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夢と朝日と夕闇に  作者: 海田マヤ
第二章 真昼の命
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少女の決意 ②

 


 私が鈴蘭としての記憶を取り戻し、真昼の人格と混合した時のように、浅葱の亡くなった年齢の命日になれば朝陽も全てを思い出してくれるのだろうか。

 その時朝陽は、美影朝陽として恋人の夕理を選ぶのか、それとも浅葱として運命を貫くのだろうか。

 もしも、浅葱があの後物凄く長生きをしていたら、夕理と結ばれた後になって記憶が戻ったりしたら、取り返しのつかないことになるのではないか。

 様々な仮定が頭の中を過ぎり、一抹どころではない不安が押し寄せる。

 冷静になって現実的に考えようとしても、そもそも根本からして現実味のない話だ。

 覆りようのない現実は、複雑怪奇な幻想物語のようで、誰かに相談できる筈もなく、私の意識だけを蝕み続ける。

 たった一つ、変化し続けるのは、日を増すごとに重なって行く浅葱への、朝陽への恋慕の情のみだった。

 絶対に成功させる。

 夕理には渡せない。たった数日の付き合いでも、彼女が優しく芯が強かで、本当に可愛らしい少女なのは理解した。

 それでも彼女を排除しなければ、私の願いは叶わない。

 私には夕理をどうにかする事など出来ない。

 だから、夜空に頼る。

 私を真に想うと言うのなら、私の幸せを願うと言うのなら、彼は私の友人を傷つけるようなことはしない。

 勿論、朝陽の事もだ。

 誰も傷つけず、朝陽を取り戻すことが出来る方法など、私には到底思いつかない。

 それでも私は、彼の暗い暗い眼に希望を見た。

 私は、私のすべき事をするだけだ。


 **************


  夜も更け、足を乗せるたびに軋む廊下の床に不安感を覚えながらも、修学旅行のしおりに記載された別館に向かう。引き戸を開けると、既に数十人の生徒が暇を持て余していた。下駄箱には同じ色のスリッパが隙間なく詰められていて、どれが誰の履いて来たものかは既に分からない。中には目印になるように二つのスリッパを重ねたり、表裏を逆にして置いたり、私物を置き去りにしている人もいるようだ。昔はそれが当然だったが、真昼が畳の上を裸足で歩くのは初めてかもしれない。あの頃、履物を身につけずに邸内で過ごし、ささくれたイグサで足を傷つける事も珍しくはなかった。しかし足を乗せると意外にも感触は柔らかく、山中だからか日に焼けていない畳は目立つ痛みもなく、私は安心して足を進めた。

  数十ある机の下の床は掘られていて、座布団に座って足を伸ばせる形になっている。この部屋には一年生だけが集められていて、明日のミーティングも兼ねて、これから陶芸体験が始まるそうだ。

 班毎に集まるように、番号札が机の真ん中に立て掛けるようにして置かれ、私達が到着した時には既に朝陽と赤暮と青葉が奥から順に座っていた。

「あれ、黄栗はどうしたの?」

 正面に並んで腰掛けた私と夕理の二人を見て、朝陽は首を傾げた。赤暮と青葉は何かを察したようで、悟った表情をして同時に溜息をついた。

「お腹が痛いらしくて、部屋で休んでるよ。赤暮に伝言だって」

 夕理は心配そうにそう答えると、赤暮が「ん?」と顔を私達の方へ向けた。

「俺にか。なんだって?」

「あたしの分はお前に任せた、ですって」

 黄栗の物真似付きで親指を立ててそう言うと、赤暮は引きつった表情で、当人がいたら満面の笑みでからかわれそうな反応をした。

「この短時間で二つ作れってか!」

 青葉も呆れてはいるが、微笑を浮かべて赤暮の肩を叩く。

「手伝うから」

「あの野郎、ぜってえサボりだろ」

 体の後ろにやった腕を伸ばし、頭を逸らして天を仰ぐ赤暮の目は、本気で恨みがましそうに遠くを見つめていた。

「大丈夫? 私も少しなら手伝うよ?」

「別に平気です。いつもの事ですから」

「そう?」

 夕理の気遣いを、相変わらず素っ気ない態度で交わす青葉の表情が、ほんの少しだけ和らいで見えるのは、風呂上がりだからだろうか。マスクは常備の為、本当に僅かな差な気もする。

 下心付きとはいえ、最初に夕理をこの班に引き入れたのは青葉だ。しかし夕理に対してだけ、彼は妙に冷たく接する面があると思う。

 何か事情があるのだろうか。

 まさか愛情の裏返しとか、などと乙女の主観満載の人間関係の妄想を繰り広げていると、また奴が現れた。

 皆、そろそろ現れるタイミングの予想がついて来たのか、すでに驚く者は一人もいなかった。

「慣れない集団行動で疲れたのかもね。彼女は少し神経質なところがあるから」

「どこから湧いた」

 朝陽が敵意を剥き出しにして言うのも気にせず、夜空は本来の鋭い眼光を緩和するように、人の良い微笑みを深める。

「失礼だな。ずっと居たよ。真昼のいる所なら、俺はどこにだって行くし、いつからだって、いつまでだっている」

「夜空さん怖いっす怖いっす。ほら先生来たから始めんぞ」

 赤暮が軽く流したが、今の台詞は流石に背筋に悪寒が走った。

 本当に、この男の私に対する心酔は一体何を原動力としたものなのか計りかねる。

 因みに、陶芸体験は高校一年生限定の行事の為、程なくして夜空は有馬先生に追い出された。制服のままだったので風呂の順番もまだ回って来ていないのだろう。

 特に不服そうな面持ちでもなかったので、追い出される事も予測済みだったらしい。

 彼はひらひらと手を振って部屋を出て行った。振り返す気にもならなかったが、目を逸らすのも不自然な気がして、彼が出て行くのをじっと見送った。

 程なくして、如何にも職人の貫禄を感じる格好をした陶芸教室の先生が登壇し、軽い説明を受けた私達は限られた時間の中で作業に取り掛かった。

「青葉君、それってもしかして天の川と北斗七星? あ、北極星もある。凄く細かいね。星が好きなの?」

「まあ、普通です」

 夕理が正面で黙々と手を動かし続ける青葉に声を掛けたので、思わずそちらに目をやると、既に模様を描く段階に移った彼の湯呑み茶碗は、驚くほど繊細な細工が成されていた。

「普通って、細か過ぎでしょう。手先が器用というか、随分と凝り性なのね」

「どうも」

「それはそうと、赤暮のお椀に描かれているのは一体なんの怪物かしら」

 軽く受け流されてしまったので、興味を隣の赤暮に移すと、彼の手で力強く握られた椀には、下手を通り越して独創的とも評価できそうな生き物が誕生しつつあった。それが生き物だと認識できたのは、目が辛うじて二つあるからだ。

「何も言うな。熊のつもりだったんだ」

 机に作品を置いて手を休める赤暮の肩を、青葉が同情の眼差しを向けながら叩いて慰めた。

「黄栗の分は、やっぱり俺が作りますから、なんとかその熊に手足をつけてやって下さい」

「俺にまで敬語使うなよ。悲しくなる」

 流石に幼馴染といったところか、熊の顔までは認識できたようだ。

 感心していると、後ろの席で作業をしていた同じクラスの女子達が、ここぞとばかりに赤暮に絡み始めた。

「赤暮君なにそれー」

「やばーい」

「赤暮っぽい」

 あっという間に女子に囲まれ出した赤暮を尻目に、私は自分のマグカップ型の作品に絵ではなく模様を描こうと模索していた。

「朝陽君は、わあ! 凄く綺麗だね」

 夕理が高い声を上げたが、今度はそちらを見ようとはしなかった。すぐに照れ笑いをする朝陽の声が聞こえて来て、やはり見なくて良かったと安心した。

「あはは、ちょっと恥ずかしいな」

「凄く上手だよ、一目で分かるもん。鈴蘭の花だ」

「え?」

 一輪の鈴蘭だった。

 小さなフリルのような形の特徴的な花弁と、いくつかに分かれた細い茎、葉の形まで綺麗に再現されていて、描き手がその花を日常的に目にしているのだろうと分かる。

 その描き手が朝陽でなければ、私はここまで動揺していない。

「鈴蘭が好きなの?」

「うん。何故か知らないけど、昔からよく夢に出てくるんだ」

 朝陽は手を止めて、指先でそっと鈴蘭の花の絵を撫でると、自分の作品を懐かしそうに見つめた。

「夢?」

「怖い夢でも、明るい夢でも、不思議な夢でも、いつも鈴蘭の花が視界の片隅に咲いているんだ。夢の中で視界って言うのも変な話だけどさ」

 抽象的な表現を言葉にして、朝陽は苦笑しながら照れ臭そうに頰を掻く。

「好きだから出てくるんじゃねえの?」

 赤暮はそう言って首を傾げるも、震える手先で下手な細工を施すことに没頭しているようで、視線を上げることはなかったが、私はそのことに心底安心した。

 もし今、視線を上げられていたら、彼には正面に座る私の表情が丸見えだった。

 投げかけられた当然の疑問に、朝陽は首を振って必死に伝えようとする。

「いやそれがさ。夢の中の鈴蘭は、すごく綺麗なんだよ。まるで、この世の物とは思えないくらいに、真っ白で、ふわふわ揺れるんだ」

 詩人のような物言いの朝陽を揶揄してか、少し皮肉を含んだ声色で青葉が言う。

「随分とロマンチックな夢ですね」

「ええー、そういうのじゃないんだって。語彙力が欲しいよ」

 そう言って肩を落とした朝陽に、夕理が微笑みかけた。朝陽の夢の鈴蘭に皆興味津々と言った様子だ。

「ちょっと見てみたいなあ。朝陽君の夢の鈴蘭」

「俺も俺も」

 冷やかす彼らの声が遠い。朝陽の発した言葉の重みが、私にとっては時も場所も故人すらも超えている。

 自分の顔の表情筋が、まるで凍ったかのように思えた。目頭が熱くなるような感覚を持つと同時に、頭の芯の部分が急速に寒冷して行くような妙な体感は、幸いにも他人には悟られずに済んだようで、俯いて目を瞑った私の様子に目を向ける者はいなかった。

「見せられるものなら見せたいよ」

「夢という事象の原理は、科学的にも明らかにされていないそうですからね」

「不思議だよな」

 私が愕然としている間にも、彼らの話は進み続ける。それに合わせていられるほど、私は冷静ではいられなかった。

 込み上げた感情の名はなんとも形容し難く、誰にも聞こえないように、ポツリと素直ではない一言をこぼすのが精一杯だった。

「なによ」

 何も覚えてなどいない癖に、夢で私の名を象徴する花を想うだなんて残酷だ。朝陽は確実に鈴蘭の面影を追っている。きっと、深層心理では覚えている。

 かつて私がしたように、何かを犠牲にして何かを成し得る行動力を持つ夕理になにか、運命めいたものを感じたのかもしれない。

 機会は必ずある。いつか朝陽が思い出した時、隣にいるのが私ではなかったら……

 もう二度と後悔はしたくない。

 込み上げる熱を押し殺して、私は笑顔を貼り付けた。

 私は、【舞崎真昼】を演じきる。


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