26.
ロルフが予約をとったのは、花街でも有名な高級娼館だった。王族も利用することがあるという、ならば機密性も高く、娼婦の品位もよいはずだ。
その店の一番人気の娼婦を指定したのだが、その分値が張った。アスタにも再確認したほどだ。彼女は、命あるものに価値など付けられないのだから、高くても当然だと了承した。考え方は好ましいが、こんなときまで懐の広さを発揮しなくてもいいのでは、とロルフは思う。
日が沈んでから出かけること自体も初めてで、アスタはわくわくしていた。ロルフの方は、到底そんな心境になれずに付き添う。
夜からが本領発揮の花街は、星明かりが霞むほどに眩かった。呼子と呼ばれる勧誘者が、一人でいる男性やほろ酔い状態の数人の男性に声をかけている。呼子は男性の方が多いようだが、店によっては娼婦自身がその役も担っているようだった。
女性のアスタには声はかからない。服装が町娘のそれであるし、なにより彼女の隣に気迫凄まじいロルフがいるからだ。長年護衛騎士を務めただけあって、風格だけで周囲を威圧している。彼に怯え、誰も寄り付きはしない。そのため、目的の高級娼館までアスタは安全に向かうことができたのだった。
高級宿に引けを取らないその店は、対応も丁寧だった。客として訪ねたのが女性のアスタであっても、驚いた様子なく恭しい態度で指名した娼婦の部屋へと案内する。
部屋は、ドアではなく厚みあるカーテンで仕切られていた。鍵をかけられるドアだと、何かあった際に警備の者が対処できないからだという。どんなに品位があってもここは娼館だ。客を完全に信用することはない仮初の場所なのだと判る。
カーテンをめくった先には、艶のある黒髪をあげ、項から色香の漂う美女がいた。
「これはこれは、珍しいお客様ね」
「はじめまして、アスタと申します。どうか貴女の時間を少し私にくださいませんか?」
紅い唇で蠱惑的に微笑んだ彼女に、アスタは最大限の礼を尽くして挨拶をする。その態度に、彼女は目を丸くしたあと、くすりと可笑しげに立ち上がり、アスタの前に立つ。そして、つう、と人差し指で自分とは別の意味で白い肌の輪郭をなぞった。
「もちろん。アタシはもう買われた身なのだから、この時間だけはあなたのものよ?」
「どうしましょう!? 女の私でもどきどきしてしまうわっ、ロルフは素晴らしい方を選んでくれたのね!」
「それはよかったな」
頬を染め口元を両手で覆うアスタの感激ぶりに、遠い目をしながらロルフは相槌を打った。各々の反応をみて、彼女はまた可笑しそうにする。
「旦那同伴だなんて、冷やかしかと思ったけれど……本当にあなたがお客様なのね」
「だ、旦那じゃない!!」
「彼は私の花嫁修業先なの」
動揺して全力で否定するロルフに、アスタは苦笑しつつ関係性を説明する。された説明は彼女には解りづらいものであったが、一言で説明しづらいものなのだろうと察した。彼女はカロリーナと名乗った。源氏名で本名ではないのかもしれないが、アスタたちは名乗り返す。
二~三人用のソファにアスタとカロリーナが座り、向かいにロルフが座って落ち着く。カロリーナは下仕えの少女に酒を用意させて、もてなした。
「手ぶらでお邪魔するのも変かもしれないと思って、キッシュを作ってきたの」
「あら、肴によさそうね」
アスタの手作りのキッシュに、カロリーナは小さく驚きながらも喜ぶ。普段の客からの贈り物にも菓子などがありはするが、手作りをもってこられたのは初めてだ。
最近、アスタはオーブンの使い方を覚えた。実はロルフの家にありはしたのだが、使われていなかったのだ。掃除の際にその事実を知ったアスタがもったいないと使えるように掃除した。それから、パン屋の夫人から使い方やオーブンを使った料理を教わった。キッシュもその覚えたうちのひとつである。
カロリーナは、一度部屋の入り口で控えている護衛を呼び、彼に毒味をさせる。問題ないことを確認してから、彼女は美味しいと味わった。一連の動作にアスタは気を悪くする様子はない。むしろ、感心していた。
「遊女の方って細心の注意を払うのね。王族の方並だわ」
「妬みも買うし、愛情も歪んだりするからねぇ。聖女様もそうなんじゃないの?」
「私は毒が効かないから、毒味必要なかったのよ」
聖力をもつため自然治癒力が高い聖女は、自身の身体を害するものは口にしても浄化する。そのような体質なので、毒味役が不要でアスタとしては食事が冷める前に食べれてよいと感じていた。カロリーナに元聖女と見破られたことは、髪の色で気付かれることなので驚きはしない。
「それで、元聖女様が何の用かしら? 慰められたいならお応えするしかないけれど」
「私に男女のいろはを教えていただきたく! 特に色仕掛けなどを!」
期待に瞳を輝かせるアスタと、無言で余計なことをいうなという圧をかけてくるロルフを見比べ、今夜の客はずいぶん面白いと感じたカロリーナだった。酒の肴はキッシュだけではなさそうだ。