14.
取り急ぎ残りの買い物は後回しにして、ヨキアムを家の中へ通す。アスタはテーブルを挟んで彼と向き合う形で座り、ロルフはお茶を煎れ、最初に彼の前に置いた。
「どうぞ」
ゴン、と妙に重い音でカップが置かれる。
「ありがとう」
朗らかにヨキアムが礼をいって見上げると、そこにはむすりと不機嫌な顔があった。
「ずいぶん表情豊かになったものだな」
「そうですか?」
ヨキアムが知る護衛時代の彼は表情の固い男だった。王太子殿下に対して態度がいいといえないロルフを、アスタは危惧するが、ヨキアムは気にしていない旨を微笑みで伝えた。
「平民の暮らしには慣れた?」
「ええ。性に合っていたみたいです」
「なら、アスタの煎れたのが飲みたかったな」
「あ。まだ、お茶の煎れ方は覚えてなくて……、食事当番も任されて間もないもので」
習得前の技術だとアスタは苦笑する。ヨキアムの歳下らしい甘え方を白々しく感じて、ロルフは口にした茶が渋く感じた。
「じゃあ、夕方までいたらアスタの手料理が食べられるのかな?」
「陽が暮れてから帰っては危ないですよ。ご用件は?」
期待の眼差しにアスタが弱って答えあぐねていたら、先にロルフは語気強く断りを入れた。王族を危険にさらす行為はできないという騎士らしい言い分だが、ヨキアムには早く帰れといっているように聞こえた。
露骨な態度のロルフを可笑しく感じながら、ヨキアムは本題に入る。
「アスタに、理由を聞きたくて」
「理由、ですか?」
きょとり、とアスタは訊き返す。聖女を引退した自分にわざわざ確認する理由とは何か、彼女にはまったく心当たりがない。
「僕のお嫁さんになるのそんなに嫌?」
「や……、嫌とかではなくてですね」
ヨキアムが、引退後自分が嫁いでくる想定でいたと思わず、アスタは弱る。
「ほら、殿下からすれば、五歳も離れた私なんておばさんでしょう?」
ロルフの家に最初にきたときと同じ理由を、改めて口にする。しかし、ヨキアムから返ったのは朗らかな笑みだった。
「僕は歳の差は気にならないよ。むしろ、早くお嫁にきてくれて好都合だし」
アスタが考える同世代とというのも一理あるが、そうすると王族であるヨキアムの婚期が遅れる。男性は三十までに婚姻すれば一般的といえるが、世継ぎが求められる王族にとっては二十歳までに婚姻できた方が有利である。ヨキアムのいう、当代聖女のイェシカが二十歳になるのを待つよりよいというのも一理あるものだった。
「でも、やっぱりイェシカの方が……」
「僕はアスタがいいな」
にっこりと年相応の愛らしい笑みだというのに、アスタは圧を感じた。聖女は礼節など貴族としての教養も高く育てられ、民のために行動する仕事だ。王族にとっては公爵令嬢と同等、いや国民の支持がある点も含めるとそれ以上の価値がある。だから、年齢以外で断る理由がほとんどないに等しい。
ヨキアムは王太子らしく少年らしい面を残しながらも賢く、容姿も整っている。今でさえ美少年なのだから、成長すれば素晴らしい青年になることだろう。普通の女性なら、そんな彼に言い寄られて喜ぶ。しかし、アスタはただただ困っていた。
体面的な理由では彼が納得しないと悟り、アスタは覚悟を決める。隣に座る異様に仏頂面なロルフにひとつ頼みをした。
「……ロルフ、殿下と二人にしてくれないかしら」
「そんなことできる訳」
「お願い。少しでいいの」
許容できかねるというロルフの姿勢に、アスタはまっすぐな眼差しで懇願する。
しばらく視線が交わるだけの時間が流れ、ロルフの方が根負けした。ガタリ、と席を立つ。
「洗濯物、取り込んでくる」
「ありがとう」
席を外す理由と制限時間を伝えるロルフに、アスタは感謝した。彼の足音が遠退いたのを確認して、ヨキアムへと向き合う。
アスタは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。殿下の気持ちにはお応えしかねます」
「本当の理由を教えてくれる?」
そのために二人になったのだと、ヨキアムも気付いていた。アスタは頭をあげ、彼を真っ向から見返して答えた。
「好きな人がいます。せめてその人に想いを伝えるまでは、誰にも嫁ぎたくないんです」
アスタにはひとつの夢とひとつの想いがある。それがどちらも叶えばいいが、花嫁修業中の身でそんな甘い考えは持ち合わせていなかった。まずは想いの結果をださなければ。夢に専念するのはそれからだ。
叶うと決まっていない恋心を大事にしすぎている様は、他人からみれば滑稽かもしれない。けれど、アスタにはどうしても譲れないものだった。
眼差しから覚悟が伝わったのか、ヨキアムは嘆息のような笑みを零した。
「そんなにロルフがいいの?」
名前もあげていないのに想い人を当てられ、アスタはぼっと赤面する。ヨキアムも伊達に彼女を想っていないのだ。彼女をみていれば気付きもする。
「……はい」
頬を熱くしながら、それでもアスタは肯いた。
「僕じゃダメ?」
「殿下がダメなんじゃなく、私がロルフじゃないとダメなんですよ」
どうか卑下しないようにとアスタが微笑むと、ヨキアムは肩を竦めた。彼には、自分相手でも態度が露骨にでる年甲斐もない男の魅力は解らない。だが、彼女がそういうなら諦めるしかないのだろう。
「馬車を待たせてるし、そろそろ帰るよ」
この家から少し離れた場所に馬車を置き、護衛もそこに控えさせている。お忍びだろうと、完全に一人になることは王族のヨキアムにはできない話だった。
「では、お見送りを」
「いいよ。でも……」
見送りを断ったヨキアムは、視界の端に洗濯籠を抱えたロルフを認め、アスタの手を引く。そして、彼にみえるように別れの挨拶を彼女の頬にした。
「なっ!?」
「気が変わったらいつでも言ってね」
ひらりと手を振ってヨキアムが去るのと、ロルフが洗濯籠を取り落とすのは同時だった。一陣の風が吹いたかのような出来事に、アスタは呆気にとられる。
別れ際の茶化した態度はこちらが気負わないようにかもしれない。憎めない相手だとアスタが感じている一方で、憎々しげな呟きが洩れる。
「っち、マセガキが……」
「ロルフは、ヨキアム殿下と仲が悪かったのね」
去った後とはいえ悪態を隠さない彼が、アスタは意外だった。聖女の頃を思い返しても、ヨキアム含め王族の前でロルフは物静かで最低限しか喋ることがなかった。
「いい訳ないだろ。あのガキ、アスタさんを……」
「私? 何もされてないけど」
不満しかない人物だと主張しようとして、ロルフはいい止める。彼女の名前を呼ぶことが気に入らないなんて、口が裂けてもいえない。今日だって、何度彼女を呼び捨てにしたと思っている。それに、歳下の立場を利用してこれまでも気安く彼女に触れていたのだ。アスタは何もされていないというが、自分が怒りで表情を消した回数がどれだけあったことか。
洗濯したてのハンカチをロルフは差し出す。
「とりあえず、早く拭け」
なぜか怒りながらハンカチを渡され、アスタはどこを、と首を傾げる。
「もういい、貸せ。汚れただろ」
痺れを切らしたロルフに、頬を拭われ、先ほどの挨拶のことだとアスタはようやく気付く。
「ただの挨拶じゃない」
「いいや、あのマセガキは分かってやってる」
一瞬触れただけだというのに、丹念にハンカチで拭われて、アスタは解せない。なので、拭くことに専念しているロルフの頬に同様の挨拶をしてみせた。
ちゅ、と頬に触れた感触にロルフは硬直する。
「ほら、大したことないで……」
ただの挨拶だと証明するためにしたというのに、アスタは自身の頬がどんどん熱くなっていくのを感じた。ヨキアムにされたときは何も感じなかったのに、好きな人相手だと異様に気恥ずかしい。大したことがないと断言できなくなってしまった。
「あ。えと……、ロルフも、ハンカチ使う……?」
とりあえず、拭うか訊ねてみる。
「……いや、挨拶なんだろ」
「うん。そうね」
挨拶のつもりだったか訊ねられれば、アスタは肯くしかない。そのつもりのはずだったのだ。
二人が買い残しのパンを思い出すまで、しばらくかかった。