第168話 「明日菜さん」
(蒼汰)
音葉高校被服科で唯一連絡先が分かる人、日高 明日菜さん。
被服科の卒業アルバムを見せて欲しいとお願いすると、明日菜さんの自宅に招待されてしまったのだ。
デカい……。
明日菜さんの自宅は想像以上のお屋敷だった。
門を入ると車止めのスペースがあり、玄関までは少し距離がある。
大きな両開きの玄関の前に立つと緊張で汗が出て来た。
呼び鈴が見当たらない……。
ライオンが咥えた青銅製の輪っかで扉を叩くと、直ぐに扉が開いて、白髪の執事服を着た男性が屋敷内へ招き入れてくれた。
玄関を入ると大きなペルシャ絨毯が敷いてあり、靴を脱ぐ場所はなかった。
靴のままでどうぞと言われながら客間に案内された。
一目見ただけで高価だと分かる調度品が揃えられた豪華な客間だ。
自分の格好があまりにも不相応で居心地が悪い。
そんな風に思っていると、メイドさんが紅茶とクッキーを持って来てくれた。
本物のメイド服を初めて見た……意外と地味だな。当たり前か。
出された紅茶を飲もうと思ったら、ティーカップを持ち上げる時に手が震えてカチャカチャいわせてしまったので、もう二度と触らない事にした。
暖炉のマントルピースの上にある、美術室でしか見たことがない石膏像とにらめっこをしながら、明日菜さんが来るのをひたすら待った。
本当は数分だったと思うが、俺には一時間位に感じられた。
「上条さん。お待たせしました」
客間の入り口に佇む明日菜さんは、相変わらず守ってあげたくなるような雰囲気のままだった。
「では私の部屋に参りましょうか」
メイドさんが少し驚いた様な顔をしていた。多分俺も同じ顔をしていたと思う。
「上条さんのお茶を持って来てくれますか」
メイドさんに声を掛けると部屋を出て行った。
この居心地の悪い客間よりは良いと思い、明日菜さんの後ろを付いていった。
大きな階段で二階に上がり、広い廊下を歩いて行く。
ゲストルームだろうか、大きな部屋が沢山あるようだ。
明日菜さんは廊下の一番奥まった部屋に入って行く。
中に入ると、部屋は十分に広かったが、他の部屋のサイズに比べると随分狭い部屋だった。
メイドさんが二人分の紅茶をテーブルに乗せ、一瞬俺を怪しむ様な眼で見て出ていった。
みぃの荷物を取りに部屋に入った事はあるが、女性の自宅の部屋に入るのは初めてだ。何故だかソワソワしてしまう。
「私の部屋は狭いでしょう?」
「いや、そんな事はないけど、確かに他の部屋に比べたら……」
「ここは物置だったのですよ」
「え?」
「私は連れ子だから、少し疎まれているんです」
「……」
何と言ってあげれば良いのか分からなかった。お金持ちで苦労が無いかと思っていたら、そう単純ではなさそうだ。
「そうでした、卒業アルバムでしたよね」
書籍棚の中から音葉高校被服科の卒業アルバムを出して渡してくれた。
一学年で三クラスしかないので、普通科に比べるとかなり薄いアルバムだ。
隈なく見せて貰い『来栖ひな』を探したが、やはり見つからない。
学年が違うのかも知れないので、念のため明日菜さんに聞いてみたけれど『来栖ひな』と言う名前は聞いた事が無いと言っていた。
やはり、来栖さんは被服科には在籍していなかった。
また手詰まりになったがけれど、これで『海辺の派遣社』にもう一度行く理由ができた。
「明日菜さん。ありがとうございました。帰ります」
「えっ? もう終わりですか」
「はい。探している人が在籍していなかった事が確認できたので……」
「上条さん。まさか、それだけですか」
「は、はい」
「それだけならば、私に電話で聞いて下さるだけで良かったかと……」
迂闊だった。被服科で門前払いをくらってしまい、卒業アルバムを見る事に必死になっていた。
「た、確かにそうですね。ごめんなさい」
「上条さんは、何故その方を探しているのですか」
「生徒会の時に一緒だった天野さんを覚えていますか」
「ええ。上条さんに付き纏っていた女性の方ですね」
「え? ま、まあ良いです。その人を探しています」
「何故?」
「……」
明日菜さんに、これまでの事を掻い摘んで話した。
「なるほど。それで卒業アルバムを見たかったという事ですね」
「お手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「構いませんわ。私もお会いしたかったから」
「えっ?」
「私に会いたいから、そんな事をお願いして来たと思っていたのに……」
「会いたい?」
「私をこの家から連れ出してくれるかも知れないと期待していました」
「あ、明日菜さん……。何か変な勘違いさせてしまい申し訳ありません。さっさと帰りますね」
俺が立ち上がると、明日菜さんが両手を開いてドアの前に立ち塞がった。
「ダメ。帰しません」
「え、いや……」
「先程のお話しを伺う限り、上条さんはいまフリーですよね」
「ええ、まあ、はい……」
「では、私とお付き合いしても問題ありませんわよね」
「いやそれは……」
「初めて会った時から、お慕いしていました」
明日菜さんがいきなり抱きついて来た。
華奢でか弱いイメージだったのに、意外に力が強くて驚いた。
それに……。
ヤベー。明日菜さん着痩せするタイプだ。かなりお胸が大きい……ムフッ。
「上条さん」
「は、はい」
「今からしてくれたら帰してあげます」
「え……」
明日菜さん、いきなり直球勝負ですか?
堪らないシチュエーションだけれど、みぃから自由契約になったとはいえ、これでは余りにも節操が……。
「あ、明日菜さん。む、無理ですよ」
「どうしてですか。私の事がお嫌いですか?」
「い、いえ、そう言う訳では無いけれど……。あ、そうだ! 俺はアレを持ち歩いて無いので無理ですよ」
「えっ? そのアレが無いと、どうしてダメなのですか」
「えええっ! だって、もし、その、出来ちゃったりしたら……」
「出来ちゃう? 上条さん。私と何をするおつもりですの」
「え?」
「え?」
「え?」
「やだ、上条さん。私キスがしたかっただけです……」
明日菜さんが真っ赤になっていた。
しまった。俺が飛躍し過ぎてた……。
「上条さん……。でも、上条さんがどうしてもと言うのなら、わたし……」
俺から離れると、両手を胸の前で祈るように組んで、俯きながら上目遣いで俺を見つめていた。
か、可愛い……。
俺の頭の中で危険信号が点滅している。
明日菜さんは良い娘過ぎて、もしそういう事になったら、俺は絶対に沼る……。
ダメだダメだ! この娘に嵌ったら、来年みぃに殺される……。
俺は慌てて頬にキスをして、明日菜さんの隙を見計らい逃げ出した。
「俺、急ぎの用事があるから、今日は帰ります! 明日菜さんまたね!」
「上条さん、頬じゃなくて……」
明日菜さんの家の門から逃れて、やっと落ち着いた。
ちょっとモテ男になった気分がしてニヤニヤしてしまい、通りすがりの女子高生から気持ち悪そうな目で見られてしまった。
明日菜さん可愛いし、お胸大きかったなぁ。
あのお胸に顔を埋めたかったかも……。




