第47話 「物理の位置エネルギー」
(美咲)
本棚の上を掃除機で軽く掃除して、後は拭き掃除。
掃除機を立てかけて、脚立の上に乗って拭き掃除をしていると、蒼汰さんが走り込んで来た。
「ちょ、ちょ、ちょっと。く、く、来栖さん。こ、ここで、何をしてるんでうあ?」
何かものすごく慌てている。
「え? 蒼汰さんどうかされました?」
「い、いや。な、何で僕の部屋に来栖さんが……」
蒼汰さんは慌てて脚立の傍まで来ようとして、掃除機のコードに躓いてしまった。
コードに引っ張られて掃除機が倒れて行く。
「あっ!」
掃除機は蒼汰君の机に向って倒れて行き、そこに置いてあったコップが載ったお盆の端を直撃した。
お盆は見事にひっくり返り、コップがスローモーションの様に宙に舞い綺麗に床に落ちる。
脚立の周りの床一面、割れたコップの破片だらけになってしまった。
「ああ! ごめんなさい。直ぐ片付けますね」
私は慌てて脚立を降りて、破片を片付けようとした。
「来栖さん、降りちゃダメ!」
蒼汰さんの大きな声で、私は脚立の上で静止した。
「降りたら足を怪我しますよ。そのままそこに居て下さい」
私が頷くと、蒼汰さんは破片を踏まない様に注意しながら部屋を出て行った。
しばらくすると靴を履いて戻って来て、コップの破片を蹴散らしながら脚立の所まで来て私に背を向けた。
「僕が背負って部屋の外まで行くので、どうぞ」
背中に乗りやすい様に、少し前かがみになってくれた。
気になる事があったけれど、私は好意に甘えて背負ってもらう事にした。
また助けてもらう事になった。いったい何度目だろう。
本当に蒼汰君は優しいなぁ。
蒼汰さんに背負われて、無事部屋の外に出る事ができた。
「ありがとうございました。直ぐに履物を取って来て片付けますね」
「いえ、後は自分で片付けるので、大丈夫です」
「いえいえ、そういう訳にはいきません。私が片付けます」
「いえ、ダメです」
「まだ、掃除も終わっていませんし」
「だ、ダメですって。だいたい僕の部屋には入らないで下さいって、お願いしましたよね」
「え?」
記憶に無い。首を傾げてしまった。
「え? だって……」
「言われてないと思います」
「い、いや、初日に確かに……」
「初日にですか? 蒼汰さんとは殆ど話して無いと思いますよ」
「……」
「ですよね?」
「……」
どうやら前の家政婦さんに言ったのを、私にも言ったつもりになっていたみたい。
その後も色々理由を付けて、私に部屋に入らない様に言って来たけれど、結局は折れて私は自由に部屋に入れるようになった。
蒼汰君。変装ひなスマイルで無言で見つめると折れるのね……。
だいたい、こんなに面白そうな部屋に立入禁止なんて許せない。
これから掃除の度に色々見られるのが楽しみ。
割れたコップのガラス片を片付けて、拭き掃除の続きをした。
掃除の間中、私の後ろを不安そうに付いて回る蒼汰さんが、ちょっと可愛かった。
何かそんなに見られてはいけないモノが有るのかしら?
隠されると余計に知りたくなってしまう……。
これからの探索が、もっと楽しみになってしまったわ。
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他の部屋の掃除はまだだったけれど、私は食事の準備に戻った。
シチューの鍋の火を少し強めにして、しばらく沸騰させながらアクを丁寧に取る。
一旦火を止めてシチューのルウを入れて、またしばらく煮込んだら完成!
その間にご飯も炊きあがっているので、スライスしたフランスパンをトースターに入れて準備完了。
蒼汰さんに食事が出来た事を伝える。
蒼汰さんは少し悲しそうな顔をして降りて来た。
私に掃除に入られるのが、そんなに悲しいのかしら。
俄然、探求心が湧いて来たわ……。
でも、先輩達の話に水を向けると打って変わって楽しそうな表情になり、今日の事を嬉しそうに話してくれた。
私は先輩方の意外な一面を知る事ができて、ちょっと可笑しかった。
蒼汰さんはシチューをとても美味しいと言ってくれて、ご飯もシチューも三回もお代わりをしてくれた。嬉しい。
コップが割れた時に背負ってくれたことの御礼をちゃんと言えてなかったので、改めてお礼を言った。
『蒼汰さん。あの時、私の靴を持って来てくれれば、背負わなくても良くなかった?』なんてことは、間違えても言わなかった。
「蒼汰さんは、最近女性を背負う事が多いですね」
「え? ああ、そう言えばそうですね」
「重かったでしょう。ごめんなさいね」
やはりこういう時は、少し謙遜して言わないとダメよね。
「いえいえ。この前の女の子より、来栖さんの方が全然軽かったですよ!」
「……」
蒼汰さん。その違いは『物理の位置エネルギー』と『私がちゃんとしがみついたから』じゃないかしら?
「この前の女の子の時は、ちゃんと運べるか分からないくらい重たかったけど、来栖さんは重くても普通に運べました」
「そ、そうですか、あ、ありがとうございます……」
蒼汰君。女性に「重たい」とかって言ってはいけませんって、学校で習わなかった?
二階の本。全部古紙回収に出してしまおうかしら……。
私の微妙な雰囲気にやっと気が付いたのか、蒼汰さんは慌てて言い直した。
「あ、いや。く、来栖さんは全然軽かったです! こ、この前の女の子は、凄く重たかったけれど。く、来栖さんは、と、とっても軽かったです!」
「……」
蒼汰さん。それ全くフォローになってないわよ!




