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第三話 男

青い目玉の『八方睨み』が電飾のように煌めく喫茶店の中、不気味な怨霊と右手をその怨霊に取り込まれかけ、さらには両目を妖の目玉に喰われつつある少女が、横たわっている。

そしてその隣には、狩衣姿に立烏帽子をかぶった容姿端麗な男が、優雅にお抹茶を楽しんでいた。

そう、どんな不条理も受け入れるのが喫茶店という場所なのだ。

「ほう。これは美味じゃのう」

「ありがとうございます」

狩衣の男は、抹茶という飲み物が大変に物珍しかったようで、店主が抹茶をたてる様を、「は~」だの「ほ~」だのと扇越しにいちいち歓声をあげて見物していた。さらには、抹茶とともに供された干菓子を、不思議そうに眺めてからぽいと口に入れ、その触感が面白かったのか「ほほほほほ」と愉快そうに笑っていた。

くどいようだがお抹茶タイムの横では、怨霊と瀕死の少女が横たわっている。

「馳走になった」

抹茶を飲み干し、干菓子を平らげた狩衣の男はひそやかに両手を合わせた。両手の袖の露先がゆれている。

「さて、はじめるかの」

狩衣姿の男は、椅子からゆっくりと立ち上がると気絶している少女の顔を検分するようにじっとりと眺めた。

少女に喰いついた妖の目玉は、少女の脳内に深く根を伸ばし、生気を飲んでいた。

どくんどくんと目玉の筋が脈打ち、恍惚を孕んで濡れ光っている。

「ほう……。ずいぶんと喰ろうたのう……」

実験経過を観察するようにしてふふふと含み笑いをしながら、男は店主へ顔を向けた。

「すまぬが、瓶子へいしか壺はあるかの? なければ花入れでもよいが。蓋ができて口がすぼまっておるものがよい」

「はい。お待ちください」

ほどなくして、店の奥から現れた店主は透明な酒瓶を手にしていた。それは、狩衣の男の注文通り、口がすぼまった形をしており、瓶の胴はまっすぐ円筒形のものだった。

「ほう。よいよい。主は下がっておれ」

男はそれを受け取ると、店主に避難を促した後で、懐から鳥の子紙でできた財布のような形の帖紙たとうを取り出す。

その帖紙たとうの中から、さらに赤と黒で文字の書かれた和紙を一枚、するりと抜き出した。それを瓶の中に入れる。続けてそこに、碁石のような三センチほどの黒い塊を入れた。

はじめ乾いてからり、と音を立てたそれはガラス瓶の底の和紙に触れると、まるで水を得た茉莉花まつりかのようにゆっくりと開き始めた。

瓶の中は乾いていたが、和紙の上で広がる黒い塊はしっとりと水気を含んで濡れ光っている。ほんのわずかの間に黒い塊は、瓶の底にねっとりと張り付いてじわじわと広がった。

その広がり方はまるで、微生物の繁殖や生長を思わせた。

「よかろう」


男は手にした瓶の口を少女に憑いた妖の目玉に向ける。すると、うっとりと少女を喰っていた妖はぎょろりと動き、瓶の中を覗き込んできた。

妖の目から、雫がぼとり、とこぼれ出た。

それは涙ではなく涎であり、妖の目は、瓶の底の黒く粘ついたものが『とてもおいしそう』なものに見えているのであった。

確かに、妖にとってそれは「おいしいもの」であり、これだけの量を集めることも苦労するような代物だった。

白皙の麗しい男の口元が、にたりと嗤った。目元に落ちる男の長いまつげの影は、その美しさを一層引き立てている。

男は、甘くささやいた。

「さあ、おいで」

いわれた妖の目玉は、少女の脳内へ伸ばしていた根をずるずると瞬く間に縮めると、待ちきれないとばかりに自ら瓶の中へ飛び込んでいく。目玉が口のすぼまった瓶に収まる瞬間、ぽん、と短く高い音が鳴った。

少女の左眼は、跡形もなくもとの姿に戻っていた。男は右目も同じようにして妖の目玉を収めると、瓶の口に手早く栓をし、墨文字の書かれた和紙を幾重にも貼り付けて、封印を施す。

「まずはひとつめ」

回収された妖の目玉は、透明な瓶の中でぎょろぎょろと動き、湿った黒い粘着質の海苔のようなものに夢中になって根を伸ばしていた。

男は、その顔に似合いの麗しい笑みでふうと息をついた。

面持ちはいかにも好いた相手への文を書き終えた後かのような清々しさをまとっているが、その実は、ぎょろつく禍々しい邪物を懐にいれたところである。


「さてお次は」

狩衣の男は、怨霊に取り憑かれ、禍々しい姿と成り果てた少年と、少年に触れたことで、その呪いを受けた少女の右腕を、つらつらと眺め、ふむ、いや、うーんなどといいながら蝙蝠扇を顔に寄せてしばしの間、黙りこんだ。

「うん、あれを試そう」

ぱちんと小気味よい音を立てて蝙蝠扇を閉じると、良いことを思いついたとばかりに破顔して、懐に手を入れている。

取り出したのは、一見するとなんの変哲もない包丁のようだ。

男がそれを顔の前に持ち上げると、包丁の左側のつばの下、口金の部分に小さな模様が浮き出ているのがわかる。それは、どことなく人の顔のようにも見えた。

「起きやれ」


その模様に向かって、形の良い唇を動かして男が話しかける。すると、小豆ほどの小さな模様が、片目を開いたではないか。もう片方の目は、傷跡の下で開く気配がない。

「なんじゃ、騒々しい」

妖包丁は、不機嫌そうなしわがれ声で答えた。


むかしむかし、あるところに農具を作る鍛冶屋の男がいたそうな。

妻に先立たれ、男やもめの粗末な小屋に、ある日、神に祀る刀を打ってくれないかと、年かさの男が訪ねて来ていった。鍛冶屋は、刀は息子が打っているからと丁重に断った。

男は、一旦は帰ったが、三日後にまたやって来ていった。

刀がダメなら包丁を打ってくれないか。

どうしても自分に打ってほしいと懇願され、ならば、と鍛冶屋の男は包丁を打つことにした。

打ちあがった包丁は、それは見事な出来栄えだったという。

それを見た男は、あっぱれ、というや翁の面をつけた山伏の妖怪にその姿を変えた。妖怪は、ちょうど自分の武器を失くしたばかりだった。

鍛冶屋の男は己が打った包丁の最初の獲物となった。二人目の犠牲者は、男の息子とその妻、そして三人の子供たち(鍛冶屋の男の孫)であった。

『無念、』

『なんたる無念、』

『この無念残して、いかでか死なぬ』

刀鍛冶の男は、歩み去る妖怪に虚ろなまなざしを向けながら、命が尽きるのを待つことしかできない、はずだった。

そこへたまたまちょうどうっかり都合よく通りかかった者がいた。それが狩衣姿の男であった。

「おもしろい。その無念、我が引き受けようぞ」

鍛冶屋の男は、自分自身の魂と引き換えにして、息子家族の魂を成仏させた。妖怪に喰われた物は、定めの輪から外れるのだ。そうなれば、魂はいずれ跡形もなく消えてしまう。鍛冶屋の男は、狩衣の男の知恵と術により包丁に自らを縛ることで、息子たちを輪廻の定めへと戻すことができた。

「わけのわからねえモノに使われるくらいなら、俺自身が包丁になってやらぁ」

こうして、鍛冶屋の男は妖包丁となったという。

妖包丁は、午睡を妨げられたようでのんきにあくびをしている。


「のう、お主、腹は減っておらぬか?」

男は妖包丁の不機嫌には構わずに、仔犬や仔猫にでも話しかけているかのような微笑みと、やさしい声色で続ける。

「腹? ……へへっ、飯の時間かい?」

妖包丁は、睡眠を妨げられた理由が食事の用意ができたことによるものだと知ると、急に上機嫌になって口角をあげた。

「いかにも、これなるは世にも稀なる極上の逸品であるぞ。なに、遠慮はするな、存分に喰らうがよい」

男は艶めかしい色香を纏ってそう言うと、禍々しく爛れた怨霊に向かって妖包丁を勢いよく振り下ろす。

ダン! ダン!と腹に響くような音が店に鳴り響く。

男は口元に麗しい微笑みを絶やさないが、その目は笑っていなかった。紫がかった瞳は氷のように冷淡で、闇の奥のそのまた奥まで、見透かしているかのようだった。

「へへへっ! うめぇ! うめえぜぇッ! だんなぁッ!」

男がずばんずばんと怨霊に妖包丁で切りかかるたびに、コップの底に残った液を麦稈ですするような、不気味な水音がする。それは、妖包丁が怨霊を喰らい、啜っている音であった。

怨霊を躊躇なく切り刻む男の、すこし冷めたような穏やかな表情は、顔や衣に赤黒い体液が飛び跳ねようとも、少しも乱れることがなかった。

「うむ、こんなものかの」

妖包丁を空中で一振りして、男がつぶやく。白い衣は、怨霊の体液でうす桃色に染まってしまっている。床や壁に飛び散った諸々はすべて妖包丁が吸い上げて飲み込んでしまったようだ。

後に残ったのは、右手を布で巻かれた少女と、赤子ほどの大きさの塊であった。

「はぁ、後は何であったかの」

言いながら、男は肩が痛むのかぐるりとひと回しして長椅子に腰かけた。墨文字の模様の書かれた和紙と布で、少女の腕と肉塊を覆い、八方睨みの術を解き終えたところだ。

日はすっかり沈み、路地は暗くなっていた。


「おお、そうであった!」

指をひとつ、ふたつ、みつ、と指を折って己のやるべきことが終えたかどうか思い出していた男が突然叫ぶと布に包まれた塊を高々と持ち上げて言った。

それは、もとは少年であり、一旦は怨霊となったが男の卓越した妖包丁さばきによって救い出された、少年の頭と胸の一部である。

「お主の父君と母君を忘れておったの。……うん? なんじゃ? おお、そうであったか」

少年が何か話しているようで、男はそれに耳を寄せて何度かうなずいている。それから蝶の形をした和紙をうやうやしく取り出し、ふう、と息を吹きかけて唱えた。

『彼の地へ案内せよ』

手の平にのせた和紙がはたはたと少し揺れ、おのずから蝶となってふわりと飛び立つ。そのまま男の目の前を柔くくるりと一回りした後で、喫茶店のガラス戸をすり抜けて、通りへ向かって飛んでいった。

「我は飛べぬでな。お主の屋敷へは歩いていくしかない。遅うなるが、すまぬの。さあ行こう。夜は我が庭ぞ」

美しい顔を綻ばせた男は、そう言って変わり果てた姿の少年を胸に抱いた。

路地を抜けた先、通りの端には春祭りのぼんぼりが揺れている。歩行者天国になった道の両脇には露店が立ち並び、やきそばのソース、クレープの甘い匂いなどがしている。

友人、恋人、家族連れ、学生も大人もまじり、その面相はどれも、いかにも楽しげである。ひとときのにぎやかさが、夜の街に漂っていた。

そこへ、平安時代の装束を身にまとった麗人が、白い包みを抱えて悠然と歩んでいく。

すれ違う幾人もの人々が、男の美しさに息をのみ、目を奪われる。露店でお好み焼を焼いていた年配の女性は、しばし手をとめて魅入ってしまい、あわててひっくり返したものの、それは真っ黒になってしまった。

「現世こそ夢、か」

男の砕けた口調は、祭りの喧騒にかき消された。

和紙の蝶は露店から離れた静かな住宅地を、なおもゆらりふわりと飛んでいく。

白い光の灯る電信柱が等間隔に並び、電線がかささぎの橋のごとく、夜へと続いていた。


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