02.
「だって、私もう嫁き遅れてしまっているのよ? 遅すぎるぐらいだわ」
聖女は清純な乙女であれ、とされる。彼女が処女であることは、穢れがないよう護る彼女の護衛騎士を務めたロルフ自身がよく知っている。そんな清らかさの象徴だった彼女から、任期があけた途端きく言葉がこれとは。
女性は十代後半が結婚適齢期とされるこの国で、二十となるアスタは適齢期をすぎている。子孫繁栄を励行する宗教思想のため、子を産む際の身体への負担が考慮されている。アスタ自身、家族をもつことへ憧れがあるので、行動はなるべく早くおこしたいのだ。
彼女にとって深刻な問題であるのは解るものの、ロルフは頭を抱えた。
「王太子殿下との縁組も薦められていたと聞きましたけど」
「やだ。ヨキアム殿下はイェシカの方が歳が近いじゃない。殿下もこんなおばさんが相手じゃ可哀そうだわ」
アスタは、王太子の相手に当代聖女のイェシカの名をあげる。王太子であるヨキアムは十五、イェシカは十四。縁深い王族が、引退後の身受け先になりやすいが王太子である第一王子の年齢を考えると、イェシカの身受け先にする方が適切といえよう。
「けど、他にも貴族の方々からも声がかかっていたはずですよね?」
身の回りの世話をされることに慣れ、傅かれることに慣れた聖女が、平民の生活を望むことはまずない。国は、聖女から生活能力を奪った保障として引退後の嫁ぎ先の斡旋をしてくれる。歳の近い王族がいるとは限らないので、諸侯貴族からも候補はあがる。聖女を務めた女性を迎え入れるのは、神の祝福を受けると同義なのでどの家も喜んで名乗りでる。
そういった候補がいた事実をロルフが指摘すると、アスタはむうと剥れた。
「せっかく聖女を引退したのに、また傅かれるなんて嫌だわ」
どうやら彼女は、平民の生活を望む珍しい方だったようだ。
アスタの聖女時代、ロルフは彼女の護衛騎士をしていた。だから、知っている。彼女が羨ましげな眼差しをするとき、その先にどんな光景があったか。
当時のやるせなさをロルフは拳に握り込んで、隠した。そして、努めて明るい声をだす。
「それは失礼しました。自分は応援しますよ」
「本当!? よかったわ」
彼女の望みが一日でも早く叶うよう激励をおくると、彼女は喜んだ。しかし、よかったとは。彼女の反応に、ロルフは首を傾げる。
「じゃあ、ロルフのところで花嫁修業させてくれる?」
疑問形ではあったが、それはお願いだった。頼まれた内容に、ロルフは固まる。彼女は今なんといった?
応援する、と言質を取られてからの依頼だ。否と返しづらい。断りの文句を封殺されたロルフは、弱った。なぜ彼女は、男の自分を花嫁修業先に選んだのか。
「……俺、一人暮らしだっていいましたよね?」
ともかく状況を解っているのか確認をする。
「ええ。だから、炊事洗濯や掃除が一通りはできるでしょ。それに、男性目線でお嫁にしたいかって大事だと思うの」
どうやら自活能力を買われたらしい。また、彼女が異性からの意見を求めることができる唯一の相手が自分ということか。
ロルフはこれまでの護衛業で培った信頼に唸った。主従関係が立ち消えた今、こないでほしい。
彼女の伝手で頼る相手が限られているとはいえ、何も自分を選ばなくても。ロルフは内心、そんな非難めいたことを思ってしまう。
「あ。もしかして、私が知らないだけで恋人や結婚を約束した女性がいたり……」
それなら悪いとアスタが言いかけると、すかさず否定が返った。
「いません!」
「なら、問題ないわね」
にっこりと微笑むアスタを前に、問題大ありだと主張したいロルフはぐっと口を真一文字に結んだ。寄せられた全幅の信頼からくる微笑みを崩したくないと思ってしまった。
それでも黙り込んだロルフから、頷きがたい空気を感じたアスタは不安げに瞳を揺らした。
「お願い。ロルフしか頼れる人がいないの……だめ?」
潤んだ瞳で見上げられ、ロルフは葛藤する。未婚の男女が共同生活を送る、という点が懸念でしかないというのに、長年見守ってきた彼女を見捨てる選択肢が持てずにいる。
葛藤したまま頷かない彼に、アスタはさすがに諦観しはじめた。
「ごめんなさい、無理を言ったわね。お茶、美味しかったわ」
カタン、と席を立ち、アスタは荷物を背負い直す。そして、ロルフへ背を向ける。去ろうとするその背に、ロルフは慌てて声をかける。
「これから、どうするつもりですか……!?」
「出会った誰かに頼ってみるわ」
一人ではすぐに生きていけないことは、アスタも自覚している。だから、当面は誰かに頼るしかできないだろう。
行きすがりの相手に、と耳にして、ロルフはガタンと立ち上がり。彼女の手首を掴んだ。きょとり、と振り返るアスタのまっすぐな視線に耐えられず、ロルフは俯く。しかし、それでも掴んだ手は離さない。護られていた彼女は知らないだろうが、世の中は親切な人間ばかりではない。寄る辺のない彼女の足元をみて、頼った相手が無体を強いる可能性だってあるのだ。
「~~っい、一年までですよ」
ロルフは、俯いたままどうにか妥協案を絞り出した。
一年、四季が巡りきれば季節ごとの過ごし方が学べるだろう。最長一年の期限付きなら、とアスタが自活能力を身に着けるのを手助けすると譲歩した。
彼の言葉を反芻し、理解したアスタの表情はみるみる輝いてゆく。
「本当!?」
「今のあなたは、放り出すには危なっかしいですからね」
これからは自衛意識ももってもらわなければ、とロルフは教える課題のひとつに気付く。
渋々ならがらも、花嫁修業先に受け入れてもらえることになり、アスタは大喜びだ。ロルフからすれば、課題が山積みで頭が痛い。何から手を付けるか、とロルフが思案していると、アスタがすすす、と近付いて見上げてきた。
「なんですか? アスタ様」
「それっ」
見返して首を傾げると、ぴっと人差し指をたてて訂正を求められた。
「一緒に住むんだから、直して」
呼称や言葉遣いを対等に、という彼女の要求はまっとうなものだ。歳上の自分が彼女を敬う態度をとり続ければ、一体どういう関係かと不審がられてしまう。また彼女の立場を誤解して、やましい者に狙われる要因になりかねない。
彼女を普通の女性として扱うことに、むずがゆさを感じながらもロルフは従った。
「ア……、アスタ、さん……、これで勘弁してくれ」
「いいわ」
たどたどしい訂正に、アスタは及第点をだしたのだった。
「これからよろしくね。ロルフ」
こうして引退した聖女は、元護衛騎士のもとで花嫁修業をすることになった。