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夢と朝日と夕闇に  作者: 海田マヤ
第一章 朝陽という少年
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少年の非日常 ①

 私の名前は三崎玲奈、この此方ヶ丘高校の国語教師にして、一年三組の担任である。

 都心から少し離れた都会とも田舎とも言えぬ町の、小高い丘の上にあるこの高校は、山川や田畑に囲まれたとても素晴らしい環境だ。

 二十三区と比べれば辺鄙な町と言えど、電車で三十分も行けば高いビルが立ち並ぶ東京の街並みへと早変わりする。此方ヶ丘は、商店街の昭和染みたレトロな雰囲気や空き地の残る住宅地、博物館と美術館のある森林公園、かと思えば遊戯施設やショッピングモールの内容も充実した不思議な場所だった。新しさと古さの混在するこの此方ヶ丘の町では、他の場所では得られない感覚を味わえる。

 一年前にこの学校に赴任して、同時に一人暮らしを始めた。周辺に学校が多いからか、自宅近くでも夜になると、未だ暴走族のクラッチのコール音や学生と思わしき不良の笑い声などが聞こえる。確かに治安が悪いと評判な街でもある事を実感している。

 しかしそれでも、私はこの此方ヶ丘がとても好きである。

 私の担当するクラスは比較的大人しい生徒が多いのだが、学年一番の問題児である現原赤暮が在籍している。今日も丁度、窓から登校するという非常識な問題を起こした件を叱ったところだ。しかし問題視されているのは偶に起こす突飛な行動と派手な頭くらいであり、現原本人の人格には何ら問題はない。友達が多くリーダーシップもあり、とても正義感が強い。何より人を思いやることができる優しい人間だ。担任としての贔屓目も多少はあるが、現原はとても素直な良い生徒だと思う。

 実際、素行の割に授業にはきちんと参加しているし成績も安定していて、喧嘩や暴力をはっきりと目撃したという話も聞いたことがなかった。よく一緒に行動をしている、隣のクラスの星野青葉と朝見黄栗と共に不良グループに所属しているという噂があるが、実際の事は分からない。

 家庭の事情もあるし、詮索のし過ぎは良くないのだろうか……と、こんな風に生徒の話で頭を悩ませるのが私の仕事であり、毎日の日課であった。

「三崎先生、お先に失礼しますね」

 職員室で日誌の確認をしていると、後ろのデスクに座っていた老年の男性が、人当たりの良い笑顔で話しかけてきた。

 日本史担当で、私と同じ一学年の副担任の岡野先生だ。白一色の髪に丸いメタルフレームのメガネが、優しく親しみやすい雰囲気を醸し出している。いかにも教師然とした風貌の彼を、私は尊敬してやまない。キャスター付きの椅子を少し傾け、ぺこりと挨拶をした。

「はい、お疲れ様です。さようなら」

「そうだ。次の飲み会、先生も如何ですか?」

 立ち上がってコートを身に纏いながら、岡野先生は私に尋ねた。教師陣の何人かで、不定期に酒盛りをする時がある。勿論、教師という立場なのではしゃぎはせず、結局は生徒や学校の話で盛り上がる会なのだが、私はお酒もお喋りも苦手なので何かと理由をつけていつも遠慮している。

 今回は本当に用事がある日だったので、相手を不快にさせないようにやんわりと断った。

「すいません。先約があるので、遠慮させて頂きます」

 徹底して、気分を悪くさせてしまわぬように心掛け、なるべく簡潔に断りを述べると、残念そうな顔を一瞬したものの、岡野先生はすぐに笑顔になった。

「おっ、もしかして彼氏ですか?いやあ、お若くてよろしい」

「違います」

 予想外というか、苦手な類の質問で焦りも混じり、つい冷たく即答してしまい、内心で焦る。

 先約とは電車で一時間ほどの距離に住む両親と外食をするというだけだったのだが、うっかり声量が若干大きくなってしまったようで、周りの教師からの注目を集め、岡野先生も流石に口籠ってしまった。

「あ、そうですか。ええと……」

 これはまずいと、早々に職員室から立ち去る選択をした。

「教室の施錠があるので、失礼します」

「あ、はい。さようなら」

 私は日直日誌と施錠のチェック表だけを持って、前のドアから退室した。

 後ろのドアから出た方がエレベーターは近かったなと考えながら、上のボタンを押して一機しかないそれが止まるのを待つ。その間、職員室内の会話は丸聞こえで、岡野先生の声も聞こえてきた。

「私、もしかして嫌われてますかね」

 ため息まじりにつぶやかれた台詞を今すぐに否定しに走り出したいが、そんなわけにもいかない。

 すると、近くで聞いていたのであろう、今年赴任した若い体育教師、有馬徳先生が登場しわざとらしく大きな声で言った。

「三崎先生、感じ悪いなあ」

 間延びした喋り方は若さ故か、少しイラっとくる感じの人を小馬鹿にした言い方で、特別嫌っているわけでもないが不快な気分になった。

ちなみに有馬先生は隣のクラスの担任でもある。赴任したての新人の先生に一クラスを任せるなど異例中の異例だが、教師人は「校長の決めた事だ」「何か考えがあるのだろう」と期待せずに受け入れている。

「こらこら、三崎先生は真面目な良い先生なんですから」

 すかさずフォローを入れてくれる女性の先生、彼女は教頭の佐久間先生だ。生徒たちからはおばあちゃん、教師陣からはお母さんのように思われる包容力のある素敵な先生だ。面倒見が良く、新米教師にとっては心強い味方である。

 佐久間先生にそう言われて、少し態度を改めた様子の有馬先生は、バツが悪いと感じながらも私の話を続けた。

「でも、三崎先生って付き合い悪いっすよねえ」

「有馬先生、飲み会は強制じゃあないんですよ」

「それにしたって、あんな無愛想でコミュニケーション意欲に欠けていて、生徒の指針になれますか?」

 エレベーターよ早く来い、と思いながら、私の気にする欠点を述べ始める有馬先生の言葉が胸に突き刺さる。

「まあ、確かに感情的ではないですね」

「子ども嫌いならなんで教師やってんでしょうね」

 諸手を挙げて否定させてもらうが、私は決して子供が嫌いな訳ではない。むしろ素直で可愛い教え子たちは皆好きだ。だからこそ教師をしている。

 私が教育実習生だった頃も、無愛想で淡々とした態度を取ってしまった私に、その時出会った優しい生徒は心を開いて仲良くしようとしてくれた。だが、やはり大半の生徒にも、同僚にも好かれることのできない私は、教師に向いていないのだろうか。


職員用エレベーターで二階にたどり着き、立ち止まって一息ついた。

 さて、落ち込むのはそろそろやめにしよう。自分に喝をいれて、仕事モードに切り替える。

 現在の時刻は午後六時半、部活に所属する生徒も帰宅した頃合いだ。

 教室の窓の施錠を確認しようと、ドアの鍵だけを手に持って廊下を歩いて行く。


 話し声が、聞こえた。


 人気のない廊下で人気のない教室から、おそらくは少人数の、声が聞こえてきた。

 こんな時間まで生徒が残っているのなら、注意を促さなければならない。

 もしかすると私の悪口ではと、まだ職員室の会話を引きずっているのか、教師にあるまじき後ろ向きな妄想をしてしまう。

 そこにいたのは、やはり見知った生徒だった。

 しかしどうにも深刻そうな顔色で、その二人の生徒は話し込んでいるようだ。

 あまりに重い空気に驚いた私は、咄嗟に壁際に身を潜めてそのまま立ち聞きをしてしまう。

 不可解な事に、二人とも普段教室で集まって会話している時とは、口調も声色も態度も違っていた。

「お前さ、本当はあいつの事どう思ってるわけ?」

「さあな。お前そんなに気にしてるなら、イベントにかこつけて告白、くらいしてみたらどうだ?」

「は、そんなの、無駄だろ」

 一見すればただの高校生の他愛もないコイバナだった。おそらく本人たちにとって重大な話を聞いてしまうのは良くないだろうかと考えるも、珍しい口調で話す二人の姿に、引き返すわけにもいかず、紙一重で好奇心が勝ってしまった。

「赤暮はそんな事で人を嫌ったりしねえよ」

 この一言で、[あの子]が[あの子]の事が好きなのだという衝撃的な事実に気がついてしまった。

 私は耳を疑った。聞いてしまった事を、罪悪感から少し後悔した。

 私がショックを受けている間にも二人の会話は進む。

「分かんねえだろ」

「どうだかな」

「お前、本当に性格悪いよな」

「あはは、叶わない恋はつらいねえ」

 交互に話す二人、双方共に相手にまるで問いかけるように話している。その姿は仲睦まじいようで、とても歪に見えた。

「赤暮が好きなのは誰かなんて、明らか過ぎて考える気も起きねえけどな」

「だから、それは本人が言った訳じゃないんだろ? だったら……」

「どうだかな」

 言葉遊びのように同じ台詞を言い放つ。

「お前の方が性根は歪んでるよ」

「そうだな。本当、赤暮が人に好かれ過ぎるのが悪い」

「…………」

 話している二人の両方が、赤暮君の事が好きなのだろうか。***の方は黙ったままだったので私には分からない。

「そろそろ帰るか」

 二人がその場を立ち去るようで、私は慌てて柱の陰に隠れた。壁の冷たい感触が、気づかれそうで気づかれない盗み聞きの背徳感を余計に高めた。

 しかしそのせいで、***の誰に聞かせるつもりもなかったであろう呟きが聞こえてしまった。

「本当に、馬鹿らしい」

 怒りか憎しみが、或いは悲しみのようにも聞こえる低い声が頭の奥に響いて、意味深な残滓となった。

「赤暮以外、何も見えてねえ癖にさ」

 空っぽの教室を見て、私は罪悪感と焦燥感に苛まれた。見てはいけないものを見てしまった気がした。


 決して知ってはいけない真実を、知ってしまった気がした。




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