った事象を呼ぶ。
最初は物流。次は人的配置。
そして、祭礼計画すら、“帳簿から”自動で立ち上がり始めた。
【スキル:《帳簿の魔眼》連動】
【都市全体の整備進行度:92%】
【副効果:自発的奉納・寄進・祭事提案が増加中】
「帳簿の人って、黙ってるのに、全部伝わってくるよね」
「わかる。“整ってる”ってだけで、信用できるんだよ……」
「沈黙で人を動かす……これが、神……?」
いや、違います。
私は神ではなく──ただの、地味な経理OLです。
***
夕刻。
整った物流の成果で、食材と物資が潤沢に集まり、
広場では“自発的祭典”が始まっていた。
テンアゲ精霊ミカンが、ラメの照明球を吊るし、
マラカスビームで“祭壇の整列”を自動化。
「整え完了☆ テンションMAXッ!」
その中央、静かに座る私に、町の子供が小さな花飾りを差し出した。
「帳簿のおねえさん、ありがとう」
その一言に、私は何も言えなかった。
言葉を返すより先に、広場全体が拍手に包まれた。
スキルログが静かに更新される。
【民衆信仰タグ:整えの巫女 → 帳簿の神官 → 沈黙の女神(仮称)】
……これ、最終的にどうなるんだろう。
私は、静かに、少しだけ不安になった。
***
夜になった。
整いきった町の中央、私は庁舎の屋上に立っていた。
下では、広場を中心にした“整いの祭典”が続いている。
屋台は帳簿的配置。動線は計算済。音楽はループせず、間合いも完璧。
整いすぎて、逆に怖いレベルだ。
──でも、それが美しいとも、思ってしまう。
テンアゲ精霊ミカンが、最後のラメ光弾を放ったあと、
空中で一礼して、静かにログアウトした。
「じゃ、あたいは一足お先に退散~☆ 整った町、大好き~!」
バイブスで動くラメ精霊が、神格っぽい何かを残して去っていった。
残された私は──また一人、帳簿を閉じる。
「……これで、物流と人的配置、完了。次は……」
そこまで考えたとき、ふいに背後から声がした。
「──失礼。お時間、いただけますか」
振り返ると、黒い法衣を纏った神官が立っていた。
白い髪。銀の徽章。聖教会の“査問使”と呼ばれる階級だ。
「アルメスにて急速に拡大した“神格認識”。
これが自然発生的か、あるいは“意図的な信仰誘導”か──調査のため、派遣されました」
「……どうぞ。資料はすべて整っています」
私は、用意していた“経理視点の祭典レポート”を差し出した。
民衆動線・支出内訳・供給推移・騒動回避率など、
あくまで“整えたことによる結果”としてまとめた報告書だ。
神官は、それを黙って読み──しばらくして、ぽつりと漏らした。
「……これは、祈りではない。だが、“信仰される構造”だ」
「私としては、“整った結果、勘違いされただけ”です」
「それが、一番恐ろしいのです。
言葉なく、人の心を掴む構造こそ、“偶像の原型”です」
神官は、しばし沈黙し──深く頭を垂れた。
「白河静殿。“聖なる危機”とは、まさにこのような存在かもしれません」
「誉め言葉ではないのですね」
「残念ながら」
──査問使はそのまま、そっと退いた。
私は屋上で、一人ペンを走らせた。
整えるたびに、町が、世界が、誤解していく。
でも私は、ただ帳簿を書いていただけだ。
【都市整備完了率:98%】
【祭典終了後、翌朝の清掃と物資再配分まで自発的に整備中】
【帳簿から始まった“信仰未満の共鳴”が、次なる波及先を探しています】
私はため息をつき、最後の一行を記録する。
「テンションは、整備対象になり得る」
──整った世界は、まだまだ整え続ける余地があるのだ。