32.
花街へ訪れて以降、アスタがロルフへ笑みをみせる回数が減った。その代わり、頬を染め視線を逸らされることが増えた。
態度改善に努めているのか、目を合わせて笑おうとすると照れたように微笑む。
判りやすく意識されているものだから、ロルフは無言で喜びにうち震える。そう、嬉しいと感じてしまう。
甘え期間がきてもスキンシップを躊躇うようになり、横抱きで運ぶときも借りてきた猫のようにおとなしくなってしまう。そのくせ、こちらの甘える日がくると照れながらも膝枕役をまっとうしようとする健気さをみせるのだ。
昼食時、アスタの手作り弁当に視線を落とし、ロルフは長々と溜め息を吐きだす。
「どうした」
「隊長」
ロルフを心配して、所属の警備隊の隊長が彼に声をかけた。近頃、ロルフは勤務中にも嘆息することが増えたため、何か悩みがあるのかと気遣われたのだ。
「好きな人が可愛すぎて恐いんです」
真顔で申告された嘆息の理由に、隊長は一瞬言葉をなくす。唐突に盛大な惚気をきかされるとは思っていなかった。
「……え~と、その弁当のコか?」
とりあえず、相手を特定しておく。男のロルフが作るには手の込んだ弁当を毎日食べているので、彼に恋人か妻がいるのだと職場の面々は想定していた。毎日用意できるなら、伴侶でなくとも同棲している恋人の手のものだろう。
「はい」
「一緒に暮らしてんだろ? 付き合ってるんじゃ」
「ないです」
「……よく我慢できるな」
呆れと感心が半々の物言いになる。否定の断言具合からして、恋人未満の関係なのだろう。惚れた相手と同じ家にいて、健全な関係を保つなど隊長からすれば正気の沙汰ではない。おそらく、所属を同じくする騎士たちもきけば驚愕することだろう。騎士とて、想い人を前にしては聖人君子でいられないものだ。
「それが限界だからキツいんです」
「可愛い系のコか?」
「いや、どちらかというと美人な方かと」
「さっきは、可愛いって」
「俺の前だとすごく可愛いんです」
やはり惚気だろう、と隊長は思う。
「なら、既成事実作れ」
なので、雑ないい方になってしまった。
騎士らしい意見ではないが、相手もまんざらでもないのなら、その方が事が早く進むように個人的には思えてしまった。もちろん同意のない無理やりはよくない。しかし、ロルフの状態をみるに、多少の強引さは必要だ。
「できる訳ないでしょう! 嫌われたらどうするんですか」
その可能性が低そうだからの提案なのだが。彼の膝のうえにある弁当へ、視線を落とす。
「オレには、愛情がこもってるように見えるがねぇ」
ベーコンを挟んだサンドイッチには、トマトやレタスなど野菜も一緒にして健康を気遣われているし、オムレツは中にキノコのクリームソースが巻き込まれている。デザートで添えられたオレンジは、皮を剥いて食べやすい大きさに切られていた。ひとつひとつはささいな手間だが、食べる相手のことを思いやっていることが窺える。
ロルフもできることならそう受け取りたい。しかし、彼女が料理の腕を磨くのは花嫁修業の一環だ。美味しかったと弁当を返すと、毎日嬉しそうにはにかむ彼女をみて、純粋に技術向上を喜んでいる可能性を捨てきれずにいる。料理に関しては、すでにアスタの方が上手い。自分の手を離れ、隣の八百屋とパン屋の夫人たちに教わっており、最近は焼き菓子まで作れるようになっている。
半年足らずで他の家事含め習熟しているのは、ひとえに彼女の真面目さと勤勉さゆえだろう。もうロルフは師として教えることは節目の年間行事の特例以外なく、見極めるだけの役目が残っているのみだ。
「俺にはもったいなさすぎる女性なんです」
彼女は聖女でなくなっても魅力的な女性だ。容姿、人柄だけでも充分によいというのに、さらに本人の努力でさらに魅力が増している。花嫁修業を卒業して、本格的に婚活を始めたら引く手数多になること必至だ。長く傍にいたこと以外は、一介の騎士でしかない自分には不相応ではないか。
意識され始めたことに自惚れたいが、自惚れた先が恐い。
「彼女にフラれるのが恐すぎます」
自分がアスタの優しさを都合よく解釈しているだけだった場合、そういう対象ではないと突き付けられるうえ、彼女の傍にいれなくなる。さすがにフラれてまで、友人の距離で親しくできる精神力はもち合わせていない。傍にいることすら叶わなくなるのなら、曖昧な関係で甘んじていた方がマシに思える。
勤務態度が良好なので若いのにできた奴だと、部下のロルフを認識していた。どうやら年相応の青臭さもあるらしい。隊長は、認識を改めた。
「そうしてる内に、どっかの誰かさんに可愛い彼女奪られるぞ」
忍耐の限界まで我慢するのは結構だが、臆病風に吹かれているうちに彼女の方から離れてゆく可能性もある。ロルフからきく評価通りなら、いつかはあり得ることだ。決着を先送りにしていてもいいことがない。
ロルフはむっつりと黙り込む。態度で嫌だと訴えていた。部下の可愛げある態度に、隊長はからからと笑う。
そうして、隊長から頑張れと激励を贈られたのだった。