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夢と朝日と夕闇に  作者: 海田マヤ
第二章 真昼の命
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少女の能力 ①


少女は自室の寝台の上に一人、物憂げな表情を浮かべて腰掛けていた。四隅を合わせて丁寧に敷かれたマットレスとシーツ、小花柄のガーリーな掛け布団は、今の少女の陰鬱な雰囲気とは掛け離れている。

 降ろされた髪は無造作に跳ね、自然に脱色した細い毛の束が唇の端に引っかかるが、今はそれを払い除ける事もしない。女優の道を志す者として、最低限の身だしなみは決して欠かさない普段の彼女からは想像出来ぬ程に、まるで人形の様にただ一点を見つめる。

 その瞳には生気は無かった。

 少女の名前は舞崎真昼、輝ける青春を謳歌する花の女子高生である。

 真昼が意識を馳せるのは、つい昨日の夕方頃に起きた、とある出来事だ。それは年端もいかぬ少女自身にとっては、茫然自失とした空気を纏うには十分な原因であり、悲痛な傷を負う事となった

 虚空を見つめ続ける少女の瞳に、涙は無かった。



これは、私の最大にして最強の特徴、部活動に青春を注ぐ平均的な女子高生である私が持った、おそらくは世界で唯一の才能の話だ。

 【生まれつき体が丈夫】

 私が自身の特異性に気づき、体裁を保つための嘘を貫くようになったのは、まだ言葉も覚束ない小学校低学年の時だった。

 それまでも、不思議に思う事が無かったわけではない。しかし、純粋で幼い私は、最初はそれが普通なのだと思い込んだ。

 幼稚園児の頃、体の弱かった母を持病で亡くした私は、毎日が悲しくて仕方がなかった。

 兄と父は大層私を心配し、時間が癒してくれると信じて一緒に悲しんでくれた。私が母の面影を追わないように友達も、私が立ち直りやすいように気を回してくれていた。

 その気遣いが逆に辛くて、母が居ないことを実感させられて、毎日毎晩一人で泣いていた気がする。

 そして私の隣には、いつも朝陽が居てくれた。

 本当にただ、居るだけだった。朝陽は何も言わなかった。

 気を使ってくれた訳でもなく、同情して居た訳でもなく、ただ普通に、当たり前に私の横に居た。

 今思えば、単純に彼は何も出来なかっただけなのかもしれない。

 それでも、幼い私はどうしようもなく嬉しかった。

 それが、私の二度目の恋のの始まりだった。

 徐々に心の傷を癒しながら、私は遂に朝陽と共に笑って入学式を迎える事ができた。

 それから暫くの事だ。私が私自身を、普通では無いと認識する事になる事件が起きた。

 言葉だけ聞くと、思春期特有のただの厨二病だと自分でも恥ずかしくなるが、至って真面目に語らせてもらう。


 小学生になって初めての遠足で、ピクニック気分で小高い山を登る事になった。小学生の団体は、最前列と最後尾の先生に誘導され、二列で手を繋いで悠々と歩く。

 細い山道を歩いていた私達は、重心を寄せていた手摺の劣化に気付くはずもなく、漏れなく全員がその手摺に手を付けていた。

 それだけならまだ簡単な話だった。

 十歳にも満たない幼い子供達の体重などたかが知れていて、手摺にも掴まって歩いていると言うより、整列の道標として触れているだけだった。

 問題はもう一つ、連日で続いた雨により、土砂が緩んでしまっていた事だ。

 足場はぬかるむ程度だが、山頂付近から集中的に崩れてくる比較的少量の土砂には気づかず、私達は一気に足元を掬われてしまった。

 全く人為的なものでは無く、それは極めて不運で不幸な事故だった。

 引率の先生でさえ、身近にいた子供を保護することしかできなかった。

 十数人の子供達が、その小道から外れて傾斜のある坂を転がり落ちる。その中に、咄嗟に朝陽を庇って落ちた私も居た。

 無理矢理腕を掴み上げたので、朝陽も怪我をしただろう。地震の体が宙を舞う最中、混乱と絶望の表情を浮かべて地に伏す少年の朝陽と目が合った。それでも彼が落ちて命の危険に晒される事が無かったことに、どうしようもない安堵を覚えた。

 私はそのまま、体の部位をぶつけながら落下し、小枝や葉で皮膚が傷つき、明らかに腕の折れた音がした。

 激痛と恐怖の中、やっと体の回転が収まった時には、周りには屍のように転がり、呻いたり、動かなくなる友達がいた。

 不幸中の幸いか、浅い川が流れるそこは、クッションの代わりを果たしたのか、頭は打たずに意識だけがあった。

目の前には自分の傷だらけの小さな腕、水に染み込むように流れる血、まともな神経感覚はない。

 ここで死んでしまうのか、と覚悟さえして目を閉じた。

 ああ痛い、痛い。腕が、足が、動かない。傷が熱い。川の水が冷たい。せめて川辺まで行かないと、私が流されちゃう。流されたら、見つけて貰えないかも知れない。動かないと、立たないと。眠い。助けて。先生。朝陽。お父さん。お兄ちゃん。

 お母さん。

 ゆるりゆるりと意識が薄れ行き、意識が暗転する。限界を迎えた瞼が閉じた直後だった。

「え?」

 痛みが、消えた。

 頭が一気に晴れたような感覚、動かない筈の足は膝を折り、腕は自重を支え、私は立ち上がった。

 明らかに致命傷ものの怪我だった筈なのに、幾度となく傷口に触れるも、その肌に異常はない。

 出血も傷も、捲れた皮も、まるでその部分の時間だけが逆行したかのように綺麗に無くなっていた。

 私の足に残っていたのは川水で流れ始めた汚泥のみで、痛みは綺麗さっぱりと消え去っていた。

 生きていると認識した瞬間、膝から崩れ落ちて腰を抜かした私の顔が、川の水に映って見えた。

 いつも通りの『舞崎真昼』の姿が、だ。



 つまり、先ほどの表現は半分位は正しいが、実際には少し違う。

 【生まれつき怪我が一瞬で治る】

 これが正確な、何の因果か私の持って生まれてしまった異質な体質の説明である。私はこの一件を経てから、幼くして悟ってしまった。

「私はきっと、不死身の化け物だ」

 でも、この力があれば私は朝陽を守る事ができる。

 私だけが、朝陽を護ってあげられる。

 だって朝陽は、私の運命の相手なのだから。


*******


私のこの非現実的な体質にも、幸か不幸かある程度制限があるようで、十六年弱を生きて来た中でいくつか法則を発見した。


・一つ、無意識下での発動

 これこそが、私が今まで誰にも勘繰られる事なく、平穏無事に生きて来られた大きな要因だ。

 自他問わず、その傷に意識を向けて居る時、例えば能力を目視しようと思う場合、その能力は発動しない。

 様々な実験を重ね、動画や写真でもその条件は有効らしいことが分かった。

 崖から落ちた一件で、傷が一瞬にして治ったように感じられたのは、私が暫くの間気を失っていたからだと推測できる。つまり、どのような原理で、どのような過程を経て傷が治って居るのかは定かではない。

 尋常じゃない痛みに襲われた時、私はその傷以外の事に集中する。又は、寝る。気絶する。すると、無意識の内に傷は消えて無くなるのだ。


・二つ、少々であれば他人の傷の治療もできる

 これはあの事件の時、死屍累々な惨状を打開するべく、周りの友人達の元へ駆け寄った私に起こった奇跡だった。

率直に言って、私が撫でた部位の傷が消えた。怪我が完全に消え去った訳ではなく、出血が止まった程度だったが、それでもあれだけの事故で死者が出なかったのは私の能力の功績が大きいだろう。

 彼等の傷の深さを考えれば、患部に触れてはいけない事は確実なのに、あの時は何故だかそうしなければならない予感がした。

 結果的に、私は奇跡を起こしたのだ。

 しかし、この奇跡が成功したのはこの一件を含めて数える程しかない。他にも何かしらの条件がある可能性が高いが、追い追い研究しようと思う。

 私は悩みに悩み抜いて詳細を見出したこの二つの能力を、誰にも話していない。

 本当に、誰にもだ。

 家族にも兄妹にも、そして、朝陽にもだった。


 その朝陽が今、私の真後ろで、頬を染めた少女に想いを告げられていた。

 夕理は至極純粋な想いを、真っ直ぐに朝陽に伝えたのだ。

 公園の入り口に建つ四メートル程の高さの時計台、それは私の様な高校生の子ども一人を覆い隠すには十分で、聞こえて来る二つの声が、私の耳に木霊した。

「僕は」


 やめて、答えないで。


 苦笑しながら話す朝陽の声が、頭の中へに響くようにはっきりと聞こえてくる。

「誰かと付き合ったりとかした事なくて、好きな人もいなくてさ」


 知ってるわ。朝陽の初恋の人って私のお母さんだものね。


 幼い朝陽が、母の誕生日に、道端で詰んだ小さな花を束ねてプレゼントしていた思い出を追想する。

 誰よりも彼を良く知っている筈なのに、こんな朝陽を、私は知らない。

「初めて告白されて、正直すごく嬉しい」

 その瞬間、私の呼吸は止まった。

 私の好きな、不器用で素直な朝陽の笑顔が私の眼に映る。

「僕で良かったら、よろしくお願いします」

 いつだって安心できた穏やかで優しい、あの朝陽の笑顔と言葉を拒絶したのは、その日が初めてだった。

 それ以上、朝陽の言葉を聞きたくなかった。

冷たく夕日を遮り、私を暗がりに封じ込める時計台の壁に背を預け、私は重力に従って座り込んだ。

 烏の鳴く声が虚しく木霊して、その後の二人の会話は覚えていない。虚ろな目を燻らせた私は、いつもとは違う道を歩いて帰った。朝陽と別々の道を歩いて帰途に着いたのは、この日が初めてだった。



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