22.
新しい所属での出勤一日目だったので、ロルフは、まず警護隊の隊長から業務内容の説明を受けた。
その後、これから同僚となる隊の騎士に巡回ルートを先導してもらい、覚える。ロルフが所属することになった隊は、主に宮殿の敷地でも使用人などが行き来する裏方の区域だ。物流でさまざまな人間が訪れるため大事な警邏区域である。しかし、騎士を目指す志が王族の覚えめでたくなりたいという者の方が多いため、人気がない。基本的には任命されなければ就く者がいないのが現状だ。ロルフは、むしろ覚えめでたくなりたくないので、王族と顔を合わせる機会のない区域の方がありがたかった。
「まさか、お前みたいな若い奴が志願してくるとはな」
巡回ルートを案内する壮年の騎士は可笑しそうに笑う。日中の警護配属メンバーは全盛期から比べると体力が落ちた者などが多い。二十代半ばのロルフが安定した業務を希望するのは珍しいことだ。先導する騎士の笑い声に険のある響きはなく、彼は歓迎しているようだった。
「仕事であっちこっち行っても面白みないんでね」
「前は聖女様の護衛だったんだろ。そりゃ気を張る」
若いのに気疲れした物言いをするロルフに、先導の騎士は前職由来と納得する。聖女の巡礼は民にとっては歓迎される行事だが、警護する側からすると普段と違う場所で神経を尖らせる必要がある。ロルフはなるべく事前に地図を覚え、土地勘がないのを補強したりもした。立地を把握している教会や王都より、気遣うことが多いのだ。
それに比べて、これからの業務は巡回ルートと時間が定まっているルーティーンワークだ。三か月に一度ルートと時間帯が変更されるが、それぐらいを覚え直すことはロルフには容易なことである。
納得のうえで業務にあたるので、ロルフは文句もない。所属の騎士たちからすると、彼の態度は安心できる。若い者が配属されたときは不満をもつことが多く、担当業務の重要性と疎かにしてはいけない意識づけをするのに手間がかかるのだ。
午前中は業務説明と案内で終わった。部隊の騎士たちは基本温厚で、ロルフを歓迎していた。新しい職場でもやっていけそうだと、ロルフも安堵する。
そして、昼食の時間を迎えた。同僚の騎士たちに食堂へいくか誘われたが、ロルフは弁当があるからと断った。
陽当たりの良い木々の一つに腰を下ろし、弁当箱を開ける。すると、まるで外で食べることが判っていたかのように花が咲いていた。燻製の肉でできた花など、ずいぶん可愛らしいことをする。
「俺が作るより凝ってるな」
あり合わせの具材を挟んだサンドイッチで済ませる自分とは大違いだ。サラダはドレッシングが零れないように密閉蓋がされているし、栄養バランスだけでなく見た目まで気遣われている。料理、こと弁当に関してはもう自分より上手い。ロルフは出来栄えに感心した。
花の形を崩すのが忍びなくて、ハムを食べるのは後回しにして、ハンバーグから食べる。
「美味い」
ツナの塩気がちょうどよく、アスパラの食感で食べ応えが増す。もとより味わうつもりだったが、ロルフはよく噛んで食べた。どれも自分を気遣って作ってくれたんであろうことが窺え、笑みが滲む。
しかし、アスタがくる前から決まっていたこととはいえ、早めに勤務に戻ってよかった。ロルフは現状に安堵する。
この一ヵ月、四六時中アスタがひとつ屋根の下にいたのだ。想い人がずっと傍にいる状況がこれ以上続けば、理性がもたなかったかもしれない。ロルフはそれが恐かった。一番大事にしたい相手を大事にできないなど、あってはならない。
夢のような日々だった。そして、今朝も目が覚めてからが夢かと思った。朝食の匂いと台所の物音に惹かれて目覚めるなど、一体いつぶりだろう。一人暮らしをするようになってからは、とんとなかった感覚だ。懐かしさを覚える感覚のまま、一階に降りると想い人がエプロン姿で迎えてくれるなど、夢のようだ。
ロルフは、手元の弁当を見下ろし現実であることを確認する。そうして、噛みしめるたびに美味いと零しながら、すべて平らげたのだった。
午後の巡回を終え、夕方になると夜間警護の部隊と交代する。引継ぎを終えて、ロルフの所属する日中の隊は終業となった。
同僚と挨拶を交わして別れ、帰路を辿る。歓迎会をしようといってくれていたから、その日の晩飯はいらないとアスタに伝えなければならない。一人で食べることに彼女は気を悪くしないだろうか。しかし、騎士の歓迎会など酒場での飲み会だ。そんな場所に彼女をつれていくことは看過できない。というか、彼女を同僚たちに晒したくない。
伴侶どころか恋人ですらない自分が、アスタの出逢う相手を妨害できようか。機会を延期することはできても、彼女が他の異性と親しくなるところを目にする未来は変わらないだろう。きっとそれは少年の域を出ないヨキアムの比ではないはずだ。それを気にすると、胸が重くなる。
自身の家に向かっていると、以前と変わりない日常に思える。アスタが聖女だった頃、護衛騎士だったときと何ら光景に違いはない。見覚えのある道、見知った人々、あの角を曲がればよく知る我が家だ。
彼女が引退したあとの日々が、すべて夢だったのではないかとロルフは疑いたくなる。まさか自分は、アスタと別れる辛さに都合のいい夢をみて、現実逃避していたのではないか。
角を曲がってみえるのは、以前と変わらない灯りのない誰もいない家かもしれない。
空になった弁当籠を抱える手に力が籠る。ロルフは、一度つばを飲み込み、意を決して角を曲がった。
映ったのは、あたたかな灯りが洩れる窓。かすかにラジオの音が聴こえてくる。人のいる家だ。
ただ家に帰るだけだというのに、緊張してしまったロルフはほっと胸を撫で下ろす。
ドアの前に立ち、ノッカーを鳴らすべきか少し悩んで、自分の家だと思ってやめた。ドアノブに手をかけ、開ける。
「ロルフ、おかえりなさい」
「……ただいま」
食事の用意が間に合った、と嬉しそうに出迎えるアスタ。ロルフには奇跡のような光景だった。
現実か確かめたくて腕が動いたが、見返す彼女の瞳で思いとどまった。
代わりに、安堵の籠った長い溜め息が落ちる。
「夢じゃなかった……」
「ロルフったら、立ったまま寝るほど疲れたの??」
野営の際、立っても眠れると豪語していたことがあった。あれは自分を気遣っての冗談だとばかり、アスタは思っていたのだが、彼はそこまで初日の勤務で気を張っていたのだろうか。
ロルフの溜め息を疲労のためと誤解したアスタは、先に湯船を用意するべきだったかと彼に訊ねるのだった。