36.
肯かれてしまった。
ダメ元で願望を伝えたら、アスタに了承されてしまいロルフは参っていた。彼女は、自分に寛容すぎないだろうか。どうかこれが他の男でも同様でないことを願うばかりだ。
ずっと願っていた。触れたい。抱き締めたい、と。
実際叶うと、求める想いに際限がなくなりそうだ。腕のなかの彼女に愛しさが増すばかりで、どうしようもない。
家に帰宅すると、出迎えてくれるアスタ。その微笑みに疲れが癒されると同時に、欲望が湧く。抱き締めると、緊張しながらも拒まない彼女が愛らしい。身体の輪郭を辿ってみたい衝動だけは、どうにか堪える。
耐えているロルフの背に、きゅ、と服を掴まれる感触が届き、彼はびくり、と固まる。抱き返された。初めて。
彼の動揺した反応に、アスタは手を離し、自身の胸元に両手をしまいこむ。
「あ……、ごめんなさい。はしたなかったわね……」
羞恥に顔を真っ赤にするアスタ。勇気を出して、自分も触れたいと行動に移してみたが、彼に嫌われたのではと怯えてしまう。
悲観的にとらえた彼女の様子に、ロルフは狼狽える。はしたなくても大歓迎なのだ、自分限定であれば。本心が口からでそうになり、アスタの誤解を解きたいロルフは言葉が泳ぐ。
「いや、アスタさんが謝ることじゃ……、まずくはあるが。それは、俺が……、それより、こんなこと他の男に」
「まずいって、やっぱり」
「違うんだ!」
アスタの誤解が深まりそうになり、ロルフは必死で待ったをかける。どんなに言葉を取り繕っても、彼女を悲しませるだけだ。これはもう白状するしかない。それなりに雰囲気に気遣って想いを告げようと思ってはいたが、どんな状況でも覚悟が決まらなければ行動に移せない。自身の無様を晒す勇気を持たなければ。
「……少し待ってくれ」
乞われて、アスタは素直に待つ。なぜかロルフが深呼吸をしだしたので、どうしたことかと内心首を傾げた。
深呼吸をしても緊張で鼓動が煩い。ロルフはずるずると屈んだ。うずくまって心臓を抱えることで、心音が抑えられればいいのにと願う。そんなロルフと視線を合わせるため、アスタも膝を折る。二人して玄関先の床に座り込んで、妙な光景だ。
「言わないといけないのに、ずっと黙ってた……」
ロルフはどうにか本心を絞り出す。知られて嫌われるのではと思うと、鼓動が痛みを覚える。
「花嫁修業、アスタさんはもう卒業してもいいレベルだ。どこに嫁にだしてもいいぐらい」
半年弱、季節が二つ変わって最近は少し肌寒くなってきた。それを言い訳にこれからも触れようと思えば触れれるかもしれない。だが、そうしてずるずると彼女に縋っていけば、自分だけが彼女なしではいられなくなる。
「え……」
突然の卒業認定に、アスタは力が抜ける。彼に花嫁に相応しいと認めてもらうことが目標だった。こんなに呆気なく認められるのか。
なぜかロルフは苦痛を堪えるように、続ける。
「けど、誰にもやりたくなくて黙ってた」
すまない、と彼は謝る。自分の我儘だと彼は謝罪するが、それは親心からなのか、それとも――
不安と期待でアスタは瞳は揺れる。
他の男に渡したくないと明かし、踏ん切りがついた。ロルフは、彼女の両肩を掴み、その瞳をしっかりと見据える。
「俺はアスタさんが好きだ」
一息で告げた。
「これからは、俺が頑張る番だ。だから、アスタさんに好きになってほしい、です」
女性を口説くなどしたことがないが、彼女に想いを返してもらえるなら不慣れなこともやる。だから、せめてその許しだけでも得たい。拒絶されないようにと、ロルフは胸中で必死に祈る。
想いをうち明けられ、アスタは呆ける。
「……好きになるもなにも、私、最初からずっとロルフのことが好きよ?」
「え」
出逢ったときから、自分が想いに気付くよりまえから想われていたときき、ロルフはじわじわと顔が熱くなるのを感じた。彼女がまだ誰も好きでないのなら、との賭けにでたというのに、思いがけない答えだった。これまで、自分より見目や地位などに優れた男とも会う機会があり、彼らに選び変えることもできただろうに。さまざまな出会いがあるなかで、彼女は自分を選び続けてくれていたのか。
「…………光栄です」
「ふふ、敬語」
アスタは思わず笑ってしまう。ようやく、彼が緊張したりすると言葉が丁寧になるクセがあるのだと気付いた。新しい一面が知れたのが嬉しく、そんなところを可愛いと感じてしまう。
笑われたロルフは、気恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。けれど、そんな彼の顔もみていたいアスタは、手を伸ばして向き直させる。
「ねぇ、私をロルフの家族にしてくれる?」
「俺の妻としてなら」
それ以外は嫌だと眼差しが訴えていた。もちろん自分だって嫌だ。
「奇遇ね。私もよ」
旦那様は彼がいい。ようやく、アスタは秘めていた願望を明かせた。
仕返しのように、ロルフが彼女の頬に触れ返す。触れる掌が現実か確かめるようだ。アスタも確かめたくて、その掌に頬をすり寄せる。触れた掌に引かれ、互いの眼差しが間近で絡んだ。
「いいか?」
鼻先が触れるほどの距離になってから、問われる。どこまでも自分に優しい男性だと思う。そして、彼も緊張しているのかもしれないと気付くと、鼓動の高鳴りも自然なことと受け止められた。
頷く代わりにアスタはそっと目を閉じたのだった。