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Dual Recollection  作者: 神衣舞
3/3

3

「お嬢。

 俺はあんたの小間使いじゃないんだぜ?」

「なってみるかぇ?

 餌くらいはくれてやるぞぃ」


 黒の男は暫し時間をおき、「割が合わない」と苦笑する。


「ふむ。

 残念じゃ。

 さて、わしの聞きたい事はとうの昔に掴んでおろう」

「まぁな。

 赤からも要請が今しがた来た。まぁ、赤がどう考えているか知らないが、お嬢の予想通りだ」

「ふむ」


 ティアは目を細める。


「難儀なものじゃな」

「本当に難儀だぜ。

 あの男、暗殺者を雇いやがった」


 それは、ある意味予想通り過ぎる結果。


「案外気付いていなかったんじゃねえのか。

 最終的に後継ぎが一人しかいなかったから、仕方なく手元に置いている。

 そういうやつだからな」


 イニゴの言葉にティアは小さく苦笑。


「木蘭が聞いたら大騒ぎじゃな」

「あの人は清濁併せ呑むって言葉を知らないからなあ」


 心身ともに圧倒的な強さを持つが故に他人の弱さと導かれる悪を理解できない女帝を思い肩を竦める。


「して、道は?」

「目的がお嬢の言う通りなら脱出ルート……つまりここだろうな」

「そうかえ。

 国としては女を殺さねばなるまいな」

「ああ。

 男がただの商人なら良かったんだが、貴族位を買い取ってやがる以上、これはそう言う次元の話だ」

「わしが逃がせばどうする?」

「聞くなよ」


 げんなりと言葉を返す男に一分の隙もない。

 思えば即座に三度は殺してみせる。

 それだけの力量を持って男は続ける。


「幸せにはなれないぜ」

「じゃろうな」


 大都市アイリンはそれ故に三次産業、つまりサービス業の需要があり、女でも働き口がある。

 しかしそこから出れば女一人子一人でどこまでやっていけるか。


「穏便には済まぬか」

「その子だけの幸せを望むなら、閣下に告げ口するのが一番だろうよ。

 だが、それが一番被害がでかい」


 木蘭はそれこそ容赦なく男を断罪するだろう。

 しかし彼は貴族であると同時にやはり商人である。

 柱を失った商会は大きな痛手を負い、そこで働く多くの者の生活を圧迫する結果になるだろう。

 偶然関わったからと過度の手助けはできない。

 ティアは自分が聖人でもなんでもないことを弁えている。


「だが、どうするつもりだ?」

「そうじゃな。

 女は死に、娘は取り返される。

 これが無難じゃろう」

「無難すぎるね。

 秀才の回答だ。

 女は捕まるより死んだほうがマシだろうし、娘の過去も隠蔽されたほうが将来的には安全だ。

 だが、お嬢らしくないな」

「そうかえ?」


 事もなげに少女は返す。


「ぬしの解説通りじゃ。

 それが一番平和な結果じゃ。

 いかに母親とはいえ、暴挙に他ならぬ。

 それとも木蘭のように父親を叩き伏せて母と認めさせ、ともに暮らせと言うか?

 それとも女に爵位でも持たせて身分を等しくするか?

 どちらもやってやれぬ事はあるまい。

 だが意味がない」

「ま、ごもっともなこった」


 この事件が一件落着になった後も時間は進むのだ。

 無茶の代償は時間の重さに耐え兼ねて大災害を引き起こす。


「わしのすべき事があるとすれば、娘が誤って殺されぬように見守る事だけじゃ」

「……へいへい。

 だが、お嬢。

 もしもの話だ」

「む?」

「もし、暗殺者のターゲットが娘の方だったら、どうする?」


 ぴくり、少女の眉が動く。


「公的に娘となっている彼女は、幼い頃に負った傷が原因で頭に異常があるらしい」

 確かに見た目に反してやけに言動が幼い。

 今でこそまだ目立たないが、イニゴの話が真実であれば今後それは顕著になる。


「ついでに、だ。

 彼には再婚の話が持ち上がってるらしいぜ」

「ふむ」


 つまりこれは暴挙でも何でもなく。

 娘のために採った苦肉の策。

「そうかえ」

「ん?

 あまりおどろかねえなぁ?」


 少年のような笑いを浮かべて黒の男は壁から背を離す。


「軍としてはその男と再婚予定の女、あまりくっついてもらいたくないんだ。

 だから融通は利かせるぜ?」

「文官筋か」

「リークはここまでだ。

 じゃあな」


 暗に肯定を匂わせて彼は闇に消える。


「なんとものぅ」


 一人残った少女は、闇色のドレスを風に躍らせて掻き消えた。




 これは、少し前の話。


「では、そのように」


 老人の声は重い。

 だが、対する男は上機嫌を隠しもしない。


「いやはや、私のような若輩者が、貴方様のような高貴な家をお助けする事ができるなど、本当に光栄ですよ」


 老人は応じず、怒気を殺して無面目を保つ。

 アイリンにおいて花形の職業とは何か。

 考えるまでもない。

 騎士と魔術師である。

 すなわちこれは才能の職であり、平民が貴族になるためのルートでもある。

 聖戦を前後して大陸は激動の時代を迎えた。

 その時代を駆け抜け、生き残った者の中には目覚ましい昇進をした者が数多居る。

 最年少で少将に就いたフィランダー。

 突然の抜擢で4州を任されたミルヴィアネス。

 敵軍の将であったにも関わらず大将の任に就いているカイトス。

 大を挙げても目覚ましく、小を挙げればきりのない目まぐるしい変動は一つの歪みを抱き続けていた。

 その全ては武官筋にあるということ。

 激動の時代。

 数多戦争が起きたにも関わらず、これらの戦争には一つ重大な問題を内包している。

 それは、国境線が余り推移していない事。

 戦争とはその殆どが領地の奪い合いである。

 奪った領地は生産という行為により国益となり、それを管理するのが土地の管理を任された貴族となる。

 貴族が戦う理由は戦功を挙げることで拝領し、家を発展させることと言って過言ではない。

 だが、結果的にこの激動の時代にアイリンは『攻める』ことをしなかった。

 ともなれば『領地を与えられる』というのは『領地を没収される』と同時進行である。

 では誰から奪うか。

 単純に平和であれば立場は逆だったかもしれない。

 異世界に措ける『エドジダイ』がまさしくそれである。

 だが、確かに軍には戦功者があり、国はそれを蔑ろに出来ない以上、誰がその煽りを受けたか。


「……」


 老人は応じる言葉なく、悪臭を放つ言葉を受け流す。


「しかしお任せください。

 我々商人は末永く利益を共有してきたのです」


 商人にとって、敵は外国ではない。

 むしろ戦争は顧客である。

 では、何か。

 答えは『法』である。

 例えば課税。

 ある物一つに課税が決まればたちまちそれを扱う商人は進退窮まる事になる。

 故に商人は文官を軽視できない。

 中には彼のように自らが爵位を持ってコントロールする事を狙う。

 生き目を抜く世界で、それはどう言われようと『正道』である。

 少なくともこの男は疑わない。


「……しかし、貴君には娘が居るようだが?」


 老人が感情を殺したまま問う。


「まさかとは思うが、私の孫をぞんざいに扱う気であるまいな?」

「何を仰るかと思えば」


 返事に躊躇いは一瞬たりともない。


「私は『商人』です。

 価値を計れずにどんな商売ができましょう?」

「では、どうするつもりだ?」


 価値。

 物扱いした事に憤りを隠しきれず、僅かに声が上ずるのを男は気にしない。

 無論気付いていないわけではない。

 今の立場がどうなっているのか。

 徹底的に刻み付けているのだ。


「あの子は昔、可哀想に事故に遭いましてね。

 頭に大きな怪我をしてしまった」


 ごとりとボトルがテーブルに置かれ、続いてグラスが二つ。

 どちらも庶民の年収ほどのシロモノである。


「頭の傷は怖い。

 何事もないと思っていたら不意にころりと死んでしまう。

 本当に、怖いですねぇ」


 注がれた酒を老人は挑むように睨み、掴んだ。


「さぁ、祝杯です。

 両家に栄光の有らん事を」


 そんな話を、女は、聞いた。




 女はアイリン近郊の村で生まれ育った。

 ある日の事、村にやって来た商人に見初められ、やがて子を産んだ。

 その商人はアイリンに居を構える豪商の三男坊で、家を継ぐわけでもないから気楽だといつも笑っていた。

 だが、急に男は村に来なくなり、村人が女は騙された、捨てられたと後ろ指を差し始める頃。

 突然男の遣いが現れて、金を置いて言った。


「その娘を貰っていく」


 何の冗談かと思ったがその言葉のどこにも冗談はなかった。

 女一人が騒ぎ、しかし村の誰も助けようとしない。

 当然だった。

 村の生産物を買い取り、金を置いていくのがその商会なのだから。

 女は腫れ物のように扱われ、やがてなし崩しに村を出ていった。

 いく宛もなく、あるのは僅かな金だけ。

 ならば女が一人生きて行くにはアイリンの街が一番だった。

 最後の金を使い果たしてなんとかアイリンに入り込んだ女は幸運にも仕事を得る事になる。

 それが、あろう事かあの男の家で働く事になるとは思ってもいなかった。

 しかも、面会した男は昔の面影を残さず猛禽類の瞳で睨み、こう言った。


「見目は悪くないな。

 雇ってやる」


 自分が何者かすら悟られることがなかった。

 だが、女は深々と頭を下げるしかなかった。

 その後ろで無邪気に絵を書いて遊ぶ少女の姿に、涙が溢れ出すのを必死に堪えながら。




 薄暗い地下水路を抜けると、そこはアイリンからわずかばかり離れた河だった。

 このルートはバールの侵攻が確実になったとき、男がとある貴族から買い取った情報だった。

 その侵攻も過去の物となった今。

 打ち捨てられていたのを彼女が偶然見つけたのである。

 ようやく息苦しい暗闇から開放された安堵感が疲れを招く。

 へたり込むように座り込むと、腕の中の少女を抱きなおす。

 少女は目覚めない。

 あの誘拐事件の時に何が起こったかはわからないが、少女の頭に残る傷は現実だ。

 もしかすると本当に、今になってその傷が悪い影響を及ぼし始めたのかもしれない。

 この傷については何も知らない。

 誰も、何も語らなかった。

 無論、聞き出そうとして怒りを買ってしまえば終わりである。

 それも出来なかった。

 これからどうしよう。

 疲れは女の限界を超えていた。

 だが、少なくともこの通路から幾ばくか離れなければすぐに追っ手がやってくるだろう。

 思いに反して足も体も動いてくれない。

 弱い心が少しくらい休んでも平気だと甘く囁く。

 朦朧とし始める意識を奮い立たせようとして、女は自分の目の前に影が一つ伸びている事に気付いた。

 次の瞬間。

 目の前に達した黒塗りの刃は立った一言に食い止められる。


「戦神の鎧よ 我に加護を 防陣」


 光の膜が刃をあっさりと受け止め、それ以上の侵攻を許さない。


「……く」


 身なりは旅人。

 しかし今、彼の目に宿るのはガラス球のような無機質の光。

 個を消し、己を消してただ殺すための刃となった者の瞳。


「さて、一応聞こうかの。

 誰に頼まれた?」

「…… ガンバゼル・ヴィスル・ミドガルディン」


 女の瞳に深い悲しみと苦痛が宿るのを見て、ティアはつまらなそうに言い放つ。


「で、じゃ。

 『問いにそう答えろ』と、誰に言われたのじゃ?」

「え?」

「……」


 予想外のやりとりについていけないテーサだが、相対する二人は一分の緩みも見せずに視線を交わす。


「ふん。

 まぁ、答えは知っておるがのぅ」


 男は神速の一音をもって黒のドレスを纏う少女に肉薄する。

 対する少女は動かない。

 動けない────

 男は勝ちをただ認めた。

 この少女は魔術師。

 剣戟を易々と受け止めるだけの防御魔法を展開できる。

 それが、どうした。

 魔法のように現れたのは銃身を切り詰めた魔銃。

 装填されているのはメイジキラー、貫通弾。


「わかっておるならば」


 ポイントするは頭。

 殴りつけるかのごとき至近距離。


「こういうこともできる」


 打ち放たれた弾丸が、それ以上の圧力に押し負け銃も、そして腕も砕き削り去る。

 まるで蛇のような、縦に割れた瞳孔をぎょろりと向けて身を捩る。

 男は止まらない。

 左手で掲げるはマジカルカード。

 仕込まれた魔術は《ディスペルマジック》。

 圧倒的な対魔術師戦闘経験がこの暗殺者にはあった。

 一切の魔術加護を打ち消されるプロセスを掻い潜るように、消え去るまさにその刹那を狙い死の一撃が集約する。

 ────だが。


「全ての思いは 我が意志と共にありて狂え……」


 この場にある少女は修羅悪鬼の道をただひたすらに知略で潜り抜けた魔物。


「────応報」


 刃が少女の体を突き抜ける。

 ずぶりと肉に埋まり心臓を貫く感覚を男は確かにその手に感じ、


「ぐ」


 少女の服から突き出た己の腕を見て、崩れ落ちる。


「近頃こんなのばかりが相手じゃな」


 うんざりした感じで呟き、死神の鎌を思わせるそれで地を叩く。


「がはっ」


 死を偽装し最後のチャンスを狙っていた男が魔力の一撃に内臓を粉みじんにされ、今度こそ絶命する。

 いくら暗殺者が相手とはいえ、人を殺める事に何の躊躇を覚えた節もない美しい少女は幻想を通り越して禍々しい。


「貴女は……?」

「ふむ……そうじゃな」


 ゆらりと黒衣が揺れ、鎌が回って地を削る。


「汝が罪を裁きに来た」


 心臓が掴まれるような、薄ら寒い圧迫感。


「と、言っても、わしが口を出すのは下世話じゃろう」


 袖から何かが現れる。

 緑のそれを手に少女がゆらりと近付くのをただ見るしかない。

 恐怖に、疲れに、指一本動かすのもつらい。

 だが、娘だけはと抱き締める。


「警戒するな、とは無茶な話じゃが、そやつを起こすだけじゃ」


 ぼとりと腕に落ちたそれは腕の間を掻い潜って娘の頭にまとわりつく。


「ひっ!」


 思わず剥ぎ取ろうとした手を少女の手が遮る。


「導かれ 回帰する生命よ 癒せ 天生」


 目を見開いて驚く。

 つらさが、痛みが幻のように消えていく。


「あ……」

「こちらも終わったようじゃ」

 緑のそれが器用に少女の袖の中に戻っていくのを呆然と見送るしかない。


「さて、事件の真相は、当事者同士で話すのじゃな」


 こつり、と奥からの足音に女は振り返る。


「……あ」


 現れたのは一人の男。

 かつて愛し、そして裏切った男。

 自分だけではない、娘さえも。


「来ないで……!」


 一層強く娘を掻き抱く。

 男は歩みを止めてその場に佇んだ。


「私を、私たちを殺すの?」


 耳が痛くなるほどの沈黙。

 暗がりに半ば隠れた男の顔は見えない。


「私は……!

 私は殺されても構わない。

 だけど、娘は……娘だけは!」


 ぽたりと落ちた、輝くそれが何なのか理解できなかった。


「よかった」


 搾り出すような声。

 不意に脳裏に蘇る光景。

 この子が産まれた時の、


「本当に、良かった」


 あの時も彼は、そう


 『涙を流して』


「……そやつは、ぬしらを逃がそうとしておった」


 たまりかねたのか、投げつけるようなぶっきらぼうな少女の言葉にテーサは言葉に詰まる。


「な、何を今更!

 私はこの男に殺されかけて!」

「それを雇ったのは」

「……兄だ」


 男は薄氷を踏むかのような足取りで一歩、また一歩と近付いてくる。

 そこにはこの数年間崩れる事を知らなかった悪鬼のようなそれではない。

 子供のような、ただ安堵だけ。


「私の一番上の兄が死んだのは7年前のことだ」


 何をいきなりと思い、そして7年前に符合する事実に思い当たる。

 それは彼が姿を見せなくなった頃。


「行商の途中、運悪く山賊に襲われて命を落とした。

 そう思われていたがその実は下の兄が護衛をすり替えていた……。

 上の兄は護衛と思っていた連中に殺されたのだ」

「……」

「その事実が判明した時、父は下の兄を追放し、私を後継者とした」


 それが、彼が去っていった経緯だとすれば


「どうして娘を奪っていったのですか!」

「狙われていたのだ」


 気付けば男は目の前にいて、無骨な手を娘の頭に載せた。

 現れるのは醜い傷。


「間一髪だった。

 娘を連れた一行はまさにその襲撃者と戦う事態に陥った。

 依頼した冒険者のうち2人は死に、娘も頭に傷を負った。

 庭師のフレンディル。

 彼はその際に重症を負い冒険者を続けられなくなった。

 故に私が雇用した」


 優しく、どこか遠くを見るように娘と接していた若い男を思い出す。


「では!

 あの貴族との話はなんなのです!」

「……そうか。

 それがきっかけだったのだな」


 失われたと思っていた男の人間らしい瞳が私の双眸を捕まえる。


「私は今でも君を愛しているし、娘は何よりも大切だと思っている。

 だが、商会のために私は決断しなければならなかった」

「じゃあ、やっぱり!」

「君に話すつもりだった。

 亡くなった娘を故郷に埋めてくれないか、と」


 理性なんてなくなっていた。

 自分でも信じられない力で男の顔を張り飛ばしていた。


「貴方は!

 貴方は!!」

「自己満足じゃぞ、その一撃を望むのは」


 少女の冷淡な声に我に返る。


「殺すつもりなれば此度手を出さず、ここにおらぬじゃろうて」

「……」

「この子の障害は日常生活を送るには問題はないが、商人としてはやっていけない。

 せめて兄の影響を完全に排除できるまではこの子を『殺して』おこうと考えたのだ……。

 だから君に『死体の埋葬』を依頼しようとしたのだ。

 君は誰よりも信頼できるから」


 男は深い溜息をつく。


「兄は狡猾になって舞い戻ってきた。

 死の瀬戸際で、父に泣いて許しを請うた。

 許した父は私の補佐をするようにと言い残して死んだ。

 あの男は家に居座る大義名分を得たのだ」


 『あの男』に思い当たらず戸惑い、不意にある一瞬がフィードバックする。

 獲物を見るような禍々しい目を庭で遊ぶ娘に向けていた一瞬。

 見間違いと忘れていたあの光景。


「あの人が……」

「私の兄だ」


 人望も厚く、切れ者として振る舞う彼がそんな悪鬼のような人間だとは思えない。

 そう思うと急に目の前の男が怖くなった。

 何を今更都合のいい話を。

 そんな思いが膨れ上がる。

 わからない。

 何も信じられない。

 女は思考を捨てて立ち上がると駆け出す。


「答えは容易かろう」


 黒衣の少女が囁く声は女の耳朶にひどく澄んで届く。


「そろそろ目を醒ます。

 故に聞いてみるがよい」


 足が止まる。


「娘が父母の事を、如何と言うかのぅ」


 腕の中で身じろぎを感じ、女は完全に足を止める。


「その間、わしは『仕事』を片付けるとしようかの」


 少女はゆるり、立ち去る。




「あの縁談を持ち込んだのは兄だった」


 言葉が不意に生まれる。


「『縁談の申し入れが貴族よりあった』とな……。

 しかも、その貴族は北領を有していた」


 女は仕え人だったとはいえ商人の家に居たのだ。

 漏れ聞く話で世情には詳しい。

 北の領地はこれから商人にとって魅力的な場所に変貌するだろう。


「そしてこの子の事も事実だった。

 私の一挙一動で数百人が路頭に迷いかねない。

 それは私の代に終わる話ではない。

 商会に深く関わる者皆から、この子は冷たい目で見られている」


 男は消え入りそうなほど細い言葉を紡ぐ。


「私が兄の影響を排除できればよし。

 だが、できなければいずれこの子は幸せな事にはならないだろう。

 だから、誘拐しようとした……」

「じゃあ!」


 男は苦笑する。


「考える事は同じだな。

 君には別の仕事を任していたはずなのだが、この子が勝手に連れて行ってしまった。

 なんとも皮肉な結果だ」

「…… パパ?」


 ようやく意識がはっきりしてきたのだろう。

 ユメリアがぽそりと呟く。


「ああ」


 ガンバゼルが小さく頷き、視線を誘導する。


「テーサもいるー」


 いつもの明るい声。

 しかし、彼女が応じる前に男は言う。


「テーサ、ではない」


 優しい口調。

 テーサ意味をすぐに図ることができない。

 だが、娘は少し考えるとにこりと笑う。


「じゃあ、ママだね」

「なっ」

「わーい。

 ママ!」


 抱きついてくる娘を女は幻でも見たような顔で見詰める。


「その子は最初から気付いていた。

 雇用を求めてきた際、私が気付くよりも早く、この子は君を見つけていた」

「あ……」

「私は君を雇うために、君に近くに居てもらうために呼び方を諌めた。

 それが、全てだ」

「あぁ……」


 もう何も言葉はでなかった。

 ただ、どうしようもないほどに涙が溢れて、止まらなかった。




「しかし、まぁ」


 ティアは心底呆れて溜息をつく。

 ぐるり取り囲むのは三十人からなる人影。


「あー、一応勧告してやるが、……去ね」


 彼女の言葉は嘲られる。

 そう思っていたのだが、周囲にはより一層の緊迫感が膨れ上がった。


「ふむ、わしを知っての狼藉かぇ?」


 Gスラがもぞりと動くのは魔力を感知した合図。

 普段なるべく力を見せずに戦っているが、人によってはかなりの情報が漏れていることになる。

 最初に魔力反応ということと、あの暗殺者の戦術を思い返すと来る魔術は解呪。

 故に予め用意していた物を引きずり出す。

 いきなりティアの背後から闇が迫り、飲み込んでしまう。

 コモンマジックの最大の弱点は『相手が見えていないと使えない』事。

 洞窟から飛び出たシェイドがその腕をティアまで伸ばす。

 攻撃魔法なら闇雲に打ち込むのも手だが、これではティアを目標にディスペルマジックを使う事が出来ない。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け 竜牙!」


 戦術が壊れ、相手の動きが止まった瞬間を彼女は見逃さない。

 打ち放たれた三条の牙は河に飛び込んで爆発。大量の水を巻き上げる。


「紫電よ!」


 ばちりと右腕が吼える。


「水面渡りて疾く走れ! 雷掌波!」


 拡散の意志を持たせた稲妻が、霧雨のように舞う水を駆け抜ける。


「ひっ!?」

「ぎゃっ!?」


 次々と挙がる悲鳴を聞きながら僅かに視線を上に。

 普段見えない薄膜 ───浮舟を付加された大気の壁は雷気を帯びた水を寄せ付けない。

 完全に塞がれた視界の中で魔力反応をサーチ。

 いくつかある反応へ向けて加速する。


「っぐ!?」


 何の必要もない。

 接近して石を落とす。

 時速300kmという速度を必然的に与えられた石はそれだけで鋼を穿つ魔手となる。

 サーチ、ムーブ、クラッシュ。

 痺れてまともに動けない相手を作業として破壊していく。

 一通りの反応は沈黙へと移り変わった時、遠くから駆けつけてくる影を見てティアは抜け穴まで大きく後退すると、その奥を目を細めて見詰める。


「ふん」


 どうやらこちらも決着したらしい。

 少女はらしくないと呟きながら、違和感に身を固める。


「くっ!」


 暗闇のその奥。何と言う執念か。

 ほんの僅かな光に浮かび上がったのは刃の煌き。


「逃げよっ!」


 声に驚き、そして最後の妄執に気付いた時には遅い。

 ティアは舌打ちする。

 警告よりも詠唱すべきだった。

 あまり広くない通路。

 ここで天翼のまま疾走すれば逆に三人を殺しかねない。


「ダメーーーーーーーーっ!!」


 ばすんっ

 何もかもが意外だった。

 ただの叫びが悪鬼を宿す顔にひびを入れる。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け 竜牙っ!」


 ようやく完成した魔法が剣を未だ握る腕と右足を砕く。


「ぎぃぃいいいいい!?

 イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!!」


 のたうち怨嗟のうめきを挙げるのはそこに居る三者が知る者。


「貴方と言う人は……」

「黙レェェェ!

 貴様が悪いのだ!!」


 善人の相好を完全に崩し、悪鬼の形相を完全に曝け出した男が立ち上がれないままに吼える。


「俺がようやく手にしかけた力をお前は横取りした!!

 才能もなく、好き勝手に渡り歩いてすずめの涙ほどの稼ぎしか出せないお前と俺は違う!

 俺は兄よりも才能があった!

 あのクソ親父に進言してやり、国の仕事を取ってきたのも俺の功績だ!

 それがなんだ、家督は長男が継ぐべきだと!?

 ふざけるな!!」


 ずりゅ……


「だから、だから不要なクソ兄貴を潰したのに!

 しかも死に際になんと言いやがった!

 俺のときには兄が家督を継ぐべきだと言いやがったくせに、お前にだと……!

 ふざけてる!

 ふざけてるふざけてるふざけてる!!」


 ずりゅり。


 溢れ出す血を引きずり、剥き出しになった肉を滑らせ、這いつくばったままの悪鬼が迫る。


「せっかくほとぼりが冷めるのを待って親父を殺してやったのに!

 どうして貴様が全てを持っていく!

 無能で自分勝手に生きている貴様がだ!」


 もはや命に関わる出血量。

 しかし男は止まらない。


「だから、だから、貴様は不幸にならねばならない!

 不幸のどん底で、苦しみ嘆き、全てを失い。

 そして絶望のあまりに死ななければならない!

 それが正しい結末ではないか!」


 ずりゅり、ずりゅ……


「死ね!

 死ね!!

 貴様の愛する者が貴様の前で理性が粉々になるまで壊しに壊しに壊し尽くした後で貴様は血の涙を流して死ななければならない!

 貴様は生まれてきたことを悔やみ、死ななければならない!

 そうだ!

 貴様が!

 貴様が!!」


 どしゃり。


 崩れ落ちて、そしてなお怨嗟の声は続く。


「兄さん……」

「許されない……だから」


 極端な魔力反応にティアは息を飲む。

 これはソルジャーユニットに使われていた魔道爆弾の反応。


「ひぃあはははは!」


 1つの術は間に合う。

 物理防御か魔法防御。

 しかしそのどちらかでは三人は救えない。


「四方に配し、護法と為す────」


 自分に馴染み深い詠唱詩。

 驚く暇はない。


「戦神の鎧よ 我に加護を 防陣!」

「魔を制せ 結界!」


 二つの詠唱が唱和し、二つの効果が三人を包む。

 爆発が坑道を叩いた。




「その兄貴ってのが狙ったのは、弟が貴族と共倒れして、自分がその全てを手に入れることだったんだぁねえ」


 ニヤリと笑ってみせるイニゴだが少女は興味なさげに遠くを見たままだ。


「じゃが、婚姻は御破算。

 その貴族は国家反逆罪で処刑、かえ」

「アイリーンは優しい国だからね。

 一族郎党なんて言わないよ」

「は。

 のうのうと生きておった連中が無一文で何ができる」

「まぁ、あの家には幸い『質のいい娘』が居るからね」

「下品じゃな」

「実行するヤツよりマシだと思いますがネェ」


 ティアは空色の服を風に遊ばせて肩を竦める。


「何もせずに任務達成かえ。

 いい身分じゃな」

「気ままな魔女に駄賃くらいは上げた気はしますが?」

「ふん、駄賃ついでに一つ忘れろ」


 睨む視線に飄々と肩をすくめる。


「あの娘のことですかい?」


 この男がそれを見逃しているとは思っていない。


「服務規程違反で減給はされたくないねぇ」

「実力行使で忘れさせてもよいが?」

「はっはっは。無理むり」


 余裕で笑ってみせる男に面白くなさげな嘆息が応じる。

 確かにこの距離でこの男を仕留めようとするのは割が合わない。


「安い脅しで同情でも買おうとしてます?」

「いや、あの娘を殺すより心が痛まんと思うてな」


 何気に言うが、冗談ではない。


「随分な話だねぇ」

「じゃが、理解できるであろう、暗殺者」

「っと、俺はただの御用聞きですからね」


 奇術の種を知られる事は魔法使いにとっても暗殺者にとっても死活問題。

 特に敵が多いティアにとって最悪の場合、少女は何よりも優先して殺さねばならない存在となる。


「いっそ、弟子でもなんでもしてしまったらどうです?」

「覚悟もないのに邪法を教える気はない」

「自分の魔術を邪法と言いますか。

 かっこいいねぇ」


 茶化す声は風に流れるのみ。


「でもまぁ、あれだ。

 どうするつもりで?」

「最悪木蘭に預ける」

「っは、無難だねぇ。

 無責任にも程があると思いますがね」

「故に全ての責を背負うて言うのじゃよ。

 イニゴ、忘れろと」


 彼は肩を竦めて歩を踏み出す。


「お嬢さん、あんたは何故血塗れの道を逝く?」


 答えを聞く気はないのか。

 立ち去りながらの問いに少女もまた立ち上がり、空をちらりと見上げる。


「我が道すでに外道にあればこそ、全ての犠牲なしにして振り返れぬ」

「恐ろしいねぇ」

 姿が見えなくなっても声が届く。


「そうやってどこまで怨嗟を背負うつもりか」


 一際強い風にリボンが崩れ、空高く舞う。

 それを見送りながら少女は何事もないように言葉を紡ぐ。


「我が意志と我が身が虚無に消え逝くまでじゃよ」


 送る視線の先に親子が居た。

 楽しそうに笑う娘と自分の不器用さにこそ困っているような、それでも暖かい笑みを浮かべる父親。

 そしてその光景に幸せそうに並ぶ女性。


「まさに外道よ。

 我が道は」


 紡ぐ詠唱が風に舞う。


「されど、潰える時までひたすらに逝くよ」


 少女の視線の先には何もない。

 ただ、空色のリボンだけがひらひらと舞い降りた。

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