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夢と朝日と夕闇に  作者: 海田マヤ
第一章 朝陽という少年
7/19

少年の非日常 ③


此方ヶ丘駅には北口と南口があり、北口にはバス停やタクシー乗り場が並び、少し歩くと商店街がある。その先には森林公園と此方山があり、それまでの道にはいかにも田舎町といった団地と住宅街が続く。ちなみに僕らの学校もこちら側である。

 南口は多くの商業施設や飲食店が、整備された駅前の噴水広場を囲むように立ち並び、区役所や図書館等公共施設が多く、徒歩十分の距離にショッピングモールがあるので、午後は学校帰りの学生で溢れかえる。

 線路一つ跨ぐだけで、ここまで違う景色に見えるのかと思う程に異なる雰囲気のこの町だが、日が落ちると一転、町のそこら中に不良が屯する為、住民たちは外出を控える。

 僕等が選んだ集合場所は、北口のすぐ側にある某有名ファストフードのチェーン店だ。

 放課後はやはり学生が多く、既に若干ガラの悪い人間もちらほらと伺えたが、慣れた様子の人々は特に気にする事もなく、自然と風景に紛れていた。

 まあ、僕たちのグループにも茶色やら赤色やら金色やらやたらとカラフルな頭の人々がいるわけで、この店が一番落ち着いて話し合える適所だった。

一旦は解散したものの、すぐに集まった六人は、各自好きな品を購入し、それらを食べつつ喋り始める。

「さて、会議再開! でも、その前にさ」

 店の二階の奥の窓際、四人席と二人席の机を繋げて会議を始めた。ソファ席には青葉、黄栗、赤暮の順に座り、独立した椅子には夕理、真昼、そして僕が通路側に座る……筈だった。

「何で僕だけ、よりにもよってここなの」

「班長だから」

 そう、本来通路となるべき机の側面、所謂お誕生日席に、僕は一人で座らされていた。その順番は偶然か故意か、最後に商品を購入した僕が席に戻って来ると、すでに勢揃いしたメンバーが各席に座り、赤暮が余った僕の分の椅子を移動させていた。

 見事に全員を見渡せる位置で、それはつまり、逆に全員に見られる事にもなり、結果的に僕は側から見ると少し面白い光景を繰り広げている。

「まあまあ、きっとそこなら司会もしやすいよ」

 唯一味方だと思っていた良心、夕理でさえ、アイスココアを片手に微笑む。爆笑する赤暮と真昼に挟まれ、逃げ場のない事を悟る。

 諦めて自分のプレートに乗せたチーズバーガーに齧り付きながら、再度会議を開始した。

「希望の場所は、だいたい決まったんじゃないかな?」

「俺、交通手段調べます」

 アイスティー以外何も注文しなかった青葉は、口ではそう言いながらも既に手慣れた動作でスマホを弄っているので、これは事後報告と見なす。

「私はお店もうちょっと詳しく見てみるわ」

「あ、私も手伝います」

 可愛いクマ柄のメモ帳を手元に、夕理の持参したタブレットで調べ始める。

 彼女は一年生ながらも広報委員会の副委員長で、学校ホームページの作成や行事毎の写真撮影という重大任務を担っているらしい。タブレット端末はその情報整理の為に常に鞄に入れているのだとか。

 この三人は自主的に仕事をしてくれそうだが、問題は残りの人間達だ。

「じゃああたしは、何もできない不甲斐ない赤暮眺めてる」

「おい! なんかするわ。つーかそれ、お前も何もしないって事じゃねえか!」

 明らかに夕飯を食べる事が目的なメニューを盆に乗せてヘラリと笑った黄栗の提案を、赤暮が全力で阻止すべく立ち上がった。しかも勢い余ってコーラを少し零した。

 この赤頭は、この場が店内だということを完全に忘れて騒いでいる。黄栗なんか、状況も赤暮の性格も全て理解した上でやっているのだからタチが悪いというか、真昼曰くお茶目だとか。

「黄栗と赤暮は、僕とコースの確認しようか」

 それから暫く、各々が順調に作業を進めたように思えたが、突然に真昼がトントンと指で僕の肩を叩く。

「真昼? どうしたの?」

 賑やかな店内に紛れて、夕理たちも僕らのことは気にかけていない。

そんな中、僕を呼んだというのに背後を伺うようにして目線が合わない真昼は、神妙な顔つきで明らかに様子がおかしく、物凄く顔色が悪い。僕は本気で心配になったが、その後の一言で大体を察した。

「……いるわ」

 いつもの大声は何処へやら、緊張感漂う僕にだけ聞こえる小さな声で真昼は言った。

「どこ?」

「分からないけれど、なにか、多分、後ろの方から視線を感じるのよ」

 小声で話しながら、真昼の後ろ側の席の幾つかに目を凝らして見たところ、言われてみれば確かに視線のようなものを感じる気がした。

 思い切って、僕が店内を周って怪しい人物を探してきてしまおうかと逡巡していると、唐突に「あ、シャー芯なくなった。」と、黄栗が言った。

 見ると、右手にはキャラクター柄の橙色のシャープペンシルを持っていて、何度カチカチと押しても短くなりすぎたそれはうまく固定されず、彼女がそれを机に放ると、重力に逆らう事なく机の上に転がりやがて止まった。

「俺の使うか?」

 隣の青葉が、自身の飾り気のない筆箱から一本のシャープペンシルを取り、持ち手側を黄栗に差し出した。ほぼ新品のそれは、男女問わず使用出来そうなシンプルなデザインで、どこかの塾だか予備校だかの名前が刻まれていた。 

 何処か既視感があったのは、同じ物が我が家のポストにも投函されていたからだろう。

 黄栗はそれを受け取らずに首を振った。

「ううん、丁度ストックもなかったから、ちょっと外のコンビニに行ってくる」

「あ、俺も行く。欲しい漫画雑誌今日発売だったわ」

 鞄を持って立ち上がった黄栗に便乗して、赤暮は通学用のリュックサックから財布だけを取り出してに席を立った。

「じゃあ、ちょっと席外すね」

 先ほども述べた通り、僕の席は通路に位置しているので、邪魔にならないように椅子をずらして道を作り、「いってらー」と軽い調子で二人を見送った。

 黄栗は食べ終わった自分のプレートを持って、近くのコーナーで処理して行った。まだ帰るわけでもないのに、意外と几帳面だなと考えつつ、ソファー席に残された青葉が複雑そうな物憂げな顔で溜息をついたのが、視界の隅で引っかかった。

「朝陽、どうしましょう」

 不安気に袖を引っ張って来た真昼に、僕はハッとして、自分が二人に気を取られていたことに気づきしまったと思った。しかし、二人が席を立ったおかげで、良い案を思いついた。

「誘き出そう。真昼ちょっと来て」

 そう、黄栗たちのように席を立って外に出れば、ストーカー野郎(仮)は自ずと真昼を追ってくるはずだ。得体の知れない存在に見られていると思うから恐怖心が加速するのであって、正体を目視できればある程度冷静になれる。

危険性がありそうならば、人通りの多い道を通ってそのまま交番に駆け込んでしまおう。

 誘き出すの一言だけでは説明不足かも知れないが、詳しく話す暇はないので、アイコンタクトで真昼に伝えようと腕を引いた。

「ごめんなさい! 私たちもちょっと行ってくるわね」

 しかし、流石の腐れ縁、意思が伝わったのか同じ考えだったのかは分からないが、引いた腕を逆に引っ張られてしまった。

 食べ終えてからで良いと付け足そうとしたが、真昼の席に残された盆には、大量にあったはずのポテトもミニパンケーキもサラダも、ひとかけらとして残ってはいなかった。

「え? あ、うん。行ってらっしゃい?」

 戸惑う夕理を見て見ぬ振りして、僕らは急いでその場を後にした。


******


店内に取り残された少年は、本日何度目かも分からぬ溜息を吐く。

「はあ」

 今、悩める少年青葉の頭を占めるのは唯一、想い人の事だけだ。

「つ、続けようか?」

 青葉を気遣い、向かい側の席に座る夕理はタブレット端末を抱えたまま、椅子を少し引いた。

 少年は、再度溜息を吐く。

「いや、もう一旦休憩でいいでしょう」

「そうだね」

 少女は冷めきったアップルパイを口に運ぶ。

 少し間があり、アイスティーをちびちびと飲みながら、無心にスマホをいじり続ける青葉に夕理は頭を下げる。

「あの、ありがとう。班に入れてくれて」

「そういう『取引』でしたから。別に、いいです」

 素っ気なく、相手の目を見ることもせずに言い放った。

 そんな態度にも堪えず、夕理は小さいけれど明確な意思を含んだ声で言う。

「私は必ず、この旅行中に告白します」

 普段のおどおどとした挙動が嘘のように、何かを決意をした瞳だった。

「好きにしてください。俺には関係ないですし」

 夕理のそれは青葉に向けた言葉ではなく、ただ誰かに宣言しておきたかっただけなのかもしれない。

 内気な少女の重大な決意を前に、彼は尚態度を改める気は無い。また少し会話の隙間が伸びて、夕理はからかうでもなくごくごく真面目で真剣な表情で、簡潔に問いかけて来た。

「星野君は、告白しないんですか?」

「……関係ないです」

 少年は、殆ど表情を変えぬまま同じ言葉を繰り返し、スマホをスクロールする指を早めた。



******



大通りから少し外れた街路道の、人も疎らな住宅地を、僕等は全力で疾走していた。

 高い建物に囲まれた路地は、陽は落ちずとも暗く湿り気を帯びて、嫌な雰囲気を醸し出している。

 賑わう広場からほんの少し遠ざかっただけで、夜ならば絶対に避ける様な死角の多いこの道は、追ってくる者を炙り出すには格好のロケーションで、思っていたよりも身軽な動きで、ストーカー男が走り去って行く。

「待て! このストーカー野郎っ!」

 今、品など皆無な口調で乱暴に叫んだのは僕ではなく、僕よりも前を走る少女、普段はお上品な口調を貫く女の子、演劇部のマドンナ真昼ちゃんであると補足しておきたい。


数分前、ファストフード店を後にした僕等は、明らかに後ろをついてくる人影に感づき、早速交番へと向かおうとした。しかし、予想外の事態が起きたのはその後、普段は交番に駐在している筈のお巡りさんが留守だった事だ。

 『御用のある方は室内でお待ち下さい』そんな書き置きの札が戸に引っ掛けられていたが、今現在真後ろにストーカーがいる状況で、当然そんな悠長な事をして居る余裕はない。

 更に、僕等が交番に駆け寄った事で、ストーカー男は当然、僕等に出し抜かれそうになったという全ての状況を察しただろう。

 せめて真昼だけは逃がそうと、僕は辺りを見回した。

 そして、見つけてしまった。

 雑踏の中、慌ただしく動き続ける人々の背景に見え隠れする。犯罪者もどき故の後ろめたさなど無い、堂々とした振る舞いで、奴はゆっくりと近づいて来ていた。

 そいつは追い込まれた怒りをあらわにしたり、臆して逃げたりせずに、不気味な程ニッコリと笑っていた。

 奴は僕と目が合いその場に立ち止まったが、距離のせいかはっきりと顔は見えない。もしかしたら人違いかもしれない。

 確認しようにも、逃げようにも、僕の体はどちらの挙動も起こさなかった。

 正確には、動けなかった。瞬き一つでもしてしまえば、そいつは煙の様に消えてしまう気がして、僕とそいつは間に忙しない人混みを挟みながらも、真っ直ぐに向かい合って居るのが確かに分かった。

 僕の異変に気が付いた真昼が、僕の視線の先を見ると同時に叫んだ。

「朝陽、あいつ捕まえるわよ!」

「は? え、あ、う、うん」

 真昼の大声にハッとつられた僕は、走り出した真昼の後を追って駆け出した。まるで、白昼夢でも見ていたかのような気分だ。

 顔はあまり見えなかった。だが、僕は奴の気配を知っているような気がした。

 斜め後ろからちらりと見えた真昼の顔は正に鬼の形相で、僕はますます現状が理解できなくなった。

 もしかして、真昼は顔面蒼白の僕を見て、ストーカー男に何かされたのだと勘違いした?

 普段はプリプリと苛立っていることはあるが、基本的に温厚で優しい真昼の性格はよく知っている。だからこそ、自分が被害に遭うよりも家族や友人など、身近な存在に危害が加わることを嫌う。

 今、突然真昼が怒り出した事にきっかけがあるとすれば、それは僕だ。しかし、誤解を解いている暇もない。

僕等は全力で走る。

 よくよく考えてみれば、高校生の男女二人で得体の知れない犯罪者予備軍を捕まえる事など出来るはずがない。ただこの時は、何かに導かれるように、走らなければならない気がしていた。

大分長く走ってきて、終いには広場の外通りを一周し、住宅地の多い此方ヶ丘大坂の横道に入った。

しめた。と、僕は思った。

「真昼、あそこで挟み討ちにしよう。青葉の家の隣の路地から入って来て」

 この道は以前に、青葉の誕生日会を企画して、彼の家で一頻り騒いだ帰りに赤暮が、青葉の家に忘れ物を取りに行くと言って通った近道だ。

 確か、狭くて両側の塀が妙に高く、壁にはスプレーやチョークで尖ったセンスの落書きが施された一本道だった。

 悔しいが僕より足の速い真昼が青葉の家の方まで走って、僕がこのまま奴を追い込めば挟み撃ちにして捕まえることができる。

「わかったわ!」

「速過ぎだってば」

 真昼は制服のスカートが翻るのも気にせずに、更にスピードを上げて走って行った。

案の定狭苦しいその道の壁に、勢いで肩をぶつけそうになる。

 姿を見失ってはいるが、前にいるのは確実だと信じて、僕は早足で奴を追い込む。

少しだけ道が拓けた。その場には煙草やジュースの缶が転がっていて、不良の溜まり場になっていることは容易に想像できた。

「見つけた! おい、待てっ!」

 諦めたのか、道の先に背を向けてその場に立ち尽くしていたそいつは、僕が姿を観察する隙もなく、僕を壁に叩きつけた。

「は? がっ……は!?」

 後頭部すれすれの部分を思い切り壁にぶつけられて、一瞬意識が飛びそうになった。脳が揺れ、視界が霞んだが、すんでのところで持ち堪える。

 あまりに手慣れた素早い動きに、何が起こったのか分からず混乱したが、頭蓋骨が削れる様な強烈な痛みが僕に事態を自覚させた。

 胸倉を掴まれて引っ張られ、頭と背中を打ち付けられ、更に壁に背中を押し付けられている。足はほぼ空中に浮かんでいて、かろうじて爪先が自重を支えている。

 目の前の驚くほど近い位置から、低い声が聞こえた。

「君は、彼女の何?」

 狭い路地裏で、男の声は重く響いた。

 足がつま先しかつかない様な状態なのにも関わらず、彼は僕の顔面を掴んできて、頬骨をへし折られるかと思った。

 初めて聞いたそいつの声の第一印象は、ただ純粋に『怖い』の一択だった。知らない男だ。先程、なぜ知っている気配だと感じたのか不思議でならない。こんなに恐ろしいものに、これまで出会ったことなどない。

 見下ろされる高さの背や力強さから大人かと思いきや、そいつは僕等の学校の制服を見にまとっていた。

 この男、力が滅茶苦茶に強い。どちらの腕が利き腕かは知らないが、一見細く見える両腕も手首の先までが硬くて、まるで筋肉と骨の塊みたいだ。限界まで見開かれたその恐ろしく鋭い目付きは、それだけで人が殺せるのではなかろうかと本気で思った。

「ぐっ……」

 嘔吐くように呻いた僕の事を無視して、彼は喋る。

「いつもいつもいつもいつも、どうして彼女の隣にいるのかな?」

 心の底からの憎悪が放つ言葉の一文字一文字に蓄積され、冷え切ったその声が僕の手足を強張らせる。恐怖で涙が出そうで、当たり前だが声なんて出るわけがなかった。人が通りかかることもなく、逃げ場もない場所で、怪物と対峙している。絶望的な状況下で、それでもひとこと言ってやりたいという確固たる意志が僕を奮い立たせた。

「僕の、俺の大事な幼馴染に何かしたら、絶対に許さないからな!」

 情けなく震えていた僕の声を聞いても、そいつは顔色一つ変えなかった。それが尚更、僕個人には微塵も興味や情が無い事を明らかにして、とても恐ろしく感じた。

「朝陽っ!」

 耳を劈く様な切羽詰った大きな声が聞こえた。直後に、何か重いものが男にぶつかる音がした。

「う」

 そして何か硬いものが地面に落ちたような、ドサッという物音がした。全く、助けに来てくれたのは本気で有難いが、真昼は味方の鼓膜まで殺る気なのか。

 ほんの少し声が出た程度だった男だが、彼女の姿を目視した動揺からか、僕の胸倉を握り締めていた左手に力が篭った。一層苦しくなったが、奴は呆気なく手を離した。

「かはっ、げほげほ……おえっ」

 解放された僕のもとに、すぐさま真昼が駆け寄って来る。そして僕を庇うようにしてストーカー男に向き直り、果敢に睨みつける。

「大丈夫? 私の大切な幼馴染に何してるのよ! このストーカー野郎!」

 先程、我ながら恥ずかしい台詞を口走った自覚があったのだが、似通った台詞を恥ずかし気もなく叫ぶ真昼の剣幕に、羞恥なんてものは霧散していった。

 しゃがみ込んだ僕の目の前に転がっていたのは真昼のスクールバッグで、今の音は彼女が重い教材の沢山入ったそれをストーカー男の頭に投げつけてきた音だと理解した。

 僕の可愛い幼馴染は、僕の数倍逞しいです。




僕を拘束していた手を離した後、真昼の方を向いた彼の顔を見て、僕は正直に言って目を疑った。

 それはまさに、恋をしている人間の顔だった。

 恋、なんて可愛らしい言葉で表すのは可笑しいように感じるが、それは確かに恋する乙女のような、希望と愛着に満ちた笑顔だった。

「あぁ、ふふふ、真昼、まひる」

 頬を赤らめて、つい先程までの迫力が嘘のようにだらし無く潤んだ瞳と下がる秀麗な眉、声色も飼い猫にゴマをするように甘く、手は心なしか震えているようにも見える。寒気を覚える程の豹変ぶりに動揺を隠せない。完全なる別人だ。これは、二重人格を疑っても仕方がないレベルだろう。

 目の前にいる少女を、この世の何よりも愛していると全身が雄弁に伝えている。第三者である僕が見ても伝わってくる。隠さずに言うと、死ぬほど気持ちが悪かった。

「うえええ」

 もういつでも逃げられると言うのに、僕は衝撃と驚愕と嫌悪のせいでその場に止まってしまう。

 先程の暴力的な印象から、ストーカーではなく何かやばい非合法組織かチームにでも狙われたのだと思い込んでいたが、この様子を見るに、彼はまごう事なき真昼のストーカーなのだろう。

「てか、あんた一体誰なのよ!」

 それはごもっともだ。この人は一体誰なのだろう。

 同じ学校で、学年の人数は少ないのに、全く見覚えもないし、当の本人である真昼も知らないと言うのなら、尚更恐怖が増す。

「やっと俺を見てくれたね、真昼」

 目元をキッと吊り上げて威嚇する真昼に反して、男は恍惚とした笑顔で真昼を見つめる。

 冷静に相手を観察してみると、彼はそんなにガタイが良い訳ではなく、背は高いが比較的色白で、とてもではないが人の顔面を鷲掴みにする人間には見えない。

 襟足が少し長い黒髪には艶がなく、漆黒という言葉が異様にしっくり来る様な暗闇の似合う色をしていた。

「何よ、なんなのよ」

ふふ、と微笑んで一歩こちらに近づいてきたそいつに、僕と真昼が再び警戒したその時、僕たちの背後から聞き馴染んだ声がした。

「夜空?」

 振り返ると、日陰でも輝く黄金色の明るい髪が、僕達の視線を一斉に惹きつけた。

 そこに居たのは、先刻に僕等よりも先に赤暮と一緒に席を立ったはずの黄栗だった。

 彼女はキョトンとした面持ちで僕達を見つめていた。だが、その表情から必要以上の戸惑いや混乱は見受けられない。場所が場所の為、ただ通りかかっただけと言うのにも違和感がある。

「黄栗、何でここに? コンビニに行くって言ってたわよね?」

「黄栗じゃないか。どうしたんだい?」

 思ったままを口に出して聞くと、ストーカー男は少しの時間差で、随分と気さくな低い声で言葉を発した。

「え?」

「えぇ?」

 真昼と僕は間抜けな声を出して、ストーカーと黄栗を交互に見る。

「ええと、コンビニで知り合いに会って、この辺じゃ珍しい人を見たとか、挙句追いかけられているとか噂になってて、買い物は赤暮に任せて探しに来たら案の定、何してんの?」

 黄栗は戸惑う僕等に順を追って説明してくれるが、その言葉は益々僕等の混乱を助長するばかりだった。

 「夜空」と名前を呼んだ。若干、彼女の語気が荒くなったと感じたのは僕の気のせいだろうか。

 普通に考えて、夜空というのがこのストーカー男の下の名前なのならば、黄栗と相当仲の良い知り合いだと思うが、隣のクラスにこんな生徒がいた覚えもない。

「知り合いなの?」

 意を決して聞いてみると、少し迷うように目線を揺らしたが、すぐに笑顔を取り戻し、さも当然と言った顔をして言う。

「知り合いっていうか、うちの大将、チームのボス、この界隈じゃ最強で最大勢力のトップ」

 あ、もしかしてこの人って、黄栗達が舎弟してるっていう。

 僕と真昼は顔を見合わせて、最近した会話を思い出す。同じ記憶を思い返し、僕達の以心伝心はまだ続く。

 真昼が少し顔を蒼褪めさせる。

「え? やばい人なの?」

「やばい人だよ」

 ニコリと頷く黄栗にもツッコミ所はあるが、取り敢えず僕は真昼に向けて言う。

「真昼、ストーカーの時点でやばい人だよ」

「二重の意味でやばい人だったのね」

 頷き合う僕達三人を見て、しばらく静かに傍観していた当事者はやっと口を出した。

「ひどいなあ、やばい人なんて連呼しないでおくれよ」

 遮ってきた割に、夜空と呼ばれた男から怒りは感じられず、呆れや焦りも何も感じ取ることはできない。

「ストーカー?」

「あ、いや」

「そうだよ」

 事実とはいえ僕の失言に、黄栗が興味深気に尋ねて来た。慌てて否定しようとしたが、驚く事に本人である夜空が悪びれもせずに言い放った。

「ええ?!」

「み、認めたわね」

「うん。但しそこらの犯罪者共と一緒にされるのは心外だな。俺は真昼を陰ながら見守る、言わば騎士ナイトさ」

「完全にそこらの犯罪者だよ。しかもそれ、ストーカーの常套句だし!」

 言い訳のように語った気持ちの悪い台詞に向けた僕のツッコミには何の反応も見せない。

 話し方といい、立ち姿といい、まるで舞台の上の役者のような佇まいの男だ。真昼が現れてからは笑顔を崩さない。複数の顔を持っていて、得体の知れない謎めいたピエロみたいな印象を受ける。

 未だドン引きしている真昼を見つめ、クスッと気分良さ気に微笑むと、夜空は一つ肩を竦めて言う。

「冗談さ。まあ、尾行していたのは本当だ。少し誤解があるようだけど」

 以前真昼の方を向いたまま、僕を居ない者の様に扱う彼を見て、真昼しか目に映って居ないのではと本気で疑う。

 彼の見透かしたような掴めない雰囲気を、未だに怖いと感じる自分を奮い立たせた。

 黄栗は困りつつも苦笑いで眉尻を下げて、後悔の言葉と共に首を傾げた。

「とんだ修羅場に居合わせちゃったな」

 夜空はそんな黄栗を一瞥して、まるでその場を取り仕切る役割でも担っているかの様に、用意していた台詞を発するように動く。

「では、俺と真昼は当事者同士で話す必要があるようだけど、二人きりは真昼が不安だろうから、双方に面識がある黄栗が立ち会おう。君は帰っていいよ」

 もしかして、頑なに僕を遠ざけようとしている?

 だとしたら、随分と嫌われたものだ。先程も真昼と僕の関係を疑っていたようだし、確かに僕がこの場に居座っては混乱を招くだけかもしれない。

「なんで加害者のあんたが仕切ってるのよ!」

「まあ、正論かな。悪いけどここはあたしに任せて、朝陽は戻ってよ」

 正論とはいえ、場の流れをこの男に委ねるのは危険だと思った。しかし、黄栗がいるならば安全か。いや、黄栗は彼の仲間だと言っていた。噂では舎弟であるとも聞いている。でも、安心しろとでも言いたげに肩に手を置いて来たこの優しい友人を疑うような真似をしたくはない。

 唇を噛み締め、ぐるぐると脳内で葛藤していると、真昼が横から心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

 真昼の肩越しに夜空を見ると、今までの笑顔が仮面か虚像だったのだと勘違い出来る程に、恐ろしく感情のない顔で僕を見つめていた。



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