19.
アスタの夢を知っているから、ロルフは自身の想いを隠すことにした。そのはずだった。
昼下がりの陽光が窓から差し込み、窓際のソファにいるとあたたかい。アスタの部屋の大きなソファは、陽当たりがよく過ごしやすいので、きたときのままの位置だ。
陽射しのぬくもりと腹部までかけたひざ掛け、それに包まれた熱が心地よく、アスタはうとうとと眠気が深まるのを感じる。
「ロルフ、あったかい……」
それはそうだろう、とロルフは内心思う。すり、とすり寄られて彼はびくりと緊張を走らせる。あたたかいどころか、ロルフはむしろ熱い。
「筋肉があるからな」
筋肉量に比例する体温差ということで、アスタには誤魔化す。
なったと報告され、彼女は宣言通り甘えてきた。彼女の本気をなめていた。ロルフは、手加減してもらうように頼めばよかったと後悔する。
聖女は聖力を宿しているため、基本病気とは無縁の健康優良者だ。だから、アスタの月経の症状も軽い。動くとときどき下腹部が痛むことはあるが、痛みの程度もささやかなもので耐えられないほどではない。どちらかというと、身体が回復しようとするためか、気だるくなり眠気が増す。さすがに出血量までは減らすことはできないため、体温が下がりやすくなるから余計だ。
だから、今のアスタは人肌恋しい幼子同然だった。ソファに横になる彼女を、ロルフは抱きかかえて支えている。落下防止と熱源確保のためだ。ロルフとしては、腕を回すのも避けたい心境なのだが、彼女に寒いといわれれば従うしかない。
昼食後、アスタから両腕を伸ばしてだっこ、と乞われたとき、ロルフは固まった。気だるさの極致だったアスタは、抱きかかえて自室まで運んでほしかったのだ。文字通り彼のお言葉に甘えることにし、アスタは開き直り素直になることにした。そして、運搬後一人で昼寝すると寒いからと付き添いを頼み、現在に至る。
彼に抱いてもらうことなど、この機会を逃すとない。アスタは存分に彼の逞しい身体を堪能することにする。おそるおそる背中に回された腕も、とてもあたたかい。このまま眠るのがもったいないと思いつつも、徐々に瞼は重くなってくる。
ロルフからすれば拷問である。弱った幼子同然といっても、アスタは成人女性なのだ。密着するやわらかな感触や至近距離の花の顔、同じ石鹸を使っているはずなのに彼女から香ると甘く鼻腔をくすぐるのも、すべてが心臓に悪い。彼女に聴こえる鼓動はさぞ騒がしいことだろう。
こんなに密着していれば、隠せるものも隠せない。
想いを隠そうと決めた矢先に、生殺しがすぎる。
「……アスタさん?」
呼びかけてみても応答がないので、様子を窺うとすぅと安らかな寝息をたてて、アスタは眠っていた。ロルフにしっかり抱き着いたまま。
ロルフは、手で両目を覆って、天井に仰向く。どうしてこうも自分に対して危機感がないのか。
体重を預けられたロルフは身動きがとれない。重みは心地よく、軽い。けれど、彼女を起こしてしまうのが忍びなかった。
他にすることがないので、ロルフは彼女の寝顔を眺める。神事の際の祝詞でも唱えて雑念を払えればいいが、長年護衛騎士を務めた彼には、祝詞はすべてアスタの声で脳内再生されてしまう。むしろ、雑念まみれになってしまうのだ。
彼女の顔立ちは、綺麗か可愛いかでいえば綺麗に属するのだろう。けれど、安堵に満ちた寝顔は愛らしい。
聖女を引退してから愛らしさが増したように思う。ロルフの欲目もあるのかもしれないが、それでも聖女を務めていたときの彼女は凛とした振る舞いだった。教会・国・民から求められる聖女像を立派に演じていた。自分と二人のときはくだけた一面もみせたが、周囲の眼があるときは気を緩めなかった。
今の彼女の行動は子どもっぽいと感じるが、幼い頃から聖女教育を受けていたから、幼少はむしろこのようなことができなかったのだろう。
そういった事情がある以上、存分に甘えさせたいと思いはする。ただ、自分の身が持たないのだ。いつ理性の糸が切れないか、不安でしかない。
落ちないよう片腕で支えながら、もう一方の手で彼女の頭を撫でる。すると、心地よさそうに微笑み、すり、と頬擦りをされた。胸元の感触に、ロルフは硬直する。
眠る彼女の行動は無意識だといい聞かせ、一旦手を離す。
それから、勿忘草色の長い髪を掬い上げる。想像していた通りさらさらとしていて、簡単に指をすり抜けていく。この髪に触れて、感触を確かめたかった。そう思ってから何年経ったことだろう。
まさか、こんな叶い方をするとは。
すり抜けてゆく髪を掴んで、ロルフはその一房に口付けを落とす。髪にならきっと気付かれない。
彼女の危うさを心配しながらも、腕の中の幸福を自分から離すことができずにいる。矛盾ばかりの日々だ。
想いの丈は声にならず、吐息として彼女の髪に降るばかりだった。
張ったばかりのメッキが剝がれてゆくのを感じながら、ロルフは腕の中の幸福を大事に抱えた。