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夢と朝日と夕闇に  作者: 海田マヤ
第一章 朝陽という少年
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少年の非日常 ②


夜、テレビの液晶にはバラエティ番組が流れ、芸能人と観客たちの大爆笑が聞こえる中、真昼は真剣な顔で僕に相談をして来た。

 僕は食事の手を止めて耳を疑う。

「誰かに後を尾けられている?」

「そうなのよ」

 彼女は手に持ったミルクティーが熱いのか、私服のセーターの袖を伸ばし、息を吹きかけて冷ましながら悩まし気に答えた。

早めの下校からの早めの帰宅、買い物や洗濯などを済ませ、家事をするのは僕の仕事だ。

 演劇部で帰りの遅い真昼は、お惣菜のお裾分けに来たついでに僕の家で夕飯を食べていくことが多い。

 真昼の父は会社を経営していて、帰りが遅いことや、帰ってこないこともしばしばある。そして、彼女の母親は僕等がまだ小学生の頃に病気で他界してしまった。大学在学中の兄もいるが、現在は赤道を越えて、時差四時間のニュージーランドへ語学留学中だ。

 真昼はしっかり者なので、そんな状況でも僕の面倒まで見てくれている。僕も出来ることならなんでもしたいが、今日は珍しく神妙な面持ちで、夕飯のシチューをすくって冷ましながらとんでもない相談をしてきた。

「それは、ストーカーって事?それとも誘拐の標的にされているのかな」

「わからないわよ。どちらにしろ、気のせいじゃないわ。私が走ると走り出すし、歩くと足音もゆっくりになるの。それなのに、振り向いても誰もいないのよ」

「こっわい」

「でしょう?」

 他人事とはいえ想像するだけでも悪寒が走る。

 瞠目した僕に、真昼も少し顔を青ざめさせて言うが、お互いにまだ余裕もあるようだ。

 確かに直接の被害にあったわけではないが、ストーカーなら放置するとエスカレートする事が多いと聞くし、女子高生を一人で夜道を歩かせるのも危険な気がしてきた。

 暫く考えて、僕は真昼に提案する。

「警察に行くべきかもね。先に親に連絡かな?」

「相談はありだけど、直接の被害はないし、気のせいって可能性が確実に否定できない以上、警察は難しいでしょうね」

 流石と言うべきか、当事者は僕が思案した事など遠の昔に検討済みのようで、冷静に溜息をついた。

 昔から妙に危機感がないところが玉に瑕なのだが、今回はおそらく既に、考え付く対策は色々と調べて回ったのだろう。彼女は相変わらず頭の回転も行動も速い。

「その辺は調べ済みか」

「当然よ。気味が悪いもの」

「お父さんは?」

 そう問うと、真昼は少し言いにくそうに口元を歪めて眉を顰める。

「あのパパに言ったとして、もし相手がどうにかなっちゃったらどうしようと思って」

 男手一つで育てた娘と息子を、真昼の父は死ぬほど大切にしている。兄も同様で、それこそ病的なほどに真昼を溺愛しているため、彼女に何かあったら真昼の家族は相手をただではすまさない。それを思うと、別の意味で悪寒が走った。今日は背筋がよく冷える。

「ああ、殺されるね。確実に」

「冷静に行動はしてくれないでしょうね。単に仕事で忙しいだろうから、手を煩わせたくないって言うのもあるわ。」

 そう言った真昼の表情には、少し寂しさも含まれている気がした。僕は無意識の内に、空気を重くしたくなかったのだろう。

「優しい娘さんで」

 からかうつもりはなかったのだが、つい軽い口調で笑ってしまった。

「茶化さないで、本気で困ってるのよ」

「ごめん。とりあえず、しばらくは一緒に帰ろう」

「ありがたいけど、演劇部には出るわよ?」

「しばらく行けないって公民館に連絡してくる。あと、老人ホームにもしないと」

僕は帰宅部だが、実はそれを生かして暇な時間に地域のボランティア活動に携わっている。

 慈善活動ではあるがなかなかやりがいがあり、図書館で児童に読み聞かせをしたり、町内のゴミ拾いをしたり、老人ホームで折り紙を教えたりと、とにかく色々な事をしている。

 おかげで最近は、事あるごとに近隣住民が僕を手伝いに頼んで来る。将来は役所の職員になるというのも悪くないかもしれない。

「手当たり次第にボランティア活動してるわよね。良い事だけれど、それならボランティア部に入れば良かったのに」

 真昼はこう言ったが、実のところはうちの学校のボランティア部は部室に集まって、喋って食べて騒ぐだけの部活で、ボランティア部の名は隠れ蓑の伊達でしかない。

 生真面目な真昼の事だ。そんな事のために部室を使用しているなど許すわけがない。すぐにでも不正を訴えかけるだろう。しかし、僕のせいで彼らの憩いの場が潰れてしまうのも忍びないと思った。

「ええと、ほら、ボランティア部は高校三年生が殆どで、後の人は活動していないから」

「活動していない?」

 言い訳を交えてみたものの、歯切れの悪い僕の態度を不審に思ったのか、流石の彼女は僕を見つめてきた。

 僕は焦りを表情に出さないように必死で、「いや、まあ人数が少ないらしくてさ」と、呟くようにして目を反らす。

「ふーん」

 納得のいっていない顔のまま、真昼はそれ以上は何も聞いてこなかった。

 ああ、バレたら本当にごめん。ボランティア部のパリピ達よ。

 心の中で、自分のせいで部の存続が危うい友人達に謝罪して、真昼が食器を片付け始めたのを手伝おうと席を立ち上がった。



******



午後の教室、空腹は満たされ体力は尽きかけ、普段の授業ならば生徒が眠気に襲われる頃合いだが、今日に限っては一味違う。

 爽やかな秋晴れ、教室の気温、湿度ともに良好で、机の配置もずれ一つない完璧なセッティングがされている。

 僕は肘を机についたまま両手を組み、双眸は瞑った状態を保つ。組んだ両手の上に顎を乗せ、気取った仕草で息を吐く。

 カッ!と、目を見開き、僕史上最大級の格好付けた声で言った。

「二日目の自由行動のルートを決めたいと思います」

「イェーイ!」

 待ってましたと言うかの如く、ノリのいい赤暮たちの囃し声が教室に響く。真昼の大声に赤暮のテンションも加わって、悪乗りした青葉と黄栗が筆記用具でリズミカルに机を叩く音がひたすらに喧しい。

 僕らの班ではない周りの生徒達も、苦笑いしながら遠巻きに見守っている。ふざけ始めたのは僕とはいえ、ここまで調子に乗られるとは思わなかったので少しだけ申し訳のない気持ちに陥った。

 教師がいないのは自習時間と変わらないが、それとの違いは、黒板に誇大な迄に記された今回の目的、『修学旅行の自由行動についての話し合い』という論点にある。

 普段は禁止されているスマホの使用も許可され、生徒は同階の他クラスへ移動できる権利を得る。

 教室の色褪せた壁に飾られた年季の入った電波時計が、カチリと音を立てたのを見て、僕は限られた時間で話し合わなければならない事に焦る。

 「じゃあ、意見がある人は挙手し……」と、其処までは声にすることができたところで、滝のように怒涛の皆の意見と発言が続き、僕の小さな声はかき消されてしまった。

「飯はまかせろ!」

「ガッツリ食べると後がきついですよ」

「私は体力にあまり自信が無いので、あまりハードなコースはちょっと」

「見て! 昨日調べていたら、凄く可愛らしいお店を見つけたのよ」

「わあ、本当だ。可愛いお店!」

「あっ、ここは限定スイーツがあるお店よ」

「おぉ! 美味そうだな」

 もはやその場は混沌と化し、口々に述べられる情報に僕は口を挟む隙も見つけられず、呆気にとられたまま、先程三崎先生から各班の班長へと配られた自由行動コース記入紙に班員の名前のみを記入した。

 僕がプリントに六人全員の名前を書き連ねた後も、行きたい場所や意見が錯綜し、収拾のつかない状態になっていた。

 各々が張り切って旅行先の下調べを進めていた事は、何と無く予想していたが、まさかここまで心を踊らせているとは意外で予想外だった。

「言いたい放題だなあ」

 それでも、意見がないよりは幾らかマシだろう。そう思うと、まだ余裕が持てた。

 他よりも言葉少なである青葉も溜息を吐いて、いつも以上に薄い表情で僕に相槌を打つ。

「まとまり無いですね」

 そんな僕らを見兼ねて、真昼も興奮しすぎた気持ちを落ち着かせたのか、急にハキハキとして場をまとめた。

「なら、全員希望の場所を一つに絞って、宿から近い順に並べて、道中に気になる所があれば調べて行く形でどうかしら?」

彼女特有の耳通りの良い大きな声は、その場の空気を一気に変化させ、不思議と話を聞かなければいけないといった雰囲気を作り出す。

 真昼の流石の統率力により、全員の意見が通り順番に希望地へ行けるという完璧な方法で、勿論全員が納得した。

統率力云々以前に、真昼の声に勝るリーダーシップなど有りはしないようだ。

 今の今まで騒いでいた僕達の班どころか、周囲の他の班まで彼女に圧倒され、時間の有限に気付かされたようで、無駄話をやめて意見をまとめ始めた。

 「真昼の姉御、流石です」と、赤暮は茶化してくれたが、本来まとめ役を担うはずの僕の班長としての存在意義が失われつつあった。

「班長、真昼でも良かったんじゃない」

「拗ねないの、人には向き不向きってものがあるんだから。それより朝陽は何処に行きたいのかしら?」

「ん、僕はこの……」

そこからは、真昼や赤暮は行きたい場所を一つに絞るのに苦労し、僕や夕理は一人一箇所というルールを順守して適当なところを決めるのに右往左往した。

「山登りが何よりきつい」

「それな」

 青葉と黄栗は先程からこんな調子で、仲睦まじく会話をしながらスマホで何かを調べている。

 修学旅行三日目には、宿泊施設のすぐ近くの山を登り、教員の配置されたチェックポイントを経由しながら山頂へ辿り着くという催しがある。

 最も早く山頂へ到着したチームが優勝し、全員に景品が与えられる。

 一見すると、楽しいレクリエーションの一環であるこのイベントは、会場である柳樹山りゅうじゅやまの特徴を少し調べると、その印象が一変する。

 柳樹山は麓は緩やかな傾斜だが、頂上へ向かうに連れて、険しい岩山となり、川の流れも早く、中には訪れた登山客が危険な道に迷い込むケースもあるらしい。

 何故そんな危険な山をわざわざ選択したのか、教師陣を問い質したいところだが、僕らの進むコースは安全性を重視した初心者向けの物らしい。とはいえ慣れない登山は、体力のない現代っ子には辛いものがある。

「あれ? 真昼ちゃん、指の傷はもう大丈夫なの?」

「え?」

 夕理が真昼の手を指差して言い、真昼の白い手に注目した。確かに、つい昨日の傷が綺麗に消えていて、絆創膏どころか、赤みも瘡蓋も、皮の剥けた跡さえも見当たらなかった。

「ああ、擦り傷だもの。もう治っちゃったわよ」

「もう? 随分と早いね。」

「真昼って昔から、怪我とかすぐに治るよね」

 免疫力が高い人は、怪我を重ねると治癒能力も活性化するというが、それにしても綺麗に治るものだ。控えめに笑う真昼を見て、いつもの事ながら感心を覚える。

「そんなことより、私はこの人形屋さんを推すわ」

「俺は昼飯ここがいいな」

 繋げた机に地図を広げて指差した真昼に便乗して、赤暮が指を少しスライドさせて、スマホのホームページを見せて来た。

「へえ、郷土料理とか季節のメニューとか色々あるね」

 赤暮の真っ赤な手帳型ケースに包まれた画面に映るそれは、自由行動エリア付近にある小料理屋のホームページのようで、黒い背景にシャープな印象のデザインのトップ画面に、目玉料理や可愛らしいマスコットキャラクターが描かれたお洒落なページだった。

 一見上品で高価そうな店を想像したが、画面を下へスクロールして値段を見ると、学生の客でも手が出せる良心的な値段だった。

 商品の量や見た目も観光客を狙っているというだけあって、中々魅力的なキャッチコピーが綴られていた。同県内に他にも店舗があるようだ。

「青葉は決まった?」

 赤暮の意見にも無関心な青葉に真昼が聞くと、机に広げていたパンフレットを畳んで、「俺は、特にありません」と控えめに首を振った。

 若干困り顔の真昼を気遣ってか、黄栗は自身の黄色いクリアカバーのスマホを青葉に見せた。

「ここ、すごい老舗の音楽専門店があるね」

「青葉こういうの好きだろ?」

「長居しそうだから、いい」

 横からスマホを覗き込んで後押しした赤暮の言葉に、少しは揺さぶられたのか、チラリと一瞥したものの、青葉はすぐに顔を逸らしてしまった。

 そのまま会話に入ってしまった三人組を放って、真昼とルート選びを続けてしばらく、スマホの画面上部を見ると、既に授業が終わる十分前の時刻が表示されていた。

「やばい、もう授業終わるじゃん」

「どうする?」

「あー、みんな放課後暇?」

 取り敢えず、僕は立ち上がって、騒がしい教室を潜り抜けるように声を張った。

「ひまー」

「あたしも」

「空いています」

「私も、遅くならなければ大丈夫だと思う」

「部活あるけど、公演間近ってわけでもないし、たまには休ませて貰えると思うわ」

 一々予定を確認する間もなく、示し合わせたように全員の返事が返って来た事に少し面白さを感じながら、僕は提案を出した。

「満場一致だし、放課後に会議の続きはできないかな?」

 すると赤暮が、諸手を挙げて賛同した。

「おっ、それなら俺んち来るか? 店なら広いし」

 赤暮の家は純喫茶の上に構えたアパートで、その喫茶店は両親が経営しているらしい。

 一度だけ行ったことがあるが、全体的に大人っぽくてシックな雰囲気の落ち着ける空間で、珈琲の香りが優雅に漂う素敵な店だった。とても赤暮の実家とは思えないほどに、とは口に出さないでおく。

「さっきお前、店に業者入るとか言ってなかったか?」

「あ! 悪い、そうだったわ」

 うっかりと頭をかきながら慌てて謝る赤暮を、気にしないでと手で制しながら考えた。

「じゃあ少し騒がしいけど、駅前のファストフード店でいいかな?」

「異議なし!」

 赤暮の威勢の良い挙手とほぼ同時に、教室のスピーカーから授業終了のチャイムが鳴り響いた。生徒達は、並べた机を配置に戻す為に立ち上がる。

 同じく立って椅子を押した黄栗の、ハーフアップに纏められた癖髪がふわりと靡いた。

「右に同じー」

「黄栗、赤暮はお前の左にいるんだけど。何後ろ向いて誤魔化そうとしてんの」

 最近はこの三人の漫才にも馴れ親しみを感じ始め、逐一ツッコみを入れるのも面倒になってきた。

 赤暮も青葉も黄栗も、遠くから見る普段の顔と仲間と一緒に三人で居る時の表情が全く異なる。

 僕たちも、悪い噂の多い彼等の取り澄ます事のない素の様子を見れている気がして、思わず破顔した。

「じゃあ、一旦解散」

 この後、店に向かう道中で「班長らしいことできたじゃない」と、真昼に散々からかわれた。



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