15.
翌日、天気がよかったのでアスタは朝から洗濯に精を出した。
物干しに洗った服たちを干しきると、達成感もあってそれらが風に揺れる様は壮観である。この陽気なら、昼過ぎには取り込めるかもしれない。ロルフは昼食の下ごしらえをしていた。いつもより台所に立つ時間が早いようにアスタは感じたが、何かしている方が落ち着くといっていた。
干し終えてアスタが家の中に戻ると、玄関からノッカーの音がした。野菜を切っていたロルフが包丁を持つ手を止めたが、アスタが代わりにでるので作業を中断しなくていい旨を伝える。
「はーい、どなた?」
お隣さんのどちらかだろうと算段をつけて、アスタは玄関のドアを開ける。ロルフが一人暮らしの頃から、両隣の八百屋とパン屋の夫婦は何かと気にかけてくれている。男の一人暮らしでちゃんと食生活を送っているのか、という心配から、今はアスタの花嫁修業の応援へと気のかけ方は変わっている。
だが、玄関先に姿を現したのは、想定した相手ではなくアスタには懐かしい相手だった。
「イェシカ」
当代聖女のイェシカが、護衛騎士をつれていた。昨日といい訪ねてくると思わなかった相手がよくくるものだ。彼女は、アスタの姿を認めるとその大きな瞳に涙を溜めた。
「……アスタ先輩、昨日殿下きた?」
「え、ええ。様子を見にきてくださったわ」
彼女の来訪と様子に困惑しながらも、アスタは肯く。予想が的中したイェシカは、溜めた涙を決壊させた。
「うわーん、やっぱり先輩の方がいいんだぁっ」
いきなり泣き出したイェシカに、アスタがびっくりして対応できずにいる間に、彼女の護衛騎士が冷静に対処する。
「聖女様、風聞が悪いので中に入りましょう」
いうが早いか、彼女を家の中に促して、玄関のドアを閉めた。あのまま玄関先で泣き喚いては、近所の人間に気付かれる。聖女の体裁を護った彼は、アスタに抱き縋って泣くイェシカと同じ歳とは思えないほど落ち着いている。
「とりあえず、昼飯は多めに作った方がよさそうだな」
下ごしらえがひと段落し、様子を確認したロルフはそう断じた。ちょうど数日おく予定でカレーを多めに作っていたところだ。多少消費が早くなるぐらいは問題ない。
できあがったカレーを、イェシカはえぐえぐと泣きながらも食べた。
「おいひぃ」
「聖女様、食べながら喋ってはダメだと教わったでしょう。話すのは食べ終わってから」
カレーを煮込んでいる間、アスタの胸を借りて泣いていたというのにまだ泣く体力があるのかとロルフは感心した。泣きながらもしっかり食べるあたりが彼女らしいと、アスタは苦笑する。
護衛騎士の忠告に、こくりと頷いて、以降イェシカは黙って食べる。彼はイェシカの白い聖女服が汚れないよう事前に前掛けをつけさせたりと、面倒見がいい。護衛騎士の彼はケネトといった。
「ケネト、どうしてこんな状態の聖女様をつれてきたんだ」
「こんな状態だから、先代聖女様のところにきたんです」
騎士として知己のロルフが疑問を呈すると、ケネトは冷静に返した。情緒不安定では業務に差し支えると判断し、ケネトは後日に回せる予定をずらして、イェシカがこの家に訪問できる時間を作ったのだ。
アスタも、妹のように可愛がっていた後輩のこんな様子をみれば放っておけない。すでに胸元がしっとりしていることも気にせず、イェシカに優しく微笑みかけた。
「イェシカ、どうしたの?」
優しく声かけされ、イェシカは咀嚼をしていた分をごくんと飲み込み、口を開く。
「昨日、ヨキアム殿下がお休みだって聞いたから、お茶に誘おうと思ったの。けど、出かけたって。それで、戻ってきた殿下がフラれたって言うから、先輩のところに行ったんだなって……」
合っているからこそ、アスタはどう返したものか答えあぐねた。ヨキアムの想いには気付かなかったが、イェシカの想いには気付いていた。なんせ、イェシカが聖女になるより前にヨキアムに引き合わせたのは、アスタだ。対等な立場が少ない二人で、歳が近い者同士で親しくなれればと思った。同世代ということで、二人は親しくなり、アスタは微笑ましく感じていた。
二人には姉のように慕われているとばかり思っていたのだが、昨日一方は違うことが判明した。知らなかったアスタは、これまでイェシカを応援していたのだ。しかしながら、アスタがヨキアムの告白を断ったばかりに、連鎖的にイェシカまで失恋確定してしまったらしい。
フった張本人であるアスタは、どういう対応をすればいいのか判らない。イェシカにも謝罪した方がいいのだろうか。妹のように可愛がっていた彼女が悲しんでいると、心が痛い。
「ということで、聖女様の愚痴に付き合っていただきたく参りました」
「私でいいのかしら?」
「はい。自分では気の利いたことが言えませんので」
ケネトの言い分から、彼がこと恋愛に関して門外漢であることが窺えた。しかし、元凶ともいえなくないアスタを慰め役に選ぶのはいかがなものか。
「話を聞いていただくだけで構いません。聖女様は聡明でいらっしゃるので、現時点では先代聖女様に及ばないことを承知されています」
ただ発散に付き合うだけでいいと断ずるあたり、ケネトはイェシカの性格を把握しているようだ。そして、聖女への称賛を惜しまないが、讃え方が若干イェシカに不憫である。失恋確定を念押ししないであげてほしい。励ましでなく追い討ちである。
次の護衛騎士を選定する折、ロルフも意見を求められた。その際、自身の経験を踏まえて、あえて信仰心の強い騎士を選出してはどうかと提言した。よもやこんな聖女至上主義が振り切っている者がいるとは思わなかったのだ。提案内容を誤ったかと、ロルフは反省した。