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夢と朝日と夕闇に  作者: 海田マヤ
第三章 夕理の初恋
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初恋の奮闘 ③



私と朝陽君を認めない。そう言い切った彼女の目は、決意に燃えていて、つい気圧されてしまった。

 私たち二人を、否、朝陽くんを見据えている目は、宝石を焼くような輝きに満ちていて、やっぱり、彼女はとても素敵で格好いいと思わされる。

 口から言葉が出てこない。彼女は一体どんな気持ちで、私に笑いかけていてくれたんだろう。明るい表情や温かい言葉で、周囲を癒してくれていたんだろう。

 想像力が加速する。やめろ。私だけは、彼女に決して同情してはいけない。絶対に憐んではいけない。その怒りは、嫉妬は、受け止めて然るべきものなんだ。

 しかし、目があった瞬間、私は視線を逃した。部屋にあった貸し出しのスリッパがぼんやりと視界に映っている。強張ったままの表情と唇がずっと震えている。

 朝陽君は今、どんな顔をしているんだろう。

 縋るように彼の方を見ようとしたその時、ロビー側の廊下から有馬先生が顔を出した。

「こーらーそこで何してる。消灯時間はまだだが、もう部屋に戻れって言われたろ?」

 張り詰めていた空気の糸が、能天気なハサミにあっさりと切られて落ちた。

 とっさに朝陽君から離れてしまう。慌てて彼の表情を伺うと、私と同じように目を丸くして焦っていた。

「なんだ美影、ハーレムか」

「えっ! ちょ、そんな!」

 朝陽君はわたわたと必死に状況を誤魔化そうとするが、今この場はあながち有馬の曇った色眼鏡が否めない完全な修羅場だ。正直者の朝陽君に代わって、私も何か弁明をしようと頭を働かせるが、突然の出来事の連続にうまく言葉が出てこない。

 すると、目の前で俯いて震えていた彼女が、大きなため息をついて叫んだ。

「有馬あんたマジ空気読みなさいよ!」

「おーう、教師に向かってなんだその口の利き方は、あんまり怒ってばかりだと老けるぞ舞崎ィ」

「余計なお世話よおっさん!」

 彼女の挙動によって引き起こされたテンポの良い掛け合いは、まるで先程までのやりとりが幻だったかのように感じさせる。それ程までに、いつも通りの真昼ちゃんだ。

 一瞬、救われたような気持ちになった。しかし、私は気づいてしまった。その様子を見ていた朝陽君が、苦しそうに顔を歪ませたことに。

「す、すみません! すぐに戻ります。行こう、真昼ちゃん! また明日ね朝陽君!」

 置いてきぼりにされている場合ではない。

 多分、今、演技をさせてはいけないんだ。朝陽君の表情からそれを悟った私は、急いでその場を離れる。それをまた察したのであろう彼女は大人しく手を引かれてくれている。

 エレベーターを待つ途中はとても静かだった。

「夕理、突然あんなこと言って、ごめんなさい」

 何か言おうとして、口ごもって、私が数回それを繰り返した時、真昼ちゃんはようやく口を開いた。

「信じてもらえないかもしれないけど、私、貴女と喧嘩がしたいわけじゃないの。ただ、このままじゃ、自分の気持ちを隠したままじゃ、朝陽とも、夕理とも、きっと私のまま一緒には居られない」

 誠意のこもった眼差しで、真っ直ぐな言葉を伝えてくれている。彼女のこの豊かな感情表現力は、天性のものなのだろう。

「だから、私は自分に正直でいる。私、今とても自分勝手なことを言っているわ。許さなくていい」

 そんなことない。こんな関係になってしまっても、私と一緒にいる未来を考えてくれている。そんな貴方が自分勝手なもんか。私とどうにか気持ちを伝えたいが、どうしてもまとまらない。

 その後の行動はぼんやりしている。おそらく、部屋に戻ると黄栗ちゃんが迎えてくれて、先生たちが消灯点呼をしに部屋へ来て、明日の予定を少し話して、早々に布団に入ったと思う。

 暗くて静かな部屋、きっと外に行けば星空がさぞかし綺麗なことだろう。鈴虫の音色も心なしか聴こえている。

 けれど、それを楽しむ余裕はない。

 消灯後、黄栗がこっそり布団を抜け出した気配がした。先生に見つかれば大目玉だが、なんとなく彼女なら大丈夫な気がした。

 他の班の三人の方からは安らかな寝息が聞こえている。

 私のすぐ隣には、仰向けで目を閉じる真昼ちゃんがいた。先ほどから何度も身じろぎしている。おそらく眠れないのだろう。

「ねえ、真昼ちゃん。まだ、起きてるかな」

 他の人には聴こえないくらい、蚊の中ような小さな声で囁いた。

「ええ、起きているわ」

 天井へ向けたその声は、隣の彼女にも届いてくれたようで、同じく小さな声が返ってきた。彼女のなかなか聞き逃せない特徴的な声が、いつもと違った響きを持って暗闇に溶けていく。

 それが本当にいつも通りで、少しだけ安心してしまった。

「私、なんて言ったらいいのか分からないけど」

 ままならない思いのまま、勢いだけで口を走らせてしまいたい。

「こんな言い方でいいのかもわからないけど」

 時々つまづく早歩き程度の勢いが弱まる。散々躊躇したが、今を逃してはもう二度と勇気が出ない気がした。

 やっぱり言わせてください。間違っているかもしれないけど、どうしても、お願いします。

「ご……ご、ごめんね」

 布団の中で拳を握りしめて、勇気を振り絞った。心臓の音がうるさい。下手をすれば、朝陽君に告白した時よりもずっと緊張しているし、恐怖している。

 たった一呼吸の間が、こんなにも不安で堪らない。

「謝らないで、夕理は悪くないわ」

 布団をかぶって目を閉じた状態で彼女は、淡々と言った。優しいような、厳しいような、不思議な音だった。

 少し遠いその声からは、色んな想像ができてしまって上手く意図が受け止められない。

「ううん。違うの」

 喉を絞るようにして、やっと小さな言葉が溢れた。

「気づけなくて、ごめんなさい」

 声が届いたかはわからない。私の意識はそのまま沈んでいった。


****


 聞き慣れない鳥の声で目を覚ました

 枕が合わなかったのか、心配事が重なったからか、朝食の予定時刻よりだいぶ早朝に起床した私は、ロビーから渡り廊下を通って別館の庭にある足湯へと足を運んだ。

 入り組んだ場所ある上に、本来は朝の五時から八時までのみ利用可能となる秘密の湯で、各部屋に常備された館内マップの端の端に隠れるように記載されていたそこを最初に見つけたのは真昼だった。

 余裕があれば一緒に行こうと、約束のようなものをしてはしゃいでいた昨日が、遠い昔のように感じられる。

 昨夜の件もあり、起こすのも悪いと思い一人で足を湯につけて憩う。半透明な温かい湯が足の先から血流を巡らせて、目を閉じれば今にも眠ってしまいそうなほどに心地の良い癒しの空間を作り出している。無人の庭で、誰かに見られているわけでもない。背凭れに寄りかかり、だらしなく足を伸ばして膝近くまで更に深く湯に浸かる。

カラカラカラと、出入り口である引き戸が開く音がして、誰かが私のいる足湯の近くまで歩いてきた。

 他にもこの場所に気づいた生徒がいたのかなと、そっとそちらの方へ振り向くと、ラフなパーカーに短パンと、部屋着姿の黄栗が手をぷらぷらと振りながら歩いて来た。肉のない細過ぎる腕や脚の所為で、いささか頼りない位に余裕のある服の隙間に覗く肌色には、薄皮を突き破らんと浮かぶ骨の凹凸が目立っていた。

「黄栗ちゃん」

「早いね。昨日は良く眠れた?」

 黄栗は靴を脱いで下駄箱に入れると、当たり前のように普段通りの笑顔で隣に座ってきた。

 昨夜は少し私たちの問題に巻き込んでしまった負い目もあり、一人になりたい気分は二の次に、私は一緒に足湯を楽しむことにした。

「ううん。あんまり」

「そう、赤暮と有馬に聞いたよ。なんか修羅場だったんだってね」

「情報早過ぎない? 私たち、あの後いつも通りだったよね」

「情報収集はあたしの十八番だからね。いつも通り過ぎるくらいにいつも通りだったよ」

「真昼ちゃんが、あんまりにも普通に接してくるから。まるで何もなかったみたいに」

「流石演劇部のエース。話を聞いてなかったら、あたしでも全然気づかなかった」

 確かに、普段通りではあった。けれど、言い表せないような小さな違和感が、ずっと私の中で燻っていて、黄栗も口には出さずともなんとなくそれを察している気がしていた。本来ここぞとばかりに夜更かしタイプであろう真昼が、明日もあるからと消灯時間過ぎてすぐに眠ったことも、その時はなんとも思わなかったが、今思えば微々たる違和感として胸を傷ませる。

「気づいたの、私ね、真昼ちゃんの事何も知らなかったなって」

 彼女の気持ちも、性格も、私は表面的なこと以外は何も知らない。知らず知らずのうちに、朝陽君のことばっかりになっていた。朝陽君は、朝陽君だけでできているわけじゃないのに。

「黄栗ちゃんの事も、全然知らないの」

 ずっと自分の足元にあった視線を黄栗の方へ向けると、彼女は空を仰ぐように上を向いていた。

「あたしは隠してるの。知らなくていい事もあるんだよ」

「でも、知りたいよ。友達だもん」

「知られるのって、怖いんだ」

 黄栗は空を見上げたまま目を閉じて、怒るでもなく、嫌がるでもなく、飄々と私の言葉を躱す。ふと、彼女は顔をこちらへ向けた。

「青葉と取引してたんだってね」

「あ、ええと」

 もしかして、彼女は彼の秘密を知っているのだろうか。そんな考えが一瞬頭をよぎり口籠るが、それは誰にも言わないという約束になっている。

「ううん。内容は言わなくていい。取引って言うのはね、あたしたちのリーダーからの教えというか、一種の儀式なの。つまりあの人の受け売りなんだ」

「もしかして、園城夜空さん?」

「そう、あたしたちのボス、最初は皆あの人に助けられた。だから、一緒にいて助け合う。それが決して褒められたやり方でなくても、あたしたちは皆で一緒に非行に走る」

 まるで子供が自分の武勇伝を語るように、黄栗は誇らしげな表情をしている。ボスとか、非行とか、言葉はよろしくないけれど、それがなんだか凄く素敵な響きを持って私に届くから、思わず口に出してしまっていた。

「悪い事なのかな」

「悪い事だよ。世間一般的にも、あたし達の中でも。だから皆、いつか辞めるつもり。あたし達は、いつか別れる事を前提として作られたグループなんだよ」

「それってなんだか、悲しいね。さよならするのに、仲良くなるの」

「ううん。その分、今を楽しめるの。好き勝手やって、暴れて、騒いで、大人に迷惑を掛けて、そうやって生きてるの」

 最初は何が言いたいのかよく分からなかった。でも、彼女はもしかしたら、自分のことを話そうとしてくれてるのかもしれない。私が、友達のことを知りたいと言ったから、怖くても話してくれている。

 なんて不器用な誠実さなんだろう。

「『取引』はね、どうしても欲しい物や、頼みたいことがある時、相手に誠意と信頼を持ってする儀式。儀式って言っても何か特別なことをするわけじゃない。ただの口約束。あたし達は素直じゃないガキだから、等価交換で互いの願いを叶え合うんだ」

「じゃあ、青葉君は、私を信頼してくれたんだね」

「夜空は真昼と取引したらしいよ。あたしも昔、夜空と取引をした。これもあたし達のチームでの掟みたいなものでね。内容は当事者二人以外には絶対内緒なんだよ」

「なんだか、少しロマンチックにも聞こえてくるね」

「そうだよ。夜空はロマンチストなの。でもね、あたしは天邪鬼」

「天邪鬼?」

「言うなって言われたら、余計に言いたくなっちゃう」

 にっこりと軽くウインクをして見せた黄栗ちゃんは呆れる程に可愛くて、つられて思わず笑顔になる。


 笑顔になって、凍る。


「あたしは夜空と取引をした」

 彼女の纏う空気が一転した。直前までの黄金色のトキメキが、内側に鋭利な刃を持って襲ってくる。危険の匂い。触れては行けない真っ黒な何か。

「全ての状況を把握しろ。そしてボク以外の誰にも話すな。これが夜空の要求」

 低い声だった。ここにいるのは、いつもみんなの一歩後ろで微笑んでいる朝見黄栗ではない。誰にも前を歩かせない。誰も後ろに立たせない。近寄り難くも、眩しくもある。

「赤暮と青葉には何も伝えるな。これがあたしの要求だった」

 瞬きする余裕もない。彼女の瞳の闇が、私の視線を離さない。どうして、さっきまで仲良くお話ししてた筈なのに、目の前のこの子が、この人が、こんなに遥か遠くの恐ろしい何かに感じるのか。

「どう、いう?」

 震える私から、声が出ていたかはわからない。

「あたしは全部知らなくちゃいけない。朝陽の事も、真昼の事も、夜空の事も、勿論夕理の事も」

 感情が読めない。黄栗の薄い唇が、必要最低限の動きで淡々と私に告げる。

「だから教えて、夕理には何が見えているの?」

 得体の知れない恐怖の上に、明確なもう一つの恐れが重なった。

 この人は、気づいている。

「黄栗ちゃん、怖いよ」

 私の秘密を暴こうとしている。

 助けて。助けて。助けて。誰でもいいから私を助けて。

 現実は無慈悲で残酷だった。目の前にはこの世で最も恐ろしい何か。喉の奥に支えるのは、自分の最も醜く罪深い穢れ。

 眼前の脅威と自身の本性を曝け出す羞恥を天秤にかけて葛藤する。

「答えろよ」

 視界が急に変わった。一拍遅れて、押し倒されたのだと気づく。逃げられない。そう悟り、天秤が揺れる。

 揺れる。


「あたしだって、怖いよ」


 止まる。

 違う。

 途端に、腑に落ちたように恐怖の渦が止まった。消失したわけではない。しかし、私の中の濁流がせせらぎになって、上流が下流に変わった。

 そっか。私が助けてあげないといけないんだ。

「お化け」

 黄栗が目を見開く。

「死んだ人の幽霊が見えるの。夕焼け空の下でだけ。その幽霊が私のことを知っていれば知っている程鮮明に見える。知らない人の幽霊でさえ、薄っすらと見える。多分、生きてる人間に、私に興味があるんだと思う」

 天秤はもう粉々に砕け散っていた。

「夕理」

 とっくに黄栗は異質な空気はおさめたのに、私の秘密は、繋がった糸に引かれて全て落ちていく。

「昔から私を見守ってくれているご先祖様は全身はっきり見えるし、声も聞こえるし、一緒に住んでる。でも生きてるお母さんは、一度は私を気味悪がって出て行った」

 彼女の声が遠い。

「夕理、もういい」

 話す。

「お父さんは私を病気だと思って優しくしてくれる。弟は見えないのに、私を信じてくれる。妹はまだ幼いから、きっと理解できてない。それがどうしようもなく辛い」

 うちに潜んだ靄を追い出すように、話す。

「夕理」

 名前を呼ばれるたびに、喉が広がっていく。

「大好きな家族が、暖かい場所が、私のせいで壊れていく」

 最後の一滴まで絞り出そうと、声がどんどん落ちていく。

「…………」

 もう堰は崩壊した。

「でも朝陽君は! 私を信じてくれたの!」

 叫ぶ。

「忘れちゃってるかもしれないけど、私を怖がったり、変な子だって言ったりしなかったの! だから好きになったの! 初恋だったの!」

 必死に叫ぶ。壊れた堰ごと、吐き出していく。

 壊れてはいけない何かが、私の中の大切な何かが、出ていきそうになる。

「分かった! 分かったから少し落ち着け!」

 肩を強く掴まれて、衝撃でひゅっと喉が閉まった。

 いつのまにか出ていた涙を、黄栗ちゃんが拭ってくれた。

「悪い。話してくれて、ありがとう」

 黄栗ちゃんはそう言って私を抱きしめた。本当に申し訳なさそうな顔をするものだから、私は元凶であるはずの彼女にもたれて泣いてしまった。そうして、全力疾走をした後のように鳴る心臓の音が止むまで、彼女は優しく背中をさすってくれていた。

「黄栗ちゃん」

「何?」

 落ち着いた私にタオルを渡しながら首をかしげた彼女に、私は報復の意を込めて少々わがままを言ってみた。

「黄栗って、呼んでもいい?」

「は?」

「ダメかな?」

 唖然として口を開けっ放しにしていた黄栗は、いつもの淑やかな微笑みはどこへやら、悪戯っ子のような顔で大笑いする。

「ダメなわけないだろ」

「ありがとう」

 ひとしきり笑った後、黄栗はばちゃんと雑に足を湯につける。私に背を向けると、片腕を掲げて肘を持ち伸ばすような動きのストレッチを始めた。

「夕理が知れてよかった。脅すような真似してごめんな」

「でも、黄栗のことが知れたよ」

 振り向いた黄栗とパチクリと目を合わせる。同時に、私たちは笑い合った。



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