08.
「そちらになさいますか?」
こちらの様子を窺っていたらしい店員が、声をかけてきた。にこやかな店員は、さりげなく購入を後押ししてくる。
「夫婦用ベッドでも、そちらは耐久性がよく大きめなんですよ。筋肉質な旦那様でも安心してご利用いただけます」
「だん……!?」
「遊んでしまって、ごめんなさい。こんなに大きなベッドじゃ私の部屋に入りきらないわ。今日は、一人用のベッドを探しにきたの」
された誤解にロルフが強く反発するより先に、やんわりとアスタが夫婦用を求めていないことを伝える。彼の口から、これ以上否定の言葉をききたくなかった。自分の立ち位置など最初から解っていたことだが、堪えるものは堪えるのだ。
「そのまま持って帰りたいから、組み立て式のものだと助かる」
「承知いたしました。他にご希望はありますか? 長く利用するものですから、お好みを教えていただけると幸いです」
ロルフの希望に頷いたあと、店員はアスタの方へ向き、問いかけた。これから利用する本人の要望に沿ったものを紹介しようとする姿勢は、とても真摯だ。
これまであるものをそのまま利用していただけのアスタは考える。好み、といわれると困るが、自身の寝室の雰囲気を思い出す。落ち着いた色味の木製家具で、陽の光を受けるとあたたかく感じ、夜闇にはひっそりと輪郭ごと溶ける。飾り気はないが、それらは居心地がよかった。あの部屋に合うものを、アスタは浮かべた。
「木の色が濃いベッドがいいわ」
アスタの要望を受け、店員はにこりと笑って、ダークブラウンのベッドをひとつ紹介した。
「こちらなどいかがでしょう。ヘッドボードはゆるい曲線でやわらかく、両柱のトップが蕾の木彫りになっていて女性向けです」
シンプルでいながらやわらかい印象を与えるベッドだった。ヘッドボードの両柱の蕾は少し綻んだところを模しており、丸みを帯びて可愛らしい。アスタは、自身の寝室にある様子を想像して、ぴったりだと思った。
「とても好きだわ」
「お気に召して、何よりです」
漠然と定まらなかったアスタの好みを引き出せ、店員も満足げだ。アスタも、思いがけず自分の好きなものをみつけることができて、喜ばしい限りだった。
購入はアスタの退職金から支払った。聖女という長い任期を務めあげたのだ。そのため、彼女には少なくない金額が支給されている。一度に持ち出せるものではないため、教会には彼女名義の金庫がある。アスタは引退時、そこから当面の生活資金だけ引き出していた。
組み立て前の状態のベッドを運ぶため、台車を借りロルフが押して帰る。マットレスもあるため、ロルフからは前方が確認しづらい。なので、アスタが進行方向を誘導した。
帰途に就く最中、アスタは楽しそうに笑みを零す。
「なんだ?」
何か可笑しいことでもあったのか、とロルフが首を傾げる。
「歩きやすいわ」
その事実に笑みが零れたと、アスタは返した。
「私に合わせてばかりだったものね」
自身の歩調と同じに隣の彼が歩くものだから、アスタはとても歩きやすい。これは長年彼が、護衛騎士として彼女に追従していた習慣ゆえだ。出会った頃が十二と十六。当時から歩幅には差があったから、思い返すと彼は歩きづらかったのではないだろうか。
「ロルフの歩きやすいように歩いていいのよ?」
「アスタさんのが、俺の歩きやすい速度だ」
当然のようにロルフは答える。アスタの歩調に合わせるのは、もう彼のクセなのだろう。
アスタには、彼の答えがくすぐったく感じる。引退したあとも、彼に自分の痕跡が残っているのが嬉しい。男性にしてはゆっくりな歩調。だから、彼の隣を歩ける。
ちらりと、ロルフの精悍な横顔をみる。もう彼は自分の後ろを歩かない。零れる笑みを抑えられるはずもなかった。
視線に気付いて、見返すロルフはまた首を傾げる。アスタがどうしてそんなに嬉しそうなのか解らないのだろう。それが余計に彼女の笑みを深くした。
「ふふっ、ロルフみたいな旦那さんが見つかればいいのに」
こんなに自分の歩調とぴったり歩いてくれる男性など、探してもいないと解っていて、口にした。
アスタの感想に、ぎっと台車の車輪がつまる音が被さる。彼女が振り返ると、半歩後ろでロルフが立ち止まっていた。
「どうしたの?」
「……いや、買い忘れを思い出して」
台車の押し加減を誤った理由を、ロルフはそう誤魔化した。しかし、彼にとって重要な買い物があったのも本当だった。
「何を買うの?」
「ラジオでも買おうかと」
元聖職者とその護衛だ。世情には疎い。一般人と一介の騎士になった今、新聞以外の情報源も必要になってくる。
「素敵ね。聖歌以外の歌も覚えたかったの」
ロルフの言い分を素直に信じ、アスタは表情を輝かせた。そうして彼女が口ずさむ鼻歌も聖歌だ。
彼女の知らぬ本来の目的、その望む効果があることをロルフは切に願うのだった。
その日、騎士ロルフ・エーンパリの家にベッドとラジオが追加された。