婚約破棄された令嬢が「私は、お飾り妻ですよね?」と言ったら、恐ろしい笑顔の新しい婚約者に100キロの純金ドレスをプレゼントされてしまいました 【コミカライズ進行中】
「婚約をした」
ロドヴィークの言葉に、一斉に友人たちがざわめいた。
「ロドヴィーク……」
「そんなにも追いつめられていたのか……」
「よかったら名医を紹介するぞ」
憐情にかげった顔をした友人たちが優しくロドヴィークの肩を叩く。
「は? 医者、何故?」
「「「周囲から結婚を強要されて、とうとうノイローゼになって妄想で婚約者を錬成してしまったのだろう?」」」
同情をたっぷり乗せた友人たちの言葉に、ロドヴィークはこめかみにビシリッと青筋を立てた。
「彼女は、生きた人間だ!」
「大丈夫だ、俺たちはわかっているから。ロドヴィークが伯父のヒュース公爵や父親のアンドロス公爵に毎日のように結婚を連呼されて、辟易していることを」
「ロドヴィークは、金も地位も美貌もあるから幼少時代から女に群がられて苦労してきたからなぁ。ほら、つきまとい女が数十件に媚薬女が十数件、この前は勘違い女の一方的無理心中まで。常々俺たちは、ロドヴィークの鉄壁の女性嫌いは当然のことだと思っているんだよ」
「なのに伯父や父親や周囲から、結婚結婚結婚結婚結婚と雨あられの如く催促されて。血の継承は貴族の義務だから仕方がないとは言え、ノイローゼになる気持ちも理解できるんだよ」
わかっているよわかっている、と友人たちの憐憫の眼差しを向けられて、ロドヴィークは憤激の色を漲らせて言った。
「彼女の名前は、ナディア子爵家のコリーヌ嬢。小さくて可愛らしくて愛らしい、黒茶色の髪に丸い小さな黒い瞳、色黒なところも昔飼っていたポンタそっくりな可愛い可愛い令嬢だ」
「えっ!? 本物の女の子? 信じられない、女性とダンスさえ踊らないロドヴィークが。でもポンタって女の子に対して酷くない?」
「酷い、酷い。ポンタは狸だっただろう? いくらロドヴィークにとってポンタは最高値で女性は最低点の位置付けでも、狸に似ているって言われて嬉しがる令嬢はいないぞ。それに小さな瞳に色黒って、令嬢を誉める言葉ではない」
「いや、ポンタは確か犬だった。どうやら妄想の錬成ではなさそうだが、ロドヴィークが本当に女性と……。明日は雷鳴が轟くのではないか?」
「何気に君たちの方が酷いことを言っていると思うのだが?」
「「「だって完全無欠の女性嫌いのロドヴィークだし」」」
と友人たちに声をそろえられロドヴィークが立腹したのが、昨日のこと。
そして今日は。
ロドヴィークは、婚約者であるコリーヌの屋敷に結婚式の相談をするために訪問をしていた。婚約して10日、半年後には結婚。貴族としては異例の早さであるが、伯父と父親が舞い上がってしまい母親や親族も加わってお祭りのようになってしまっていたのだ。
「嫁じゃ! 逃がすな! 逃がしてなるものか!」
とロドヴィークが釣りあげた嫁(予定)に大フィーバー。伯父も父親も母親も親族も、豪華絢爛な結婚式(予定)が繰り返し脳内再生されて、毎日コリーヌちゃん! コリーヌちゃん! と狂喜乱舞していた。
そもそもロドヴィークとコリーヌの出会いは10日前の王宮の夜会であった。
夜会会場の片隅でコリーヌは婚約の破棄を宣言されていた。
婚約者は片手で金髪の美しい令嬢の腰を抱き、残る片手をコリーヌに突きつけて、
「地味で不細工なおまえとの婚約は、俺にとって恥以外なにものでもなかった! よっておまえとの婚約を破棄する! 俺はこの美しい彼女と真実の愛を貫くのだ!」
とクズ発言をしていたのだ。
たまたま近くにいたロドヴィークは、黒い小さな瞳に涙をためたコリーヌの姿に、ズバキューン!! と胸を撃ち抜かれてしまった。
コリーヌの潤んだ円らな黒い瞳が、亡き最愛のポンタそっくりだったのである。
ロドヴィークが5歳の時に、庭に迷い込んできた子犬。当時の愛読書の絵本からポンタと名付けて14年間、ともに過ごしたロドヴィークの親友。辛い時も寂しい時も楽しい時も嬉しい時も怒った時も、咲く花を見て、降る雨に触れて、吹く風を感じて、いっしょに身を寄せあい笑って泣いてともに成長した。
なのに、愛していると叫んでナイフを向けて襲いかかってきた女性からロドヴィークを庇って、ロドヴィークを守り抜き誇らしげな顔をして逝ってしまった。
黒茶色の毛もコリーヌと同じ色、黒い丸い瞳もコリーヌと同じ、ロドヴィークの最愛の黒っぽい毛玉の小さな犬。
視線を感じたかのようにコリーヌがロドヴィークの方へ顔を向けた。1秒。お互いの瞳を射た瞬間にロドヴィークの時間は止まり音が消えた。夜会の喧騒も優雅な音楽も全ての音が遮断されて、ロドヴィークはコリーヌの声だけを求めた。
ぽろり、と目尻に溜まっていたコリーヌの涙が頬を伝った次の瞬間には、ロドヴィークの足はコリーヌへと向かっていた。
「先ほどから聞くに耐えない暴言だが、恥と言うならばそれは君の方だろう。こんなにも可愛らしい令嬢に対して、いや、まず令嬢に対して容姿を貶す言葉など言うべきではない。君は貴族としての教育を受けてきたのか」
全ての貴族の情報を網羅している記憶庫の側近が、ロドヴィークにそっと耳打ちをする。
「なるほど。君は貴族ではなくいけ図々しい恥知らずだったのだな」
「な、なんだと! いきなり話に乱入してきて、おまえこそ礼儀を知らないのか!!」
「ハハハ、礼儀? 君が礼儀を知っているとは驚きだ。コリーヌ嬢の家の資産目当てに身分をかさに強引に婚約を捩じ込みながら、コリーヌ嬢を大事にもせず浮気のし放題。より条件の良い令嬢を見つけたら婚約の破棄。そうか、礼儀は知っていても、恥は知らないから厚顔無恥にも傲慢に振る舞えるのだな」
コリーヌは、突然の出来事にあんぐりと口を開けていたが、間近で見たロドヴィークの美貌にハッと我にかえった。
「もしかして、あの、その、アンドロス公爵家のロドヴィーク様ですか……?」
と、恐る恐る尋ねる。
下位貴族のコリーヌには、伯爵家の婚約者以外に上位貴族との面識はない。しかし、ロドヴィークの噂は社交界で広く認識をされていた。いわく岩のごとき女性嫌い。いわく煌めく金髪に黄金の双眸の神のごとき美貌。
「いかにも。わたしはロドヴィーク・ヒュース・アンドロスだ。アンドロス公爵家の嫡子にしてヒュース公爵家の後継者でもある」
「ひッ!」
悲鳴を洩らす婚約者とは対照的に、コリーヌはあわてて最上位の礼をとる。直接に会ったことはなくても、アンドロス公爵家の威光は有名であった。筆頭公爵家のヒュース公爵家と並び、国王ですら顔色を窺う権勢を所有する大貴族と。
「どうか顔を上げて、可愛いコリーヌ嬢。酷い目にあったね。コリーヌ嬢は、あの恥知らずな婚約者に未練はあるかい?」
首を目一杯に左右に振るコリーヌに、ロドヴィークは嬉しげに微笑んだ。
「そうか、よかった。では行こうか」
ロドヴィークは優しくコリーヌの手を取った。それから側近に、
「その恥知らずを連れてこい」
と命令をする。生まれた時から最高位の貴族であるロドヴィークは、権力の価値も使い方も熟知していた。
コリーヌはロドヴィークにエスコートされて手を振り払うこともできず、さりとてエスコートされる理由もわからず挙動不審な様子で小さな瞳を白黒させている。
令嬢としての許容範囲内でおろおろじたばたするコリーヌの姿が可愛くて、ロドヴィークはますますコリーヌに惹かれていった。
そして。
夜会会場の中央にいたアンドロス公爵夫妻の前までコリーヌを連れて行くと、
「父上、母上、わたしはナディア子爵家のコリーヌ嬢と結婚をします。さいわいコリーヌ嬢はたった今、あそこにいる伯爵家の令息と婚約の破棄をしました。なので今夜すぐにコリーヌ嬢と婚約を結びたいのですが?」
とロドヴィークは厳かに言った。
信じられない、という顔で誰もがロドヴィークを見た。周囲は伝説のメデューサの視線を浴びたかのように動かない。
硬直状態から、息を吹き返すみたいに最初に復活したのは父親のアンドロス公爵だった。視線で自分の側近に指示を出す。
アンドロス公爵の高ぶる気持ちは、まさに千載一遇、千年に一度の空前絶後の絶好の大チャンス、ロドヴィークの結婚に向けて障害など蹴散らしてくれる! であった。
すぐさまコリーヌの父親と婚約者の父親が、側近によって連行されるように姿をあらわした。そうして、その場でコリーヌの婚約破棄は成立し、ロドヴィークはコリーヌの新しい婚約者となったのだった。
一夜にしてコリーヌの婚約者は真っ青な顔色の元婚約者の立場になったのだが。同時に一夜にして元婚約者の愚行は貴族家の末端まで周知されて、公爵家に睨まれた元婚約者の伯爵家は沈みゆく船となってしまったのであった。
翌日からロドヴィークは、毎日コリーヌの屋敷に通った。
ポンタに似た容姿ゆえに一目惚れしたロドヴィークであったが、会えば会うほど日々コリーヌの微に入り細を穿つ気遣いの穏やかで優しい性格に魅了されてゆき、ぞっこんメロメロとなっていった。
しかしコリーヌは、ロドヴィークに愛を囁かれても本気にできなかった。美しいロドヴィークに対して自分の容貌に自信がなく、身分差もある。どうしても真に受けられない。不安で不安で仕方がなかった。
そんな時、流行りの小説を読んでコリーヌは閃いてしまった。
お飾り妻!
すなわち、周りから結婚を強く要求されたロドヴィークの苦肉の策のお飾り妻。あるいは、ロドヴィークが身分にふさわしい令嬢と結婚するまでのツナギ。
そう考えたコリーヌは、今日、言ってしまったのだ。
「私は、お飾り妻になればよいのですね」
と。
空気が凍りついた。
ロドヴィークの氷の視線に刺し貫かれて、コリーヌは自分の失敗を覚った。背筋が冷たくなる。全身の血が一気に下がり、頭は真っ白なのに目の前は真っ暗となった。
だが、ロドヴィークは笑った。恐ろしいほどに美しく。昨日は友人たちから妄想の錬成の婚約者と言われて、今日はその婚約者からお飾り妻になると言われて。ロドヴィークは、ブチリと何かが切れてしまっていた。
「可愛いコリーヌ、それが貴女の望みならば叶えましょう」
それからロドヴィークは毎日訪問していたのが嘘のように、ぱったりとコリーヌの屋敷に訪ねて来なくなった。
コリーヌが自分の失言に青ざめ後悔に身を刻み萎れた花のようになった20日後、ロドヴィークが来訪した。馬車を連ねて多くの従者を引き連れて。
「可愛いコリーヌ、プレゼントだよ」
慎重に屋敷に運び込まれてきたものは、純金製のドレスであった。裾を飾る黄金のリボンひとつで約1キロ。総重量100キロのドレスだった。
黄金なので布製のドレスのような着方はできない。蝶番で連結させたりベルトを使ったりして、たとえるならばプレートアーマーがドレスになったようなものだ。
ドレスの裾部分が床に接するようになっているので重さに潰されることはないが、華奢なコリーヌでは一歩も動くことはできないのは確実であった。
ピンでとめられた蝶々のように、黄金のドレスを着て歩くこともできない自分を想像してコリーヌは、喉が締め付けられているみたいに呼吸が苦しくなった。
「お飾り妻になりたい、と言っただろう? フフフ、ぴかぴかに飾ってあげるからね」
「ロ、ロドヴィーク……様」
コリーヌの唇が雪のように白くなり、透けて、色が抜けていく。
「ロ、ロドヴィーク様、も、申し訳ありません。私が浅はかでした……ッ!」
ロドヴィークは片眉を上げた。
「フフフ、どうして謝るのかな? わたしはコリーヌを愛しているから、コリーヌの願いを叶えたいだけだよ。いいとも。お飾り妻になりたいのならば、わたしが飾ってあげるよ」
「ロドヴィーク様、私は……っ!」
「お飾り妻になりたいのだろう? いいとも、僕の愛がわかるまで、わからせてあげるよ、僕の愛が信じられないのならば信じられるまで。ちなみにウェディングドレスはトレーンが長いから500キロだよ」
500キロ。呪いの呪文のようにロドヴィークの低い声音がコリーヌの耳の奥で響く。
暑くもないのにコリーヌの額から汗が滴となって流れた。
ロドヴィークの金色の眼がスゥと細まる。静かな睥睨にコリーヌは全面降伏してロドヴィークにすがりついた。
「私が愚かでした! お許し下さいませっ!」
「わたしはコリーヌを愛している」
「はい! 信じます!」
「コリーヌが出会ったばかりのわたしを愛するのは難しいから、コリーヌからの愛は追々でかまわないよ。政略結婚とでも思って、気長でいいからね」
「はい! ありがとうございます!」
「わたしはコリーヌを幸福にしたいし、コリーヌもわたしを幸福にしてくれたら嬉しい。二人で幸福になろうね」
「はい! ロドヴィーク様!」
ロドヴィークが優しくコリーヌを抱きしめる。
指先が、愛しい、と語るように慈しみを込めてコリーヌの髪を肩を背中を撫でた。
しかし、コリーヌの死角でニンマリとロドヴィークの口角が上がっていたことを、黄金のドレスを運んできた従者たちもナディア子爵家の使用人たちも全員が必死で見なかったふりをしたのであった。
そして結婚式の日。
早朝に雨が降り、鮮やかな虹が空にかかった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色の虹が薄れゆき、青が一番最後まで残り、そのまま深く澄みきった青色だけの空となった。
そんな晴れやかな青空の下、コリーヌは黄金ではなく絹の純白のドレスに感激をしてポロポロと涙を溢した。
しかし。
一見白にしか見えないウェディングドレスは、銀糸で奥行きのある精緻な刺繍が繊細に施され、光の加減で立体的な紋様が浮かび上がる豪華なものだった。
靴は希少な宝石が贅沢にあしらわれており、ベールにはダイヤモンドが煌めいていた。
そして、光の結晶のようなティアラにイヤリングにネックレスに指輪。
それらが500キロの金塊(およそ40億)よりも遥かに高価(総額100億)であることを、コリーヌは知らなかった。
そういう迂闊なところもしみじみ可愛いと思うロドヴィークだったが、同時に、狡猾な社交界で計算高くない温和なコリーヌが傷つかぬように全力で敵を殲滅しようと決意するロドヴィーク、プラス、ヒュース公爵夫妻とアンドロス公爵夫妻と親族一同であった。
系図
兄 弟
ヒュース公爵 アンドロス公爵
(アンドロス家に婿養子)
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ロドヴィーク
(息子)
ヒュース公爵夫妻には子どもが生まれなかったため、弟の息子であるロドヴィークが血統的にアンドロス公爵家とヒュース公爵の後継者に。
コリーヌが結婚後、双子の男子を出産。アンドロス公爵とヒュース公爵は狂喜乱舞してそれぞれの家の後継者誕生を大喜びした。
読んで下さりありがとうございました。