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Dual Recollection  作者: 神衣舞
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 『運が悪い』とか『巻き込まれ人生』だとか、たまに言われることがある。

 心当たりがないわけではないが、言われるほどでもないと思う。

 大抵の場合関わろうとしなければ関わらない選択ができるのだから。


「……思うんじゃがなぁ」


 目の前の光景に嘆息。

 切羽詰った顔の男が刃物片手に子供を抱きかかえている。

 その傍らにはやはり焦りの表情の男が居て、周囲をせわしなく威嚇している。

 そのすぐ近くには血を流して倒れる男が一人、腰を抜かして倒れる老人が一人。

 そして仕立ての良い馬車が一台。

 総合的に考えると、


「誘拐かのぅ」


 男たちに立ちはだかるのは一人の女性。

 なかなかの迫力で男たちを睨みつけ、通すまいと手を広げている。

 だが女性は武装しているわけでもない。

 振り切ろうと思えば振り切れるだろうが。

 どうも気が弱いらしく怖気づいている。

 彼らとしては早く逃走しなければならない状況だが、妙な膠着状態に陥ってしまっている。


「お嬢様を放しなさい!」

「ば、馬鹿言ってんじゃねえ!」


 わざわざ応対して時間を潰しているその発言のほうがよっぽど馬鹿な発言なのだが、気付く余裕すらないのだろう。


「ふむ」


 しかし二人の男は明確に追い詰められている。

 限界に達すれば何をするかわからない危険な状態である。

 最善は《誘眠》で一度に眠らせる事。

 だが、すでに騒ぎから人が集まり出しており、余り派手なことはしたくはない。

 しかし一度上空に逃げる暇もなさそうである。

 仕方ない。

 前に踏み出す。


「あっ」


 余りにも自然に脇をすり抜けられたため、通せんぼをしていた女性が声を挙げる。

 男たちの視線もまた自分に向いている。

 だが、歩く速度は変わらず。

 何も知らぬように歩を進める。


「危ないわ!

 こっちに!」


 これが大人や男なら多少の警戒はしただろうが、彼らには人質が増えたと思えたのだろうか。

 手の空いていた一人が引っ手繰るように手を掴み──────


「がはっ!?」


 びくんと体を震わせ血を吐いて倒れた。


「あ」


 驚く暇を与えるつもりはない。

 倒れようとする男で視界を防ぎ、意識を前へ。

 引き続き放つ魔術は《掌破》。

 魔力を単純にぶつける無詠唱魔術。

 狙うはナイフのみ。

 と、一つの案が脳裏を掠める。


「紫電よ」


 最近研究している雷の術。

 すぐに拡散してしまうため実戦向きではないが、金属に対し収束していく特性には気付いていた。

 故に武器への攻撃、強いては武器落としに使えるのではないかと考えていた。

 ばちりと指先で弾ける感覚。放たれたそれはわずかな距離を走り、まるでひきつけられるように男のナイフに殺到する。


「ぎゃっ!?」

「きゃぁっ!?」


 挙がる悲鳴は二つ。


「ぬ?」


 狙いどおりに男が武器を取り落とす。

 しかし術の被害を被ったのは男だけではない。人質にとられていた少女も小さな悲鳴を上げて気を失ってしまった。


「……む」


 思わぬ失敗に内心焦るが表情までには出ない。

 とりあえず放っておくわけにもいかず、気絶した少女を倒れた男の下から引っ張り出す。

 ぴしっ


「む?」


 雷撃の魔術を撃ち放つ時に感じるビリビリを感じて思わず手を引っ込める。

 どうやら金属だけでなく人体にも残留するようだと知り、こっそりと治癒の魔法を詠唱。


「お嬢様!」


 茫然自失から抜け出した女性が慌てふためいて少女を抱き上げる。


「大丈夫ですか!?

 お嬢様!」


 揺すっても目を醒まさない。

 少女に蒼白になって呼びかけ続ける。

 見た感じ呼吸はしているし、顔色も悪くはない。

 精霊の感覚で見ても命の火は明確にそこにある。

 そうして気付く。


「む……」


 まさかと一歩踏み出した瞬間、


「ティアロット君」


 人混みから出てきた男に手を掴まれる。


「……ジュダークかえ」

「かえ、じゃないですよ」


 人の良ささが無駄に滲み出ている青年は情けなく苦笑を漏らす。


「で、今度は何をしたんですか?」


 間をおかずに問い質してくる。

 あまりの物言いにさすがに顔を顰める。


「人聞きの悪い事を言うでない」


 とは反論したものの、楽観視は出来そうにないのは確か。


「とにかく、一度詰め所に来てもらいますよ」

「むぅ」


 すでに彼の後ろで赤の面々が野次馬整理と男たちの回収を始めている。


「わしも気になる事がある。

 同行しよう」

「……うわー。

 嫌な予感するんですが」

「人が素直に……

 まぁ、同感じゃが」


 嘆息交じりの同意を聞いて、赤の中隊長はますます深刻そうな顔を作る。

 少女は小さく肩を竦めた。




「ざっと状況を説明しますか」


 赤の本部応接室。

 そこに通されたティアは静かに茶を啜っている。


「犯人側はどちらも重症。

 片方は右腕を粉砕骨折。

 もう片方も右腕に重度の火傷を負っている状態です。

 火傷と診断したものの、医者は首を傾げていましたが」


 予想済みの結果に興味はない。

 彼女は態度でそれを示し、


「で、娘の方は」


 と先を促す。

 やりすぎを訴えたかった赤の中隊長は何度目かの溜息をつき、報告書をテーブルに置く。


「意識不明です。

 呼吸、脈拍共に正常ですが、意識が戻りません」

「……ふむ」


 予想通りと言えば、予想通り。

 先ほど精霊力を確認した際、少女の精神を司る精霊の動きが極端に少なかったのを思い出す。


「ユメリア・ヴィスル・ミドガルディン嬢。

 豪商の娘ですが」

「なーに?」


 聞き覚えがある声が、聞き覚えのないイントネーションで放たれる。

 ジュダークは半ば呆然と周囲を見るが、無論人払いをしており、この部屋には二人以外に居ない。

 そうなると必然的に犯人は絞られる。


「……ティアロットさん?」

「……む」


 思わず口元を押さえた彼女も驚きの表情で目を瞬かせる。


「……ユメリア嬢?」

「だからなーに?

 って、やはりわしか」


 まるで一人漫才。

 だが、


「……あなたはそういう悪ふざけは嫌いでしたよね」

「……うむ」


 自身に起きている事態を推測、そう言えばテーサはどこに行ったんだろう?

 違う。

 そうではなく

「テーサはテーサだよ」


 がしゃん。

 ばっと振り返ればよく見知った女性がお盆を取り落としていた。

 恐らくジュダークの分の飲み物を持ってきたのだろうが。


「……どーしたの?

 おねーちゃん」


 再び口をついて出てきた年相応で舌足らずな物言いに、わなわなと震えていた女性は指差して一言。


「ティアさんかわいーっ!」

「黙れっ!」


 我を忘れたような物言いに、珍しく顔を赤くして怒鳴りつける。


「あー、これはどういうことか説明できるかな?」


 冷静────なフリをしているが、結構笑いを堪えているジュダーク。

 その問いにむっとしながらティアは居住まいを正す。


「憑依、に近い状態じゃと思う」

「つまり、意識不明な彼女の生霊に憑り付かれた、と?」

「……」


 実のところ、別の予想が彼女の中にはある。

 かつて。

 自分がティアロットでしかなかった頃。

 スティアロウはどういう状態かわからないが、別の個体として眠っていた。

 スティアロウが目覚めた際、ティアロットとしての記憶は消え去り、保険としてG-スライムの中に保存された。

 その際の説明を思い出す。


「……確か電気信号」

「え?」

「こっちの話じゃ」


 ショックを受けて記憶に変調を起こした話はいくつも聞いたが、記憶がそのまま移りこんだなど自身の例を除けば聞いた事がない。


「で、どうしちゃったんですか?」

「彼女が誘拐犯を倒した、までは良かったんだけど人質まで意識不明なんだよ。

 で、なぜか彼女に憑依したらしい」

「……はぁ」


 事実だけ見ればそういうところだ。

 単純に祓ってしまえば彼女は死んでしまいかねないのも確か。


「つまり、ティアさんから女の子を引っ張り出して戻さないといけない、と?」

「そうなるのかな。

 まぁ、彼女のほうが専門家だから、見解を聞きたいところだけど」


 とりあえず、困ったことになったのは間違いない。


「……知り合いに専門家がおるから、聞いてみることにしよう」

「ネクロマンサーとかですか?」

「まぁ、そのようなものじゃ」


 ふぅと嘆息。ユメリアとやらの体調も気に掛かる。

 なるべく早く処理すべきかと思案。


「おなかすいたー」


 ……

 ……


 大爆笑。


「え、ええい!

 笑うなっ!

 わしでないわっ!」


 本気で怒鳴り叫ぶ姿も珍しい。

 結局この場は、ティアが怒ってこの場から立去るまで笑いが収まらず、何事かと思った赤の面々が不思議そうに部屋を覗き込むに終わった。




「む、う」


 よろよろと立ち上がり服の埃を払う。


「まずいのぅ」


 赤の詰め所を出て一度下宿先であるセンカの店に向かう途中で事件は起こった。

 いつも通りに《天翼》を用いて移動していたのだが、不意に魔術制御が乗っ取られた。

 無論犯人は突然の同居人である。

 だが、乗っ取ったところでまともな制御などできないユメリアの意志は見事に魔術を暴走させ、体を強かに地面へ打ちつけることになった。


「ケープがなければ大怪我じゃったな……」


 いつも纏っている薄手のケープは防御の力を宿したマジックアイテムである。

 その加護のおかげで怪我を免れたものの、魔術制御の失敗は一歩間違えれば死に繋がる。

 魔術を扱う者としては笑えない話である。


「まずいのぅ」


 アテにしている魔術師はルーンに居る。

 転移魔術で移動しようと考えていたが、これに失敗すると良くて体が粉砕。

 悪くて時空の歪みから世界規模の大災害を引き出しかねない。

 飛行による長距離移動も不可能。

 向こうから来てもらうには一カ月以上必要になる。


「……どうしたの?」


 自分に対する問いだろうが、ひたすら間抜けである。

 どうやら考え事をしている時に体の支配権を乗っ取られやすいらしい。

 つまり魔術発動プロセスのトランス状態など最たるタイミングである。


「ねー。

 どうしたの?」


 とりあえず、この際無視。

 方法はとりあえずある。

 1つはオリフィック・フウザーに頼む。

 しかしこの方法は明らかに損害のほうが大きいためボツ。

 そうなるともう一つ頼るべきは……


「王女様?

 ……エカチェリーナか」


 一つの体の取り合いとは本当に面倒である。

 さて、そうなると遠距離での連絡方法が問題になる。

 思いつくのは魔道通信。

 女神亭で放置されているのを無断拝借すべきだろう。

 誉められたことではないのは承知だが、木蘭に知られるのはフウザーと同程度に面倒である。


「そろそろおうちに帰らなきゃ。

 ええい、黙っとれ」


 正直、この少女が如何なる状態で自分の中に入り込んでいるのか不明だが、間違いなくそれを理解していない。

 せめて物わかりのいい相手なら魔術制御の邪魔もされずに済むのだろうが、そもそも同じ体にあって会話が成立した様子が一度もない。

 こちらの思考をある程度読み取ってはいるようだが、恐らく自分の体ではない自覚がないのだろう。


「じかくー?」


 なさそうである。


「たしかミズガルズとか言うたか」


 さえない魔術師を思い出し、失笑。


「世話をかけることになるのぅ」


 ルーンへの貸しはあるが、彼個人には何も報いる物がない。

 エカチェリーナことルーン王女を介することで彼の名も多少は響くか。

 ともかく、まずは暁の女神亭へ。




「う」


 最近は軍学校で好き勝手をやっているため忙しいはずの木蘭が珍しく居る。

 思わず回れ右をしたところで別の客とぶつかってしまい、逃げるタイミングを逸してしまった。

 自分では気付いていないが、問われると隠し事をし続けられない彼女、はなんだかんだ暴露させられながら木蘭経由でエカチェリーナに連絡を取る事になってしまった。

 ともかく魔道通信を介して連絡を取り合うと、ティアの要請に対してエカチェリーナが出した提案は怪盗を見つけて欲しいと言ってきた。


「大事な物を盗んでいったんです」


 怪盗ペガサスとはまた妙な話だが、値段の割に彼女としてはとても重要な物を盗んでいったらしい。


「……わかった」


 応じながら訝しがる。

 ルーン王城に忍び込む手腕を持ちながら、エカチェリーナにしかわからない価値の物を盗んでいく。

 そんな事ができそうなのは一人しか思い浮かばないのだが。

 魔道アーマーに乗り込んで退治するとまで言い放つところを見ると、恐らく彼女は犯人を知っている。

 まぁ、良い。

 楽な条件に水を差す必要もない。


「さて、わしは帰る」

「まて、今の状態で狙われたら、ひとたまりもないだろう」

「ぐ」


 いくら冒険者とは言え、町に暮らしている上で襲撃の可能性など考える必要はない。

 ないのだが、悲しい事にそれを全く否定できない少女は声を漏らす。

 なにしろ、まともに魔術が使えないと知られれば襲ってきそうな相手は両の手で足りない。

 つい最近バールでひと騒動起こしたばかりでもある。


「誰かの傍にいろ」

「ふん、必要ないわ」

「魔術の使えんスティアロウなど、本当に年相応の子供でないか」

「そんなことはないわ。

 現に……よーさい?」


 思わず漏れかけた言葉の一部をユメリアが疑問符で漏らし、慌てて塞ぐ。


「……ともかく、そうだな。

 確かシルヴィアが上に居たな」

「待たぬか」


 追求されなかったのは幸いだが、拘束される謂れはない。

 なにより今誰かが傍に居続けるのは、思考を垂れ流ししかねないリスクがある。


「ふぁ。

 ティアどうしたの?」


 絶世の美女と誉れ高い演劇女優シルヴィアがパジャマ姿で客室である上階から降りてくる。

 この時間になれば客は見知った冒険者に限られると知っての事だろう。


「なんか魔法が使えないとか、木蘭様が言ってたけど?」

「……ぬしら、仲悪かったんじゃないのかえ?」


 過去の事情から木蘭は魔族という存在を毛嫌いしている。

 しかし昨今では彼女やミスカが朗らかに訪問してくるためか慣れてしまったのかもしれない。


「んー?

 取り憑かれてる……とはちょっと違うね。

 どうしたの?」


 さしもすぐには返答しづらい。


「ま、いっか。

 守ってあげるよ。


 魔法が使えないティアなんてただの幼女だもんね」

「ぬかせ。

 別に魔法なぞなくとも─────」

「あ、でも違うか。

 少なくともチェスとかじゃ勝てないね」


 シルヴィアの言葉を聞き流しつつ自分の戦力分析をする。

 とりあえず魔術の発動については不安はあるものの、小規模の魔術であれば即座に発動できる。

 つまり介入させる暇を与えなければ良いのだ。

 魔術のプロセスは大きくわけて『構成』『展開』『起動』『維持』。

 ごく一般的な魔術師であればマジックミサイル程度で10秒程を要する。

 実戦に慣れた冒険者や軍人の魔術師であれば5秒ほど。

 4つのプロセスのうち維持以外をコンパイルしてしまった物理魔法に関してはほとんどタイムラグはない。

 掛けたら掛けっ放しの防御魔法や付与魔法に関しては一度成功してしまえば何の事はない。

 だが常に操作を要求される飛行魔法や、移動のわずかな時間ではあるが転移魔法は使えないと考えたほうがいいだろう。

 返せばごく初歩の魔術に関しては使いこなす自信がある。

 ただ、ミスの許されない実戦では不安と言うほかないだろう。


「とにかく。

 じゃあティア、こっち来なさい」


 不意に背後から抱き上げられたティアに抗う術はない。

 純粋な腕力や体力に関しては平均以下である。


「むぅ。

 必要ないと言うておろうが!」

「いいからいいから」

「離さぬかっ!」


 暴れるが、その本質を魔王の腹心たる存在とするシルヴィアのポテンシャルは抑えている時でも桁違いである。

 がっちりとホールドされたまま、客間に誘拐されることとなるのであった。




「旦那様」


 フォーマルな衣装をこれ以上ないほどに着こなした男が声をかける。


「お嬢様の容態は、いまだ改善されておらず……」

「そうか」


 対する男は淡々と、見もせずに呟く。


「医者の手配をいたしましょうか?」

「要らぬ」

「……」


 即答に男は息を呑んで黙り込む。


「寝かせておけ」

「……かしこまりました」


 男は慇懃に一礼して出て行く。


「……ままならぬな……」


 静かに、目を閉じる。




 フウザーの介入がないとして、目的の魔術師がアイリンに到着するまで早馬でも約一週間と言うところ。

 生活には別段不自由する事もないが、やはり気がかりは厄介ごとが始まらないか否か。

 木蘭やシルヴィアには護衛など必要ないとは言ったが、万が一のことを考えればやはり頼りにせざるを得ない。

 喋らされた側面があるが、そのあたりを考慮して喋ったつもりでもある。

 ティアは別段する事がない場合、基本的に昼下がりまでセンカの店で店番をしている。

 表向き人形屋となっているこの店だが、立地条件としては裏道でスラムに近く、女子供が気安く立ち寄りそうな場所にない。

 従って人形屋の客はまずないものと考える。

 この店の本当の客は錬変術師たるセンカの技術にあるのだから。

 だが、客にも2通りある。

 1つはその技術を頼って来る者。

 そしてもう一つはその技術とセンカに敵対する者。


 こつこつ


 外に置いたバケツに収まっているGスラが客の来訪を伝える。

 魔法知覚で周囲を見る不定形魔法生物にとって、最も見わけやすいのは大きな魔力、つまりマジックアイテムである。

 それが合図を送ってきたと言う事は、そう言った類の物を持った客が来たと言う事。

 溜息一つ吐き、素早く防御魔法を自身に掛ける。


「おきゃくー」


 口から漏れた言葉に深く息をつく。

 客は当たり外れが大きい。

 一度ウィザード級の客が来た時には肝を冷やした経験もある。

 日はようやく天頂に昇ろうとする頃。

 この時間にやってくる客はよほど急いでいるか、よほど自身があるのだろう。

 そして、この時間は夜行性の店主は睡眠中である。

 昔と違ってかなりの実力をつけたティアに任せて睡眠を貫くケースもかなり多くなった。

 ここで一番厄介なのは相手の意図を確かめるまで下手に攻撃できないことだ。

 相手もここが天下のアイリーンとわかっているためいきなり爆撃してくる事は滅多にないものの、何度かそう言う強硬手段に訴えた者も居る。

 店の前に放置したG-スラはその保険のようなものである。

 続く合図がないところを見ると客は店内に入ってくるつもりらしい。

 気楽なカウベルが鳴り、入ってくるのは一人の男。

 別に来店者に挨拶などしない。

 気にしないふりで本を読む。


「……」


 まず気をつけるのは『彼女』が変な発言をしない事。

 それを念頭に措きながら、不意に恐れの感情を抱く。

 この恐れは自分の物ではない。


「おと……」


 なるほど。


「急な訪問のご無礼をお許しください。

 ティアロット嬢でよろしいですか?」


 今回の客は自分宛らしい。

 恐らく名は、


「私はガンバゼル・ヴィスル・ミドガルディン。

 先日娘を助けて頂いたお礼に参りました」


 長身痩躯。神経質なまでにコーディネイトされた服は彼の商談相手が貴族やそれに類すると知れる。

 一件柔和な雰囲気を纏っているが、その奥でこちらを値踏みしている。


「……そうだけど、礼って?

 私は偶然通りかかって巻き込まれただけよ?」


 あえて普通の言葉遣いを選ぶ。


「いえいえ、ご謙遜を」


 周囲に魔力の漣を感じる。

 護衛だろうか。


「貴女が娘を救ってくださったのでしょう?」


 幸いにも内なる彼女が縮こまり、黙しているのを感じる。


「私にそんな事ができると思う?」

「思います。

 花木蘭閣下の秘蔵っ子であれば」


 つまり────彼は商談に来たのだ。


「木蘭様の戯れを真に受けているのですか?」

「もちろんです」


 問いに揺ぎない答えが返る。


「あの方は好きでもない方を持ち上げたりはしません。

 秘蔵っ子とまで言うのであれば普段はどうであれそれだけの実力をお持ちと考えております」


 正しい。

 本当に使えないと思っている者に対しては彼女は見もしないし、敵対するならば欠片も隠さずに敵対を宣言する。

 普段はどうであれアイリンという大国の柱として長年立ち続けただけの目は持っている。


「そう。

 どうであれ言いたいことはそれだけ?」

「いえ、できれば娘の見舞いに来ていただけないかと思いまして」


 見舞い。

 随分とまわりくどい方法で来た物かと思う。

 いきなり何かの条件を突きつけないだけやはり彼もやり手の商人と言うことか。

 もしもユメリアを盾に何かを要求してくるのなら痛い目の一つや二つ見てもらうつもりだった。


「よほど怖かったのでしょう。

 未だ目覚めず、医者も役に立たず……」

「演技はいいわ。

 で、用件は?」


 演技などとと言いかけて、彼は口を噤む。


「いえ、本当に見舞いに来てもらいたいだけです」

「……私にそんな価値はないわよ?」

「価値は我々商人が付けるものです」


 目の色が変わった。

 鋭さ、一瞬の隙も見逃さないという眼光。

 なるほど、商売という点においてはかなり評価できる傑物らしい。

 恐らく自分の事をかなり調べてきた。

 それもこの一日足らずでだ。


「わかったわ。

 ついでに私の知ってる医者も連れて行く。

 多分彼なら彼女を起こせるわ」

「……それは、痛み入ります」


 一瞬だけ浮かんだ意外そうな表情はすぐに掻き消える。


 推測するに、彼は『木蘭の秘蔵っ子』が自分の家に来る事だけを求めた。

 なるほど妥当である。

 状況から考えて魔術師であるティアが、娘の昏睡に関わっていると推測できても、確証がない以上強く出るべきではないと考えているのだろう。

 その前程としてティアロットが現実主義者且つ、場合によっては近しい人でも犠牲にする生活であると読んでいる。

 それ故にここでティアが娘を助ける算段をしているとは思いつかなかったのだろう。


「5日ほどでその医者はアイリーンへやってきます。

 その時にお伺いさせていただきます」

「……感謝の言葉もございません。

 その際には是非娘をお願いします」


 一瞬の空白は舌打ちか。

 退き際と踏んだ彼は一礼して名刺を差し出す。

 ティアがぞんざいにそれを受け取ると彼は再度礼をして店の外に出ていった。

 残るは不安と恐れだけをただ訴えてくる少女の心ただ一つ。




 とりあえず、今回に関しては完全にティアのミスである。

 少しくらいのリスクは仕方あるまいと溜息をつく。

 この時はまだ、そんな程度に思っていた。

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