少女の能力 ③
私はある事を自覚している。
所有するのは前世の記憶、私の命は言うなれば二周目だ。
大昔の何処か遠くの小さな農村で、私は姫宮として生贄となり、若くしてその世を去った。
私はこの世に改められたその姫宮、鈴蘭の成れの果てだ。けれど、何も生まれた時から記憶があったわけではない。
齢十五の時、おそらくその日が鈴蘭の命日だったのだろう。
突如として頭の中に流れ込んだ記憶や情報の渦、舞崎真昼とは違う他の存在の自我は、志向の混乱を招き精神を蝕み、なんて事はなく、異様にしっくりと頭に馴染んだ。
それはまるで、そこにあるべきものだったような、或いは最初から抜けていたピースがぴったりとはまったような、腑に落ちたような気持ちになった。
私は鈴蘭でもある。だが、同時に真昼でもある。
鈴蘭が浅葱を好きになり、真昼は朝陽を好きになった。
それこそは必然、死んでも後世で自我を保ち、異能力を発現させてしまう。そんな現実離れした突飛なことを可能にしてしまう程の強い意志を持つ鈴蘭の体である私が、浅葱以外を好きになどなるだろうか。
きっとそれこそ、天地がひっくり返ったとしてもありえない。
朝陽は浅葱の生まれ変わりなのだ。
時折垣間見える浅葱の面影が、鈴蘭の胸を締め付けて、真昼の心を引き寄せる。
浅葱としての記憶が戻るのか、戻らないのかは分からない。
それでも私は今度こそ運命が二人を分かつことはないと、信じていた。
だけどこの世界でも、神様は意地悪だった。
私の初恋の人であり、前世からの運命の相手は、浅葱の生まれ変わりである自覚がない朝陽につけこんで、突然出てきた夕理と言うノーマークの伏兵にあっさりと奪われてしまったのだ。
村娘に奪われた王子様を取り戻す為に選んだ騎士は、なんと姫に恋慕の情を持つ悪の総統。
メルヘンチックな例えをしたが、これはそんな綺麗で幻想的な話ではない。
さあ、怒涛の修学旅行が、本当の始まりを告げる。
*********
外壁を飾る花壇には、山吹色の見事な花が咲き乱れ、見渡すと四方を囲む山々の紅葉が美しく、舞い落ちる葉さえも秋分の情緒を感じさせる。
決して豪勢で最高級なんて触れ回れるような外観の旅館ではないが、古めかしい朱色の茅葺き屋根のなんとも風情のあること、懐古趣味というわけではないが、懐かしみを覚える景色と建物はとても居心地良く思えた。
宿の表には、此方ヶ丘高校御一行様と達筆で書かれた木製の立て札が掛けられていて、思わず写真を撮った。
古民家じみた外見とは裏腹に、掃除の行き届いたフローリングの床の広々とした玄関口では、女将さんらしき年配の女性から、深々としたお辞儀と歓迎の言葉を頂いた。
着物の裾を殆ど動かさずに移動するその優美な動作は、女性らしい粛々とした美しさが滲み出ていて、どこか憧れるものがあった。
「えー、事前に配られたしおりの通り、この後は部屋に荷物を置いて荷解きを済ませ、山麓の町を班行動で散策します。昼食は各班予定通りの店で取るように。歩きながらの食事や道に広がって歩くなどの迷惑行為をしないよう、注意を払って節度ある学生らしい行動を……」
学年主任である教諭の長話を右耳から左耳へと聞き流す。私達は、ちょっとした講義室のような広い部屋に集められていた。
一つの長机に三人ずつを目安に座ると、私たちの班の男子三人とは随分と距離が開いてしまった。
木枠に囲われた障子の趣ある窓とはミスマッチな教卓とホワイトボードには、しおりの確認、宿の規則、自由行動について、班課題、といった言葉の羅列が読みやすい大きな字で箇条書きされていた。
しかし、やはりそれを真面目に聞く者は数少なく、生徒は皆、要点を頭の片隅に留めておく程度に済ませ、こそこそと雑談に興じていた。
室内に入る際に、クラス列に変わって班の順番で座らされた私の隣に座るのは、珍しく片側を編み込んだ髪を下ろしている黄栗だった。
黄金色の髪に映える、フリルをあしらった白いリボンの髪飾りが可愛らしく、よく似合っている。
「話長いねえ」
机に立て肘をついて、退屈そうに言った黄栗の言葉に苦笑しつつ、その奥に座る夕理にも聞こえるように言う。
「私達の部屋は何号室だったかしら」
「女子は三階だったよね」
「三〇一なら角の部屋じゃない?」
「景色とか、どうかなあ」
後方の席なのを良い事に、先生の話もそっちのけで話す私達は、後ろの列にいた演劇部の友人に揚々とした声で話しかけられた。
「真昼、夜に演部女子で集まろうってー」
「女子会しよー、オール!」
「いや、徹夜はガチで無理でしょ。まだ一日目だし」
「寝起きドッキリしたいし」
「恋バナ、大募集!」
「しー! 先生がこっちを見ているわよ!」
部屋の入り口付近のパイプ椅子に座っていた副担任の鋭利な視線を感じ、姦しく流行語やら略語やら女子高生特有の単語を乱用しながら今夜の女子会に向けて興奮気味の友人達を諌める。
「とりあえず、詳しい話し合いは後で、自由行動中にチャットでしましょう」
「りょーかい」
小声とも言えぬ小声でそう言うと、額に人差し指の側面を当てただけの安直な敬礼をして、演劇部の仲間達は先生の話を聞くことにしたらしい。
前に向き直ると、先生の話は大方終わっていて、いつのまにか私達の担任の三崎先生が金銭面の注意喚起をしていた。
ふと、離れた位置にいる我が班の男子陣の方を見やると、やはり退屈そうに、それでも真面目に耳を傾けている朝陽と、背筋は伸びているが机の下で器用にペン回しをする青葉の後ろ姿が見えた。赤暮に至っては、すでに机に突っ伏してぼーっとしている。
「土産物を買う機会はこの先も何度かあります。荷物を増やさないよう上手く計画を立てる事を念頭に置いて、節度を持って楽しんで来てください。以上です。部屋で荷物整理後、各班は班長を中心に集まって、必ず全員で出発しましょう」
機械的なまでに効率良く凛々しい三崎先生の話が終わると、生徒達は弾かれたように騒々しく話し始める。
待ち焦がれた修学旅行が、ついに始まった。
その期待と興奮もままならぬ内に、私達はいよいよ二泊三日を過ごす拠点へ腰を落ち着ける。
まずは部屋だ。普段の就寝がベッドの私は、畳の上に友人と布団を並べて寝るという行為そのものが新鮮で、心が躍る。
「話がいつも以上に長かった」
「殆どしおりに書いてある内容なのにな」
「みさちゃんはともかく、四組の担任なんて喋ってる言葉、半分古語だぜ」
「辞典が必要だっての」
「俺達は二階の角部屋です。階段を使いましょうか」
集会が終わった後、男子と合流して部屋の場所を確認し合いながら、メインロビーを通ってエレベーターへと向かう途中、三崎先生が私たちを引き止めた。
「現原君」
彼女の目的は一人だけだったようだが、思わず一緒にいた全員がその場で足を止めてしまう。
先程教室の前方で凛々しく喋っていた時とは打って変わり、いつも以上に堅く引き攣った声で赤暮を呼び寄せると、手を胸の前に彷徨わせ、不自然に視線を泳がせた。
明らかに違和感を感じさせる様子の先生に、赤暮は疑問符を浮かべながらも、敢えていつもと変わらぬ調子で返事をする。
「ん? なんすか、みーさちゃん」
「三崎先生、です。その……」
条件反射だろうか。只ならぬ様子はそのままだが、真面目な三崎先生は普段通りに呼び方を正す。
しばらく逡巡した結果、意を決したように拳を握り、先生は赤暮と視線を交わした。
「気をつけて」
それは、感情の起伏の少ない三崎先生らしからぬ声色だった。
いつも人形のように無表情で、事務的な三崎先生の冷たい目に、一瞬だけ熱が篭ったように思えた。
「へ?」
赤暮どころか私達まで惚けたところで、三崎先生はいつもの美人な仏頂面に戻る。
「いいえ、やはりなんでもありません。修学旅行を楽しんでください」
そう言って首を振った三崎先生は、すぐに長い黒髪を靡かせながら教師陣の控える部屋へ戻って行った。
「なんだあれ?」
未だ唖然としたままの赤暮の背中を、私は空気を変えねばと言う義務感から、思わず励ますように手のひらで叩いた。
「痛っ」
自身の背中をさすりながらも、実際大した痛みではないのだろう、目を丸くしているのは単純な驚きによるもののようだ。
「大方、貴方がクラス一の問題児だから、何か問題を起こさないように釘を刺されたんでしょう」
「赤暮ドンマイっ」
私の発言に吹き出した黄栗が、今までの空気を感じさせないくらいに高らかに大笑いする。朝陽も青葉も苦笑を浮かべてはいるが、三崎先生の背中が見えなくなるまでは、彼女から目線を外さなかった。
赤暮は口をへの字にして、不機嫌丸出しといった表情を浮かべ、黄栗に話題を転嫁しようとする。
「うるせえな、真昼はともかく黄栗は人の事言えねえだろうが」
しかし流石の黄栗、人を小馬鹿にしたような顔で、態とらしく語尾を伸ばす。
「不良が何か言ってるぅ」
「むきいいい! お前もだっての!」
不良と言われること自体を嫌忌している訳では無いようだが、純粋に悪口として言われると気に食わないようで、子供のように地団駄を踏む。
それを見た青葉が澄まし顔で、しかも常時の話し声よりも大きな声で言った。
「不良が何か言っていますね」
「お前らなんでこういう時の結託は半端ないんだよ」
赤暮はとうとう怒りも忘れて呆れ果てた。
黄栗が赤暮を揶揄し、それに便乗して青葉が赤暮を揶揄し、そのやり取りを見て皆が思わず笑ってしまう。
エレベーター内でも、繰り広げられる信号組の滑稽な喜劇は終わらない。
「赤暮、飴と鞭って、大事だよね」
唐突に、最初にエレベーターに乗り込んだ黄栗が、開ボタンを押し続けて扉を保ちながら、聖母の如き柔和な微笑を浮かべる。
「おう? よく分からねえけど、急になんの話だ」
「あたしは赤暮にとっての鞭だよ。愛の鞭ってやつなんだよ」
大仰な仕草で、まるで舞台劇のような振りをつけながら、感情たっぷりな声で言ってのける。
もし黄栗が演劇部員だったならば、いい役が貰えただろうに。魔女とか、ハートの女王様とか凄く似合いそう。
悪役というのはイメージこそ悪いが、その実以外と重宝されるし、相応の演技力の求められる役割だ。
彼女が部活を茶道部に決めた理由は、「勧誘が一番早かったから」だそうだ。他の部活は金髪に怖気ついたのか、なかなか声をかけてこなかったと言う。
黄栗のような戯曲という宝石の原石を目前にしながら、茶道部に先を越されてしまったのが何よりの後悔である。
「そんな屈折した愛情はいらねえ……。その理屈だと、飴は朝陽だな。俺に意地悪言わないし!」
全員が同じエレベーターに乗り込めたところで、赤暮は希望と信頼に満ちた目を朝陽に向けた。
「不良が何か言って」
「おいいいいい! 朝陽いいいいい! 俺の唯一の味方が」
大袈裟に騒ぎ続ける赤暮が愉快で、ここに居ると、普段の苦悩も不安も、全てが吹き飛ぶような気がしている。この時間だけは、私は鈴蘭としてではなく、真昼としての色が濃くなる。
「不良が何か言ってるわねえ」
私がエレベーターの閉じるボタンを押すと同時にわざとらしく言うと、赤暮はとうとう堰を切ったように叫び声をあげる。
「俺はヒーローになる男だああああああぁぁぁぁぁ」
けたたましい赤暮の叫びは、閉じて行くエレベーターの扉に遮られ、そのまま上階へと吸い込まれて行った。
****
班別の自由行動が開始すると、一旦宿を後にした私たちは、事前に下調べをしておいた茶屋で昼食にありついた。
数ある他の班はこの茶屋には足を運んでいないようで、もしや隠れた名店というやつを発見したのではと大はしゃぎしたのもつかの間、私達は運ばれて来た食材の豪勢さに目を剥いた。
「この栗ご飯、超美味え! 栗の実だけじゃなくて、米も程よく炊き込まれて粒立って、歯ごたえが最高だぜ」
「本当、味噌汁もあっさりしてて濃くないし、焼き魚の骨は柔らかくて凄く食べやすいわ」
「グルメレポーターごっこ?」
秋の味覚をふんだんに使用した料理の数々が、紅葉柄のお盆に乗って提供され、ここぞとばかりにスマホやカメラを取り出し、手を合わせて箸に手を伸ばした。
赤暮と私が早々に料理を貪り食べる中、朝陽に苦笑いされて、夕理に自前のカメラで写真を撮られた。
事前に予約をしていた為、昼時でも六人の席が離れることをなかった。
私の隣に座る黄栗が、正面の青葉に大根おろしと秋刀魚の塩焼きの盛られた四角い皿を差し出した。
「あたし魚苦手だから、青葉が食べていいよ」
「別にいいけど、好き嫌いをすると赤暮がうるさい」
青葉の魚は綺麗に身と骨が分けられていて、背骨すら指一本使わず箸のみで食べている様子から、彼の天才的なまでの器用さと几帳面さが伺えた。
黄栗から皿を受け取った青葉の横から、案の定赤暮が待ったをかけた。
「おい黄栗、骨避けてやるから食えって。お前、面倒臭がってるだけで魚自体は嫌いじゃないだろ」
「おかん」
「娘を産んだ覚えはねえ」
赤暮の盆を見ると、意外にも綺麗に魚の骨が分けられていた。青葉と違い手が多少汚れることも気にしないので、骨に皮すら残されていなし、小骨は噛み砕いたようだ。
朝陽も魚が好きなので、上半分から食べて肝は残すという模範的な食べ方が定着している。
男子って粗雑さが目立つようで、意外と食べ方が綺麗なのよね。特に赤暮なんて、腹が膨れれば良いみたいなイメージがあったのに。
私がなんとなく観察していると、夕理も似たような事を思っていたようで、お新香を白米の上に乗せながらこう言った。
「なんだか意外、赤暮君ってしっかり者なんだね」
「そうだよ。赤暮の家は共働きだから自炊もするし、料理が凄く上手い」
黄栗が得意げにそう答えると、身と骨を選別しながら赤暮が捕捉する。
「共働きっていうか、自営業だけど」
「逆に黄栗ちゃんが好き嫌い多いのもびっくり、なんとなく大人っぽいイメージがあったからかな」
夕理の言葉に、赤暮は「は?」と驚いたような声を上げて、怪訝そうに眉を顰めた。
「こいつが大人っぽい? 嘘だろ、どこがだよ」
「ええ?」逡巡して、しかし大して考えるまでもなく夕理は言う。
「なんか、落ち着きがあって、簡単に怒ったりしなさそうで、優しくてお淑やかな感じがするかな」
「へえ、ありがとう」
「私も最初、少し大人びた子だなって思ったわよ?」
「ああ、僕もだ。身長が高かったのが主な要因な気もするけど」
私と朝陽も、黄栗との初対面のタイミングは同じだったが、最初は金色の髪が地毛だと錯覚したほどに、彼女の同級生とは思えない達観した雰囲気を察した。
「ふーん」
赤暮は興味が無いとも興味深いとも取れるどっちつかずな反応をして、話の傍完璧に捌いた黄栗の魚を返した。
「そんなもんか、俺は初対面が小学生の頃だったからなんとも。あ、黄栗の料理はやべえぞ、色んな意味で」
「それは、良い意味でかな。悪い意味で?」
朝陽が顔をひきつらせる。
「どっちの意味も含みますね」
音を立てず味噌汁を啜る青葉の表情からは、その真意を読み取ることはできない。
好奇心から、私が興味をそそられたその時だった。
「ちょっと食べてみたい気もするわね」
「やめておいた方がいいよ」
自然に会話に混じり込んできた声は、聞き慣れない、ここ数日で何度も聞いているのに未だ違和感の消えない不思議な低音だった。粘着質で神経にこびりつくような、不快では無いが独特の声だ。
「真昼が体調を崩したら大変だから。あれの料理は料理じゃない」
「げ」
しかも割と至近距離、私のすぐ背後から聞こえてきたので、思わず女っ気のない声を出してしまった。
「夜空さん!」
「あたし酷い言われよう」
「夜空さん、お一人ですか?」
「あっ、ストーカー野郎!」
「だ、誰?」
振り向くのも億劫で、前を向いたまま無視を決め込みたい心境だったが、思いの外みんなの反応が大きかった。朝陽に至っては、驚いて椅子から立ち上がる始末だ。
「やあ、俺は園城夜空、二年生で赤暮達の知人だよ。そんな声を出すなんて酷いなあ真昼、俺達の仲じゃないか」
爽やかで明るい、まるで良き先輩といった風な体裁で、夜空は主に夕理や朝陽に向けて言った。
私の椅子の背もたれに腕を乗せているのか、随分と近い位置から声が聞こえてくるのが不愉快でならない。
「どんな仲よ。勝手に名前を呼び捨てにするのはやめてちょうだい」
「真昼、先生呼んでこようか?」
私に小声でそう告げた朝陽の声は丸聞こえなようで、夜空はニコリと笑って言う。彼の顔は見えない位置にいる私でも、側から見ると好青年にしか見えないあの笑顔を浮かべていることは声色から想像に難くなかった。
「何もしやしないさ。ただちょっと、この班に頼みがあって来たんだ」
「頼み?」
朝陽の顔を見上げると、滅多にないほど夜空を睨みつけ、威嚇するように拳を握っている。
不謹慎にも、少し嬉しさを感じてしまった。
「夜空さんの頼みなら、なんでも聞きますよ」
あるいは盲目的に、
「そうっすよ! 任せてください!」
あるいは忠実に、
「人の料理馬鹿にする奴の頼みとか聞きたくないんだけど」
「こら黄栗」
あるいは少し他とは違う形で、
「いいかな、美影朝陽君?」
まるでこの男に付き従うように、彼らは夜空の持つカリスマ性とも言える何かに惹き寄せられている。
この個性的な面子を侍らせる何かを、彼が持っているのだとしたら。
私はちらりと夕理の様子を伺った。
この状況に一番即しておらず混乱しているのは彼女だろう。明らかに態度を変えた信号組や、激昂しかけている朝陽に不安を感じているのか、困った表情を浮かべながらも様子を見ているようだった。
俯いた私を心配してか、朝陽はまた小声で私に問いかける。
「……真昼、大丈夫?」
「ええ」
朝陽にはきっと、私がストーカーを怖がっているように見えている。
夜空を信用するならば、朝陽と夕理を破局させる作戦を立案し、実行しに来たことになる。
さあ、どう出る。
それは、紛れも無い期待だった。
しかし、それは予想だにしなかった形で裏切られる。
「実は見ての通り、俺は友人にハブられていてね。寂しく単独行動をしているんだよ」
「は?」
間抜けな疑問の声を上げたのは誰だっただろう。
夜空以外の誰が上げても可笑しくは無い。全員が口を開けたまま、数秒黙り込まされた。
「クラスメイトにイジメられているんだ。そこで頼みたいのは、この修学旅行の間、君達の班員として行動を一緒にさせてもらえないかな?」
作り話にしたって無理があるだろう。あんた不良グループのリーダーっていう話じゃなかったか。
しかも話の内容の割に全く落ち込む様子も追い詰められた様子も見受けられない。口元には依然として笑顔を浮かべ、淡々と用意していたような台詞を述べきった。即興だったとしたらそれはそれで物凄いセンスではあるが。
期待した私が馬鹿だったのかもしれないと頭を抱えた。
「はああああ?」
盛大に声を上げ、今にも掴みかかりそうな朝陽を諌めるように、不穏な空気を察した夕理が見当外れなことを言い出した。
「あ、朝陽君落ち着いて。それは、大変ですね」
「夕理! 待って、絶対嘘だから、こいつイジメられるようなキャラじゃ無いでしょう! 絶対何か企んでるよ」
本気で夜空の相談に乗ろうとするお人好しな夕理の態度に、朝陽は普段の穏やかさが嘘のように取り乱して指を夜空に突きつける。
取り立て的にした様子もなく、夜空は飄々と言い放つ。
「辛辣だなあ、俺だって後輩を頼るなんて情けないと思っているさ。けれど、ここなら気の知れた古い友人達もいるし、何より想い人と少しでも共に時間を過ごせるんだ。不自然なことはないだろう?」
こんな演技とも言えない茶番、彼を少しでも知る人からしたら、何かを企んでいると宣言しているようなものだ。
もしや、演技や嘘が下手なのでは無く、そもそも演技をするつもりがないのではないか。
朝陽を騙す必要はない。信号組は、説明をしなくとも自ずと協力者になる。そして、私と彼は【取引】をしたのだ。
夕理さえ味方につけて仕舞えば良い。彼はそう判断し、わざわざ丁寧な自己紹介をし、妙な設定を付けて彼女の同情を誘ったのだ。
期待はずれ、と評価するにはまだ早いのかもしれない。
「僕は絶対嫌だからね! よく考えたらこの間のアレ、立派な傷害罪だよ」
興奮収まらない朝陽が、ついに覆りようのない夜空に不利な正論を口にし始めた。
夕理が事情を詳しく知ろうと口を開きかけたのを、私が遮って朝陽に言う。
「朝陽、私からもお願いしていい?」
「え、真昼?」
顔を上げた私を、間抜けな顔で見下ろす朝陽に、ほんの少し罪悪感を感じながらも、私は演技を続けた。
「貴方以外の班員は、全員賛成よ。班長なら、自分の意見を変えてでも尊重すべきじゃない?」
「でも、真昼はそれでいいの?」
朝陽の矛を収めるのには成功し、怒りは収まったようだが、急に冷たい態度をとった私を訝しんでいる。
当然だ。朝陽は夜空から私を庇っているつもりだったのだから。
「いいの。実はあの後、少し話し合って和解したのよ。この機会に、きちんと清算させてあげたいの」
諭すように朝陽の肘元を掴み、席に座るよう促すと、渋々といった様子で朝陽は腰を落ち着けた。
「分かった。真昼がそこまで言うのなら、いいよ」
納得はせずとも、私の言葉を信用し引いた優しい朝陽と目を合わせ続けることはできなかった。
やっと後ろを振り返った私の目に映ったのは、やはり人当たりの良い微笑みを浮かべて、あざとく手の平をちらつかせる男だった。
「どうも、三日間よろしく班長君」
伏し目がちのそれが細まり、どこまでも黒い夜空の瞳が歪んだ。
私は悪魔と契約してしまったのかもしれない。
ただし私が売ったのは、魂などと言う抽象的な物ではなかった。
物質的ではないが、確かに形を持つ物。これまで朝陽と築いてきた、大切で、いつかは壊れる必要のあったもの。
壊さなくては進めないそれを、夜空は外側からぶち壊した。
それは文字通り、私の幸せの為に、私だけの幸せの為に壊されたのだ。