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第二話 少女(2)

続きです。よろしくお願いいたします。

「……っ!」


 呼び出し音が鳴り続けるが電話は相手にはつながらず、少女の顔はみるみる焦りを帯び始める。手の中にある『封』と書かれた和紙がぐしゃりと握りしめられた。


 少年を飲み込んだ怨霊の目玉がうごめく。黒い粘液が、椅子からぼたぼたと落ち、店の中をあちこち這いずり回り始めている。


「……おちつけ……おちつけ……」


 少女は狼狽し、絞り出すように言った。


 頭の中で、高い崖のふちに立つ自分を想像した。その下は、昏く深い闇だ。


 不安な想像をかき消すように頭をふると、紙の財布から『眼』と絵の墨文字で書かれた和紙を新たに二枚ひっつかむように取り出すと、目の前のどろどろの粘液に話しかけた。少女の声は、上擦って震えている。


「ごめんね、ちょっと見せてね」


 少女は眼鏡を外すと、一枚目の和紙を自分の目に当てがい、右手で怨霊の粘液に触れる。すると、少女の目に貼った和紙に『飛目』と文字が浮かびあがり、微かに光りだした。


 膝にのせたもう一枚の和紙が、呼応するように光を放って勢いよく喫茶店から飛び去っていく。


 


 和紙が鳥のように飛んで向かった先は、三階建ての団地だった。


 地面を滑るように飛んでいくと、垂直に曲がってそのまま団地のベランダ側の壁を上っていく。少年の住む部屋の前でくるりと一回りして、ぐねっと和紙が首を傾げるかのように曲がった。確認を終えた和紙はそのままベランダからガラス窓を通り抜けて、部屋に入っていく。


 そして羽を生やした目玉、飛目へとその姿を変えた。


 喫茶店にいる少女の目の方の和紙に、室内の様子が映る。小さな羽を羽ばたかせる飛目は少女と視覚を共有し、くるくると回りながら室内を視ていく。


 ベランダ側のリビングとダイニングに、人の姿はない。今度はリビングの奥の寝室に入るが、ここにも誰もいないようだ。少年のものと思しきカバンが、片隅に置いてある。


「ここじゃない、のか……?」


 のどが張り付いてかすれた声がでた。


 少女は怨霊に呑まれた少年ではなく家か学校、または別の場所に怨霊の本体がいるのかと思い、とりあえず家から探りを入れてみたのだが、当てが外れたのかもしれないと思い始めていた。


 


『油断はするなよ』


 叔父の言葉を思い出し、少女は飛目を今度は寝室から廊下を挟んで向かいの方へ飛ばしてみることにした。その先は風呂場のようだ。


 壁をすり抜けて洗面所に入ると、飛目を介して視ているというのに、空気が変わったのがわかった。風呂場のすりガラスの奥で、何かが動いている。飛目がゆっくりとすりガラスを通り抜ける。


 その先には、人だったのだろうと思しき黒く粘ついたものが、浴槽に詰め込まれていた。


「チュウ……チュウ……オ、ぉおいちいィよぉ……」


 黒い粘液状の怨霊の本体が、浴室の天井付近まで膨れ上がっている。それは、体にそぐわぬ大きな目をにたりと細めながら、象のように長い口を筒状に伸ばして、ゆったりと『食事』をしていた。


「……っ!」


 飛目が怨霊の瘴気に当てられ、かすかに黒くなってきている。


 少女の目に張り付けている和紙も同様に色褪せ始めてきているが、少女は気がついていない。


 眼鏡が床に落ちたことにも気づかず身に沸き起こった怒りにぎりぎりと激しく歯ぎしりをして、飲み込まれそうになる。


「ふぅーっ」


『怒るなよ。怒りは相手を有利にするんだ』


 叔父の言葉を思い出し、どうにか気持ちを落ち着かせようとした。息を吐きだし、呼吸を整える。


『……わかった。呼び方は教える。だが、絶対にやるなよ。いいな?』


 少女はもう、後戻りはできないとわかっていた。自ら暗闇に向かって、落ちていくほかはないと。


 そして、ろうろうと唱えはじめる。


「よもつひらさか われこんがんしたてまつらん


 ぶれいなるははなはだしょうちとそうらえども


 ざしてここに いちがんもうしあげたてまつる


 このこえきこえたならば おすずをならしてこたえよ


 このこえきこえたならば おすずをならしてこたえよ


 このこえきこえたならば おすずをならしてこたえよ」


 そこまで一気に言った後で、少女は再び何度か深く息を吸って吐いた。


 ひと呼吸、ふた呼吸、三回目の呼吸のあと、もしや鳴らないのではないか、と少女が眉根を寄せたとき、それは鳴った。


 最初は小さく、次第に大きくなり、最後には強く激しくなった。


 しゃんしゃんしゃんしゃん……。


「よもつひらさか われこんがんしたてまつらん


 ざしてめいふよりよびたてまつらん なを」


 少女は先ほどまでの怒りや興奮をすっかり忘れたかのように落ち着いていた。一言一句を確かな意思を持って発する。


『あると信じて呼ばなければ、鈴は鳴らない』


『呼びかけにこたえるものの存在を疑ってはならない』


 少女は信じ、そして願いながら唱えた。


「なを アベノセイメイともうす」


 じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃん……。


 鈴の音が、土砂降りの雨のように激しく鳴り続ける。


「ほう、ぬし、我に何用ありて呼び立てた?」


 柔らかく、涼しげな声がした。


 耳が痛いほどに鳴っていた鈴の音がぴたりと止み、少女の前には、扇を手にした狩衣姿の男が立っていた。


 年の頃は二十代半ばだろうか。頭には立烏帽子たてえぼしをかぶり、白い衣に紫の指貫さしぬきを履いている。足元の黒い塗りの浅沓あさぐつが、店の明りの下で艶めいていた。


 少女の右手は、黒い粘液に飲み込まれ、同化し始めていた。そして、少女の目には妖と化した飛目の目玉が張り付き、今まさに侵食を始めている。


 それは、力の均衡を損なったことによる代償だった。少女は、怨霊に取り込まれつつある右手の燃えるような熱さと、妖に喰われ奪われゆく視力のなかで、声のする方に向かって願いを唱えた。


「怨霊を、祓って。この子を、救って」


 言われた狩衣の男は蝙蝠扇かわほりせんで顔を半分ほど隠しながら、戸惑うでも驚くでもなく少女をしげしげと眺めている。


 それはまさに本物だけがもつ、泰然とした姿であった。


「主、ずいぶんと無理をしておるのう」


 静かな声で、男は言った。


 少女に喰いついた妖の目玉が、男の前で禍々しい姿へと変わり始めた。


「ううっ……」


「ほう、」


 少女がうめき声をあげるのを見て、狩衣の男は妖の目玉が根をはいずり伸ばして視神経から脳へ移行していく様を、じつに面白いと言わんばかりに目を細めてじいっと観察している。


「くくく……喰ろうておる」


「うぁ……っ、ああ!」


「ふふふふふ」


「っがはッ!」


 怨霊にとりこまれ始めた右手の高熱と妖の目玉の侵食による強烈な痛みに耐えきれず、少女はついに気を失って倒れた。


「ハハッ……! おもしろいのう」


 こんなに愉快なことは幾年いくとせぶりであろうのう、と狩衣の男はその整った容姿や体裁も気にせず高らかに嗤った。




 陽の落ちた路地に、闇が訪れようとしていた。通りには、春祭りに訪れた人々が集まり始めている。




 室外機の上の烏は、とうにいなくなってしまっている。

不定期更新です。なお、リンク先の同タイトルのものから修正した箇所がございます。ご了承ください。

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